紫の月の二十九日⑤~宴の始まり~
2019.12/27 更新分 1/1
俺たちは小姓の案内で、祝賀の宴の会場へと導かれることになった。
その入り口には受付台があり、赤と青の花飾りが配られている。俺たちにとっても馴染みとなった、色恋のお誘いをお断りするための目印である。伴侶のある人間は赤い花飾りを、同伴者のある者は青い花飾りを受け取るのだ。
「俺たちも、伴侶や恋人がいるなら同伴させていいって話だったんだよな。残念ながら、俺は独り身だったんで祝宴に誘う娘も準備できなかったけどさ」
宿場町の領民ダンロが、皮肉っぽく笑いながら囁きかけてくる。
「ま、だからって、城下町の姫君なんかにお声をかけられるとは思ってないけどよ。森辺の民は男も女も器量よしが多いから、こういうしきたりもありがたいんだろうな」
「あはは。俺はともかく、みんなにとってはそうでしょうね」
そんな風に語らっていると、この場に待ち受けていた侍女のひとりがダンロに呼びかけてきた。
「では、トトスの早駆け大会にて入賞された方々は、こちらにおいでください。皆様には、別の入り口から入場していただきたく思います」
「了解だよ。それじゃあ、また後でな」
シュミラル=リリンとルド=ルウを含む5名は、侍女の先導で回廊の向こうに消えていった。残りの入賞者はいずれも貴族であるので、すでに別ルートでそちらに向かっているのだろう。
残されたのは、貴賓として招かれた森辺の民だけだ。ヴェラの家長とザザの家人はさきほどの部屋に待機しているので、ジザ=ルウ、レイナ=ルウ、ヴィナ・ルウ=リリン、ダリ=サウティ、ミル・フェイ=サウティ、ゲオル=ザザ、トゥール=ディン、チム=スドラ、イーア・フォウ=スドラ、そして俺にアイ=ファという顔ぶれである。
「あれ? レイナ=ルウも、青い花飾りをもらえたんだね」
俺が呼びかけると、レイナ=ルウは「はい」と微笑んだ。
「ルドも参席することがかなったので、その同伴者という扱いにしていただきました。いまさら貴族がおかしなちょっかいをかけてくるとは思わないのですが、念のための用心です」
レイナ=ルウは、かつてリーハイムに執着された過去があるのだ。まあ、これまで数々の男子を魅了してきたレイナ=ルウであるので、念を入れるに越したことはないのだろう。
そうして俺たちは氏名を確認され、入場の順番で並ばされることになった。
その整列が完了するのを見届けてから、小姓が両開きの扉を開く。
「森辺の族長ダリ=サウティ様、族長夫人ミル・フェイ=サウティ様、ご入場です」
やはりこのたびも、トップバッターは族長のダリ=サウティであった。
扉の向こうからは、大きなどよめきが伝わってくる。森辺の民が祝宴に参席するのもそれほど珍しい話ではなくなってきたものの、それでもやっぱりなかなか見慣れることは難しいのだろう。
ザザの血族、ルウの血族、スドラの2名と続き、最後に俺とアイ=ファが入場すると、そのどよめきがダイレクトに伝えられてきた。
かつて仮面舞踏会が行われた《紅鳥宮》にも劣らぬ、だだっ広い広間である。その広大なる空間は、すでに貴族やその従者たちによって半分がた埋め尽くされていた。
頭上には巨大なシャンデリアがきらめき、足もとにはふかふかの絨毯が敷きつめられている。あちこちに置かれた木の卓には美しい花の飾られた花瓶が準備されており、壁際に並べられた衝立にも実に豪奢な織物が張られていた。
左手側の壁際では、青いおそろいの装束を纏った楽士たちが、会話の邪魔にならないていどのボリュームで、ゆったりとした曲を演奏している。料理の準備はこれからであるが、人々の手には硝子の酒杯が掲げられており、やわらかな楽器の音色に果実酒の甘い香りがからみついているかのようだった。
そうしてレイナ=ルウたちに続いて歩を進めながら、広間の最果てに視線を巡らせた俺は、思わずハッと息を呑む。
そこには西方神セルヴァの雄々しい神像が鎮座ましましていたのだ。
かつて大聖堂で対面した神像と、同じぐらいのサイズである。背丈は3メートルぐらいもあり、それが仰々しい台座の上に設置されているものだから、いっそうの迫力であった。
