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異世界料理道  作者: EDA
第四十八章 太陽神の復活祭、再び(下)
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紫の月の二十九日⑦~恩讐を越えて~

2019.12/29 更新分 1/1

「これが全部、料理であるというのか?」


 チム=スドラは、呆れ果てた様子でそう言った。


「しかしあれなどは、ミゾラの花であろうが? ミゾラは、花も葉も食えぬはずだぞ」


「うん。だから、みんな花に見立てた料理なんだよ。食材を使って、花そっくりの形を作りあげたわけだね」


 俺がそのように説明しても、チム=スドラは半信半疑の様子であった。

 まあ、それも致し方のないことであっただろう。それぐらい、その場に準備された数々の料理は本物の花と見まごうばかりの豪奢さで咲き誇っていたのだった。


 ミゾラの花は、赤と青の黄の3種が準備されていた。

 牡丹のごときギバ肉の花は、単体でもけっこうな迫力であるのに、それがあちこちの皿にどっさりと盛りつけられている。

 あとは名も知れぬチューリップのような花や、ヒマワリのような花や、小さいけれど鮮烈なオレンジ色をした花や、はかなげな水色をした花や――とにかく、フラワーショップの陳列台のごとき様相であった。


「確かにこの場からは、ミゾラの香りも感じられぬようだが……しかし、このような細工にどんな意味があるというのだ?」


 チム=スドラは、しかめっ面で評している。

 俺は内心の驚嘆を抑えつけながら、そちらに笑いかけてみせた。


「それはもちろん、目を楽しませるためだろうね。貴族の方々なんかは、みんな感心しているだろう?」


「うむ……まあ、これはもともと貴族のための宴料理なのだろうから、俺などが文句をつけるいわれはないのであろうな」


 気を取り直した様子で、チム=スドラは卓の上を見回した。


「で、どれがギバの料理なのであろうか?」


「とりあえず、その赤い花の料理はギバ肉だと思うよ」


「ふむ。確かに。花弁のいくつかが持ち去られているようだな」


 チム=スドラは、血のように赤いギバ肉の花弁をひょいっとつまみあげた。

 この料理であれば、俺やアイ=ファもフェルメスに招かれた晩餐会で口にしている。鮮烈な赤色は着色であるが、甘みと辛みと香ばしさがほどよく配分された、蒸し焼きの料理であるはずだ。照り焼きソースのように強い味付けであるが、とても食べやすくて、ギバ肉の味にも適合している――というのが、俺の抱いた感想であった。


「……なるほど。美味であることに間違いはないようだ」


 チム=スドラの言葉に目を輝かせて、イーア・フォウ=スドラも手をのばそうとする。

 しかし彼女は、途中でもじもじと手を引っ込めてしまった。


「なんだか、あまりに美しいので、形を崩すことをためらってしまいますね。本物の花の花弁をむしるような心地です」


「いやいや、放っておいたら捨てるしかなくなってしまうのだから、余すところなく食べてあげるべきだと思うよ」


 後ろのほうから顔を覗かせたポルアースが、笑いを含んだ声でそう言った。


「ほら、メリムも食べてみるといい。ダイアのギバ料理に関しては、君もずっと興味を引かれていたのだろう?」


「はい。ダイアは菓子ばかりでなく、料理でもこのような細工を凝らすのですね」


 メリムが笑顔で手をのばすと、イーア・フォウ=スドラも意を決した様子でギバ肉の花弁をつまみあげた。

 同時に料理を口にした両名は、同時に歓喜の表情となる。


「美味ですね。こんな不思議な色と形をしているのに、とても食べやすいです」


「ええ、本当に。さすがはダイアのお手並みですね」


 そんな風に感想を述べ合ってから、ふたりははにかむような笑顔を見交わした。メリムのほうがそれなりに年長であるはずだが、彼女はとても小柄で幼げな顔立ちをしているために、何か同世代の友人であるかのようだ。何にせよ、見る者の心を和ませてやまない組み合わせであった。


