表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第四十七章 太陽神の復活祭、再び(上)
811/1677

紫の月の二十一日②~余興~

2019.10/25 更新分 1/1

 それからしばらくして、中天の後である。

 昨日よりも半刻ほど遅れて、建築屋の面々が屋台に来てくれた。


「いやあ、今日はすっかり遅くなっちまったよ! 何か売り切れたりはしていないよな?」


「はい。この時間なら、まだまだ大丈夫です。下りの一の刻を過ぎない限りは、そうそう売り切れることもないと思いますよ」


「下りの一の刻ね。よし、覚えておこう! さあ、それじゃあ今日は、何をいただこうかな」


 アルダスたちは和気あいあいと、屋台の料理を物色し始めた。

 その中で、バラン家の長男が深々と息をついている。


「あーあ、どうして俺たちばっかりが働かないといけねえんだよ。他の家族連中の男どもは、昼から遊び呆けてるってのにさ!」


 おやっさんがそばにいたらすぐさま小言を始めそうなところであったが、幸か不幸か、おやっさんはもっとも遠いルウ家の屋台で注文をしていた。ということで、それに応じたのはバラン家の無口な次男である。


「……どうしてもこうしても、他の男連中は建築屋でも何でもないのだからな。このような異国では、働きようもないだろう」


「でも、不公平じゃねえか? 俺たちは、今日も昨日も働きづめなのにさ!」


「しかし、すべての男連中が働きに出てしまうのは不用心だ。この宿場町には、ずいぶん無法者も多いようだしな。俺たちの家族だってあいつらに守られているようなものなのだから、文句を言うのはよくないことだと思う」


 おおよそ察してはいたが、この次男はかなり生真面目な気性なようである。長男と末娘は母親似であり、次男は父親似である、ということなのだろうか。何にせよ、陽気な長男も寡黙な次男も、俺にとっては好ましい人柄であった。


