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異世界料理道  作者: EDA
第四十七章 太陽神の復活祭、再び(上)
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紫の月の二十二日①~暁の日~

2019.11/11 更新分 1/1

・今回の更新は全10話です。

 いよいよ訪れた、『暁の日』――ダレイム領のドーラ家で夜を明かした俺たちは、日の出とともに宿場町へと出立することになった。


「それじゃあ俺たちも、朝の仕事を片付けたら宿場町に出向くからさ! アスタたちも頑張っておくれよ」


「はい。みなさんのお越しをお待ちしています」


 見送りに出てくれた親父さんたちに手を振って、俺たちはギルルの荷車で宿場町を目指した。

 朝の街道を荷車で駆け抜けるのは、ひさびさである。手綱を握るアイ=ファの脇から身を乗り出すと、朝の清涼なる大気が心地好く髪や頬をなぶってくれた。俺の右肩に鎮座した黒猫は、その風を嫌がるように「なうう」と非難がましい声をあげている。


『暁の日』たる本日は、朝から中天までは『ギバの丸焼き』の作製に取り組み、中天からはその配布。『ギバの丸焼き』の配布が終わったら、森辺に戻って夜と明日の商売の下準備。そして夜には屋台の商売をして、しかるのちに《ギャムレイの一座》の天幕に再びお邪魔する、という、なかなかにハードなスケジュールであった。


 しかしもちろん、俺の胸に渦巻くのは大きな期待感と昂揚感ばかりである。ついに復活祭の本番が始まったのだという昂ぶりを胸に、俺は荷台へと引っ込むことにした。


「ジバ=ルウは、お疲れではありませんか? 町の人たちが集まるのは何刻も経ってからですから、それまではゆっくりお過ごしくださいね」


 俺がそのように呼びかけると、たっぷりと重ねた毛布に埋もれるようにして座っていたジバ婆さんは「ありがとうねぇ……」と微笑んだ。

 その周囲を固めるのは、ジザ=ルウとルド=ルウとリミ=ルウの兄妹トリオだ。このメンバーは全員が『ギバの丸焼き』の配布に立ちあった経験があるので、いずれも落ち着いたものだった。


 10分ていどで宿場町に到着したのちは、まず屋台を借り受けるために《キミュスの尻尾亭》を目指す。

 扉を開けると、テリア=マスとレイトが受付台のところで静かに語らっていた。


「ああ、お早かったですね、森辺のみなさん。裏にレビたちが控えているので、屋台はそちらでお受け取りください」


「はい、承知いたしました」


 そんな風に答えながら、俺はしばしおふたりの姿を堪能させていただいた。

 レイトは3年前まで、この《キミュスの尻尾亭》で暮らしていたのだ。レイトは内心の読みにくい少年であるが、《キミュスの尻尾亭》の人々に強い情愛を抱いていることは明らかである。そんなレイトがテリア=マスと並んでいると、なんだか年の離れた姉弟のようで、俺を温かい心地にしてくれるのだった。


