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異世界料理道  作者: EDA
第四十八章 太陽神の復活祭、再び(下)
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紫の月の二十六日③~再びの夜~

2019.12/8 更新分 1/1

 その日も俺たちは、大過なく夜を迎えることができた。

 夜の屋台の料理については、レイナ=ルウたちとも協議をして、『暁の日』よりも多めの分量を準備している。『ギバ骨ラーメン』に関しては、夜間のみの特別料理ということもあって、200食から280食まで追加させていただくことになった。2時間あれば、これでも売り切ることは可能であろうという判断である。


「いきなり280食かよ! えーと……前回よりも、4割増しってことじゃねえか!」


 レビなどはそのように言っていたが、『キミュス骨のラーメン』は150食から220食まで追加していたのだから、こちら以上の増量であった。


「そっちとこっちを合わせたら、ちょうど500食か。いつ売り切れるか、楽しみなところだね」


「ちぇっ。余裕をかましてくれるなあ。ま、どうせ売り切るまでは宿に帰らない覚悟なんだから、泣き言を言う気はねえけどよ」


 そんなやり取りを経て、俺たちは商売を開始することになった。

 オープン直後のラッシュに関しては、言わずもがなである。『暁の日』を過ぎて、逗留客が増えることはあっても、減ることはほぼないのだ。すべての屋台に行列ができて、勢いのほどは『暁の日』以上であった。


 俺の担当は今日も『ギバ骨ラーメン』であり、相方はレイ=マトゥアを指名させていただいた。理由は、マルフィラ=ナハムのときと同様だ。ラーメンの作り方に慣れ親しんで、収穫祭の際に活用してもらう所存である。『滅落の日』には、ラッツの女衆にこの仕事を果たしてもらう算段であった。


「あァ、今日も繁盛してるねェ」


 と、そんな声が響きわたったのは、半刻ほどが経過して、最初のラッシュが一段落した折であった。

 とはいえ、ラーメンの屋台にはずらりとお客が並んでいる。その行列の横合いから、ピノが声をかけてくれたのだった。


「ああ、ピノ。今日は商売を始める前に、食事をすることになったのですか?」


「うン、アタシがこの汁物料理の自慢をしまくったら、ウスノロのボンクラどももちっとは性根を入れ替えたみたいでねェ」


 ピノは普段と変わらぬ様子で、にっと唇を吊り上げた。

 俺はこっそり安堵の息をつきつつ、「そうですか」と笑ってみせる。


「他のみなさんにも、是非お召し上がりいただきたいところです。でも、やっぱり鍋でひとまとめにして運ぶ形になるのでしょうか?」


「そりゃまァ、おいそれと人混みには出られない連中もいるからねェ。それだと何か、都合が悪いのかァい?」


「このラーメンという料理は、時間が経つと生地が水気を吸って、味が落ちてしまうのですよ。ですからまあ、天幕に運んですぐに召し上がってもらえれば、そんなに問題はないかと思いますが」


「それなら、大丈夫さァ。放っておいたって取り合いを始めるような連中だからねェ」


「あと、こちらの料理は6人前ずつ仕上げる形になります。いっぺんに運べるのは6人前までということですね」


「ふうん? そうしたら、隣の料理と一緒に買っていくことにするかねェ」


 ピノはいったん姿を消すと、それぞれ鉄鍋を抱えたドガとザンを連れて戻ってきた。《ギャムレイの一座》において、もっとも腕力のありそうなコンビである。


「いいかい? どっちかが遅れて戻ると、そいつは片方の料理を食いっぱぐれることになっちまうからねェ。なるべく同時に料理を受け取れるように、うまいこと頭を使うんだよォ」


「……しかし、行列の長さには違いがあります。どのようにすれば、同時に料理を受け取ることができるのでしょう?」


 ドガが、地鳴りのように重々しい声で反問した。彼はプライベートでも、言葉づかいが丁寧であるのだ。


「だからさァ、とりあえずそれぞれの列に並んで、どっちか片方に順番が回ってきちまったら、後ろのお客に順番を譲るんだよォ。順番を譲られて、怒るお人はいないだろうからさァ」


「では、わたしがそちらの屋台に並ぶべきでしょうね」


 と、大男のドガはレビたちの屋台に並び、小男のザンが俺たちの屋台に並んだ。行列は、俺たちのほうがやや長くのびているのだ。言葉を喋ることのないザンでは後ろに順番を譲ることもままならないので、そのような配置となったのだろう。


