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異世界料理道  作者: EDA
第四十八章 太陽神の復活祭、再び(下)
832/1681

紫の月の二十六日②~交わり~

2019.12/7 更新分 1/1

 中天になり、『ギバの丸焼き』および『キミュスの丸焼き』の配布が開始された。

『暁の日』と同様の、凄まじい勢いで人々が押し寄せてくる。しばらくの間、俺は「慌てずに」とひっきりなしに指示を出すことになった。


「何も急ぐ必要はありませんからね。丁寧に、ゆっくり作業を進めていってください」


 森辺の民とひと口に言っても、やはり色々な性格の人間が存在する。今日のメンバーでいうと、意外にフェイ=ベイムなどはお客の勢いにペースを乱されがちなところがあるので、そのあたりは入念にサポートする必要があった。


 左右の屋台で働くマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアなどは、けっこうしっかりしたものである。もともと作業の手が早い上に、周囲の状況に惑わされない、ある種のふてぶてしさがあるのだ。マルフィラ=ナハムは謙虚であり、レイ=マトゥアは無邪気であったが、根っこの部分はどちらも頑健であるのだった。


「おお、こいつはすごい騒ぎだな!」


 と、聞きなれた声が屋台の向こうから跳び込んでくる。そこで待ち受けていたのは、メイトンの笑顔であった。


「お疲れ様です。今日はゆとりのあるご到着でしたね」


「ああ。ルウ家から戻った後、宿屋で飲みなおしちまったんだけどな。それでも何とか、寝坊せずに済んだよ」


 メイトンの左右では、そのご家族も笑っていた。まだ詳細は聞いていなかったが、もちろんルウ家では満ち足りた一夜を過ごすことができたのだろう。


「今日もギバ肉をありがとうよ! 仕事が終わったら、またゆっくりな!」


 なかなか立ち話に興じる隙はないので、メイトンたちはギバ肉を手に退いていった。

 その後も、ひっきりなしに人々は押し寄せてくる。ドーラ家のご家族や、《銀の壺》の面々、リコたちの一行、カミュア=ヨシュとザッシュマ、デルスとワッズ、布屋や鍋屋のご家族など、親しくさせてもらっている人々ものきなみ間に合ったようだ。


 その勢いがいくぶんやわらいできたのは、およそ半刻ていどが過ぎてからだった。

 前回は、この時間にはもうギバ肉が尽きていたのだ。しかし、どの屋台を見回してみても、まだまだギバ肉にはゆとりがありそうだった。半分がた、とまでは言えないものの、それに近いぐらいの分量は残されている様子である。


(ふむ。こっちも不慣れな人間が多くてローペースになってたのが、結果的にはちょうどよかったみたいだな)


 もしも働いている人間の全員が、俺やレイナ=ルウなどと同レベルに手慣れていたならば、切り分けの作業も完了していた頃合いであったのだ。ギバの頭の解体に取りかかっていたフェイ=ベイムは、ほっと安堵の息をついていた。


「やはり慣れない作業であるので、ずいぶん手際が悪くなってしまいました。取り返しのつかない失敗まではしていないと思うのですが……」


「もちろんです。この後も、ゆっくり丁寧に作業を進めてくださいね」


 勢いが落ちたと言っても、屋台の前が無人になることはない。ちょうど行列ができないで済むていどのペースで人がやってきて、切りたてのギバ肉をさらっていくのだ。これならば、もう半刻ていどで綺麗に肉はなくなるのではないかと思われた。


