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異世界料理道  作者: EDA
第四十八章 太陽神の復活祭、再び(下)
834/1707

紫の月の二十六日④~町の同胞~

2019.12/9 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 そうして俺たちは、無事にすべての料理を売り切ることになった。

 夜間は日時計も役立たずであるので確たることは言えないが、予定していた二刻という営業時間を大幅に過ぎてはいないだろう。体感としては、料理を増やしたぶん『暁の日』よりは若干時間がかかったかな、といったぐらいのものだ。


「宿場町に居残る時間を長くすればしただけ、多くの料理を売れるのだろうとは思うのですが……料理の準備をする手間を考えると、今日ぐらいの量が適当なのではないかと思います」


 本日の当番であったレイナ=ルウは、そのように言っていた。営業後の、ささやかなミーティングである。その場に集まったのは、それぞれの屋台の責任者である俺とトゥール=ディンであった。


「そうだね。『ギバ骨ラーメン』もほどよい時間に売り切れたから、今日ぐらいがちょうどいいと思うよ。むやみにこちらの量を増やすと、汁物料理の売れ行きにも影響が出ちゃうだろうからね」


「はい。ですが、ぎばこつらーめんを280食まで増やしても、汁物料理が余ることにはなりませんでした。おそらく、らーめんと汁物料理を同時に買うお客は少ないのだろうと思うのですが……それを考えると、相当な数のお客が来てくれていることになりますね」


 レイナ=ルウは、とても満足そうに微笑んでいた。

 そして、ひかえめな微笑を浮かべているトゥール=ディンのほうを振り返る。


「トゥール=ディンのほうは、如何でしたか? そちらもかなり、菓子の量を増やしたのですよね?」


「はい。『暁の日』の夜は、早々に売り切れてしまいましたので……やっぱり今日ぐらいの量がちょうどいいのではないかと考えています」


「そうですか。まあ、残りは『滅落の日』の1日だけですし、そこまで頭を悩ませる必要はないかもしれませんね」


『滅落の日』の翌日には『再生の日』という祝日も控えているが、その日はジェノスでも骨休めの日と定められているので、『ギバの丸焼き』も夜の屋台も取り組む必要がないのだ。まあ、『滅落の日』は誰もが夜を徹して騒ぎ、日の出を待つ習わしであるのだから、そういう骨休めの日も必要となるのだろう。


「じゃあ、今日のところはこんなもんかな。レイナ=ルウもトゥール=ディンも、お疲れ様でした」


 営業後のミーティングも、これにて終了であった。

 あとは各自で復活祭を楽しみ、それぞれ森辺に戻るばかりである。ふたりは血族のもとに舞い戻り、俺はアイ=ファとともにきびすを返すことにした。黒猫は、営業を終えた時点で俺の肩に移っている。


「さて。それじゃあ、《ギャムレイの一座》の天幕に向かおうか」


 本日は、天幕で芸を楽しんでから、屋台を巡る予定になっていた。建築屋の人々は平日に天幕の芸を楽しんだという話であったので、本日は同行する予定もない。その代わりに、俺はラダジッドたちと行動をともにする約束を取りつけていた。


「お待たせしました。こちらも仕事は完了です」


 ラダジッドたちは、すでに屋台のそばで待機してくれていた。《銀の壺》の全員で動くのは難しいので、やってきたのは3名のみである。団長のラダジッドと、星読みを得意とする初老の団員と、あとは西の言葉が拙い若年の団員だ。


「お疲れ様です。行動、ともにでき、嬉しく思っています」


 ラダジッドが、無表情に一礼する。

 すると、ルド=ルウが「よー」と近づいてきた。


「アスタたちは、最初に天幕に向かうんだってなー。リミのやつがうるせーから、俺たちも後をついていくことにしたよ」


「ああ、そうなんだね。もちろん、こちらは大歓迎だよ」


 ルウ家の人々とは、ラダジッドたちもすでにぞんぶんに交流を深めている。ルド=ルウからの提案に難色を示す理由はなかった。

 ルウ家のほうは、本日もリミ=ルウにターラ、ジバ婆さん、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティムという、鉄壁の布陣である。天幕に向かうということで、ジバ婆さんは車椅子を降り、ルド=ルウに背負われていた。


