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異世界料理道  作者: EDA
第四十七章 太陽神の復活祭、再び(上)
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紫の月の二十一日④~ドーラ家の晩餐会~

2019.10/27 更新分 1/1

 それからしばらくして、俺たちはダレイムのドーラ家に向かうことになった。

《ギャムレイの一座》の天幕でそれなりの時間を過ごしたはずであるが、まだ下りの三の刻にも至ってはいない。残りの時間はフル稼働で、晩餐会の料理を準備する所存である。


「ああ、お待ちしてましたよ、森辺のみなさんがた」


 ドーラ家に到着すると、親父さんの伴侶が笑顔で出迎えてくれた。

 ターラはひと足早い帰宅となったが、親父さんは宿場町で商売のさなかであり、息子さんたちは畑仕事のさなかであろう。さらに、親父さんの叔父にあたる人物はモヤシのごときオンダの面倒を見ているそうで、在宅しているのは3名の女性陣のみという話であった。


 その中で、親父さんの伴侶と長兄の伴侶は、森辺の民にも友好的である。ただひとり、非友好的な態度を保持している親父さんの母君は、今日も不愛想な面持ちであった。


「ひさしぶりー! 日が暮れる前には、ジバ婆も来るはずだからね!」


 リミ=ルウがそのように笑いかけても、母君は「ふん」と鼻を鳴らしていた。


「そんなもん、そっちが勝手に押しかけてるだけの話じゃないか。あたしが礼を言うとでも思ったかい?」


「ううん。でも、ジバ婆はあなたとお話できるのをすっごく楽しみにしてたの! ミシルとも、早く会いたいってー!」


 本日は、同じ野菜売りであるミシル婆さんも招待しているのである。

 母君の仏頂面を苦笑気味に見やってから、親父さんの伴侶は俺に笑いかけてきた。


「それじゃあ、厨に案内しようかね。あたしらがこしらえた分は余所に移しておいたから、日が暮れるまで好きに使っておくれよ」


「ありがとうございます。こんな人数になってしまって、本当に申し訳ありません」


「何を言ってんのさ。またアスタたちの料理を食べられるんだから、ありがたくてたまらないよ」


 さすがに今日はドーラ家の人々に料理の手ほどきをする時間も取れなかったのであるが、それでも親父さんの伴侶は心から嬉しそうに笑ってくれていた。

 それに、これだけ大勢の森辺の民が押しかけても、もはや気後れする様子もない。これまでのたび重なる来訪によって、彼女はすっかり森辺の民に心を開いてくれているのだった。


 そうして俺たちは、調理を開始することになった。

 といっても、一般家庭の厨であるので、同時に作業できる人数は限られている。厨に入れきれなかった女衆は、男衆ともどもドーラ家の人々と親睦を深めてもらうことにした。


「さて……それじゃあそっちもよろしく頼むな、アイ=ファ」


「うむ。こやつが厨に踏み入ろうとしたならば、私が必ず阻止してみせよう」


 人数がいっぱいいっぱいであるために、アイ=ファは厨の入り口の外に待機している。その左肩に、《ギャムレイの一座》の天幕で出会った黒猫がちょこんと乗っていた。

 感心なことに、俺が自分の手でその身をアイ=ファの肩に移し替えても、この黒猫は不満そうな素振りも見せなかったのだ。


 猫の毛が俺の衣服に残っていないかどうかはチェックしてもらったし、いちおう手洗いも入念に済ませておく。これで厨の仕事を邪魔せずに、きちんと大人しくしていられるか否かが、ファの家人になれるかどうかの最初の試験であった。


(まあ、どうやらこの世界にはノミってやつが存在しないみたいだから、そういう部分はまだ助かるな)


 それに、獣を介在した伝染病というものも、とりたてて存在しないようである。猫を飼うのに特別な処置などは必要ないと、ピノからはそのように聞いていた。


(ただ、この世界の猫っていうのは、人間と心を通じ合わせられるものなのかな。犬やトトスなんかは、俺の故郷の動物なんかよりも、ずいぶん人間と心を通わせられるように感じられるけど……この猫は、ピノやシャントゥにも懐かなかったって話だからなあ)


