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異世界料理道  作者: EDA
第四十七章 太陽神の復活祭、再び(上)
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紫の月の二十二日③~二つの申し出~

2019.11/13 更新分 1/1

 それからしばらくして、広場のほうから太陽が中天に達した旨が告げられてきた。

 広場には日時計があるので、それを頼りに時刻が計られていたのである。それを合図に、『ギバの丸焼き』と『キミュスの丸焼き』の配布が開始されることになった。


 街道を埋め尽くしていた人々が、我先にと俺たちの屋台に群がってくる。それはやはり、昨年以上の熱気に思えてならなかった。


「慌てなくていいからね。肉はまだ熱いから、火傷をしないように気をつけて」


 肉切り刀を振るうマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアに、俺はこっそりそのように指示を出した。

 肉の解体というのは、なかなか難儀な作業である。しかし、生鮮肉であればどの氏族のかまど番も解体の作業には携わっていたので、初の挑戦であるマルフィラ=ナハムたちにも危なげなところはなかった。


「肉を手で触れないのが厄介ですが、生の肉よりはやわらかいので、それほど難しいことはないようですね」


 そのように語りながら、レイ=マトゥアは的確に『ギバの丸焼き』をさばいていく。そうして切り分けられたギバ肉は、大皿にのせるそばから人々の手に渡ることになった。


『ギバの丸焼き』を受け持った屋台は7台も存在するのに、人の波はいっこうに引く気配がない。たいていの人間はひと切れで我慢してくれている様子であるのだが、街道の南側から次々に新たな人々が押し寄せてくるのである。


「私たち、いただいて、よろしいでしょうか?」


 と、しばらくしたのち、ラダジッドが俺たちの屋台の前に立った。

 マルフィラ=ナハムに頭部の解体の指示を出してから、俺は「もちろんです」と笑顔で答えてみせる。


「そのために、俺たちは『ギバの丸焼き』を準備したのですからね。ご遠慮なさらず、どうぞ召し上がってください」


「はい。森辺の人々、遠慮しているようなので、いささか心苦しかったのです」


 そういえば、少なくとも俺たちの屋台には、まだ森辺の民は姿を現していなかった。やはり誰もが、町の人々を優先するべきだと考えてくれたのだろう。


「森辺の人たちは、波が引くのを待っているのでしょう。そういえば、シュミラル=リリンたちはご一緒ではなかったのですか?」


「さきほどまで、語らっていました。この後も、語らいたい、思います」


 ラダジッドは目を細めつつ、口もとを震わせた。ラダジッドはこうして笑顔をこらえる仕草をよく見せるので、東の民としてはけっこう熱情的なタイプなのではないかと思われた。


(だけどまあ、シュミラル=リリンたちとゆっくり語らえるなら、笑いたくなるのが当然だよな)


 俺がそんな風に考えている間に、マルフィラ=ナハムがギバの顔面から削り取った部位を大皿に移していた。これは初めての作業であろうに、実になめらかな手際だ。


「この部位も、なかなか悪くないと思いますよ。よろしければ、お召し上がりください」


「はい。ありがとうございます。また、のちほど」


 削り節のようなギバの皮を指先でつまみあげ、ラダジッドは屋台から立ち去っていった。まだまだ人は押し寄せてきていたので、立ち話をするのも難しいような状況であったのだ。


「すごいですね。これだけのギバ肉も、あっという間になくなってしまいそうです」


 ギバの骨ガラを屑入れ用の壺に移しながら、レイ=マトゥアが笑顔でそう言った。

 確かに、もともと30キロサイズであった子ギバの肉は、わずか十数分で半分ぐらいが持ち去られてしまったようだ。もともと丸焼きにする過程で水気と脂気が抜けて、数キロ分ぐらいは減じてしまうものの、それでもかなりのハイペースである。


 ざっと見回してみたところ、7台の屋台のすべてが同じペースであるように思える。いや、幼体ではなく成獣の枝肉を使っていた屋台などは、頭部や背骨がないぶん切り分けが容易であるためか、いっそうハイペースであるようだった。


(これは確実に、去年よりも勢いがあるみたいだな。肉の量は倍以上も用意してるはずなのに、半刻も経たずに終わっちゃいそうだ)