 そこに、森辺の民の一団がやってくる。しばらくは離れた場所で静観をしていた、ラッツやベイムの人々である。


「ようやく騒ぎが静まったようだな。俺たちも、血族の心尽くしを味見させていただくぞ」


「ええ、どうぞどうぞ。ご遠慮なくお食べください」


 ラッツの家長は大きめに切り分けられたモモの肉をつまみあげ、それを口に放り込んだ。


「うむ、美味いな! ただ焼いただけの肉というのも、悪くはないものだ!」


「タウ油やミソといったものを使った料理というのは得難いものですが、時にはこうしてギバの味を噛みしめるのも必要であるかもしれませんね」


 そのように答えたのは、彼の家人であるラッツの女衆であった。


「あまり日を置かなければ、わたしたちだけでもこの仕事は果たせると思います。『ギバの丸焼き』を収穫祭で出すべきかどうか、ご一考をお願いいたしますね」


「うむ! まあ、答えはすでに出ているようなものだがな!」


 ラッツの家長は陽気に笑いながら、ベイムの家長の肩を叩いた。

 ベイムの家長はむっつりとした面持ちで、指についた脂をなめ取っている。


「さて、あとは果実酒とキミュスの肉で腹を満たすことにするか! この後も、手抜かりのないようにな!」


「はい。また何か騒ぎがあるやもしれませんので、どうぞお気をつけて」


「無法者など現れたら、片手でひねり潰してくれるわ!」


 そんな言葉を残して、ラッツの家長たちはふたつ隣のユーミたちの屋台へと向かっていった。

 綺麗に肉の削がれたギバの大腿骨をクズ入れに放りながら、ラッツの女衆はフェイ=ベイムに微笑みかける。


「うちの家長のほうがずいぶん若年であるのに、乱暴で申し訳ありません。決して悪気があってのことではないので、どうかお許しくださいね」


「いえ。こちらの家長はわたしと同じように愛想がないので、ああして少し強引に扱われたほうが、絆を深められるかと思います」


「そうですか。では、わたしも家長を見習って、フェイ=ベイムと絆を深められるように励みたいと思います」


 ラッツの女衆は気さくに笑い、フェイ=ベイムは困惑気味に眉を下げる。これはこれで、よいコンビなのかもしれなかった。いずれやってくる合同収穫祭において、さらなる絆が深まれば幸いである。