 料理の準備を進めながら、俺は入り口にたたずむアイ=ファのほうを見やってみた。

 アイ=ファの肩に鎮座した黒猫は、長い尻尾をゆっくりと動かしながら、俺の姿を見守っている。体長20センチていどの、ごく小さな子猫である。その取りすました顔とアイ=ファの仏頂面を見比べた俺は、思わずぷっとふきだしてしまった。


「……人の顔を見て、何を笑っているのだ、お前は?」


「いや、ごめんごめん。やっぱりアイ=ファは、少し猫っぽいところがあるのかな。ふたりとも青い目をしてるもんだから、余計そんな風に感じるのかもしれないけど」


「……私とこやつの、どこが似ているというのだ」


 アイ=ファは不服そうに、左肩の黒猫をねめつけた。

 黒猫はけげんそうに、「なおん?」と首を傾げている。


(俺は初対面の頃からアイ=ファのことを山猫みたいだって思ってたし、しかもアイ=ファは猫の星だって話なんだもんな。意外と、ご縁があったんじゃなかろうか)


 そんな思いを胸に、俺を仕事を進めることになった。

 この厨にかまどはふたつしか存在しないので、大人数の料理を準備するには、作業の手順が肝要となる。他の面々と連絡を密にしながら、俺は作業を進めていった。


 広間のほうからは、楽しげな談笑の声が聞こえてくる。以前のダン=ルティムのように、ラッド=リッドが場を盛り上げてくれているようだ。それに、ディンの長兄もなかなか大らかな気性であるので、このような場では潤滑油となってくれるだろう。初対面の人間が多い中で、彼らのような存在は得難いものであった。

