④宿場町、再び(下)
2014.9/23 更新分 2/2 2015.4/5・7/5 誤字を修正
そうして親父さんの仏頂面に見送られて《キミュスの尻尾亭》を後にすると、まだまだ陽は高く、通りも人に満ちていた。
「買い物は、何を買われるのですか?」
「うん、鉄鍋が欲しいんだ。露店区域とやらに売ってたはずだから」
「鉄鍋ですか。大きいものですか?」
「まあ、ぼちぼちかなあ。これっくらいだよ」
直径は60センチ、深さは30センチ、真円を真っ二つに断ち割ったような形状を俺は虚空に描いてみせる。
「それはなかなか重そうですね。それじゃあ先に、ターラの店にご案内してもよろしいですか? けっこう露店区域の端っこですので」
「ああ、うん、えーと、アイ=ファ、それでもかまわないかな?」
「好きにしろ」と応じるアイ=ファの顔には、特別な表情は浮かんでいなかった。
ただ、いくぶん疲れがにじんでしまっているような感じはする。
ちょっと心配だったので、俺はアイ=ファに「どうだった?」と聞いてみた。
「これといって、私の印象は変わらない。あの男が私たちを騙そうとしているようには思わないが、何というか――得体の知れない男だ、という印象がぬぐえない」
「なるほどね」と、俺は納得する。
確かに俺も、カミュア=ヨシュに騙されているような気はしない。
あの男は、本当に森辺の民に、強い思い入れを抱いているのだろう。
逆に、その思い入れが強すぎるために生じる違和感なのだろうか、これは。
(それに、問題はあのおっさんのことだけじゃないんだよな)
レイト少年の案内で石の街道を歩きながら、俺は頭を悩ませる。
(本当にこの町でギバ肉の料理屋なんていう商売が成立するのか?)
ひとたび足を踏み出しただけで、アイ=ファに集中する目線。
確かにそれらのすべてがはっきりと負の感情をあらわにしているわけではないが。森辺の民が町の異端者である、という事実に変わりはない。
最初はジェノスの地元民ならぬ旅人やら何やらをターゲットにすればいい、とカミュアはお気楽に言っていたが。本当にそんな簡単な話なのだろうか?
ただ商売で失敗するだけなら、失われるのは銅貨のみである。
しかし、俺たちの軽率な行動によって、森辺と宿場町の間にさらなる溝でもできあがってしまったら、えらいことだ。
カミュア自身に俺たちを騙すつもりはなくとも、カミュア自身が現実を見誤っている、という可能性についても検証しておくべきであろう。
(できればこの宿場町の中立的な立場の人たちにも意見を聞きたいところだよなあ)
そんなことを思い悩んでいるうちに、いつのまにやら露店区域に到着していた。
見覚えのあるおっかさんが、屋台で子どもたちに肉饅頭をこしらえている。
確かにこの中天を過ぎたばかりの時間帯は、軽食で小腹を満たすひとときであるらしい。意識的に観察してみると、あちこちに点在している軽食の屋台は、どこも人で賑わっていた。
茶色い肉と緑色の野菜を白い生地ではさんだものを、歩きながらかじっている若者もいる。
道の端で鳥の足みたいなものを肴に、酒をかっくらっている男たちもいる。
何だか騒がしい声がするな、と思ってそちらを覗きこんでみると、なかなか広いスペースに屋根が張られた野外食堂のような空間があり。地べたに置かれた丸太の椅子に座った人々が、談笑しながら木の器で鍋物をすすっていた。
「……何をちょろちょろと動き回っているのだ、お前は?」
「んー。ちょっとな。市場調査だよ」
まだこの話はどう転ぶかわからない。
しかし、自分たちの意志で上手い位置に話を転がそうと思うなら、なるべく多くの情報をかき集めておくべきだろう。
それに――森辺においてそのような真似ができるのは、たぶん俺ひとりしか存在しないのだろうから。
(カミュアだって、森辺に俺みたいな人間がいなかったら、宿場町で店を出す、なんていう素っ頓狂なアイディアをひねりだすこともなかったんだろうな)
たとえばルウ家の女衆なら、ちょっと修練を積むだけで、さきほどいただいた塩漬け肉と同レベルの料理を作り上げることは可能だろう。
しかし、森辺の民に「商い」ができるとは思えない。
牙や角を銅貨に交換し、それをまた食糧に交換する。形式的にはそれも立派な商売なのだが。森辺の民にそれを商売だと認識している者はいないと思う。
