③宿場町、再び(中)
2014.9/23 更新分 1/2 2015.7/5 誤字を修正
「宿場町に店を出すのは、そんなに難しいことじゃない。新しい建物を建てるにはややこしい手続きが必要になってしまうけれども、あの露店区域で物を売るだけなら、ちょっとした場所代を払うだけで、誰でも参加することができるんだ」
「ちょっとした場所代、ですか」
「そう。10日でたったの銅貨白1枚だ。良心的な価格だろう? ……まあ、それでもおよそギバ1頭分の角と牙になってしまうがね」
「ギバ1頭分……白い銅貨が1枚……ちょっと待ってくださいね。あの、白い銅貨ってのは赤い銅貨何枚分の価値があるんですか?」
俺の質問に目を丸くしたのは、カミュアの隣りにちょこんと座ったレイト少年だった。
まあ、しかたないだろう。100円玉は10円玉何枚分ですか?と問うているようなものなのだろうから。
「赤が10枚で白1枚だよ。つまりあのときターラが食べていたキミュスの肉饅頭10個分で、元は取れてしまう。露店区域が広くなればなるほど宿場町も栄えるわけだから、領主にしても露店が増えるのはありがたいことなんだ。だから、場所代なんかは本当に心づけていどのものなのさ」
「待ってください、えーとえーと……ギバ1頭分で10食分のアリアとポイタンが買えるわけだから……あれ? そうか。それなら俺たちも銅貨赤1枚分で1食分の食事を作ってたことになるんだな」
「露店の軽食で昨日の量は多いだろうね。あの半分でも多いぐらいだし、値段は赤2枚ぐらいが妥当だろう。あまり安く売りすぎると、かえって他の店の反感を買ってしまうからね」
「それじゃあ、材料費も昨日の献立だったら、赤1枚のおよそ半分で済んでしまうわけですか。ということは、単純計算で、1食を売れば赤1枚半の儲けになるわけだから――10日間で7食を売るだけで、必要経費はまかなえてしまうというわけなのですね」
なんて楽な商売だろうか。
……ただし、道行く人にギバ肉を食べる勇気があれば、の話だが。
「普通は野菜より肉のほうが高くつくからね。そして野菜もアリアやポイタンより上等なものを使ってる。肉饅頭のおかみさんが利益を出そうと思ったら、1日に10個も20個もさばかなくてはならないんだろうけども。これだけ栄えた町ならば、べつだん難しい量でもない」
カミュアが、愉快そうに笑う。
「どうだい? 俺がアスタに店を開くことを勧めた理由をわかってもらえたかな? 君の腕とギバ肉の力があれば、そうそう失敗する話だとも思えないだろう?」
「それで店が繁盛すれば、ギバ肉に食用肉としての価値を認めさせることも可能になり、さらには森辺の民への偏見も薄くなる、ということですか。なるほど、本当にいいこと尽くしの商売ですね、それは」
俺はカミュアの真似をして、テーブルに肘をつき、身を乗り出してみせる。
「で――それで、あなたはどんな利益を得ることができるのですかね、カミュア=ヨシュ?」
「うん? そんなに俺が利益を得ないと納得できないかい? それじゃあ、そうだなあ――場所代と材料費を差し引いた純利益の中から、その1割を謝礼として頂いておこうか」
「お金の問題じゃないですよ。俺たちは、あなたの目的が知りたいんです」
「だからそれは、俺の一方的な仲間意識を満たすためさ! 森辺の民が畏れの象徴とされてしまっていることや、狩人のつとめに対する代価が低すぎること。最終的にその2点を解消することができれば、俺は心から満足だねえ」
と、そこで不思議な色合いをした紫色の瞳がアイ=ファを見る。
「もしかしたら、昨晩からの俺の言動は、森辺の民に憐れみをかけているようにも感じられるかもしれないけれど、そんなつもりはないんだよ、アイ=ファ? 俺は本当に、森辺の民が好きなだけなんだ。それでも森辺の民ならぬ俺には、こうやって自分の思いついた妙案を君たちに提示することしかできそうにない。その心情だけはわかってやってもらえないものかなあ?」
「……あなたに憐れみをかけられているような気はしない。どちらかというと、からかわれているような気分だ」
「それは良かった!――のかな? あれれ?」
「人に信用されないのはいつものことじゃありませんか。気にする必要はないと思いますよ、カミュア」
と、少年がにこにこと笑いながら、ひどいことを言う。
