紫の月の二十日①~傀儡使いの贈り物~
2019.10/21 更新分 1/1
・今回は全8話です。
翌日――紫の月の20日の、朝である。
日の出とともに起床した俺とアイ=ファが玄関を出ると、そこには笑顔のリコと無表情のヴァン=デイロが待ち受けていた。
「おはようございます! 今日もいい朝ですね、アイ=ファにアスタ!」
「おはよう。リコたちもずいぶん早起きだったんだね」
「はい。とてもぐっすり眠れたので、太陽が出ると同時に目を覚ますことができました。……ベルトンはまだいびきをかいていますけれど」
昨晩はリコたちを晩餐に招待したので、そのままファの家の前で一夜を明かしてもらったのだ。ジルベたちがひょこひょこと近づいていくと、リコはいっそう明るく微笑みながら、そちらにも「おはようございます」と挨拶をした。
「これから水場に行くんだけど、よかったらリコたちも一緒にどうかな? きっと近所の氏族の人たちも集まってるだろうからさ」
「承知しました。それでは、お願いいたします」
そうして水場に出向いてみると、フォウやランやスドラの人々がいた。
リコたちがファの家に招かれたことは、ユン=スドラを通じて広まっていたのだろう。リコがそれらの人々と挨拶を交わしたのち、俺はひとつの提案を投げかけてみせた。
「族長のドンダ=ルウにはこれからお願いをするところなのですが、いまのうちにみなさんの家の家長たちにも話を通しておいていただけませんか?」
それは、リコたちの逗留に関してであった。
今回もリコたちには、森辺で夜を明かしてもらってはどうかと考えたのだ。
その代価は、もちろん傀儡の劇である。傀儡の劇を一幕披露する代わりに、その夜の晩餐と、集落の広場の片隅で一夜を明かす許しをいただく。以前にリコたちが森辺に逗留した際と、同じやり口であった。
「そいつはいいね。あんまり小さな子供たちは、宿場町に連れていくのも危なっかしいからさ。あんたたちのほうから森辺に来てくれるんなら、子供たちも大喜びだよ」
水場にいた女衆らは、そのように言ってくれた。
「それに、あたしらは休息の期間だけど、ガズやラッツや他の氏族は、そうそう宿場町まで下りられないだろうからね。あんたたちを客人として招くことができれば、いっそう喜ぶだろうと思うよ」
「ありがとうございます。もし族長さんにお許しをいただけたら、どうぞよろしくお願いいたします」
そうして洗い物を終えたのちは、ようやく目を覚ましたベルトンとも合流して、行水および薪拾いである。
行水をするのはジェノスを出て以来だと、リコはたいそうはしゃいでいた。普段は川や井戸などで髪を洗い、身体は濡れた布で拭うのみだという話であったのだ。以前に森辺を訪れたときなども、リコはこうしてはしゃいでいたのだった。
行水はもちろん男女別々となるので、俺にとってはヴァン=デイロやベルトンと語らう貴重な機会となる。ヴァン=デイロはもともと寡黙であるし、ベルトンは警戒心の権化のごとき存在であったから、普段はなかなか口を開いてくれないのだ。
「この半月は、巡業も順調だったみたいだね。特に危険なこともなかったのかな?」
川に浸かって、ずぶぬれの髪をわしゃわしゃとかき回していたベルトンは、「へん」と偏屈そうに鼻を鳴らした。
「たとえ盗賊どもに囲まれたって、俺とヴァン=デイロがいりゃあ危険なはずねーだろ。あの金髪野郎も、さしあたって悪さはしなかったしな」
「あはは。そりゃあカミュアは、ヴァン=デイロを敬愛しているんだからね。悪さなんてするはずがないさ」
「どーだかな。俺たちが手ごわそうだったから、悪さをするのをあきらめただけかもしれねーだろ」
あくまでも、警戒心を解こうとしないベルトンである。
しかし俺は、そんなベルトンのことが嫌いではなかった。彼はおそらく、相棒であるリコの安全を一番に考えて、このように振る舞っているのだ。