「あ、ラヴィッツの血族ですよ」


 と、今度は俺のほうに囁きかけてくる。見ると、やはり往来にたたずんでいたデイ=ラヴィッツたちがこちらに向かってくるところであった。

 が、俺たちの屋台にまでは到達せず、その手前の屋台で足を止める。そちらでは、マルフィラ=ナハムとラヴィッツの女衆が働いていたのだ。


 何か語らっているようだが、声を低めているために内容までは伝わってこない。俺がそちらに移動することは可能であったが、それも野暮な気がしたのでやめておいた。

 すると、その一団から小柄な人影が離脱して、こちらの屋台に近づいてくる。誰かと思えば、ナハムの末妹である。


「お疲れ様です、アスタ。あたしはこちらのギバ肉をいただいてもよろしいですか?」


「うん、もちろん。前回は、『ギバの丸焼き』も口にしていなかったのかな?」


「はい。町の人間が引いた頃には、ギバ肉も尽きてしまっていたので」


 にこにこと無邪気に笑いながら、末妹はギバ肉をつまみあげた。部位は、おそらくタンである。


「美味しいですね! 普段食べているギバの舌よりも、ずいぶんやわらかい気がします!」


「そうだね。ギバは子供のほうがやわらかいだろうし、時間をかけた炙り焼きだと食感も変わってくるはずだよ」


「そうですか。子供のギバというのはなかなか食べる機会もないので、知りませんでした」


 そんな風に言ってから、末妹はさらに屋台の内側へと顔を寄せてきた。


「ところで、夜の屋台についてなんですけど……ラヴィッツの家長や父さんからは、アスタたちの料理を買うことが許されました」


「あ、そうなんだ。それは、こっちも嬉しいよ」


「ありがとうございます。でもきっと、あたしはアスタの倍ぐらい嬉しいと思います」


 と、末妹はさらににこーっと微笑んだ。

 やはり、兄や姉とはまったく似たところのない笑顔である。


「アスタの料理、楽しみにしていますね! それじゃあ、この後も頑張ってください」


 デイ=ラヴィッツたちも屋台から離れるところであったので、末妹はそちらに駆け寄っていった。

 その野兎のごとき元気な足取りに、ラッツの女衆が微笑を誘発されている。


「マルフィラ=ナハムとは、また異なる魅力を持つ女衆であるようですね。どこか、レイ=マトゥアに似ているように思います」


「あ、俺もそんな風に思っていましたよ」


 街道は喧噪に包まれており、こちらも手を止めるほどのゆとりはなかったが、それでもなんとなく和やかな心地であった。

 そんなタイミングで現れたのは、本日2度目の登場となるカミュア=ヨシュである。


「やあやあ、今日はまだギバ肉もなくなっていないのだね。屋台の数を倍にした甲斐があったじゃないか」


「はい。ふた口目を味わっても、非難されることはないと思いますよ」


「そうなのかな。それじゃあ、遠慮なく」


 カミュア=ヨシュは小さめの肉を選んで、口に入れた。得意の百面相を披露するには至らなかったが、ごく尋常なる満足そうな面持ちであった。


「それで、と。さっき、広場のほうで衛兵から布告が出されてね。ジェノス侯を矢で射かけたのは、以前に討伐された盗賊団の残党であったようだよ」


「あ、もう身もとが判明したのですか」


「うん。もともとこの近在では手配されていた無法者だからね。仲間をのきなみ討ち取られた恨みを晴らすと同時に、ジェノス侯に一矢を報いて名をあげようと考えたらしい。それで新しい盗賊団でも結成しようと目論んだのかねえ」


 のほほんとした面持ちで、カミュア=ヨシュはそう言った。

 すると、護衛役の仕事を果たしていたフォウの男衆が発言する。


「では、他の仲間などは存在しなかったのだろうか? 森辺の同胞に危険が及ぶことはないのかと、チム=スドラが気に病んでいたのだ」


「うん? どうして森辺の民に危険が及ぶことになるのかな?」


「……お前はジェノスの領主とも懇意にしていると聞いているので、隠す理由はないだろう。その無法者を捕らえたのは、チム=スドラであったのだ」


「へえ」と、カミュア=ヨシュは目を丸くした。


「そいつは俺も知らなかったよ。布告を回した衛兵も、そんなことは口にしていなかったしね。……ということは、仮に仲間の無法者がいたとしても、森辺の民が捕縛に関わっていたことなど知るすべはないというわけだね」


「そうか。それは、得難いことだ」


 フォウの男衆はひとつうなずくと、アイ=ファのほうを振り返った。


「チム=スドラに、いまの話を告げてきてもいいだろうか? 話は、すぐに終わらせる」


「うむ、かまわんぞ」


 フォウの男衆は、しなやかな足取りで雑木林の向こうに消えていった。

 それを見送りながら、カミュア=ヨシュは「なるほどねえ」とにんまり笑う。


「俺はちょうど先頭の車のあたりにいたから、無法者を追いかけようかとも考えたのだけれどね。衛兵の邪魔になったら申し訳ないし、伏兵が潜んでいる可能性もあったから、その場を動かずにいたんだ。その間に、まさか森辺の狩人が無法者を捕らえていたとは思わなかったよ」


「うむ。その話は、他言無用で願いたい」


「もちろんさ。まあ、ひとりきりであんな悪さをしでかしたってことは、仲間なんかいないのだろうと思うけれどね。だからこそ、名前をあげて仲間を集めようと目論んだのだろうと思うよ」


 カミュア=ヨシュは、笑顔でそのように言いたてた。


「きっとそのチム=スドラという狩人には、内密に褒賞の銀貨が届けられることだろう。ジェノス侯を傷つけた人間を捕縛したんだから、それなりの額を期待できるんじゃないのかな」


