紫の月の二十四日~選ばれし四名~
2019.12/3 更新分 1/1
その翌日、紫の月の24日も、賑やかかつ平和に時間は過ぎ去っていった。
特筆するべきは、『中天の日』に準備する『ギバの丸焼き』について、ジェノス侯爵マルスタインの名において正式に依頼が為されたことであろうか。
まあ、こちらも根回しは済ませていたので、これといった問題はない。14台に増設される屋台できちんと仕事を果たせるように、段取りを進めるばかりである。俺が手伝いを願った氏族の人々も、大いに奮起してくれていた。
あとはその日から、リコたちが城下町に招かれることになった。さしあたっては、毎日決まった時間に衛兵が迎えに出て、その監視下のもとに、広場で傀儡の劇を披露させる、という段取りに落ち着いたようだ。
公演時間は昼下がりの一刻で、その時間内に『森辺のかまど番アスタ』を含むいくつかの劇を披露する。それであるていどの評判を呼べるようならば、正式に通行証を発行してもよい――という具合のお達しであった。
「あんなに立派な城下町の通行証がいただけたら、旅芸人としての誉れです。わたしたちの力が及ぶかはわかりませんが、精一杯頑張らせていただこうと思います」
わざわざ報告に来てくれたリコは、頬を火照らせながらそのように語っていた。
《ギャムレイの一座》なんかは城下町にこれっぽっちの興味もない様子であるが、《ほねがらすの一座》の再興を願うリコたちにとっては、旅芸人としての箔をつける大きなチャンスであるのだろう。俺としても、その成功を心から願うばかりであった。
それともう一点、復活祭の終盤に行われる『トトスの早駆け大会』についてである。
俺とアイ=ファを祝賀の宴に招待したいというフェルメスからの依頼を受けて、三族長による会談が行われたのであるが――その末に、ルウだけではなくザザとサウティからも選手を出場させようという話が持ち上がることになった。
発案者は、ダリ=サウティである。それを理由に、祝賀の宴にはルウとファのみならず、ザザとサウティの人間も招いてもらおうではないか、という提案が為されたのであった。
「森辺の人間が多ければ多いほど、アスタとアイ=ファも心を安らがせることができるだろう。外交官フェルメスが悪心をもってアスタに執着しているとは思わんが……俺たちは同胞を導く族長として、遺漏なく事態を見届けるべきであろうと考える」
ダリ=サウティは、そのように述べていたらしい。
俺とアイ=ファにしてみれば、ありがたく思うばかりである。特にアイ=ファなどは、「ダリ=サウティには直接感謝の言葉を伝えねばな」と言っていた。
かくして、早駆けの大会には4名の狩人が出場することと相成った。
ルウの血族から2名、ザザとサウティの血族から1名ずつ、という割り振りである。誰が出場するかについては、それぞれの氏族で独自に予選が行われることになったのだが――その結果も、なかなかに興味深かった。
「ザザの血族からは、ドムの家のドッドが選ばれたそうです」
そのような言葉を伝えてくれたのは、トゥール=ディンであった。この時期、多忙なるトゥール=ディンは北の集落まで出向いて勉強会を行う時間がなかったので、数日置きにスフィラ=ザザを筆頭とするかまど番たちがディンの家まで訪れており、そちらから予選の結果が伝えられたのだった。
ちなみにザザの血族において、予選は北の集落に住まうザザ、ドム、ジーンでのみ行われたらしい。ディンとリッド、およびハヴィラとダナは、自分たちのトトスを所有しているわけではないし、そもそもトトスにまたがって走らせた経験もないからということで、辞退を申し出たのだそうだ。
それにしても、これは想定外の結果であった。俺は漠然と、またゲオル=ザザあたりが予選を勝ち抜いて出場することになるのではないかと考えていたのだ。
「それは、なかなか意外な結果だね。ドッドはトトスを走らせるのが得意だったのかな?」
「いえ。北の集落においても、トトスにまたがって走らせるという行いはほとんど為されていなかったようです。それで、ダン=ルティムに手ほどきを受けた狩人たちが、ふたりずつ駆け比べをして……それに勝ち抜いたのが、ドッドであったようですね」