「他の料理にギバ肉は使われていないのでしょうかね。肉を主体にした料理というものが、そもそも見当たらないようですが」


 俺がそのように言いたてると、ポルアースは「さてね」と笑った。


「こればかりは、食べてみる他ないのじゃないかな。半分ぐらいは、僕も初めて目にする料理なんだよ」


 確かに、驚いてばかりいてもしかたがない。俺はさんざん迷ったあげく、キンギョソウのように可愛らしい姿をしたオレンジ色の花弁をつまみあげることにした。

 さわってみると、意外に硬い質感である。香りは、それこそ本物の花のように甘い。

 それを口に入れてみると、爽やかな柑橘系の味わいと、香ばしいホボイの味わいが絡み合いながら口の中に広がった。


 食感は、歯ごたえのあるクッキーといった感じだ。花弁の厚さは2ミリていどであるので、噛むとあっけなく砕け散って、芳醇な香りと味わいが広がる。菓子とも料理ともつかぬ、実に不可思議な味わいであった。


「ああ、こちらの料理はギバ肉を使っているようだよ、アスタ殿」


 ポルアースが指し示したのは、チューリップを思わせる紫色の花であった。

 ピンポン球を縦に潰したぐらいの大きさで、こちらは花弁ではなく花冠そのものを食するらしい。取り上げると、予想以上にずしりとしていた。


 それは、いわゆる肉饅頭であったのだ。

 花弁は生地で、その中に具材が隠されていた。リンゴのごときラマムの甘みがきいた、きわめて上品な味わいである。そんな味付けのほどこされたギバ肉が、ロール状に巻かれて花弁の中にぎっしりと詰め込まれていたので、食べごたえも十分であった。


「すごいな、これは……申し分のない味わいだよ」


「本当ねぇ……レイナがあんな顔つきになるのも納得だわぁ……」


 俺はアイ=ファに呼びかけたつもりであったが、答えてくれたのはヴィナ・ルウ=リリンであった。そのかたわらでは、シュミラル=リリンも満足そうな面持ちで卓上の花に手をのばしている。


「味わい、とても、複雑です。しかし、食べやすい、不思議です」


「はい。さすがはジェノスで一、二を争うと言われる料理人の作ですね」


 シュミラル=リリンに笑顔を返してから、俺はアイ=ファに向きなおった。

 アイ=ファは無心で、ぱくぱくと食事を進めている。そうしてこちらの視線に気づくと、アイ=ファは俺の耳もとに口を寄せてきた。


「確かにこれらのギバ料理は美味なのだろうと思う。町の人間がこれほど美味なるギバ料理を作れるというのは、得難きことであろうな」


「うん。でもそのわりには、感動が薄そうだな」


「……美味ではあるが、私にとって特別な料理ではないからな」


 そこでアイ=ファは、いっそう声をひそめてきた。


「それにこれらの料理は、いずれも熱を持っていない。お前のこしらえた温かい晩餐が、やたらと恋しくなってしまうのだ」


「そっか。これは冷えた状態を想定して組みあげられた味だろうから、俺は気にならなかったけど……森辺の民としては、ちょっと物足りないかもな」


「……温かければよい、という話ではないがな」


 と、アイ=ファはちょっとすねたような面持ちで俺をにらみつけてきた。

 そんな麗しい宴衣装姿でそんな表情をされてしまうと、俺は心臓を揺さぶられてしまう。


「俺だって、アイ=ファに自分の料理を食べてもらいたいと思っているよ。明日の晩餐を楽しみにしていてくれ」


 アイ=ファは微笑みをこらえているような面持ちになって、「うむ」とうなずいた。

 けっきょく俺の心臓は、揺さぶられっぱなしである。


「まあ、ニコラ。さっきから姿が見えなかったようね」


 と、メリムの声が俺を我に返らせた。

 目を向けると、見覚えのある娘さんがお盆を手に立っている。それは宿場町でヤンの仕事を手伝っている、ダレイム伯爵家の侍女ニコラであった。

 小柄で、なかなか端正な顔立ちをしていて、そしていつでも不機嫌そうな面持ちをした、15、6歳ぐらいの娘さんだ。本日も不愛想な顔をした彼女は、それでも礼儀正しく巻き毛の頭を下げた。


「ご当主様の言いつけで、料理をお運びしていました。こちらの料理もよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんよ。でもその前に、あなたもこの素晴らしいギバ料理を味わったら如何かしら?」