「でも、ラダジッドたちがまだ《ギャムレイの一座》の天幕に出向いていなかったとは意外でした。平日は、夜も忙しくされているのですか?」


 天幕の入り口に形成された行列に並びつつ、俺がそのように問うてみると、ラダジッドはまた無表情に「はい」とうなずいた。


「夜間、宿屋にて、打ち合わせ、しています。日中の仕事、内容、共有するためです」


「なるほど。『暁の日』の夜は、どのように過ごされていたのです?」


「さまざまな相手、言葉、交わしていました。王国、情勢、把握するために、有意義です」


 そのように答えてから、ラダジッドはやわらかい眼差しになる。


「また、森辺の民、さまざまな氏族、言葉、交わせました。それもまた、有意義です」


「そうですか。どなたか、印象に残るお相手はいましたか?」


「誰もが、印象的、思います。ザザ、サウティ、スン、ラヴィッツなど、それぞれ、異なる特性、有している、思います」


「ラヴィッツの血族とも、言葉を交わしたのか?」と、アイ=ファが横から言葉をはさむと、ラダジッドは「はい」とそちらに向きなおった。


「ラヴィッツ、あちらから、声、かけてくれました。本家、家長です」


「本家の家長、デイ=ラヴィッツか。あやつはいにしえの習わしを重んじる気性であるので、シュミラル=リリンの同胞たるお前たちに興味を寄せることになったのであろうな」


「はい。いささか、頑固である、思いましたが、同じぐらい、誠実である、思いました」


 ラダジッドの口からデイ=ラヴィッツの人物評が語られるとは、なかなかに新鮮なものであった。

 そのように語らっている間にも、行列はぐんぐんと短くなっていく。四半刻もすれば、俺たちは天幕の内に足を踏み入れることができた。


 今日の受付は、ニーヤとザンのコンビである。ニーヤはいくぶんげんなりした面持ちで働いていたが、俺たちが先頭となってアイ=ファの姿が目に入ると、あわれみを誘いたいかのように弱々しく微笑んだ。