 俺がそんな風に考えたとき、新たな一団がどやどやとやってきた。

 ようやくご登場の、建築屋の一行である。


「いやあ、遅くなっちまった! まだ肉が尽きたりはしてないよな?」


「はい。みなさんが間に合われて、ほっとしました」


「まったくだよ。ついつい寝過ごしちまってさあ」


 アルダスが頭をかきながら弁解すると、すぐそばにいたバラン家の末妹が「ふん」と鼻を鳴らした。


「本当は、水でもぶっかけてやりたかったんだけどね。宿に迷惑がかかるからって、母さんたちに止められたんだよ」


「悪い悪い。まあ、ギバ肉にはありつけたんだから、勘弁してくれよ」


 笑いながら、アルダスは大皿のギバ肉をつまみあげた。

 それを口に放り入れるなり、「おお!」と大きな声をあげる。


「こいつは、確かに美味いな! ただ焼いただけの肉が、こんなに美味いのか! こいつには、タウ油すら使ってないんだろう?」


「は、は、はい。最初に塩とピコの葉をすりこんだだけの肉となります」


 マルフィラ=ナハムの言葉に、アルダスは「へーえ!」と目を丸くする。その巨体の脇からお仲間の腕がのびてきて、次々と『ギバの丸焼き』を口にしていった。


「うん! 美味いな! これだけで腹いっぱい食いたいぐらいだ!」


「そんな真似をしたら、後から来る連中に恨まれるぞ。……だけど、本当に美味いなあ」


 メイトンや他のメンバーも、喜色を満面に浮かべている。

 そんな中、おやっさんは仏頂面で肉を咀嚼していた。


「如何ですか? それはおそらく、背中の肉だと思います」


「美味い。昼からまた飲みたくなってしまうな」


 すると、南の民の一団を圧倒するようなコンビが、横合いから接近してきた。いつの間にやら街道のほうで酒盛りをしていた、ダン=ルティムとラッド=リッドである。


「おお、やはりお前たちであったか! 酒ならこちらに、いくらでも準備されているぞ!」


「うむ? ラッド=リッドは、南の民と懇意にしておったのか?」


「こやつらは、ファの家や祭祀堂を建てなおした、建築屋なる一団だ! ルウの家にも、何名か招かれていたであろうが?」


「おお、あやつらか! ならばぞんぶんに、酒を酌み交わしたいところだな!」


 護衛役の人数にはゆとりがあったので、社交的な両名はその役目を半ば免除されることとなったのだ。そもそも街道にはさまざまな氏族の狩人があふれかえっていたので、俺たちに危険が及ぶ恐れもないことだろう。


「しかし、果実酒だけで腹を膨らませるのも、そろそろ限界だな! アスタよ、俺たちにもギバ肉を分けてはもらえぬか?」


「はい、どうぞどうぞ。足りなければ、キミュスの肉を召し上がっては如何です?」


「そうだな! そうさせてもらおう!」


 そうして建築屋の一行は、その賑やかな両名とともに屋台の前から離脱することになった。

 ダン=ルティムたちがギバ肉をつまんだことによって、街道に散っていた森辺の民の何人かもちらほらやってくる。そうすると、肉の減り具合がさらに加速していった。


(いよいよ、ラストスパートかな)


 俺がそんな風に考えたとき、「おおい!」という声が聞こえてきた。

 ドーラ家の人々が、ぎりぎりで間に合ったのだ。俺は今度こそ、心から安堵することになった。


「いらっしゃいませ。間に合わないんじゃないかと、ちょっとひやひやしていたところでした」


「ええ? まだ中天から半刻も経ってないはずなのに、もう肉が尽きそうなのかい? そいつは大した人気っぷりだね!」


 参じてくれたのは、最年長のおふたりを除く面々である。親父さんの母君と叔父君は、賑やかな宿場町を嫌っているそうなのだ。


 次兄と手をつないだターラは、リミ=ルウが切り分けをしている屋台に駆け寄って、ギバ肉を食していた。俺たちの目の前では、親父さんやその伴侶が目を細めてギバ肉を食している。


「もうギバ肉も珍しいものではなくなったけどさ。こいつを食いっぱぐれたら、次の祝日まで後悔するところだったよ」


「そうですね。他ならぬ親父さんたちに食べていただくことができて、俺も嬉しいです」


 するとそこに、カミュア=ヨシュがふらりと現れた。


「やあやあ。ギバの肉は、まだ残っているかな?」


「ああ、カミュアも今いらしたのですね。かなりぎりぎりであったようですよ」


 俺の屋台では、レイ=マトゥアが最後の肉を切り分けたところであった。枝肉の担当であった屋台は、それよりも早く仕事を終えていた様子である。

 カミュア=ヨシュは親父さんとも顔見知りであったので、笑顔で挨拶をしながら最後のギバ肉を口にする。するとそこに、ガズラン=ルティムとギラン=リリンが近づいてきた。


「カミュア=ヨシュ、おひさしぶりですね。ギラン=リリンは覚えておいででしょうか?」


「おお、もちろん! ルウ家の祝宴でご挨拶をさせていただきましたね」


 カミュア=ヨシュは青の月に、親睦の祝宴に招かれている。しかし、俺は両者が言葉を交わす姿を見かけていなかったので、なんとも新鮮な心持ちであった。ドーラ家の人々も同じ輪を囲んでいるとあっては、なおさらである。


