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異世界料理道  作者: EDA
第四十七章 太陽神の復活祭、再び(上)
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紫の月の二十二日⑨~屋台巡り~

2019.11/19 更新分 1/1

 営業開始からそろそろ二刻かというあたりで、森辺の民の出していた屋台はすべての料理を売り切ることになった。

 が、それは最後の料理を売り切るのにそれだけの時間がかかったという意味であり、実際は一刻半が過ぎたあたりで、7台中の4台の屋台は品切れを起こしてしまっていた。品切れを起こしたのは、ファの家の『ギバ骨ラーメン』と『ギバ・カレー』、マイム特製の『ミソ煮込み料理』、トゥール=ディンの『3種のクレープ』である。


 もともと俺たちは、営業時間は二刻ていどと定めていた。その半刻前に半分以上の屋台を閉めることになったというのは、嬉しい誤算である。次の祝日たる『中天の日』にはもっとたくさんの料理を準備できるかどうか、また後日にミーティングの場を設けなければならなかった。


「本当に、すげえ話だよなあ。俺たちももっと料理の数を増やせないもんか、本気でミラノ=マスに相談してみるよ」


 そんな言葉を残して、レビはラーズとともに引き上げていった。

 いっぽう俺たちは、復活祭の見物である。青空食堂はまだ多くのお客で賑わっていたが、そちらの皿の回収は当番である2名の女衆におまかせして、俺たちはいざ夜の宿場町に繰り出すことになった。


 とはいえ、この人数では何組かに分かれるしかない。適当に気心の知れた人間で集まり、俺とアイ=ファはユン=スドラとライエルファム=スドラ、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの6名で動くことになった。


「えー! リミもアイ=ファたちと一緒がいい!」


 と、ジバ婆さんの車椅子を囲んでいたリミ=ルウが、すがるような目でアイ=ファを見上げながら、狩人の衣を引っ張った。なおかつ、その手はターラの手をぎゅっと握りしめている。斯様にして、欲張りさんなリミ=ルウなのである。


「だったら俺たちも、アイ=ファたちの後をついていけばいいんじゃねーのか? あちこちうろつくとしても、どーせ向かう先は一緒なんだろうしなー」


 そちらはジバ婆さんとリミ=ルウとターラ、ルド=ルウとジザ=ルウとガズラン=ルティムという豪勢なメンバーであった。

 まあ、組で分かれるというのは、あくまで女衆がはぐれたりしてしまわないようにするための処置である。この夜の宿場町には数多くの森辺の民が訪れてきているのだから、どこに出向いても見知った顔と出くわすのが必定であった。


「それじゃあ俺たちは、先に屋台を巡るつもりなんだけど、それで大丈夫かな? その後で《南の大樹亭》で建築屋のご家族と合流して、《ギャムレイの一座》の天幕に出向く予定になってるんだ」


「あー、なんでもかまわねーよ。俺たちも腹はまだまだ満たされてねーから、屋台に出向くんなら助かるなー」


 護衛役の人々には屋台の人間が食事を準備する取り決めになっていたが、ルド=ルウの旺盛な食欲を満たせるほどの分量ではなかったのだろう。

 そうして俺たちが出発しようとすると、別の組からちょこちょこと近づいてくる者があった。誰かと思えば、トゥール=ディンである。


「あ、あの、アスタたちも屋台から先に巡る予定なのですか? わたしたちも、そうするつもりなのですが……《アロウのつぼみ亭》の屋台は、どのように探せばよいのでしょう?」


「《アロウのつぼみ亭》? ……ああ、そっか。あの宿屋も、今日から屋台で菓子を売りに出すんだったっけ」


《アロウのつぼみ亭》の女主人であるレマ=ゲイトのでっぷりとした姿を思い出しながら、俺はそのように答えてみせた。


「レマ=ゲイトは、かなり自信がありそうだったもんね。それは俺も食べてみたいところだけど……そうだなあ。菓子を出してる屋台は少なそうだから、片っ端から聞いて回るしかないかな?」