 そうしてしばらくすると、宿場町から戻ったドーラの親父さんが、ひょこりと顔を覗かせた。


「やってるね! 俺は畑のほうを手伝ってくるから、この後もよろしく頼むよ」


「はい。どうぞおまかせください」


 顔をひっこめようとした親父さんは、アイ=ファの左肩に鎮座しているものに気づいて、きょとんと目を丸くした。


「なんだい、そいつは? ギーズの大鼠ではないようだし……森辺の猟犬ってやつが、子でも産んだのかな?」


「猟犬はいずれも雄であるので、子は産まぬ。これはシムに生を受けた猫なる獣であり、わけあってファの家で預かることになってしまったのだ」


「へえ。賢そうな目をした獣だね」


 親父さんが顔を近づけても、黒猫はうなり声をあげたりはしなかった。ただ、つんとそっぽを向くばかりである。


「ふうん。なんていうか……ちょっとアイ=ファに似てるみたいだね」


「そんなことはない。……と思うのだが……」


「いや、気を悪くしたんなら、謝るよ。ただ、出会ったばかりのアイ=ファっていうのは、こんな風につんとしてたなあと思っただけなんだ」


 アイ=ファはなんとも形容し難い面持ちで、また黒猫のほうに視線を転じた。

 黒猫は素知らぬ顔で、毛づくろいをしている。


「それじゃあ、また後でな。美味い料理を期待しているよ!」


 ドーラの親父さんは姿を消し、調理の仕事は続行される。

 やがて大きく日が傾いてくると、親父さんたちよりも早く、ルウの血族の人々が到着した。


「よー、待たせたな! 敷物はこっちで準備してきたから――」


 と、厨に挨拶に来たルド=ルウが、けげんそうにアイ=ファを見やる。


「なんだよ、それ? また妙なもんを連れてんなー」


「これはシムの、猫なる獣だ。わけあって、ファの家で預かることになった」


「ふーん。なんだか、アイ=ファみてーな獣だなー」


「…………そのようなことは、ないと思う」


「そうかー? 不愛想な顔とか、けっこう似てると思うぜ?」


 そのように言いたててから、ルド=ルウは「いや、待てよ?」と首を傾げた。


「アイ=ファだけじゃなく、アレにも似てるな。ほら、《ギャムレイの一座》が連れてた、ガージェの豹と獅子の子供の……たしか、ドルイだったっけ?」


「ああ、獅子も豹も、猫の血族のはずなんだよね。ドルイが子供だったときは、確かにちょっと似てるかもしれない」


 俺がそのように答えると、アイ=ファは意外そうに目を見開いた。


「では、こやつもいずれは、獅子や豹のように大きく育つのだろうか?」


「いや、俺の故郷ではそこまで大きく育ったりはしなかったな。シムの猫がどうかはわからないけどさ」


「そうか……こやつが大きく育てば、それなりの脅威となろうな」


 アイ=ファは厳しい目で、黒猫の姿をねめつけた。

 黒猫はぱちぱちとまばたきをしてから、アイ=ファの鼻の頭をぺろりと舐める。アイ=ファはたちまち顔を赤くして、腰の刀に手をのばした。


「お、お、お前はいきなり何をするのだ!」


「そんなに慌てんなよ。猟犬だって、鼻ぐらい舐めるだろー?」


「家人であれば、それは親愛の証であろう! しかしこやつは、まだ客人にも満たぬ身だ!」


「そいつはもう家人のつもりなんじゃねーの? 俺には不愛想なのに、アイ=ファには懐いてんじゃん」


 ルド=ルウはひとつ肩をすくめてから、きびすを返した。


「ま、なんでもかまわねーけど、そいつは大人しくさせておけよ? ジバ婆にでも飛びかかったら、ジザ兄に真っ二つにされちまうからなー」


 本日は、ジザ=ルウたちも参席するのである。アイ=ファは鼻の頭を手の甲でぬぐいながら、「わかっている!」とわめき散らした。

 すると、俺のかたわらで仕事に励んでいたレイ=マトゥアが、微笑を浮かべながら顔を寄せてきた。


「なんだかアイ=ファは、きかん気の幼子に悩まされる母親みたいに見えてしまいますね。ちょっと、ファの家の行く末を垣間見たような心地です」


「え? あ、いや、それは――」


「そんなに慌てないでください。たとえばの話です」


 茶目っ気たっぷりの微笑を残して、レイ=マトゥアはかまどのほうに向かっていった。俺としては、赤面の至りである。


 そうしてぐんぐんと日は暮れていき、やがて世界が紫色の薄闇に包まれたところで、料理は完成した。

 それらを家の外に運び出してみると、そちらでもすっかり準備が整えられていた。家の前の空き地には何枚もの敷物が広げられ、周囲にはかがり火が焚かれている。いずれもルウ家の人々が持参してくれた設備であった。


 食器は、商売で使っているものの転用だ。敷物の脇には石が積み上げられていたので、熱い鉄鍋はそちらに置かせていただいた。


「それじゃあ汁物料理なんかを配っていきますね。みなさんは、座ってお待ちください」


 空き地には、森辺の祝宴もかくやという熱気が漂っている。まあ、この人数では当然であろう。ドーラ家にこれほどの人数が集まるのは、去年の『滅落の日』以来のはずだった。


 宿場町からそのまま出向いてきた森辺のメンバーが、15名。

 後から合流したルウの血族のメンバーが、7名。

 ドーラ家のご家族に、ミシル婆さんを加えて、9名。

 総勢、31名である。


 ちなみにルウの血族というのは、ジバ婆さん、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、ダルム=ルウ、シーラ=ルウ、シン=ルウ、ダン=ルティム、という顔ぶれであった。


「今日はこんなにたくさんのお客を招くことができて、嬉しく思っているよ! 料理の準備をしてくれたのはほとんどアスタたちだけど、果実酒だけはどっさり準備しておいたから、どうか楽しんでくれ!」


