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異世界料理道  作者: EDA
第四十八章 太陽神の復活祭、再び(下)
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紫の月の三十一日④~最後の夜~

2020.1/17 更新分 1/1

 ピノおよびナチャラとの会見を終えた俺たちは、下りの三の刻まで宿場町の賑わいを満喫してから、森辺の集落に戻ることになった。

 そちらでは、ユン=スドラの監督のもと、下ごしらえの仕事が進められている。最終日の本日も不測の事態は生じなかったとのことで、作業はすでに終盤戦に差しかかっていた。


 遅ればせながら、俺もその場に参加させてもらう。ともに森辺まで戻ってきたトゥール=ディンとリッドの女衆も、ディンの家で同じように振る舞っていることだろう。


 そうして仕事に取り組みながら、俺は何だかこれまで以上に気持ちが軽やかであることを実感していた。

 身体には、力があふれかえっている。それは、最終日ゆえの昂揚であるのか、それともナチャラから施された術式の恩恵であるのか――それは判然としなかったが、入り口のところで俺の姿を見守るアイ=ファの眼差しは、とてもやわらかかった。


(案外、アイ=ファを安心させられたことが嬉しいだけなのかもな)


 ともあれ、俺のテンションは上々であった。

 仕事は速やかに完了し、今度は積み込みの作業に移行する。そのさなかにやってきたマルフィラ=ナハムは、俺の姿を見るなり、「あ、あ、あれ?」と細長い首を傾げた。


「ア、ア、アスタは宿場町に居残っていたのですよね? も、もしかして、どこかで身体を休めていたのでしょうか?」


「いや。約束の時間まで、めいっぱい復活祭を満喫していたよ」


「そ、そ、そうですか。あ、朝方よりもお元気なご様子であるようなので……な、なんだかほっとしてしまいました」


 持ち前の腕力で積み込みの作業を手伝いながら、マルフィラ=ナハムはぎこちなく笑う。彼女もまた、鋭敏な洞察力を有する人間のひとりであった。


(ピノとナチャラには、また改めて御礼を言わないとな)


 心を解きほぐす術式というのが、いったいどういった原理のものであったのか。この身で体感した俺にも、それは謎のままであった。

 だけど俺は、心を洗われたような気分であった。自分の知らないところで鬱積されていた良くないモノが、綺麗に排出されたような心地であったのだ。


 今ならば、これまではとは少し異なる心持ちで、フェルメスと語り合えるような気がする。早くフェルメスと再会したいなどと思うほどであったのだ。フェルメスと出会って以来、このような気持ちを抱くのは初めてのことであった。


(まあ、フェルメスが困ったお人だっていうことに変わりはないんだけどな)