 すると、一緒に話を聞いていたターラが俺の袖をくいくいと引っ張ってきた。


「アスタおにいちゃんたちは、《アロウのつぼみ亭》の屋台を探してるの? だったら、屋台の看板の下に掘られてる宿屋の名前で確認すればいんじゃない?」


「ああ、なるほど。屋台には持ち主である宿屋の名前が刻まれてるんだったね。ありがとう、ターラ」


 ターラは「えへへ」と嬉しそうに微笑んだ。その身体を横から抱きすくめつつ、リミ=ルウは「ターラ、あったまいい!」とはしゃいだ声をあげる。


「それじゃあ、屋台の料理を楽しみつつ、手分けして探そうか。俺たちは、向かって右側の屋台を巡ってみるよ」


「わかりました。お手数をおかけして、申し訳ありません」


「とんでもない。俺は《アロウのつぼみ亭》のことをすっかり忘れてたから、助かったよ」


 トゥール=ディンははにかみながら、自分の組の人々のもとへと戻っていった。そちらはもちろん、ゲオル=ザザを筆頭とするザザの血族の班である。ルウの集落からやってきたレム=ドムも、ちゃっかりその組にまぎれこんでいた。


「それじゃあ、のんびり進もうか」


 俺たちは、夜の街道に足を踏み出した。

 まだ日没から一刻ぐらいしか経っていないので、人々は大いに賑わっている。あちこちから声をかけられるのも、行き道や商売中と同じことだった。


「あ、そういえば、《銀の壺》のみなさんはどうされたのです?」


 歩きながら、俺がそのように呼びかけると、シュミラル=リリンはやわらかい笑顔で「はい」とうなずいた。


「各自、復活祭、楽しんでいるはずです。折り合い、つけば、また語らおう、思います」


「なるほど。待ち合わせをしたりはしていないのですか?」


「はい。昼から、夕暮れまで、語らいましたので。夜、アスタたち、語らいたい、思いました」


 俺は胸の中が温かくなるのを感じながら、「ありがとうございます」と答えてみせた。

 すると、屋台の列に視線を巡らせていたユン=スドラが、「アスタ」と呼びかけてくる。


「このあたりから、料理の屋台が増えるようです。意外と同じ場所に集まっているようですね」


「ああ、本当だね。それじゃあそれぞれ、気になった料理を食べてみよう」


 このイベントに備えて、かまど番のほとんどは食事を口にしていなかったのだ。本日は、森辺の民ならぬ人々がこしらえたギバ料理のみで腹をふくまらせる所存である。


 ユン=スドラは好奇心に瞳をきらめかせながら、手近な屋台に近づいていく。その看板には俺たちの屋台と同じく、象形文字のような西の言葉で「ギバ」と記されていた。小さく刻まれた宿屋の名前は――とりあえず、俺がまだ習得していない文字であった。


「失礼します。こちらは、おいくらでしょうか?」


 ユン=スドラが声をかけると、店番の男性はぎょっとした様子で目を剥いた。


「これは、赤銅貨2枚だけど……え、屋台で料理を売ってるあんたたちが、うちの料理を買ってくれるのかい?」


「はい。町の方々がどのようなギバ料理をこしらえているのか、とても気になっていましたので」


「まいったなあ。出来が悪くっても、怒らないでくれよ?」


 その男性は曖昧な顔で笑いながら、銅貨を受け取った。

 宿屋の主人であればおおよそは寄り合いや勉強会で顔をあわせているのだが、これは見知らぬ人物だ。まだけっこう若そうなので、主人のご家族か雇われの人間であるのだろう。


 そんな彼が差し出してきたのは、ポイタンの生地に具材をはさんだ、ごくオーソドックスな屋台の料理であった。

 それを口にしたユン=スドラは、満足そうに目を細める。


「美味ですね。家長もひと口、如何ですか?」


「うむ。俺の腹はあいているが、ユンはかまど番の修練という意味合いもあって、その料理を口にしているのであろう?」


「だからこそ、です。なるべくたくさんの種類の料理を味わいたいので、家長が手伝ってくださったら、とてもありがたいのです」


「なるほど。そういうことなら、いただくか」


 血の繋がりは薄けれど、ライエルファム=スドラとユン=スドラは同じ家で暮らす家族であるのだ。ユン=スドラから受け取った食べかけの料理を、ライエルファム=スドラは迷うそぶりもなく口にした。


