紫の月の二十二日⑦~夜の屋台~
2019.11/17 更新分 1/1 ・11/18 誤字を修正
それからしばらくして、俺たちは再び宿場町を目指すことになった。
刻限は、昨年と同じく、下りの四の刻の半。日没までに1時間以上のゆとりをもっての出立であった。
約束の時間には、ファの家の前に3台の荷車と屋台の当番および護衛役の面々が勢ぞろいしている。かまど番は、トゥール=ディンとリッドの女衆を含めて10名、護衛役は6名で、総勢16名である。紫の月の半ばになってからはずっとこの人数であったが、あらためて見回してみると、やはり錚々たる顔ぶれであった。
「それでは、行きましょう」
ティアとブレイブたちは再びフォウの家に預けて、俺たちはファの家を出立する。
ちなみに、この時間までずっと昼寝をしていた黒猫は、俺がまた家を離れようとしていると見るや、当たり前のように後をついてきた。いくぶん面倒くさげであるのに、まるでこれが自分の仕事と認知しているかのようである。
「いやァ、今日はすっかり世話になっちまったねェ」
ギルルの荷車では、ピノとロロも同乗していた。けっきょく両者はこの時間まで、ずっとティアの修練につきあっていたのだ。ピノは上機嫌の様子であり、ロロはくたびれきった顔をしていた。
「実はアスタとアイ=ファに、御礼の品を準備してるんだよねェ。よかったら、受け取ってもらえるかァい?」
「え? いえ、御礼の品なんて不要ですよ。そんな気をつかわないでください」
「そんな大したもんじゃないさァ。不要だってんなら、火にくべるなりなんなり、好きにしておくれェ」
ピノは幅の広い袂に左右の手を突っ込むと、そこから取り出したものを周囲に撒き散らした。
同乗していたマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアが、驚嘆の声をあげる。それはあの、天幕への招待チケットである赤い造花であった。
「いま3台の荷車に乗ってる16人分を準備させていただいたよォ。ま、コイツはアスタとアイ=ファへの御礼だから、どう扱うかはおまかせするけどねェ」
「ありがとうございます。そういうことなら、ありがたく頂戴いたします」
赤い造花を拾い上げてみると、確かにピノが言っている通りの数があった。
それをひとつ受け渡すと、レイ=マトゥアは「ありがとうございます」と微笑んだ。
「ピノたちの芸は、ずっと心待ちにしていたのです。アスタたちから、とても素晴らしい芸だと聞かされていましたので!」
「ソイツは、ありがとさァん。ただ、アタシの役割は道端の余興だから、天幕じゃあ雑用するばっかりだけどねェ」
言われてみれば、ピノはあれほどの芸を持ちながら、天幕においては裏方に徹しているのだ。
ただそれは、彼女こそが《ギャムレイの一座》の実質的な取り仕切り役であるという見方もできるような気がした。
(何せ座長のギャムレイは、日が暮れるまで眠りこけてるって話だもんな。他の座員は内向的なお人が多いから、ピノがいないと成立しないんじゃなかろうか)
ともあれ、《ギャムレイの一座》の天幕も、商売の後の大きなお楽しみである。
期待感に胸を弾ませながら、俺たちは宿場町を目指すことができた。
ルウの集落で3台の荷車と合流し、あらためてトトスたちを走らせる。ルウ家の側は、かまど番が8名で護衛役が6名だ。ただ、リミ=ルウを筆頭とする何名かは、昼から宿場町に居残ったままだという話であった。
宿場町に下りてみると、街道は変わらぬ賑わいを保っていた。
宿屋の前に出されていた椅子や卓などは片付けられているが、みんな浮かれた様子で往来を行き交っている。これも、1年ぶりに見る懐かしき光景であった。
「よお、来たな」
《キミュスの尻尾亭》を訪ねると、倉庫の前にレビとラーズが待ちかまえていた。ラーズは普段通りの柔和な笑顔だが、レビはどこか戦いに臨む人間のような面持ちである。
「俺たちはなんとか、150食分のらーめんを準備してみせたぜ。そっちは、どれぐらいの量なんだ?」
「うん、こっちは200食分だね」
「200食分かよ! さすがは、強気だな!」
