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異世界料理道  作者: EDA
第四十七章 太陽神の復活祭、再び(上)
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紫の月の二十二日⑩~炎のフィナーレ~

2019,11/20 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 たっぷり半刻ぐらいをかけて屋台巡りを満喫した俺たちは、建築屋の人々が待つ《南の大樹亭》を目指すことになった。

 宿屋の食堂も、街道に劣らず大賑わいである。しかも《南の大樹亭》の宿泊客はそのほとんどが南の民であったため、賑やかさもひとしおであった。


「おお、わざわざ悪いな、アスタ! 面倒をかけないように言いつけておいたから、どうかよろしくお願いするよ!」


 酒気で顔を真っ赤にしたメイトンが、笑顔でそのように言いたてている。昼にもふるまいの果実酒をさんざん口にしていたのに、大した酒豪である。

 そのかたわらで酒杯を傾けていたバランのおやっさんは、わざわざ立ち上がって頭を下げてきた。


「本当に世話をかけるな。こんな話、断ってくれてもよかったんだが……」


「いえいえ、とんでもない。ご家族のみなさんと交流を深められるのですから、俺はとても嬉しく思っています」


 デルスとワッズは、食堂の中央でアルダスたちと飲んだくれていた。建築屋の面々とは、おおむね良好な関係を結べた様子である。


「それじゃあ、よろしくお願いしますねえ、森辺のみなさんがた」


 おやっさんの伴侶を先頭にして、ご家族の女性陣がぞろぞろとついてくる。そうして宿屋を出てみると、その人数は9名であった。全員が女性であるが、年齢はさまざまだ。


 それを迎える森辺のメンバーは、最初に組で分かれた6名のみである。それ以外の人々は、先に天幕に向かっているのだ。《ギャムレイの一座》の天幕には人数制限があるので、あまり大人数で押しかけても待ち時間がのびるばかりであったのだった。


「ああ、あんたたちも、またいたんだね」


 と、バラン家の末妹がシュミラル=リリンたちに目を向ける。日中、俺が森辺に戻った後も、彼女たちはしばらく同じ場所で語らっていたはずだった。


「それじゃあ、天幕に向かいましょう。みなさん、満足されると思いますよ」


「ふん。見物料なんて、たかだか赤銅貨1枚なんでしょ? 果実酒の瓶1本と同じ値段なんだから、あたしらが父さんたちに文句を言われる筋合いはないよねー」


 歩きながら、末妹はそのように言いたてた。それをなだめるように、母親が笑いかける。


「でも、ああいう場所では芸を見るたんびに、銅貨をふるまうもんなんだよ。そら、傀儡の劇をただ見するのは、浅ましいこったろ? 最初に払う赤銅貨1枚だけで済むわけじゃないのさ」


「だからって、赤銅貨を2枚も3枚もふるまうわけじゃないでしょ? 父さんたちの飲んでる果実酒のほうが、よっぽど高くつくじゃん」


「あんたは果実酒を口にしないからそう思うんだろうけど、あたしらは果実酒もいただいちまってるからねえ」


 おやっさんの伴侶はそのように言っていたが、べつだん酔っぱらっている様子もないので、たしなむぐらいのものであるのだろう。他の女性陣も、それは同様であった。


 往来はまだまだ賑わっているので、はぐれないように気をつけながら歩を進める。そうして露店区域に差しかかったあたりで、ヴィナ・ルウ=リリンが「あらぁ……」と声をあげた。


