紫の月の二十五日②~温かな一夜~
2019.12/5 更新分 1/1 ・12/18 文章を一部修正
「そういえば、祭祀堂の仕上がりは如何でしたか?」
晩餐の料理を半分ほど食べ終えたところで、俺はそのように話題を振ってみた。
すりおろしのシィマとタウ油仕立てのさっぱりとしたソースでいただく『ギバ・タンのハンバーグ』を食していたおやっさんは、しかつめらしい面持ちで「うむ」とうなずく。
「なかなか立派な出来栄えであったぞ。ギバの毛皮で作られた天幕というのは、やはり壮観だな」
「そうですか。俺も目にする日が楽しみです」
「なに? お前はまだ見ていないのか? あれはもう、何日も前に完成していたのだろうが?」
「はい。復活祭の前準備で、何かと慌ただしかったもので……それに、普段から毛皮の天幕を張っているわけではないのですよね?」
「うむ。雨ざらしでは、毛皮もすぐに傷んでしまうだろうからな」
すると、笑顔で『ギバ汁』をすすっていた末妹が「あれ、すごかったねー」と発言した。
「なんか最初は、馬鹿でっかいギバがうずくまってるみたいに見えちゃったもん! いったい何頭のギバを仕留めたら、あんなにたくさんの毛皮が取れるんだろ」
「どうなんだろうね。いちいち数を数えたりはしていなかっただろうからなあ」
天幕で使われるギバの毛皮は、森辺のすべての氏族が持ち寄ったものであるのだ。それをスン家の女衆がこつこつと縫いあげて、数ヶ月がかりで完成させたのだという話であった。
「でもまあ、森辺では毎日50頭ぐらいのギバを捕獲してるだろうからね。毛皮に困ることはなかったと思うよ」
「50頭!? 毎日そんなに捕まえてたら、ギバなんてあっという間にいなくなっちゃうじゃん!」
「いや、それでも数が減らないぐらい、ギバっていうのは繁殖力がすごいみたいなんだよね。なおかつ、1年であの《ギャムレイの一座》の天幕にいたギバぐらい大きくなっちゃうみたいだしさ」
目を丸くする末妹のかたわらで、アルダスも感心しきった顔をしていた。
「それにしても、毎日50頭ってのは尋常でない数だなあ。それは、確かな話なのかい?」
「いえ、俺の勝手な目算なんですけれどね。まだギバ肉が商品として扱われていなかった時代は、それぐらいのギバを狩らないと生活できなかったはずなんです」
「だったらもう、そんなに躍起になってギバを狩る必要は……あ、いや、森辺の民が仕事をさぼったら、すぐにジェノスの田畑までギバに襲われちまうんだっけ」
それはきっと、傀儡の劇から得た知識なのだろう。
俺は「そうですね」と笑ってみせた。
「それにいまでは猟犬のおかげで、以前よりも多くの収獲があげられているはずです。だから、1日に捕獲するギバの数も50頭以上かもしれませんね」
「うん。昔は十分な数のギバを狩ることができなくて、飢えで魂を返す人間も珍しくなかったって話なんだもんな。聞けば聞くほど、すごい話だよ」
しんみりとした調子で言い、アルダスは果実酒の酒杯をあおった。
「俺たちは森辺の集落にお招きされて、色々な氏族のお人らとも言葉を交わすことができたけどさ。あの傀儡の劇を見て、まだまだ森辺の民のことをなんにも知らなかったんだなって思い知らされちまったよ」
「森辺の民は、あまり昔語りをしませんものね。だからこそ、こうやって家にまで招いて交流を深められることを嬉しく思っています」
俺の言葉に、末妹がちらりとアイ=ファのほうに目をやった。
「その家長さんも、さっきから一言も喋ってないもんね。あたしらのことを、迷惑だとか思ってるわけじゃないんだろうけど……」
「うむ。私は会話を得手としていないのだ。しかし、客人らの言葉を興味深く聞かせてもらっている」
「アイ=ファって、ちょっと堅苦しいところがあるんだよねー。僕だって、アイ=ファの笑ったところなんてほとんど見たことがないしさ」
と、ディアルも横から便乗した。
しかしアイ=ファは、すましたお顔で『マロールチリ』を取り分けている。
「愛想に欠けることは申し訳なく思っているが、森辺でも私のような人間は少なくなかろう。どうか気にせず、晩餐を楽しんでもらいたい」