 そしてこの場には、《銀の壺》やおやっさんたちもいる。デルスやワッズ、リコやベルトンたちもいる。さらに、森辺のほとんどの氏族が結集しているのだ。屋台の向こうでは、いったいどのような交流の場が形成されているのか、それを想像しただけで心が弾むほどであった。


「それじゃあ俺たちは、後片付けを始めようか。少しのんびりしてから、森辺に戻ることにしよう」


 俺がそのように声をあげたとき、「ファの家のアスタ」と控えめに声をかけてくる者があった。

 振り返ると、見覚えのない人物が立っている。しかしその人物はずいぶん上等な身なりをしており、白装束の武官2名を従えていたので、おおよその素性は察することができた。


「はい。ファの家のアスタは自分です。城下町の御方でしょうか?」


「はい。わたくしはジェノス侯の申しつけにより、本日の儀を見届けに参った者です」


 礼儀正しい微笑をたたえつつ、その人物はそのように言いたてた。


「中天の前からずっとご様子をうかがっていたのですが、お仕事の邪魔になってはと思い、このようにご挨拶が遅れてしまいました。どうぞご了承くださいませ」


「はい、もちろんです。何か不備でもあったでしょうか?」


「いえいえ。屋台の数も肉の量も、事前にうかがっていた通りであるかと思われます。ただ……半刻を待たずして、それらのすべてが尽きてしまわれたご様子ですね」


「はい。去年の倍以上の量なのに、去年よりも早く尽きることになってしまいました。自分も少なからず驚いています」


 すると、気をきかせたレイ=マトゥアに呼ばれて、レイナ=ルウもこちらにやってきた。城下町の見届け役が相手なら、やはり族長筋たるルウ家の人間も立ちあうべきであるのだ。


「皆様のお働きに不備がなかったことは、わたくしがこの目で見届けさせていただきました。ただ……わずか半刻足らずで肉が尽きたとなると、とうてい望む人間のすべてには行き渡らなかったのではないでしょうか?」


「はい。その可能性は、ありえると思います」


「それに……この場には、森辺の方々もずいぶんおられるようですが、ほとんどの方々は肉を口にされていないようでした」


 その人物が、談笑をストップさせていたガズラン=ルティムのほうにちらりと目を向ける。

 ガズラン=ルティムは人をそらさぬ笑顔で、それに応じた。


「はい。私たちが手を出せば、いっそう町の人々の手に渡る肉が減ってしまうと思い、自重いたしました。おそらくは、ごく限られた氏族の人間しか口にはしていないかと思います」


「やはり、そうでしたか。それは、遺憾の限りでございます」


 見届け役の御仁は、眉を下げて微笑んだ。


「この祝いの日の、太陽が出ている間に口にする肉と酒は、すべて太陽神への捧げ物であるのです。正確に言うならば、肉と酒を食した人間の喜びが、太陽神に力を与えるということなのですが……そういった逸話を、皆様はご存知でありましたでしょうか?」


「いえ、あまり正確には。だからジェノスでは、こうして肉と酒が振る舞われるのですか?」


「はい。それが不足していたならば、すなわち太陽神への供物も不十分になってしまう、ということでございますね」


 そう言って、彼はますます眉を下げた。


「またそれは、ジェノス侯の威光にもお傷をつける行いとなりましょう。振る舞いの肉が不足するというのは、きわめて不名誉な事態であるのです」


「はあ……それで俺たちは、どのように取り計らえばよいのでしょうか?」


「むろん、お決めになられるのはジェノス侯と森辺の族長ですが……おそらくジェノス侯は、今後さらなるギバ肉を準備するようにと、森辺の族長に申しつけることとなりましょう」