「そのようなものは、チム=スドラも望んでいないとは思うが……ジェノス侯は、手傷を負ったのか?」


「うん。甲冑の隙間から、肩にぶすりと刺さったみたいだね。そんなのは狙ってできるものでもないから、よくよく運が悪かったんだろう」


 その言葉に、俺はたいそう驚かされることになった。


「ジェノス侯は、そんな深手を負っていたのですね。その後も元気な声をあげていたので、何事もなかったのかと思っていました」


「ああ見えて、ジェノス侯はなかなかの胆力だからねえ。領民に弱みは見せられないと、歯を食いしばっていたんじゃないのかな」


 こともなげに、カミュア=ヨシュはそう言った。


「それじゃあ、俺は失礼しようかな。また後でね、アイ=ファにアスタ」


「あ、ちょっとお待ちを。もしもお時間があるなら、ピノたちに声をかけてくださいませんか?」


「ピノたちに? どんな声をかければいいのかな?」


「どうかギバ肉をお召し上がりください、と。たぶん今日も、まだ姿を見せていないはずなのですよね」


「ふうん?」と、カミュア=ヨシュは細長い首を傾げた。


「でも、ギバ肉を食べたいなら、自分たちから姿を現すんじゃないのかな。ピノたちが遠慮をする理由はないはずだからねえ」


「ええ、まあ、普段だったらそうなのかもしれませんが……ちょっと事情があるのですよね」


 それで俺は、ギバ肉を取りにおもむく人々の耳をはばかりつつ、小声で事情を説明してみせた。『暁の日』において、ピノがフェルメスを忌避して姿を見せなかった一件についてである。


「どうやら今日はフェルメスもいないようですし、俺としてはピノたちにも『ギバの丸焼き』を味わっていただきたいのです」


「なるほどねえ。もちろんあの御仁らは、ジェノス侯と行動をともにしているのだと思うよ。きっとさっきも、車の中に潜んでいたのだろうからね」


 そんな風に言ってから、カミュア=ヨシュは苦笑を浮かべた。


「それにしても、ピノとあの御仁が相まみえてしまったのか。こんな偶然もあるのだねえ」


「はい。本当に、偶然の悪戯だと思います」


「運命神ミザの悪戯心ってやつだね。そりゃあピノなら、ああいう御仁はいけ好かないのだろうと思うよ」


「何故です? ピノとフェルメスは二言三言しゃべったぐらいなのですから、特別な感情を抱く理由もないように思うのですが」


「ピノぐらいの洞察力を持っていたら、それで十分なのだろうさ」


 カミュア=ヨシュの紫色の瞳が、ふっと透徹した光をたたえた。


「ピノとあの御仁は、とても似たところがある。それでいて、根本の部分がものすごく違っている。だから、ピノとしては……あの御仁の存在が、たいそう気障りに感じられてしまうのじゃないかな」


「そう……ですか。それはなんだか、カミュアとフェルメスの比較にも当てはまりそうな寸評ですね」


 カミュア=ヨシュは「あはは」と子供っぽい笑い声をたてた。


「ご明察だね。俺とピノも似たところがあるけれど、根本の部分が違っているんだ。だけど幸いなことに、似ているところも違っているところも、おたがい気障りには感じられなかった。これは誰が正しいという話ではなく、ただの相性なのだろうと思うけれどね」


 そうしてカミュア=ヨシュは長いマントをなびかせつつ、ふわりときびすを返した。


「それじゃあ、《ギャムレイの一座》の天幕を覗いてこよう。ギャムレイなんかは、ぐっすり眠っているところだろうけどね」


 カミュア=ヨシュの姿が人混みにまぎれるのを見届けてから、俺はアイ=ファを振り返った。

 アイ=ファはひどく真剣な面持ちで、虚空を見据えている。おそらく、カミュア=ヨシュの言葉を頭の中で精査しているのだろう。


(カミュアと、ピノと、フェルメス……3人は、そんなに似ているのかな。カミュアとフェルメスは、まあわからなくもないんだけど、そこにピノまで加えると……どこか底知れない部分がある、というぐらいの共通点しか思い浮かばないな)


 俺がそんな風に考えていると、屋台の周囲に群がっていた人々がどよめいた。《ギャムレイの一座》の面々が、こちらにやってきてくれたのだ。


「わざわざお誘いをありがとうねェ。本当に、アタシらもいただいちまってかまわないのかァい?」


「ええ、もちろんです。どうぞ喜びを分かち合ってください」


《ギャムレイの一座》は、8名までもがやってきてくれていた。ピノの他には、剣王のロロ、怪力男のドガ、笛吹きのナチャラ、獣使いのシャントゥ、壺男のディロ、そして双子のアルンとアミンという顔ぶれである。双子たちは、最後に現れたカミュア=ヨシュの左右にぴったりと寄り添っていた。


「おやおや、肉も残りわずかみたいじゃないかァ。アタシらなんかが手を出すのは、迷惑なんじゃないのかねェ」


「そんなことはありませんよ。もう中天になってから一刻近くは経っているので、おおよその方々は口にできたと思います」


「それじゃあ、遠慮なくゥ」と、ピノは赤い唇を吊り上げた。

 人数が多かったので、他のメンバーは左右の屋台に散っていく。ピノのかたわらに居残ったのは、笛吹きのナチャラのみであった。


(このお人とは、会話らしい会話をしたこともないんだよな)