(ヴァン=デイロは凄腕の剣士だけど、もうそれなりの老齢だ。いずれはヴァン=デイロに頼れなくなる日が来るってことを見越した上で、ベルトンはこんな風に振る舞っているんだろうな)
そうして水浴びと薪拾いを終えた後は、下ごしらえの仕事を済ませて、いざ宿場町に出発である。
ティアと犬たちはフォウ家に預けて、まずはルウの集落へと向かう。
そちらでは、普段以上の人々が俺たちを待ち受けていた。
「おー、来たな。親父を起こしてくるから、ちょっと待ってろよ」
広場にたたずんでいた人々のひとり、ルド=ルウが本家へと戻っていく。それ以外にも、たくさんの狩人たちがその場に居並んでいた。
「みなさん、おひさしぶりです。その節は、大変お世話になりました」
昨日の帰りがけにもルウの集落には立ち寄っていたが、そのときにはまだ狩人たちも森から戻っていなかったのだ。ジザ=ルウやダルム=ルウ、ジーダやシン=ルウといった、あまり社交的でない男衆らも、それぞれ短く挨拶の言葉を交わしていた。
その中から、長身の人影が俺とアイ=ファのほうに近づいてくる。
それは、数日前からルウの集落に逗留している、レム=ドムであった。
「やあ、レム=ドム。そっちは元気にやってるかい?」
「ええ、もちろんよ。毎日が楽しくてたまらないわ」
レム=ドムは、兄にして家長たるディック=ドムの負傷を契機として、ルウの集落を訪れたのだ。なんでも北の集落にはレム=ドムのように俊敏さを特性とする狩人がいないため、ルド=ルウやシン=ルウやジーダたちに手ほどきを願ったのだという。
「なんというか、自分の中に眠っていた力を引きずり出されていくような心地なのよ。ドムの集落に帰ったら、ディックたちをたいそう驚かせることができるでしょうね」
そのように語るレム=ドムは、心から満足そうに微笑んでいた。
あのディック=ドムが狩人の仕事を休むほどの深手を負ったというのは心配であるが、それは妹に大きな転機をもたらしたのかもしれない。俺としては、災いが福と転じることを願うばかりであった。
そうしてレム=ドムと語らっている間に、本家からいくつかの人影が近づいてきた。
ルド=ルウに引き連れられたドンダ=ルウ、およびミーア・レイ母さんに手を取られたジバ婆さんである。
「ようこそ戻ってきたねえ……またあんたたちの芸を見られる日を楽しみにしていたんだよ……」
まずはジバ婆さんが、そのように言ってくれた。ジバ婆さんも昨日はお昼寝中で、挨拶をすることができなかったのだ。
「おひさしぶりです、最長老ジバ=ルウ、族長ドンダ=ルウ。おかげさまで『森辺のかまど番アスタ』の劇は、他の領地でも喜んでいただくことがかないました」
「ふん。昨日は宿場町でも、あの芸を披露したそうだな。たいそうな騒ぎであったと、娘から聞いている」
「はい。やはりジェノスの方々は、他の領地の方々よりもいっそう心を動かされているご様子でした。これから復活祭が終わるまでの間、もっとたくさんの方々にあの物語をお伝えできればと考えています」
そうしてリコは、逗留の一件を切り出した。
ドンダ=ルウは硬そうな顎髭をまさぐりながら、また「ふん」と鼻を鳴らす。
「以前にも同じことをしていたのだから、いまさら他の族長たちや貴族たちが文句をつけることはなかろう。貴様たちがそれを望み、それを受け入れる氏族があるのならば、好きにするがいい」
「はい! ありがとうございます、ドンダ=ルウ! ……それでは最後に、お礼の贈り物を受け取っていただけますか?」
「贈り物だと? そのようなものを受け取るいわれはねえな」
「これは、以前にお世話になったお礼となります。森辺の氏族の代表として、ルウ家のみなさんが受け取っていただけませんか?」
リコの視線を受けたベルトンが、荷台の中に引っ込んだ。
そこから引っ張り出されたものを、ヴァン=デイロが受け取って地面に置くと、その場に居並んだ人々は一様に驚きの声をあげた。
「なんだ、それは? 町の人間が使う、台車とかいうやつか?」