「ちぇー! だったら、アイ=ファを肴にして盛り上がろっか。……アイ=ファってね、宴衣装を纏うとすっごく綺麗なんだよー」
「……おい」
「ふふーん。でも、ほんとのことでしょ? バランたちだって、それは知ってるよね?」
「おお、俺たちのために開いてくれた、祝宴のときのことだな? あれは確かに、見違えるような姿だったなあ」
答えたのは、もちろんおやっさんではなく、アルダスである。
アイ=ファは溜め息を噛み殺しつつ、守りの姿勢を取った。
「それよりも、ジャガルの話を聞かせてもらいたく思う。ゼランドとネルウィアでは、やはり色々と習わしも異なってくるのであろうか?」
「なんだよー。話題をそらそうっての?」
「……森辺の民は、異国の話を興味深く思っている。アスタよ、お前もそうであろうが?」
早々に援護の指令が下されたので、俺は「そうだね」とうなずいてみせた。
「これまでは、あまりジャガルのことをお聞きする機会がありませんでしたよね。ゼランドとネルウィアは、近在の領地なのですか?」
「近在ではないな。荷車でも、半月やそこらはかかるはずだ」
答えてくれたのは、やはりアルダスであった。酒が回って、いよいよ舌もなめらかになってきた様子である。
「このジェノスにまで繋がってる街道を南に7日ていど下って、西に折れるとゼランド、南に下り続けるとネルウィアって感じだったよな。だからたぶん、ネルウィアからだとゼランドもジェノスも同じぐらいの距離になるはずだよ」
「なるほど。それじゃあ、あまり行き来もないのですね」
「少なくとも、俺たちはないね。行商人がゼランドの鉄具を売りに来ることぐらいはあるけどさ」
「僕の店も、ネルウィアまで出向いたことはないかな。父さんなんかは、かなりあちこちの領地を巡ってるはずなんだけどね」
と、話し好きのディアルもまんまと乗ってきてくれた。話題の中心から外れようというアイ=ファの計略は、なんとか実を結んだ様子である。
「それで、ご子息のみなさんもネルウィアで建築の仕事をされているのですよね?」
せっかくなので、俺は寡黙なる次男にも話を振らせていただいた。
しかし彼は「ああ」と言ったきり、口をつぐんでしまう。その代わりに、陽気な長男が答えてくれた。
「まあ、注文さえあれば、どこにでも飛んでいくけどな。だいたいネルウィアには建築屋が多いから、近場だけじゃあ客の取り合いになっちまうんだよ。そうじゃなかったら、親父だってわざわざジェノスにまで出向こうとはしなかっただろうさ」
「なるほど。半月もかけてジェノスにまでやってくるのは大変でしょうけれど、そうでなければ俺もみなさんにお会いすることはできなかったのですからね。南方神のおはからいに感謝したく思います」
「ふふん。この家も、親父たちが手掛けたんだってな?」
と、長男はあらためて室内に視線を巡らせた。
「ずいぶん古そうな様式だけど、こいつは頑丈そうだ。あんたらの孫の代まで、ぶっ潰れることはないだろうよ」
「はい。たった3日でこんなに立派な家を建てていただき、心から感謝しています」
おやっさんはむっつりとした面持ちのまま、わずかに身じろぎをした。アイ=ファと同様に、話題の中心に据えられることを好まないおやっさんなのである。
「ま、建築にかけて、ネルウィアの人間の右に出るやつはいねえよ。俺たちは、生まれついての木の民なんだからな」
「木の民ですか。その呼称は、初めて聞きました」
「そうなのか? ジャガルっていえば、木の民、鉄の民、土の民だろ。そっちには、鉄の民のお嬢さんがいるじゃねえか」
それはもちろん、鉄具屋たるディアルのことであろう。しばらく会話の主導権を譲っていたディアルは、にこりと微笑んで口を開いた。
「木の民は建築と林業、鉄の民は採掘と製鉄、土の民は陶磁と――やっぱり、建築かな。煉瓦造りも石造りの家の建造も、土の民の領分だろうからね」
「へん。貴族は石造りの家にしか興味がねえからな。なおさら俺たちとは無縁な存在ってわけだ」