「……何かご用事でしょうか? カミュアでしたら、もちろん眠りこけておりますよ」


 と、レイトがお行儀のよい微笑みを差し向けてきたので、それを合図に辞去することにする。建物裏の倉庫では、聞いていた通りにレビとラーズがくつろいでいた。


「よー、お疲れさん。話には聞いてたけど、ずいぶん早かったな」


「うん。『ギバの丸焼き』は、『キミュスの丸焼き』よりも時間ががかるからね」


「そりゃあ、あれだけでかけりゃな。俺たちは、もうしばらくしてから出向くことにするよ」


 本年はレビたちのおかげで人手にゆとりがあるため、《キミュスの尻尾亭》においても『キミュスの丸焼き』を露店区域で配布する仕事を請け負うことになったのだ。


「じゃ、倉庫の鍵を開けるからな。いつも通り、自分たちで引っ張り出してくれ」


「あ、いや、実はまだこっちの人数がそろってないんだ。申し訳ないけど、もうちょっと待ってもらえるかな?」


「うん? ああ、そういえば、荷車も1台しか見当たらないみたいだな。アスタたちは、ダレイムから直接やってきたってわけか」


「うん、そうなんだよ。そんなに待たせはしないと思うからさ」


 俺たちは本日、普段の商売で使っている7台の屋台をフルに活用する予定でいる。で、現在はジバ婆さんを含めて6名しかいないのだから、屋台を運ぶこともままならないのだ。


「……で、アスタたちは今日の夜から、ギバで出汁を取ったらーめんを売りに出すんだよな?」


 レビがそのように問うてきたので、俺は「うん」とうなずいてみせる。


「もうしばらくしたら、森辺で出汁を取るための準備が始められるはずだよ。何せ、ギバの骨ガラから出汁を取るのは時間がかかるからさ」


「だから、昼の商売ではそのらーめんを出せないって話だったよな。ま、俺たちにしてみりゃあ幸いな話だ」


 レビは、にっと口をほころばせる。以前は『ギバ骨ラーメン』を出されると自分たちの『キミュス骨ラーメン』の売れ行きに響くのではないかと不安げにしていたが、日々の仕事ですっかり自信をつけることがかなったのだろう。紫の月の半ばになってからは、レビたちも120食分のラーメンを売るようになっていたが、たいていは真っ先に売り切れるほどの人気であったのだ。


「俺たちも、今日の夜には何とか150食分ぐらいは準備できると思うからさ。そいつを売り切るまで、宿には戻らない覚悟だよ」


「大丈夫さ。今年は本当に、去年以上の賑わいだからね。どれだけ料理を準備したって、売れ残ることはないんじゃないかな」


 そうしてレビたちと語らっている間に、後続部隊が到着した。レイナ=ルウが率いるルウの血族と、ユン=スドラが率いる小さき氏族の面々である。それぞれ護衛役の狩人も同行させているために、荷車の数も2台ずつだった。


「お待たせいたしました。それでは、行きましょう」


 レイナ=ルウたちは昨日遅くまでドーラ家にお邪魔していたが、誰もが元気いっぱいの様子であった。ダン=ルティムやラッド=リッドたち護衛役の狩人などは、言わずもがなである。


 そうして屋台を借り受けた俺たちは、意気揚々と街道に繰り出した。

 しかし露店区域を目指す前に、《南の大樹亭》からも1台の屋台を借り受けねばならない。これはもともとマイムが契約していた屋台で、現在はルウ家に引き継がれているのだ。屋台の準備をしてくれたナウディスは、今日も愛想よくにこやかに微笑んでいた。


「わたしもこの夜から、ギバ料理の屋台を出すつもりですぞ。どれだけのお客に来ていただけるものか、楽しみなところですな」


「そうですね。他の宿屋でもちらほらギバ料理の屋台を出しているようにお見受けしますが、何か評判などは耳に入っていますか?」


「はいはい。いずれの宿でも、確かな手応えをつかんでおるようですな。アスタたちがあれこれ手ほどきしてくださったのですから、大失敗する人間はいないのでしょう」


 それならば、幸いである。これまでは俺たちも忙しくしていたので、なかなか他の屋台を巡る機会がなかったのだ。できうれば、今日の夜あたりからそちらの料理も検分させていただきたいところであった。


「あ、そういえば、デルスとワッズもこちらに逗留されているのですか?」


 俺が尋ねると、ナウディスは「はいはい」といっそう楽しげな顔をした。


「昨晩はずいぶん遅くまで、建築屋の方々と語らっておられましたぞ。あまり兄弟仲がよろしくないというお話でしたが、べつだん不穏な様子ではないようでしたな」


「そうですか。それなら、よかったです」


 デルスたちやバランのおやっさんたちも、いまは客室で眠りこけていることだろう。『ギバの丸焼き』が仕上がる頃には、どちらも露店区域に姿を見せてくれるはずだった。


 ナウディスとも別れを告げて、いざ露店区域に歩を進める。

 早朝の宿場町は、普段の喧噪が嘘のように静まりかえっていた。

 原則として、祝日の日中は商売をすることを禁じられているのだ。太陽神に祝福を捧げつつ、ジェノス城から振る舞われるキミュスと果実酒で腹を満たす。そうして夜まで騒ぐのが、ジェノスにおける復活祭の習わしであったのだった。


(それで今年からは、そこにギバ肉も加わるってことだな)