 ドガは規格外の巨体であり、ザンは不気味な仮面をかぶった小男であるが、もう何日も前から余興を見せている身であるので、いまさら驚く人間はいない。ドガの前に並んでいた南の民の一団などは、陽気に笑いながら声をかけている様子であった。

 そんなドガたちの様子を見届けてから、ピノがあらためて俺に向きなおってくる。


「これでよし、と。……ドガたちに順番が回ってくるのは、どれぐらいのモンだろうねェ?」


「そうですね。並んでいる方々も1人前の注文のみとは限らないので、確かなことは言えないのですが……それでも、四半刻はかからないかと思います」


「だったら、他の料理もそれに合わせて買いつけないとねェ。何にせよ、出来立てにまさる味はないだろうからさァ」


 やはりピノは、いつも通りのピノであった。

 日中に、余計な気を回してしまった俺のことを、煙たがっている様子はない。そのように考えると、俺は心からの安堵を得ることができた。


(どうも俺は、自分で思っていた以上に、ピノに心をひかれてるみたいだな)


 もちろん、おかしな意味ではない。ただピノは、これほど奇矯な見てくれをしていながら、ジザ=ルウでさえもが信義ある人間と認めるような相手であったのだ。そんな相手に嫌われるとしたら、自分のほうに落ち度があるのだろうと、そんな風に思えてしまうのである。


「あ、ピノ、こっちにいたんですね」


 と、そこに剣王のロロが近づいてきた。後ろには、ちょっとひさびさに見る吟遊詩人のニーヤを引き連れている。

 ロロは俺のほうににへらっと笑いかけてから、ピノのほうに向きなおった。


「ピノの言っていた通り、ニーヤは広場にいたので連れてきました。この後は、どうすればいいのでしょう?」


「どうもこうも、働かせるんだよォ。夜はこっちを手伝うっていう取り決めだったろォ、ぼんくら吟遊詩人?」


 ピノはほっそりとした腰に手をやって、ニーヤの顔を見上げた。

 ニーヤはふてくされた子供のような表情で、下唇を出している。


「昨日も一昨日も、きっちり手伝ったじゃねえか。祝日の夜に祭を楽しんで、何が悪いってんだよ?」


「アンタは祭を楽しんでるんじゃなくて、カミュアの旦那から逃げまどってるだけだろォ? いまさらあのお人がおっかない真似をするはずがないのに、いつまでビクついてるつもりなのさァ?」


「……俺はただ、これ見よがしに剣をぶら下げてる人間が気に食わねえだけだよ」


 ニーヤはそのように答えたが、いかにも言い訳めいていた。そもそもカミュア=ヨシュはいつもきっちり長マントの前を合わせていたので、腰の長剣もそれほど目立たないのである。


「とろけたポイタンみたいに、ぐずぐず言ってるんじゃないよォ。とにかく今日は、幕を閉めるまできっちり働いてもらうからねェ。それが嫌なら、自分で座長に申し開きをしなァ」


 そんな会話をしている間に、こちらの屋台もじわじわと行列が短くなってきた。ザンの前に並んでいるお客は、残り5名だ。隣の屋台では、東のお客の一団がドガに順番を譲られている。