「ふむ。これは、見知らぬ味だな。……いや、見知った味の組み合わせなのであろうが、家では口にしたことのない味だ」


「はい。ですが、美味でしょう?」


 ライエルファム=スドラは控えめに、「そうだな」とだけ答えていた。

 おそらくは、ユン=スドラのこしらえる料理のほうが美味である、と考えているのだろう。ユン=スドラはいまや森辺でも屈指のかまど番であるのだから、それと比べられてしまうのは大変だ。


 ともあれ、ユン=スドラが美味と言い切るぐらいであったので、俺も同じ料理を買い求めることにした。

 店番の男性は、ますます曖昧な表情になってしまう。


「まいったなあ。あんたまで買ってくれるのかい? 親父たちに手ほどきをしたのは、あんたなんだろう? 親父も力は尽くしたみたいだけど、まだまだあんたを満足させられるような出来栄えではないんじゃねえかなあ」


「あなたは、ご主人のご子息であったのですね。俺なんかは基本的なギバ肉の取り扱いを手ほどきしただけですので、それがどのような形で仕上げられたのか、とても興味があるのです」


 俺は笑顔で、2枚の赤銅貨を差し出した。

 引き換えに、人肌ぐらいのギバ料理が手渡される。いまはお客も引いていたので、作り置きのものをいただいたのだ。


 それをかじると、ミソの風味が口に広がった。

 とてもまろやかな味わいの中に、若干のミャームーの香りも感じられる。どうやらこれは、薄く切り分けたギバ肉と野菜をミソのタレで焼きあげた料理であるようだった。

 タレには砂糖も使われているらしく、ほどよい甘みがきいている。ミャームーとの兼ね合いも悪くはないようだ。あと、妙にまざまざと乳脂の風味がするのは、ポイタンの生地の内側に生の乳脂が塗られているためであるようだった。


「なるほど。乳脂は熱を通さずに、そのまま使っているのですね」


「あ、ああ。具材と一緒に焼いちまうと、ミソの味にかき消されちまうからって……だったら無理して乳脂を使う必要はないと思うんだけどな」


「いえ。生の乳脂を使う人は少ないので、それがけっこう決め手になっているのではないでしょうか? 俺はけっこう、好みの味ですよ」


「本当かい? あんたが文句をつけてくれたら、親父はむしろ喜ぶと思うんだけどな」


 それはつまり、何かアドバイスをしてほしいという意なのであろうか。

 もうひと口分をかじってから、俺は思案した。


「そうですね……使っている野菜は、アリアとオンダとマ・プラでしょうか?」


「そうだよ。さすがに、よくわかるな」


「はい。どの野菜も、食感が独特ですので。……俺の個人的な意見を言わせていただきますと、オンダの食感がポイタンの食感とややぶつかっているように感じられますね。これが木皿で出す料理だったら、たぶん気にならなかったと思うのですが」


「ふうん? でも、木皿で出したとしても、焼いたポイタンは一緒に食べるだろ? 実際、宿の食堂ではそうやって出してるしさ」


「ああ、もともと宿で出していた料理を、屋台の料理に転用したということなのですね。たぶん、この料理を口にして、それを噛みつつポイタンをかじる形だったら、気にならないと思うのです。ただ、ポイタンの生地にはさまれた状態で一緒に食べると、オンダのシャキシャキした食感が、ちょっとひっかかるかなと思って……本当に、細かい話なのですけれどね。それぐらい細かい話しか、特に思い当たらなかったということです」


