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異世界料理道  作者: EDA
第四十八章 太陽神の復活祭、再び(下)
837/1684

紫の月の二十九日③~決着~

2019.12/25 更新分 1/1

 やがて、4回戦目の組み合わせが発表された。

 4回戦目では、4名ずつで3試合が行われる。最初の組には、シュミラル=リリンとレイリスとデヴィアス、2試合目ではドッドと傭兵ドーン、3試合目ではルド=ルウとリーハイムが組み込まれていた。


「シュミラル=リリンは、ちょっと厳しい組み合わせになってしまいましたね。やはり貴族が相手では、分が悪いのでしょうか?」


「はい。ですが、善戦、できる、思います」


 俺の目から見ても、やはり飛び抜けた力を持っているのは、リーハイムであるように思えた。

 しかしレイリスやデヴィアスも、3回戦目では1位を獲得している。決して侮れる相手ではなかった。


「始め!」


 大歓声の中、第1試合が開始される。

 このたびは、4組が横並びの混戦模様であった。

 最内のコースはレイリスが確保して、デヴィアス、西の民、シュミラル=リリンの順番で、外側に膨らんでいる。

 そして――半周を過ぎ、第3コーナーに差しかかったあたりで、シュミラル=リリンのトトスだけが、さらに大きく膨らんだ。


 これは、何かの作戦なのだろうか?

 しかし、俺のかたわらでは、ラダジッドが大きく身を乗り出していた。


「シュミラル=リリン、隣のトトス、衝突、危険、あったため、道、外れました」


「え? それはつまり――」


 そんな言葉を交わしている間にも、ゴールは間近に迫っていた。

 レイリスとデヴィアスは鍔迫り合いをしながら、ほぼ同時のゴールイン。その後には西の民が続き、シュミラル=リリンは4着であった。


「あーあ、シュミラル=リリン、負けちゃったかあ」


 ララ=ルウが残念そうな声をあげると、ラダジッドがすごい勢いでそちらを振り返った。


「しかし、シュミラル=リリン、道、外れなければ、トトス、衝突していました。内側のトトス、足、もつらせて、傾いたのです。衝突していれば、双方、転倒していたでしょう。シュミラル=リリン、危険、回避したのです」


「ああ、そうなの? ていうか、あんた何か怒ってる?」


「怒り、違います。ただ、無念、思っています」


 ラダジッドはかろうじて無表情を保っていたが、その肩はわずかに震えているようだった。お仲間の団員も、そんなラダジッドをいくぶん気がかりそうに見やっている。


「大丈夫ですよ。負けた6名の中から、2名は勝ち進めるみたいですからね。シュミラル=リリンだったら、きっち勝ち進んでくれます」


 自分自身に言いきかせるためにも、俺はそのように言ってみせた。

 その間に、次のレースが開始されている。ドッドと傭兵ドーン、そして南の民を含む組である。

 この試合でも、ドッドは傭兵ドーンと南の民に勝ちを譲ることになった。

 やはり、闘技会ほど順調にはいかないようだ。血族たるドッドの敗退に、トゥール=ディンとリッドの女衆は残念そうに肩を落としていた。


「何をしょんぼりしておるのだ! ここまで勝ち進んだだけでも大したものだし、それに、勝負はあと1回残されているはずだぞ!」


 と、同じ血族であるラッド=リッドが、さきほどの俺と同じ役割を果たしていた。その厳つい顔は赤く昂揚していたので、この大会をぞんぶんに満喫できている様子である。


 そして最後の試合では、やはりリーハイムが貫禄の1位であり、ルド=ルウは2位だった。

 これにてルド=ルウは、ひと足早くベスト8入りである。ルウの血族の女衆はみんなではしゃいだ声をあげており、リミ=ルウは「やったー!」とアイ=ファに抱きついていた。


「ルドは勝ち残ったかー。シュミラル=リリンも、勝ってほしいなあ」


 と、ララ=ルウはひとり仏頂面である。

 きっとララ=ルウも、大事な姉と伴侶がそろって祝宴に参席できることを願っているのだろう。闘技会では彼女も優勝者のシン=ルウとともに参席していたので、そういう思いがいっそう募るのかもしれなかった。