「あれって、ディック=ドムじゃない……? あんなに大きな男衆は、町にもあんまりいないものねぇ……」


 ヴィナ・ルウ=リリンの言う通り、黒褐色の蓬髪が人垣の上に飛び出していた。

 こちらに横顔を向けて、何かに見入っているようだ。その視線を追ってみると、露店のスペースには傀儡の劇の台座が置かれていた。


 ディック=ドムは立ち止まっているので、やがて俺たちが接近する格好になる。そうしてヴィナ・ルウ=リリンが声をかけると、ディック=ドムはうろんげに振り返った。


「ああ、リリンの……ファの者たちと一緒であったのか」


「ええ、そうよぉ……あなたたちは、何をやっていたのかしらぁ……?」


 人垣に埋もれてしまっていたが、そこにはもちろんモルン=ルティムもいたのだ。

 口の重いディック=ドムの代わりに、モルン=ルティムが笑顔で答えてくれた。


「リコたちの劇が始まらないかと思って、少し様子を見ていたのです。でも、いまは身を休めているようですね」


「それはそうよぉ……さっきわたしたちが通りかかったとき、何かの劇を見せていたもの……劇が終わったばかりなのだから、しばらくは休んでいるのじゃないかしら……」


「それは残念です。ヴィナ・ルウ=リリンたちは、どこに向かわれるのですか?」


「わたしたちは、《ギャムレイの一座》の天幕に出向くところよぉ……モルン=ルティムたちは、もうあの天幕を覗いたのかしらぁ……?」


「はい。実に見事な芸でした。あれもリコたちの劇に劣らず、何度でも見たくなってしまいますね」


 すでに《ギャムレイの一座》の天幕にお邪魔していたのなら、同行を誘うわけにもいかない。俺たちはふたりに別れの挨拶をして、再び街道を進むことになった。

 すると、末妹が横から俺の腕をつかんでくる。


「ねえ、ちょっと――」と言いかけてから、末妹は慌てて俺の腕を離した。


「あ、ごめん。森辺の民は、異性の身体に触れちゃいけないんだよね」


「ああ、うん。それは、おやっさんから聞いたのかな?」


「うん。森辺には色んな掟があるから、絶対にそれを破るなってさ。……あたし、まずいことしちゃった?」


「いやいや、これぐらいで叱られたりはしないよ」


 などと言いながら、俺はちらりとアイ=ファの様子をうかがった。

 アイ=ファもこちらを横目で見やりながら、「まあよかろう」とばかりに口を引き結んでいる。何とはなしに、俺の肩に乗っている黒猫を思い出させる面持ちであった。


「それで、俺に何の用事だったのかな?」


「ああ、そうそう。あの色っぽい姐さんが、さっきの娘のことをモルン=ルティムって呼んでたよね。それって、あんたたちがあたしに似てるって言ってた娘の名前じゃなかったっけ?」


 それは彼女たちがジェノスに到着した日、《ヴァイラスの広場》にてユン=スドラが語っていた言葉であった。


「ああ、そうだね。ユン=スドラが言っていたのは、彼女のことだよ」


「えー、全然似てないじゃん! あたし、あんなに可愛くないし!」


 と、末娘はすねたように頬をふくらませてしまう。

 確かに俺も、まだこの娘さんとモルン=ルティムが似ているという印象はつかめていない。ユン=スドラは「笑顔が似ている」と述べていたのだが、彼女はなかなか笑顔を見せてくれないのだ。


(どっちかというと、内面はララ=ルウに似てるみたいだしな。でも、ララ=ルウも笑顔は魅力的だから、この娘さんも笑ったら印象が変わるんじゃないのかな)