「うーん。もしオンダを使わないとしたら、何の野菜を使うべきなんだろう? いまの宿場町で、アリアとマ・プラのふたつしか野菜を使ってなかったら、手抜きと思われちまうだろう?」


「無理に野菜を増やす必要はないかと思いますが……でも、そうですね、俺だったらネェノンかティノを使うと思います。面白みはないかもしれませんが、この料理の売りはミソや乳脂なのでしょうから、具材は王道でも物足りなさは生じないのではないでしょうかね」


「ネェノンかティノね。わかった、親父と相談してみるよ」


 それでようやく、その男性は朗らかな笑みを浮かべてくれた。

 ユン=スドラたちは、とっくに次の屋台で料理を買っている。俺がそれを追いかけようとすると、ヴィナ・ルウ=リリンが笑いを含んだ声を投げかけてきた。


「ひとつの料理であんなに話し込んでいたら、満腹になるまでずいぶんな時間がかかってしまいそうねぇ……まあ、アスタらしいけど……」


「どうも申し訳ありません。俺も話し込むつもりはなかったのですが、あちらが話したそうにしているように感じてしまったもので」


「だから、それがアスタらしいって言ってるのよぉ……」


 ヴィナ・ルウ=リリンはくすくすと笑い、それを見つめるシュミラル=リリンも幸福そうに笑っている。

 俺は頭をかきながら、次なる屋台を検分することにした。


 確かにこの一画は、料理の屋台が密集しているようである。それも、そのほとんどがギバ料理であるようだ。位置としては露店区域の真ん中あたりであるのだが、もしかしたら第2のギバ料理エリアを形成しようという目論見なのかもしれなかった。


 その甲斐あってか、この辺りは余所のエリアよりも込み合っているように感じられる。青空食堂の類いは存在しないので、みんなそぞろ歩きをしながらギバ料理を食しているのだ。そしてやたらと、「美味い」だの「不味い」だのという声が響いているように感じられた。


「あ、ナウディス。どうもお疲れ様です」


「はいはい、お疲れ様です。そちらはもう、屋台の商売を終えたのですな」


 そのギバ料理エリアの端のほうで、《南の大樹亭》の屋台を発見した。本年も、主人のナウディスが自ら商売に励んでいる。


「盛況ですね。去年はギバ料理を屋台で出しているのも《南の大樹亭》と《西風亭》だけだったので、とても感慨深いです」


「そうですな。これだけギバ料理の屋台が増えると、売れ行きにも響いてしまうのではないかと心配していたのですが、どうやら杞憂であったようです。森辺の民ならぬ人間がどれほどのギバ料理を出せるものなのかと、お客様がたの興味を引くことができているようですな」


 額の汗を手拭いで清めつつ、ナウディスは微笑んだ。


「中には、当たりの料理か外れの料理かと、くじ引きの余興のように楽しんでおられる方々も見受けられますぞ。外れ扱いをされた屋台の人間は、さぞかし奮起することでしょうな」


