紫の月の二十一日⑤~前夜~
2019.10/28 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
「それじゃあ最後に、お菓子だよー!」
リミ=ルウを筆頭にした何名かのかまど番たちが、食後の菓子を運んできてくれた。
空になった料理の皿は端に寄せて、どっさりと菓子の積まれた大皿をそれぞれの車座の中心に置く。本日の菓子は、ぼたもちにガトーショコラという、なかなかどっしりとした組み合わせであった。
「ああ、あたしはこの、ぼたもちってやつが好みでねえ……これにもシャスカが使われているんだけど、なんとも言えない美味しさなんだよ……」
ジバ婆さんの言葉を聞きながら、同じ輪の人々がぼたもちを食することになった。
母君も叔父君もミシル婆さんも、みんな驚きに目を見開く。
「へえ、こいつは……ますます食べなれない味だねえ」
「そうだろう……? でも、どんなに腹が満たされても、こいつはつい食べたくなっちまうんだよねえ……」
小さく切り分けたぼたもちを口に含んだジバ婆さんは、顔をくしゃくしゃにして微笑んでいた。
その姿を見やりながら、アイ=ファは嬉しそうに目を細めている。ジバ婆さんの笑顔というのは、アイ=ファにとってかけがえのない喜びそのものであるのだ。
と――そこでジザ=ルウとダルム=ルウが、同時に背後を振り返った。両者とも、背中の側に置いていた刀に手をのばしている。
「何者かが近づいてきているようだな。べつだん、気配を殺してもいないようだが」
「ああ、あれは見回りの衛兵だよ」と、隣の車座の親父さんがそのように答えた。
畑にはさまれた道のほうから、松明の光が近づいてきている。その位置がずいぶん高かったので、きっとトトスに乗っているのだろう。
「見回り、ご苦労さん。今日のことは、聞いてるだろう?」
親父さんが気さくに呼びかけると、人影のひとつが「うむ」と応じた。やはりトトスに乗った衛兵たちであり、人数は3名だ。
「森辺から客人を招き、家の外で食事をするという申し出は受けている。とりたてて、おかしな騒ぎにはなっていないようだな」
「もちろんさ。森辺から客人を招くのは、初めてじゃないからね」
衛兵たちは、無遠慮な目で俺たちの姿を見回していた。宿場町と担当が異なるなら、森辺の民を目にする機会も少ないのだろう。敵意などは感じないが、相応の警戒心は抱いている様子であった。
「家の外で食事をするというのは、べつだん法に触れる行いではないが……いまは多くの無法者が、ジェノスの領地に集まっている。節度を守り、災いを招かぬように心がけておけ」
「承知したよ。もう一刻ばかりで、お開きにするつもりさ」
衛兵は無言でうなずき、手綱を繰ってトトスの首を巡らせた。
松明の火が、ゆっくりと遠ざかっていく。その姿を見送りながら、ジザ=ルウは親父さんに呼びかけた。
「宿場町ばかりでなく、ダレイムやトゥランもこうして衛兵に守られているのだな?」
「ああ。夜が明けるまで、ひっきりなしに巡回してくれているんだよ。無法者には、野菜を盗もうとする輩もいるもんだからさ」
そんな風に答えてから、親父さんは口をほころばせた。
「そろそろジザ=ルウとも語らいたいところだな。そっちにお邪魔していいかい?」
「最長老のもとに留まれれば、俺は何でもかまわぬが」
となると、俺やアイ=ファが席を譲るべきであろう。俺たちはドーラ家で夜を明かす予定であったので、アイ=ファとジバ婆さんはそちらでもたっぷり語らえるはずだった。
「それじゃあ俺たちは、いったん失礼しますね。……おっと、こいつを忘れるところだった」
俺が片手ですくいあげると、ぐっすり眠っていた黒猫がぱちりと目を開いた。
「起こしちゃって、ごめんな。でも、置き去りにされるのは不本意だろ?」
黒猫は「にゃあ」と平坦な声をあげた。