「いや、ルウ家の汁物料理なんかは400食分だからね。こっちは麺の茹であげに時間がかかるから、その半分ぐらいがちょうどいいんじゃないかと考えたのさ」
それに、俺たちが供するのは、あくまでミニサイズの半ラーメンである。それならば、200食分を準備することも難しくはなかった。
「たぶんラーメン好きのお客なんかは、2種のラーメンを食べ比べようとするんじゃないかな。どんな評価をもらえるか、楽しみなところだね」
「ああ、武者震いが止まらねえよ」
そう言って、レビは不敵に微笑んだ。
「それじゃあ、行こうぜ。他の宿屋の連中も、そろそろ屋台を始めてるかもしれねえしな」
そうして俺たちは、意気揚々と露店区域に繰り出すことになった。
顔馴染みの人々が、途中で声をかけてくれる。のきなみ、好意的な笑顔である。この年に初めてジェノスを訪れた人々も、もう何度かは俺たちの屋台を訪れてくれているのだろう。日中に『ギバの丸焼き』を食してくれた人々も、少なくはないはずだった。
『キミュスの丸焼き』を振る舞うための屋台が撤退した露店区域には、いつも通りのさまざまな出店が設えられている。普段の日中に比べれば8割ていどの数であるが、それらの出店も大いに賑わっていた。そして、この時間から料理を出している屋台もちらほらと散見された。
太陽は西に大きく傾いており、陽光は黄色みが強くなっているように感じられる。日没までは、あと一刻と少々であろう。夕刻に宿場町をうろつくという非日常感に、俺の胸は早くも高鳴り始めていた。
「よー、お疲れさん」
所定のスペースに到着すると、そこには何台かの荷車と居残り組のルウ家の人々が待っていた。声をかけてくれたのは、ルド=ルウである。
「お疲れ様。けっきょくルド=ルウたちは、集落に戻らなかったんだね」
「ああ。ジバ婆は途中で、荷車で昼寝してたよ。集落に戻ったって、どうせ寝るだけだろうしなー」
そう言って、ルド=ルウは「うーん」と大きくのびをした。
「なんか俺、今日1日で1年分ぐらいしゃべくりたおした気がするよ。次から次へと、人間が集まってくるんだもんよー」
「へえ。どんな人たちと言葉を交わしたのかな?」
「そんなの、説明しきれねーって。町の人間だけじゃなく、森辺の色んな氏族の連中も集まってきてたからなー。もちろん目当ては俺じゃなくって、ジバ婆とかダリ=サウティとかだったけどよ」
ジバ婆さんがさまざまな氏族の人たちと語らえたのなら、それもひどく有意であるように思えた。
屋台の準備を進めながら、俺はその場に居並んだ人々を見回してみる。
「そのダリ=サウティはどこに行ったのかな? それに、ダン=ルティムやラウ=レイなんかも見当たらないみたいだけど」
「あいつらは、みんな宿場町を見回ってるんだろ。全員が同じ場所に集まってたら、邪魔くせーしな」
そういえば、往来には森辺の民の姿もあまり見かけなかった。町から遠い場所に住まうサウティやザザの血族はもちろん、おおよその人々は徒歩でやってきているのだから、夜間の見物をする気であるなら、いちいち集落に戻ろうとは考えないはずであった。
「町に詳しくなった連中が、詳しくない連中の案内をしてやってるんじゃねーのかな。チム=スドラなんかは、ラヴィッツの連中を案内してたしな」
「え? チム=スドラが、ラヴィッツの人たちを?」
「ああ。自分から声をかけてたみたいだぜ。ファの家のやってきたことの正しさを証明するために、とか堅苦しいことでも考えてんじゃねーのかな」
それはいかにも、あの誠実で優しいチム=スドラらしい行いであるように思えてならなかった。悪縁のあったファとラヴィッツが正しい絆を結べるようにと、俺の知らないところで多くの人たちが腐心してくれているのだろう。
(俺たちも、みんなの思いに応えないとな)
そんな思いを胸に、俺は準備を進めることにした。
本日が初のお披露目となる『ギバ骨ラーメン』は日替わり献立の一環であり、担当は俺とマルフィラ=ナハムであった。最近ではマルフィラ=ナハムに屋台の責任者をお願いすることが多かったが、今日ばかりは経験の浅いラーメンを担当してもらい、ノウハウを学んでほしかった。
「麺の茹であげに関しては、パスタとそう変わらないからね。最初はそちらを担当しながら、俺の準備する盛り付けを覚えておくれよ」