「なるほど。それでもナウディスの料理を外れ扱いするお客などは、ひとりとして存在しないことでしょうね。俺たちにも、ひとつずつお願いいたします」


「はいはい。少々お待ちくだされ」


《南の大樹亭》は、もともと料理自慢の宿屋なのである。そしてそれは、主人たるナウディスが料理に格別の熱情を抱いているゆえであった。

 そんなナウディスが売りに出していたのは、やはりミソを使った料理だ。

 ミソで煮込んだギバ肉と野菜を、ポイタンの生地ではさんでいる。外見はさきほどの料理と大差なかったが、お味のほうは図抜けていた。


「美味しいですね! なんというか、すごく深みのある味だと思います!」


 ユン=スドラも、瞳を輝かせてそのように言っていた。

 またそちらからひと口を拝借したライエルファム=スドラも、「ほう」と声をあげている。


「これは、美味いな。森辺の祝宴で出される料理のように、美味い」


「ええ、本当に! ……ミソだけでは、これほどの深みは出せないですよね。細かく刻んだたっぷりのアリアと……それに、タラパやネェノンも使っているのでしょうか?」


「おお、さすがはユン=スドラですな。煮汁に溶かし込んだそれらの野菜こそが、この料理の味を支えているはずですぞ」


 いまや、ナウディスとユン=スドラも名前を呼び合うような仲である。

 それを嬉しく思いながら、俺は食べかけの料理をアイ=ファに差し出してみせた。


「アイ=ファもどうだ? これはなかなかのお味だぞ」


 アイ=ファは「うむ」とうなずいたかと思うと、首をのばしてギバ料理をかじり取った。

 そのワイルドな振る舞いに、俺は思わずドギマギしてしまう。


「確かに、美味だな。この料理に文句をつける森辺の民はあるまい」


「う、うん、そうだよな。さすがは、ナウディスだ」


 すると、俺の肩の黒猫が「なうう」と甘えるような声をあげた。

 アイ=ファはわずかに眉をひそめつつ、そちらに視線を転じる。


「なんだ? お前は宿場町に下りる前に、ギバの肉を与えられていたであろうが?」


「なうう……」


「この料理には、さまざまな食材が使われている。お前がうかうかと口にすれば、身体に不調をきたすやもしれんぞ」


 黒猫は、クルル……と小さく咽喉を鳴らした。怒っているのではなく、残念がっているような仕草だ。やっぱりいくらかは、人間の言葉を解することができているのだろうか。


「おお、アスタたちもやってきたのだな!」


 と、ナウディスに別れを告げて歩き出そうとしたところで、ダン=ルティムと出くわした。

 ラッド=リッドたちとは別れたようで、今度はベイムを親筋とする人々と行動をともにしている。このフットワークの軽さも、ダン=ルティムの美点であった。


「ジバ=ルウたちも一緒であったか! 町の者たちがこしらえたギバ料理はどうだった?」


「うん……残念だけど、あたしが食べられるような料理は、まだ見当たらないんだよねえ……あたしは煮汁かなんかでふやかさないと、焼いたポイタンをかじるのも難しいからさあ……」


 車椅子の上で、ジバ婆さんは穏やかに微笑んでいた。ハンドルを押すのはルド=ルウで、左右を守るのはジザ=ルウとガズラン=ルティムだ。勇者3名に囲まれて、鉄壁の布陣であろう。


「そうか、ジバ=ルウは歯が弱いのだったな! 確かにこのあたりでは、汁物料理を出している店もないようだ」


 そのように言ってから、ダン=ルティムはぽんと手を打った。


「ならば、菓子などはどうであろうな? あちらで売られていた菓子は、やたらとやわらかくて甘かったぞ!」


「へえ……町でも、菓子が売られているんだねえ……ダン=ルティムも、そいつを口にしたのかい……?」


「うむ! こやつがあまりの美味さに我を失っておったので、俺も食べずには済ませられなかった! 確かに、森辺で食べる菓子にも負けぬ味であったぞ!」


「こやつ」と指し示されたのは、ベイムの家長である。平家蟹を思わせる面貌をしたベイムの家長は、いくぶん頬に血をのぼらせながら「おい」と声をあげた。


「俺はべつだん、我を失っていたわけではないぞ。おかしなことを言うのはやめてもらおう」


「うむ? しかしお前さんは、呆然と立ちすくんでいたではないか。あれは、菓子の美味さに驚かされたのであろう?」


「それはまあ……美味いと思ったのは、事実だが」


 ベイムの家長は、けっこうな甘党なのである。

 そのかたわらにたたずんでいたフェイ=ベイムに目を向けると、俺が何か言うよりも早く、彼女は「はい」とうなずいた。


「あれは確かに、美味なる菓子でした。トゥール=ディンらの考案した菓子にも、引けは取らないかと思われます」


 それは、聞き捨てならない話である。俺たちはフェイ=ベイムの案内で、その菓子の屋台に足を向けることにした。

 酒を楽しむ人間が多い中、菓子はそれほど主流でないためか、行列ができたりはしていない。ただ、その屋台の周囲では親子連れや女性の姿が目立っていた。誰もがにこにこと微笑みながら、その手の菓子を食んでいるのだ。