 昨年の俺たちは、自主的に『ギバの丸焼き』を振る舞っていた。しかし本年は、ジェノス侯爵マルスタインからの要請で、その仕事を受け持っている。宿屋の人々と同じように手間賃をいただけるし、ギバ肉の代価もジェノス城から支払われるのだった。


(この1年間で、俺たちはそれだけギバ肉の価値を証明することができたってことだ)


 そんな感慨を抱いている間に、露店区域の北の端に到着した。

 いつも通りに屋台の準備をして、火を起こす。普段と異なるのは、鉄鍋をセットする天板を外して、煉瓦と鉄棒で架台を作り、そこにギバの肉を掲げることだった。


 7台の屋台に対して、準備できた幼体のギバは4頭である。足りない分は、ギバの成獣の半身の枝肉を炙り焼きにするのだ。目方が30キロていどであれば、それも同じ時間で焼きあげることがかなうはずだった。


 また、普段であれば3台の屋台はファの家の管轄となるが、本日は特別な措置を施していた。俺が取り仕切るのは1台のみとして、残りの2台に関しては、フォウの血族に取り仕切ってもらうことになったのだ。


 その経緯は、至極明快である。もともと屋台の商売に参加しているメンバーの中で、『ギバの丸焼き』の作り方を学んでいたのは、ファの近在の5氏族のみ――で、ディンとリッドが独自に商売を始めたことを鑑みると、残る人間はユン=スドラしか存在しなかったのだった。


 俺はこれを、フォウの血族の人々に宿場町の商売を手伝っていただく契機と考えた。なおかつ、フォウの血族の女衆であれば、すでに俺の手を借りずとも『ギバの丸焼き』をこしらえることはできる。ならば、俺が給金を出して雇うのではなく、ジェノス城から支払われる賃金をそのまま受け取ってもらい、自分たちの手で仕事を為してもらおうと考えたのだった。


 そうして選出されたのは、ユン=スドラと、フォウの女衆が2名と、ランの女衆が1名である。2台の屋台の総責任者となったユン=スドラは、緊張と昂揚に頬を火照らせていた。


 いっぽう俺は、助手としてマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアを呼んでいた。これを機会に『ギバの丸焼き』の作り方を学んでいただき、ラヴィッツとガズの血族に広めてもらおうという算段である。


「これはものすごく時間がかかるけど、何も難しい内容ではないからさ。お気に召したら、それぞれの氏族の祝宴で試してみておくれよ」


「はい! このような日にまで呼んでいただけて、心から感謝しています!」


「あ、わ、わたしも感謝しています」


 この両名も昨夜の晩餐会に参席していたが、やはりくたびれている様子は微塵もなかった。

 それにしても、身長差の甚だしい両名である。マルフィラ=ナハムは俺よりもわずかに長身で、レイ=マトゥアが小柄であるために、ほとんど頭ひとつぶんぐらいの差があるのだ。年齢差はわずか3歳でありながら、実に見事な凸凹っぷりであった。


(なんだかすっかり、このふたりに頑張ってもらうのが定番になってきたな)


 そんな思いを胸に、俺は他の屋台を見回してみた。

 ユン=スドラが取り仕切る2台の屋台の隣では、トゥール=ディンがリッドの女衆と仕事に励んでいる。さらにその向こうではルウの血族の人々が居並んでおり、取り仕切り役はもちろんレイナ=ルウとシーラ=ルウだ。


 力をつけたかまど番は、こうして俺の手を離れて、自分が取り仕切る立場となっている。いずれはマルフィラ=ナハムやレイ=マトゥアも、取り仕切る側に回るのだろう。その頃には、また新たなかまど番が俺の隣に立っているのだろうか。


(俺が森辺にやってきてから、もうすぐ20ヶ月か……思えば遠くに来たもんだ)


 俺は、後方にも視線を巡らせた。

 俺から託された黒猫を左肩に乗せたアイ=ファが、そこにはひっそりとたたずんでいる。アイ=ファはいくぶん首を傾げながら、「どうした?」と問うてきた。


「いや、なんでもない」と答えたが、べつだん虚言にはならないだろう。俺はただ、自分をこんなに満ち足りた生に導いてくれたアイ=ファの姿を、視界に収めたかっただけだった。