 俺はそのように考えたが、そんな話を伝えたら、いっそう笑顔を隠してしまいそうなところである。

 結果、俺は返答に窮してしまい、ぷいっとそっぽを向いた末妹はそのまま母親のほうに戻ってしまった。


 そんな一幕を経て、《ギャムレイの一座》の天幕に到着する。

 予想通り、天幕には長い行列ができていた。その中ほどに並んでいたリミ=ルウが「わーい」と手を振ってくる。


「待ってたよー! でも、みんなは後ろに並ばないといけないのかなー?」


「それはそうだろうね。どっちみち、この人数で一緒に入ることはできないだろうしさ」


「それじゃあ、リミたちが見終わったら、外で待ってるね!」


 そこに並んでいたのは、ルウの血族の面々のみであった。トゥール=ディンたちは、時間をあらためることにしたのだろう。

 ちなみに天幕の内部は足もとが悪いので、ジバ婆さんはルド=ルウに背負われていた。そちらとも挨拶を交わしてから、俺たちは列の最後尾へと向かう。


 するとそこには、意想外の面々が並んでいた。

 デイ=ラヴィッツを始めとする、ラヴィッツの血族の人々である。


「ふむ。お前たちも、この見世物に価値があると判じたのだな」


 ライエルファム=スドラがそのように呼びかけると、デイ=ラヴィッツは忌々しそうに鼻を鳴らした。


「スドラの家長か。いいところで会ったな。お前には、これを捧げさせてもらう」


 デイ=ラヴィッツが、ぐっと手を差し出してくる。その手に平にのせられているのは、赤い造花であった。


「ほう。これはもしかしたら、アスタがそちらの娘に渡したものなのではないのか?」


 そちらの娘とは、もちろんマルフィラ=ナハムのことである。モラ=ナハムと末妹にはさまれたマルフィラ=ナハムは、恐縮した様子で頭を下げていた。


「この際、出どころは関係あるまい。スドラの家に借りを作るいわれはないので、同じ価値のあるもので返したいと思う」


「うむ。お前がそのように考えたのなら、素直に受け取っておくことにしよう」


「……ただし、お前がナハムの三姉にこの見世物を見せる機会を与えたという事実は、同じものを返しても返しきれない恩義となろう。それに関しては、礼を言わせてもらう」


 ぐいっと胸を張りながら、デイ=ラヴィッツはそのように言いたてた。

 受け取った造花を懐に仕舞い込みながら、ライエルファム=スドラはくしゃりと微笑む。


「お前は愉快な男だな、ラヴィッツの家長よ」


「なんだ。礼を言って、笑われる筋合いはない」


 額に皺を寄せながら、デイ=ラヴィッツは正面に向きなおった。

 あらためて、俺たちはその後ろに列を為す。すると、家族のもとを離れたナハムの末妹がこちらに近づいてきた。


「あのー、ちょっと内緒話をさせてもらえます?」


 どこかレイ=マトゥアを思わせる、無邪気で可愛らしい娘さんである。

 内緒話というのは不穏であったが、べつだんアイ=ファたちの耳をはばかっている様子はなかったので、俺は「なんだい?」と問うてみた。


「あたしたち、今日の晩餐は町の人間の売ってたギバ料理で済ませることになったんです。あたしたちがアスタたちの屋台で料理を買うと、町の人間の取り分が減っちゃうから控えるべきだって、ラヴィッツの家長や父さんなんかに言いつけられたんですけど……やっぱり、そうなんですか?」


「いや、そんなことはないよ。森辺の人たちだって、何人かは買いに来てくれたしね」


「でも、町の人間の取り分が減っちゃうってのも、本当のことですよね」


 俺はしばし思案してから、「いや」と答えてみせた。


「それは森辺の民らしいつつましさだと思うけど、同じ銅貨を払うんだったら遠慮はいらないさ。森辺の民だろうと町の人たちだろうと、俺は食べたいと思ってくれている人たちに食べてほしいと思っているよ」


「ふーん、そうなんですか?」


「うん。今日の『ギバの丸焼き』なんかはまったく量が足りていなかったから、森辺の人たちの遠慮深さがありがたかったけどね。でも、森辺の民だって町の人たちと同じ、四大神の子供なんだ。対等の立場で、同じように復活祭を楽しむのが、本当の意味で喜びを分かち合うってことになるんじゃないのかな」


 末妹もまた、しばし無言で考え込んだ。

 そののちに、にこーっと輝くような顔で笑う。


「わかりました! 父さんたちに、そう言ってみます! やっぱりアスタって、立派なお人なんですね!」


「いや、そんなことはないよ。森辺の人たちの遠慮深さっていうのも、俺は美点だと思ってるしね」


「でも、あたしはアスタの料理を食べたかったから、すっごく残念だったんです。その気持ちは町の人間にも負けないと思うから、きっと父さんたちもわかってくれると思います!」


 そうして笑顔のまま、末妹は身を引いた。


「それじゃあ今度の祝日という日は、楽しみにしていますね! あと、これからもマルフィラ姉をよろしくお願いします!」


 まるで清涼なる春の風のように、末妹は駆け去っていった。

 すると、こっちの末妹が「あーあ」と不満そうな声をもらす。


「いまの娘も、すっごく可愛かったなー。誰も彼も、どうしてこんなに可愛いんだろ」


「あんたもしつっこいねえ。あんたを可愛いって思ってくれる人間は、ネルウィアにだって山ほどいるはずだよ」


 彼女の母親は笑いながら、娘の頭を小突いていた。

 末妹は何か言い返そうとしたようだが、折しも行列が進み始めたので、けっきょく口をつぐむことになった。この天幕では10名ずつぐらいを等間隔で入場させているので、動くときには一気に動くのだ。