「おお、愛しき人。今日というめでたき日をお楽しみかな? こんな陰気な天幕の外では、さぞかし人々の喜びが渦巻いているのだろうね」


「うむ。お前たちは、人々に喜びを与える側の人間であるということだな。それは、得難きことであろう」


 やはりアイ=ファは、ニーヤの軽口に心を乱すこともなかった。ニーヤはそれが残念でならないかのように肩を落としている。

 すると、ルド=ルウに背負われたジバ婆さんが口を開いた。


「ようやく、顔をあわせることができたねぇ……あんたの美しい歌声は、いまでも耳に焼きついているよ……」


 本年、ニーヤは雲隠れしていることが多かったので、ジバ婆さんとは初顔あわせであったのであろう。ニーヤは興味なさげな面持ちで、ジバ婆さんを振り返った。


「えーと、ご老体はどこのどなただったかな? お若き頃にはさぞかし美しかったであろう風情だね」


「あたしはルウ家の、ジバ=ルウっていう老いぼれだよ……以前、あんたがたがルウの集落に招かれたとき、あんたの立派な歌声を聞かせてもらったのさ……」


 ジバ婆さんはやわらかく微笑みながら、そのように言葉を重ねた。


「あんたは城下町でしか、歌を聞かせていないんだってねえ……あんたの歌を楽しみにしていたから、そいつを残念に思っていたんだよ……」


「ふん。城下町と宿場町じゃ、見物料が比べ物にならないからね。こんな小汚い宿場町の連中に、俺の歌は吊り合わないってことさ」


 そんな軽口を言い捨てた瞬間、ニーヤは「うっ」とうめき声をもらした。

 どうやらかたわらのザンが、ニーヤの背中を小突いたようだった。


「いてえなあ。いきなり何をしやがるんだよ? お前の馬鹿力で俺のあばらがへし折れたら、どうしてくれるんだ?」


「…………」


「文句があるなら、俺をこんな場所に立たせなきゃいいだろ。無理やり引っ張って来られて、文句を言われる筋合いはねえや」


 仮面の小男ザンはしばらく不動でニーヤを見返していたが、おもむろに懐から小さな笛の筒を取り出した。


「だから、いちいちピノなんざ呼び出すんじゃねえよ。ああもう、わかったから、そいつをしまえって!」


 ニーヤはぶすっとした面持ちで、入場料の徴収に取りかかった。

 その姿を見やりながら、ジバ婆さんはさらに語りかける。


「あんたの歌を聞くには、城下町まで出向くしかないのかねえ……? 宿場町では、いっさい歌わないのかい……?」


「ああ。歌う理由がねえからな。芸の安売りはしねえって決めてるんだ」


 人数分の銅貨を徴収したニーヤは、それを背後の壺の中に流し込みつつ、肩をすくめた。


「森辺の美しい娘さんたちがしっぽり歓待してくれるなら、考えないでもないがね。どうせそんなのは、許しちゃくれねえんだろ? あんたら、自由開拓民みたいに気ままな暮らしをしてるくせに、やたらと堅っ苦しいんだよなあ」


「そうなんだろうねえ……気ままで堅苦しいというのは、的を得た言葉だと思うよ……」


 そうしてジバ婆さんが笑顔で答えたところで、時間調整が終了したらしく、ザンが入り口の垂れ幕を開いた。

 ルウの血族とラダジッドたちを含めた11名で、雑木林の通路へと踏み込む。その暗がりを歩きながら、アイ=ファが小声でジバ婆さんに語りかけた。


「ジバ婆は、それほどまでにあやつの歌を楽しみにしていたのか?」


「うん……あの若衆の歌声は、とても心地好かったからね……でも、歌うつもりがないっていうんなら、あきらめることにするよ……」


「しかし、女衆に歓待させればよい、と言っていたではないか。ルウの血族には多くの女衆がいるし、必要であれば、私も力を貸すことはできるぞ」


 アイ=ファがそのように言い出したので、俺は慌てて声をあげることになった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。ニーヤの言う歓待っていうのは、アイ=ファの思い描いている歓待とは、少し内容が異なっているんじゃないのかな」


「うむ? 歓待とは、酒と料理でもてなすことであろう? それ以外に、何が必要だというのだ?」


「それはだから……左右に若い女衆を侍らせて、酒や料理の面倒を見させたり……べたべた身体をさわらせたりとか……」


 アイ=ファは半分まぶたを閉ざし、ちょっと最近では例を見ないほどの冷ややかさで俺を見やってきた。


「いや、あくまで想像だけどさ! でも、そんなに間違ってはいないと思うぞ」


 すると、無言でこのやりとりを聞いていたラダジッドが、不思議そうに口をはさんできた。


「そうでしょうか? 私、別の事柄、想像していました」


「そうであろう。いくらあやつでも、そこまで見下げ果てた要求をすることは――」


「いえ。女人の歓待、すなわち、夜の伽、ではないでしょうか?」


 アイ=ファは愕然と、目を見開くことになった。


「よ、夜の伽とは……そ、そのような真似が、許されるわけはなかろう! それは、婚儀をあげた人間にだけ許される行いであるのだ!」


「いえ。町では、許されています。むろん、私、感心しませんが、代価として、身をひさぐ、珍しくありません」


 アイ=ファが絶句してしまうと、ジバ婆さんが楽しそうに笑い声をあげた。


「町には町の、旅芸人には旅芸人の習わしというものがあるんだろうからね………アイ=ファもあたしの我が儘なんて、気にしないでおくれよ……」


「あー、そんな話を親父に伝えたら、他の旅芸人の連中まで見放されちまうかもしれねーからなー」


 ルド=ルウがそのようにまとめたところで、天幕の突き当たりに到着した。

 適当に張られた網の向こうでくつろぐ、ヒューイとサラとドルイのゾーンである。それをひとしきり堪能したならば、お次は壺男ディロの間だ。


 表情こそ変わらないものの、ラダジッドたちはそれらの見世物に満足している様子である。本来であれば、前回見逃した「双子の間」におもむきたいところであったが、ラダジッドたちにギバや黒猿の芸を見ていただくべく、再び「剣王の間」を選ぶことになった。


 ロロとドガの戦いに、途中から黒猿とギバが参入する。それらの獣たちが登場した際は、さしものラダジッドたちも「おお」と声をあげていた。

 芸が終われば大きく手を打ち鳴らし、ドガの差し出した草籠にも惜しみなく銅貨を投げ入れる。決して表情を崩すことはなかったが、ラダジッドも2名の同胞も心から感服しきっているようだった。