「そんなことはないよ。家具作りだって、木の民の領分でしょ? ネルウィアの衣装棚とか、有名じゃん」
「そいつは細工屋の仕事だからなあ。俺たちには関係ねえや」
あまり意見の一致は見られないようだが、長男もディアルに対して気安い態度になってきたようだ。ディアルはそれを喜んでいる様子で、「そっか」と笑った。
「まあ、僕の家なんかは鉄具を売るだけで、採掘にも製鉄にも関わっていないからさ。心ない人間には、槌も振るえない鉄の民って陰口を叩かれるけど、そのぶん自分の家の商売には自信を持ってるよ」
「それは、心得違いだな」と、おやっさんがふいに口をはさんだ。
「どんなに立派な鉄を掘り出して、どんなに立派な鉄具をこしらえようが、売る相手がいなければどうにもならん。そんな下らん陰口を叩く人間は、自力で売る相手を探してみせろ、という話だ」
ディアルは一瞬きょとんとしてから、口をほころばせた。
「ありがとう。立派な職人であるバランにそう言ってもらえたら、僕も嬉しいよ」
「ふん。俺たちとて、木材の調達には材木屋を頼っているのだからな。それぞれの仕事を受け持つ人間がいなければ、どんな商売でも成り立ちはせん」
「そうですよね。俺たちだって、ギバを狩る狩人とそれを調理するかまど番がいなければ、屋台の商売は成り立ちません」
「あと、立派な道具を準備する鉄具屋もね」
ディアルがまぜっかえして、和やかな笑いがあちこちに生じた。愛想のない次男も、ほのかに笑みをたたえているようだ。
「まあ何にせよ、西と南でそんなに大きな生活の違いはないんだよ。特にジェノスには南の文化ってやつがずいぶん入り込んでるみたいだから、ほとんど差は感じないんだよな」
と、これまでの会話をしめくくるように、アルダスがそう言った。
「俺はあんまり難しい話もわからないけどさ。西と南は、言葉も一緒だろ? ってことは、王国が分けられる前からの、古いつきあいがあるんだろうさ」
「王国が分けられる前、ですか」
それはどうやら、無言をつらぬいているティアを意識しての言葉であるようだった。
アルダスの目は、ちらちらとティアのほうを見やっていたのだ。
「四大王国が生まれたのは、600年だか何だかの大昔だ。その前には、そもそも国ってもんが存在しなくて、全員が同じ神を崇める同胞だったってんだろう? それで……四大王国が建立されたとき、王国の民になることをよしとしなかった一部の人間が、聖域ってやつに引きこもったって話なんじゃなかったかな」
『炊き込みシャスカ』をかきこんでいたティアは、小首を傾げながらアルダスのほうを見返した。
「それは、ティアに語りかけているのであろうか? ティアは、あまりいにしえの話を知らないのだ」
「わ、喋った!」と、末妹が身体をのけぞらせる。
ティアは逆側に首を傾げつつ、そちらを振り返った。
「ティアは、喋るべきではなかっただろうか? それならば、謝罪をする」
「う、ううん。そうじゃないけど……あたし、この娘と喋ってもいいんだよね?」
と、末妹は不安そうに父親の袖を引っ張った。
おやっさんは、難しい面持ちで娘とティアの姿を見比べる。
「聖域の民に関しては、さんざん説明したろうが? 俺たちが禁じられているのは、聖域の民と友誼を結ぶこと、および敵対することだ」
「う、うん、わかった。……あんたも、謝罪したりする必要はないみたいよ」
「そうか」と、ティアは食事を再開させた。
その姿を見やりながら、アルダスは苦笑する。
「この娘っ子も、俺たちと同じ言葉を使ってるもんな。だからやっぱり、四大王国ってもんが生まれる前には、同じ場所で暮らす同胞だったってことなんだろう。なかなか信じ難い話ではあるがね」
やはり南の人々にとっても、ティアは特異な存在であるようだ。
それは、赤く染めあげられた姿や、頬などに刻まれた刺青ではなく、やはりティアの有する野生の生命力ゆえなのだろう。ティアと外界の人間を分けるのは、外見ではなく中身のほうであるのだった。
「……それじゃあ南と西では、それほど生活に大きな違いはないのですね」
揺らいでしまった空気を正すべく、俺は会話を引き戻してみせた。