「しかし、貴族の力というのも大したものだな。トトスの力が際立っているのは明白だが、それに頼りきるだけではルド=ルウやシュミラル=リリンには勝てぬはずだ」


 アイ=ファもそれなりに昂揚した目つきで、そのように語らっていた。

 眼下では、次の試合の組み合わせがくじ引きによって決められている。それを横目に、俺は「そっか」と答えてみせた。


「それじゃあ、ギルルを出さなくて正解だったな。まあ、ギルルは負けても悔しがったりしなそうな気がするけれども」


「うむ。それにやはり、衝突や転倒などの危険もあるようだからな。ギルル自身が興味を示さぬ限り、ファの家がこの力比べに加わることはない」


 そうして俺たちの会話が一段落したところで、対戦の組み合わせが発表された。

 まずは、敗者復活戦である。さきほど敗退した6名が2組に分かれて、それぞれの勝者1名ずつが準決勝戦に進めるのだそうだ。


 幸いなことに、シュミラル=リリンとドッドは別々の組であった。

 さきほどシュミラル=リリンと接触しそうになった西の民は、ドッドと同じ組である。あとはさらに、宿場町の領民である若者も、そちらの組であった。


 シュミラル=リリンの組に、見知った人間はいない。

 しかし、さきほどのようなアクシデントがあれば、結果もどう転ぶかわからないのだろう。

 ここが正念場とばかりに、俺はいっそう強い気持ちで森と西方神に祈ることになった。


 そんな中、まずはシュミラル=リリンの組がスタートされる。

 対戦相手の両名はスタートダッシュを決め、シュミラル=リリンは安定の最後尾であった。

 シュミラル=リリンとしては定番の戦法であるのだが、このときばかりは心臓が騒いでしまう。


 コースを進むにつれて、前を行く2名のトトスはじょじょに失速していった。

 いっぽうシュミラル=リリンの操るトトスは、じわじわと加速していく。だが、半周を過ぎても順位に変動が訪れないので、俺はたまらず声援を振り絞ることになった。


「シュミラル=リリン、頑張ってくださーい! 俺は祝宴をご一緒したいですよー!」


「そうだよ、頑張れー! ヴィナ姉をひとりぼっちにするつもりー!?」


 ララ=ルウも、負けじと声を張り上げる。

 もちろんこれだけの距離があっては、シュミラル=リリンの耳に届くことはないだろう。

 しかしそれでも、シュミラル=リリンは最終コーナーで、前を行く2名を捕らえていた。

 コーナーを抜ける頃には横並びとなり、大外を走るシュミラル=リリンがゆったりと突出していく。


「そのまま、そのままー!」


 シュミラル=リリンのトトスが、ゴールラインを踏み越えた。

 2秒遅れで、後続の2名がゴールを切る。

 それと同時に、ララ=ルウがおもいきり俺の背中をひっぱたいてきた。


「やったー! 勝ったよ勝った! ね、シュミラル=リリンの勝ちだよね!」


「うん、間違いないよ!」


 俺は背中の痛みも忘れて、ララ=ルウと笑顔を交わし合った。

 そうして逆の側を振り返ると、ラダジッドがほうっと大きく息をついている。


「心臓、悪いです。私、観戦、向いていないようです」


「観戦に向いていない、ですか?」


「はい。私、負けず嫌いですので、同胞、負ける、口惜しいのです」


 そんな風に言ってから、ラダジッドはぴくりと口もとを震わせた。


「ですが、これで、入賞なのですね? あとは、心、平穏に、見守りたい、思います」


「そうですね。ここまで勝ち抜いただけで、本当に立派なことであるはずです」


 シュミラル=リリンも、晴れてベスト8の座を勝ち取ったのだ。これ以上の勝利を望むのは、あまりに贅沢というものであろう。

 俺も高鳴る胸を静めて、次はドッドの健闘を見守ることにした。


 これでドッドも勝ち抜くことができたら、最高の結果であったのだが――残念ながら、1位を獲得したのは宿場町の領民であり、ドッドは2位に終わった。

 すると今度は、ラッド=リッドが「うぬう!」と声をあげ始める。