ニュアンス的には、「まあよかろう」といった具合であろうか。猫語などは解さない俺であるが、この黒猫がそんなに無邪気な気性でないことは感じ取れていた。
そうして俺とアイ=ファが腰を上げると、あちこちで席移動が始まった。やはり、これだけたくさんの人間がいるのだから、色々な相手と交流を深めたくなるのが人情というものだ。
俺とアイ=ファがどの場所に落ち着くべきかと視線を巡らせていると、「おおい!」と呼びかけてくるものがあった。
「アスタやアイ=ファとは、まだ挨拶しかしておらんかったな! こっちで酒を酌み交わそうではないか!」
それは、我らがダン=ルティムのお招きであった。
俺はもちろんアイ=ファもこういう場では酒をたしなまないのが常であるが、お招き自体はありがたい話である。ユン=スドラやトゥール=ディンたちも別の席に移っており、その代わりにララ=ルウとシン=ルウが近づいてくる姿が見えた。
「あー、ここが空いてるね。あたしらも座っていい?」
「おお、座れ座れ! お前さんたちは、ルウ家の誰だったかな?」
ダン=ルティムのかたわらに陣取ったラッド=リッドが、陽気に呼びかける。ララ=ルウが屋台で働く姿は目にしていても、やはり素性までは把握しきれないのだろう。
「あたしはルウ本家の三姉でララ=ルウ、こっちは分家の家長シン=ルウだよ」
「おお、その若さで家長であるのか! 確かに、力にあふれた狩人であるようだな!」
というわけで、新たな車座のメンバーが出そろった。森辺の6名に加えて、ドーラ家からは長兄夫妻である。
「シン=ルウとララ=ルウも、おひさしぶりですね」
長兄の伴侶が愛想よく微笑みかけると、ラッド=リッドは「うむ?」と太い首を傾げた。
「お前さんは、すでにこやつらと顔馴染みであったのか?」
「はい。わたしはルウ家の祝宴に招かれていますし、ララ=ルウとシン=ルウは以前にもこちらを訪ねてくれましたので」
「そうかそうか! さすがルウ家の人間は、ダレイムの者たちともぞんぶんに絆を深めておるのだな!」
この中で、初のダレイムとなるのはラッド=リッドのみである。というか、ラッド=リッドはこのたびの休息の期間まで、宿場町にすらほとんど下りたことがなかったのだ。
しかし、そうとは思えぬほどに、ラッド=リッドはこの場に溶け込んでいるように見えた。これはもう、持って生まれた順応力なのだろう。
「あんたは、リッドの家長だったよね? さっきから、ダン=ルティムと一緒に笑ってる声がずーっと聞こえてたけど、ふたりはもともと知り合いだったの?」
ララ=ルウが問いかけると、ダン=ルティムは「いや!」とかぶりを振った。
「リッドの家長と酒を酌み交わしたのは、この前の家長会議が初めてであったな! むろんそれまでも家長会議で顔をあわせることはあったが、言葉を交わす機会はなかったぞ!」
「それはそうだ! ルティムはルウの眷族であり、リッドはスンの眷族であったのだから、言葉を交わす機会などあろうはずもない! 刃を交える機会がなかったことを感謝するべきであろうよ!」
そう言って、両者はガハハと笑い声を重ね合わせた。
ララ=ルウは大皿に残されていたガトーショコラをつまみあげながら、苦笑する。
「そっか。でもなんか、ダン=ルティムがふたりに増えたみたいな感じだね」
「ええ、本当に。おふたりが血族でないと聞いて、わたしもびっくりしてしまいました」
長兄の伴侶が相槌を打って、また場が笑いに包まれる。熱気に満ちた晩餐会であっても、やはりひときわ賑やかなのはこの一画であろう。
「お前さんは、ずいぶん静かだな! そら、果実酒でも口にするがいい!」
ラッド=リッドが土瓶を突きつけると、シン=ルウは沈着に「いや」と答えた。
「悪いが、ルウ家では護衛の役目の最中には酒を口にしないように心がけているのだ。せっかくの誘いに応じることができず、申し訳なく思っている」