北の集落には、卓越した力を持つ狩人が多数存在するはずである。その中で、いまだ見習いの身であるドッドが、どうして勝ち抜くことができたのか――しばらく思案したのち、俺はそれらしい解答をひねり出すことができた。
「ああ、もしかしたらだけど……ドッドはわりあい小柄なほうだから、駆け比べで有利だったのかもしれないね」
「ドッドは、小柄ですか? 最近では、めっきり立派な身体つきになってきたように思うのですが……」
「うん、まあ、体格はね。でも、背丈は俺よりも小さいぐらいだろう? 北の集落は大柄な人間が多いっていう話だから、その中では小柄なほうなんじゃないかな」
何にせよ、騎手の重量が軽ければ軽いほど、トトスの負担は減ることだろう。それが理由のすべてではないにせよ、一因ぐらいにはなっているように思われた。
そしてサウティの血族から選出されたのは、ヴェラの若き家長であった。
こちらは平均的な背丈であるが、すらりとした体格の若者だ。やはり、あまり大柄な人間よりは、そういった体格のほうが騎手には向いているのだろう。
で、肝心のルウの血族である。
こちらはもとより、自発的に参加を願う人間が多かったのだ。ならばいっそ、トトスを走らせることを得意とする人間を集結させて、予選の力比べを行おうという話に落ち着いていたのだった。
その白熱した予選大会の一端を、俺はこの目で見届けることになった。俺たちが宿場町への道すがらでルウの集落に立ち寄ったところ、その場で予選大会が開催されていたのである。
人々は広場の中央に集まって、外周を駆け回るトトスに声援を送っていた。俺たちが到着したとき、熱戦を繰り広げていたのはルド=ルウとダン=ルティムであった。
最初の半周は抜きつ抜かれつであったが、じきにルド=ルウの乗るルウルウがリードを広げ始めた。ミム・チャーにまたがったダン=ルティムは「ぬおー!」と雄叫びをあげていたが、規定の2周を終えるまでその差が縮まることはなかった。
「うむ、まったくかなわなかったな! これはミム・チャーではなく、俺に原因があるのであろう!」
「そりゃー俺とダン=ルティムじゃ、重さが違うからな。たぶんトトスを取り換えても、結果は変わらねーよ」
やはりこちらでも、騎手の重量というものに着目されているようだった。
集落の入り口でそのように考えていると、見物人の中からシン=ルウが近づいてきた。
「もう宿場町に向かう時間であったのだな。こちらももうそんなに時間は食わないはずだが、よければ先に向かってほしいとレイナ=ルウが言っていた」
「いや、今日は時間にゆとりがあるから、俺も見届けさせてもらおうかな。シン=ルウも参加したのかい?」
「うむ。俺はダン=ルティムにまったくかなわなかった。俺が乗ったのもルウルウであったので、乗る人間の重さがすべてではないのだろう」
「ああ、ダン=ルティムは普段からトトスの早駆けを楽しんでるみたいだからね。そういう経験も重要なのかな」
俺たちが語らっている間に、次の勝負が始められていた。
レイ家のトトスにまたがったラウ=レイと、ルウルウにまたがったリミ=ルウである。ギルルの手綱を握ってたたずんでいたアイ=ファは、その光景に目を丸くすることになった。
「シン=ルウよ、この力比べには、狩人ばかりでなく女衆まで加わっているのか?」
「女衆で加わったのは、リミ=ルウだけだ。リミ=ルウもトトスにまたがることを好んでいるので、手綱さばきはなかなか巧みであるらしい。すでに2回は勝ち抜いているのだ」
しかし残念ながら、リミ=ルウはラウ=レイに敗北することになった。一馬身というか、一トトス身ほど引き離されてのゴールである。
「トトスを早く駆けさせるには、自身の肉体の力も重要であるはずだからな。幼いリミ=ルウでは、やはり限界があろう」
「そうだよな。俺もアイ=ファみたいにギルルを駆けさせることは、なかなかできないしさ」
その次には、ジーダとギラン=リリンの勝負が行われることになった。