「は、は、はい。しょ、承知いたしました」
フォウのかまど番が朝から下準備してくれたギバ骨の出汁を、屋台に設置された火鉢で温めなおす。そこから発散される強烈な香りに、隣のレビたちが鼻をひくつかせていた。
「すげえ匂いだな。一歩間違えたら、臭いとか言われちまいそうだ」
「うん。だからこそ、クセになるような強い味に仕上げられるんだよね」
「銅貨は払うから、あとで俺たちにも食わせてくれよな。誰か知ってるやつが来たら、代わりに並んでもらうからよ」
やはりレビは、相当に『ギバ骨ラーメン』を意識しているようだった。
しかしもちろん、負の感情はいっさい感じられない。俺が他の宿屋のギバ料理を意識するのと同じような感覚であるのだろう。
そうして料理の準備ができた頃には、屋台の前に人だかりが出来ていた。
くつろぎの空間として開放していた青空食堂も、いったんすべての人たちに出てもらい、さらに隣のスペースには敷物を敷き詰める。俺たちが準備をしている間に、屋根の設置も完了していた。
「それでは、販売を開始いたします」
人々が、わっと押し寄せてくる。
やはり、昨年よりもいっそう激しい賑わいである。ただしラーメンに関しては、茹であげるのに時間を要するため、自分のペースで仕事を進めやすかった。
(みんな、慌てないようにね)
心の中で、俺はエールを送ることにした。
『ギバまん』および『ケル焼き』の担当はユン=スドラとダゴラの女衆、『ギバ・カレー』の担当はレイ=マトゥアとフェイ=ベイム、青空食堂の担当はラッツとガズの女衆である。祝日の初日である今日は、比較的古参の顔ぶれで固めていた。
いっぽうルウ家のほうは、シーラ=ルウとリミ=ルウとマイムがそれぞれ屋台の責任者で、レイナ=ルウが青空食堂のほうを切り盛りしていた。普段はレイナ=ルウとシーラ=ルウが1日置きに出勤して取り仕切り役を果たしていたが、本年の賑わいがどれほどのものか、両名が自分の目で確かめることにしたのだそうだ。
特筆するべきは、リミ=ルウの相方がヴィナ・ルウ=リリンであったことであろうか。6日に1度の出勤であるヴィナ・ルウ=リリンは、本日の当番に組み込まれたのだ。
そして屋台の裏側では、護衛役とは別枠で、シュミラル=リリンが伴侶の働くさまを見守っている。さらにそこには、ジーダとバルシャとミケルの3名も加わっていた。シュミラル=リリンとミケルに関しては、これが家族の働くさまを見届ける貴重な機会であったのである。
ジバ婆さんはまだ仮眠中であるらしく、荷車の前後にジザ=ルウとルド=ルウが立ちはだかっている。それに、これも護衛役とは別枠で、ガズラン=ルティムがジザ=ルウのかたわらに控えているのが見て取れた。
「おお、懐かしい匂いがすると思ったら、やっぱりこの料理か!」
と、聞き覚えのある声が響きわたった。
正面に目を戻すと、アルダスがにこやかに笑っている。『ギバ骨ラーメン』の屋台の前は、いつの間にやら建築屋の面々に占領されていた。
「いらっしゃいませ。ギバ骨の出汁を使った料理は、送別の祝宴でお出ししましたよね」
「ああ、あれは美味かったよ! こいつは、違う料理なのかい?」
「はい。煮汁に大きな違いはありませんが、それを使ってラーメンに仕上げたのです」
俺が送別の祝宴で準備したのは、『ギバ骨スープの水餃子』であったのだ。先に変化球の料理を味わっていただいた形となるが、建築屋の面々は『キミュス骨のラーメン』も気に入ってくれていたようだったので、きっとご満足いただけるだろう。
「よかったら、お召し上がりください。お代は、赤銅貨2枚です」
「ああ、もちろんいただくよ! この煮汁は手間がかかるから、昼の屋台では出せないって話だったもんな! とりあえず、10人前をお願いするよ!」
建築屋とそのご家族は30人規模の大所帯なので、手分けをして料理を買いつけているのである。汁物や煮物は持参した大皿で持ち運ぶのが常であったが、さすがにラーメンは個別で運んでもらうしかなかった。
「なんか、すごい匂いだね。あたしはいつものやつが食べたいなあ」
と、アルダスの巨体の陰から顔を覗かせたバラン家の末妹が、仏頂面でそのように言いたてた。今日は2日ぶりに、おやっさんたちと同じ場で屋台の料理を食せるのだ。