 森辺の民と似た感じの、浅黒い肌をした妖艶なる美人である。長い褐色の髪は頭にくるくると巻きつけており、たくさんの飾り物で留めている。纏っているのは異国風のゆったりとした長衣であり、そんなに露出も多くないのに、色気のほどは過剰であった。


「……賜ります」と、いくぶん咽喉にからんだ声で言いながら、ナチャラは俺に微笑みかけてきた。

 不意打ちであったので、俺はいくぶんドギマギしてしまう。森辺の女衆に通ずる風貌でありながら、森辺の女衆とはまったく異なる雰囲気を有する女性であるのだ。


 ナチャラは口もとを手で隠しながら、ギバ肉を食んだ。

 その姿をぼんやり眺めていると、右の頬に圧迫感が生じる。慌てて振り返ると、青い瞳を半眼にしたアイ=ファが横目で俺をねめつけていた。


「あ、いや、違うんだよ、アイ=ファ」


「……何が違うのか、私にはさっぱりわからぬな」


 アイ=ファは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 その肩で、黒猫はけげんそうに「なう?」と小首を傾げている。


「……なんだか気をつかわせちまったみたいで悪かったねェ、アスタ」


 と、俺が弁解の言葉を探している間に、ピノが語りかけてきた。


「アタシらなんざに、気をつかう必要はないんだよォ? 手前勝手が信条の、ロクデナシの集まりなんだからさァ」


「そんなことはありませんよ。俺はみなさんとも、絆を深めさせていただけたら嬉しいなと思っています。もうすぐこの仕事も終わりますので、そうしたらどこかで語らいませんか?」


「それこそ、町のお人らに出番を譲るべきだろうねェ。森辺の民と語らいたいと願っているお人らは、わんさかいるみたいだしさァ」


 忍び笑いをもらしながら、ピノはすうっと身を引いた。


「それじゃあ、美味しいギバ肉をありがとサン。よかったら、また天幕まで芸を見にきておくれよォ」


「あ、ピノ。今日は森辺にいらっしゃらないのですか?」


「あァ、あんまりお邪魔しちまったら、ありがたみもかすんじまうからねェ」


 ピノの小さな姿は、すぐに人混みにまぎれてしまった。

 他の座員も、それを追いかけるように姿を消していく。アルンとアミンにはさまれたカミュア=ヨシュだけが、最後に笑顔で手を振ってくれた。


「あの者たちは、あまり他者に関心を持っていないようですね」


 最後のモモを切り分けながら、フェイ=ベイムがそう言った。

「いや、そんなことは……」と言いかけて、俺は途中で言葉を呑み込んでしまう。言われてみると、ピノを除く座員たちは、ほとんど町の人々とも没交渉であったのだ。かつて森辺の祝宴に参席したときも、彼らはひたすら芸を見せるか、仲間内でひっそりと語らうばかりで、森辺の民と絆を深めようという素振りはあまり見られなかった。


(それでもピノだけは、とても社交的な印象だし、森辺の民やティアに対してだって関心を持ってたはずだけど……こんな風にいちいち呼びつけるのは、ピノにとって迷惑だったのかな)


 俺はけっこう、悄然としてしまっていた。

 そこで「おい」と、こめかみを小突かれる。犯人は、そっぽを向いていたはずのアイ=ファである。


「何をそのように気落ちしているのだ。お前はまだ、仕事のさなかであろうが?」


「ああ、ごめん。ちょっと、ぼーっとしちゃったな」


 俺は笑顔をこしらえてみせたが、アイ=ファはむすっとした面持ちで顔を寄せてきた。


「べつだんピノは、お前の行いに気分を害しているようではなかった。言葉の通り、我々のことを気づかっているゆえに、ああいう振る舞いを見せているのであろう。よって、お前が気落ちする必要はない」