 優しげに微笑むメリムに、ニコラはいっそう愛想のない顔になる。


「お気遣い感謝いたします。ですが、祝宴のさなかに侍女風情が料理を口にすることは許されません」


「いやいや、そんなことはないよ。ヤンだって、今日はニコラにジェノス城の料理を食べさせるために、侍女の仕事を申しつけたのだからさ」


 ポルアースも、笑顔でそのように言いたてた。

 そういえば、ニコラがヤンのもとを離れて働いている姿を見るのは、これが初めてであるような気がした。


「特にこのギバ料理は、見事な出来栄えだからね。祝宴が終わる頃には、一片も残らないだろう。いまのうちに、味見をしておくといいよ」


「いえ、ですが……」


「ご当主様には、わたくしが料理をお持ちしましょう。そのお盆を貸してもらえる?」


「貴婦人に、そのような真似はさせられません」


 ニコラは閉口した様子で、お盆を背中に隠してしまった。

 するとメリムはにこりと笑い、チューリップのようなギバの肉饅頭をつまみあげる。


「それじゃあ、こちらの料理をお食べなさい。食べたら、あなたを仕事に戻してあげましょう」


「……それは、伯爵家の貴婦人としてのご命令なのでしょうか?」


「ええ。そのように受け取ってもらってけっこうよ」


 メリムは無邪気に微笑みながら、ニコラの口もとに肉饅頭を差し出した。

 わずかにそばかすの散った頬をいくぶん赤くしながら、ニコラは肉饅頭を口にする。

 次の瞬間、その顔に驚嘆の表情が浮かべられた。


「これは……いままで口にしたこともないような味わいです」


「そうでしょう? ジェノス城の料理長であるダイアには、ヤンも感服しきっているのよ」


 ニコラは真剣きわまりない目つきになりながら、ダイアの料理を入念に咀嚼した。

 その姿を見て、ポルアースは満足そうに笑っている。


「さあ、それじゃあ父上たちにも料理を運んであげるといいよ。仕事の邪魔をして申し訳なかったね」


 ニコラは一礼し、卓の上の料理をひと通りお盆に移してから、速やかに立ち去っていった。

 ポルアースは、同じ表情でその後ろ姿を見送っている。


「料理人にとっては、美味なる料理を口にすることも大事な修練なのだろうからね。この一夜だけで、きっとニコラも大きな経験を積むことができるだろう」


「料理人、ですか? 彼女は伯爵家の侍女だと聞いていたのですが……」


 俺が口をはさむと、ポルアースは「ああ」と楽しそうに目を細めた。


「ヤンやシェイラから聞いていなかったのかな? ニコラはつい先日から、正式にヤンに弟子入りしてもらったのだよ」


「弟子入り? ただ宿場町での調理を手伝うだけでなく、料理人としての修練を始めるわけですか?」


「うん。ダレイム伯爵家の、未来の料理長といったところかな。まあ、それもニコラの頑張り次第だけどね」


 そこでポルアースは、「そうだ!」と手を打った。


「ヴァルカス殿のお弟子たちは、たびたび森辺に出向いていたのだったね。よかったら、いずれニコラも招いてもらえないものだろうか?」


「ええ? ニコラを森辺にですか?」


「うん。別に祝宴とかじゃなくとも、アスタ殿たちの仕事っぷりを拝見するだけでも、ニコラにはいい修練になることだろう。もしも迷惑じゃなかったら、お願いするよ」


 それは、あまりに意外な申し出であった。

 しかしそれだけ、ヤンやポルアースはニコラを買っているということなのだろう。それならば、俺の側に否やはなかった。


「族長たちの了承さえ得られれば、もちろんこちらは大歓迎です。復活祭が終わった後でよろしいのですよね?」


「うん。復活祭の間は、さすがにこちらも身動きが取れないからねえ。……ありがとう、アスタ殿。この御礼は、いつか必ずさせてもらうよ」


「御礼だなんて、とんでもない。ポルアースには、いつもお世話になっておりますので」


 すると、アイ=ファが「アスタよ」と小声で呼びかけてきた。


「あまりこの場に長居をすると、他の客たちの迷惑になるようだぞ。味見をするなら、速やかに終わらせるがいい」


「ああ、うん、了解。すぐに済ませるよ」


 この卓はひときわ人気を集めていたので、常に人垣ができているような状態であったのだ。

 俺がおしゃべりをしている間に他の面々は味見を済ませていたようなので、俺はアイ=ファにだけ居残ってもらい、すべての花に手をつけることにした。