しかしカミュアも「それもそうだね」とか笑い返しているので、もう余人には口のはさみようもない。
「ふーむ……なるほど……」
「まだ何か悩んでいるのかね? 何べんも言っている通り、森辺の民やギバに無条件の畏怖心を抱いているのはジェノス土着の民だけだし、しかもギバの脅威が未曾有の災厄ではなくありきたりの害獣ていどの被害にまで落ちて久しいのだから、その畏怖心にも、実は核がない。そして現在、もっとも畏れられているのはギバではなく、森辺の民そのものだ」
またカミュアの目がアイ=ファから俺に向けなおされる。
「こう言っては何だか、森辺の民が露店を出しても、そうそう近づく人間はいないかもしれない。しかし、アスタの風貌はどう見ても都の人間、町の人間だ。そんなアスタがギバ肉の料理を売れば、人は戸惑いながらも興味を引かれるだろう。そして、南や東の人間なら、それほどの躊躇いもなくギバの肉を手に取るに違いない。そうすれば、味のほうはもう確かなんだから、いずれは口づてでジェノス土着の民にまで波及していくだろうと俺は予想しているね」
「はあ……」
「もっと正直に言うならば、これぐらいのことで森辺の民への偏見がなくなるなどとは、俺自身も思っていないんだ」
と、カミュアは目を細めて笑った。
そういう笑い方をするときだけ――この男は、ちょっとジバ=ルウみたいな透徹しきった表情になる。
「獣のような瞳をして、常人にはありえない膂力を持ち、そして孤高で閉鎖的な森辺の民を、人々は畏れている。それは80年もの歳月をかけて培われてきた畏怖心だし、実際に森辺の民はそういう一族なのだから、誤解ではない部分も多いだろう。それはそれで、俺は別にかまわないと思っている。俺は別に、森辺の民と町の人間が笑顔で手を取り合っている姿を見たいわけではないんだよ」
「それは……?」
「森辺の狩人は孤高でもかまわない。むしろ狩人に町の安寧は似合わない。堕落した狩人なんて、俺は見たくない。……しかし、狩人が下賤な存在として見下されていることが、俺には腹立たしい。森辺の狩人が畏れられるなら、それは魔なる存在ではなく聖なる存在として畏れられてほしいんだ、俺は」
「…………」
「だからまずは、《下賤なギバ喰い》という誤った観念を打ち砕きたい。ジェノスの田畑をギバから守り、ひいてはジェノスの繁栄の一翼を担っているのは誰なのか、それをもう1度きちんと思い知らせてやりたいんだよ」
「……あなたがいつもそんな顔つきで語ってくれる人なら、俺も迷わず信用することができるんですけどね」
それでも慎重に、俺はそう述べさせていただいた。
「根っこのところでは、あなたは嘘をついたりはしていないのだろうなと思います。ただ、俺にはやっぱりあなたがそこまで森辺の民に思い入れを抱く理由がピンとこないんですよね。……あの、途中で信仰する神を乗り換えるっていうのは、この大陸の人たちにとってそこまで重大なことなんでしょうか?」
俺の言葉に、またレイト少年が驚いた顔をした。
しかし、カミュアの透きとおった眼差しに変化はない。
「重大だろうと思うよ。でもまあ、これは体験した人間にしか理解できない感覚なのだろう」
「そうですか。……でも、森辺の民が南の森を捨ててモルガの森に移り住んだのは、もう80年も昔の話です。今の森辺の民には、あなたの心情なんて理解できないのではないですかね……?」
「それはもちろんそうだろう。だから俺の森辺の民に対する仲間意識は、永遠に一方通行である、というわけさ。……何せ80年だもんなあ。さすがに80を越える齢の森辺の民なんてのは、存在しないのかね?」
ジバ=ルウ。
それはたぶん、森辺でもジバ=ルウひとりしか存在しない。
だけど――この男を信用しきれないうちに、その名前を口にできるはずはなかった。
だから俺は、「どうなんでしょうね」と答えるしかなかった。
「……アスタはこの大陸の出自ではないと言い張っているのだから、もちろん四大神のどれにも信仰は捧げていない、ということなのだよね?」
「はあ、まあ、そうなりますね。いちおう森辺の家人なのですから、形式的には西の神の民、ということになるのでしょうが」