「うん……アイ=ファはなんでもお見通しだな」


 俺がそのように囁き返すと、アイ=ファの瞳がまた半分だけまぶたに隠された。


「では、あの笛吹きを得意とする女衆が去ってしまったことに気落ちしていたわけではないのだな。そうでなかったのなら、幸いだ」


「あはは。そんなわけ、あるはずないだろう?」


「どうだかな」と言い捨てて、アイ=ファはまたそっぽを向いてしまう。

 しかしそれも、可愛らしい仕草の範疇であった。


 それからしばらくして、フェイ=ベイムたちの担当であった『ギバの丸焼き』は、無事に食べ尽くされることになった。

 半身の枝肉を受け持っていた屋台は、それよりも四半刻ほど早く仕事を終えたようである。日時計で確認したところ、最後の屋台の肉が尽きたのは、下りの一の刻をわずかに超えた時分であった。


「本日は、ご苦労様でございました。これならば、十分な量のギバ肉をふるまえたと言えることでしょう」


 見届け役の御仁は、そんな風に言ってくれていた。

 往来では、人々が果実酒を酌み交わしている。そこに混じった森辺の民の人数は、『暁の日』よりも多いように感じられた。


「今日はユン=スドラが宿場町に居残る日取りだからね。ぞんぶんに楽しむといいよ」


 俺がそのように呼びかけると、ユン=スドラは「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑んだ。仕事熱心な彼女であるが、やはり仕事とは別の部分で復活祭を楽しみたいという気持ちも抱いていたのだろう。


『滅落の日』は、俺も宿場町に居残らせてもらう予定である。

 そして本日も、仕事が長引いてしまったのであまりのんびりとはしていられないが、かなう限りの相手と挨拶を交わしてから、森辺に戻るつもりであった。


「わたしたちは、他の血族と合流しようかと思います」


 後片付けを終えたのち、フェイ=ベイムとラッツの女衆はそのような言葉を残して街道に繰り出していった。

 マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアも、本日は相方が血族の人間であったので、俺のサポートは不要であるようだ。そんなわけで、俺はアイ=ファとふたりで人混みに突撃することになった。


 青空食堂では、ジバ婆さんたちがさまざまな人々と語らっていた。

《銀の壺》の面々は、ルウの血族の人々と語らっている。その中には、ギラン=リリンの弟を始めとするリリンの分家の人々の姿も見えた。


 建築屋の人々は大人数なので、今日もいくつかの組に分かれている様子である。昨日の晩餐で縁を結んだ森辺の民や、他の南の民や、中には俺が見知らぬ西の民と語らっている人々もいた。

 ドーラ家の人々も、森辺の民と酒杯を交わしている。その中には、ダリ=サウティたちの姿も見えた。ダリ=サウティが縁をたぐって、宿場町に馴染みのない眷族の人々をドーラ家の人々に引き合わせたのだろうか。そんな中に、リミ=ルウとターラがちょこんとまざっているのが微笑ましかった。


 この場で姿を見かけない人々は、もっと南寄りの場所で楽しんでいるのだろう。仕事中に見かけた北の一族の人々なども、この辺りには見当たらない様子である。トゥール=ディンやリッドの女衆たちも、手近な狩人に同行をお願いして、南の方角に立ち去った様子であった。


 目のくらむような熱気と活気である。

 おおよその人々と挨拶を交わすことのできた俺は、そろそろ帰り支度を始めようかと、アイ=ファをうながそうとした。

 ただでさえ賑やかな往来がわっと沸いたのは、そのときであった。


 すかさず俺の身を引き寄せようとしたアイ=ファが、途中でふっと息をつく。アイ=ファの視線を追った俺は、人垣から飛び出した丸っこい頭を発見して、「あっ」と声をあげることになった。


「ミダ=ルウじゃないか。ミダ=ルウも、宿場町に下りてたんだな」


 人々は、ミダ=ルウの巨体にざわめきをあげていたのだった。

 それに――およそ1年半ほど前まで、ミダ=ルウは宿場町で悪行を働いていた身であり、サイクレウスに呼びつけられた審問の日などは、罪人として連行される姿をさらしていたのだ。それ以降、ミダ=ルウが宿場町に下りたのは、宿屋の寄り合いでレマ=ゲイトたちに謝罪を果たした、あの夜の1度きりのはずであった。