「あ、ああ」と、アルダスも気を取りなおした様子で酒杯を取り上げる。
「もちろん、細かい違いはいくつもあるけどさ。ジェノスに南の装束を纏う人間は多いけど、その反対はあまり見ないしな」
「南の装束というのは、みなさんの着ておられるような服のことですよね。こういうゆったりした服なんかは、やはり西の装束であるわけですか」
俺が自分の脚衣をつまんでみせると、アルダスは「そうだな」と陽気に笑った。
「でも、アスタが着ている白い胴着なんかは、ちょっと南の様式っぽいよな。襟がないんで、妙な感じだが」
「あ、これは、俺の故郷の様式であるのです」
「へえ、そうなのか。アスタの故郷って、海の外なんだろう?」
「はい。この大陸に存在しないことは確かです」
すると、末妹がまじまじと俺を見つめてきた。
「あんたって、渡来の民なんだもんね。よく考えたら、聖域の民よりもとんでもない存在なんじゃないの?」
「うん、そうかもね。でもまあ、いまでは森辺の民だし、西方神セルヴァの子だよ」
「わかってるよ。別にあんたは、中身も外見もおかしいわけじゃないしさ。でも、どうして渡来の民であるあんたが、こんな大陸のど真ん中で迷子になることになったんだろうね?」
「それは俺にとっても、最大級の謎なんだよ」
おやっさんが、じろりと末妹をねめつけた。
末妹は、「わかってるよ」とばかりに舌を出す。『森辺のかまど番アスタ』を観賞したゆえに、末妹も俺の謎めく出自が気になってしまったのだろう。
「そういえば、城下町でもあの傀儡の劇は、すっごく評判になってるみたいだね。今日の僕が商談した相手も、ずーっとその話ばっかりだったよ」
ディアルの言葉に、アルダスが「ほう?」と声をあげた。
「傀儡の劇って、『森辺のかまど番アスタ』のことか? あの娘っ子らは、城下町に招かれるほどの旅芸人だったのかい?」
「うん。まだ通行証はもらってないみたいだけど、お試しで1日に一刻だけ城下町の広場に招かれてるんだってさ。君たちも、もちろんあの劇は見てるんでしょ?」
「当然さ。1日に1度は拝見してると思うよ」
アルダスは陽気に笑いながら、俺とアイ=ファのほうを見やってくる。俺は照れ隠しに頭をかき、アイ=ファは感情を隠したいかのように半分だけまぶたを下げた。
そんな俺たちの反応を確認してから、ディアルもにこりと可愛らしく笑う。
「あの劇は、本当によくできてるよね。僕たちなんかは森辺の民と交流があるから、余計にそう思うのかもしれないけど……リフレイアなんて、いまだにあの劇の話になると、涙ぐみそうになってるもん」
すると、酒杯を傾けていた長男が、またちょっと怯んだ様子を見せた。
「リフレイアって、あの劇に出てきたお姫さんの名前じゃねえか。あんなやつとも、つきあいがあるのかよ」
「うん。リフレイアは、決して悪い人間じゃないからね! アスタをさらった罪に関してだって、きちんと償ったんだからさ!」
「わかってるよ。べつだん、それほどの悪役ってわけでもなかったしな」
すると、アルダスが何か思いたった様子でディアルのほうに身を乗り出した。
「それで思い出したぞ。たしかお前さんは、アスタがアイ=ファに助け出されるとき、一緒にいたっていう話だったよな。前の祝宴で、そんな風に聞いた覚えがあるぞ」
長男と末妹が、仰天した様子でディアルとアルダスを見比べた。
「おいおい、それってあの、誘拐騒ぎの場面のことかよ?」
「あのときに、あんたも一緒にいたの? へー、すごいじゃん! 傀儡を作ってもらえたら、もっとすごかったのにね!」
ディアルは、困り果てた様子で眉を下げてしまった。彼女は俺が監禁されている間、事情を知りながら何もできなかったと言って、大いに落ち込んでいたのである。
「あのときは、ディアルがうまく口裏を合わせてくれたから、アイ=ファたちの作戦もうまくいったんだよね。本当に感謝しているよ、ディアル」
「いや、だけど……」
「お前がおかしな動きを見せていたならば、私がアスタと相まみえることはできなかっただろう。その点については感謝していると、私もかつて告げたはずだな」