「いつものやつも、10人前を頼めばいいさ。どうせ30人以上もいるんだから、それでも足りないぐらいだろ」
「わかったから、こっちを向かないで。その酒臭い息だけで、こっちまで酔っぱらっちゃいそうだよ」
父親とほとんど同年代のアルダスに対して、ぞんざいな扱いである。しかし、それだけ気安い間柄ということなのだろう。俺はアルダスと末妹のやりとりを、ひそかに好ましく思っていた。
「確かに匂いは強いけど、アルダスやおやっさんたちはみんな気に入ってくれたんだ。よかったら、味見でもしてみておくれよ」
俺がそのように口をはさむと、末妹はぎょっとした様子で振り返ってきた。
「あれ? 口調をあらためろって言われたからそうしてみたんだけど、何か気にさわっちゃったかな?」
「う、ううん」と、末妹は首を振る。するとアルダスが、ずいぶん低い位置にあるその頭をぽんぽんと叩いた。
「そういえば、アスタにお願いがあったんだよ。アスタたちは、あとであの見世物小屋に出向くんだろ? そのときに、こいつらも連れてってもらえないかな?」
「はい? それはかまいませんけれど、でもどうしてです? アルダスたちは行かれないのですか?」
「ああ、男連中は銅貨がもったいないって言ってるんだけど、女連中は興味津々でさ。でも、女連中だけで向かわせるのは、ちっとばかり心配だろ?」
「なるほど。でも、《ギャムレイの一座》の芸は見事なものですよ。見物料に見合う芸だということは保証いたします」
「あのリコって嬢ちゃんもそう言ってたから、女連中も興味を引かれたんだよな。ただ、全員で出向くと銅貨もかさんじまうからさ。女連中の評判がよかったら俺たちも覗いてみるかっていう、まあそういうしみったれた話なんだよ」
ちょっと照れ臭そうな顔で、アルダスはそう言った。
しかしアルダスたちは、復活祭のさなかに働きつつ、ジェノスの観光を楽しんでいる身なのである。そうそう無駄遣いはできないというのも、至極納得のいく話であった。
「承知しました。でもきっと、アルダスたちも見たくてたまらなくなると思いますよ。その上で、お引き受けいたします」
「世話ばっかりかけちまって悪いね。何かそのうち、恩を返すからさ」
「とんでもない。こうしてジェノスに来ていただいただけでも、十分すぎるぐらいです」
「嬉しいことを言ってくれるね」とアルダスは目を細めて笑う。
すると、隣の『ギバまん』の屋台に並んでいた何者かが腕をのばして、アルダスの肩を強く小突いた。
「おい、やっぱりアルダスだったのか! どうしてあんたが、こんな時期にジェノスにいるんだよ?」
うろんげに振り返ったアルダスは、「おお!」と大きな声をあげる。
「なんだ、お前さんもジェノスに来てたのか! いままでまったく姿を見せなかったじゃないか!」
「俺たちはついさっき、ジェノスに着いたんだよ。昼には『ギバの丸焼き』が配られてたって聞いたけど、食いっぱぐれちまったな」
そんな風に言ってから、その人物は俺にも笑いかけてきた。
「ひさしぶりだな、アスタ! あとでそっちの料理もいただくよ!」
これといって特徴のない、南の民の壮年の男性である。俺は一瞬考え込んでしまったが、すぐに答えを見出すことができた。それは、おやっさんがジェノスで仕事をする際に、現地で雇いつけていたメンバーのひとりであったのだ。
「ああ、どうもおひさしぶりです。みなさん、ジェノスにいらしていたのですか?」
「ああ。紫の月の頭に、けっこう近場で仕事があったからさ。だったら復活祭はジェノスで過ごそうって話になったんだよ」
毎年ジェノスで仕事を受け持っている建築屋は20名で構成されており、そのうちの13名は普段から西の王国を住処にしているのである。そちらのメンバーまでジェノスにやってきたということは、これで建築屋のフルメンバーが集結したということだった。
もちろんその13名に関しても、送別の祝宴に参加していたし、おやっさんたちがネルウィアに帰った後も、しばらくはジェノスに居残って屋台に通ってくれていたものである。俺にとってはおやっさんたちと同列の、懐かしき面々であった。