そして、狩りの収穫物を専門業者に売り渡す、という行為と、不特定多数の客を相手に商いをする、という行為は、根本的に別なものだ。
(そんなところでも俺の存在がお役に立つっていうんなら、いくらでも力を使ってやるさ)
アイ=ファやガズラン=ルティムが正しいと思える道なら、俺も迷わず行動することができる。
だから俺は、彼らが誤った判断を下してしまわないように、彼らには見えにくい光景を見て、彼らには聞こえにくい音を聞き、それを彼らに正確に伝えるべきなのだろう、と思った。
「あ、あの店です。よかった。ターラもいるみたいですね」
レイト少年のそんな声に「うん?」と顔を上げてみると、露店区域ももう終り際に差しかかっていた。
その先は、灌木にはさまれた街道が延々と伸びていき、左手側には、ジェノスの城下町の石塀がうかがえる。
たしか前回もこのあたりにまでは足を伸ばしたよなあ、とか考えていると――「あっ!」という少女の声が左手のほうから聞こえてきた。
「アスタおにいちゃん! レイト、ほんとに連れてきてくれたんだねっ!」
ターラだ。
今日も筒型のワンピースみたいなオレンジ色の服を着ており、とある露店の屋根の下から、俺たちに手を振ってくれている。
とある露店。
それは、地面の上に敷いた大きな布の上に野菜を並べ、頼りない骨組みの屋根を立てただけの、実に簡素な野菜売りの露店でありー―
そして、数日前に俺とアイ=ファがアリアとポイタンを購入した店でもあった。
少女のかたわらでは、大柄で少し腹の出た親父さんが、ひきつった笑顔を浮かべて俺たちを待ちかまえている。
俺はアイ=ファと目を見交わしてから、レイト少年とともに歩を進めた。
「アスタおにいちゃん、ひさしぶり! あのときはどうもありがとうっ!」
「いやあ、お礼を言われるほどのことはしてないよ。その後は、君に助けられたりもしちゃったしね」
「ううん! おにいちゃんがいなかったら、ターラは肉饅頭と一緒に踏み潰されてたもん! だから、ありがとう!」
ターラは、焦げ茶色の髪を肩までのばし、同じ色をした瞳を明るく輝かせる、8歳ぐらいの元気な女の子である。
で、その隣りに控えた親父さんも、確かにターラとよく似た色合いの顎髭をたくわえており、そして、ふたりともにお肌は黄褐色。
宿場町ではポピュラーなカラーリングであったので、そんな相似は気にも止めていなかった。
というか、ルウ家の人々などは見事にバラバラな髪や瞳の色をしていたから、この世界ではどこまでそういった色彩が遺伝されるのだろう、とか思っていたぐらいなので、よけいに気にしていなかった。
何にせよ、二重の再会である。
親父さんは立ち上がり、頭に巻いていた白い布を取り去ると、少し白髪の混じったもしゃもしゃの頭を俺とアイ=ファに下げてきた。
「あ、あ、あの、先日は、うちのターラを助けてくださったそうで……ほ、本当にありがとうございます。ど、ど、どうしても一言お礼が言いたかったので、その、こんなところにまで足を運んでいただいちまって……」
ふくよかなお顔が、冷や汗でぐっしょりである。
しかし――それほど森辺の民を怖れながらも、お礼を言いたいと思ってくれたのか。
「いいえ。俺たちも危うく衛兵に引っ張っていかれそうになったんですけど、ターラが証言してくれたこともあって、罪に問われず済んだんです。こちらこそ、娘さんには大変お世話になってしまいました」
「い、い、いや、とんでもないことで……」
さっきの宿屋の親父さんよりもうんと大柄で、顔つきなんかもけっこう豪放そうなのである。
アリアを自分で作っているという話であったから、半商半農の暮らしなのだろう。
こういう生粋の現地人こそ、もっとも森辺の民を怖れているのかもしれないが――こんな姿をいつまでも娘さんにさらさせてしまうのは、忍びない。
ターラもさっきから不思議そうにきょとんとしてしまっている。
「……あなたの娘が危険な目に合いそうになったのは……」
と、いきなりアイ=ファが口を開いた。
「ひっ!」と親父さんが、ターラの肩をつかんで後ずさる。
ターラも、ちょっと不安そうにアイ=ファを見つめている。
「……私が分別なく、酔漢を叩きのめしてしまったのも原因なのだ。足もとに彼女がいるのはわかっていたのだが、刀を抜いた男を一刻も早く制圧するべきだと思い、殴りつけてしまった。このアスタが駆けつけていなければ、彼女は男の下敷きになり、怪我を負っていたかもしれない」