「惜しかったな! 決して地力では負けていなかったように思うぞ! 最初にこう、ぐいっと相手の内側にもぐりこむことができていれば――!」


「いいではないですか。ドッドという狩人はトトスに乗ることにも慣れていないという話であったのですから、賞賛すべき結果だと思います」


 家人であるリッドの女衆が、今度はなだめ役である。

 トゥール=ディンも残念そうに眉を下げていたが、それでも去り行くドッドに惜しみない拍手を送っていた。


「この8名が、こたびの大会の入賞者となる! 優勝の座を懸けて、おのおの力を尽くしていただきたい!」


 触れ係の前口上に続き、いよいよ準決勝戦の組み合わせが発表された。

 第1試合は、シュミラル=リリン、リーハイム、レイリス、南の民ムラトス。

 第2試合は、ルド=ルウ、デヴィアス、傭兵ドーン、宿場町の領民ダンロ、という組み合わせであった。これに勝ち抜いた2名ずつが、決勝戦に進出するのだ。


「今日のシュミラル=リリンは、あまりくじ運がないようですね。でも、心安らかに見守りましょう」


「はい。リーハイム、4度、対戦する、星の巡り、悪いです」


 しかしそれでも、シュミラル=リリンはベスト8に食い込むことができたのだ。俺としては、大満足の結果であった。


 しばらくして、第1試合が開始される。

 敗者復活戦を行った分、シュミラル=リリンのトトスはいっそうの疲れを抱え込んでいることだろう。スタートしてしばらくの順位は、やはり最後尾であった。

 先頭はレイリスで、リーハイムのトトスが中盤からぐいぐいと追い上げていく。

 3番手の南の民ムラトスは大きく引き離され、そして、半周のあたりでシュミラル=リリンにも追いつかれた。


 その頃には、リーハイムもレイリスを追い抜いて、首位に立っている。これでリーハイムの勝利は確定であろう。その後にはレイリスのトトスが続き、そしてシュミラル=リリンのトトスは――さらにじわじわと加速して、最終コーナーでレイリスに迫った。


 レイリスは腰を浮かせて、懸命に革鞭を振るっている。

 シュミラル=リリンは低く身を伏せて、足の動きだけでトトスを制御しているようだ。


 リーハイムのトトスは余裕をもってゴールを踏み越え、その後にシュミラル=リリンとレイリスのトトスがほとんど横並びでゴールした。

 観客席はざわめきに包まれ、そこに触れ係の声が響きわたる。


「ただいまの勝負は、1着がリーハイム殿、2着がシュミラル=リリン殿、3位がレイリス殿、4位がムラトス殿となります!」


「わあ、勝っちゃったよ! さっきはレイリスって貴族に負けてたのに!」


 ララ=ルウが、はしゃいだ声をあげている。

 そちらにうなずきかけてからラダジッドを振り返ると、彼は左胸のあたりに手を置いて項垂れていた。


「けっきょく、心臓、騒いでしまいます。シュミラル=リリン、謝罪、求めます」


「あはは。でも、嬉しい結果じゃないですか。これでシュミラル=リリンも、決勝進出ですよ!」


 競技場では、シュミラル=リリンとレイリスがトトスを並べて歩かせながら、何やら語らっていた。レイリスは森辺の民に好意的な気持ちを抱いているはずなので、きっとシュミラル=リリンの勝利を祝福してくれているのだろう。


 そうして4名の選手が退くと、次の4名が競技場に現れる。

 ルド=ルウ、デヴィアス、傭兵ドーン、宿場町の領民ダンロによって行われる、準決勝戦の2試合目だ。


 ここで1位を獲得したのは、やはりデヴィアスであった。

 ルド=ルウと傭兵ドーンによって熾烈な2位争いが繰り広げられ、それに勝利したのは、ルド=ルウである。大好きな兄と家人の勝利に、リミ=ルウは「やったやったー!」とまたアイ=ファに抱きついていた。


「やっぱりルウの血族はすごいですね! ふたりともに、最後の勝負まで勝ち進んでしまいました!」


 レイ=マトゥアがそのように言いたてると、ララ=ルウは「んー?」と小首を傾げた。


「血族がどうのってのは、あまり関係ないかもね。ルドのやつはヒマさえあればトトスを乗り回してたし、シュミラル=リリンはもともとトトスに乗るのが得意だったって話だからさ」