と、アイ=ファまでもが援護をしてくれたので、ディアルはようやく表情をやわらげてくれた。ディアルは十分に力を貸してくれたし、こんな昔の話でいまさら落ち込む必要はないのだ。
「しかし、お前さんがトゥランの領主様と懇意にしてるってのは、これまた奇妙な縁だな。俺たちはいま、トゥランで家を建てなおす仕事を受け持っているんだよ」
アルダスの言葉に、ディアルは「そうなの?」と目を丸くした。
「ああ。トゥランでは新しい領民を受け入れる予定だから、そのために家を建てなおしてほしいって依頼でね。まあ、こっちは9人しかいないから、見積もりを出すだけで1日がかりだったがね」
「へえ、そうなんだね! トゥランの家を建てなおすって話は聞いてたよ! これは、リフレイアにも教えてあげないと!」
「や、やめてくれよ。変に目をつけられたら、厄介じゃねえか」
そのように言いたてたのは、もちろん長男である。
そちらを振り返り、ディアルは「大丈夫だよ」と微笑んだ。
「もともとリフレイアは、あなたたちのことを知ってるもん。僕も一緒に送別の祝宴にまぜてもらったんだーって、リフレイアには前から自慢してたからね!」
「お、俺はそんな祝宴、出てねえし」
「ああ、あなたと弟さんは、初めてジェノスに来たんだってね。でも、森辺の民と縁のある建築屋がトゥランで仕事をしてるって聞いたら、リフレイアは喜ぶよ! リフレイアだって、森辺の民には特別な思いを持ってるんだしさ」
「そうなのか」と応じたのは、おやっさんであった。
「あの貴族の娘っ子が森辺の民と和解をしたという話は、聞いている。ただ和解をしただけではなく、それ以上の絆を結ぶことがかなったのか?」
「それは、アスタから聞いたほうが早いんじゃない?」
おやっさんに真剣な眼差しを向けられて、俺は「はい」とうなずいてみせた。
「俺もリフレイアには特別な思いを抱いていますし、向こうも同じように思ってくれているように感じるので、とても嬉しく思っています」
「そうか。だったら俺たちも、せいぜい力を尽くしてやろう。……まあ、相手がどのような人間であれ、報酬に見合った仕事をするだけだがな」
おやっさんはニャッタの蒸留酒を酒杯に注ぐと、それをひと息に飲み干した。
そののちに、次男のほうをねめつける。
「ところでお前たちは、さっきから何をぼそぼそと語らっておるのだ? 俺たちには聞かせられないような悪巧みか?」
次男はずっと静かであったので、俺も注意を向けていなかった。どうやら次男は、隣の席であったラービスと何やら語らっていた様子である。
「……悪巧みなどしていない。ただ、ゼランドについて話を聞いていただけだ」
「だったら、皆にも聞かせればいいだろうが? 声をひそめる必要がどこにある」
「本当だよ。あたしらだって、そういう話が聞きたかったんだからねえ」
おやっさんの伴侶も、笑いながらそう言った。
「ゼランドの話も森辺の話も、もっともっと聞かせてもらいたいもんだねえ。こんな機会は、なかなかないからさあ」
「はい。その前に、料理もほとんど尽きたようなので、お茶と菓子をお出ししましょうか」
「へえ、菓子まで準備してくれたのかい?」
南の女性陣が、老若問わずに瞳を輝かせた。さすがは砂糖の原産地たる、ジャガルの民である。
「はい。俺はあんまり菓子作りが得意ではないのですが、食べられないことはないと思います」
「でも、屋台の菓子は、あんなに美味しいじゃん!」
「あれは、ディンの家が出している屋台なんだよ。取り仕切り役のトゥール=ディンは、おそらく森辺でもっとも菓子作りを得意にしているかまど番だからね」
そのように説明しながら、俺は空になった木皿や鍋を広間の端に追いやり、茶と菓子の準備をした。
菓子は2種類。石窯で焼きあげたクッキーと、梅ざらめの再現を目指した『キキ風味の煎餅』である。クッキーは、プレーンとチョコ風味の2種だ。
やはり見た目の気安さからか、アイ=ファを除く人々はおおよそクッキーのほうから手をつけていた。