 気づけば、リミ=ルウたちの姿も天幕に消えている。それからも2分置きぐらいに行列は進み、それを5回ほど繰り返して、俺たちも天幕に足を踏み入れることになった。

 天幕の内部にも、20名ぐらいが並べるスペースがある。ラヴィッツの血族と、建築屋のご家族と、俺たち6名が踏み込むと、若干のキャパオーバーであった。


「いらっしゃァい。森辺のお人らと南のお人らで分かれてもらえるかァい?」


 受付役のピノがそのように言いたててきたので、俺が「すみません」と事情を説明することになった。


「実はこちらの南の方々には、俺たちが付き添う約束をしているのです。合計15名なのですが、一緒に入場することはできますか?」


「あァ、そうかい。15名ぐらいなら、まァ大丈夫さァ。それじゃあ、お先の8名様は見物料をいただけるかァい?」


 先頭のデイ=ラヴィッツが懐をまさぐりつつ、「ふん」と鼻を鳴らすのが聞こえた。


「血族だけで見物できるなら、幸いだ。銅貨は、赤が1枚ずつだな?」


「えェ、幼子は見当たらないから、みィんな赤銅貨1枚ずつでさァ。それじゃあ、こちらからどうぞォ」


 肩を怒らせたデイ=ラヴィッツに続いて、マルフィラ=ナハムたちも幕の向こうに消えていく。

 そうして俺たちが先頭に立つと、ピノはくすくすと笑い声をもらした。


「なんだか今のお人は、アスタたちと入りたかったみたいだねェ。まったくアンタは、罪なお人だよォ」


「ええ? そんなことはないと思うのですが……でも、本当にそう思ってくれていたんなら、嬉しい限りですね」


 時間調整をするために、2分ばかりはこの場で待機である。

 建築屋のご家族は、不安と期待の入り混じった面持ちで天幕の内部を見回していた。天幕の内部にはカンテラのようなものが掲げられているのだが、それでもずいぶんと薄暗い。異国の地で、女性だけで足を踏み入れるのは、やはり気後れを否めないところであろう。


「今日も、受付はピノだったのですね。ニーヤやシャントゥは、天幕の見回りですか?」


「シャントゥ爺は獣たちのそばに控えるのが仕事だから、天幕を見回るのはアタシかザンの仕事なんだよォ。で、ぼんくら吟遊詩人が仕事をさぼると、アタシやザンがひとりで立ちんぼをする羽目になっちまうのさァ」


「ニーヤは、さぼっているのですか」


「あァ、この年はカミュアの旦那がジェノスに居座ってるせいか、どうもあのぼんくらは腰が据わらなくてねェ。ま、あんまり目に余るようだったら、たっぷりおしおきしてやるさァ」


 にんまりと笑いながら、ピノはそのように言っていた。

 その目がちらりと、建築屋のご家族たちを盗み見る。どうして俺たちが南の方々とご一緒しているのかをいぶかしんでいるのだろうか。


「……こちらは森辺の民とご縁のある方々の、ご家族であるのです。あの、リコたちの劇でもちらりと触れられている方々なのですよ」


 俺の言葉に、ピノは「へェ」と袂を振った。


「そいつはあの、東の民とギバ料理の取り合いになったってェくだりだねェ? それはそれは、愉快な巡りあわせだねェ」


「はい。今年は色々な人たちがジェノスを訪れてくれたので、俺はとても嬉しく思っています。……でも、《ギャムレイの一座》の人たちとは、まだほとんどご挨拶もできていないのですよね」


「ふゥん? アタシなんざのこまっしゃくれた面は、すっかり見飽きちまったってェことかい?」


「いえいえ、とんでもない。ただ、去年は祝宴もご一緒した間柄ですし、いつか全員とご挨拶させていただければと思っています」


「あんなぼんくらどもは、気にかける甲斐もないけどねェ。ま、芸を楽しんでもらえりゃあ、あのぼんくらどもも本望だろうさァ」


 それで、2分が経過したようだった。

 俺たちは、銅貨や造花を支払って、入り口の幕をくぐる。雑木林の中に通路が作られた不可思議な光景に、南の女性陣たちはきゃあきゃあと嬌声をあげることになった。


「暗いので、足もとにはお気をつけくださいね。最初の見世物は、この突き当たりです」


 俺とアイ=ファが先頭に立ち、間に建築屋のご家族をはさんでリリン夫妻が中央に陣取り、さらに最後尾がユン=スドラとライエルファム=スドラという編成で、一行は薄暗がりの中を突き進んでいった。