 が、長男はまったく納得した様子もなく、さらに何か言いたてようとした。その際に身を乗り出そうとして、背後から近づいてきていた大柄な人影に肩をぶつけてしまった。


「いてえなあ。周りをよく見ねえと、怪我するぞお」


「うるせえな。そっちがぬぼーっと突っ立ってるからだろ」


 相手はアルダスなみの巨漢であったが、長男は臆した様子もなく言い返した。

 が、驚いたのは、俺である。


「あ、ワッズじゃないですか! ジェノスに到着されたのですね」


「ああ、明日は『暁の日』だからなあ。ぎりぎり間に合ったよお」


 長男の頭ごしに、ワッズが笑いかけてくる。こちらも陽気な、南の民である。アルダスとの違いは、旅用の外套を着込んで刀を下げている点であった。


「なんだか今日は、南の民がうじゃうじゃしてるんだなあ。さすがは復活祭ってことかあ」


 独特のイントネーションがある間延びした声で、ワッズはそう言った。

 長男は、むくれたような面持ちでその笑顔をにらみあげる。


「おい、呑気に語らってるんじゃねえよ。まだ俺との話が終わってねえだろ!」


「ああん? 元気な小僧っ子だなあ。まだ俺に何か話があるのかよお?」


 すると、さらなる人物が現れて、「おい」とワッズの脇腹を小突いた。


「町で騒ぎを起こすなと言ってるだろうが? 屋台の連中にも迷惑がかかるじゃねえか」


「俺は何にもしてねえよお。この小僧っ子がひとりで騒いでるだけさあ」


 長男は、同じ顔つきのまま、新たに現れた人物のほうをねめつけた。

 その目が、驚きに見開かれる。


「あっ! あんたは……」


「なんだ、俺を知っているのか?」


 言うまでもなく、それはミソの行商人デルスであった。

 目や鼻や口の大きい南の民としても、とりわけぎょろりとした大きな目と、印象的な団子鼻をしている。不審げに眉をひそめるデルスを見返しながら、長男は後ずさり始めた。


「ちょ、ちょっとここで待っててくれ! いま、親父を呼んでくるから!」


「親父だと? おい、お前は――」


 デルスの言葉も聞かずに、長男は身をひるがえして駆け出していった。

 デルスは仏頂面で、俺を振り返る。


「ひさしいな、アスタ。さっきの若造は、お前さんの知り合いか?」


「あ、はい。あの御方もそちらの御方も、バランのおやっさんのご子息ですよ」


「なに?」といっそう顔をしかめながら、デルスは無言でたたずむ次男のほうを振り返った。

 次男もまた、おやっさんによく似た仏頂面をこしらえている。


「……もしかしたら、あんたがデルスか? 俺は幼かったので、あんまりあんたのことを覚えていないんだ」


「ってことは、お前さんは2番目の子か。どうしてまた、兄貴やその餓鬼なんざがジェノスにいるんだよ?」


 どうやらデルスも、バラン家の行状は聞き及んでいなかった様子である。

 しかし俺が返事をする前に、バランのおやっさん本人が長男の案内で登場した。


「よお、兄貴。まさか、こんな場所で出くわすとはな。ジェノスにおもむくのは、年にいっぺんって話じゃなかったのかよ?」


「ふん。俺たちがいつジェノスに出向こうが、お前なんぞに関係はあるまい」


 おやっさんは、地獄のような仏頂面になってしまっていた。

 それを迎えるデルスも、大差のない面持ちである。

 すると、ワッズが場違いなぐらい陽気な声をあげた。


「ああ、あんたがデルスの兄貴なのかあ。ちょいちょい話は聞いてるよお。俺はデルスの連れで、ワッズってもんだあ。よろしくなあ」


「……俺はネルウィアの、バランという者だ。お前さんは、《守護人》か何かか?」


「そんな大したもんではないけどよお。デルスとは、けっこう前からつるんでるんだあ」


 アルダスなどとはまたひと味異なる大らかさを持った、ワッズである。いくぶん不穏になりかけていた空気も、彼のおかげでずいぶん緩和されたようだった。


「あんたのおかげで、デルスはいい商売ができたみたいだなあ。よかったら、一緒に腹ごしらえでもしねえかあ?」


「おい、勝手なことを抜かすな。何が悲しくて、こんなむさ苦しい顔を眺めながら飯を食わなきゃならねえんだ」


「むさ苦しいのは、おたがいさまだろうが。だいたい俺たちは仕事があるのだから、この場で飯を食っている時間はない」


 おやっさんとデルスは不機嫌であるというよりも、いきなり出くわした兄弟の扱いに困っている様子である。そんな両者を見やりながら、長男は頼りなげに眉を下げており、次男は口をへの字にしていた。


 そのとき――街道のほうから、歓声が巻き起こった。

 屋台の前に詰めかけた面々も、いったい何事かと背後を振り返る。ざわめきの向こうからは、笛や太鼓の音色が聞こえ始めていた。


「あ、ライエルファム=スドラ、ピノたちの余興が始まったようですよ」


「ほう」と言いながら、ライエルファム=スドラはわずかに横移動した。屋台と屋台の隙間から、街道のほうを覗き見ようとしているのだろう。俺としては、おやっさんたちの隙間から拝見するしかなかった。


「さァさ、今日からジェノスでお世話になる《ギャムレイの一座》だよォ。御用とお急ぎでない方は、ごゆるりとお楽しみあれェ」


 街道の端に、ピノと大男のドガが進み出ている。笛や太鼓で演奏をしているのは、ザンとナチャラとアルンとアミンだ。

 賑やかなれどもどこかに哀愁を帯びた演奏にあわせて、ピノがくるくると踊り始める。朱色の装束や長い黒髪がひらひらとたなびき、それだけで歓声をあげたくなるような華やかさであった。