そしてアイ=ファは、静かに頭を下げた。
「私の思慮が足りなかった。謝罪させていただきたい」
「い、い、いや、その……」
「親父さん。そんなに警戒しなくても、こちらの方々はそんな粗暴な方たちではないですよ。さきほども酔っ払いに汚い言葉をかけられてしまったのですが、僕のほうが先に頭に血を昇らせてしまったぐらいなんですから」
と、にこにこ顔の少年がとりなすように言った。
頭に血をのぼらせた――ようには、思えなかったけどな。
「そして、もしかしたらこちらのアスタという方はこの付近に露店を出すことになるかもしれません。そうなったらご近所さんなのですから、今の内にわだかまりは解いてしまっておいたほうがいいと思います」
「えっ! アスタおにいちゃん、お店を出すの!?」
「いや、まだ決まったわけじゃないけど……出すとしたら、このあたりになるのかな?」
「はい。あちらの通りはもう一杯ですからね。新参なわけですから、まずはこの北の端からの開始となるでしょう」
「ふうん。親父さんも新参なんですか?」
「え? い、いや、俺はもう20年の昔からここに居座ってるよ! 賑やかな中央に行くには、仕切り屋どもに心づけを渡さなくちゃならないから、俺は大人しく引っ込んでるだけでさあ」
だいぶ目を白黒させていたが、それでも親父さんも懸命に気を張ろうとしている様子に見受けられた。
やっぱり、根はそんなに悪い人間ではないのだろう。
「まだ本当に店を出すかはわかりませんが、もしも決定したら、よろしくお願いします。そのときは、こちらから食材を購入させていただきますよ」
「な、何の店を開くんだい?」
そうか。これはカミュアと無関係なジェノスの住人から意見を聞く貴重なチャンスなのかもしれない。
実はそのチャンスすらも、カミュアのお膳立てなのかもしれないが――とか考えるのは、あまりに人が悪いだろうか?
まあいい。とにかく、市場調査だ。
「実はですね。ギバの肉の料理を売りに出そうと考えているのです。……どう思われますか?」
親父さんは、きょとんと目を丸くした。
「そ、そんなもの……売れないだろう?」
ふむ。
相当に驚いている、というか呆れているようなお顔だが、嫌悪感などは感じられない。
商店街のど真ん中で「タランチュラ料理の店を出します」みたいな行為には当たらないのだな。
「周りの人たちは気味悪がったりしませんかね? 自分の店の近くでそんなものを売るな!とか思いません?」
「べ、別にそんなことは、俺たちが決めることじゃない。……ただ……」
「ただ?」
「く、臭いのは、困る」
「特別に臭くはないですよ。臭いというのは、実際に食べたときに感じられる風味のことなのでしょうし。なおかつ、きちんと調理されたギバの肉は、臭くありません」
「ギバって、畑を荒らす悪い動物でしょ? そんなのが、美味しいの?」
ターラのほうは、何だか興味しんしんのご様子だった。
「悪い」と感じるのは人間の都合であり、ギバ自身に罪はないのだよ……などという説法はこの際、無用であろう。
「どうだろうね。俺にとっては無茶苦茶に美味いんだけど。こればっかりは個人の好みだからね。クセが強いのは確かだから、嫌がる人は嫌がるかも」
「ふうん。すごいなあ。ターラも食べてみたいなあ」
「ば、馬鹿、お前……」と言いかけて、親父さんがまた目を泳がせる。
「すみません。今さらですが、自己紹介をしていませんでしたね。俺は森辺の集落のファの家でお世話になっているアスタという者で、こっちはファの家の家長アイ=ファです。良かったら、親父さんのお名前も聞かせていただけませんか?」
「……お、俺はドーラだ」
ターラにドーラか。覚えやすいようなそうでもないような、だけどその風貌には似合った名前であるように感じられた。
「ドーラの親父さん。俺たちはまだ店を出すかどうか迷っているんです。全然売れないで大赤字になるのも困ってしまうし、それより何より、それで宿場町を混乱させてしまったら申し訳が立たないですからね。なので、もし良かったら、親父さんの正直なご意見をいただけませんか? そんな店を出されるのは困る、とか、そんな料理は誰も食べるはずがない、とか。そういう意見も参考にして、店を出すかどうか決めたいんです」