 家の主人たるドーラの親父さんが、そのように挨拶をしてくれた。

 すると、リミ=ルウとターラの仲良しコンビにはさまれたルド=ルウが、「なー」と声をあげる。


「今日はもう普通の晩餐じゃなくって、祝宴っていうくくりにしようって話になったんだよ。悪いけど、ドーラが祝宴の文言を唱えてくれねーか?」


「しゅ、祝宴の文言? なんて言えばいいんだい?」


「それは、宿場町の流儀でいいんじゃねーかな」


 それでも親父さんが困った顔をしていると、立ち上がったターラが何かを耳打ちし始めた。

 親父さんは「うん」とうなずき、あらためて酒杯を振りかざす。


「それじゃあ、我らの父たる西方神と、森辺の民の母たる森に、祝福を!」


「祝福を!」と、俺たちは唱和した。

 そのすぐ後に、アイ=ファの「あっ!」という声が響く。それと同時に、俺の左肩がわずかに重くなった。


「やあ、おかえり」


 黒猫が、俺の肩に飛び移ったのだ。アイ=ファはひどく不本意そうな面持ちで、俺の左肩をにらみ据えた。


「決して油断していたわけではないのだが、一瞬の隙を突かれてしまったようだ」


「いいじゃないか。俺の仕事が終わったと見計らったんだとしたら、ずいぶん賢いな」


 黒猫はすました顔で、「なあ」と鳴いた。

 ただ、いくぶん眠そうな目つきであるように見えなくもない。晩餐の前にギバ肉の切れ端を与えておいたのだが、腹が満たされて眠くなってしまったのだろうか。


「肩の上だと、お前も疲れるだろう。俺は逃げたりしないから、ゆっくり休んだらどうだ?」


 黒猫は、きょとんと俺を見返してくる。

 そこで俺が手づから敷物の上に下ろしてやると、再び「なあ」と鳴いてから、俺の足もとで丸くなった。


「いやあ、それにしても、すごいご馳走だね! うちの小さな厨で、よくこれだけの料理が準備できたもんだ!」


 と、いくぶん離れた場所に座した親父さんが、そのように言っているのが聞こえてきた。

 この人数であるので、人々は4組ていどに分かれて、それぞれ車座を作っているのだ。ドーラ家の人々は2名ずつで分かれており、俺とアイ=ファは最年長のおふたりおよびミシル婆さんと同じ輪の中にいた。

 親父さんにはレイナ=ルウが応対してくれていたので、俺はそれらの人々に笑いかけてみせる。


「食べなれない料理もあるかとは思いますが、どうぞお召し上がりください。俺たちも、ドーラ家のみなさんがこしらえてくださった料理をいただきます」


「ふん。確かにこいつは、屋台でも見かけない料理だね」


 うろんげに顔をしかめながら、ミシル婆さんが木皿の中身を覗き込んだ。ミシル婆さんが屋台に顔を出すことはないが、いつもターラが料理を届けてくれているのだ。時には木皿を携えてくることもあったので、屋台の料理のおおよそは把握しているはずだった。


「そちらはシムの、シャスカという食材を使った料理です。シムではフワノやポイタンの代わりに食べられているそうですよ」


「ふうん。フワノやポイタンとは、似ても似つかないねえ」


 森辺のかまど番が準備した料理は、4品。ギバ肉のチャーシューを使ったチャーハンと、『スペアリブのミソ煮込み』、焼きポイタンで食する『ナナール・カレー』、そして『タラパ仕立てのマロール・スープ』であった。カレー以外は、なかなか屋台でもお披露目する機会のないラインナップである。


 そしてドーラ家では、人数分の焼きポイタンと、野菜たっぷりの汁物料理、ネェノンの葉やオンダを使った温野菜サラダ、ティノの芯の塩漬けを準備してくれていた。

 汁物料理はタウ油仕立てで、あえてキミュスの肉を使っている。ダレイムにおいてはどのような食事が食べられているのか、それを知りたいと願った人間が多数存在したためであった。