 いっぽうドガは、その姿だけで人目を引く存在である。何せ、220センチはあろうかという巨体であるのだ。

 なおかつその身体は、毛皮を剥がされた熊のように逞しく、頭はつるつるに剃りあげている。彼がどれほど礼儀正しい人間であるかを知らなければ、その姿だけで恐怖心をかきたてられそうなところであった。


 そんなふたりが、細長い棒を取り出して、曲芸を開始する。

 ピノとドガの曲芸には何種類かのパターンがあったが、本日は棒術の殺陣のごとき演舞であった。橙色をした細長い棒を携えた両名が、それをぶんぶんと振り回して戦うのだ。

 本気の戦いでないことは一目瞭然であったが、それはピノの美しい姿やドガの魁偉なる姿と相まって、立派な見世物の体になっていた。


「こ、こ、これはすごいですね」


 マルフィラ=ナハムも屋台に顔を突っ込み、パスタを茹でる鉄鍋の湯気に蒸されながら、ピノたちの演舞に見入っていた。


「やァッ!」と鋭い気合とともに、ピノが棒の先端をドガのみぞおちあたりに繰り出す。

 ドガは逞しい左腕で、その先端を横合いからつかみ取った。

 そしてそのまま、ドガが左腕を振り上げると、見物人たちは大歓声をあげる。棒の逆の端を握っていたピノは、そのまま天へと振り上げられてしまったのだ。


 棒は真っ直ぐ垂直になったところで、ぴたりと止められる。

 すると、棒から手を離したピノの身体が、そのまま真上に放り出された。

 女性や幼子たちが、悲鳴をあげる。ドガの背丈と、腕の長さと、棒の長さで、それは4メートルぐらいの高みに達していたのだ。


 晴れわたった空を背景に、ピノの身体がくるりと一回転する。

 そして――ピノは、突き上げられた棒の先端部に、ひたりと着地した。

 直径5センチていどの、細い棒である。その小さなスペースに、片足の爪先で着地したのだ。恐ろしいほどのバランス感覚である。


 息を呑む人々が見守る中、ピノは懐から横笛を取り出した。

 ナチャラの吹く笛の音に、ピノが音色をユニゾンさせると、人々は感極まった様子で手を打ち鳴らした。


「ほう……あのような真似は、俺にも難しいな」


 低い声で、ライエルファム=スドラがつぶやいていた。

 歓声の中、演奏はいよいよ賑やかになっていく。そうして、どことはなしにフィナーレが近づいているような旋律に変じたとき、ドガがおもむろにピノの乗った棒を下げ始めた。


 が、次の瞬間には、下げた棒を勢いよく突き上げる。

 笛を吹きながら、ピノの小さな身体は再び宙へと投げ出された。

 油断しきっていた人々の何名かは、さきほどよりも切羽詰まった悲鳴をあげる。


 しかしもちろん、それも演出の内だった。

 ほとんど天幕の天辺に到達するぐらいの高さにまで放り出されたピノは、きりもみ回転をしながら落下してくる。朱色の装束や黒い髪が複雑な軌跡を描き、その間も横笛は吹き鳴らされていた。