「見事でした。黒猿、ギバ、存在だけで、驚嘆、値しますが、芸まで仕込む、脱帽です」


「はい。私、東の言葉、いいですか?」


 若年の団員がそのように言いたてると、ラダジッドはゆったり首を横に振った。


「見世物、終わっていません。あなた、感想、のちほど聞きます」


「はい。承知です」


 若年の団員は無表情のまま、そわそわと長身を揺すっていた。いまの心情を語るのに、西の言葉ではボキャブラリーが追いつかない、ということなのだろう。

 そうして最後はゼッタの案内で広場に導かれ、座長ギャムレイの炎の曲芸である。

 これもまた、ラダジッドたちの心を大きく揺さぶったようだった。


「シム、火花、散る草、存在します。ですが……ああまで、自在、操れる、思えません。炎の魔術、見た心地です」


 天幕の外に出ると、ラダジッドはいくぶん早口でそのように言いたてた。

 若年の団員は我慢が切れた様子で、もうひとりの団員に東の言葉で何かまくしたてている。本年2度目の来場である俺たちにしても、大満足のひとときであった。


「それじゃあ、屋台を巡りましょうか。でも、ラダジッドたちはもう満腹なのでしょう?」


「はい。ですが、多少、食べられます。また、アスタたち、ともにあるだけで、満足です」


 そんな嬉しいことを言ってくれるラダジッドであった。

 俺たちは街道を南に下り、ギバ料理のエリアへと向かう。ルウの血族の一行もジバ婆さんのための車椅子を持ち出して、当然のように後をついてきた。


 やはり『暁の日』よりも、往来は賑わっている様子である。

 その一例として、ギバ料理の屋台が出されたエリアの手前では、見知らぬ旅芸人たちが芸を見せていた。

 俺たちの営業前に通った際には、ぽっかりと無人であった場所だ。そこに5名ほどの旅芸人が寄り集まり、歌と楽器の演奏を披露していたのだった。


「あ、この人たち……昼間にも見かけたような気がするな」


 俺がそのようにつぶやくと、車椅子を押していたルド=ルウが「あー」と反応した。


「こいつら、『ギバの丸焼き』を食いに来てたな。妙ちくりんな格好をしてるから、俺も覚えてるよ」


《ギャムレイの一座》ほどではないが、彼らも飾り気の多いけばけばしい装束に身を包んでいたのだ。その中心で美しい歌声を披露しているのは女性であり、露出の多いシム風の装束を纏っていた。


「彼ら、昨日、昼下がり、到着したのでしょう。我々、リリン家、向かう前、見かけました」


 と、ラダジッドもそのように補足してくれた。


「なるほど。それじゃあ『暁の日』には、別の町で芸を見せていたということですね」


「はい。本来、あるべき姿、思います。『滅落の日』、なる前に、次の町、向かうのではないでしょうか」


「3回の祝日を、それぞれ別の町で過ごすわけですか。それが旅芸人の、本来あるべき姿なのですか?」


「はい。同じ町、長く居座れば、芸、飽きられます。復活祭、10日間、同じ場所、過ごすのは、大きな自信、持つ者だけでしょう」


 それが、《ギャムレイの一座》とリコたちの一行というわけだ。

《ギャムレイの一座》のみならず、リコたちの傀儡の劇もいまだに宿場町では大きな人気を博しているという評判であったのだった。


「この女衆も、綺麗な歌声をしているねえ……」


 ジバ婆さんがそのように感想を述べると、ルド=ルウは「そうかー?」と首をひねった。


「俺は、ユーミのほうがすげーと思うな。何がどうすげーのかは、よくわかんねーけどよ」


「ああ……力強いのは、ユーミのほうかもしれないねえ……森辺の民には、ユーミの歌声のほうが心地好く思えるような気がするよ……」


 歌の含蓄など持ち合わせていない俺も、ジバ婆さんたちと同意見であった。技巧的にはこちらの旅芸人のほうが上回っているのかもしれないが、ユーミの歌にはもっと生々しい熱気や人間臭さが込められているように感じられるのだ。