ジーダが乗るのは赤毛のジドゥラで、ギラン=リリンはリリン家所有のトトスだ。森辺に移り住んでから、シュミラル=リリンが家のために購入したトトスである。
これはかなりの接戦であったが、勝利したのはジーダであった。バルシャやミケルとともに観戦していたマイムが飛び上がって喜んでいるのが、とても微笑ましい。
そしてお次は、シュミラル=リリンとダルム=ルウであった。
シュミラル=リリンの登場に、俺は思わず心を弾ませてしまう。
(東の民は、トトスの扱いに長けてるっていうもんな。シュミラル=リリンも、かなりの実力者なんだろうか)
審判役の男衆が、「始め!」と号令をあげた。
ロケットスタートと言いたくなるような勢いで、ダルム=ルウの操るルウルウが先に出る。3メートル、5メートル、とどんどんその差は開いていき、半周を過ぎる頃には雌雄も決されたかに思えた。
が、その後にシュミラル=リリンの操るトトスはするすると加速していき、ダルム=ルウの操るルウルウは見る見る減速していった。
終わってみれば、大差でシュミラル=リリンの勝利である。内心ではしゃぐ俺のかたわらで、シン=ルウは「ふむ」と小首を傾げていた。
「不思議なものだな。シュミラル=リリンは誰が相手でも、あのように逆転勝ちしてしまうのだ。最初はわざと遅く走らせるほうが有利なのだろうか」
「絶対に有利ってことはないんじゃないのかな。たぶん、トトスの性格や特性にも関わってるんだろうと思うよ」
俺に競馬の素養はないが、それでも「逃げ馬」「差し馬」「追い込み馬」ぐらいの言葉は耳にしたことがある。リリン家のトトスは、「追い込み馬」タイプである、ということなのだろう。
「何にせよ、これで4人が勝ち抜くことになった。あとは1回ずつ勝負をして、それでおしまいだ」
シン=ルウの説明によって、ルド=ルウとラウ=レイとジーダとシュミラル=リリンがベスト4であることが知れた。出場枠は2名であるので、次が最終決戦であったのだ。
まずは、ルド=ルウとラウ=レイの勝負である。乗るのは、ルウルウとレイ家のトトスだ。
両者はスタートからかなりの速度を出しており、いきなり鍔迫り合いの様相を呈していた。
どちらも「逃げ馬」タイプであるのか、それとも単に騎手の性格なのか。ルド=ルウ対ダン=ルティムの勝負と同じように、抜きつ抜かれつの大接戦であった。
しかし、ゴールまであと数メートルというところで、レイ家のトトスががくんと失速した。
ルド=ルウは同じ勢いのままルウルウを走らせて、無事にゴールを決める。大好きな兄と家人の勝利に、リミ=ルウは「やったー!」とはしゃいでいた。
「朝から何度も走らせていたので、こちらのトトスは力が尽きてしまったようだ。町の力比べでは今日以上に走らせられるという話であるのだから、これでは勝ち進むこともできなかったろうな」
地面に降り立ったラウ=レイはそれほど悔しそうな様子も見せず、トトスをいたわるように首を撫でた。
「お前はよく頑張ったと思うぞ。今日はもう仕事もないので、ゆっくり休むがいい」
レイ家のトトスはいくぶん小柄で、やや鋭めの目つきをしている。が、そのときばかりは甘えるように、「クウ」と咽喉を鳴らしていた。
そうして最後の勝負、ジーダ対シュミラル=リリンである。
こちらはルド=ルウたちとは異なり、比較的ゆるやかなスタートであった。
そして、両者ともに同じタイミングで、じょじょにスピードを上げていく。そうすると、けっきょくは鍔迫り合いの接戦となるので、広場の見物人たちも白熱した様子で歓声をあげることになった。
ジーダは内、シュミラル=リリンは外のコースを取って、広場の外周を駆け巡っていく。
そして――最後の直線に入る寸前、ジーダの操るジドゥラがわずかに外側にふくらむと、シュミラル=リリンの操るトトスがその内側に鋭く切り込んだ。
これがいわゆる、「差し」というものなのだろうか。
何にせよ、門外漢の俺が思わずハッとするほどの、それは鋭い切り込みであった。