「ふむ? しかし、ルウの眷族たるダン=ルティムは、俺に負けぬほど果実酒を口にしておるぞ?」
「これはあくまで、ルウ家の習わしだからな。それに、ダン=ルティムはどれだけ果実酒を口にしても、護衛の仕事をおろそかにすることはあるまい。俺はもともと酒に弱いので、なおさらつつしむべきであるのだ」
「そうか! ならば、菓子でも食らうがいい! 俺もひとつつまんでみたが、やはり果実酒が酸っぱくなってかなわんのだ!」
この場にはお茶の準備もされていたが、やはりラッド=リッドには菓子より果実酒のほうが魅力的であるようだ。ルウ家の人々やアイ=ファが果実酒をたしなまない分、ダン=ルティムとラッド=リッドだけでドーラ家の心尽くしを飲み干してしまいそうな勢いであった。
「ラッド=リッドは、アイ=ファたちと一緒に収穫祭というものを行ったそうですね。おふたりとも力比べで勇者になったのだと聞きました」
と、礼儀正しい長兄が、アイ=ファにそのように呼びかけた。
そしてアイ=ファが答えるより早く、伴侶のほうも声をあげてくる。
「女人の身で力比べというものに勝ち抜けるなんて、アイ=ファはすごい力を持っているのですね。話を聞かせていただいただけで、わたしはなんだか胸が高鳴ってしまいました」
「うむ。母なる森の導きであろう」
アイ=ファは気負う様子もなく、普段通りの落ち着いた面持ちでそのように答えた。
その分は、ラッド=リッドとダン=ルティムが賑やかにしてくれる。
「森辺においても、アイ=ファの力はずば抜けていると思うぞ! 何せこの俺が、闘技でも棒引きでもまったくかなわないのだからな! そんなアイ=ファを負かしたことがあるというのなら、ダン=ルティムは大したものだ!」
「あのときは、アイ=ファの手傷が癒えたばかりであったのだ! アイ=ファが十全の状態で手合わせをしたいものだが、なかなかその機会は訪れぬな!」
両者の笑い声を聞きながら、ララ=ルウがちょっともじもじしていた。
そして何だか物言いたげに、シン=ルウの横顔を盗み見ている。その表情で、俺はピンときた。
「そういえば、シン=ルウもルウの血族の勇者だもんね。この場にいる4人の狩人が全員勇者だなんて、なんだか凄いなあ」
俺の言葉に、ラッド=リッドは「なに?」と目を剥いた。
「シン=ルウよ! お前も、勇者であったのか? これだけ力のある狩人が居揃ったルウの血族で勇者になるとは、大したものではないか!」
「うむ。母なる森の導きであろう」
ガトーショコラの皿を手に、シン=ルウはアイ=ファと同じ言葉を繰り返した。
ララ=ルウは、微笑みをこらえているようなお顔である。そのお顔に大輪を咲かせるべく、俺は言葉を重ねることにした。
「それにシン=ルウは、ジェノスの闘技会でも優勝しておりますよ。決勝戦で戦ったメルフリードは森辺の狩人にも負けない剣士であるという評判であったので、それも誇るべきお話でしょう」
「なんと! あれも、シン=ルウの話であったのか! ザザのあやつなどは、たしかふたりの貴族に敗れたのだと聞いているぞ! さすがは、ルウの血族の勇者だな!」
「いや、まあ……母なる森の導きであろう」
シン=ルウはいくぶん眉を下げながら、俺のほうをちらりと見てきた。
俺は精一杯の謝意を込めて、笑顔を返してみせる。シン=ルウには申し訳なかったが、隣のララ=ルウはすっかりご機嫌の様子であった。
それに、シン=ルウの友をもって任じる俺としても、シン=ルウが人々に賞賛されるのは大きな喜びなのである。
「そういえば、このたびの復活祭ではトトスの駆け比べというものが開かれるそうですね。義父から、そのように聞いています」
ひとしきり盛り上がった後、長兄の伴侶がそのように言い出した。おそらく闘技会の話から連想したのだろう。
「うむ! ルウの血族から、2名ほどが参加するつもりでいるぞ! 他の氏族からは、名乗りをあげるものがいなかったという話だな」