 俺がそんな風に考えている間に、積み込みの作業は完了した。

 そこに、木々の向こうからティアとレム=ドムがやってくる。レム=ドムはぐったりとした面持ちで汗まみれであったが、ティアのほうは涼しい面持ちであった。


「お疲れ様。ちょうど今、呼びに行こうと思っていたところだよ」


「ああそう……悪いけど、わたしも荷車に乗せてもらえないものかしら? 宿場町までが無理だったら、ルウの集落まででもいいのだけど……」


「いや、レム=ドムひとりぐらいなら大丈夫だよ。でも、そんなにくたびれ果てた状態で、祭を楽しめるのかな?」


「ふん。半刻ぐらい休んでおけば、力は戻るわよ。……ティアには休息すら必要ないみたいだけどね」


 レム=ドムに視線を向けられると、ティアは「いや」と首を横に振った。


「ティアも、くたびれ果てている。晩餐の時間まで修練を続けられるかどうか、いささか心配に思っているのだ」


「まだ修練を続けようと考えている時点で、十分に化け物よ。あなたは本当に、それでまだ力が戻りきっていないというの?」


「うむ。右肩をうまく動かすことができないので、これでは狩人として働くことはかなわない」


 そんな風に答えてから、ティアは俺の顔を見上げてきた。


「アスタはまた、森辺の外に向かうのだな」


「うん。今日が復活祭の最終日だからね。……最近はティアと一緒に食事をする機会が減っちゃって、寂しく思っているよ」


「何を言っているのだ。アスタがティアの存在を重んじる理由はない」


 などと言いながら、ティアは彼女にだけ可能な純真なる笑みを広げた。


「でも、アスタがそのように言ってくれることを、心から嬉しく思う。今日も無事に仕事を果たせるように、ティアは森辺で祈っている」


「ありがとう。明日からは、しばらくゆっくり過ごせるからね」


 そのように答えてから、俺はフォウの女衆を振り返った。


「それじゃあ今日も、ティアとブレイブたちをお願いします。明日の朝に、迎えに行きますので」


「はい。わたしもこの後は宿場町に下りる予定ですので、家人にそのように告げておきます」


 ティアと3頭の家人たちに別れを告げて、俺はギルルの荷車に乗り込んだ。

 いよいよ、復活祭の締めくくりである。同じように頬を火照らせた同胞らとともに、俺は再び宿場町を目指すことになった。


                  ◇


「よお、来たな」


《キミュスの尻尾亭》までおもむくと、倉庫の前にはレビとラーズが待ちかまえていた。


「アスタたちは、今日も280食か? 俺たちも、今日は250食分を準備させてもらったからな」


「へえ、前回の220食から、30食分も増やせたんだね」


「ああ。これが限界の、めいっぱいだよ。……ま、次の復活祭まで、ここまで気張ることはないだろうけどさ」


 レビは、とてもいい顔で笑っていた。父親のラーズも、それは同様である。

 大恩ある《キミュスの尻尾亭》に貢献できることが、嬉しくてならないのだろう。宿屋の屋台に税は課せられていないので、その売り上げはまるまる宿屋のものとなるのだ。


「アスタには、本当に感謝しておりやすよ。行き場のなかった俺たちに道を切り開いてくれたのは、ミラノ=マスとアスタのおふたりですからねえ」


「とんでもありません。そうやって周りの人間の心を動かすだけの力が、おふたりに備わっていたということですよ」


 やわらかく微笑むラーズに、俺も笑顔を返してみせた。


「それじゃあ、行きましょう。きっと大勢のお客さんたちが待ってくれていますよ」


 俺たちは、意気揚々と街道に繰り出した。

 街道の賑わいっぷりは、言うまでもない。これで本当に朝までもつのかというほどの賑やかさである。


 露店区域の北の端まで到着すると、さらなる喧噪が俺たちを待ち受けていた。祝日は営業時間外でも青空食堂を開放しているので、そこにも大勢の人々があふれかえっていたのだ。


「はいはい、それじゃあ屋台の準備を始めるからね! ここも掃除しないといけないから、みんないったん表に出てよ!」


 ララ=ルウが声を張り上げると、人々は怒号のような歓声でそれに応えた。


「おお、もう屋台を開く時間なのか!」


「よし、ギバ料理をつまみにして、飲みなおしだな!」


 青空食堂の人々が出てくると、街道はいっそう凄まじい賑わいになってしまった。

 その中から、見覚えのある人々が準備中の屋台に近づいてくる。


「よお、アスタ。ついに最後のひと仕事だな!」


 それは、建築屋の面々であった。身長差のあるアルダスとメイトンが肩を組み、その手の果実酒をラッパ飲みにしている。その姿に、おやっさんと末妹は溜め息をついていた。


「見てよ、これ。昼にはさんざん振る舞いの果実酒を飲んだくれてたのに、また銅貨を出して果実酒を買ってきたんだよ」


「うむ。放っておいたら、今日までの稼ぎがすべて果実酒に消えてしまいそうだな」


「いくらなんでも、そいつは大げさだ! それに、酒だけじゃなくギバ料理も買わないとな!」


「そうそう! 『滅落の日』に騒がないで、いつ騒ぐんだよ?」


 トゥランにおける仕事も昨日で終了したので、アルダスたちも心置きなく『滅落の日』を堪能している様子であった。

 おやっさんたちの呆れた顔まで含めて、俺には微笑ましく思えてしまう。


「ダレイムでは、『ギバ骨ラーメン』をふるまいますからね。その分の胃袋は空けておいてください」


「なに、アスタたちのギバ料理だったら、どんなに満腹でも胃袋のほうが場所を空けてくれるさ!」


「屋台の料理も、これで食べおさめなんだからな! 心残りのないように、味わい尽くさせていただくよ!」


 そんな言葉を交わしている間に、屋台の準備も着々と整っていった。

 ふたつの鉄鍋がほどよく煮立っていくのを確認してから、俺は「よし」と相方であるラッツの女衆を振り返る。


「間もなく営業開始ですね。段取り通り、最初は麺の茹であげをお願いします」


「はい。ぱすたと同じ要領でいいのですよね?」


「そうです。できれば後半は役割を交代したいので、俺の盛りつけもよく観察しておいてください」


 他の氏族の祝宴でも『ギバ骨ラーメン』を扱ってもらえるようになることを願って、俺は祝日のたびに相方を交代させていた。マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥアに続いて、最終日の本日はラッツの女衆がその順番であった。