 俺はその屋台に近づいて、看板の下の宿屋名に目を凝らしてみた。

 そこに、俺でも辛うじて知っていた「アロウ」の文字が見て取れる。俺はアイ=ファをうながして、さらにその屋台に接近した。


「あの、こちらは《アロウのつぼみ亭》の屋台でしょうか?」


 店番は、見たことのない女性であった。背が高く、なかなか色っぽい娘さんである。

 鉄鍋にかけられているのは、俺たちが『ギバまん』で使っている蒸し籠であった。なおかつその場には、イチゴを思わせるアロウの甘い香りがふんだんに漂っている。

 店番の娘さんは、俺の肩に鎮座した黒猫とアイ=ファの姿を軽く見比べてから、「ああ」と答えた。


「仰る通り、ここは《アロウのつぼみ亭》の屋台だよ。あんたがたは、お噂の森辺の民だね?」


「はい。よろしければ、そちらの菓子をお売りいただけますか?」


 娘さんは、「ふふん」と鼻を鳴らした。べつだん敵意は感じられず、きっぷのいい姐御肌といった様相である。


「そりゃあ、銅貨さえいただいたら、何も断る道理はないね。ただでよこせって話なら、衛兵を呼びつけるしかないけどさ」


「もちろん、お代はお支払いいたします。他にも買いたがっている人間がいますので、ちょっとお待ちくださいね」


 すると、気をきかせたシュミラル=リリンが、トゥール=ディンたちを呼んできてくれた。案内をしてくれたベイムの人々に、ジバ婆さんを囲んだルウの人々もついてきていたので、なかなかの人数にふくれあがってしまう。


「おやおや、すっかり囲まれちまったね。これじゃあ衛兵を呼びつけても、どうにもならなそうだ」


 娘さんは、皮肉っぽい顔で微笑んでいる。主人のレマ=ゲイトは森辺の民に反感を抱いているので、そのあたりの心情に多少は感化されているのだろうか。


「これじゃあ、商売のお邪魔ですよね。菓子を買ったら、すみやかに退散いたします」


 菓子は赤銅貨1枚という話であったので、俺たちはおのおの菓子を買いつけた。俺、トゥール=ディン、ユン=スドラ、リミ=ルウ、ターラ、そしてスフィラ=ザザにシュミラル=リリンという顔ぶれである。それほど甘い菓子を好まないヴィナ・ルウ=リリンは、銅貨を出そうとはしなかった。


 菓子を受け取った俺たちは、屋台の前から街道のほうに移動する。

 菓子は、ころんとした饅頭であった。生地はふにふにとやわらかく、淡い桃色をしている。そして、食べる前からアロウの香りが強く感じられた。


「美味しそーだね! それに、すっごくやわらかいから、これならジバ婆でも食べられるよ!」


 満面に笑みをたたえつつ、リミ=ルウが菓子を半分に割った。

 すると中からは、とろりとした桃色の餡が覗く。何やらクリームを思わせる質感である。


「はい、ジバ婆! 中身もやわらかそうだから、こぼさないようにねー!」


「うん、ありがとうねえ……」


 そうして俺たちは、いっせいにその菓子を頬張ることになった。

 香りに違わぬアロウの風味が、濃密に広がっていく。その瞬間、トゥール=ディンが大きく目を見開くのを、俺は見逃さなかった。


 いや、トゥール=ディンばかりでなく、他の人々も驚嘆している。それぐらい、これは美味なる菓子であったのだ。

 生地にも餡にもアロウがたっぷりと使われており、実に濃厚な味わいである。

 しかし、アロウの酸味はまろやかな甘さの陰に隠れて、それほどの主張はしていない。なんというか――イチゴそのものではなく、イチゴ風味のチョコレートに通じる味わいであった。