 さきほどのオードブルと同じように、どれこれもが素晴らしい出来栄えである。

 その上で、すべてが見栄えの細工まで施されているのだ。これらが花の形をしていなかったとしても、味が落ちることは決してなかっただろう。


 その中でとりわけ心をひかれたのは、3色のミゾラの花であった。

 俺たちはかつて茶会の席において、ミゾラそっくりの菓子を食する機会に恵まれた。しかしその場に並べられていたのは菓子ではなく、れっきとした料理であったのである。


 香りのほうも菓子とは異なり、赤の花弁からはアロウの香りが、青の花弁からはアマンサの香りが、黄の花弁からはシールの香りが感じられる。

 しかしそれでいて、花弁をかじると動物性タンパクの旨みがふんだんに封じ込められていた。

 これはおそらく、肉や骨の出汁でフワノを練り上げた料理であったのだ。

 赤の花弁に感じられるのは海の幸たるマロールの味わいで、青の花弁はカロン、黄の花弁はキミュスという配分であった。


 旨みや風味が凝縮されているので、まるで肉そのものをかじっているかのような錯覚が生じてしまう。しかし、歯ごたえはまぎれもなくフワノの生地であり、そして香りは見知った果実であるという、なかなか脳が混乱させられそうな料理であった。


(魔法の世界で肉を花に変化させたら、こういう料理ができあがるのかな……何にせよ、掛け値なしにすごい料理だ)


 俺は大いなる満足感を胸に、卓を離れることになった。

 アイ=ファとともに人垣を脱すると、レイナ=ルウが「如何でしたか?」と呼びかけてくる。その場には、まだルウ家の面々も居残ってくれていたのだ。


「うん、すごかった。すごいという他に、なかなか言葉が見つからないね」


「はい。わたしはべつだん、ここまで外見に細工を凝らそうとは思いませんが……それでも、大きく心を揺さぶられることになりました」


 ここにもまた、ダイアの料理を口にすることで、大きな経験を積んでいるかまど番が存在した。

 そしてそれは、俺にとっても他人事ではないのだろう。やはりダイアというのは、ヴァルカスに匹敵するほどの衝撃的な存在であるのだ。


(こんな機会を与えてくれて、フェルメスにも感謝しなくっちゃな)


 俺がそんな風に考えていると、アイ=ファが鋭く視線を巡らせた。


「……あちらのほうが、何やら騒がしいようだな」


「あ、はい。ついさきほど、リーハイムとレイリスが挨拶におもむいてくれたのです」


 レイナ=ルウはちょっと複雑そうな面持ちで微笑みながら、そう言った。

 その視線を追うと、リーハイムは酒気に染まった顔で、シュミラル=リリンに何やら言葉を投げつけていた。おたがいのかたわらにたたずむヴィナ・ルウ=リリンとレイリスは、それぞれ苦笑気味の表情である。


「……俺たちも、あのおふたりにご挨拶をさせていただこうか」


 リーハイムの剣幕がいささか心配であったので、俺はアイ=ファとともにそちらへ足を向けることにした。

 近づくと、リーハイムのいくぶん上ずった声が耳に飛び込んでくる。


「だから、俺は来年も早駆けの大会に出場しろと言っているだけじゃねえか! どうしてお前はそうまでして、意固地に肯んじようとしねえんだ!?」


「はい。約束、交わすには、族長、許し、必要なためです。また、大会、1年後でしょうから、族長たちもまた、確約、難しい、思われます」


「だったらお前は俺を打ち負かしておきながら、勝ち逃げしようという算段なのか!? あれだけの腕を持っていながら、どうしてそんな及び腰なんだよ!」


 俺たちが到着すると、それに気づいたレイリスがほっとしたように微笑んだ。すらりとした長身の、なかなか凛々しい面立ちをした貴公子である。


「ああ、アイ=ファにアスタ。どうもご無沙汰しています。宴は楽しまれているでしょうか?」


「うむ。そちらも息災そうで何よりだな。……むしろ、力が有り余っているように見受けられる」


 すると、赤い顔をしたリーハイムもこちらを振り返った。

 こちらは痩せぎすで、やや長めの髪を油でぺったりとなでつけた、サトゥラス伯爵家の跡継ぎたる貴公子である。レイリスのような凛々しさは望むべくもないが、まあよくも悪くも貴族らしい風貌の持ち主であった。