 そうしてピノの小さな身体は、ドガの右肩にふわりと着地した。

 それと同時に曲が終わって、横笛が高々と吹き鳴らされる。

 その旋律が消えると同時に、歓声が爆発した。


「す、す、すごいです、すごいです」


 湯気の中で、マルフィラ=ナハムは手を打ち鳴らしていた。

 他のかまど番たちも、それは同様である。もちろん俺も、ピノたちに惜しみない拍手を送らせていただいた。


「すげえなあ。こんなすげえ曲芸は、初めて見たよお」


 ワッズも、子供のようにはしゃいだ声をあげていた。

 こちらに背を向けたおやっさんとデルスは、いったいどのような表情をしているのか。とりあえず、どちらも手は打ち鳴らしている様子であった。


「お粗末様でしたァ。《ギャムレイの一座》を、どうぞごひいきにィ」


 ピノが一礼すると、また控えめに演奏が開始される。しかし今度はナチャラの横笛とザンの太鼓のみであり、アルンとアミンは草籠を手に見物料の徴収を始めていた。


「……さて、ずいぶん長居をしてしまったな。おい、トゥランに引き上げるぞ」


 と、おやっさんが俺に目だけで挨拶をしてから、きびすを返した。

 長男と次男は、慌ててそれを追いかけていく。その行きがけで、3人が草籠に銅貨を投じる姿が見えた。


「ふん。ようやく消えてくれたか。おい、その屋台の料理をふたり分だ」


 こちらに向きなおったデルスは、仏頂面のままであった。

「毎度ありがとうございます」と応じてから、俺はデルスに笑いかけてみせる。


「けっきょくあまり、おやっさんとはお話ができませんでしたね。けっこうひさびさの再会であったのでしょう?」


「知ったことか。再会したくて再会したわけではないんだからな」


 そう言って、デルスは大きな鼻をこすった。


「だいたいな……俺は、驚かせるのは好きだが、驚かされるのは好かんのだ」


「なるほど」と、俺は納得した。普段のデルスであれば、もっとふてぶてしく応対するのではなかろうかと考えていたのだが、あまりに意想外であったので、そんなゆとりも生まれなかった、ということなのだろう。


(まあ、どうせおたがい《南の大樹亭》に逗留するんだろうしな。毎晩顔をあわせていれば、きっと交流も深まるだろう)


 笛や太鼓の音を心地好く聞きながら、俺はそんな風に考えた。


                     ◇


 そうして、終業時間である。

 屋台の片付けを終えた俺たちは、しばしその場に留まっていた。本日は《ギャムレイの一座》の天幕にお邪魔をしたのち、ドーラ家に向かうというスケジュールであったので、それに参加するメンバーとこの場所で待ち合わせをしていたのだ。


 ターラはすでに合流して、ララ=ルウたちとおしゃべりをしている。

 そこに新たな荷車がやってきたのは、下りの二の刻を少し過ぎてからだった。


「わーい、ターラ、お待たせー!」


「わーい、リミ=ルウ、待ってたよー!」


 荷台から飛び出したリミ=ルウが、その勢いのままにターラを抱きすくめる。

 その微笑ましい姿を見やりながら、ララ=ルウは肩をすくめていた。


「1日置きに顔をあわせてるってのに、あんたたちは飽きないねー」


「飽きないよー! ララだって、シン=ルウと顔をあわせたらいつだって嬉しいでしょ?」


「ど、どうしてそこで、シン=ルウの名前が出てくるのさ!」


 顔を赤くしたララ=ルウが手を振り上げると、リミ=ルウはターラと手をつないだまま「きゃー」と逃げまどった。

 その間に、荷車からは残りの人々がぞろぞろと降りてくる。ルウの血族はリミ=ルウひとりであり、残りのメンバーは全員がファの家のご近所さんであった。


「少し遅れてしまったか? 待たせてしまったのなら、すまなかった」


 そのように言いたてたのはチム=スドラであり、その隣には伴侶のイーア・フォウ=スドラも控えている。あとは、ラッド=リッド、フォウの長兄、ディンの長兄という顔ぶれだ。


「おお、こいつは珍妙だ! スン家の祭祀堂よりもでかいのではないか!?」


《ギャムレイの一座》の天幕を見やりながら、ラッド=リッドがガハハと笑い声をあげる。


「それでは、さっそく出向くとしよう! ギバも黒猿も楽しみなことだな!」


「あ、ちょっとお待ちください。さすがにこの人数だと、いっぺんにお邪魔するのは窮屈だと思うのですよね」


 何せその場には、レビとラーズを除く屋台のメンバーが全員居残っているのである。かまど番が18名で、護衛役が6名。この全員が、《ギャムレイの一座》の天幕の見物を希望しており、後からやってきた6名とターラを加えれば、総勢31名という人数であったのだった。