 しかしもちろん、彼らの歌や演奏も大したものであった。往来で見物している人々も、とても楽しげに手拍子をしている。これぞ復活祭という賑わいである。

 そんな人々を横目に、俺たちは先を進むことにした。

 本日も、ギバ料理の屋台はひとつところに集まって、第2のギバ料理エリアともいうべき空間を形成している。昼から何も食べていない俺やリミ=ルウは、その場に漂う芳しい香りに食欲中枢をおもいきり揺さぶられることになった。


「アスタ。我々、気に入った料理、あります」


 と、ラダジッドが俺たちをひとつの屋台まで案内してくれた。

 南を向いた状態で街道の左側に位置する、とある屋台である。そこからは、香草の香りが強く感じられた。


「こちらです。ご存知でしたか?」


「いえ。『暁の日』には、向かって右側の屋台だけでおなかが膨れてしまったのですよね」


 遠巻きに様子をうかがってみると、店番は見知らぬ年配の女性であった。屋台の前には5名ほどのお客が並んでいたので、なかなか繁盛しているようだ。


「では、最初はこちらの料理をいただいてみます。ラダジッドたちのおすすめなら、楽しみですね」


「はい。期待、裏切らない、思います」


 とりあえず、空腹の極致である俺とリミ=ルウ、興味を抱いたガズラン=ルティム、そして《銀の壺》からは若年の団員がその料理を購入することにした。他のメンバーには邪魔にならない場所で待機してもらい、アイ=ファだけが当然のようについてくる。


「これ、どこの宿屋の屋台なんだろうね? ぜーんぶ知らない字だあ」


 リミ=ルウの言葉に、俺も目を凝らしてみた。看板の下には宿屋の名前が小さく刻まれているのだが、確かにひとつとして読める文字は存在しなかった。


「西の文字、言葉、同様、難解です」


 若年の団員が、たどたどしい言葉でそう言った。


「ただ、1文字、読めます。真ん中、蛇です」


「蛇ですか。蛇のつく名前の宿屋は記憶にないですが――」


 そこで俺は、「いや」と思い留まった。


「ラムリアというのは、たしかシムの蛇の名前でしたよね。ラムリアの黒焼きという食材を、城下町で見かけた覚えがあります」


「はい。ラムリアの蛇、薬効、有名です。黒焼き、あるいは、酒です」


 ならばこれは、きっとジーゼが主人をつとめる《ラムリアのとぐろ亭》の屋台であるのだ。ギバ料理に熱心に取り組んでいた《ラムリアのとぐろ亭》であれば、屋台を出していて然りであろう。

 そんな結論を得たところで、俺たちの順番が巡ってきた。

 いかにも気のよさそうな年配の女性が、「いらっしゃい」と笑いかけてくる。


「こちらはギバの香味焼きですよ。おいくつでしょうかね?」


「それじゃあ、4つお願いします。……あの、こちらは《ラムリアのとぐろ亭》の屋台なのでしょうか?」


「ええ、そうですよ。あたしは、ただの雇われですけどね」


 それでもその女性は、手慣れた所作で料理をこしらえてくれた。

 鉄鍋で温められていた具材をポイタンの生地ではさみこみ、ひとつずつ俺たちに差し出してくる。お代は、赤銅貨2枚であった。


「辛そうな匂い! でも、美味しそうだねー!」


 商売の邪魔になっては申し訳ないので、俺たちは同胞と合流してからそれを味わうことにした。

 確かに香りは、強烈だ。辛みだけでなく酸味も感じられて、唾液の分泌が促進されてしまう。ジーゼは東の民を母に持つ身であるので、香草の扱いが巧みであるのだった。


「うわ、やっぱり辛ーい!」と、はしゃいだ声をあげてから、リミ=ルウは「あれれ?」と小首を傾げた。


「でも、食べやすいかも! ほらほら、ターラもかじってみなよー!」


「ありがとー! ほんとに辛そうな香りだね!」


 10歳以下の幼子は他者と料理を分け合うことが許されているので、ターラはお礼を言いながらその料理に口をつけた。

 それを横目に、俺も確認させていただいたのだが――確かに辛くて、それでいて食べやすい味わいであった。

 トウガラシ系の辛みが最初に炸裂するのだが、それは後から押し寄せる酸味と清涼感で緩和されるのだ。それらはすべて、香草の組み合わせの妙で形成されているようだった。


 なおかつ味付けには、きちんと香草以外の調味料も使われている。強く感じるのは、砂糖とミソである。ギバ肉の部位はおそらくモモあたりであろうが、きわめて細長く切り分けられており、そういった味付けがぞんぶんに絡みついていた。