炎のように逆立った髪と、背中に生えた4枚の翼、逞しい腕に掲げた巨大な槍と、仁王像のように厳つい面貌――その髪や肌は火神に相応しい真紅であり、双眸にもまた炎を凝り固めたかのような宝石が埋め込まれているようだった。
この神像と相対するとき、俺は大きな畏敬の念にとらわれる。
炎の化身である西方神セルヴァの姿は、あまりに神々しく、力に満ちており――そして、俺が火災で魂を返したときの記憶を強く呼び覚ましてやまないのだった。
「……どうしたのだ、アスタよ?」
と、ふいにアイ=ファが俺の腕をつかんできた。
自失しかけていた俺は、慌ててそちらに笑いかけてみせる。
「ごめん、またセルヴァの神像に圧倒されてたよ。こんな遠くから眺めているだけなのにな」
アイ=ファはきゅっと眉を寄せつつ、とても心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
その眼差しの温かさに心を満たされながら、俺は「大丈夫だよ」とうなずいてみせる。
「前にも説明したろう? 俺をこの世界に導いてくれたのが西方神セルヴァだったんなら、俺には感謝の気持ちしかないってさ」
俺がかつて大聖堂で抱いた心情については、アイ=ファにのきなみ打ち明けていた。
俺は火災で生命を落としたが、西方神セルヴァに焼き滅ぼされたわけではない。むしろ、死んでしまった俺に第2の人生を与えてくれたのが、西方神セルヴァだったのではないか――俺は、そのように推測していたのだった。
「さあ、行こう。レイナ=ルウたちに追いていかれちゃうぞ」
俺が心からの笑みを浮かべてみせると、アイ=ファはようやく腕を離してくれた。
ダリ=サウティたちは、すでに手近な円卓を囲っている。そしてそこには、早くも貴族の何名かが挨拶に出向いてくれていた。
位の高い貴族は、まだ入場していない。よって、その場で名前を知る相手はほとんど存在しなかったが、それでもこれまでに参席した数々の祝宴によって、少しばかりは知己を得ることができたのだ。
そうして俺たちが円卓に到着すると、色とりどりの宴衣装を纏った若き貴婦人たちが群がってきた。
「アイ=ファ様、どうもご無沙汰しておりました!」
「なんと麗しいお姿でしょう。姫騎士ゼリアの扮装も、目を見張るほどのお美しさでしたが……森辺の宴衣装も、とてもお似合いですわ」
「ああ、それなのに、やっぱりアイ=ファ様の凛々しさはこれっぽっちも損なわれないのですね。どうかまた、舞踏を一曲お願いいたします」
アイ=ファはなんとか仏頂面になってしまわないように気力を振り絞りつつ、ただ目礼だけを返していた。
そんな姿が、また貴婦人たちを陶然とさせてしまうのだろうか。周囲の人々がいったい何事かと振り返るぐらい、その場には華やいだ空気が形成されている。俺が貴婦人の御身に触れてしまわないように気をつけていると、いつしか輪の外に弾き出されてしまうほどの勢いであった。
「……これはいったい、どういった騒ぎなのでしょう?」
と、見かねた様子でレイナ=ルウが俺に囁きかけてくる。
「ああ、うん。アイ=ファは何か城下町の貴婦人をひきつける魅力があるみたいでね。収穫祭なんかでは、森辺の女衆もひきつけられていたみたいだけどさ」
「ああ、なるほど……狩人であるアイ=ファには、どこか男衆に通ずる魅力が備わっているのでしょうね」
レイナ=ルウはくすりと笑い、横目で卓のほうを見た。
「あちらでは、ヴィナ姉が男衆に囲まれてしまっています。まあ、この花飾りというものをつけているので、何も心配をする必要はないのでしょうけれども」
確かにそちらでは、ヴィナ・ルウ=リリンが貴公子たちの挨拶責めにあっていた。
ただし、不在のシュミラル=リリンに代わって、ジザ=ルウが妹のすぐかたわらにででんと立ちはだかっている。その静かな迫力に圧倒されているのかどうか、貴公子たちもそんなに長い時間を居座っているわけではないようであったが、それでも声をかけようとする人間が後を絶たない様子であった。