「ガズの血族ばかりを優先させると、うちの家長がうるさいので、アスタは気をつかってくださったのですよね? なんだか、申し訳ない気持ちです」


 ラッツの女衆がそのように言ってきたので、俺は「いえいえ」と手を振ってみせた。


「何にせよ、これはあくまで補強の手ほどきですからね。重要な部分は勉強会できちんと手ほどきをするつもりなので、何も不公平なことにはならないはずですよ」


「ありがとうございます。復活祭の最後の日にアスタと働けることを、光栄に思っています」


 他の女衆よりやや年長で、落ち着いていて、それでいて朗らかで屈託のない、彼女も頼もしいかまど番であった。だからこそ、俺も安心してこの夜の相方に選ぶことができたのだ。


 他の屋台ではユン=スドラとマルフィラ=ナハムが取り仕切っており、レイ=マトゥアには青空食堂を担当してもらっている。ルウ家のほうでも、新旧いりまじった顔ぶれで本日の仕事に臨んでいるのだろう。


 街道では、すでに森辺の民もちらほらと姿を見せている。

 祝日は今日で3日目であったし、昼にも同じ光景を目にしているのだが、やっぱり俺は感慨深くてならなかった。


「それでは、販売を開始いたします」


 そんな言葉が告げられると、往来の人々は一斉に屋台に詰めかけてきた。

 これも、見慣れた光景だ。

 しかし、決して見飽きたりはしない。

 ラッツの女衆の手もとを確認しつつ、見知ったお客とは挨拶を交わす。商売はまだ始まったばかりであるのに、俺は強く昂揚していた。


(なんだろうな。これも、ナチャラに心を解きほぐされた恩恵なんだろうか)


 俺は、無性に幸せであった。

 今、自分がこの場に立っている。その得難さが、心にしみいってくるかのようである。

 絶え間ない喧噪の中、ゆっくりと日が沈んでいき、街道にいくつもの明かりが灯されると、俺の気持ちはますます昂揚していった。


「どうもお疲れさァん。アスタは元気にやってるみたいだねェ」


 と、隣の屋台の列から呼びかけてくる者があった。

 その歌うような節回しで、正体はすぐに察することができる。『ケル焼き』をこしらえているマルフィラ=ナハムの前で微笑んでいるのは、もちろんピノであった。


「そっちの屋台には、またドガとザンが並んでるからさァ。順番が回ってきたら、よろしくお願いするよォ」


「はい、毎度ありがとうございます。……それに、昼間もありがとうございました」


「何を言ってるのかねェ。御礼を言われる筋合いなんてありゃしないさァ」


 すると、俺の横からアイ=ファもにゅっと首を突き出した。


「そのようなことはない。お前たちのおかげで、アスタはこれほどに力を取り戻すことがかなったのだ。私からも、礼を言わせてもらいたい」


「御礼なんざ、不要だってばさァ。アタシはただ、アスタのキラキラしたお目々を見たかっただけなんだからねェ」


 そう言って、ピノはにっと唇を吊り上げた。


「その願いはかなったんだから、こっちとしても感無量さァ。それじゃあ、お疲れさァん」


 お盆の上に大量の『ケル焼き』を乗せて、ピノはひらひらと人混みの向こうに消えていった。

 その姿を見送りながら、アイ=ファはふっと息をつく。


「どうやらあやつも、いささか猫じみた部分があるのやもしれんな。信義には厚くとも、気まぐれで奔放だ」


「うん、そうだな。……それであの、ちょっと距離が近いような気がするんだけど」


 アイ=ファは身を乗り出していたため、俺の身体と密着寸前であったのだ。

 同じ場所に立ったまま、アイ=ファはさらにぐっと顔を近づけてくる。


「近くて、何が悪いというのだ? 指1本と触れてはいないではないか」


「いや、だけど、これだけ近いと体温や息づかいまで感じられちゃうからな」


 俺が小声で言いたてると、アイ=ファは俺の足に軽く膝蹴りをくれてから、もとの位置まで下がっていった。

 俺はなんだかすべての感覚が鋭敏になったような心地であったので、アイ=ファに対する情愛の念まで増幅してしまっていたのだ。たったこれだけのやりとりで、俺は心臓が高鳴ってしまっていた。