「そうですか。でも、同じ森辺の民として、わたしは誇らしい気持ちでいっぱいです!」


 それは俺も、同意見であった。

 それに、惜しくも入賞はできなかったが、ドッドだって大したものであるはずだ。同条件であるヴェラの若き家長が予選で敗退したことを思えば、それは明白である。

 それに、ルド=ルウが乗っているルウルウと、ドッドおよびヴェラの家長が乗っていたトトスは、ギルルと同じ時期に、同じ経緯で森辺の家人となった身であるのだ。それはかつてカミュア=ヨシュが商団を装うためにかき集めたトトスであるのだから、特別な力量などは備え持っていないはずであった。


(ここまで来れば、もう十分だろう。シュミラル=リリンもルド=ルウも、最後まで怪我をしませんように……母なる森に父なる西方神よ、どうぞよろしくお願いします)


 俺がひそかに祈りを捧げる中、決勝戦に進出した4名が競技場に現れた。

 客席は、もはや興奮の坩堝である。賭場のほうも、大いに盛り上がっていることだろう。


 くじの順番に従って、4名のトトスは横並びとなる。

 最内はルド=ルウで、リーハイム、デヴィアス、シュミラル=リリンの順番だ。

 スタートの旗が振られると、やはりルド=ルウがロケットスタートを決めた。

 しかしやっぱり、これまでほどの勢いは感じられない。短時間でこれだけ走らされていては、ルウルウだって疲労の極みにあるのだろう。


 最初のコーナーに差し掛かる頃には、リーハイムがルド=ルウを追い越していた。

 そこにデヴィアスが追いすがろうとしたが――その内側を、鋭く切り込む影があった。

 シュミラル=リリンである。

 楕円形の頭の部分を越え、第2コーナーに差し掛かっても、シュミラル=リリンがデヴィアスに先行を許すことはなかった。

 デヴィアスのすぐ背後にはルド=ルウも控えており、先頭をいくリーハイムとの距離もそこまでは開いていない。


 予想外の大混戦に、客席の人々はいっそう沸き立つことになった。

 もちろん俺も、それは同様である。後半まで力を溜めるのがシュミラル=リリンのセオリーであるはずなのに、このたびは半周を過ぎる前から2番手の位置をキープしているのだ。


 第2コーナーを越えれば、楕円形の側面を司る、もっとも長い直線コースとなる。

 常であれば、リーハイムがここでぐいぐいと先行するのだが――その尻のあたりに、シュミラル=リリンが食らいついていた。そして、シュミラル=リリンにはデヴィアスが、デヴィアスにはルド=ルウが食らいついている。


 先頭を行くリーハイムが、ちらりと後方をうかがったようだった。

 革鞭を握ったその手が、いくぶん回転を上げている。

 しかし、数珠繋ぎの隊列が乱れることはなかった。


 4頭のトトスは同じ位置をキープしながら、第3コーナーに突入した。

 リーハイムは見事な手綱さばきで、最内のコースを死守している。

 まだここまでの余力を残しているのかと、溜め息をつきたくなるほどの激走だ。


 楕円形の短い底辺を走り抜け、いよいよ最終コーナーに差し掛かる。

 そこで――シュミラル=リリンのトトスが、また外側に大きく膨らんだ。

 ここぞとばかりに、デヴィアスが空いた空間にトトスの首をねじこもうとする。

 リーハイムのトトスは、確かな足取りでコーナーを突破した。


 しかし、どのようなトトスであっても、コーナーを曲がる際には遠心力によって多少は外側に振られるものである。

 リーハイムとデヴィアスのトトスとて、それは例外ではなかった。

 コーナーを突破した両名のトトスが、最後の直線に向けて軌道を修正しようとした、その瞬間――わずかに開いた空間に、外側から突撃したシュミラル=リリンのトトスが潜り込んだ。