「さらなるギバ肉ですか。でも、ギバ肉を焼きあげるには時間がかかるので、7つの屋台ではこれが限界なのですよね」


 なおかつギバ肉は、あくまで丸焼きが望ましいとも申しつけられている。それではなおさら、手の打ちようが存在しなかった。

 しかしこの御仁も、それぐらいのことはわきまえているのだろう。同じ表情のまま、「はい」とうなずく。


「屋台に関しては、宿屋に触れを回して、空いているものを借り受けることがかないます。ただ、ギバ肉とそれを焼きあげる人員を確保することはかなうか……ジェノス城に戻る前に、その一点をご確認させていただきたく思います」


「ギバ肉と人員ですか。目安として、どれぐらい屋台を増やしたいとお考えでしょうか?」


「理想としては……本日の、倍の数でございましょうか」


 倍となると、屋台14台分だ。

 それはなかなか、突拍子もない申し出であった。


「えーと、ちょっとお待ちくださいね。屋台には最低2名ずつのかまど番が必要なので……ルウ家では、何名ぐらいのかまど番を出せるだろう?」


「はい。半分ぐらいは、まかなえるかと思いますが」


 レイナ=ルウの返事に、よどみはなかった。

 ルウ家は血族が多いので、14名のかまど番を出すことも難しくはないのだろう。なおかつ、『ギバの丸焼き』には祝宴で何度かチャレンジしているので、作業手順をわきまえている人間にも不足はない、ということだ。


「それなら残りの半分は、6氏族のかまど番でなんとかなるかな。ただ、問題はギバ肉だよね」


「はい。大人のギバの枝肉であればいくらでも準備できるかと思いますが、幼いギバというのは狩ろうと思って狩れるものではありませんので、次の祝日には1頭も準備できない可能性があります」


 レイナ=ルウの言葉に、見届け役の御仁は「そうですか」と息をついた。


「もちろん、1頭のギバをそのまま焼いたほうが、習わしには沿う形になりますが……たとえ半分に割った肉であっても、肉が足りないよりはよほど望ましいかと思われます」


「では、そのような依頼が為されることになるのでしょうか?」


「はい。今日のうちに、仮にでもお話を通していただけるとありがたいのですが……」


「では、こちらにおいでください。族長のひとりであるダリ=サウティと、ルウおよびザザの長兄が顔をそろえておりますので、あなたから直接お話を伝えていただきたく思います」


「あ、ダリ=サウティも来てたんだね」


 俺の言葉に、レイナ=ルウは「はい」と表情を崩した。


「中天になる少し前に来られたようですが、そのまま食堂のほうに腰を据えていました。ジザ兄たちと一緒に、ずっと屋台の様子を見守っていたようですよ」


 それは、まったく気づかなかった。まあ、屋台の前にはずっと人だかりができていたので、ダリ=サウティも遠慮をしていたのだろう。


「では、ご案内いたします。そちらから、食堂のほうにお回りください」


 そうして見届け役の御仁と武官たちは、レイナ=ルウの案内で立ち去っていった。

 その姿が人混みの向こうに消えてから、ドーラの親父さんは感じ入った様子で息をつく。


「屋台の数を、倍だって? いやあ、ものすごい話だねえ」


「はい。これはちょっと予想外の事態でした」


「まあ、それだけギバ肉が大人気ってことか。俺たちも、危うく食いっぱぐれるところだったからね」


 そう言って、親父さんは微笑をこぼした。


「どれだけギバ肉を準備したって、始末に困ることはないさ。困ったら、俺たちがみんなたいらげてあげるよ!」


「あはは。ありがとうございます」


「それじゃあ俺たちも、のんびりさせてもらおうかな。今日は色んな人らがいるから、誰に喋りかけたらいいか迷っちまうよ」


 そうしてドーラ家の人々は、和気あいあいと立ち去っていった。

 後には、カミュア=ヨシュとガズラン=ルティムとギラン=リリンの3名だけが居残っている。その中で、カミュア=ヨシュがのんびりと俺に笑いかけてきた。


「アスタたちは、後片付けだね。この後は、すぐに帰らないといけないのかい?」


「いえ。半刻ぐらいはのんびりしてから、戻ろうかと思います。せっかくこれだけの方々が集まってくれたのに、すぐに帰るのはもったいないですからね」


「うんうん、それがいい。俺もぞんぶんに、森辺の方々と語らせてもらおうかと思うよ」


 そうして3名がいっせいに身をひるがえそうとしたので、俺は「あ」と声をあげることになった。


「ちょっとお待ちを。ガズラン=ルティムたちも、屋台の様子をうかがってくれていたのですよね? どこかで、ピノたちを見かけませんでしたか?」


「ピノたちを? いえ、《ギャムレイの一座》はひとりも見かけていないように思いますが」


「そうですか。賑わいが落ち着くのを待っている間に、『ギバの丸焼き』を食べ損なってしまったのかもしれませんね」


 それは、残念な話であった。

 しかしまあ、祝日はこの後にも控えている。その際に、今日の分まで『ギバの丸焼き』を堪能してもらうしかなかった。


(確かに屋台7台分じゃあ、まったく足りていなかったんだな。合計で200キロ近くはあったはずなのに……大したもんだなあ)