 あとはアリアとマ・プラも使われており、そちらの甘みと食感も陰からこの料理を支えているようである。掛け値なしに、美味なる料理であった。


「さすがはジーゼだね。これは宿場町でも、かなり完成度が高いほうなんじゃないかな」


「うん、リミもそう思うー! ルドも、ひと口だけあげよっか?」


「そんなに美味いなら、俺も買ってくっかなー。商売の前に食わせてもらった分だけじゃ、全然足りてねーんだよ」


「えー! 色んな料理を食べたいから、買うなら別のにしなよー! ほらほら、ひと口あげるから!」


 仲良し兄妹の微笑ましいやりとりを見届けてから、俺はアイ=ファを振り返った。


「アイ=ファもどうだ? リミ=ルウやターラが大丈夫なんだから、きっと辛さも気にならないと思うぞ」


「うむ」とうなずくや、アイ=ファは俺の手から料理をかじり取った。

 最初は辛さに眉をひそめかけたが、それは速やかに定位置へと戻される。青い瞳に浮かぶのは、満足そうな光である。賑やかな往来の真ん中で、俺はひそかな幸福感を噛みしめることになった。


「それじゃあ、どんどん巡ろうか」


 俺たちは楽しく語らいながら、次なる屋台を目指すことにした。

 さきほども述べた通り、こちらの側の屋台はいずれも初見であったので、すべて未知なるギバ料理であったのだ。こうしてみると、寄り合いに参加している宿屋のほとんどがギバ料理を出しているのではないか、と思えるほどの規模である。


 中には、まだまだ手を加えられそうな料理も存在した。そういう屋台においては、店番の人間から強く助言を求められることになった。このエリアでは、お客もくじ引きのような感覚で、ギバ料理の出来栄えを楽しんでいるのだ。それで「外れ」と判じられた屋台の人々は、忸怩たる思いであったのだろう。もちろん俺は、思いつく限りの助言でもって、彼らの心を慰めることになった。


 そんな中、もっとも長い行列を作っていたのは、やはり寄り合いで交流を得た、とある宿屋の屋台であった。

 そこで売られていたのは、いわゆる『カレーまん』である。カレーの素の販売を広げるにあたって、俺はそのような使い方も存在しますよと指南したのだが、ついにそれを実践する屋台が登場したのだ。


「いやあ、こいつは『暁の日』からすごい売れ行きなんだよ! あんたに会ったら礼を言っといてくれって親父に言づかってたんだ!」


 長い行列を乗り越えて、俺たちの順番が巡ってくると、店番の男性は汗まみれの笑顔でそのように言ってくれた。

 料理を買い上げ、味を見てみると、申し分ない出来栄えである。生地のふっくら加減も過不足はないし、カレーの素で味付けをされた餡も、俺がこしらえる『カレーまん』と遜色はなかった。


「これは……美味です。他の同胞、伝えねばなりません」


 同じものを食したラダジッドも、そのように述べていた。『暁の日』にもこの屋台には行列ができていたので、《銀の壺》の面々は買わずに通りすぎてしまったのだそうだ。


「アスタ、この料理、手ほどきしたのですね? 何故、自分の屋台、売らないのですか?」


「はい。うちの『ギバまん』も安定した人気があったので、しばらくは味を変えずにいこう、と決めたのですよね。あと、こちらでは『ギバ・カレー』も販売しているので、内容がかぶってしまうかと考えた次第です」