「おお、ファの家のアスタか! お前はシュミラル=リリンの無二の友だという話だったな! それなら、お前からも何とかこの頑固者を説得してもらいたい!」


「む、無二の友ですか? 俺のほうは、もちろんそのように思っておりますけれども……」


「おたがいにそう思っているなら、間違いないことだろうが! とにかく、説得してくれよ!」


 俺は表情の選択に困りながら、シュミラル=リリンのほうを振り返った。

 シュミラル=リリンは困ったように微笑んでおり、隣のヴィナ・ルウ=リリンはくすくすと笑っている。


「さきほどレイリスに、シュミラルとアスタはどういう関係かと問われたから、そんな風に答えていたのよぉ……相思相愛でけっこうなことねぇ……」


「ああ、それはそれは……ありがとうございます、シュミラル=リリン」


 シュミラル=リリンは「いえ」と気恥ずかしそうに微笑んだ。たぶん俺も、同じような表情になっていたことだろう。

 すると、リーハイムが横からずいっと顔を近づけてくる。


「何を初心な恋人同士みたいに笑い合ってやがるんだよ! こいつは俺がどれだけ言葉を重ねても、次の大会に出場することは約束できねえなんて言い張っているんだぞ! そんな無法な話はないだろうが?」


「何が無法なのかはわからんが、シュミラル=リリンの返答は私たちにも聞こえていた。森辺の民であれば、誰もが同じように答えていたであろうな」


 アイ=ファがさりげなく俺の腕をつかみ、リーハイムのもとから遠ざけつつ、そのように答えてみせた。

 そして、怒った顔をしたリーハイムが口を開くより早く、言葉を重ねる。


「べつだんシュミラル=リリンはそちらのことを軽んじているわけではなく、むしろ軽々しく約束することをつつしんでいるだけなのであろう。森辺の民は虚言を罪としているので、どうかその点を鑑みてもらいたい」


「わたしもずっとそのように口をはさんでいたのですが、リーハイム殿は頭に血がのぼると他者の言葉が耳に入らなくなってしまうのですよね」


 レイリスが申し訳なさそうに説明すると、アイ=ファは厳格なる面持ちで「そうか」とうなずいた。


「しかし幸いなことに、いまは私の言葉を耳に入れてくれているようだ。……かつての神と故郷を捨てて森辺の民となったシュミラル=リリンは、森辺の掟をひときわ重んじているはずだ。あなたがシュミラル=リリンと約定を交わしたいと願っているならば、まずは三族長にその旨を伝えてもらいたい」


 リーハイムは子供のようにぶすっとした顔で、シュミラル=リリンを振り返った。


「……どうせお前は、なんべんやっても自分が勝つと思って、俺をないがしろにしているんじゃねえのか?」


「そのようなこと、ありません。私、5度の勝負、4度、敗北しているのです」


「ふん! それでお前は俺の手綱さばきを検分しつくして、最後の最後で勝利をもぎ取っていったんじゃねえか! だったら、いますぐ再戦をしても、勝利するのはお前であるはずだ!」


 リーハイムは地団駄を踏みながら、そのように言いつのった。


「しかし! 1年あれば、人間は成長するからな! 来年の大会で勝利するのは、この俺だ! たとえお前が今日よりも立派なトトスに乗っていたとしても、俺は決して負けはせんぞ!」