「こっちもそろそろ動くべきかねェ。ロロ、アルンとアミンとナチャラを呼んできなァ。ディロのやつは、シャントゥ爺の手伝いをしてるはずだからさァ」


「は、はい。わかりました」


 ロロは、ひょこひょことした足取りで天幕に戻っていった。

 それを横目に、ピノはニーヤの尻を引っぱたく。


「さ、アタシらも働くよォ。どれでもいいから、5人前の料理を買いつけなァ」


 ニーヤに返事をするいとまも与えず、ピノは『ケル焼き』の屋台に並んだ。

 ニーヤは深々と溜め息をついてから、ひょいっと屋台の内側を覗いてくる。


「あいつの人づかいの荒さといったら、奴隷商人さながらだよ。こんなめでたい祝日の夜に、愛しき君と言葉を交わす時間さえ作れない有り様だ」


 ずいぶんひさびさに聞く、アイ=ファに対する軽口である。

 普段であればたちまちシャットダウンするアイ=ファであったが、本日は検分するような眼差しをニーヤに返しつつ、「ふむ」と下顎を撫でた。


「お前の軽口も、ずいぶん力を失っているようだ。お前はそれほどに、カミュア=ヨシュを恐れているのだな」


「だから、恐れちゃいないって。でも、まともな目を持つ人間だったら、あいつの恐ろしさは一目瞭然だろう?」


「カミュア=ヨシュを恐れたことは、1度としてない。あやつは驚くべき力量を持っているが、むやみに剣を抜くような人間ではないからな」


「それはあいつの、へらへらした態度に騙されてるんだよ! あいつはきっと、笑顔で人を殺せる人間だぜ?」


「お前こそ、カミュア=ヨシュの気性を見誤っているのではないか? あるいは、カミュア=ヨシュに斬り捨てられてもおかしくないほどの、不実な人間なのであろうか?」


「それはひどい! 俺みたいに誠実で清らかな心を持つ人間が、この世にどれほどいるっていうんだよ?」


「ふむ。去年のお前であれば、そういった言葉も腹立たしくてならなかったのだがな」


 アイ=ファは何やら余裕すら感じられる面持ちで、そのように言った。


「カミュア=ヨシュのおかげで、この年はお前とも心安らかに言葉を交わせるようだ。これで友誼が深まれば幸いと思う」


「友誼なんか、腹の足しにもならねえよ。交わすんだったら、男女の情でお願いしたいところだね」


 と、最後は気力をかき集めて精一杯の軽口を叩いたニーヤであったが、それでもアイ=ファの顔色は変わらなかった。傍で聞いている俺にしてみても、ニーヤの軽口には切れ味が欠けているように思えた。


(ニーヤには申し訳ないけど、アイ=ファが心を乱さずに済むのは幸いだな)


 そんな風に考えていると、ついにザンの順番が回ってきた。指の数で6人前の注文を示してきたので、俺は「承知しました」と笑いかけてみせる。


「ニーヤ。あなたの帰りが我々よりも遅れれば、またピノに叱責されてしまうのではないでしょうか?」


 隣の屋台からドガに呼びかけられて、ニーヤはまた溜め息をついた。


「俺は麗しき女人と語らういとまさえ与えられないのか。……愛しき君よ、名残惜しいがこの場はここまでだ」


「うむ。お前も尻を蹴られぬように、自分の仕事を果たすがいい」


 ニーヤはとぼとぼとした足取りで、別の屋台へと立ち去っていった。

 その間にも、レイ=マトゥアの手によって6人前の麺が茹であげられている。砂時計に残されている砂の量を確認してから、俺はザンへと向きなおった。


「もう間もなくですね。出汁とタレをお入れしますので、その鍋はもう少しこちらに近づけていただけますか? 出汁の煮汁は熱いので、火傷をしないようにお気をつけくださいね」


 ザンは無言で、鉄鍋を差し出してくる。普段はルウ家の屋台でもこうして汁物料理をまとめ買いしているので、手慣れたものである。

 その鍋に、6人前の出汁とタレを投じ入れ、軽く攪拌してから、麺の茹であがりを待つ。茹であがった麺が投じられたら、最後に具材のトッピングだ。なるべく見栄えが悪くならないように、俺は6人前のチャーシューとティノとオンダとナナールをそれぞれ盛りつけてみせた。


「へえ! ひとつの鍋にまとめると、それはそれで美味そうだな!」


 と、小柄なザンの頭ごしに覗き込んでいた後ろのお客が、陽気な声で囃し立てる。

 鉄鍋を抱えたザンがきびすを返そうとしたので、俺は最後に声をかけさせていただいた。


「みなさんのお気に召したら、嬉しく思います。そちらのお仕事も頑張ってくださいね」


 ザンはうっそりとうなずいてから、立ち去っていった。

 隣の屋台でも『キミュス骨のミソラーメン』が完成したらしく、鉄鍋を抱えたドガが身をひるがえした。ニーヤを除く他の座員たちは、とっくに天幕に戻っているのだ。大事な仕事の前に、俺たちの料理で喜びと活力を届けることができれば、それにまさる喜びはなかった。


 そうしてさらに四半刻も過ぎれば、日没である。

 予定している営業時間も、これで折り返し地点だ。もちろん俺たちも、料理を売り切るまでこの場に居残る覚悟であったが、幸いなことに、売れ行きのほうは順調であった。


「よし、それじゃあ持ち場を交代しよう。盛り付けのほうは、もう大丈夫だよね?」


「はい! しっかりと覚えました!」


 額の汗を手拭いでぬぐいつつ、レイ=マトゥアはにこりと微笑む。


「それにしても、すごい売れ行きですね! もう半分以上は売れてしまったようです!」


「うん、ありがたい話だね。これなら280食も準備したことを後悔せずに済みそうだ」


『キミュス骨のミソラーメン』も、行列の長さに多少の差はあるものの、同じペースで売れているようである。ひっきりなしに料理が売れていれば、行列の長さなどに意味はないのだ。