 それからしばらくは、ひたすら炙り焼きの作業である。

 しかしこれだけの同胞に囲まれていれば、退屈する時間もない。護衛役として参じた狩人たちも、それぞれ絆を深めている様子である。とりわけ、ダン=ルティムとラッド=リッドは昨晩の続きとばかりに豪快な笑い声を響かせていた。


「ああ、とてもいい匂いだねえ……」


 と、後ろのほうからジバ婆さんの声が聞こえてくる。

 見ると、ジバ婆さんは車椅子に乗って、こちらに近づいてきていた。ハンドルを握っているのはルド=ルウで、横手に控えているのはジザ=ルウだ。


「お疲れ様です、ジバ=ルウ。車椅子の調子は如何ですか?」


「とてもいいよ……ただ、こいつにばっかり頼っていると、余計に足腰が弱くなっちまうだろうねえ……」


「集落ではあちこち歩き回ってるんだから、大丈夫だろ。町にいる間ぐらいは、こいつに乗っておけって」


 気安い感じに、ルド=ルウがそう言った。ジバ婆さんは夜にもまた宿場町に下りる予定であったので、体力を温存しておくべきであろう。

 しばらくして、無人であった南側のスペースにも人影が見え始めた。上りの五の刻が近づいてきたので、宿屋の人々が屋台の準備を始めたのだ。


「やあ、みんなやってるね!」


 と、聞きなれた声が響きわたる。《西風亭》からも、ユーミが参上したのだ。そしてそのかたわらには、お手伝いのルイアばかりでなく、ジョウ=ランも付き添っていた。


「やあ。ジョウ=ランは、今日までの手伝いだったっけ?」


「正確には、明日の朝までですね。夜の仕事まで手伝い、明日の夜明けとともに戻る予定です」


 ジョウ=ランは、いつもの調子でにこにこと微笑んでいた。

 いっぽうルイアは、そんなジョウ=ランの笑顔をちらちらと見やっている。そういえば、森辺の狩人が宿屋の仕事を手伝っていることに関して、周囲の人々にはどのように説明しているのか――と、俺がそのように考えたとき、いくぶん頬を赤くしたユーミが耳打ちをしてきた。


「ルイアには、事情を全部話すことになっちゃったよ。これ以上は、隠しようがないだろうしね」


「うん、それはそうだろうね。……ベンやカーゴたちには、まだ打ち明けてないんだろ?」


「うん……だって、ひとりずつに話してたら、キリがないからさ。でも、ルイアには口止めなんてしてないから、明日や明後日には嫌でも耳に入ると思うよ」


 それは、何よりの話であった。俺としても、ベンたちに隠し事をするのは、だいぶん心苦しいところであったのである。


「ま、とにかくいまは仕事だね! アスタたちの隣にお邪魔するよ!」


 そうしてユーミたちが屋台の準備をしていると、続いてレビとラーズがやってきた。


「あれ、なんだよ? アスタの隣は、俺たちの縄張りだろ?」


「へん。祝日には縄張りなんて関係ないでしょ? こんなの、早いもの勝ちさ!」


 そう、屋台の商売が禁止されている祝日の日中は、すべてが『キミュスの丸焼き』を振る舞うためのフリースペースとなるのだ。レビは「ちぇっ」と舌打ちしながら、ユーミたちの向こう側で屋台の準備を開始した。


 すると今度は、街道のほうも賑わってきた。ジェノス城の振る舞いを求める、領民や宿泊客たちである。キミュスの肉はまだ届けられていないために、それらの多くは俺たちの屋台に群がることになった。