「そういえば、ジェノスに向かおうってときに、なかなか護衛役が見つからなくてよ。しかたないから奮発して、けっこう値の張る《守護人》を雇うことになったんだ。そのお人も、アスタの知り合いなんだろ?」
そう言って、その人物は逆側の行列のほうを指し示した。
そちらは、レビたちのラーメンの屋台である。そこに並んでいた人物が、「よお」と気安く手を振ってきた。
「挨拶は腹ごしらえの後でいいかと思ったんだけどな。ま、つまりはそういうわけなんだ」
「ああ、ザッシュマ。ザッシュマが、こちらのみなさんの護衛役を受け持つことになったのですか」
「ああ。まさか、余所の土地でアスタたちに縁のある人間と出くわすとはね」
ザッシュマと顔をあわせるのも、けっこうひさびさなはずだった。厳つい顔に無精髭をたくわえた《守護人》のザッシュマは、壮健きわまりない姿で陽気に笑っていた。
すると、ザッシュマに気づいたラーズが「ああ……」と声をもらす。
「これはこれは……どうも、おひさしぶりでございやす。あのときは、本当にご面倒をかけちまって……」
「なに、元気でやってるようで何よりだ。お前さんたちの屋台は、アスタたちに劣らずたいそうな評判であるみたいじゃないか」
ラーズはかつて、レビの重荷にならぬようにと、ジェノスを出奔しようとした。それで行き倒れたところを助けたのが、このザッシュマなのである。ラーズは柔和に微笑みながら、その目に涙を溜めていた。
「あなた様がお助けくださらなかったら、こんな真っ当に生きることもできはしませんでした。お代なんざはけっこうなんで、好きなだけ食べていってください」
「おいおい、お前さんは雇われの身だろ? 勝手な真似をしちまったら、あのおっかないご主人に叱られちまうぞ」
「代金は、俺の稼ぎからお支払いいたしやす。そんなもんじゃあ、とうていあなた様の恩義に報いることはできやしませんが……」
「だったら商売の後に、果実酒でも振る舞ってくれ。礼なんざ、それで十分さ」
そう言って、ザッシュマはいっそう陽気に笑った。
「お前さんが立派なギバ料理を売りに出してるんなら、それだけでも助けた甲斐があったってもんだ。お代は払うから、美味い料理を食わせてくれよ」
「へい」と鼻をすすってから、ラーズも白い歯を見せた。
「腕によりをかけて作らせてもらいやすよ。レビ、場所を代わってくれ」
「ああ」と父親に場所を譲ってから、レビも真剣な眼差しをザッシュマの笑顔に向けた。
「俺からの果実酒も飲んでやってください、ザッシュマ。今日のお泊りは、《キミュスの尻尾亭》じゃないんですか?」
「ああ、道でばったり出くわした《北の旋風》から、そっちはもう満室だって聞いたんでね。もうちっと値の張る宿屋に、なんとか潜り込めたところさ」
「部屋が空いたら、ご連絡します。どうか宿でも、俺たちに面倒を見させてやってください」
「親子そろって、義理堅いことだな。まあ、この時期に部屋が空くことはなかなかないだろうが、夜の食事はそっちに出向こうと考えてたよ」
ザッシュマがそのように答えたとき、こちらの麺が茹であがった。
マルフィラ=ナハムが麺を移した皿に、手早くトッピングを配置していく。ギバのチャーシューと、ホウレンソウのごときナナール、キャベツのごときティノ、モヤシのごときオンダ、そしてゴマのごときホボイだ。
スープはこってりとした白湯仕立てで、タレはチャーシューを作る際に使ったタウ油ベースの煮汁に手を加えて転用している。おやっさんたちを招いた送別の祝宴のときよりも、さらに工夫を重ねているので、喜んでもらえたら幸いであった。
「ああもう、見るからに美味そうだな。よし、ひとりで2皿ずつ運ぶぞ」
『ギバ骨ラーメン』の皿を掲げて、アルダスや末妹たちは青空食堂のほうに消えていった。
とはいえ、10人前をいっぺんに仕上げることはできないので、まだ建築屋のメンバーが2名ほど居残っている。すると、その後ろからさらなる南の民たちが押し寄せてきた。おやっさんと長男、そしてデルスにワッズという組み合わせである。
「あれ? どうしたんだよ、おやっさん? こっちはあと4人前だから、俺たちだけで運べるぜ?」
「新しい料理が10人前では、どうせ取り合いになってしまうだろう。おい、もう10人前、追加してくれ」
