紫の月の三十一日⑤~年の終わりのご挨拶~
2020.1/18 更新分 1/1
営業を開始してから一刻と半ぐらいが過ぎ、いよいよ料理の残りもわずかとなったとき、ひときわ賑やかな一団が屋台のほうに近づいてきた。
西の民の、若い男女の一団である。歩きながら横笛を吹いている若者までいたりしたので、旅芸人と見まごう賑やかさだ。
これはいったい何の騒ぎなのだろう、と俺たちが興味深く見守っていると――その中から、見慣れた人物がひょいっと顔を覗かせた。トトスの早駆け大会において入賞した、宿場町の領民ダンロである。
「よお、アスタ! すっかり遅くなっちまったけど、まだまだ料理は残されてるみたいだな!」
「いえ、実のところは、売り切れ寸前です。みなさんがお買い上げくださったら、いくつかの屋台は店じまいとなるでしょうね」
「おお、そいつは危ないところだった! 今日の胃袋を締めくくるのは、アスタたちのギバ料理と決めていたからな!」
ダンロは、ぞんぶんに酩酊しているようだった。
ただ、どれだけ酔っても彼の持つ朗らかさや大らかさは損なわれていない。宿場町では不良少年に区分される存在なのかもしれないが、俺にとっては心安い常連のお客さんであった。
「よーし、それじゃあ欲しいだけギバ料理を買いやがれ! これで食いおさめなんだから、心残りのないようにな!」
ダンロがそのように声を張り上げると、若者たちは歓声で応えながら屋台に群がってきた。
「な、なんだか今日は、凄い騒ぎですね。やっぱり、『滅落の日』だからなのでしょうか?」
「うん? ああ、今日の飲み食いの代価は俺が受け持つって話になったから、どいつもはしゃいでやがるんだよ。まったく、しょうもねえよなあ」
「ええ? これだけの人数の勘定を、ダンロひとりで受け持つのですか? それはずいぶん……太っ腹ですね」
「なに、例の大会の褒賞だよ。銀貨をいただいたら『滅落の日』に何でも振る舞ってやるって、大会に出る前に約束しちまったからさ」
愉快そうに笑いながら、ダンロはそう言った。
「あんな銀貨を抱え込んでたら、盗っ人どもの目が気になってしかたねえからな。年を越える前にみんなつかっちまおうって考えてたんだ。これでもまだまだつかいきれねえと思うけどよ」
「ふむ。お前には、富を分け合う家族もいないのだろうか?」
俺の後ろからアイ=ファが口をはさむと、ダンロは「ご名答」とまた笑った。
「親とは小さい頃に死に別れてるし、俺を育ててくれた親戚連中も、気づいたらみんな天の上だからな。俺にとっちゃあ、この馬鹿どもが家族みたいなもんなのさ」
「そうか。お前は孤独に屈することなく、それを我が身の力に換えることがかなったのだな」
アイ=ファがしかつめらしく評すると、ダンロは「よせやい」と手を振った。
「アイ=ファみたいに真っ直ぐな目をしたやつにそんなことを言われちまうと、なんだか居たたまれねえよ。俺はもともと、掏摸野郎に説教できるほど立派な人間じゃなかったんだからな。衛兵にしょっぴかれたことだって、1度や2度じゃねえんだぜ?」
「しかし今は、心正しく生きているのであろう? それぐらいは、目の光でわかる」
「かなわねえなあ。あんまり買いかぶらねえでくれよ?」
ダンロは少し気恥ずかしそうに自分の頬を撫でてから、俺に向きなおってきた。
「でさ、アスタたちは、ダレイムで新しい年を迎えるって話だったよな?」
「はい。森辺の民の何割かは、そちらに向かう予定です」
「それでもけっこうな数が、宿場町に居残るんだろ? 俺たちは『ヴァイラスの広場』で騒ぐ予定だから、適当に声をかけておいてくれよ」
すると、木皿の準備をしていたラッツの女衆がダンロに笑いかけた。
「わたしの血族は、宿場町に残る予定です。そちらに向かわせていただいてもよろしいでしょうか?」
「おお、来てくれ来てくれ! 森辺の民なら、誰でも大歓迎だ!」
そうして仕上がった『ギバ骨ラーメン』を手に、ダンロと数名の仲間たちは青空食堂に消えていった。
残りわずかとなってきた麺を鉄鍋に投じつつ、俺はラッツの女衆を振り返る。
「ラッツの家長なら、ダンロとも気が合いそうですね。トトスの早駆け大会にも関心がおありのようでしたし」
「はい。きっと家長も喜ぶと思います」
おそらく本日は200名を超える森辺の民が宿場町に下りているはずなので、その全員がダレイムに向かうことはかなわなかったのだ。