 最初の見世物は、獣たちである。

 ただし、黒猿ではなく、銀獅子と豹とその子供だ。粗く張られた網の向こうでくつろぐ3頭の獣たちの雄々しい姿に、建築屋のご家族は悲鳴交じりの声をあげることになった。


「な、何これ? こんな網だけじゃ、何の守りにもなってないじゃん!」


 バラン家の末妹は、仰天した面持ちで母親に取りすがっていた。その場に張られた網というのは、人間の頭が通るぐらいの、至極ざっくりとした網目であるのだ。


「この獣たちはしつけられているので、自分から人間に襲いかかることはないんだよ。ただ、網の向こうに手を入れたりすると、威嚇の声をあげるから気をつけてね」


「そんな真似、するわけないじゃん! 見てよ、あの爪と牙!」


 言葉だけ聞いていると恐怖に震えあがっているかのようだが、その実、彼女の瞳には好奇心の光がきらめいていた。他の女性陣も、それは同様である。

 いっぽう俺の肩の黒猫は、何の気もなくヒューイたちの姿を眺めている。しばらくは同じ場所で暮らしていた獣同士であるはずだが、おたがいに関心は薄いようだった。


 そして、ヒューイたちが背にしている内幕の向こう側からは、何やら奇怪な咆哮が聞こえてきている。闘技の曲芸を繰り広げているロロや黒猿の奇声であろう。この先にもまだ何か獣が待ちかまえているのかと、女性陣は胸を高鳴らせている様子であった。


「それでは、次の幕に向かいましょうか」


 2分以上立ち止まっていると、後続のお客に追いつかれることになってしまう。それに、ただくつろいでいるだけのヒューイたちは、見世物の前菜に過ぎないのだ。

 灯りに沿って道を進むと、今度は突き当たりに垂れ幕の入り口が待ち受けている。それをくぐると、5メートル四方の舞台の真ん中に、長身痩躯の人物が立ちはだかっていた。


 こちらに背を向けているが、壺男のディロであることは確かである。黒いだぶだぶの長衣を纏い、黒褐色のざんばら髪を垂らしたディロの後ろ姿に、女性陣は不審のざわめきをあげていた。


 と――ディロがふいに、その場に屈み込んだ。

 彼の足もとには、その異名の由来たる壺が置かれていたのだ。50センチほどの高さと40センチほどの幅を持つその壺の中に、ディロは細長い両腕を突っ込んでいた。


 そして、また女性陣の黄色い声が響きわたる。

 これが初見であるライエルファム=スドラも、「ほう」と声をあげていた。

 ディロはそのままするすると、さして大きくもない壺の中に潜り込んでしまったのである。


 最初に腕と頭を突っ込んだかと思うと、あっという間に上半身が消えて、ついには足の爪先までもが収納されてしまう。母親の腕に取りすがった末妹は「何これ?」と言っていた。