 そうして俺はガズラン=ルティムに礼を言って、後片付けに取りかかろうとした。

 しかし、なおもそれを許してくれない人物が登場した。どこへともなく行方をくらましていたフェルメスが、再び近づいてきたのである。


「お疲れ様でした、アスタ。どうやら想定以上の賑わいであったようですね」


 立ち去りかけていたガズラン=ルティムたちも、足を止めていた。

 カミュア=ヨシュはへらへらと笑い、ガズラン=ルティムは静かに微笑みながら、こちらに向きなおる。


「おやおや、そのお声は……と、お忍び中であるのだから、お名前を呼ぶのは控えるべきなのでしょうね」


「おひさしぶりですね、カミュア=ヨシュ。お会いできて嬉しく思っています、ガズラン=ルティム。それに、そちらは……リリンの家長ギラン=リリンですね」


「おひさしぶりです。やはり、いらしていたのですね」


 ガズラン=ルティムも俺と同じく、フェルメスとは4日前に顔をあわせたばかりであった。

 あの親睦の晩餐会では、いささか不穏なやりとりがされたものであるが――いまのところ、ガズラン=ルティムは普段通りの沈着さである。


「僕もいささか疲れてしまったので、アスタに挨拶をしてから城下町に戻るつもりでした。その前に、ダリ=サウティらにもご挨拶をさせていただかなければなりませんね」


「はい。よければ、ご案内いたしましょう」


「あ、その前に……アスタとアイ=ファにお願いしたいことがあるのですが」


「何であろうか?」と、無表情のアイ=ファが進み出た。

 その肩の黒猫は、うろんげにフェルメスを見やっている。


「紫の月の29日に、トトスの早駆けの大会が執り行われます。その上位入賞者は、闘技会と同じようにジェノス城の祝宴に招かれる手はずとなっているのですが……アイ=ファとアスタも、それに招待させていただけませんか?」


「……我々は、そのような力比べの大会とも無縁の身であるのだが」


「ええ、承知しています。ですがこれは、貴族ならぬ人間をジェノス城の祝宴に招待できる、貴重な機会であるのです。闘技会においては、族長筋の方々も招待されることになったのでしょう?」


「あれは、シン=ルウとゲオル=ザザが力比べに参じたためであろう。このたび、トトスの大会に参じるのは、ルウの血族のみであるはずだ」


「はい。このたびも、ルウ家の方々は祝宴に招かれています。それにあわせて、アイ=ファとアスタも招待させていただきたいと考えたのですが、ご迷惑でしょうか?」


 アイ=ファは感情を隠したいかのように、まぶたを半分だけ下げた。


「迷惑か否かと問われれば……その日はアスタも多忙の身となる。夜ぐらいはゆっくり休ませてやりたいというのが、私の本心だ」


「はい。急な申し出で、申し訳なく思っています」


「……しかし我々は、あなたと正しき絆を結べるように、最大限の力を尽くすべきなのであろうな」


 それが、アイ=ファの返答であった。

 黒猫は何を察したのか、「いいのかい?」とばかりにアイ=ファの横顔を覗き込んでいる。


「ありがとうございます。それではこれから族長たちに、正式に申し入れをさせていただきますね」


「では、ダリ=サウティたちのもとにご案内いたします」


 ガズラン=ルティムとギラン=リリンの案内で、フェルメスはすみやかに立ち去っていった。

 ひとり居残ったカミュア=ヨシュは、「やれやれ」と肩をすくめている。


「晩餐会の次は、ジェノス城の祝宴か。彼の執心は衰えることを知らないようだね」


「はい。それをありがたいと思えるようになりたいところですね」


「そうだねえ。俺も一緒に祈らせていただくよ」


 そうしてカミュア=ヨシュは、とぼけた笑みを顔中に広げた。


「さあ、それじゃあ後片付けを済ませるといいよ。絆を深めるべきお相手は、あの御仁ひとりではないのだからね」


 そう、屋台の向こうでは、実にたくさんの人々がひしめき合っているのである。

 その喜びを分かち合わせていただくべく、俺は後片付けを開始することにした。

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