しかしまた、ヴィナ・ルウ=リリンの魅力のほどを考えれば、それもむべなるかなといったところであろう。もともとヴィナ・ルウ=リリンは色気とフェロモンの権化のごとき存在であったし、シュミラル=リリンと婚儀をあげてからは、さらに深みのある魅力を体得するに至ったのだ。のべつまくなしに発散されていた色気が、ぎゅっと凝縮されたというか何というか――絢爛なる華やかさに、しっとりとした落ち着きが加えられたような風情であったのだった。
「婚儀をあげる前のヴィナ姉が、城下町に頻繁に出入りをしていたら、わたしやシン=ルウとは比較にならぬほどの騒ぎになっていたのかもしれませんね」
「うん。でも、レイナ=ルウのときも水面下ではなかなかの騒ぎになっていたんだろうけどね」
「それはきっと、森辺の民というものがまだ見慣れぬ存在であったためなのでしょう。そうでなければ、わたしのような人間がもてはやされる理由もありません」
「そんなことはないよ。レイナ=ルウだって――」
と、俺は途中で言葉を呑み込むことになった。
レイナ=ルウは可笑しそうに、くすくすと笑う。
「アスタが禁忌を犯してまで、わたしを持ち上げる必要はありません。それよりも、ほら、アイ=ファが助けを求めているようですよ」
アイ=ファはそれなりに背のあるほうなので、小柄な貴婦人の頭ごしに、俺たちのほうをじっと見やっていた。確かにあれは、SOSを求める眼差しであるようだ。
「うーん、どうしよう。貴婦人たちをかきわけるわけにもいかないし……レイナ=ルウも、一緒に突撃してもらえないかなあ?」
「ええ、わたしはかまいませんけれど……」
そのとき、入り口のほうから伯爵家の来場が伝えられてきた。
とたんに貴婦人がたも、嬌声を呑み込んで入り口のほうに向きなおる。その間隙を突いて、アイ=ファが素早く俺たちのほうに逃げのびてきた。
「……私を見殺しにしたな、アスタよ」
「見殺しって、大げさだなあ。森辺の民は、城下町の人たちと絆を深める努力をするべきって方針じゃなかったっけ?」
レイナ=ルウには見えないような角度で、アイ=ファは唇をとがらせた。
そこに、ダレイム伯爵家の人々が入場してくる。
復活祭が近づいてからは、ポルアースともすっかりご無沙汰であった。当主のパウド、その伴侶であるリッティア、第一子息のアディス、ポルアースの伴侶であるメリムも、みんな壮健であるようだ。それに本日は、アディスの伴侶であるという貴婦人もそこに加わっていた。
「ふむ。アディスの伴侶は子が産まれたばかりで家を離れられないという話であったが、ようやく落ち着いたのであろうかな」
と、ダリ=サウティが小声でそのように言っていた。彼も祝宴の際にはさまざまな貴族と言葉を交わしていたので、俺の知らないような事情までわきまえているようだ。
ともあれ、お次はサトゥラス伯爵家である。第一子息のリーハイムは大会の入賞者であるため、そこには参じていない。当主のルイドロスは鷹揚に笑みを振りまきながら、何名かの家人を引き連れて広間の奥へと闊歩していった。
そして最後は、リフレイア率いるトゥラン伯爵家だ。相変わらず、トルストとふたりきりのつつましい編成であり、後には武官の白装束を纏ったムスルと何名かの従者だけが追従していた。
「なるほど、位の高い貴族ほど、遅れて参じるわけですか」
レイナ=ルウのつぶやきに、俺は「うん」と応じてみせる。
「だからあとはジェノス侯爵家と、それに――」
そこで、新たなどよめきが沸き起こった。
「ヴェヘイム公爵家、フェルメス様。ベリィ男爵家、オーグ様」の名が告げられたのだ。
先頭を歩くのは、フェルメスである。
その姿に、俺もいくぶん息を呑む思いであった。
いつもは飾り気のない灰色の長衣を纏っているだけのフェルメスが、淡い紫色を基調にした長衣に銀の飾り物をつけて登場したのだ。
他の貴族に比べれば、それでもまだまだ質素ななりであっただろう。
しかし、もともと規格外に秀麗な容姿をしたフェルメスであるのだ。それに本日は、亜麻色の長い髪を綺麗に編み込んで胸もとに垂らしているのが、いっそう可憐な少女めいて見えてしまった。
色の白い、びっくりするほど繊細な顔立ちだ。