「それに、屋台と荷車の番も必要です。ふた手に分かれることにいたしましょう」


「なんでもかまわんが、俺はなるべく早くお願いしたいぞ!」


「それでは、ダレイムに向かう面々を優先させていただきましょうか」


 ダレイムのドーラ家に向かうのは、ターラ、俺、アイ=ファ、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、ユン=スドラ、トゥール=ディン、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア。そして、ライエルファム=スドラ、チム=スドラ、イーア・フォウ=スドラ、ラッド=リッド、フォウの長兄、ディンの長兄の16名であった。


「ふむ。いまさらながら、たいそうな人数だな。これに、ルウの血族からも何名か加わるのであろう?」


 ライエルファム=スドラの言葉に、俺は「はい」とうなずいてみせる。


「ドーラの親父さんと相談して、今回は家の外に敷物を広げさせていただくことになったのです。何せ、ダレイムまで出向きたいと願い出る方々の数が多かったもので」


「うむ。俺もそのひとりなのだから、申し訳ないことだ。料理を準備するアスタたちには、大変な苦労をかけさせてしまうな」


「いえいえ。楽しさのほうがまさっているので、どうということはありません」


 普段は家の中で行われているドーラ家の晩餐会が、このたびはこれほどの大規模で開催されることになったのだ。俺としても、いまから夜が楽しみでならなかった。


「それでは、行きましょう。まずは、《ギャムレイの一座》の天幕です」


 16名のメンバーが、列をなして天幕へと向かう。

 事前に告知をしていたので、天幕の入り口にはピノが待ちかまえてくれていた。


「ようこそ、森辺のみなさまがたァ。さァさ、お入りくださいなァ」


 初めてピノを目にする人々は、その不可思議で美しい容姿にたいそう驚かされていた。イーア・フォウ=スドラなどは、「まあ」という形に口を開けて、ピノの姿をまじまじと見やっている。


「さァさ、奥のほうにずずいと……今日はずいぶんなお仲間を引き連れてきてくれたんだねェ、アスタ?」


「はい。みんな、ギバと黒猿を楽しみにしているようです。そしてその後に、サラやヒューイの芸で度肝を抜かれることになるでしょうね」


「ふふン。お楽しみいただけたら、何よりだねェ」


 入り口の脇に設置されたライラノスの占い小屋を素通りして、俺たちは天幕の内へといざなわれた。

 天幕の内は、夜のように暗い。細い通路として仕切られたその空間を踏み越えると、突き当たりに細長い人影が立っていた。壺男のディロである。


「ようこそ、いらっしゃいました……幼子は半分の割り銭、それ以外の方は赤銅貨1枚となります……」


 東の民のようにひょろりと背の高い、年齢不詳の奇妙な人物だ。頭にはターバンのようなものを巻いており、そこから長い黒髪がこぼれている。だぶだぶの長衣も、能面のごとき無表情も、1年前と変わらない姿であった。


「幼子というのは、たしか9歳までですよね。ターラとリミ=ルウ以外は、赤銅貨1枚ずつをお願いいたします」


 そして、俺とマルフィラ=ナハムは入場券代わりの造花である。全員が見物料を支払うのを見届けてから、ピノは突き当たりの幕を開いてくれた。


「それじゃあ、お通りくださいなァ。ちょいと暗いので、お足もとにはお気をつけてェ……あ、いきなり何かが飛び出してきても、決してお客を傷つけたりはしやしませんから、狩人さんたちも刀は抜かれないようにお願いいたしますよォ」


「ほほう! こいつは、珍妙だな!」


 幕の向こうに足を踏み入れるなり、ラッド=リッドがはしゃいだ声をあげた。

 そこは鬱蒼とした雑木林であり、その中に内幕が張られて通路を形成している。この天幕は、屋台を設置するために切り開かれたスペースとともに、その背後に広がる雑木林をも内包しているのだ。