(いや……むしろ、この2日間は感覚が鈍っていたってことなのかな。変に昂揚しているわけじゃなく、あるべき状態に立ち戻ったような気分だ)


 復活祭の間、俺は確かにこれぐらい昂揚していた。それが城下町の祝宴以来、うっすらと色のついたヴェールで覆われていたかのような――そんな感覚が、いまさらながら俺の中に芽生えていた。


「いやー、今日もすごい賑わいだね! ここまで来るだけでひと苦労だったよ!」


 やがて完全に日が没すると、ユーミとルイアがやってきた。当然のように、ジョウ=ランも同行している。

 そうしてユーミたちが商売を開始しても、お客の勢いに変わりはなかった。もはや1台の屋台が増えたていどでは分散しきれないぐらい、その日の客入りは怒涛の様相であったのだ。


「本当になあ。これじゃあ300食でも400食でも売れ残ることはなさそうだ」


 隣の屋台では、レビも感服しきった様子でそのようにつぶやいていた。

 おたがいにお客が切れることはなかったので、ほぼ同じペースで料理は減っていっているのだろう。これならば、あと一刻も待たずして、すべての料理を売り切れるはずであった。


「まったく、大したものだな。以前の夜とも比較にならぬほどの賑わいではないか」


 と、アイ=ファとともに護衛役の仕事を果たしていたライエルファム=スドラが、そのように言いたてた。

 ラッツの女衆と担当を交代して、麺を茹であげていた俺は、砂時計の残りにまだゆとりがあることを確認してから、そちらを振り返る。


「ライエルファム=スドラが夜にいらっしゃるのは、『暁の日』以来でしたよね。ともに年を越せることを、嬉しく思っています」


「うむ。森辺では、年を越すという行いに重きを置いていないからな。それがどのようなものであるのか見届けてきてほしいと、リィに送り出されたのだ」


 もともと皺深い顔にさらなる皺を寄せながら、ライエルファム=スドラはそのように答えた。


「それでもやはり、自分だけが喜びにひたるというのは気が引けてしまうのだが……ああ見えて、リィは強情なところがあるのでな」


「あはは。でも、何年か経てば、お子さんたちも町に下りられるようになるでしょうからね。そのときのために、ライエルファム=スドラは町の様子を見届けておくべきなのではないでしょうか?」


「リィも、同じようなことを言っていた。かねがね思っていたが、アスタとリィは少し似た部分があるように思うぞ」


「リィ=スドラと似ている部分があるなんて、光栄な話です」


 俺は正面に向きなおり、砂が落ち切るのを待ってから、茹であがった麺を引き上げた。ラッツの女衆が準備したスープの木皿に麺を投じ、また新たな麺を鉄鍋に投じる。砂時計をひっくり返し、ラッツの女衆が過不足なく盛り付けを完成させるのを見届けて、俺は再びライエルファム=スドラに向きなおった。


「あともう一点、俺は思うところがあります。家族とともに新年を迎えるという行いに大きな意義を見出せるようなら、森辺の民もその習わしを取り入れるべきなのではないでしょうか?」


「うむ? だからこうして、多くの者たちが宿場町に下りているのであろう?」


「いえ。これは、宿場町の習わしを見届けるための行いでしょう? 森辺の民には、そもそも太陽神の再生を祝うという習わしも存在しなかったのですからね」


 俺の中にポンとひらめくことがあったので、それをライエルファム=スドラに伝えることにした。


「町の人々は、意味もなく騒いでいるわけではありません。太陽神は1年の終わりに滅落し、1年の始まりに再生するという神話にもとづいて、それを祝福しているのです。森辺の民が西方神の子となったのなら、四大神の子である七小神の存在や習わしも重んじるべきなんじゃないかと思うのですよね」


「……なるほど。これは、森辺の民にとっての収穫祭と同じように、町の人間にとっては神聖な行いであるわけだな。頭では理解しているつもりであったが……西方神の洗礼を受けた俺たちも、本来はそういう心持ちで臨む必要があったわけか」


「はい。ですが、上辺だけをなぞっても意味はないのでしょうし、森辺の民だってそのような真似は望まないでしょう。母なる森と同じように、太陽を神と思えるかどうか、時間をかけて自分たちの気持ちを見定めていく必要があるのでしょうね」