このように離れていては瞳の色も見て取れないが、しかしそれでも、茶色と緑色のまじったヘーゼル・アイが神秘的に瞬いているのが感じられる。
そうしてただ黙然と歩いているだけで、舞台俳優のように人の目をひいてやまない姿であるのだった。
いっぽう補佐官のオーグは、相変わらずの仏頂面でフェルメスの後に続いている。褐色の髭を生やして、南の民のように骨太の体躯をした、壮年の男性である。背丈は俺と変わらないぐらいだと思うのだが、小柄でほっそりとしたフェルメスのそばにあると、実際以上に厳つく見えてしまうようだった。
そんな両名の後からは、武官のジェムドと2名の小姓が続いている。ジェムドもジェムドで彫りの深い端正な顔立ちをしており、西の民としてはなかなかの長身であったので、何名かの貴婦人はそちらにも目を奪われている様子であった。
ゆったりとした足取りで広間を横断していたフェルメスが、俺たちの前を通りすぎようとしたところで、ちらりと視線を傾けてくる。
そのヘーゼル・アイが俺を捕らえると同時に、可憐な微笑が口もとにたたえられた。
しかしもちろん言葉を発しようとはせず、真っ直ぐに広場の奥へと進んでいく。
「ふう。やっぱり、雰囲気のある人だよなあ」
俺が笑いかけると、アイ=ファは凛然とした面持ちで「うむ」とうなずいた。
そうして最後に、ジェノス侯爵家の入場が伝えられる。
マルスタインは矢傷で臥せっているために、その先頭を歩くのは第一子息であるメルフリードであった。
というか、マルスタインの伴侶はすでに魂を返しているために、メルフリードと伴侶のエウリフィア、息女のオディフィアという、第一子息の一家3名のみである。メルフリードに男兄弟はなく、姉や妹は余所の家に嫁いだ後であったのだった。
メルフリードは武人らしい礼服に身を纏っており、エウリフィアは淡い水色を基調にした豪奢な宴衣装、オディフィアは可愛らしい純白の宴衣装だ。
メルフリードは堂々たる足取りで広間を踏破し、伯爵家の人々が待ち受ける場所に立ち並んだ。西方神の神像の、足もとである。
「……それではこれより、トトスの早駆け大会の授賞式を執り行いたく思う」
鋼の鞭のごとき硬質的で鋭い声音が、メルフリードの口から発せられた。
近衛兵団の団長として、声を張り上げるのは手慣れたものであるのだろう。その声は広間の隅々にまで行き渡り、おしゃべりに興じていた人々をぴたりと黙らせていた。
「このたびの大会は、王都の外交官フェルメス殿のご提案により、開催されたものとなる。ジェノスにおいては初めての試みであったので、如何なる顛末を迎えるかという不安も完全に消し去ることは難しかったように思うが――それでも大会に携わった人々の尽力により、無事に終わりを迎えることがかなった。つつしんで、感謝の言葉を申し述べさせていただきたい」
マルスタインもまた人の目と耳をひきつける領主の器量を持ち合わせていたが、メルフリードもそれには負けていないようだった。マルスタインの特性がゆったりとした包容力であるとしたら、メルフリードは重々しくも力強い牽引力であろうか。鉄仮面のごとき無表情も、月光のようにきらめく灰色の瞳の眼光も、メルフリードのそういった特性を際立たせているように感じられた。
「なおかつ、大会の観戦におもむいた諸侯らも、闘技会に劣らぬ昂揚を抱いたのではないかと思われる。あのように素晴らしい戦いを繰り広げ、見事な結果を残すことになった入賞者の8名を、どうか心から祝福してもらいたい」
人々は、優雅さを感じさせるやわらかな拍手でもって、メルフリードの声に応じていた。
メルフリードはひとつうなずき、かたわらの従者を振り返る。
「それでは、入賞者の8名をここに」
「承知いたしました。……あちらより、入賞者の方々がご来場されます。どうぞ拍手でお出迎えください」
広間の左手に設えられた扉が、従者たちの手によって開かれた。
「サトゥラス騎士団所属、レイリス様……サトゥラスの民、ダンロ様……ロゼッドの民、ドーン様……南の王国ゼランドの民、ムラトス様……ご入場です」
先頭を歩くのは、俺たちもよく知るレイリスであった。