 日没になると、《西風亭》の屋台もオープンされる。昼の反省を活かしてか、ジョウ=ランは最初からユーミたちとともに登場した。なおかつ本日は、フォウとランの若い男女が1名ずつ同行している。この時間までは、ジョウ=ランとともに宿場町を巡っていたのだろう。彼らはユーミのお好み焼きをたいらげてから、俺たちの屋台にも並んでくれた。


 それがきっかけというわけではないのだろうが、その後は森辺の民がお客としてぽつぽつと現れた。宿場町に下りている人間の割合からすれば、それも大した数ではないのだろうが、『暁の日』よりは格段に多いように感じられる。


 そんな中、やってきたのはラヴィッツの血族であった。

 この夜はリリ=ラヴィッツも出勤であったので、デイ=ラヴィッツは伴侶の働く『ギバ・カレー』の屋台に並ぶ。ラヴィッツの家人はそれにならい、『ギバ骨ラーメン』の屋台に並んでくれたのは、ナハムの人々であった。


「いらっしゃいませ。4名分ですか?」


 レイ=マトゥアが笑顔で呼びかけると、ナハムの家長が「うむ」とうなずく。その場にいたのは、みんなナハム本家の家人であったのだ。

 家長は家長会議で顔を見かけていたし、その伴侶はかつてラヴィッツの集落で料理の手ほどきをしたことがある。長兄のモラ=ナハムとは何度となく顔をあわせているし、末妹は『暁の日』に縁を結ぶことができた。たしか次姉はすでに魂を返しているという話であったので、長姉や幼子たちを除く本家の家人とは、これで顔馴染みになれたようだった。


「では、残り2名分まで注文をお受けいたします。後ろの方々は、如何ですか?」


 レイ=マトゥアが呼びかけると、すぐ後ろのお客が「2名分だ!」と宣言した。それを聞き届けてから、俺は6名分の麺を鍋に投じる。


「ご来店、ありがとうございます。ナハムの方々に屋台の料理を食べていただくことができて、とても嬉しく思っています」


 礼儀として、俺は家長にそう伝えてみせた。

 この御仁と言葉を交わすのは、たしか初めてのはずである。モラ=ナハムほどではないが体格に秀でており、いかにも気難しそうな顔つきをした壮年の男性だ。ただ、伴侶である女衆よりは、いくぶん若いように感じられた。


「……いつもマルフィラから、話は聞かされている。分家の女衆も、ファの家のアスタの料理には魂を飛ばされたと言っていた」


 重々しい声で、ナハムの家長はそう言った。

 すると、そのかたわらでうずうずと身を揺すっていた末妹が、こらえかねた様子で発言する。


「家長は家長会議でアスタの料理を口にしてるし、モラ兄はフォウの祝宴に出てたもんね! それで母さんは、ずっと前だけどアスタに手ほどきされてるから、アスタの料理を食べたことがないのは、あたしと上の姉とその伴侶だけなんです!」


「ああ、言われてみれば、そうなんだね。上のお姉さんは、幼子の面倒を見ているのかな?」


「はい! 分家の女衆が面倒を見ようかと言ってくれたんですけど、心配だからといって今日も来ることができませんでした。伴侶は、その付き添いです」


 つまり、長姉はどこかの家に嫁いだのではなく、伴侶の男衆が本家に婿入りした、ということなのだろうか。男児の少ない家においては、わりと聞く話である。


「そっか。それは残念だったね。でもきっと、この料理もマルフィラ=ナハムが作れるようになると思うよ」


「でもこれは、ギバの骨ガラを煮込んだ料理なのでしょう? ものすごく手間と時間がかかるんだって、マルフィラ姉が言ってました!」


「うん。でも、マルフィラ=ナハムだったらすぐに習得できるはずさ。彼女は文字の読み書きも得意だから、食材の分量とか作業手順とかを書き留めることができるからね」


 すると、父親たる家長が俺たちの会話をさえぎるように身を乗り出してきた。


「おい。お前たちは、いつからそのように気安く言葉を交わす間柄となったのだ? お前は1度として、ファの家にはおもむいていないはずだぞ」


「うん。『暁の日』に、アスタと言葉を交わしたって言ったよね? あと、今日の昼間にもさ」


「……それだけで、ここまで気安い関係を築いたというのか?」


「そうだけど、何かおかしいかな?」


 末妹は、不思議そうに小首を傾げた。

 すると、無言で成り行きを見守っていたアイ=ファが口を開く。


「そちらの娘とアスタが言葉を交わす姿は、すべて私が見届けている。確かにごく短い言葉しか交わしていないはずであるが、どちらも他者と打ち解けることを得意にしているようなので、早々に絆が深まることになったのであろう」