「そうですか。シュミラル=リリンも、食べるべき、思います」


「では、『滅落の日』に食べていただくことにしましょう」


『カレーまん』を食べ終えた俺たちは、また街道へと繰り出した。

 ささやかなるアクシデントが生じたのは、そのときである。

 ずっと俺の肩に揺られていた黒猫が、いきなり「シャーッ!」と威嚇の声をあげたのだ。


 俺がびっくりして振り返ると、黒猫は身をよじって後方をにらみつけていた。

 そしてその視線の先には、厳しい表情をしたアイ=ファの姿があり――そしてアイ=ファは、見知らぬ男性の右腕をひねりあげていた。


「いてててて! いきなり何をしやがるんだよ、この女狩人め!」


 それは、いかにも無法者めいた身なりをした壮年の男であった。

 左右を行き交っていた人々も、いったい何事かと足を止めている。そんな中、アイ=ファの鋭い声が響いた。


「何をするは、こちらの台詞だ。お前は何故、私の家人に触れようとしたのだ? 腰に下げていた銅貨の袋に触れようとしていたな」


「お、俺を掏摸すりよばわりしようってのか? そんな証が、どこにあるってんだ!」


「お前はさきほどから、ずっと私たちの動向をうかがいつつ、後を尾けていたではないか。そのような気配に、気づかぬとでも思っていたのか?」


 すると、別の男性がこちらに歩み寄ってきた。屋台の常連客である、宿場町の領民だ。


「お前さん、いつだったかも衛兵にとっつかまってたじゃねえか。手癖の悪さが、まだ治らねえのかよ?」


「いや、俺は――」


「お前さん、余所者だろ? 森辺の民の銅貨をかすめ取ろうなんざ、馬鹿な真似をしたもんだなあ。そんなこと、できるわけがねえじゃねえか」


 その男性は苦笑しつつ、無法者の襟首をひっつかんだ。


「あんた、その手を離しておやりよ。こいつを傷つけちまったら、あんたが衛兵さんからお叱りを受けることになっちまうかもしれねえからな」


「しかし、こやつは罪人であろう?」


「そいつが銅貨の袋をかすめ取ってたら、罪人だな。でも、袋に触れる前だったら、罪の証がねえだろう? それじゃあジェノスの法も、こいつを裁くことはできねえんだよ」


「そうなのか」と、アイ=ファは無法者の腕を解放した。


「では、次からは持ち物を奪った瞬間に捕らえることとしよう」


「ああ、是非そうしてくれ。この馬鹿は、俺がなんとかしておくからさ」


「な、なんだ手前! 俺は罪人じゃねえんだから、衛兵なんざを呼んだって無駄だぞ!」


 無法者はいきりたったが、その襟首をつかんだ男性は余裕の表情であった。とりあえず、体格の面は男性のほうが上回っていたのだ。


「それじゃあ喧嘩でもおっぱじめて、ふたりで衛兵さんのお世話になるかい? 俺はそれでもかまわねえけどな」


「だったら、俺もまぜてくれよ」と、別の男性も進み出てきた。最初の男性よりさらに体格のいい、ちょっと若めの男性である。こちらも屋台ではお馴染みの顔であり、いでたちは掏摸の男と同じぐらい無法者めいている。