「……この料理は、何なのさ? タラパだけじゃなく、なんだか嗅ぎなれない匂いがするねえ」


 と、ミシル婆さんが再び声をあげてくる。親父さんの母君や叔父君は口が重いので、その代弁をしているような雰囲気もあった。


「それは、マロールという海の幸が使われています。ルウ家の人たちが得意にしている料理ですね。ギバを使わない森辺の料理は目新しいかなと思って、準備させていただきました」


「ああ……ルウの家でも時々だされるけど、あたしはけっこう好みの味だよ……」


 ジバ婆さんが、ミシル婆さんにやわらかく微笑みかける。俺たちがこの輪を選んだのは、やはりジバ婆さんとともにありたいがゆえであった。

 ジバ婆さんがいる場には、もれなくジザ=ルウも同席する。そして残るはダルム=ルウにシーラ=ルウという顔ぶれであったので、他の輪よりもしっとりとした雰囲気であった。


 他の輪からは、たいそう賑やかな声が聞こえてきている。それにこのたびは、ダン=ルティムとラッド=リッドが家長会議以来の再会を果たすことになったのである。ドーラ家の長兄夫妻と同じ輪を囲んでいる両名は、とりわけ元気に声をあげていた。トゥール=ディンとディンの長兄、ユン=スドラとフォウの長兄も、同じ輪だ。


 親父さんと伴侶の輪には、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、シン=ルウと、ライエルファム=スドラ、チム=スドラ、イーア・フォウ=スドラが席を同じくしている。

 ターラと次兄の輪は、ルド=ルウ、リミ=ルウ、レイ=マトゥア、マルフィラ=ナハムと、かなり平均年齢の低い顔ぶれであった。


 それらの人々が、どのように絆を深めているのか。かなり気になるところである。

 だけどいまはそれよりも、俺自身が目の前の人々と絆を深めるべきであった。お世辞にも、社交的な人間がそろっているとは言い難い顔ぶれであるので、ここは俺が奮起するべきであろう。


「今回は、あまり間を置かずにお邪魔することができました。復活祭のお忙しいさなかに招いていただいて、心から感謝しています」


 うろんげにチャーハンをかき混ぜていた親父さんの母君は、ちょっと虚を突かれた様子で俺を見返してきた。俺自身は、この母君とあまり言葉を交わしたことがなかったのだ。


「……家に招いたのは、うちの馬鹿息子だろ。まだ復活祭は始まってもいないのに、たいそうな浮かれようだね」


「ええ。明日がようやく『暁の日』ですものね。明日は親族の方々を招いて、お祝いをされるのでしょう?」


「ふん。2日連続で果実酒をかっくらって、仕事になるのかね」


 あくまでも不愛想に言いながら、母君は木匙ですくったチャーハンを口の中に放り込んだ。

 その眉間に、たちまち深い皺が刻まれる。


「……なんだい、こりゃあ?」


「はい。それはシムから買い付けたシャスカという食材で――」


「その講釈は、もう聞いたよ。あんた、こいつはもう食べたかい?」


「あんた」と呼びかけられたのは、叔父君であった。何も聞かされていなければ、伴侶と見まごうおふたりである。実際は、この母君の亡くなられたご亭主の弟にあたる人物であるのだ。

 その人物は軽く首を横に振ってから、チャーハンを口にした。

 その目が、驚きに見開かれる。


「なんだ、こりゃあ。にちゃにちゃしてて、おかしな食べ心地だ」


「だけどさあ……」


「うん……」


 と、言葉は少なく目で語り合う両名である。

 その姿を見やりながら、ジバ婆さんはゆったりと微笑んでいる。


「お気に召したかい……? あたしも最初は驚かされたけど、最近ではとても好いているんだよねえ……あたしみたいに歯が弱いと、焼いたポイタンよりシャスカのほうが食べやすいからさ……」