それらの人々は、宿場町の人々と喜びを分かち合うことになる。ダレイムの人々と交流がある人間はそれほど多くはないので、それが自然な姿でもあったことだろう。
そうしてダンロの引き連れてきた面々が料理を買いあさると、予想通りいくつかの屋台が店じまいとなった。
それから四半刻も経たぬ内に、『ギバ骨ラーメン』も品切れとなる。それでもなお、屋台の前には大勢の人々が群れ集っていた。
青空食堂も、お客と従業員であふれかえっている。屋台の商売を終えた順に、青空食堂の手伝いに回るシステムであったので、俺とラッツの女衆にはほとんど仕事も残されていなかった。
「よお、アスタ。ルウ家のお人らに帰っていいって言われたんだけど、かまわねえかなあ?」
と、俺たちよりも先んじて青空食堂の手伝いに回っていたレビとラーズが、人混みから弾き出されるようにして姿を現した。
「うん。《キミュスの尻尾亭》も大賑わいだろうからね。戻って、そっちを手伝ってあげなよ」
「ありがとさん。ベンやカーゴに、よろしく伝えておいてくれ」
昨年はレビもダレイムを訪れていたのだが、本年はそうもいかないのだ。
しかしそちらではマス家の人々と喜びを分かち合うことができるのだから、レビとラーズの表情は明るく満ち足りていた。
「ああ、アスタたちも、屋台の商売を終えたのですね」
俺とラッツの女衆が青空食堂のほうに近づいていくと、皿洗いにいそしんでいたレイナ=ルウが笑いかけてきた。最終日の本日は、レイナ=ルウもシーラ=ルウも顔をそろえているのだ。
「こちらの人手は足りているので、動ける人間はダレイムに向かうべきだと思うのですが、どうでしょう? 特にアスタたちは料理の準備もあるのですから、先んじていただきたく思います」
「そうしてもらえたらありがたいけど、そっちは本当に大丈夫かい?」
「はい。ジバ婆たちもこれから荷車を出すところなので、リミやララたちにも先に向かってもらうつもりです」
すると、隣のラッツの女衆も俺に笑いかけてきた。
「わたしなどはこの後も宿場町に残るのですから、不都合はありません。どうぞダレイムにお向かいください」
「ありがとうございます。……それじゃあ最後に、ちょっと挨拶をさせていただきますね」
俺は客席を一望できる場所まで足を進めてから、「みなさん!」と大きな声をあげてみせた。
「本年はありがとうございました! また来年もごひいきにしていただけたら幸いです!」
わずかに静まりかえった後、津波のように歓声が爆発した。
「こっちこそな! また美味い料理をよろしく頼むよ!」
「もう帰っちまうのかい? それじゃあ、また銀の月にね!」
手近な場所に座っていた人々の言葉だけ、なんとか聞き取ることができた。
老いも若きも、男性も女性も、みんなが笑顔で俺を見つめている。その光景は、胸がしめつけられるほどの喜びを俺に与えてくれた。
「みなさんも、よいお年をお迎えください! それでは、失礼します!」
俺は深々と一礼し、最後にまたその光景をしっかり目に焼きつけてから、きびすを返した。
その頃には、すべての屋台が販売を終えていた。
レイナ=ルウおよびトゥール=ディンと相談をして、ダレイムに向かうべき人間を選別する。その結果、ルウの荷車を1台だけ残し、レイナ=ルウとマイムに居残ってもらうことになった。護衛役はジーダとバルシャで、ミケルもそれに同乗することになる。
「すべての木皿を洗い終えたら、わたしとマイムもダレイムに向かいます。屋台の返却も受け持ちますので、アスタたちはそのままお向かいください」
「ありがとう。『ギバ骨ラーメン』を作って待ってるからね」
こちらからダレイムに向かうのは、俺、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、それに護衛役のアイ=ファとライエルファム=スドラであった。あとは、トゥール=ディンとリッドの女衆、および護衛役であるディンとリッドの男衆である。
「あ、あ、あれ? そ、そうすると、2名分ほど空きが出ることになりますが……」
荷車に乗れない人々は、すでに徒歩でダレイムに向かっているはずなのだ。もちろん、貴重な荷車に空席を作るつもりはなかった。
「シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンも同乗する予定なんだ。俺たちがギルルの荷車で迎えに行くから、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアはファファのほうに乗ってもらえるかな?」