「うん。そういう意味でも、君の存在は森辺に相応しいのだろう。森辺の民は、南方神ジャガルから西方神セルヴァに崇める神を乗り換えたが、実のところ、最初から彼らは神を崇めてはいない。――彼らが崇めているのは、神ではなく、森だ。森こそが、彼らにとっては絶対的な存在なのだろう。その清廉にして壮烈なる生き様にこそ、俺は魅了されているのかもしれない」
そうしてカミュアは、不思議な光を放つ瞳をまぶたの裏に隠してしまった。
何とも言い難い静寂がその場にたちこめて――
そして、第三者により、それは打ち破られた。
「はい、ゾゾ茶とキミュスの塩漬け肉だよ」
かたりと大きな木皿がテーブルに置かれる。
親父さんが、注文の品を運んできてくれたのだ。
そのまま、ぷいっと身をひるがえしてしまう親父さんを見送るカミュアの顔には、もういつもの飄然とした笑顔が蘇ってしまっていた。
「アスタ。良かったら味見をしてみてくれよ。この宿場町では、どのような料理が食べられているのか。料理人を生業にしていたなら、君にも興味があることだろう?」
「……キミュスの肉饅頭だったら、俺も屋台でいただきましたよ」
「そうか。だけどこいつは、肉饅頭とはまた異なる味わいだと思うよ?」
俺は、カミュアの顔からテーブルの上へと目線を落とした。
大きな平皿に載せられたそれは、肉と野菜の煮付けであるようだった。
水分はほとんどなく、白っぽい肉と数種の野菜が、透明のとろりとしたペーストにまみれている。
目で見た限りでは、アリアとプラの切れ端と、煮崩れたチャッチの欠片が確認できる。
匂いは、リーロとよく似た香草の清涼な香りがした。
そして、皿のすみにはギョーザの皮のような白い生地が何枚か積み重ねられている。これにくるんで食べろ、ということなのだろう。
見た目も匂いも、そんなには悪くない。
「どうぞ? 食欲がないなら、一口でもいい。あんなに立派な干し肉とゾゾ茶ではつり合いが取れないから、是非とも賞味してくれたまえ」
それはまあ、単なる好奇心だけでも食べてみたいところではある。
俺はアイ=ファに目で確認してから、小さな生地と木匙をつかみ取った。
煮付けの分量と生地の枚数を計算し、こんなものかと木匙で2杯分ほど煮付けを乗せる。
そいつを小さなクレープみたいに巻いて、かじりつくと――
まあ、とにかく塩からかった。
風味はほとんど、香草の香りである。
クタクタになったアリアと、いささか火の通りの甘いチャッチと、苦味のあるプラと――そして、ササミのように淡白な、肉。
別に悪い取り合わせではない。
何というか、実に素朴な味わいである。
保存のために塩漬けにした肉を、野菜と一緒に煮込んだのだろう。もうちょっとじっくり煮込んだほうがチャッチの歯触りがよくなるのではないかなあというぐらいで、これといった問題は見受けられない。
ただ――お金を出してまで食べたいか、と言われると、ちょっと首をひねりたくなるところだ。
「一応そいつは、この宿で一番人気の献立なんだよ。塩辛いから、酒にもよく合う。値段は、銅貨の赤が3枚だったかな。日中はみんな手軽な軽食を求めて外で済ませてしまうけど、夜なんかはこの店もなかなかの賑わいを見せるのでね。みんなそれなりに、満足そうな顔でそいつを食べている」
カミュアが、チェシャ猫のように笑う。
「宿場町の料理なんてのは、そういう家庭料理の延長みたいなのが主流なのさ。実際、作っているのは宿屋のおかみさんや娘さんなわけだし。職業としての料理人なんてのは、このジェノスにおいては石塀の中にしか存在しないのだよ」
「はあ」
「どうだろうね。アスタには、このキミュスの塩漬け肉や肉饅頭に対抗できるような料理を作ることは可能かな?」
「煽ってるんですか? いくら何でも、そんな挑発に乗るほど馬鹿ではないつもりですよ、俺は」
潮時かな、と俺はそのキミュスの塩漬け肉とやらを1枚ぶん完食してから、ゾゾ茶の残りを飲み干した。
それからアイ=ファに「何かまだ聞きたいことはあるか?」と耳打ちしてみたが、やはり無言で首を横に振るばかりである。
「とりあえず、家長と相談します。あとは森辺の友人にも相談して、それで問題がなかったら――そのとき初めて前向きに考えさせていただきますよ」
「慎重だね! それはきっと、アスタの美点なのだろう」
俺を慎重にさせているのはあんただよ、と俺は肩をすくめてみせる。
「カミュア。それでもし、宿場町に露店を出す覚悟が決まったら、そのときはまたあなたに相談すればいいんでしょうか?」