「あんな小さな壺の中に、人間が入れるわけはないよね! 壺の下に穴でも空いてて、そこに隠れたんでしょ?」


 すると、ディロを呑み込んだ壺がゆらゆらと左右に揺れ始めた。

 やがてはその壺がころんと転がり、その下に穴など空いていないことが明かされる。

 そして、壺のふちから10本の指が覗いたかと思うと、壺は逆立ちをしてわさわさと地面を這いずり始めた。これぞ壺男の真骨頂である。


 女性陣の驚嘆の声が静まるのを待って、壺は動きを静止させる。

 壺の口から右腕だけが生えのびて、よっこらしょとばかりに上下を入れ替える。まるで、ひっくり返った亀が首をのばして体勢を立て直したかのようだった。


「……《ギャムレイの一座》にようこそおいでくださいました……私は夜の案内人、壺男のディロと申します……」


 壺の中から、陰気な声が響きわたる。

 再び生えのびた右腕が、舞台の右と左を順番に指し示した。


「ここから道はふたつに分かれております……右の扉は騎士の間、左の扉は双子の間……お客人は、どちらの運命をお選びになりましょう……?」


「どうします? どちらの芸も、見事なものですよ」


 俺がそのように問うても、建築屋のご家族は無言で首を振るばかりであった。まだ壺男からもたらされた衝撃の余韻にひたっているさなかであったのだ。


「それじゃあ、騎士の間にしましょうか。そちらのほうが、より刺激的だと思います」


 俺は手ずから垂れ幕を引き開けて、一行を右の通路に誘うことにした。

 再び、雑木林の道である。女性陣はほっとひと息というところであったが、それも前方から聞こえてくる奇怪なわめき声によって粉砕されることになった。


「こ、今度は何さ! また、獣?」


「獣も、いるかもしれないね」


 ネタバレは避けるべきであろうから、俺はそれだけ答えておいた。

 やがて現れたのは、雑木林の中にぽっかりと開けた、空き地だ。

 そこではすでに、大男ドガと剣王ロロの戦いが繰り広げられていた。それもそのはずで、先行していたラヴィッツの血族の面々が、両者を遠巻きに囲んでいたのである。俺たちはさらにその外周を覆う格好で、ともに見物させていただくことにした。


 ドガは巨大な棍棒を、ロロは細身の木剣を、それぞれ振りかざしている。革の甲冑を纏ったロロはギクシャクとしたロボットのような動作であり、突進してはドガに弾き飛ばされる、という殺陣は昨年も見た通りのものであった。


「うわー、痛そう! わざとやられてるんだとしても、あんなんじゃ身体がもたないんじゃない?」


 末妹は、いくぶん心配そうな声で言っていた。それぐらい、ロロのやられっぷりっというのは真に迫っているのだ。

 しかし、本番はここからであった。

 ロロのユーモラスな動きに、見物客たちの張り詰めていた気持ちが緩和していくと、それを見計らったようなタイミングで地鳴りのごとき獣の咆哮が響きわたった。


 舞台の背後にあった木の上から、巨大な黒影が飛び降りてくる。ヴァムダの黒猿を初めて目にする女性陣は、一斉に金切り声をあげることになった。

 黒猿は兜に包まれたロロの頭をわしづかみにすると、手近な樹木へと投げ飛ばす。

 まともに背中から叩きつけられたロロは、壊れた人形のようにぐしゃりと落下した。


 この後の展開をわきまえている人間でも、本当に身体は大丈夫なのかと息を呑むような勢いである。

 しかしもちろん手違いが起きることもなく、ロロは甲冑をカタカタと鳴らしながら、ゆっくりと起き上がった。

 そして、兜の口もとに手をやると――そこには指を入れる隙間もなかったのだが――ピイィィ……ッと、高らかに口笛が吹き鳴らされた。


 これは、昨年にはなかった演出である。

 いったい何が起きるのかと、俺が固唾を呑んで見守っていると、新たな黒影が雑木林の向こうから出現した。


 黒猿のときよりも惑乱した悲鳴が響く。

 なんとそれは、巨大なるギバであったのだ。


 ロロは、まるで糸で操られる傀儡のように体重を感じさせない動作で、そのギバの背に飛び乗った。

 ギバは重々しい咆哮をほとばしらせながら、黒猿のほうに突進する。

 黒猿はその巨体に似合わぬ俊敏さで、ひらりと横合いに飛びすさったが、すれ違いざまに、ロロの木剣で脇腹を薙ぎ払われていた。


 黒猿は、ずしんと地響きをたてて倒れ伏す。

 そうしてギバが急停止すると、ロロは勢い余った様子で地面に転落した。

 またカクカクとした滑稽な動作で起き上がったロロは、木剣を頭上に振りかざしてから、勝利の雄叫びを爆発させた。


「イヤアアアァァァ――ハアアァァァ――ッ!」


 女性陣は、完全に度肝を抜かれてしまっている。

 すると、いつの間にか姿を隠していたドガが、草籠を手に戻ってきた。


「……騎士王ロロの芸でございました」


 同時にどこからか口笛の音が響き、倒れていた黒猿がむくりと起き上がる。

 仕事を終えたギバも、そのかたわらに仲良く寄り添っていた。

 ただひとり、ロロだけがくねくねと勝利の舞を踊っている。こういうとき、ロロはあの兜の下でどのような顔をしているのか、1度でいいから拝見したいところであった。


「実に見事な芸であった。お前たちは、ギバにも芸を覚えさせることがかなったのだな」


 見物料に関しては周知していたので、ライエルファム=スドラはドガの草籠に赤銅貨を放っていた。それで女性陣もようやく我に返った様子で、割り銭を投じていく。

 ライエルファム=スドラに語りかけられたドガは、仕事中であるためか、「はい」とうなずくばかりであった。


「まあ、黒猿やガージェの豹とて、本来は凶暴な獣であるのだろうから、何もおかしな話ではないのだろうが……それにしても、ギバとそこまで心を通じ合わせることがかなうというのは、やはり驚きだ」