 さらに、その連れと思しき3名の男性たちも追従したので、無法者は顔色をなくすことになった。


「な、なんだよ。俺が何をしたってんだよ?」


「お前さんは、ジェノスの民に喧嘩を売ったんだよ」


「ああ。楽しい祭のさなかに、無粋な真似をしやがって」


 大柄の若者が、にやりと笑って無法者の顔を覗き込む。けっこう酒が入っているようで、その手には果実酒の土瓶が下げられていた。


「流れもんが悪さをしたら、袋叩きにされたって文句はねえだろ? 手前はそんな覚悟もなしに、ジェノスの民に喧嘩をふっかけやがったのか?」


「そ、そいつらはジェノスの民じゃなくって、森辺の民だろう? どうしてそんな、貴族に取り入っていい目を見てる連中なんざを庇いだてするんだよ!」


 無法者がヒステリックに反論すると、若者はきょとんと目を見開いた。

 襟首をつかんだ男性は、また苦笑する。


「お前さん、わかっちゃいねえなあ。モルガの森辺は、ジェノスの領土なんだよ」


「ああ。さてはこいつ、傀儡の劇も見ちゃいねえんだな」


 若者は無法者の身柄を男性から強奪すると、その太い腕を無法者の肩に回した。


「よし、わかった! とりあえず手前は、傀儡の劇を見ろ。見物料も、きちんと払うんだぞ」


「く、傀儡の劇が何だってんだよ? 意味がわかんねえって!」


「意味がわからねえから、劇を見るんだろ。それでもまだ森辺の民に悪さをしようってんなら、手前はジェノスに喧嘩を売ってるってことで、俺たちが相手をしてやるよ」


 酒気に染まった顔で笑いながら、若者は俺たちを振り返ってきた。


「あれ、まだいたのか? いいから、あんたたちは祭を楽しみな! こんな馬鹿、あんたたちがいちいち手を下すことはねえよ」


 あれよあれよという間に、彼らは南の方向に歩み去ってしまった。

 それでも俺たちが立ち尽くしていると、年老いた夫婦がこちらに近づいてくる。声をあげたのは、老婦人のほうだった。


「ああいう騒ぎは、町の若いもんにまかせておけばいいよ。きっと明日には、仲良く酒でもかっくらってるだろうからさ」


「うむ……しかし、名も知らぬ相手に面倒ごとを押しつけてしまったようで、心苦しく思う」


 アイ=ファがそのように答えると、老婦人はにこりと笑った。


「もっとおっかない連中が現れたら、きっとあんたがたの力が必要になるだろうさ。薪を割るには鉈が必要だし、肉を切るには肉切り刀が必要だろ? おたがいの足りない部分を助け合うのが、町の同胞ってもんなんだよ」


 そうして老夫婦も仲良く連れ立って、人混みの向こうに消えていった。

 足を止めていた人々も、とっくに歩を再開させている。祭の夜には、さきほどのような騒ぎも日常茶飯事であるのだろうか。


「……私は、どうするべきであろう? 族長ドンダ=ルウの子たるジザ=ルウに意見をもらいたい」


 アイ=ファに乞われて、ジザ=ルウが振り返った。そのかたわらでは、ガズラン=ルティムが穏やかに微笑んでいる。


「俺もいま、ガズラン=ルティムと語らっていたところだ。町の人間の厚意は得難きものであろうと思うが……このまま知らぬ顔ですべてをゆだねてしまうのは、あまりに不義理であろう。我々も同行して、顛末を見届けるべきではないだろうか?」


「そうか。では、私とアスタであの者たちの後を追おうと思う」


「いや、俺たちも同行する。同じ場に居合わせたのだから、無関係とはいえまい」


「そうか」とうなずいてから、アイ=ファはラダジッドたちに向きなおった。


「いらぬ騒ぎを起こし、申し訳なく思う。よければ、しばらく時間をもらいたい」


「いえ。我々、同行、願います。顛末、気になります」


 そのように答えてから、ラダジッドはわずかに目を細めた。


「そして、『森辺のかまど番アスタ』、披露されるなら、我々も、観賞したい、思います」


「……この刻限に、折よくその劇が披露されるとは限らんぞ」


 唇がとがるのをこらえているような面持ちで、アイ=ファは南の方角に足を踏み出した。

 それと並んで歩きながら、俺は「なあ」と声をかけてみせる。


「町の人たちがあんな親身になってくれるなんて、すごいことだよな。俺はけっこう、感動しちゃったよ」


「……だからといって、涙など流すのではないぞ」


「あはは。いまのところは大丈夫だ。あと、こいつのことなんだけど」


 と、俺は左肩の黒猫を指し示してみせた。


「もしかしたら、こいつもさっきの無法者に気づいて、威嚇したのかな?」


「……うむ。ほとんど私と同時に、あやつがお前の身に触れようとしたことに気づいたようだな」


「だったらけっこう、護衛役の素質があるんじゃないのかな。休息の期間が終わったら、アイ=ファたちも同行はできないわけだしさ」


 アイ=ファは眉をひそめつつ、黒猫のほうに目をやった。

 黒猫はすました顔で、「にゃう」と鳴く。


「……ともあれ、いまは顛末を見届けるのが先だ」


 そうして『中天の日』の夜は、最後の最後で思わぬアクシデントを迎えることになった。

 しかしそんなアクシデントさえもが、俺たちに新たな発見や喜びをもたらしてくれたように思えてならなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 猫にも仕事を与える一幕なんですね。
[一言]  ここで最後と言うのは、少し気になる終わり方ですね。  最後の余所者との騒動……  この先の顛末は、ある意味で言わずもがなな展開にはなるのでしょうけど、どんな風な結末かを見てみたいと思わせ…
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