ダン=ルティムの視線を受けて、ラッド=リッドは「うむ」と果実酒をあおった。
「俺たちは、ファの家からトトスを借り受けている身であるからな。トトスにまたがって走らせるという行いにも、あまり馴染みがないのだ」
「ほう、そういうわけであったのか。トトスにまたがって走らせるのは楽しいものだぞ! なあ、アイ=ファ?」
「うむ。駆け比べというものに興味はないが、トトスにまたがって走らせるのは心地好く思う。機会があれば、ラッド=リッドも試してみるがいい」
「そうか。いずれ試させていただこう! ……それで、ルウの血族からは誰がその力比べに出るのだ?」
「それは、これから決めるのだ! ルウの血族で力比べをして、勝ち進んだ2名を出すことになる!」
それを2名と定めたのは、闘技会に出場したのも2名だったため、と聞いている。闘技会におけるシン=ルウやゲオル=ザザのように、栄誉を賜れれば幸いであった。
「まったく復活祭というのは、賑やかなものであるのだな! ……しかしその実、復活祭というものはまだ始まってもおらぬのだろう?」
ラッド=リッドの問いかけに、俺は「はい」と応じてみせる。
「正確には、明日の『暁の日』からが復活祭となります。今日までは、前祝いのようなものですね」
「うむ! どのような騒ぎが待ち受けているのか、楽しみなところだ!」
そのように言ってから、ラッド=リッドはふっと目を細めた。
「しかし……そのようなものを楽しみだなどと言えるのは、アスタやルウ家の者たちが、正しき道を切り開いたゆえなのだろうな。それまでは、むしろこの時期には宿場町に近づかぬようにしていたはずだ」
「ああ、どうやらそうみたいですね。この時期は余所から無法者も集まるので、宿場町への買い出しも事前に済ませていたのだと聞いています」
「うむ。アスタを森辺に迎え入れ、ルウ家を族長筋と定めたのは、いずれも正しき行いであったということだ」
そう言って、ラッド=リッドはにっと口をほころばせた。
「そうでなければ、俺がこの場でこのように楽しむこともできなかったのだからな! 感謝しておるぞ、アスタにアイ=ファに、ルウの者たちよ!」
「あたしは別に、ドンダ父さんの言いつけに従ってただけだからね。お礼だったら、ドンダ父さんに言えば?」
「いないから、お前さんに言っておるのだ! ドンダ=ルウと顔をあわせる機会があれば、もちろんあらためて礼を言わせてもらおう!」
ドーラ家の人々ばかりでなく、ルウとリッドの絆も着実に深まっている様子である。
大いなる満足感を胸に、俺がその様子を見守っていると、足もとから「くああ……」と気の抜けた声が聞こえてきた。黒猫があくびをもらしたのだ。
さきほどよりも騒がしくなってしまったので、なかなか寝つけないのだろうか。俺の足もとで丸くなりながら、黒猫はうるさそうにラッド=リッドたちを眺めていた。
(本当に、まだ復活祭が始まってないなんて信じられないぐらいの騒ぎだな)
その後も何度か席替えを繰り返し、一刻ていどが過ぎたあたりで、ついにドーラの親父さんから閉会の挨拶が為されることになった。
「本番は明日からだから、今日はこれぐらいにしておこうか。今日は本当に、楽しい時間を過ごすことができたよ。みんな、ありがとうな!」
夜間に大声をあげるのはつつしむべきであろうから、おおかたの人々は笑顔でその挨拶に応じていた。
あとは敷物や食器やかがり火を片付けて、就寝と帰宅の準備である。ドーラ家に宿泊するのは、俺、アイ=ファ、リミ=ルウ、ジバ婆さん、ルド=ルウ、ジザ=ルウの6名と定められていた。
「では、また明日な!」
ダン=ルティムたちを乗せた何台もの荷車が、細い道の向こうに消えていく。
明日は昼から『ギバの丸焼き』の配布であるので、今日のメンバーはのきなみ宿場町に下りてくる予定であった。