 左手側は外界に面した天幕であるために、そこに空けられた窓からわずかばかりの陽光が差している。それでも、黄昏刻のごとき薄暗さであった。


「すごいですね! なんだか、胸が高鳴ってきました!」


 俺の近くを歩いていたレイ=マトゥアも、はしゃいだ声をあげている。まあ、年齢を考えれば、こちらは妥当な反応であろう。無垢なる心を持つ壮年の男衆ラッド=リッドは、かつてのダン=ルティムのように意気揚々と先頭を歩いていた。


「おおう、なんだこやつは! 岩かと思えば、獣ではないか!」


「あー、それはシムの大亀だよー! ね、そうだよね?」


 リミ=ルウの質問に、ピノが「はいなァ」と気安く答えた。


「シムの大亀、ギュロリケ・ムゥワでございますねェ。芸をする頭は持ちあわせちゃおりませんが、滅多にお目にかかれる獣ではないので、たんとご覧になってくださいなァ」


 先頭集団が立ち止まってしまったので、それに続く俺たちも立ち往生である。

 すると、頭上で大きな羽音が鳴り響いた。七色の羽毛を持つジャガルの美しき鳥、ライオウである。


 赤を主体にした七色の羽毛が、わずかな陽光を浴びて薄闇に輝いている。身体の大きさはニワトリていどであるが、翼は大きく、頭から首にかけては豪奢な冠羽がひろがっていたので、実に圧倒的な存在感であった。


「美しいですね。こんなに美しい鳥は、初めて目にしました」


 イーア・フォウ=スドラが小声で言いたてると、チム=スドラも感服しきった声で「うむ」と応じた。

 梢にとまったライオウの姿を堪能しながら歩を進めると、ようやくシムの大亀ギュロリケ・ムゥワが登場する。こちらは体長1メートルを超す、ワニガメのように厳つい姿をした大亀である。亀を初めて目にする人々には、それも驚嘆の対象であった。


 そしてその頃には、また前方から「うおう!」という雄叫びが聞こえてくる。先頭集団が、次なる獣に出くわしたのだろう。

 しばらく進むと、俺たちの前にもその姿がさらされた。

 網目状に張られた縄の向こうにうずくまる、漆黒の巨大な影――ヴァムダの黒猿だ。


「……これが、黒猿という獣か」


 ライエルファム=スドラとチム=スドラが、とても真剣な眼差しになっていた。

 それに気づいたピノが、「ははァん」と愉快げに声をあげる。


「そういえば、森辺の方々はかつてジャガルでお暮らしだった頃、この黒猿を相手取っていたそうですねェ。この子はアタシらに育てられたんで、なァんもおっかないことはありゃしませんが、野生の黒猿ってェのはさぞかし凶悪なんでしょうよォ」


「うむ。それでもこやつはギバと同じように、同じ森の子とされていたのであろうな。そうでなければ、『猛き猿の牙』などという名が森辺に根付くこともなかったはずだ」


「はァん、『猛き猿の牙』でございますかァ?」


「俺の名だ。むろん、西の言葉ではなく、いにしえの言葉だがな」


「いにしえの言葉……それじゃあ、ルァイ・エル・ファウムでございましょうかねェ?」


 ライエルファム=スドラは、うろんげにピノを振り返った。


「いささか響きは異なるが、そのような感じだ。お前はいにしえの言葉をわきまえているのか?」


「いえいえ、アタシは東の言葉をわきまえているだけでございますよォ。森辺の民は東の血を引く一族なんじゃないかってェ話をうかがっておりましたのでねェ」


 ピノは、赤い唇をにっと吊り上げた。

 ライエルファム=スドラは「そうか」と難しい顔をする。


「では……『猛きギバの牙』であれば、ライギバファムになるのであろうか?」


「いえいえ、東の言葉ってェのは順番が異なるんで、その場合はルァイ・エル・ギバムとなりますねェ。頭のルァイってェのが『牙』って意味なんでございますよォ」


「ライエルギバム……最後のムというのは、どこから来たのだ?」


「そのムは、そこまでの言葉が頭の言葉の飾りだっていう証でございますねェ。そいつを入れないと、『牙、猛々しい、ギバ』ってェ感じで、言葉の羅列になっちまうんですよォ」