 ナハムの家長は、無言でアイ=ファに向きなおった。

 毛づくろいをしている黒猫を肩に乗せたまま、アイ=ファは厳粛な面持ちで言葉を重ねる。


「アスタは以前にも、マルフィラ=ナハムによからぬ想念を抱いているのではないかと疑いをかけられることになった。しかし、アスタにそのような邪な気持ちがないことは、家長である私が保証しよう」


「……べつだん、そのようなことを疑っていたわけではない」


 家長はむっつりとした顔で言い捨てた。

 そのかたわらで、末妹は陽気に笑っている。


「そんな話もあったねー。でも、あれはモラ兄が勝手に思い込んじゃっただけでしょ? 家長や母さんは、そんなことはないだろうって言ってたもんね!」


 モラ=ナハムはモアイのごとき無表情のまま、ただ目礼をした。あのときは申し訳なかったという、彼なりの謝意の表明であろう。


「あたしにもマルフィラ姉にも邪な気持ちなんてないから、安心してください! ……別に、思慕の情を抱くことが邪だとは思わないですけどね!」


「うむ。邪と言ったのは、言葉のあやだ。ただ、アスタは自分の仕事に思慕の情を持ち込むことなどはないと、そのように伝えたかっただけのことだ」


 そう言って、アイ=ファは末妹に視線を定めた。


「しかし、私はこのように愛想のない人間であるし、ナハムには厳格な気性をした人間が多いように見受けられる。私にとって、厳格というのは好ましく思える気性であるが……それでも、お前のように明朗な人間がナハムにいることを喜ばしく思う」