 蒸し籠で蒸された生地は、俺たちの『ギバまん』に負けないぐらいふっくらとしており、とてもやわらかい。アロウの果汁が練り込まれているために、淡い桃色をしているのだろう。生地だけを口にすると、アロウの風味は豊かであったが、甘みはほとんど感じられなかった。


 甘いのは、この餡であるのだ。カスタードクリームのようにねっとりとしており、よく見るとアロウの小さな種がぽつぽつと点在している。製法は不明であったが、やはりカロン乳や乳脂をベースにしているのだろう。ストロベリークリームとしか言いようのない、俺にとっては既視感すら覚えるような存在であった。


「本当に……これは美味ですね……」


 と、スフィラ=ザザは片方の頬に手を当てて、うっとりと目を細める。彼女もまた、けっこうな甘党であったのだ。

 それを横目で確認してから、俺はトゥール=ディンを振り返った。


「俺もすごく美味だと思う。さすがはレマ=ゲイトの自慢のひと品だね」


「はい……わたしは心から感服させられてしまいました」


 そのように語るトゥール=ディンの瞳には、とても明るい光がきらめいていた。


「これは、城下町の方々が作る菓子にも負けない味であるように思います。……わたしなんかがそんな風に言うのは、おこがましいことなのでしょうけれど……」


「いや、俺も同じ意見だよ。ヤンやティマロやシリィ=ロウ、それにロイも見事な菓子を作ってくれたけど、それに並び立つぐらいの完成度なんじゃないかな」


「……ダイアは、そこに含まれないのですね?」


「ああ、うん。あのお人の菓子は……さらに見栄えまですごい完成度だから、ちょっと別格かな」


「はい。わたしもそのように思います」


 トゥール=ディンは、にこりと微笑んだ。

 それから、無言でたたずむゲオル=ザザを振り返る。


「申し訳ありません。もうひとたび、あちらの菓子を買ってきてもよろしいでしょうか?」


「なに? 同じ菓子を、ふたつも食べるのか? ……まあ、それはディンの富なのだから、お前の好きにするがいい。ただ、ひとりで行くのではないぞ」


「あー、リミも買いたーい! ね、ジバ婆も半分じゃ足りなかったでしょ? もうひとつ買って、また半分こにしようよ!」


 さらに、ユン=スドラとスフィラ=ザザまでもが、再度の購入を申し出た。

 そこに、フェイ=ベイムの「え?」という声が響く。


「家長も、また買われるのですか? さっきもふたつは口にしていましたよね?」


「……いいから、買ってくるがいい。俺はここで待っている」


 ということで、5名の女衆に同数の男衆が付き添って、再び《アロウのつぼみ亭》の屋台に向かうことになった。

 その姿を見送りながら、ルド=ルウは「ふーん」と声をあげる。


「宿場町にも、大したかまど番がいるみてーだな。どうせだったら、ギバの料理が食いたかったけどよ」


「うん。残念ながら、《アロウのつぼみ亭》ではまだギバ肉を買いつけていないんだよね」


 いつかはレマ=ゲイトも、森辺の民に心を開いてくれるのだろうか。

 そのためには、俺たちが諦めずに力を尽くすしかないだろう。ファの家に対するデイ=ラヴィッツと同じように、レマ=ゲイトも理由があって森辺の民に反感を抱くことになったのだ。失ってしまった信頼を取り戻すには、時間をかけて絆を育むしかなかった。


 屋台に出向いたトゥール=ディンたちは、なかなか戻ってこない。きっと口々に、菓子の感想を伝えているのだろう。それもまた、レマ=ゲイトとの絆を育む一助であるはずだった。


「……アスタ、何、考えていますか?」


 と、いつの間にかそばに近づいていたシュミラル=リリンが、微笑みかけてくる。

 俺は笑顔で、「はい」とうなずいてみせた。


「復活祭っていいもんだなあと、感慨を噛みしめていたところです。さまざまな人たちと絆を深められるのが、何より得難いことですよね」


 俺は多くを語らなかったが、シュミラル=リリンは心から納得した様子で微笑んでくれていた。

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