「へえ、こいつがギバかよ! あの天幕で見たやつより、ずいぶんちっこいんだなあ」


 と、どこかの宿の宿泊客と思しき壮年の男性が、炙り焼きにされているギバを眺めながら、そのように発言した。

 すると、俺が返事をするより早く、レイ=マトゥアが「はい」と応じる。


「これは、子供のギバであるのです。あちらでは、大人のギバも焼かれていますよ」


「どれどれ……うーん、だけどやっぱり、天幕で見たやつよりは小さいみたいだなあ」


「そうですね。あまり大きいと、中天までに仕上げることができないので、小さめのギバを選んでいるのです。あの天幕にいるギバは、森辺でも決して小さくないギバですしね」


「へえ。お前さんも、あの天幕を覗いたのかい?」


「はい。昨日、拝見しました。ギバとは思えないほど、可愛らしい眼差しをしていましたね」


「可愛らしいか!? やっぱり森辺の人間は言うことが違うなあ」


 その場に笑いの波紋が生じたが、森辺の民を揶揄するような響きではなかった。

 そうこうするうちに、見る見る人数はふくれあがっていく。その中から、フードつきのマントを纏った一団が近づいてくる姿が見えた。


「ああ、みなさん。お早い到着でしたね」


「はい。宿屋、為すべきこと、ありませんので」


 それはもちろん、ラダジッドが率いる《銀の壺》であった。本日ばかりは、勤勉なる彼らも商売を禁じられているので、ぞんぶんに復活祭を楽しめることだろう。


「じきに、リリンの人たちもやってくるはずですよ。ご一緒に『ギバの丸焼き』を楽しんでください」


 すると、往来から「おお」とざわめきが伝わってきた。なおかつそれは、北の方角である。いくぶん不穏な雰囲気であったので、そちらに目をやってみると――ギバの毛皮や頭骨をかぶった一団が、街道を闊歩している姿が見えた。


「なんだい、ありゃあ? ずいぶん物々しい一団だな」


 俺の屋台の前にたむろしていた人々も、ちょっと不安げな様子であった。森辺の狩人に見慣れた人々にとっても、やはり北の一族には別種の迫力を感じるのだろう。


「あれは森辺の族長筋のひとつ、ザザの血族の人々です。あの装束は物々しいかもしれませんが、俺たちと変わるところのない森辺の民ですよ」


 俺は明るく努めた声で、そのように説明してみせた。

 北の集落でも新たなトトスと荷車を買いつけたので、2台の荷車の定員である12名でやってきたのだろう。男女とりまぜての一団で、その先頭を歩いているのはゲオル=ザザであった。


 ずらりと並んだ屋台の半ばで、その一団が立ち止まる。察するに、トゥール=ディンの姿を発見したのだろう。そこでしばらく会話をしたのち、狩人の何名かが荷車を屋台の裏手に運び入れた。

 他の氏族には宿屋の倉庫に預けるように通達を回していたが、北の一族は露店区域に近い北側の道でやってくるし、屋台の裏には数台分の荷車を置けるだけのゆとりがあったので、こちらで預かるように話をつけておいたのだ。


「……ひさしいですね、アスタ」


 と、いつまでも動かない一団の中から、ひとつの人影がこちらに近づいてきた。ゲオル=ザザの双子の姉たる、スフィラ=ザザである。


「おひさしぶりです、スフィラ=ザザ。予定通り、やってこられたのですね」


「ええ。ドムとジーンばかりでなく、ハヴィラとダナの者たちも男女1名ずつ連れて参りました」


 ならば、屋台で働いているディンとリッドを含めて、ザザの血族も勢ぞろいである。宿場町にザザの血族が結集するというのは、なかなかの快挙なのではないだろうか。

 すると、無言でたたずんでいたラダジッドが、スフィラ=ザザに一礼した。


「失礼します。私、《銀の壺》、団長、ラダジッド=ギ=ナファシアールです」


「《銀の壺》? ……ああ、シュミラル=リリンの同胞ですね」


 女衆としては鋭めの瞳を瞬かせつつ、スフィラ=ザザも一礼する。


「わたしはザザ本家の末妹、スフィラ=ザザと申します。シュミラル=リリンとは縁なき身ですが、あなたがたの話は森辺のすべての氏族に伝わっています」


「はい。さまざまな氏族、縁、結べれば、ありがたい、思います」


 すると、ようやくゲオル=ザザが率いる他の者たちも、こちらに歩を進めてくる。西や南の人々はいくぶん怯んだ様子で身を引いていたが、ゲオル=ザザはかまいつける様子もない。


「おい、スフィラよ、ひとりで勝手に動くな。なんのために、俺たちがいると思っているのだ?」


「あなたがいつまでも、トゥール=ディンのもとから動かないからでしょう。それにわたしは昨年もこの時期は屋台の商売に同行しているので、あなたよりもきちんと状況をわきまえています」