「しょ、しょ、承知いたしました。そ、それでは、またのちほど」
ディンの男衆が手綱を引くファファの荷車は、ルド=ルウやダルム=ルウが手綱を引く荷車とともに、街道を南に下っていった。
アイ=ファがギルルの荷車の準備をしてくれている間に、俺は屋台のユーミへと呼びかける。
「それじゃあ俺たちは、先にダレイムに向かっているよ。あとでリコたちが迎えに来てくれるはずだからね」
「了解! ドーラたちに、よろしくねー」
本日はリコたちもダレイムに招かれていたので、ユーミが同乗をお願いしたのだ。俺たち以上に大量の料理を準備しているユーミは、いつも半刻から一刻ぐらいは終業時間も遅かったのだった。
「では、行くぞ」
俺、アイ=ファ、ユン=スドラ、ライエルファム=スドラの4名で、人で賑わう街道へ突入する。
しばらく進むと第2のギバ料理エリアに差しかかったので、俺はナウディスにも挨拶をしておくことにした。こちらのエリアも、これまでで最大の賑わいを見せている様子である。
「お忙しいところを、申し訳ありません。ナウディスも、よいお年をお迎えください」
「おお、そちらは商売を終えたのですな。どうぞ来年も、よろしくお願いいたしますぞ」
鉄鍋の熱で頬を火照らせながら、ナウディスはこれ以上ないぐらい充足した面持ちであった。きっと俺たちも、営業中はこのような姿であるのだろう。
さらに進むと、リコたちが何かの劇を披露している姿が見えてくる。これだけ連日で芸を見せているのに、客足にはこれっぽっちの衰えも見られぬようだ。
そうして露店区域を抜けたのち、俺たちは進路を西に取った。
シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンは、《玄翁亭》で待機しているのである。
《玄翁亭》は主街道から少し奥まった居住区域に看板を出しているのだが、『滅落の日』たる本日はその通りもぞんぶんに賑わっていた。
人々は家の前に卓を出して、楽しそうに酒杯を交わしている。荷車を引いた俺たちが通りかかると、挨拶をしてくれる人々も少なくはなかった。
「お待たせしました。お迎えにあがりましたよ」
《玄翁亭》においても店の前に卓が出されており、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンはそこでラダジッドたちと交流を深めていた。
東の民は感情を表さないので、その一画はひっそりと静まりかえっている。しかしその場には温かな空気が満ちており、彼らが幸福なひとときを過ごしていたことに疑いはなかった。
「アスタ、お疲れ様でした。我々、荷車、準備するので、少々お待ちください」
ラダジッドの指令を受けて、若い団員が宿の中に引っ込んでいく。
やがてその団員が主人のネイルを引き連れてきたので、俺は「ああ」と表情をゆるませることになった。
「ネイルとは、ちょっとひさびさですね。ラダジッドたちから、ずっとご様子はうかがっていたのですが」
「はい。わたしも同じように、アスタたちのお話をうかがっていました」
東の民と同じように表情を動かさないネイルであるが、そのわずかに細められた目からは親愛の念がこぼれているようだった。
《玄翁亭》には今もギバ肉とカレーの素を卸していたが、最近では俺がお届け役を担う機会も減ってしまっていたのだ。こうして1年の終わりにご挨拶ができるのは、幸いなことであった。
「本年も大変お世話になりました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。……アスタたちとも、ようやく1年半ほどのおつきあいになるのでしょうか。とても濃密な日々であったためか、もう何年もともに過ごしているような心地です」
無表情に言いながら、ネイルは一礼した。
「それでは、荷車の準備をいたします。皆様、どうぞお気をつけて」
裏の倉庫から引っ張り出されてきたのは、2頭引きの荷車が1台であった。9名の団員が全員乗り込めるように、荷物は他の荷車に移されたのだろう。
俺たちはあらためてネイルと別れの挨拶を交わし、主街道を目指してきびすを返す。
「それじゃあ次は、南の方々のところに寄らせていただきますね」
もちろんそれは、建築屋の面々についてであった。あちらも《銀の壺》と同じように、屋台の料理を食べ終えた後に宿へと戻って、俺たちの到着を待ち受けているのだ。