 先に外側に膨らむことによって、誰よりも早く直線のコースに軌道を修正してのけた、ということだ。


 シュミラル=リリンは、トトスの背でべったりと身を伏せていた。

 トトス自身も可能な限り、その長い首を伏せている。

 そうして彼らは地を這うようにして、リーハイムとデヴィアスをごぼう抜きにした。


 リーハイムは腰を浮かせて、死に物狂いで革鞭を振るっている。

 デヴィアスも、それは同様だ。

 そのデヴィアスの背後から、ルド=ルウの姿がふわりと現れた。


 先頭はシュミラル=リリンで、半歩遅れてリーハイム、胴体半分の差でデヴィアス、そしてそれに追いすがるルド=ルウという順番である。

 大歓声の中、4名のトトスはもつれあうようにしてゴールを踏み越えた。

 惰性でしばらくトトスを駆けさせた後、天を仰いだリーハイムが革鞭を投げ捨てる姿が見て取れた。


「ただいまの勝負は、1着がシュミラル=リリン殿! 2着がリーハイム殿! 3着がルド=ルウ殿! 4着がデヴィアス殿です!」


 さらなる歓声が、闘技場を揺るがした。

 リミ=ルウは「やったー!」と快哉をあげて、またもやアイ=ファに抱きついている。

 ララ=ルウも、手近にいたレイ=マトゥアの肩に腕を回して、「やったやった!」とはしゃいでいた。

 俺も喜びを分かち合うべく、ラダジッドのほうに向きなおったのだが――彼は地面に突っ伏して、団員に背中をさすられているところであった。


「だ、大丈夫ですか? シュミラル=リリンが、勝ちましたよ?」


「はい……心臓、痛いです」


 のろのろと上げられたラダジッドの細長い顔には、脂汗が光っていた。

 その眉も、苦悶にひそめられてしまっている。

 ただ、その黒い瞳には歓喜の光が爆発していた。


「……シュミラル=リリン、4度、リーハイム、戦ったので、曲線、軌道、読めたのでしょう。4度の敗北、シュミラル=リリン、勝利、もたらしたのです」


「ああ、なるほど……シュミラル=リリンは、本当にすごい力を持っているのですね」


 俺はその場に屈み込み、ラダジッドに微笑みかけてみせた。


「心から、シュミラル=リリンの勝利を嬉しく思います。それと同時に、シュミラル=リリンの友であり同胞であることを、心から誇らしく思います」


「はい。私、同意します」


 そのように答えたラダジッドの眉が、すっと定位置に戻された。

 そして――その口もとに、やわらかい微笑がたたえられる。

 ラダジッドが微笑む姿を目にするのは、正真正銘、これが初めてのことであるはずだった。

 俺が言葉を失っている間に、ラダジッドはほころばせた口もとに自分の人差し指を押し当てる。


「内緒、お願いします」


 俺はさまざまな感情を味わわされながら、「了解しました」と笑顔を返してみせた。


                    ◇


 入賞者を祝福するセレモニーまで見届けて、闘技場を後にしても、あたりは騒然としたままだった。

 何せ観客の数は1000や2000もいたものだから、帰宅ラッシュというものが生じてしまうのだ。交通整理に励む衛兵たちの尽力もむなしく、広場にあふれかえった人々の数が減じることはなかなかなかった。


 これでは慌ててもしかたあるまいということで、俺たちは作業台のそばに居残っていたメンバーと合流し、混雑が落ち着くのをしばし待つことにした。

 その間に、ラッド=リッドたちが居残り組の面々に本選の結果を伝えている。森辺の同胞の栄誉ある結果には、誰もが嬉しそうな様子を見せていた。


「やあやあ。なかなか物凄い結果だったねえ」


 と、そこに近づいてきたのはカミュア=ヨシュの一行である。


「まさか、森辺の狩人が優勝を果たすとは想像していなかったよ。あのシュミラル=リリンというのは、大した御仁だねえ」


「本当にな! お前さんも、鼻が高いのではないか?」


 ザッシュマが陽気に笑いかけると、レイトは「よしてください」と苦笑した。


「僕が森辺に方々に手ほどきしたのは、ほんの初歩的なことばかりです。そもそもシュミラル=リリンという御方は、シムであの技量を育んだのでしょうしね」


 そういえば、森辺の民にトトスの乗り方を指南してくれたのは、このレイトであったのだった。アイ=ファやルド=ルウなどはじきじきに手ほどきされていたし、シュミラル=リリンを除く他の人々は、それを間接的に教わることになったのだ。