「まったく、口の減らぬやつだ。……おお、ファの者たちはここにいたのか。ひさしいな、アイ=ファにアスタよ」


 ゲオル=ザザの率いる一団の半数は女衆であり、ハヴィラとダナの男衆はかぶりものもしていない。となると、ギバの毛皮や頭骨をかぶっているのはゲオル=ザザを含めて4名のみであったのだが、それでも宿場町の人々をおののかせるには十分なようだった。


「おお、何やら騒がしいと思ったら、お前たちか! ずいぶんひさしいではないか!」


 と、屋台の裏側でダン=ルティムと談笑していたラッド=リッドが、俺の横から顔を突き出した。ゲオル=ザザは、うろんげに眉をひそめる。


「お前は……ああ、リッドの家長だな。お前も町に下りておったのか」


「うむ! 昨日はダレイムまで出向いたのだぞ! まあ、ギバの肉が焼けるまで、ゆっくり待っているがいい!」


「俺たちは、肉を食うためにやってきたわけではないがな」


 すると、ラダジッドがまた同じように挨拶をした。再会の挨拶や初対面の挨拶で、なかなか慌ただしい限りである。その姿を見やっていたユーミが、「ねえねえ」と俺の袖を引っ張ってきた。


「なんか、ものすごい騒ぎだね。こっちはまだキミュスの肉も焼き始めてないってのにさ」


「うん。でも、こんなのはまだまだ手始めのはずだからね」


 本日はザザの血族のみならず、小さき氏族の人々も大挙してやってくるという話であったのだ。

 なおかつお客の側としても、建築屋や《ギャムレイの一座》やリコたちやデルスたちやドーラ家の人々が控えている。それらの全員が結集したら、いったいどのような騒ぎになるのだろうか。


「あの、中天までにはまだ時間がありますので、よかったらあちらでおくつろぎください」


 とりあえず、《銀の壺》とザザの血族だけでなかなかの人数であったので、俺は青空食堂を解放することにした。

 すると、ジバ婆さんたちも屋台の裏手からそちらに近づいていった。ルウとザザと《銀の壺》だけでも、十分に有意義な集まりであろう。交流が深まれば何よりである。


 ほどなくして、キミュスの肉と果実酒を携えた近衛兵の一団が到着した。

 街道にあふれかえった人々は、ここぞとばかりに歓声をあげる。


「宿場町の民、およびジェノスを訪れた客人たちよ、ついに太陽神の滅落と再生が10日の後に迫ってきた!」


 昨年と同じ口上が、小隊長の房飾りをつけた近衛兵から発せられる。


「本日はその『暁の日』を祝して、ジェノス侯爵マルスタインから糧と酒が授けられる! キミュスの肉とママリアの酒を太陽神に捧げ、その復活の儀を大いに寿いでもらいたい!」


 何台もの荷車から、肉を詰めた木箱と果実酒を詰めた樽が運び出された。

 屋台に控えていた宿屋の人々はいそいそと木箱を運搬し、街道にあふれかえっていた人々は果実酒の樽に群がる。酒杯は各自で準備するというのが、この振る舞いのルールであった。


 近衛兵たちは宿屋にも肉と酒を届けるべく、街道を南に進んでいく。そんな中、往来の人々は早くも酒盛りを始めていた。


「いやァ、たいそうな賑わいだねェ。コイツは昨年以上の騒ぎじゃないかァ」


 と、どこからともなくピノが出現した。


「おはようございます。よかったら、今年も『ギバの丸焼き』を楽しんでくださいね」


「もちろんさァ。町のお人らのおこぼれを頂戴できたら、ありがたく思うよォ」


 そんな風に言ってから、ピノは屋台の内側を覗き込んできた。

 そうしてアイ=ファの肩に鎮座した黒猫を発見すると、にんまり笑う。


「いまのところ、悪さはしてないみたいだねェ。ソイツとは、うまくやっていけそうかァい?」


「我々は昨晩、ダレイムで夜を明かしたのだ。まだ森辺の家には連れ帰っていないので、何も判ずることはできん」


「あァ、そうかい。でも、ソイツはずいぶん表情がやわらかくなったみたいだねェ。少なくとも、アタシらにそんなくつろいだ顔を見せたことは、1度だってなかったと思うよォ」