「よお、待ってたぞ! いよいよダレイムとやらに出発だな!」
《南の大樹亭》の食堂から、30名にも及ぼうかという人々がぞろぞろと現れる。ラダジッドたちと面識のない人々はいくぶん不安そうに眉をひそめていたが、それでも全員が同行を希望してくれたのだった。
それを横目に、俺はナウディスの伴侶と挨拶をさせていただく。彼女は純然たる西の民であるのだが、南の民の女性陣と共通点の多い、小柄でふくよかな女性であった。
「夜の道は危険ですからねえ。お酒も召しているのですから、どうぞお気をつけくださいませ」
建築屋の荷車は、2頭引きのが3台であった。このような刻限に荷車を持ち出す人間は少ないので、往来の人々はいったい何事かと目を見張っている。
「あ、申し訳ありませんが、ちょっとこちらの宿屋に寄らせてください」
俺が足を止めたのは、もちろん《キミュスの尻尾亭》の前であった。
店の前で騒いでいる人々にも挨拶をして、アイ=ファとともに扉をくぐると、ちょうど厨からテリア=マスがお盆を手に出てきたところであった。
「ああ、アスタにアイ=ファ。屋台の返却でしょうか?」
「いえ。そちらはレイナ=ルウたちにお願いすることになりました。これからダレイムに向かうので、みなさんにご挨拶をさせていただこうかと思いまして……」
「それはご丁寧にありがとうございます。父は、厨ですので」
テリア=マスはにこりと微笑んでから、せわしなく食堂に駆け込んでいった。
開け放しの扉から厨を覗き込んでみると、ミラノ=マスとラーズとお手伝いの女性がかまど仕事に励んでいる。俺が声をかけるより早く、ミラノ=マスが不愛想な視線を向けてきた。
「なんだ、お前さんたちか。酔っぱらった客がさまよい込んできたかと思ったではないか」
「お忙しいところを、申し訳ありません。ミラノ=マス、本年も色々とありがとうございました」
ミラノ=マスは鉄鍋の蓋を閉めると、帽子を取って額の汗をぬぐってから、小さく頭を下げてきた。
「こちらこそ、というべきだろうな。お前さんたちのおかげで、昨年以上の賑わいだ。これでは、休むひまもない」
「この時期は、本当に大変そうなご様子ですよね。どうか無理だけはなさらないでください」
「ふん。無理がきかぬほど老いぼれたつもりはないぞ」
帽子をかぶりなおしながら、ミラノ=マスはぶっきらぼうに言った。
「しかし……今年は料理の世話を焼いてもらうばかりでなく、厨の仕事まで手伝わせる羽目になってしまったからな。ラーズとレビの一件もあるし、どれだけ礼を言っても足りんぐらいだ」
「いえいえ、ミラノ=マスからのご恩を思えば、何ほどのものでもありません」
「だから、こちらが世話を焼いた覚えなどないというのに」
そう言って、ミラノ=マスは小さく息をついた。
「お前さんたちにとっても、今年は大変な1年であったことだろう。次の年は、もう少し穏やかであれと願っておくことだ」
「あはは。賑やかなのは、大歓迎ですけれどね」
そこで、お盆を掲げたテリア=マスが舞い戻ってきた。
「アスタ、食堂で働いているレビたちも挨拶をしたいと言っているのですが、よろしいでしょうか?」
「あ、了解です。それではみなさん、よいお年をお迎えください」
ミラノ=マスとラーズと名も知れぬ女性に頭を下げて、俺は食堂のほうに向かった。
食堂は、祝宴のような騒ぎである。レビとレイトは空いた食器の回収や注文取りに励んでおり、そして、入り口に近い席ではカミュア=ヨシュとザッシュマが酒杯を酌み交わしていた。
「やあやあ、アイ=ファにアスタ。ようやく今年最後の仕事を終えたのだね」
「はい。これから、ダレイムに向かうところです」
俺は、カミュア=ヨシュもダレイムに誘っていた。しかし彼は、《キミュスの尻尾亭》を手伝うレイトとともに新年を迎えることを望んだのだった。
大量の食器を掲げたレイトとレビも、こちらに近づいてくる。前掛けをつけて、すっかり宿屋に馴染んでいるレイトに、俺は「やあ」と笑いかけてみせた。
「お疲れ様、レイト。来年もよろしくね」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
レイトはお行儀よく微笑み、俺とアイ=ファのかたわらをすり抜けていく。レビは苦笑しながら、その小さな後ろ姿を見送った。
「レイトのやつがはりきるもんだから、俺もなかなか気が抜けねえよ。あれで剣やトトスの腕も人並み以上だってんだから、まいっちまうよなあ」