その瞬間に勝負は決したようで、シュミラル=リリンの乗ったトトスは一直線にゴールを踏み越える。それまでは五分の勝負であったのに、ジーダの乗るジドゥラは3メートルほど遅れてのゴールであった。
「どうやら……シュミラル=リリンの力は、図抜けているようだな」
アイ=ファが低い声で、そのようにつぶやいた。
「そうなのか?」と俺が問いかけると、ずいぶん真剣そうな面持ちで「うむ」とうなずく。
「勝負に勝つにはトトスをどのように走らせるべきか、それを熟知しているように感じられる。そして、それをトトスに正確に伝えるすべも持っているのであろう。あれほど細やかな力加減を伝えることができるというのは……生半可な話ではなかろうな」
俺は何だか、ますます胸が弾んできてしまった。
「なあ、ちょっとシュミラル=リリンに声をかけてきてもいいか?」
「勝手にせよ」とばかりに、アイ=ファは肩をすくめる。
俺は速足で、広場の中央で談笑するリリン家の人々のもとに向かうことになった。
「シュミラル=リリン、おめでとうございます。これで、町の大会にも出場できるのですね」
ヴィナ・ルウ=リリンらと語らっていたシュミラル=リリンは、「はい」と穏やかに微笑んだ。
「ですが、貴族のトトス、強い力、持っているでしょう。私、どれだけ勝ち抜けるか、わかりません」
「そうですか。でも、俺は応援していますから、どうか頑張ってください。何せ、上位入賞者は祝賀の宴に招かれるのですからね」
「はい。アスタ、ともに、参席できれば、嬉しく思います」
そんな風に答えてから、シュミラル=リリンは愛する伴侶を振り返った。
「もちろん、ヴィナ・ルウもです」
「あらぁ……なんだかわたしは、おまけみたいな扱いねぇ……」
くすくすと笑いながら、ヴィナ・ルウ=リリンはそのように応じた。その魅力的な笑顔に、シュミラル=リリンも笑顔で応じる。
ルウの血族からは、ジザ=ルウとレイナ=ルウとヴィナ・ルウ=リリンが祝賀の宴に出向く予定になっているのだ。シュミラル=リリンとルド=ルウがそこに加われるかどうかは、大会の結果次第であるのだった。
そうして、森辺からの出場選手は決定された。
大会の本番は、『中天の日』の3日後、紫の月の29日だ。俺たちは闘技場のそばで屋台を出す予定になっているが、願わくは俺たちの仕事が終わるまで、その4名には勝ち進んでほしいところであった。
◇
そして翌日、紫の月の25日である。
『中天の日』の前日で、夕刻から建築屋の人々を森辺に招く、お楽しみの日だ。
昼の休みに屋台へとやってきたおやっさんたちは、予定に変更がないことを告げてくれた。仕事は下りの四の刻の半に切り上げて、スンの集落で祭祀堂の様子を確認したのち、それぞれの氏族の家に向かう、というスケジュールである。
「ディアルたちにも、その時刻に《南の大樹亭》を訪れるように伝えてもらいました。おやっさんたちとの再会を楽しみにしている、とのことですよ」
「ふん。俺たちに便乗して森辺に招いてもらおうという目論見なのだから、そのていどのお愛想は必要だろうな」
おやっさんは面白くもなさそうに言っていたが、ディアルたちに悪い感情は持っていないのだろう。というか、悪い感情を持っていたならば、それは隠さないのがジャガルの流儀であるのだ。ディアルと末娘は年齢も近いことだし、そこで新たな絆が育まれれば幸いであった。
そうしておやっさんたちがトゥランの仕事場に引き上げた後には、入れ替わりで《銀の壺》の面々がやってきた。
彼らは彼らで、本日森辺の晩餐に招待されている。招待したのは、もちろんリリンの家である。
「ギラン=リリン、絆、深めたい、言ってくれました。心より、嬉しく思っています」
「本当ですね。可能なら、俺もまじりたいぐらいです」
しかしこれは、シュミラル=リリンを中心とした、《銀の壺》とリリン家の絆を深めるための行いであるのだ。俺は俺でおやっさんたちを家に招くという楽しいイベントを抱えた身であるのだから、あまり欲張ったことを言えたものではなかった。
「あ、そういえば、シュミラル=リリンが早駆けの大会に出場することが決定されたのですよ。その日は、観戦に行かれるのですか?」