 ライエルファム=スドラの言葉に、アイ=ファも無言でうなずいていた。やはり森辺の狩人としては、俺たちとは別種の感慨も生じるのだろう。

 いっぽうシュミラル=リリンは、とても満足そうな微笑をたたえながら赤銅貨を投じている。ヴィナ・ルウ=リリンやユン=スドラも、感服しきった様子でドガに微笑みかけていた。


「……しかしあれは、本当にギバなのか?」


 と、少し離れた場所から声があがった。声の主は、デイ=ラヴィッツである。

 アイ=ファはいくぶんけげんそうに眉を寄せつつ、そちらを振り返った。


「デイ=ラヴィッツは、何を疑っているのであろうか? あれがまぎれもないギバだということは、私たちが誰よりもわきまえているはずであろう」


「姿かたちは、まぎれもなくギバだ。しかし、俺たちの知るギバはあのようにあどけない面や眼差しを見せることはない。別の獣がギバの毛皮をかぶっていると言われたほうが、まだしも納得がいく」


 両者の言葉を聞きながら、ギバはきょとんとまばたきをしている。確かに先日の日中に見たときよりも、そのギバはいっそう穏やかな眼差しをしているように思えた。


「森を離れたギバは、ギバならぬ獣に変じるということであろう。疑うのであれば、あの毛皮の下にきちんと肉が詰まっているものかどうか、触れさせてもらってはどうだ?」


「ふん。べつだんそうまでして、真偽を確かめたいとは思わん」


 デイ=ラヴィッツはぷいっとそっぽを向いたかと思うと、そのまま舞台の横合いにあった垂れ幕の向こうに歩いていった。マルフィラ=ナハムたちも、慌ててそれに追いすがる。

 が、俺たちものんびり見送っているわけにはいかない。うかうかしていると、後続のお客に追いつかれてしまうのだ。そうして俺たちも垂れ幕をくぐると、薄闇の中を進むデイ=ラヴィッツたちの背中が見えた。


「何だ。お前たちは、その南の民らと見物をするのであろうが?」


「追いついてしまったからには、ともに進むしかないのだ。そのように迷惑そうな顔をすることはなかろう」


 ということで、俺たちはさらなる大所帯となって通路を進むことになった。

 こちらの女性陣は、興奮さめやらぬ様子で言葉を交わしている。特におやっさんの伴侶などは、微笑ましいぐらいにはしゃいでいる様子であった。


「いやあ、すごかったねえ。これだったら、うちの男どもも見物せずには済ませられないだろうさ」


 すると、そこに頭上から奇怪な声が降ってきた。


「ヨウコソ……ぎゃむれいノイチザニ……ザチョウぎゃむれいノモトニ、アナタガタヲゴアンナイイタシマス……」


 末妹は「きゃあ!」と叫んで、母親の腕に取りすがった。


「な、なに? もう終わりじゃなかったの!?」


「最後に、とっておきの芸が残されているんだよ。この一団の座長であるギャムレイの登場だ」


 俺はそのように説明してみせたが、女性陣の耳には届いていないようだった。木の上に潜んだ「人獣の子」ゼッタの黄色い眼光に、怖気をふるっているさなかであったのだ。ゼッタの眼光は獣じみており、しかもぼんやりと見て取れる姿は全身が毛むくじゃらであるので、どうしてこのようなものが人間の言葉を発するのかと、おののいているのだろう。


「コチラニドウゾ……アシモトニオキヲツケクダサイ……」


 ゼッタは、雑木林の梢から梢へと飛び移って、俺たちを先導する。その姿も身のこなしも、やはり獣そのものであった。


「ソコニヒミツノイリグチガゴザイマス……サイゴマデ、ぎゃむれいノイチザのゲイヲオタノシミクダサイ……」


 通路の中ほどの内幕に、垂れ幕の入り口がうかがえる。このまま真っ直ぐ通路を進むと、俺たちが通らなかった「双子の間」に辿り着いてしまうのだろう。ゼッタはそうさせないための案内人であったのだ。