「み、店を出されて困ることはないよ。おかしな匂いとかがしなければそれでいい。……あ、あとは……もめごとは困るってぐらいで……」
語尾がごにょごにょと消えてしまう。
だけど、きちんと答えてくれている。
きっと普段はあけっぴろげで豪放な性格をしていらっしゃるのだろう。「アリアが腐っている」と告げたときの怒りっぷりでも、それは察せられる。
「もめごとですか。俺が店を出したら、難癖をつけてくる町の人とかもいるんですかねえ?」
「も……森辺の民に、難癖なんて……」
ごにょごにょ。
「そうなんですかね。実際さっき宿屋で難癖をつけられたばかりなんで、ちょっとそっち方面も心配なんですよ、俺は」
「そ、そうなのか? 俺には考えられないな」
親父さんには、恐怖の感情しか見受けられない。
さっきの連中からは、蔑みの感情しか見いだせなかった。
同じ環境下においても、やっぱり人の気持ちはさまざまということか。
そして――ターラは「食べてみたい」と言ってくれている。
さっきからアイ=ファのことをチラチラ見ているし、この怖そうなお姉さんは本当はどんな人なのだろうと探っている感じだ。
「では、料理に関してはどうですか? ギバの肉なんて死んでも食べたくない、とか思います?」
「か、金を出してまで食べたいとは思えないな。とにかく、ギバの肉は臭くて固いと言われてるんだから。わざわざそれを確かめたいとは思わない」
「無料なら、食べていただけますか?」
「ど、どうしてもと言うのなら……」
「気持ちが悪い、汚らわしい、とかは思いません?」
「べ、別にギバはムントやギーズみたいに腐肉をあさるわけではないんだろう? ギバは、俺たちの畑を狙う、憎い動物だ。ただそれだけだ」
そして親父さんは、意を決したようにアイ=ファを見た。
「お、俺はだから、身体を張ってギバを退治してくれているあんたたちに、感謝や尊敬の念も抱いている。だけど、あんたたちは……あ、あんたたちは……凶悪なギバを喰って、凶悪な力を手に入れた。そんな風に思ってる年寄りは多いし、それに……」
親父さんの目に、恐怖とは違う感情の色がちらついていた。
これはもしかして――怒りの感情なのではないだろうか?
「……それに、実際、非道な真似もしでかしている」
アイ=ファは、静かに親父さんを見る。
親父さんの黄褐色の顔は、血の気が下がって、わなわな震え始めていた。
「の、農作物を奪い、旅人を襲い、町の娘をかどわかす……森辺の住人のすべてがそうではないんだろうが、そういう輩がいるのも事実だ。実際、あんたが道端でぶちのめしたっていうのも、そういう輩なんだろう? そういう連中がいる限り……」
あんたたちとは、わかりあえない。
そういう言葉でも続けるつもりだったのかもしれないが、後は言葉にならなかった。
アイ=ファは、ゆっくりと首を横に振る。
「私の身に恥ずるところはない。……私に言えるのは、それだけだ」
否定、しないのか。
農作物を奪い、旅人を襲い、町の娘をかどわかす。
「あいつら」は、そこまでのことをしてやがるのか。
俺はもう、怒るのを通りこして気が遠くなってしまいそうだった。
どうして同じ森辺の民で、そこまでの格差が生まれてしまったのだ。
アイ=ファやガズラン=ルティムのような人間だっているのに、「あいつら」はどうしてそこまで落ちぶれることができたのだ。
本当に、真剣に、心の底から理解できない。
「町の人間でも、森辺の人間でも、けっきょく色々な人がいるということですね」
その少年の声に、俺は愕然と振り返った。
亜麻色の髪と淡い茶色の瞳を持つ、その少年レイトは――この期に及んでも、まだにこにこと笑っていた。
やっぱりこの少年はあのカミュア=ヨシュの弟子なのだなと再認識する。
「さて。僕はそろそろカミュアのもとに戻らなくてはならないのですが、おふたりはどうされますか?」
「ああ、帰るよ。これ以上商売のお邪魔をしちゃ悪いし。……ドーラの親父さん、どうもありがとうございました」
「いや……」
「それでは、失礼いたします。アスタにアイ=ファ。僕もギバの料理はすごく楽しみにしているので、いい結果をお待ちしていますね!」
けっきょく――最終的に、俺の心は千々に乱れるばかりであった。