「いやあ、本当に楽しかったよ。復活祭が終わっても、またみんなをお招きしたいところだね」
家に戻りながら、親父さんはそんな風に言ってくれた。
黒猫を抱きながら、俺は「こちらこそです」と笑顔を返してみせる。
酒気に染まった顔でうなずきつつ、親父さんはふっと俺の胸もとに視線を落とした。
「そうやってると、なんだか子供でも産まれたみたいだね。そいつがアイ=ファに似てるもんだから、なおさらにさ」
俺のかたわらにいたアイ=ファは親父さんよりも赤い顔をしながら、無言で抗議の視線を送った。それに気づいた親父さんは、「ごめんごめん」と頭をかく。
「でも、アスタたちのところに子供が産まれたら、俺は自分のことみたいに幸福だよ。色々と事情はあるんだろうけど……俺はそんな日が訪れるのを、心待ちにしているからね」
「……………………」
「いや、悪いね。こんなに飲んだのはひさびさだから、口が軽くなっちまうみたいだ。それじゃあ、ゆっくり休んでおくれ」
俺たちを2階の寝所まで案内したのち、親父さんは自分の寝所に引っ込んでいった。
寝所の扉に手をかけたルド=ルウは、あくびを噛み殺しながら、俺とアイ=ファを振り返ってくる。
「アスタたちは、また立ち話か? 明日も早いんだから、適当なところで切り上げろよなー」
「うん、わかった。お気遣い、ありがとう」
他の面々もそれぞれの寝所に消えていき、暗い廊下には俺とアイ=ファと黒猫だけが残された。
就寝前の、談話タイムである。何度もドーラ家でお世話になっているルド=ルウは、このファの家の奇妙な習わしをすっかりわきまえてくれているのだった。
月明かりの差し込む窓のそばで、俺とアイ=ファは壁に寄りかかる。
まだいくぶん頬に赤みを残したアイ=ファは、むくれ気味の面持ちで黒猫の寝顔を見下ろした。
「……私とこやつは、そんなに似通った部分があるのだろうか?」
「いや、どうだろう。大きなくくりでは似てるかもしれないけど、アイ=ファが気にするほどではないんじゃないかな」
「……大きなくくりとは?」
「うーん、たとえば、犬に似てるか猫に似てるかで言えば、猫に似てる、みたいな感じでさ。ラウ=レイなんかは、どっちかというと犬に似てるだろ?」
「……では、他には誰が猫に似ているというのだ?」
アイ=ファに問われて、俺は考え込むことになった。
仲良くじゃれあうリミ=ルウやターラは、どことなく子犬を連想させる。ダルム=ルウなんかは、もともと狼を連想させられていたし、ジザ=ルウは――どっしりとした雰囲気であるので、やはり大型犬っぽいかもしれない。
あとは、レイナ=ルウやユン=スドラやトゥール=ディンなども、そこはかとなく犬タイプであるように感じられる。俺の個人的な印象として、礼儀正しい人間や奥ゆかしい人間などは、犬タイプに感じられるのかもしれなかった。
(やんちゃだったり気ままだったりするほうが、猫っぽく感じられるのかな? ……いやでも、ルド=ルウやララ=ルウもあんまり猫っぽくはないなあ。ルウ家の人たちは、のきなみ犬っぽいかもしれない)
俺はさらに思考を巡らせてみたが、なかなか思い当たる人物は浮かびあがらなかった。
そこにひょこりと浮かびあがったのは、最近ご無沙汰である娘さんの無表情な顔であった。
「ああ、アリシュナなんかは、以前から猫っぽいなあと思ってたよ。アイ=ファとは、ずいぶん印象が違うけどな」
アイ=ファが山猫なら、アリシュナはシャム猫である。ふたりが言い争う姿を見て、俺はそのような感慨を抱いていたのだった。
「……つまり、森辺には該当する人間がいないということか?」
「いや、そんなことはないと思うんだけど……ああ、レイ=マトゥア! ……いや、レイ=マトゥアもどっちかというと子犬っぽいな。マルフィラ=ナハムなんかは、いかにも犬っぽいし……えーと、ちょっと待ってくれよ? 猫っぽい人、猫っぽい人……」