「ううむ……アスタはそのような考えを胸に、復活祭に取り組んでいたのか?」


「いえ。たった今、ライエルファム=スドラと言葉を交わしていて思いついたのです。昨年はまだ洗礼も受けていなかったので、こんな考えも浮かびませんでしたしね」


「そうか。それは、族長たちにこそ聞かせるべき言葉であろうな」


 しかつめらしく言ってから、ライエルファム=スドラはふいに口をほころばせた。


「それで、俺たちが太陽神の再生というものを祝う心持ちになったならば、宿場町に下りない者たちも森辺で眠らずに祝宴を開き、喜びを分かち合うことになるわけだな」


「ええ。そのときこそ、森辺の民も家族たちと同じ場所でその時間を過ごすべきでしょうね。家族まるごとで町に下りるか、森辺に留まって祝宴を開くか、好きなほうを選ぶことになるわけです」


「相分かった。今日のところは、町の者たちがどのような様子であるのかを、しかと見届けさせてもらおう」


 そうしてライエルファム=スドラは、かたわらのアイ=ファに向きなおった。


「ルウの最長老は、食堂のほうにいたはずだな。今の言葉をルウの家人たちに伝えたいので、あちらで護衛の仕事を果たしている男衆と交代しようと思う」


「了承した。その間は、私がふたりぶん、目を光らせておく」


 ライエルファム=スドラはひとつうなずき、青空食堂のほうに駆け去っていった。

 するとアイ=ファは、俺のほうをじっと見やってくる。


「どうした? 俺に目を光らせる必要はないだろう?」


 アイ=ファは軽く首を横に振ると、こらえかねた様子で俺の耳もとに口を寄せてきた。


「お前が十全に力を取り戻せたことを、喜ばしく思う。その調子で、仕事に励むがいい」


 早口でそれだけ囁くと、アイ=ファはすぐさま身を引いて、屋台の左右に視線を巡らせた。

 俺も屋台に向きなおり、砂時計の残りを確認する。

 すると、新しい木皿を台の上に並べていたラッツの女衆が、俺に笑いかけてきた。


「確かにわたしたちは、町の人々と喜びを分かち合うという名目で宿場町に下りていましたが、その喜びの理由というものにはあまり注意を向けていなかったように思います。アスタのお話をうかがって、目から何かが剥がれ落ちたような心地です」


「はい。町の人たちは、あまり神への信仰というものを表に出しませんからね。正直なところ、その信仰心がどれほどのものであるのか、俺にも実感はわいていないのです」


 しかし、たとえばかつての俺のように、神や仏への信仰を二の次にしていることはないだろう。神を移すという行いがあれだけ深刻な意味合いを持っているのだから、四大神への信心というのは相当なものであるはずなのだ。


「でもきっと、森辺の民にとっての母なる森と同じぐらい強い気持ちで、町の人たちは四大神を信仰しているのだと思います。宣誓の場で虚言を吐いたら死後に魂を打ち砕かれる、なんていう教えが存在するぐらいですし……俺たちがそれぐらい強い信仰心を持つには、長きの時間がかかるのでしょうね」


「はい。わたしにも、そのような行く末をうまく思い描くことはできません。西方神を父と思うというのは、どういう感覚であるのか……それがわからないのです」


「もちろん、俺にもわかりませんよ。それを理解するために、俺たちはこうして宿場町を訪れているのでしょうからね」


 砂時計の砂が落ちきったので、俺は鉄ざるで湯を切った。

 麺を投じられた木皿に、ラッツの女衆がトッピングをのせていく。そうして完成した『ギバ骨ラーメン』を受け取ると、顔馴染みであるお客の男性が「ありがとよ」と笑ってくれた。

 完成した料理は6つであったので、他のお客たちも笑顔で木皿を運んでいく。新たな麺を鉄鍋に投じつつ、俺はラッツの女衆に笑いかけてみせた。


「まあ、無理に信仰心をひねり出すことはできませんからね。まずは町の人々と、同じ四大神の子である同胞として、絆を深めていくべきなのではないでしょうか」


「はい。それなら、一歩ずつ進めているという実感を得られます」


 ラッツの女衆も、朗らかに笑っていた。

 自分たちは、正しい道を進んでいる。そのように実感できることが、人間にとっては何よりの喜びであるのだろう。だから俺たちは、こんなにも幸福であれるのだ。


(『星無き民』が何であろうと、今の俺は森辺の民であり、西方神の子だ。この喜びに、まさるものはない)


 あの物語の主人公、聖アレシュという人物も、さんざん遠回りをした末に、そんな事実を噛みしめることになったのではないだろうか。

 そうであることを、俺は天に祈りたい気持ちであった。

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