「出場、決まりましたか。ならば、おもむきたい、思います」
「シュミラル=リリンは、かなりの腕をお持ちのようですね。本番でどれだけの結果を残せるか、俺も楽しみにしています」
「はい。ですが、シュミラル=リリン、自分のトトス、乗るのですね?」
自分のトトスとは、シュミラル=リリンがリリンの家のために購入したトトス、という意味であろう。俺が「はい」とうなずくと、ラダジッドは「そうですか」と小さく息をついた。
「シュミラル=リリン、銅貨、無駄にしないため、安いトトス、買いました。もちろん、若く、健康なトトスでしたが、その力、凡庸です」
「凡庸、ですか。たとえば、ラダジッドたちが荷車を引かせているトトスなんかとは、かなり力の差があるのでしょうか?」
「はい。草原の民、トトス、育成のすべ、知っています。また、草原、生まれ育ったトトス、地力、違う、思います」
もともとトトスというのは、東の王国から伝来されたものであるようなのだ。それゆえに、東の民はトトスの扱いに長けている、とされているのだろう。
「それでしたら、そちらのトトスを1日だけシュミラル=リリンにお貸しすれば……いや、そういう話にはならなそうですね」
「はい。シュミラル=リリン、森辺の民として、出場します。ならば、リリンのトトス、使いたい、思うでしょう。勝利のため、志、曲げる、ありえません」
「そうですね。きっとシュミラル=リリンなら、そう考えると思います」
ラダジッドは、まぶしいものでも見るように目を細めて、俺の顔を見つめてきた。
「アスタ、シュミラル=リリンのこと、理解している。嬉しい、思います」
「いえいえ、長年生活をともにしているラダジッドたちには、とうてい及びません」
だけど俺は、ラダジッドにそんな風に言ってもらえたことが、とても嬉しかった。
そこで注文のクリームパスタが仕上がったので、ふた皿ずつを手に携えながら、ラダジッドたちがきびすを返そうとする。その去り際に、ラダジッドは「明日、楽しみ、しています」と言い残してくれた。
明日は『中天の日』なので、またラダジッドたちとも昼から語らうチャンスがあるのだ。
俺がうきうきとした気持ちで仕事に励んでいると、今度は単身でカミュア=ヨシュが現れた。ザッシュマも連れ立っていたが、途中で別れてレビたちの屋台に並んだ様子である。
「やあ、アスタ。今日は南の建築屋を森辺に招く日だったよね。森辺の晩餐に招かれるだなんて、羨ましい限りだよ」
「あはは。カミュアだったら、いつでもルウ家なんかに招いてもらえるのではないですか?」
「そうは言っても、こちらから招待しろとせがむわけにはいかないからねえ。というか、ファの家には誘ってもらえないのかな?」
「俺は家長の許しさえあれば、いつでも歓迎いたしますよ」
パスタを茹であげながらアイ=ファを振り返ると、我が最愛なる家長は愛想の欠片もない顔でカミュア=ヨシュを見返した。
「お前が森辺を訪れたいというのなら、それを拒む理由はない。しかし、復活祭の間はこちらも多忙にしているので、時期を待ってもらいたい」
「そうか。それじゃあ、復活祭の後を楽しみにしているよ」
カミュア=ヨシュがそのように言ったとき、往来で行われていたピノたちの余興が終了した。
草籠を抱えた双子たちが、こちらにちょこちょこと近づいてくる。その目がカミュア=ヨシュの姿をとらえるなり、驚くべきことが起きた。いつもおどおどとしているアルンとアミンの小さな顔に、輝くような笑みが広げられたのである。
「カミュア=ヨシュ! こちらにいらしたのですね!」
双子たちは、これまた聞いたこともないような大きな声をあげながら、カミュア=ヨシュのもとに駆け寄った。なんというか、親を見つけた子犬のごとき風情である。また、もともと可愛らしい顔立ちをしているアルンとアミンであるので、その無邪気な笑顔は天使さながらであった。
「やあ、アルンとアミンか。今日も昼から、お疲れ様」
カミュア=ヨシュはいつも通りのとぼけた笑顔で、双子たちを見下ろしている。双子たちは草籠という荷物がなかったら、カミュア=ヨシュの外套に取りすがりそうな勢いであった。