おやっさんの言葉に、「おいおい」とデルスが声をあげた。
「兄貴と坊主だけで10人前の料理は運べねえだろ。あんまり欲張るんじゃねえよ」
「ふん。運べるかどうか、そこで見ているがいい」
よく見ると、おやっさんと長男はそれぞれ大きな盆を携えていた。ミニラーメンの器なら、なんとか5皿ぐらいは運べそうなサイズである。
「なんだ、そんなもんまで準備してるのかよ。呆れた食い意地だな」
「やかましいわ。こっちは30人以上もいるのだから、頭を使うのが当たり前だろうが」
「だったら、料理はこっちに先に回してほしいところだな。10人前の料理がさばけるのを待ってらんねえよ」
「俺たちのほうが先に並んだのだから、お前なんぞに譲ってやる筋合いはない」
おやっさんは仏頂面で、デルスは皮肉っぽい笑顔である。俺としてはそれほど険悪な様子だとも思わなかったが、かたわらで聞いている長男は何やらハラハラとしている表情であった。
すると、ひとりだけ巨体のワッズが、頭上からふたりの顔を覗き込む。
「あのさあ、どうでもいいことでいちいち揉めんなよお。せっかく仲直りしたんだから、仲良くすりゃあいいじゃねえかあ」
「何が仲直りだ。そもそもこいつは家を追い出された人間なのだから、俺にとってはもう他人だ」
「ああ、他人でけっこうだよ。こんな頑固者が親父じゃあ、お前さんも気苦労が絶えねえだろうな?」
デルスに視線を向けられると、長男はいっそう委縮した様子で首をすくめた。あれだけ陽気で物怖じしないタイプであるように思えたのに、デルスのことはずいぶん苦手にしている様子である。
(まあ、幼い頃の思い出ってのは、なかなか払拭できないんだろうな)
この長男は20歳ぐらいに見えるので、デルスが家を出た頃には5歳かそこらであったのだろう。で、叔父と祖父にあたる人間が怒鳴り合う場面を何度となく見せつけられていたのなら、ちょっとしたトラウマが植えつけられてしまうのも道理であった。
(そんな悪縁も、これをきっかけに解消されるといいな)
さしあたって、俺はこの場の長男の気持ちをなだめるべく、折衷案を提案させていただくことにした。
「みなさん、ご注文ありがとうございます。建築屋の方々が残り4人前と10人前、デルスとワッズがそれぞれ1人前ずつということでよろしいですか?」
「ああ、それで合ってるな」
「それでしたら、麺の茹であげはいっぺんに6人前ずつですので、14人前を仕上げるには3回かかることになります。最初に茹であがった6人前は建築屋の方々にお持ちいただき、次に茹であがった分からデルスとワッズにお持ちいただいたら如何でしょう? それでも、3回で注文が仕上がることに変わりはありませんので」
おやっさんは眉をひそめつつ、頭の中で計算を巡らせているようだった。
すると、先に計算を終えたらしいデルスが、にやりと笑う。
「誰にも損をしたと思わせないやり口だな。なかなか頭が回るじゃねえか」
「おほめに預かり、光栄です」
そんな言葉を交わしている間に、最初の分が茹であがった。
おやっさんは自分の持っていた盆を、最初に並んでいたふたりに受け渡す。盆には5皿だけをのせ、のりきらなかった1皿はもうひとりの人物が運ぶことになった。
「そいつを運んだら、盆を持ってくるのだぞ。こっちはまだ8人前を注文しているのだからな」
「了解」と言い置いて、ふたりは青空食堂に向かっていった。
それを見送りながら、ワッズは楽しそうに笑っている。
「次は、俺たちももらえるんだよなあ? こいつは嗅ぎなれねえ匂いがするから、楽しみだあ」
「これは、ギバの骨ガラで出汁を取った料理なのですよ。おやっさんたちは、以前に口にしたことがあります」
「へえ、それでそんなに買い込むってことは、さぞかし美味かったんだなあ?」
ワッズに無邪気な笑顔を向けられて、おやっさんは「まあな」とだけ答えていた。
こちらの麺は中太麺なので、茹であがりには2分半ほどかかる。ささやかな時間であるが、その間にも親睦を深めてもらえれば幸いであった。
そしておやっさんたちの背後には、どっさりと次のお客たちが列を為している。
俺たちの商売は、まだまだこれからが本番であったのだった。