その中で、真っ先に感嘆の声をあげてくれたのは、次男に劣らず口数の少なかった長男の伴侶であった。
「これは美味ですね! 屋台に売られている菓子とも遜色なんてないと思います!」
「ありがとうございます。トゥール=ディンの作り方を参考にしているので、俺も少しは菓子作りの腕が上がったのかもしれません」
「って、もともとはあっちの娘がアスタに手ほどきされてたんでしょ? 何にせよ、すごく美味しいと思うけどね!」
と、ディアルもご満悦の様子であった。
そして、『キキ風味の煎餅』をひょいっと取り上げる。
「あと、この菓子もね! これってこの前、お茶会で出してくれた菓子でしょ?」
「うん。ダイアと一緒に厨を預かった、あの日だね」
「これは美味しいし、食べ心地が面白いんだよねー! こんな菓子、絶対アスタにしか思いつかないよ!」
あの日の茶会でも、ディアルはたいそう満足そうに『キキ風味の煎餅』を食べてくれていたのだった。
ポリポリと軽快な音色を響かせていたディアルは、笑顔でラービスを振り返る。
「ほら、ラービスも食べてみなってば! 本当に面白いんだから!」
「はあ」と気のない表情で煎餅をかじったラービスは、いくぶんぎょっとした様子で目を見開いた。
「これは確かに……不思議な食べ心地です」
「でしょ? これならそれほど甘すぎないし、ラービスの口にも合うんじゃない?」
「そうですね」とだけ、ラービスは言った。
こっそりと満足そうに目を細めて煎餅を食していたアイ=ファが、ふっとそちらを振り返る。
「お前も、甘い菓子はそれほど好まぬのか?」
「ええ、まあ。苦手というほどではありませんが」
「そんなお前でも、この菓子は美味と思えるのであろうか?」
「こちらの甘い菓子も、十分に美味なのだろうと思います。ただ、わたしにはこちらのキキの風味がする菓子のほうが口に合うようです」
「そうか」と、アイ=ファはあくまで厳粛なる面持ちでうなずいた。
その様子を見て、ディアルは「んー?」と首を傾げる。
「アイ=ファが味の感想を聞いたのって、初めてだよね。もしかして、アイ=ファはこの菓子が好物なの?」
「……まあ、そういうことになる」
「そういうことになるって、持って回った言い方だなあ! けっこう長いつきあいなんだから、もうちょっと素直に語ってくれてもいいんじゃない?」
と、ディアルは不満げな表情を浮かべかけたが、途中で思いなおした様子で口をほころばせた。
「ま、いっか。今日はこの後もじっくり語らえるもんね? 色んな話を聞かせてもらおーっと!」
ディアルとラービスのみ、本日は宿泊する予定であったのだ。それは、宿場町のめぼしい宿屋が残らず満室であったゆえの、致し方のない処置であった。
すると今度は、末妹が「いいなー」と不満げな顔をする。
「どうせだったら、あたしも泊まっていきたかったよ! まあ、こんな大人数じゃ無理なのもわかってるけどさあ」
「わかっているなら、文句を言うな。宿まで送ってもらえるだけ、ありがたく思え」
「そんなこと言って、父さんだって本当はアスタと一緒に夜を明かしたかったんでしょー?」
おやっさんはしかめっ面で、「やかましい」と言い捨てた。まるで、我が愛しき家長のごとき台詞と表情である。
すると、それを取りなすようにおやっさんの伴侶が声をあげた。
「どっちみち、明日は昼からまた『ギバの丸焼き』を振る舞ってもらえるんだろう? それで夜には屋台も出してくれるんだから、いくらでも語らえるじゃないか。何をふたりして、不満そうな顔をしてるのさ」
そんな風に言ってから、伴侶は俺とアイ=ファににっこりと笑いかけてきた。
「それにあたしらは、けっこうな宵っ張りなんでねえ。この菓子もすぐになくなっちまいそうだけど、もうちょっと居座らせてもらえたら嬉しく思いますよお」
「はい。俺もまだまだ、語らい尽くしていない気分です」
きっと深夜に及ぶまで語らったとしても、その欲求が完全に満たされることはないだろう。
それでも、満ち足りた一夜である。明日に影響の出ないぎりぎりのリミットまで、この楽しさにひたらせてもらいたいものであった。