「うん。あくまでレイトは、《守護人》の弟子だからね」
「俺も負けてらんねえや。それじゃあ、来年もよろしくな」
レビもせわしなく、厨へと向かっていった。
酒杯の果実酒をちびりとなめてから、カミュア=ヨシュはにんまりと笑う。
「《キミュスの尻尾亭》は、いよいよ活気づいてきたねえ。アスタたちに出会う前とは、比べ物にならないぐらいだよ」
「ええ。俺たちが少しでもお役に立てていたなら、嬉しく思います」
「少しでもっていうか、そのほとんどがアスタたちの力だろう? まあ、多かれ少なかれ、森辺の民の存在が宿場町そのものを活性化しているんだろうけどさ」
「まったくだな。最近じゃあ、ずいぶん遠い領地にまで、ギバ料理の評判が届いているようだぞ」
陽気に笑いながら、ザッシュマもそんな風に言ってくれた。
「お隣のダバッグも素通りされちまわないように、あれこれ頭をひねってる始末だからな。そういう意味じゃあ、アスタたちの活躍の影響は他の領地にまで及んでるってわけだ」
「それは恐縮の至りですね。評判倒れになってしまわないように、いっそう励みたいと思います」
そんな風に答えてから、俺はカミュア=ヨシュに向きなおった。
「ところで、カミュア。今日の昼間のことなんですが――」
「ああ。ピノから話は聞いているよ。アスタの心が軽くなったのなら、何よりだ」
カミュア=ヨシュは、とぼけた表情で微笑んでいる。
ただその紫色の瞳には、透徹した光が浮かべられていた。
「どんな方法でアスタの力になったのかは聞かされていないけれど、ピノはああ見えてひとかどの人物だ。どれだけ信用しても、裏切られることはないと思うよ」
「はい。ピノたちには、とても感謝しています」
カミュア=ヨシュは「うんうん」とうなずいてから、アイ=ファのほうに視線を転じた。
「アスタが元気になって、アイ=ファもひと安心だね。というか、アイ=ファのほうまで見違えて元気になったみたいだ。よほどアスタのことが心配だったんだねえ」
「……家人の心配をするのは当然のことであろうが?」
アイ=ファはいくぶん頬を赤くしながら、カミュア=ヨシュの細長い顔をにらみつけた。
ザッシュマはひとり、きょとんとしている。
「アスタとアイ=ファがどうかしたのかい? なんだか、ちっとも話が見えないな」
「なに、これだけの仕事を果たしているアスタたちには、気苦労も絶えないということさ。だからこそ、それを補って余りある喜びを手中にできるのだろうけれどね」
「はい、まさしくその通りだと思います」
俺は心から、そのように答えることができた。
「本年は、カミュアとザッシュマにもお世話になりました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします」
「うん、こちらこそ。他のみんなにもよろしくね」
俺たちは、それでようやく《キミュスの尻尾亭》を辞することになった。
往来に荷車をとめていては邪魔になってしまうので、皆には先に進んでもらっている。人混みをかき分けてそれを追いかけながら、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。
「いよいよ年末って気分だな。アイ=ファにとっても2度目の『滅落の日』だけど、感想は如何かな?」
「……いまだ町の人間たちのように、これが神聖な日だという実感は持てずにいる。それはお前の言う通り、太陽を神と認める心持ちが必要であるのだろう」
そんな風に言いながら、アイ=ファはひそやかに微笑んだ。
「ただし、復活祭の終わりという意味では、やはり特別な日であるし……日がのぼるまで眠らずにいるというのも、この日を置いて他にない。そのような日をお前とともに過ごせることを、幸福に思う」
「うん。俺も同じ気持ちだよ」
俺が明るく笑ってみせると、ふいにアイ=ファが手を握りしめてきた。
「この人混みで道を急ぐのは、普段以上の危険がともなう。よって、お前の手をつかんでおくことにする」
「うん、了解。この人混みを抜けるまでだな」
俺は精一杯の思いを込めて、アイ=ファの温かい手を握り返した。
この先には森辺のみんなや《銀の壺》や建築屋の面々が待ち受けており、ダレイムにおいては楽しい賑わいが待ち受けているということも、嫌というほど承知していたのだが――俺は、この時間が少しでも長く続いてほしいと願わずにはいられなかった。