 女性陣はゼッタから逃げるように、垂れ幕の向こうへと身を投じた。

 そこに待ち受けているのは、これまででもっとも広い面積を持つ広場である。

 カンテラの数が少ないために、左右の空間は闇に溶けてしまっている。そして、正面の内幕に作られた入り口から、赤い人影が出現した。


「ようこそ、《ギャムレイの一座》に! ここが今宵の最後の幕となります!」


 1年ぶりに見る、ギャムレイの姿である。

 彼もまた、昨年と変わらぬ壮健な姿であった。


 けばけばしい刺繍が施された真紅の上衣に、真紅のターバン。黒い胴着に白いバルーンパンツを纏い、痩せこけた顔には眼帯とヤギ髭。首や腕にはじゃらじゃらと飾り物を下げており、どこか海賊でも思わせる風体である。左腕が欠損しており、上衣の袖がひらひらとたなびいているのが、余計にそういった印象を強めるのだ。


「まったく危険はございませんので、ごゆるりとお楽しみください。……まずは宙に火の花を咲かせましょう」


 ギャムレイが右腕を振りかざすと、赤や青や緑の炎が、暗い室内に咲き誇った。

 女性陣は、歓声をあげる。ひさびさの見物となるユン=スドラたちも、それは同様であった。


 赤い炎が地面を走り、行き着いた先で紫色の火花をあげる。

 三色の炎が蝶の形を作りながら、天井近くまで羽ばたいていく。

 ギャムレイの炎の芸もまた、まったく色あせてはいないようだった。


「ね……これは、すごい芸だって言ったでしょう……?」


 ヴィナ・ルウ=リリンがシュミラル=リリンに囁きかけている声が、うっすらと聞こえてくる。

 炎が消えた合間に素早くうかがい見ると、シュミラル=リリンは子供のように瞳を輝かせながら、ギャムレイの芸に見入っていた。


 ギャムレイが指先を走らせると、空中に炎の文字が描かれる。

 あるいは、小さな炎がくるくると螺旋を描きながら、闇の向こうまで走り抜けていく。

 本当に、手品なのか魔法なのか、判別できないほどの手管である。


「それでは、最後の芸となります」


 ギャムレイが、眼帯をむしり取った。

 そこに隠されていた左の眼窩には、炎のように赤い宝石が埋め込まれている。


「火神ヴァイラスよ、汝の忠実なる子にひとしずくの祝福を!」


 ギャムレイは、大きく振り上げた右腕を振り払う勢いで、ぎゅるりと身体を旋回させた。

 そこから生じた竜巻のように、巨大な三色の炎が天へとのびあがっていく。

 赤と青の緑の、竜のごとき炎の渦である。それらの炎がおたがいにからみつきながら、ほとんど天井近くまで舞い上がり、最後には甲高い音色とともに炸裂する。


 三食の炎は火の粉となって、天からひらひらと舞い降りてくる。

 それらが消え果てるのを待つこともできず、女性陣は激しく手を打ち鳴らしていた。


「すごいすごい! ほんとに、魔法みたい!」


 ひときわ大きな歓声に心をひかれて、俺は横合いを振り返った。

 末妹が、我を忘れて拍手をしている。その緑色の瞳には火の粉の光が反射しており、そして――その丸っこいお顔には、心からの笑みがたたえられていた。


 やはりそれほど、モルン=ルティムに似ているとは思えない。

 だけどそれでも、モルン=ルティムと同じぐらい魅力的な笑顔であるように思えた。


 アイ=ファやライエルファム=スドラも満足そうな面持ちで、惜しみなく拍手を送っている。デイ=ラヴィッツは額に皺を寄せてひょっとこのような顔になってしまっていたが、拍手の力強さは周囲の人々に負けていなかった。

 マルフィラ=ナハムはぎこちなく笑いながら、隣の末妹と言葉を交わしている。モラ=ナハムはいくぶん呆然とした様子で、宙に舞う火の粉を目で追っていた。


 なんと長く、充実した1日であったことだろう。

 たったいま、ギャムレイが見せてくれた炎の演舞のように、今日という日はさまざまな色合いの輝きに満ちていた。

 そして太陽神の復活祭は、まだ始まったばかりであったのだ。

 明日からは、どのような喜びや興奮が待ち受けているのか。そんな幸福な想念に身をゆだねながら、俺は火の粉の最後のひと粒が消えてなくなるのを見守ることになった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 三食の炎
[気になる点] 魔法というものを知っている? 魔法とはどういう扱いなのだろうか?
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