「ううむ、いまひとつよくわからんが……何にせよ、ライエルギバムというのはあまり美しい響きではないな。いずれ新しき子が生まれたらどうかと考えたのだが、やめておこう」


 すると、チム=スドラがいくぶん身を乗り出してピノに問うた。


「では、ライエルムであれば『猛き牙』という意味になるのであろうか? それはなかなかに美しい響きであるように思う」


「ああ、それだとちょいと、また言葉が違ってくるんでございますよォ。飾りの言葉がひとつなら、ムじゃなくドをつけるのが普通なんで、ルァイ・エルドってェ感じになりますねェ」


「ライエルドか。それも悪くないな。男児には相応しい名であるように思う」


 ライエルファム=スドラは、けげんそうにチム=スドラを振り返った。


「どうしたのだ? ずいぶん熱心なようだが……イーア・フォウに子ができたわけではあるまい?」


「はい。だけど俺は、自分の子の名は家長にあやかりたいと、常々考えていたのです。男児が生まれたら、ライエルドと名付けたいと思います。……イーア・フォウも、異存はあるまい?」


「はい。狩人らしい、よき名だと思います」


 イーア・フォウ=スドラがやわらかく微笑むと、チム=スドラもはにかむように微笑んだ。

 ライエルファム=スドラは「そうか」と苦笑する。


「俺はそんなつもりで、この娘に話を聞いていたわけではないのだが……お前たちの気持ちは、嬉しく思う」


 すると、右手側に折れた通路の先から、ラッド=リッドが「おおい!」と呼びかけてきた。


「いつまで黒猿を見物しておるのだ? こちらでは、例のギバめがくつろいでおるぞ! お前たちも、さっさと見にきたらどうだ?」


「承知した」と、ライエルファム=スドラたちは声の方向に進んでいく。

 俺もそれに追従すると、アイ=ファが「どうしたのだ?」と顔を寄せてきた。


「どうしたって、何がだ? 別もどうもしてないけど」


「そうか。しかしお前は、ずいぶん楽しげな顔をしているようだぞ」


「ああ、それは、ピノたちの会話が楽しかったからかな。……それに、スドラの家もどんどん家人が増えていくんだろうなあって考えたら、なんか嬉しくなっちゃってさ」


 アイ=ファは驚いたように目を見開いてから、「そうか」と微笑んだ。


「家人が増えるというのは、その家にとって何よりの幸福だ。友たるスドラが栄えるならば、それは私たちにとっても大きな喜びとなろう」


「うん。想像しただけで、幸せな気分になっちゃうよな」


「うむ。いずれは我――」と、そこでアイ=ファは口をつぐんだ。

 その顔が急速に赤くなり、そしていきなり俺の後頭部を引っぱたいてくる。


「な、なんだよ? さすがに今のおしおきは、意味がわからないぞ?」


「やかましい! く、口がすべりそうになっただけだ!」


「アイ=ファの口がすべりそうになると、どうして俺がおしおきされてしまうのだろう?」


「や、やかましいやかましい」と、アイ=ファは片手で俺の頭をわしゃわしゃとかき回してきた。

 さっぱり意味がわからないのだが、羞恥をこらえるアイ=ファの顔が、普段以上に愛くるしい。そんなアイ=ファに頭をかき回されていると、さきほどの理不尽な暴力も帳消しになるぐらい幸福な心地であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