「…………」
「サリス・ラン=フォウ……モルン=ルティム……ディック=ドムに、レム=ドム……うーん、あえて言うなら、みんな犬っぽいかなあ。ツヴァイ=ルティムは……犬猫より鳥類っぽいし……」
「…………」
「あ、思いついた! ヤミル=レイは、犬よりも断然、猫っぽいぞ! どうだ?」
「……お前ほど数多くの人間と絆を結んだ者が、アリシュナとヤミル=レイしか思い浮かばない、ということか」
アイ=ファはいっそうむくれたお顔で、腕を組んでしまった。
「それに、私は自分がアリシュナやヤミル=レイに似ているとは思えん。よって、まったく得心することもできん」
「うん。そりゃまあ、レイ=マトゥアとマルフィラ=ナハムだって、ちっとも似てはいないからな。人間を2種類に分けただけなんだから、それが当然さ」
「……人間を2種類に分けて、私と同じ側にいるのは2名のみということか?」
「いやあ、そんな真剣に取られると困っちゃうなあ。こんなの、言葉遊びみたいなもんだろ?」
「私は、遊んでいるつもりなどない」
アイ=ファはぷいっと、そっぽを向いてしまった。
そういう仕草が、猫を思わせるのだが。そのような発言をしては、確実におしおきであろう。我が身を守るために、俺は口をつつしむことにした。
「何にせよ、俺の勝手な印象を並べたてただけなんだから、そんなに気にしないでくれよ。それに、猫に似てると言われたからって、気を悪くする必要はないだろ?」
「気を悪くしているわけではない。ただ、納得がいかぬのだ」
そっぽを向いたまま、アイ=ファは横目で黒猫をねめつけた。
黒猫は、やっと静かになったわいとばかりに、ぐっすり寝入っている。
「……しかし、そやつがお前に心を許しているというのは、確かなのであろうな」
「うん、どうやらそうみたいだな。でも、アイ=ファと相性が悪いなら、無理に引き取る必要はないと思うぞ」
「わかっている。だが……そやつがようやく、心を開ける人間と出会えたというのなら……それを引き離すのは、不憫ではないか」
と、アイ=ファは静かに目を伏せた。
「そういう意味では……確かにそやつは、私に似ているのかもしれん」
アイ=ファの横顔には、とても無防備な幼子めいた表情が浮かべられていた。
かなり不意打ちをくらった心地で、俺は胸を詰まらせてしまう。
(アイ=ファはそんな風に考えて、この猫を預かることに決めたのか?)
アイ=ファに対する情愛が、胸の奥からぐんぐんとせり上がってくる。
アイ=ファが優しい人間であることなどは、百も承知である。しかし、1年半以上も生活をともにしていながら、こうして俺はたびたび鮮烈な感慨に見舞われてしまうのだった。
「……こいつがアイ=ファに似てるんだったら、俺も愛着がわいちゃうな」
ことさら明るい声で、俺はそのように言ってみせた。
「でも、まずはブレイブたちとの相性だ。こいつがファの家人に相応しいかどうか、じっくり見定めさせてもらおう」
「うむ」と小さくうなずいて、アイ=ファは壁から背を離そうとした。
「では、寝所に戻るとするか。アスタも明日に備える必要があろう」
「俺なら、大丈夫だよ。もう少しだけ、ゆっくりしていかないか?」
アイ=ファいくぶんびっくりした様子で、俺を見返してきた。
「私は、かまわんが……本当に大丈夫なのか? ここ数日は、休みも取っていないのだぞ」
「うん。もう少し、アイ=ファと喋っていたい気分なんだ」
アイ=ファは幸福そうに目を細めながら、「馬鹿者」と言った。
「そのように、甘えた顔をするな。それではお前こそ、その猫のようだぞ」
「猫っぽいかな? 髪は猫っ毛かもしれないけどな」
俺も大きな幸福感を噛みしめながら、アイ=ファに笑い返してみせた。
そうして俺たちは、とても満ち足りた気持ちで、2度目の『暁の日』を迎える段に至ったのだった。