「うん。もしくは俺を飛びこえて直接交渉してもいい。露店区域を仕切っている責任者のひとりが、この宿の親父さん、ミラノ=マスだからね。とにかくこの《キミュスの尻尾亭》を訪ねてくれれば、それでばっちりさ」
「ありがとうございます。まだどう転ぶかはわかりませんけど、あなたのお話にはものすごく色々なことを考えさせられました。たとえ店を出す結果にはならなかったとしても、あなたと話ができて良かったと思っていますよ、俺は」
「そう言ってもらえるとありがたい。……もうお帰りかな? じゃあ、レイト、後はよろしく頼むよ。俺は塩漬け肉をやっつけてから、もうひと眠りすることにしよう」
「はい! それでは行きましょう、アスタにアイ=ファ」
「行くってどこに? 俺たちはもう買い物を済ませて帰るつもりなんだけど」
「お時間は取らせません。ただ、ターラという女の子とその親御さんが、あなたたちにお礼を言いたいそうなのです。ターラの親御さんも露店区域に店を出しているので、そちらまでご案内させてください」
「いやあ、お礼を言われるほどのことはしていないんだけど」
「会ってあげなよ。ターラはいい子だよ。10年もたてばきっと素晴らしい美人に育つだろうから、今の内に縁を結んでおいて損はない」
などと馬鹿げたことを言うのは、もちろん少年ではなく主人のほうである。
そんな、光源氏じゃあるまいし、と苦笑しながら、いちおうアイ=ファを横目でうかがってみると……摩訶不思議なことに、その瞳は実に冷ややかに俺のことをにらみつけていたのでした。
本当に、こいつは俺を何だと思っているのだろう。
「では、失礼します」
「うん、また会える日を楽しみにしているよ」
けっきょく俺たちの他には客の増えなかった奥の室を出て、出口に向かう。
そちら側の食堂では、まださっきの男たちが酒をかっくらっていた。
その内のひとりが、さきほどよりも酔いの回った目で俺たちを見る。
「おおい、そこの黒髪の小僧! お前さんはどうやって《ギバ喰い》の女をものにすることができたんだ? よかったら銅貨1枚でその手管をご教示してくれねえかあ?」
おや、今度は素通りさせてくれないようだ。
よくないな。俺への個人攻撃ならまだしも、そこにアイ=ファの存在をからめられると――あまり理性が持ちそうにない。
「おおかたギバを狩るより男を狩るほうが手っ取り早く銅貨を稼げるってことに気づいたんだろうよ! おい、《ギバ喰い》、何なら銅貨2枚でお前を一晩買ってやろうか?」
あら、駄目だ。
あっさり矛先がアイ=ファに修正されてしまった。
恐怖心もなくただ蔑んでいるような連中が一番タチが悪いのかもなあとか頭の片隅で考えながら、俺は男たちに向きなおろうとした。
が、同時に起きたふたつの現象によって、俺の怒声は咽喉の真ん中あたりで留まることになった。
俺の後ろを歩いていたアイ=ファが俺の腕を取り。
俺の前を歩いていたレイト少年が「やめてください」と静かな声をあげたのである。
「この方たちは、僕の主人の客人です。客人への無礼は主人への無礼と見なさせていただきますが、それでよろしいですか?」
そのまだ変声期を迎えていないボーイソプラノの声からは、感情らしい感情がすっぽり抜け落ちてしまっていた。
少年は男たちのほうを見ていたので、俺にはその表情を確認することはできなかったが。代わりに、男たちの表情を目にすることはできた。
野卑な声をあげていたふたりが、酒瓶を掲げたまま、硬直してしまっている。
その顔は――森で猛獣に出くわしてしまった人間みたいに目を見開き、恐怖の表情を凍りつかせてしまっていた。
「何だ、どうした?」と残りの連中が仲間の肩をゆさぶる。
それを尻目に、レイト少年は俺に向かってにこりと笑いかけてきた。
「失礼しました。では、行きましょう」
主人が主人なら弟子も弟子ということか。
溜息をつきながら足を踏み出すと、アイ=ファに「おい」と背中を小突かれる。
「ダルム=ルウのときにも言ったが、身を守る力もないくせに、いきりたつな。お前は時として短絡的に過ぎる」
「……アイ=ファだって、ハンバーグがからむと短絡的になるくせに」
「それが今、関係あるか」と、さらに何発も背中を小突かれる。
すみませんね、非力なかまど番の泣き言です。