「はい。族長、許し、いただけたら、再戦、楽しみ、しています」


 それでようやく、リーハイムの腹も収まったようだった。

 最後に「ふん!」と鼻を鳴らして、リーハイムはそっぽを向く。すると、その視線がちょうどレイナ=ルウとぶつかることになった。


「あ……レ、レイナ=ルウ、お前もいたのだな」


「はい。ついさきほどまで、姉のヴィナ・ルウ=リリンのかたわらにおりましたが」


 レイナ=ルウは、お行儀のいい仕草で一礼した。

 いっぽうリーハイムはいっそう顔を赤くしながら、心を乱してしまっている。


「そ、そうだったのか。挨拶が遅れてしまって、申し訳なく思う。今日は一段と美しい……あ、いや、そういうことを口にするのは禁忌だったな」


「はい」と、レイナ=ルウは目を伏せた。

 その美しい宴衣装姿を見つめながら、リーハイムはせわしなく頭を撫でつける。


「きょ、今日はレイナ=ルウが参席すると聞いて、俺も嬉しく思っていた。俺たちは、その……俺のせいで、いささか面倒な関係になってしまっていたからな」


「はい。……ですがその件は、和解も果たされておりますよね?」


 レイナ=ルウはちょっと心配そうに、上目づかいでリーハイムを見やった。

 リーハイムは、いっそうあたふたとしてしまう。


「そ、それはもちろんその通りだが、しかし、レイナ=ルウとはその後もあまり言葉を交わす機会もなかったから……きっと俺などの姿は見たくないだろうと懸念していたんだ」


「そのようなことは、決してありません。わたしもまた非礼を働いた身であるのですから、あなたを責める立場にはないかと思われます」


 レイナ=ルウは、かつてリーハイムから贈られようとした飾り物をじゃけんに突き返した、という過去を持っているのだ。そこから話はこじれにこじれて、ついにはレイリスの父親やシン=ルウをも巻き込む騒ぎとなり、そうして当主のルイドロスと家長代理のジザ=ルウによって和解が為されたのであった。


「しかしお前は、俺のような人間を好いてはいないんだろう? 俺のように態度のでかい貴族は、森辺の民の気風にはそぐわないんだろうしな」


「いえ、気風にそぐわぬからといって嫌うのは、あまりに傲慢な行いかと思われます。長きの間、外界の人間と交流を持たずにきた森辺の民は、そういう態度こそを改めるべきだと考えています」


「……では、俺のことを嫌ったりはしていないのか?」


 レイナ=ルウは悩ましげに眉をひそめつつ、「はい」とうなずいた。


「わたしはまだ、あなたのことを何も存じません。好くも嫌うも、これからのことなのではないでしょうか?」


「そうか」と息をついてから、リーハイムはまた思い詰めた表情を浮かべた。


「では……お前にひとつ、仕事を頼めないか?」


「仕事……?」


「ああ。復活祭が終わっておたがいに落ち着いたら、晩餐会の厨を任せたいんだよ」


 そんな風に言ってから、リーハイムはあたふたと手を振った。


「も、もちろん、おかしな考えなんて抱いちゃいないぞ? 俺はただ、立派なギバ料理を所望しているだけだ! それをきっかけにしてお前にちょっかいを出す気などは、さらさらない!」


「はあ……」と、レイナ=ルウは眉を下げてしまった。

 すると、どこからともなく出現したジザ=ルウが、レイナ=ルウのかたわらに並ぶ。


「リーハイムよ。それは、サトゥラス伯爵家からルウ家への仕事の依頼と受け取ってかまわぬのであろうか?」


「あ、ああ、ジザ=ルウ、お前もいたのか。……ああ、そうだ。この件は、俺の父にして当主たるルイドロスも了承している。そうだな、レイリス?」


「はい。わたしも同じ場で拝聴していました。レイナ=ルウに仕事を頼みたいならば、自分の器量で口説き落としてみせよと、当主様はそのように仰っていましたね」


「口説き落とす……」


「だ、だからあくまで仕事の依頼だ! 俺がいまさら、森辺の民との関係をひっかき回すわけがないじゃないか!」


 リーハイムは身振り手振りを交えながら、そのように熱弁した。


「俺はもともと、レイナ=ルウを伯爵家の料理人に迎えたいと願っていた。それはその、レイナ=ルウの容姿に心を奪われたというだけの話じゃない。俺は早くから宿場町の屋台でルウ家の料理を口にしていたし、その後は舞踏会において宴料理も口にする機会があった。それで俺は、自分の舌が間違っていないことを確信したんだ。城下町において森辺の料理人といえば、ファの家のアスタとトゥール=ディンばかりが取り沙汰されてしまっているが……レイナ=ルウだって、決して負けない腕前であるはずだ!」