 ピノは愉快そうに目を細め、アイ=ファは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「ともあれ、こやつに関してはもう何日か待ってもらおう。それよりも、ルウ家の人間がお前に話があるとのことだ。そこでしばし待つがいい」


 アイ=ファはシーラ=ルウが担当する屋台のほうまで足を向けると、ダルム=ルウを引き連れて戻ってきた。


「ああ、アンタはルウ本家のお人だねェ。その凛々しいお顔には覚えがあるよォ」


「……族長ドンダから言伝てを預かっている。王国の法と森辺の掟を踏みにじらぬ限り、お前たちの行いに口を出すいわれはない、とのことだ」


 ピノは切れ長の目を見開き、黒い瞳をきらめかせた。


「それはつまり、アタシらが大神の民の娘っ子にご挨拶することを許していただけるってことだよねェ?」


「俺が族長ドンダから預かった言葉は、さきほど述べた通りだ。あとは自分たちの心に従って、判断を下すがいい」


 それだけ言って、ダルム=ルウはとっとと立ち去ってしまった。

 ピノは振袖のような袂をなびかせて、くるりと横に一回転する。


「あァ、嬉しいねェ。それじゃあ今日のうちに、アスタたちの家にお邪魔させてもらえるかァい?」


「え、今日ですか?」


「うン。アタシらがぐうたらできるのは、こういう祝日の昼っぱらだけだからねェ。もちろん、次の祝日でもかまわないけどさァ」


 祝日の日中は、旅芸人も芸で見物料を取ることを禁じられているのだ。夜までは、為すべきこともないのだろう。


「そうですね。こっちは祝日のいつでもかまいません。でも、いつどういう急用が入るかもわかりませんから、早いうちに済ませておくべきでしょうね」


「じゃあ、今日かい? あァ、なんだか心が弾んじまうねェ」


 ピノは小刻みに身体を揺らしながら、にっと口の端を上げた。

 やっぱり普段より、無邪気で幼子めいた仕草に見える。この奇妙に大人びた童女がそのような姿を見せるのは、なかなかに微笑ましいものであった。


「アイ=ファも、別に問題はないよな? ついでにその黒猫と犬たちの相性が如何なものか、ピノに見届けてもらったらどうだろう?」


「うむ。そのように取り計らおう」


 と――アイ=ファの視線が、ふいに右側へと突きつけられた。

 しかし、屋台に視線をさえぎられたらしく、俺をおしのけるようにして身を乗り出す。うきうきと身体を揺すっていたピノは、そんなアイ=ファを不思議そうに見やった。


「どうしたんだァい? 無法者でも近づいてきたのかねェ?」


「いや……無法者ではない」


 アイ=ファは身を引き、俺に目配をしてきた。

 さすがにそれだけでは意味がわからなかったが、まったく想像がつかなかったわけではない。そしてその答えは、ほどなくして俺の前にさらされることになった。


「これは、想像以上の賑わいですね。宿場町におけるギバ肉の人気というのは、大したものです」


 やわらかい、チェロの旋律を思わせる声が、そのように言いたてた。

 東の民のようにフードつきマントを纏い、口もとを襟巻きで隠したふたり連れが、屋台の前に立つ。その片方は、フードの陰で緑色と茶色が入り混じったヘーゼル・アイをきらめかせていた。


「ああ、どうも……先日はお世話になりました。このような日に、宿場町の視察ですか?」


「はい。昼下がりまでは身体が空いていましたので、宿場町の賑わいを拝見に来ました」


 もちろんそれは、王都の外交官フェルメスと従者のジェムドであった。

 ピノは少しだけ身を引いて、彼らの姿をうろんげに見やっている。


(そうか。色んな人たちが交流を深めるパターンを想定してたつもりだけど……ピノとフェルメスが出くわすってのは、ちょっと想定外だったな)


 むろん、王都の貴族と旅芸人では、なんの接点もない。おたがいに、絆を深める理由もないだろう。

 しかしまた、この両名は俺の知る人間の中で、きわめつけに特異な存在同士であったのだ。そんな彼らが出くわしたら、いったいどのような化学反応が生まれるのか、なかなか想像することは難しかった。

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