「ふうん。確かに、おかしな食べ心地だね」


 チャーハンをざくざくとかきこんだミシル婆さんが、そう言った。

 そして、俺のほうをじろりとにらみつけてくる。


「でも、シムで買いつけた食材ってことは、さぞかし値が張るんだろうね」


「ええまあ、フワノやポイタンよりは割高ですね。町ではあまり出回っていないという話であったので、みなさんにご感想をお聞きしたかったんです」


「せっかくポイタンのおかげで食事を安く仕上げられるようになったところなんだから、そんな値の張るもんを自分で買おうとは思えないね」


 そんな風に言いながら、ミシル婆さんはさらにチャーハンをかき込んでいった。こんなに細くて小さいのに、ミシル婆さんはなかなかの健啖家なのである。


 そんな会話を皮切りに、母君や叔父君はジバ婆さんとぽつりぽつりと言葉を交わし始めた。

 母君や叔父君も、ジバ婆さんの来訪は内心で喜んでいるはずだという話であったのだ。およそひと月半ほど前に開かれた晩餐会でも、こうしてやわらかい空気が作られていくのを、俺は体感していた。


 こうなると、俺が下手に口をはさむのは逆効果となる。ということで、俺は最近言葉を交わすことの少なかったルウ家の兄弟たちに視線を転じることにした。


「明日はいよいよ、『暁の日』ですね。みなさんも来てくださるのでしょう?」


「うむ。最長老を守る役を、他の氏族の人間に任せるわけにはいかないのでな」


「またジザ=ルウたちに見届けてもらえるのは、とても嬉しく思います。警護のお役目は大変でしょうが、今年は『ギバの丸焼き』もたっぷり準備しますので、ジザ=ルウたちも召しあがってください」