「喜ばしいんですか? どうしてです?」


「ラヴィッツの血族とファの家は、絆を結びなおすべき間柄であるためだ。そこには厳格さも明朗さも、ともに必要であろうと思う」


 末妹は、とても楽しげに「あはは」と笑った。


「アイ=ファも、とても厳格な御方なんですね! わかりました。厳格さはみんなに任せて、あたしはあたしなりに絆を結びなおすお役に立ちたく思います!」


 末妹がそのように宣言したところで、砂時計の砂が落ちきった。

 レイ=マトゥアの準備したスープの木皿に、湯切りをした麺を投じていく。それにトッピングをすれば、『ギバ骨ラーメン』の完成だ。


「お待たせしました。あちらに座る場所がありますので、ごゆっくりどうぞ」


 ナハムの人々は、木皿を手に立ち去っていった。

 が、5分もせぬうちに、末妹だけが舞い戻ってくる。色の淡いその瞳は、これまで以上に明るくきらめいていた。


「とても美味でした! 他のみんなも、言葉を失っていましたよ!」


「そっか。それなら、よかったよ。マルフィラ=ナハムが作り方を習得する日が楽しみだね」


「はい! 収穫祭では、絶対に作ってもらおうと思います!」


 すると、遅れてモラ=ナハムもやってきた。どの家でも、夜間は女衆をひとりで歩かせないように心がけているのだろう。


「ね、モラ兄もびっくりしたでしょ? さっきの料理、すごく美味しかったよね!」


「うむ。……しかし俺は、フォウの祝宴で同じような料理を口にしたことがある」


「えー! そうだったの!? もう、モラ兄やマルフィラ姉ばっかり、ずるいなー!」


 そんな風に言いながら、末妹は無邪気な笑顔のままであった。

 そして、同じ笑顔を俺にほうにも向けてくる。


「それじゃあ、次の料理を買わせてもらいますね! みんな美味しそうだから、どれを食べるか迷っちゃいます!」


 末妹はぴゅーっと駆けていき、モラ=ナハムはのしのしと追いかける。なんだか兎と牛の追いかけっこめいた風情であった。


「あの娘は、本当に元気ですね! 見ているだけで、こちらも笑顔になってしまいます!」


「うん。レイ=マトゥアも、それに負けてないけどね」


「えー? わたしはあの娘より年長なので、もうちょっと落ち着かないといけませんね」


 レイ=マトゥアは、気恥ずかしそうに微笑んだ。

 そこに、さらなる森辺の一団が近づいてくる。ミダ=ルウの巨体を囲むようにした、馴染み深い面々だ。


「おお、これはぎばこつらーめんの香りだな! 今日は俺たちも買わせていただくぞ!」


 酒気で顔を赤くしたラウ=レイがさらに接近しようとしたところ、ヤミル=レイが後ろから襟首をひっつかむ。


「家長、それは横入りよ。これだけ長くのびている行列が目に入らないのかしら?」


「おお、そうかそうか! ぎばこつらーめんは、さすがの人気だな!」


 そうして一行は行列に並び、さらなる言葉を交わすことができたのはその数分後であった。


「いらっしゃいませ。5名分ですか?」


 まずはレイ=マトゥアが、笑顔で人数を確認する。ガズラン=ルティムとダン=ルティムは離脱したらしく、そこに居並んだのはレイ家の2名とミダ=ルウ、そしてツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティムの5名であったのだ。


「人数は5名だけど、アンタは1人前で足りるのかい?」


 ツヴァイ=ルティムにじろりとねめつけられて、ミダ=ルウは「うん……」と頬を震わせる。


「アスタの作る料理だったら、ミダはおなかいっぱい食べたいんだよ……?」


「アンタの腹が満たされるのを待ってたら、夜が明けちまうヨ! コイツはいっぺんに6人前しか作れないんだから、アンタは2人前にしておきな!」


「うん……わかったんだよ……?」


 俺は温かい気持ちで胸を満たされながら、6人前の麺を鉄鍋に投じた。


「みんなはあれから、ずっと一緒に宿場町を巡っていたんだね」


「うむ! 日が暮れる少し前に、ガズラン=ルティムたちとは分かれたがな! それまでもその後も、色々な人間と酒を酌み交わすことができたぞ!」


「酒を口にしているのは、あなただけじゃない。夜の町は物騒だっていうのに、頼りないことだわ」


 ヤミル=レイが口をはさむと、ラウ=レイは「馬鹿を抜かすな!」と大いに笑った。


「これしきの酒で、俺の力が落ちると思うのか? 疑うのだったら、ここでミダ=ルウと力比べをしてやろう!」


「うん……こんなに人が多いと、周りの迷惑になっちゃうと思うんだよ……?」


 そんなやりとりを聞きながら、ツヴァイ=ルティムは深々と溜め息をつき、オウラ=ルティムは幸福そうに微笑んでいる。

 砂時計の残りを確認しつつ、俺はオウラ=ルティムに声をかけてみた。


「オウラ=ルティムとは、ちょっとひさびさですよね。お元気そうで何よりです」


「はい。今日は分家の方々が、アマ・ミンの手伝いをしてくれています」


「ゼディアス=ルティムとも、同じぐらい会っていないのですよね。もうずいぶんと大きくなったのではないですか?」


「ええ……ゼディアスはとても立派な身体つきをしているので、ミダ=ルウが生まれたときのことを思い出してしまいます」


 オウラ=ルティムが笑顔を向けると、ミダ=ルウはまた頬肉を震わせた。

 そして、そのつぶらな瞳に透明のしずくが浮かびあがっていく。それに気づいたツヴァイ=ルティムが、ミダ=ルウの足を蹴っ飛ばした。


「どうして今日のアンタは、いちいち涙をこぼすのサ! そんなんで、よく森辺の狩人がつとまるネ!」


「うん……」と、ミダ=ルウはころころとした指先で目もとをぬぐう。

 すると、背後にたたずんでいたアイ=ファが俺のほうにすっと顔を寄せてきた。


「……うむ。お前まで涙を誘発されてはいないようだな」


「うん。けっこう危ないところだったけどな」


 アイ=ファに笑顔を返してから、俺は鉄鍋の麺を引き上げた。

 完成した『ギバ骨ラーメン』を手に、ミダ=ルウたちは青空食堂へと向かう。俺はなんだか、ミダ=ルウの抱いている幸福感をおすそわけされたような心地であった。


 ともあれ、屋台の商売は順調である。

 隣の屋台ではレビたちが販売の終了を宣言し、こちらもラストスパートは間近であった。

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