「何にせよ、予想外の結果だった! さすがに最後の勝負だけは、見通すことができなかったよ。それでも穴狙いで、1位がリーハイム殿で2位がルド=ルウという枠に賭けたんだがなあ」


「ふふん。シュミラル=リリンの底力を侮っていたということですね」


「お、アスタが珍しく得意そうな顔をしているな。あいつはあれだけリーハイム殿に負けを喫していたのだから、あんな結果は読みようがないさ」


 ザッシュマがそんな風に答えたとき、新たな一団が近づいてきた。今度は南の建築屋のご一行である。


「いやあ、これじゃあしばらく身動きが取れそうにないな。アスタたちもくつろいでるなら、ご一緒させてもらえないか?」


 アルダスの呼びかけに、俺は「もちろんです」と笑顔を返してみせた。

 カミュア=ヨシュたちも、建築屋とはどこかで接触していたらしく、気さくに挨拶を交わしている。その中で、バラン家の長男が妙にご機嫌な様子であった。


「ああ、兄さんは最後の勝負を的中させたもんだから、あんな風に浮かれてるんだよ」


 俺の心中を察したように、末妹が説明してくれた。

 すると、人をかきわけて出現したワッズが、「本当になあ」と笑いながら、長男の首に腕を回す。


「いくらなんでも、あんな結果は見通せねえよお。お前さんは、どうしてあんな大穴に張り込むことができたんだあ?」


 長男は一瞬怯みそうになったが、すぐに「へへん」と得意そうに鼻を鳴らした。


「あのシュミラル=リリンって森辺の民は、リーハイムとかいう貴族となんべんもやりあってたろ? その数を重ねるたびに動きがよくなってるように感じたから、最後の最後でひっくり返せるんじゃねえかってヤマを張ったんだよ。それに、最後の勝負では大外の枠だったしな」


「ふうん? 大外ってのは内側を取りにくいから、不利になりそうなもんだけどなあ」


「でも、あいつは大外を得意そうにしてたじゃねえか。乗ってるトトスも、大外のほうがのびのび走れるみたいだったしな」


 すると横から、メイトンが「へえ?」と口をはさんだ。


「なんか、いっぱしの口を叩いてやがるな。お前さんだって、トトスの早駆けなんざを見るのは初めてだったんだろう?」


「そりゃあそうだけど、これだけ何べんも見せつけられりゃあ、勘所はつくだろ」


「はん。本業のほうでも、それぐらいの勘所を身につけてほしいもんだな」


 メイトンは苦笑し、ワッズは愉快そうに笑った。そして、長男の伴侶はひとり溜め息をついている。そういえば、彼らがジェノスに到着して挨拶をさせていただいた日に、彼女は伴侶が賭け事にのめりこまないように掣肘していたのだった。


「ふん。俺たちの血筋にも、賭博師なんざの才覚を持ち合わせる人間がいたんだな」


 と、デルスが皮肉っぽい声で言った。そのかたわらでは、おやっさんが苦虫を噛み潰している。

 まだワッズに肩を抱かれている長男は、「へへ」と眉を下げて笑いながら、そちらを振り返った。


「賭け事は嫌いじゃねえけど、小遣いで遊ぶのがせいぜいさ。賭け事の恐ろしさは、あんたが身をもって教えてくれたんだからな」


「うるせえよ」と、デルスは肩をすくめた。

 この長男はデルスに怯えているという話であったが、同じ《南の大樹亭》で過ごすうちに、少しずつでも溝は埋まっていっているのであろう。彼らがこうして宿屋の外で行動をともにしている姿を見るのも、なかなかに新鮮なものであった。