かつてはシン=ルウに対抗心を燃やし、のちにはスフィラ=ザザを巡ってゲオル=ザザと勝負をつけることになった、若き貴公子である。彼も武人らしい純白の礼服を纏い、穏やかな微笑とともに広場の上座へと歩を進めていった。
それに続くダンロは、なんとか気圧されぬようにと胸を張りながら、人々の拍手を浴びている。いささか緊張気味の顔つきではあったが、それでも足取りは確かであった。
傭兵のドーンは何を臆する様子もなく、のしのしと歩いている。やたらとけばけばしい装束に巨体を包んでいるが、ジェノスの城下町ではお馴染みの姿であるのだろう。若い貴公子や貴婦人の中には、囃し立てるような歓声をあげる人間も少なくなかった。
最後のムラトスは、むすっとした面持ちで前の3名に続いている。もともとの性格なのか、あるいは緊張感の発露なのか、バランのおやっさんを思わせる仏頂面だ。
「続きまして、最終戦まで進出された上位入賞者のご入場です。……第4位、護民兵団第四大隊長、デヴィアス様」
ドーンに負けぬ長身のデヴィアスが、ぬうっと現れた。
とたんに会場は笑いに包まれ、アイ=ファはがくりとくずおれそうになる。
「なんだ、あやつは……今日は仮面舞踏会ではなかろうが?」
アイ=ファがそのように評するのも当然で、デヴィアスは何故だかライオンを模した帽子のようなものをかぶっていたのだった。
本人の顔はしっかり露出しており、額から上にライオンの顔が乗っている格好である。言ってみれば、北の一族のかぶりものと似たようなデザインであるのだが、本物の毛皮を使っているあちらとは異なり、そのライオンの顔は稚拙な作り物であることが一目瞭然であるために、なんとも珍妙な姿であった。首から下はきちんとした礼服であるために、そのギャップがいっそうユーモラスであるのだ。
「……第3位、森辺の民、ルド=ルウ様」
オレンジ色のマントを纏ったルド=ルウが、颯爽と現れた。
普段通りの明るい表情で、気負っている様子はいっさいない。それでもきちんとTPOをわきまえて、頭の後ろで手を組んだりはしていなかったので、「颯爽」と呼ぶに相応しい足取りだ。俺のそばにいた若き貴婦人がたが、その姿に「あら」とか「まあ」とか感嘆の声をこぼしているのが聞き取れた。
「第2位、サトゥラス伯爵家第一子息、リーハイム様」
リーハイムが現れると、いっそう大きな拍手が生まれた。リーハイム自身の人望か、あるいはサトゥラス伯爵家に縁ある人々の喝采であろう。
リーハイムは、まあそれなりに見目の整った若君である。やや長めの髪は油でぺったりと撫でつけられており、かなり痩せぎすの体格で、従兄弟であるレイリスほどの凛々しさは望むべくもないが、よくも悪くも貴族らしい風貌をしていた。
ただし本日は、妙にむっつりとした表情をしている。最後の勝負でシュミラル=リリンに敗れた際にはずいぶん悔しげな様子を見せていたので、まだその感情を引きずっているのだろうか。
「第1位、森辺の民、シュミラル=リリン様、ご入場です」
シュミラル=リリンが入場すると、これまでとはまた趣の異なるざわめきが満ちた。
いかにも東の民らしい風貌をした、シュミラル=リリンである。長くのばした白銀の髪は、西でも東でも物珍しい色合いであるのだろうが、それ以外に特徴らしい特徴はない。切れ長の目に黒い瞳、高い鼻梁と薄い唇、長身痩躯に黒い肌、と――それらはすべて、東の民の一般的な姿であるはずだった。
だからたぶん、シュミラル=リリンがいかにも東の民めいた姿をしていることこそが、人々に驚きをもたらしたのだろう。
彼はそのような姿でありながら、れっきとした森辺の民であり――そしてその顔に、やわらかい微笑をたたえて入場してきたのである。
(サンジュラと面識のある人だったら、こういう笑顔に面食らうこともないのかな)
だけど俺も日中に、ラダジッドの笑顔で大きく驚かされた身であった。やはり、無表情なのが当然である東の民の笑顔というのは、見る人間の心を揺さぶってやまないのかもしれない。