 屋台のほうに戻ろうとしていた俺は、ミダ=ルウのほうに進路を変更する。

 そうしてそちらに近づいていくと、その場には見知った顔がいくつも並んでいた。ガズラン=ルティムにダン=ルティム、ツヴァイ=ルティムにオウラ=ルティム、それにラウ=レイにヤミル=レイという錚々たる顔ぶれである。


「ああ、アスタにアイ=ファ。ようやく挨拶をすることがかないました」


 ガズラン=ルティムが、いつもの沈着さで微笑みかけてくる。

 そのかたわらで、ダン=ルティムが「ガハハ」と笑い声をあげた。


「さっきは遠巻きに、アスタたちの屋台の様子を見やっていたのだがな! キミュスの肉でぼちぼち腹はふくれていたので、ギバの肉は遠慮することになったのだ!」


「そうだったのですね。ダン=ルティムが『ギバの丸焼き』を食していないとは、少々意外です」


「ギバであろうとキミュスであろうと、町の人間と喜びを分かち合うということに変わりはあるまい? どうせ夜にはギバの料理をたらふく食えるのだから、我慢というほどの我慢ではなかったぞ!」


 俺はダン=ルティムに笑顔を返してから、ミダ=ルウに向きなおった。


「やあ、ミダ=ルウ。ひさしぶりの宿場町は、どうだい?」


「うん……すごく賑やかで、びっくりしたんだよ……?」


 ミダ=ルウは、いくぶん心ここにあらずといった様相であった。

 その巨体を見上げながら、ガズラン=ルティムが静かに微笑む。


「ミダ=ルウは、自分の存在が宿場町で悪い影響を及ぼしてしまうのではないかと、いささかならず気に病んでいたそうです。自分が姿を見せたりすると、交流の妨げになってしまうのではないか、と――」


「うむ! だからこうして、俺たちが引っ張ってきてやったわけだな!」


 そのように相槌を打ったのは、ラウ=レイであった。

 ヤミル=レイは取りすました顔をしており、オウラ=ルティムはひそやかな笑顔だ。そして、「フン!」と鼻を鳴らしたツヴァイ=ルティムが、象のように太いミダ=ルウの足を蹴っ飛ばした。


「アンタはきっちり頭を下げたんだから、ウダウダ文句を言われる筋合いはないだろうサ! でかい図体をしてるくせに、性根が据わらないネ!」


「うん……ツヴァイ=ルティムたちは、強くてすごいと思うんだよ……?」


「アタシらは宿場町で悪さなんかしてないから、ビクビクする理由がないってだけのこったろ!」


 かつての兄妹であった両名の姿を、ガズラン=ルティムは満足そうに見つめていた。

 きっとミダ=ルウに勇気を与えるために、かつての家族たちに同行を願ったのだろう。やはりガズラン=ルティムは、俺なんかよりもよほど広い視野で物事を見定めていたのだった。


「ディガとドッドは、『滅落の日』に宿場町に下りることが許されたそうです。ただ、ディガはもともと町の人間を苦手にしていましたし、ドッドもかつて宿場町で悪行を働いていた身でしたから、相当に気を張っているのだと聞いています。そのときは、どうかミダ=ルウが彼らを支えてあげてください」


 ガズラン=ルティムがそのように語りかけると、ミダ=ルウは「うん……」と頬肉を震わせてから、つぶらな瞳をそちらに向けた。


「ありがとうなんだよ、ガズラン=ルティム……ミダも、ツヴァイ=ルティムたちみたいに頑張るんだよ……?」


「だから、アタシらはなんにもしてないってのさ!」


 ツヴァイ=ルティムがかしましいのはいつものことであったが、もしかしたら彼女も復活祭の熱気にあてられているのかもしれなかった。

 何にせよ、母親のオウラ=ルティムばかりでなく、ミダ=ルウやヤミル=レイとも一緒に宿場町を巡ることがかなったのだ。傲慢にも見える言動の裏に、人並み以上の繊細さと情の深さを隠し持った彼女であれば、それを嬉しく思わないわけがなかった。


 そうして俺は、いっそう満ち足りた思いで宿場町を後にすることがかなったのだった。

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