「あー! あれって、ディック=ドムとドッドじゃない?」


 と、アイ=ファにひっついていたリミ=ルウの元気な声が聞こえてきた。

 驚いて周囲を見回すと、確かに黒褐色のざんばら髪が、人垣の上に飛び出している。そしてそのかたわらには、黒っぽい羽毛を持つトトスの首がひょっこりと覗いていた。


「ディック=ドム。お前も来ていたのか」


 アイ=ファが呼びかけると、ディック=ドムは「うむ」と重々しくうなずいた。トトスの手綱を引いたドッドは、いくぶん気弱げな様子で目を伏せている。


「家人がこのような集まりに加わることになったのだから、家長として見届けぬわけにはいくまい。言ってみれば、今日は俺がドッドの供だ」


「言われてみれば、その通りだな。ヴェラの家長はまだ戻らぬのか?」


「あやつはあやつで、ダリ=サウティの供でもあるからな。祝宴には参席できぬようだが、城下町までは同行するのであろう。あとはザザからも供の男衆が訪れていたので、俺はそやつと力比べの見物をしていた」


 すると、アルダスが「おや」とドッドの顔を覗き込んだ。


「もしかしたら、あんたは早駆けの大会に出てたお人かい? その黒っぽい羽をしたトトスにも、見覚えがあるよ」


「う、うむ。ドムの家の、ドッドというものだ」


 その返事だけで、アルダスはピンときたようだった。


「なるほど。どうして森辺の民なのに氏がないんだろうって不思議に思ってたんだけど、あんたはあれか、スンの人間であったわけか」


「……そうだ。許されざる罪を犯したたために、俺は氏を奪われることになった」


「で、いまはきちんと心を入れ替えて、森辺の民としての仕事を果たしてるってんだろ? だったら、胸を張ればいいさ」


 そう言って、アルダスは大らかに笑い声をあげた。


「あんたの弟――いや、弟だったミダ=ルウとも、『中天の日』の夜にちょいと挨拶をさせてもらったよ。美人の姐さんやらちまちました嬢ちゃんやら、あんたたちは似てない兄弟だったんだなあ」


「う、うむ。俺たちは、全員母親が異なるのだ」


 そんな風に答えてから、ドッドはおずおずとアルダスの笑顔を見返した。


「お、お前は俺を罪人と知りながら、それを責めようとはしないのだな」


「うん? だって、罪は償ったって話なんだろう? だったら、俺たちがとやかく言う話じゃないさ。なあ、アスタ?」


「はい。ドッドだって、他の人たちと変わらない大事な同胞ですよ」


 そのように答えてから、俺はドッドに笑いかけてみせた。


「お疲れ様でした、ドッド。入賞できなかったのは残念でしたが、それでもご立派な成績だと思います」


「いや……城下町などに招かれてはたまらんから、俺はとてもほっとしている」


 ドッドは唐獅子のように厳つい顔に、はにかむような笑みをたたえた。

 そこに「おお!」という大きな声が近づいてくる。


「ディック=ドムに、ドッドではないか! ドッドよ、ザザの血族として誇りある姿を見せることがかなったな!」


 声の主はラッド=リッドであり、そのかたわらにはトゥール=ディンとリッドの女衆も追従していた。

 トゥール=ディンは胸もとで手を組み合わせながら、ドッドににこりと微笑みかける。


「お疲れ様でした、ドッド。本当に、ご立派であったと思います」


「いや、うん……そのように言ってもらえることを、嬉しく思う」


 トゥール=ディンとてスンの家人であったし、現在でもたびたび北の集落まで出向いているので、俺などよりもよほどドッドやディガたちと顔馴染みであるのだ。

 もともと大人数であった俺たちに、カミュア=ヨシュたちや南の民の一団やディック=ドムたちまで加わり、いっそうの賑やかさであった。


 街道のほうはまだ人間で埋め尽くされているので、しばらく身動きを取ることもできないだろう。

 大会に出場した同胞たちの勝利と健闘を胸の中で噛みしめながら、俺はその場に集まった人々と交流を深めさせていただくことにした。

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― 新着の感想 ―
ラダジットの緊迫と喜びが伝わってきます。 本当にこの人もいいキャラしている。
[一言] 大迫力のレースでしたね。 シュミラルは森辺の民として生活していたから、今までより強くなっていたんじゃないかな。 自分の運命を切り開いたからこその結果だとも思いました。 おめでとう! ルド=…
[一言] い、いかん…。 頭のなかに『傭兵どーん!』が刷り込まれてしまった…。
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