「この前の芸は、楽しませてもらったよ。ふたりの芸を見るのはひさびさだったけど、ずいぶん上達したみたいだねえ」
「ありがとうございます。カミュア=ヨシュにそのように言っていただけたら、心より光栄に思います」
双子の片割れ――おそらく男児のアルンのほうなどは、その目にうっすらと涙をたたえていた。
すると、ふたりの背後からピノが「こらァ」と近づいてきた。
「アンタたちは、仕事のさなかだろォ? みなサンがたが感心してるうちに出向かないと、銅貨をもらい損ねちまうじゃないかさァ」
「あ、ど、どうもすみません、ピノ……」
「で、でも、カミュア=ヨシュにご挨拶をさせていただくのはひさびさだったので……」
双子たちは、たちまちしゅんとした様子でピノを振り返った。
ピノは手にしていた横笛で自分の肩を叩きながら、「まったくねェ」と唇を吊り上げる。
「いいから、仕事に行ってきなァ。アンタたちの仕事の終わるまで、このお人はアタシが足止めしておくからさァ」
「だ、だけどそれでは、カミュア=ヨシュにご迷惑では……?」
と、アミンが心配そうにカミュア=ヨシュを見上げた。
カミュア=ヨシュは、やはりのんびりと微笑んでいる。
「俺は料理を注文したところだから、足止めなんてされなくてもしばらくは動かないよ。アルンとアミンの仕事が終わったら、ひさびさにゆっくり語らおうか」
「本当ですか?」と、双子たちは顔を輝かせた。
そしてピノに追い払われるようにして、青空食堂のほうに駆けていく。そちらから見物料を集めるのが、彼らの大事な仕事であったのだ。
「まったくさァ。アンタがなかなか寄りついてくれないモンだから、アイツらも腰が据わらないんだろォ? どうせヒマなカラダなんだから、ちっとはアイツらのお相手をしてやっておくれよォ」
「いやあ、ピノたちはいつも忙しそうにしているから、ついつい遠慮してしまうのだよねえ。この後だって、あちこちを巡って余興を見せるんだろう?」
「ふン。こうなったからには、しばらく遊ばせるしかないだろうさァ。アンタとじっくり語らい尽くすまで、アイツらも仕事なんざ手につかないだろうからねェ」
ふたりの会話の内容からも、アルンとアミンはずいぶんカミュア=ヨシュを慕っている様子であった。めっきり姿を見せなくなってしまった吟遊詩人のニーヤとは、ずいぶんな差である。
「あの、カミュア=ヨシュはアルンやアミンと、何か特別な関係なのですか?」
俺がそのように問いかけると、本人ではなくピノのほうが答えてくれた。
「むかァし、アイツらが危ないところを救ったのが、このカミュアの旦那なんだよォ。それ以来、こうやってべったりと懐くことになっちまったのさァ」
「なるほど。それはもしかして、《ターレスの月》に襲われたときの話なのですか?」
「いいやァ、たしかあの頃は、まだアイツらも一座には加わってなかったはずだよォ。アレは、ロロが加わってすぐの頃だったはずだからねェ」
当たり前の話なのであろうが、《ギャムレイの一座》も最初からこの13名が勢ぞろいしていたわけではないのだ。その中で、若年であるロロや双子たちが新入りというのは、まあ妥当な話なのであろう。
(ただ、外見上だけなら、ピノはロロより若く見えるんだけどな)
しかし俺は、6年前から同じ姿をしているというピノがいったい何歳であるのか、いまだにそれを聞けずにいた。それを尋ねるのは、ギャムレイの炎の曲芸が手品なのか魔法なのか、と問うのと同じぐらい、野暮なことに思えてしまうためである。
(それに、どうせ素直には答えてくれそうにないしな)
何にせよ、アルンとアミンの笑顔というのは、俺の心にも温かい気持ちをもたらしてくれた。それに、カミュア=ヨシュが他者から慕われるというのは、なかなか微笑ましいものである。レイトやターラの例を見るからに、カミュア=ヨシュは幼子に好かれる人柄であるのかもしれなかった。
そんな具合に、その日の商売も賑やかに、かつ平和に終わりを迎えることになったのだった。