それに、シュミラル=リリンの経歴などは、貴族の間でも広まっていることだろう。東の民が神と故郷を捨てて森辺の民になったのだから、それが人々の好奇心を刺激しないわけがないのだ。
そんなシュミラル=リリンがついに眼前に現れたということで、人々はいっそうの関心をかきたてられているのかもしれなかった。
「……以上が、トトスの早駆け大会において入賞された8名様となります」
入賞者の8名は小姓の誘導で、メルフリードたちの手前にずらりと立ち並んでいた。
シュミラル=リリンが左の端で、レイリスが右の端だ。その8名がこちらに向かって一礼すると、人々は拍手と歓声で彼らを祝福した。もちろん俺も、そのひとりであった。
「それでは、勲章を授与したく思う」
メルフリードの言葉に、入賞者たちは4名ずつ左右に分かれた。
またひとりずつ名前を呼ばれて、神像の足もとまで進み出ると、その胸に銀色の勲章が授けられる。授与の役を担ったのはオディフィアであったので、誰もが幼き姫のために膝を折ることになった。
「オディフィア姫、この銀獅子の冠はお気に召したであろうか?」
と、自分の番が巡ってくると、デヴィアスがそのように呼びかけた。
オディフィアは人形めいた無表情のまま、わずかに首を傾げている。
「あんまり……かめんぶとうかいのいしょうのほうが、オディフィアはすきだった」
「ううむ、そうか。それも考えないではなかったのだが、姫のお父上に叱られそうであったので取りやめたのだ」
広間は、また笑いに包まれた。
アイ=ファは腕を組み、溜め息をついている。
「これは戦いを勝ち抜いた勇者を祝福する、神聖な儀なのであろうが? 貴族というのは、意外に寛容であるのだな」
「うん。まあ、狭量であるよりはいいんじゃないのかな」
その後はつつがなく、残りの入賞者たちにも勲章が授けられた。
シュミラル=リリンがもとの位置に戻ると、あらためて拍手が巻き起こる。
そんな中、俺はこっそりヴィナ・ルウ=リリンの様子をうかがってみた。
ヴィナ・ルウ=リリンは眠たげにも見える感じで目を細め、伴侶の姿をじっと見つめている。森辺の民にとって、こういった戦いに勝ち抜くことが、どれだけの栄誉になるかはわからなかったが――それでもこれだけ大勢の人々が、シュミラル=リリンたちの健闘を賞賛し、祝福しているのだ。俺の胸は誇らしさでいっぱいであったし、ヴィナ・ルウ=リリンの胸中を疑う気にはなれなかった。
「それでは、祝賀の宴を開始する。宴料理の準備が整うまで、しばしくつろいでもらいたい」
メルフリードの言葉に応じて、両開きの扉が大きく開け放たれた。
侍女や小姓が、ワゴンや盆を手に入室してくる。そこからこぼれる料理の芳香が、人々に新たな歓声をあげさせた。
「よー、ようやく終わったぜー。あとは好きにしてかまわねーってよ」
と、ルド=ルウとシュミラル=リリンがこちらに近づいてきた。
ダリ=サウティやジザ=ルウたちがねぎらいの言葉をかけるのを待ってから、俺もふたりのもとに歩を進める。
「ふたりとも、お疲れ様でした。それと、あらためておめでとうございます」
「ありがとうございます」と、シュミラル=リリンは嬉しそうに微笑む。
すると、ルド=ルウが不満そうに俺をねめつけてきた。
「ふたりともって言いながら、いまのはどう考えてもシュミラル=リリンへの言葉だよなー。アスタは俺にそんな言葉づかいはしないだろうしよー」
「ごめんごめん。お疲れ様、ルド=ルウ。それに、おめでとう。最後のデヴィアスとの競い合いなんかは、本当にすごかったよ」
「へん。ルウルウが根性を見せてくれたからなー」
ルド=ルウはにやりと笑って、俺の胸もとを小突いてきた。
「あーあ、もう腹がぺこぺこだぜ。城下町の料理人も、ちっとはギバ料理を作るようになったんだよなー? どんな料理でも文句は言わねーけど、キミュスとカロンの肉だけで腹をふくらませたくはねーからさ」
「きっと大丈夫だよ。お味のほうも、期待できるんじゃないかな」
そうして俺たちは、祝賀の宴に突入することになった。
フェルメスを筆頭とする貴族の人々との交流も二の次にはできないが、まずはダイアの宴料理に舌鼓を打たせていただきたいところであった。