「アスタと並べられてしまうのは、あまりに恐れ多いことですが……でも、それでどうしてサトゥラス伯爵家の晩餐会に?」


「だから、それは……信頼のおける人間に、大事な仕事を任せたいと考えているんだよ。客人を美味なる料理でもてなすっていうのは、貴族にとって大事な社交なんだからな。も、もちろん、かつてのようにお前を手もとに迎え入れたいなんていう下心はないぞ? ただ、俺は……俺が見初めた料理人がどれだけの腕を持っているか、それを知らしめたいと願っているだけなんだ」


 レイナ=ルウは真剣きわまりない面持ちでリーハイムを見つめ返してから、「承知しました」と一礼した。


「シュミラル=リリンと同じように、わたしも三族長の許しもないままに約定を交わすことはできませんが。もしもそのような機会に恵まれれば、自分の力を尽くしたいと思います」


「お、俺の願いを聞き入れてくれるのか?」


「三族長がそれを許すのでしたら、お引き受けいたします」


 リーハイムは、精魂尽き果てたように溜め息をついた。


「その言葉を、ありがたく思う。のちほど父上からジェノス侯爵家の許しを取っていただき、それから改めてルウ家に打診させていただくよ」


「承知した。族長ドンダ=ルウにも、そのように伝えておこう」


 ジザ=ルウの言葉にうなずくと、リーハイムはだいぶん弛緩しきった面持ちでシュミラル=リリンを振り返った。


「シュミラル=リリン。お前は東の民でありながら、ルウ家に婿入りを願ったそうだな。それは俺には、抱きようもなかった覚悟と決断だ。トトスの手綱さばきだけではなく、俺はその点でもお前を尊敬しているぞ」


「私、しがなき商人です。伯爵家、嫡子とは、立場、異なるかと思われます」


「だけどお前は、神と故郷を捨てた。いかに伯爵家の立場が重かろうと、神と比べることはできないだろうよ」


 そう言って、リーハイムはにっと口の端をあげた。


「お前はそれだけの代償を払って、現在の幸福をつかみ取ったんだ。こんな美しい花嫁を置いて半年もの旅に出るなんて、俺には信じ難い話だが……決してその幸福を手放すんじゃねえぞ?」


「はい。わきまえています」


 シュミラル=リリンは微笑みながら、かたわらの伴侶を振り返った。

 ヴィナ・ルウ=リリンも同じ表情で、シュミラル=リリンの顔を見上げている。

 その姿を見やりながら、リーハイムは苦笑気味に「ちっ」と舌を鳴らした。


「俺の忠言なんて、余計だったみたいだな。……それじゃあ、失礼する。おい、レイリス、父上たちのところに戻るぞ」


「けっきょくわたしは、森辺の方々とほとんど言葉を交わせなかったではないですか。……みなさん、またのちほど」


 リーハイムとレイリスが立ち去ると、ルド=ルウは「ふーん」と頭の後ろで頭を組んだ。


「あの貴族も、ずいぶん様子が変わってきたみたいだなー。ま、俺なんかはほとんど顔をあわせる機会もねーんだけどよ」


「うむ。かつて祝宴で言葉を交わしたというガズラン=ルティムも、リーハイムは信用に足る人間なのではないかと評していた」


 そんな風に答えてから、ジザ=ルウはレイナ=ルウを振り返った。


「あとの判断は、族長らが下してくれよう。レイナはレイナの仕事を果たすがいい」


 レイナ=ルウはにこりと笑って、「うん」とうなずいた。

 その笑顔には、心からの喜びと誇らしさが込められているように感じられた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  確かに、ジェノスの貴族達の間で“森辺の料理人”と言えば、第一にアスタが来るのは当然として、次点でトゥール=ディンが挙がるんでしょうけど……他の女衆はその他大勢として埋没した感じになってるん…
[一言] リーハイムの言葉がとても良かったです。アスタだってお店をずっと手伝った経験があってこそですし,レイナやシーラがずっと店を取り仕切ってきた経験というのは,マイムやトゥールがもてはやされるより地…
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