「うむ」とうなずいてから、ジザ=ルウは糸のように細い目を俺に向けてきた。


「そういえば、《ギャムレイの一座》はどうだったのだ? 誰もが息災であったのだろうか?」


「あ、はい。今日はさっそく、天幕にお邪魔してきました。まだ挨拶をしていない方々もいますけれど、みなさんお変わりはないとのことです」


「そうか。あの幼いギバも、無事に育ったのだろうか?」


「はい。驚くべき成長を遂げておりましたよ」


 そうして俺がギバの大きさを説明すると、無言で食事を続けていたダルム=ルウが身を乗り出してきた。


「わずか1年で、それほど大きくなっていたのか? それでは、森からギバが減らないのも当然だな」


「はい。俺も同じように感じました」


 ダルム=ルウが好奇心をあらわにするのは珍しかったので、俺はついつい微笑ましい心地になってしまった。

 それが顔に出てしまったのか、ダルム=ルウはとたんに仏頂面になってしまう。


「なんだ、その顔は? 森辺の狩人がギバに興味を持つのは当然の話であろうが?」


「ええ、もちろんです。俺はべつだん――」


 と、俺の声に「にゃあ」という鳴き声が重なった。

 威嚇するような声ではないが、いくぶん非難がましい響きを含んだ声である。ダルム=ルウはますます眉を寄せながら、俺の足もとへと視線を転じた。


「なんだ、その獣は? 俺に文句でも言いたげだな」


「も、申し訳ありません。おい、こちらの御方に飛びかかったりするんじゃないぞ?」


 俺がそのように呼びかけると、黒猫はまたそっぽを向いてしまった。

 ダルム=ルウは、苛立たしげに頭をかきむしる。


「気に食わんな。ファの家長がふたりに増えたような心地だ」


「待て。私は何も言っておらんぞ」


「しかし、この小生意気な態度は、お前にそっくりではないか」


「小生意気などと称されるのは不本意だし、このような獣に似ていると言われるのは、もっと不本意だ」


 昼下がりから立て続けであったので、アイ=ファもすっかり機嫌を損ねてしまっていた。

 すると、ダルム=ルウが応じるより早く、シーラ=ルウが声をあげる。


「その獣は、《ギャムレイの一座》のピノから託されたそうですね。身体はずいぶんと小さいですが、猟犬のように賢そうな眼差しをしています」


「……そうであろうか? 私には、こやつこそ小生意気に思えてならんのだが」


「ギーズやムントを小生意気と思うことはないでしょう? それは、その獣が人間めいた性根をしているゆえに感じる気持ちなのではないでしょうか」


「……そうだとしても、私は犬やトトスを小生意気と感じたことはない」


 厳しい目つきで、アイ=ファは黒猫をにらみすえた。

 すると黒猫は、ちょっと甘えた感じに「にゃあ」と鳴く。アイ=ファはさきほどのダルム=ルウのように頭をかきむしった。


「確かにこやつは、人間の感情を察しているのやもしれん。その上で、このように甘えた声を出すのは……あまり感心した行いではなかろう」


「アイ=ファに叱られないように、甘えているということでしょうか? 本当に賢い獣であるのですね」


 可笑しそうに、シーラ=ルウは微笑んだ。

 関心なさげに食事を進めていたジザ=ルウが、それで俺たちに向きなおってくる。


「ピノからは、その獣をファの家で引き取ってもらいたいと願われているそうだな。ファの家は、それに応じるつもりであるのか?」


「かなうことならば、断りたいと思っている。しかしこやつは、野に放っても余人に売りつけても、健やかに生きることは難しいかもしれんという話であったのだ」


「縁もない獣がどのような行く末を迎えようとも、気にかける必要はあるまい。それで心が動かされたということは、アイ=ファもすでに情を移してしまっているのではないか?」


「私はべつだん、情を移したわけでは――ただ、このように幼い獣が不幸な行く末を迎えるというのは、あまりに理不尽ではないか」


「そう思うなら、自らが幸福な行く末を与える他あるまいな」


「にゃあ」と、黒猫が声をあげた。

 タイミング的に、まるでジザ=ルウの意見に賛同を示したかのようである。アイ=ファはげんなりした様子で、溜め息をつくことになった。


「おい。アスタの故郷にも、猫という獣は存在したのであろう? そちらにおいて、猫という獣はどのような仕事を果たしていたのだ?」


「ええ? 猫が仕事を果たすって話は聞いたことがないなあ」


「では、あくまで野に生きる獣であったのか?」


「いや、大半は家で飼われていたよ。あっちでも、売り買いされてたぐらいだからな」


「なんの仕事も果たさぬ獣を、どうしてわざわざ買いつけねばならんのだ?」


「それはいわゆる、愛玩動物っていう立ち位置だったんだけど……そうだなあ、そう考えると、家族の一員として可愛がられるのが仕事ってことになるのかな」


「可愛がられるのが仕事……」


 アイ=ファは、絶句してしまった。

 まあ、森辺の狩人としては、そんなお気楽な仕事が存在するなど、信じられないことなのだろう。

 しかし俺としては、別なる考えも浮かんでいた。

 それを伝えるために、アイ=ファの耳もとに口を寄せてみせる。


「たとえばだけどな、ひとりで暮らしていると、孤独感に苛まれることもあるだろう? そういう孤独を癒やすためにも、猫というのは絶大な力を持っていると思うんだよ」


 アイ=ファはきわめて複雑そうな顔をしたのち、俺に耳打ちを返してきた。


「……いまの私は、孤独とは掛け離れた生活に身を置いている。ならばなおさら、猫など不要なのではないか?」


「それはそうだろうけど、家族が多いほど賑やかで楽しいだろ? いや別に、俺も積極的にこいつを飼いたいと思ってるわけじゃないけどな」


 ただ、時間を重ねるにつれて、この黒猫に愛着がわいてきているのも事実であった。俺の仕事が終わるまで、アイ=ファの肩でじっと大人しくしていた姿などは、なかなかいじらしいようにも思えてしまったのだ。


(それに、みんなしてこいつをアイ=ファに似てるだなんて言いたてるんだもんな。そんなこと言われたら、ますます愛着がわいちゃうじゃないか)


 そんな風に考えながら、俺は黒猫の姿を見下ろした。

 黒猫は青い瞳をきらめかせながら、満足そうに俺を見つめ返していた。

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[一言] 一応猫にも「鼠取り」って仕事は出来ますけどね。
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