「はい。それに手を加えて、車椅子というものをこしらえてみたのです」
「車椅子……?」
「はい。わたしたちも見様見真似であったのですが、なかなか乗り心地も悪くはないように思います」
説明をしながら、リコは車椅子に腰を下ろした。
背中の側にのびた手押しハンドルをベルトンがつかんで、前進させる。おおよそが木造りであったものの、それは俺が知る車椅子とほとんど変わりのない出来栄えであった。
「復活祭の間、最長老のジバ=ルウは町に下りることも多いのだと、カミュア=ヨシュから聞きました。まあ、カミュア=ヨシュも又聞きであるという話でしたが……ともあれ、この車椅子があれば、最長老の移動にも便利なのではないかと考えたのです」
「あたしのために……そんなものをこしらえてくれたのかい……?」
「はい。よかったら、お乗りになってみてください」
ジバ婆さんが目を向けると、ドンダ=ルウは無言のまま顎をしゃくった。
ミーア・レイ母さんとリコに助けられながら、ジバ婆さんは車椅子に座する。手押しハンドルは、ベルトンからアイ=ファに受け渡されていた。
アイ=ファがそっと足を踏み出すと、車椅子はすみやかに前進する。その姿を眺めながら、ルド=ルウは「ふーん」と頭の後ろで手を組んだ。
「なんか、妙ちくりんだな。でも、俺たちに背負われるよりは、ジバ婆も楽なんじゃねーの?」
「うむ。どのみち周囲には他の男衆が控えるので、危険の度合いにも変わりはなかろうしな」
そのように答えたのは、ジザ=ルウである。
アイ=ファが歩を止めると、ドンダ=ルウはリコたちのほうに向きなおった。
「これを、森辺の民に贈ろうというのか?」
「はい。受け取っていただけるでしょうか?」
「……このようなものをありがたがるのは、ルウ家ぐらいだろう。森辺の民の代表として受け取るには、不相応だろうよ」
「では、最長老ジバ=ルウに対しての個人的な贈り物とさせていただきたく思います」
ドンダ=ルウの強面に怯む様子もなく、リコはにこりと微笑んだ。
ドンダ=ルウは三たび「ふん」と鼻を鳴らしてから、ジバ婆さんを振り返る。
「最長老に対する個人的な贈り物だそうだ。それを受け取ることを、了承するか?」
「ああ、あたしとしては、こんなにありがたい贈り物はなかなかないねえ……」
「では、最長老ジバの血族として、ルウの人間がその恩に報いねばならんだろうな」
そう言って、ドンダ=ルウはリコの笑顔をねめつけた。
「貴様たちはこの夜、ルウの集落に逗留するがいい。かまど番たちに、もっとも上等な晩餐を準備させる。あとは、ギバの毛皮と牙と角を贈らせてもらおう」
「贈り物までされてしまうと、とても恐縮なのですが……でも、族長ドンダ=ルウの温情を心からありがたく思います」
それで話はまとまったようだった。
ドンダ=ルウの指示で、ギバ3頭分の毛皮と牙と角が運ばれてくる。それを受け取ったリコは、とても嬉しそうに微笑んでいた。
「これは森辺のみなさんとの思い出の品として、大事に使わせていただきたく思います」
「ふん。銅貨に困ったときは、とっとと売り払うがいい。俺たちは、そのようにしている」
そうしてドンダ=ルウは、家のほうに立ち去っていった。
車椅子のハンドルはルド=ルウに渡されて、ジバ婆さんはリコたちに微笑みかける。
「ありがとうねえ、リコ、ベルトン……こっちも大事に使わせていただくよ……」
「はい。どこか調子が悪くなったら、いつも荷車を買われている場所で見てもらってください」
俺たちは別れの挨拶を交わして、荷車に乗り込むことにした。
車椅子に乗ったジバ婆さんに見送られつつ、ルウの集落を後にする。運転手はアイ=ファであったので、俺は御者台のかたわらまで寄って声をかけてみた。
「ジバ婆さんは、やっぱり喜んでくれたな」
「うむ。リコが思いやりに満ちた人間であることを、私は心から嬉しく思っている」
そんな風に語るアイ=ファの横顔は、他に見ている人間もいないせいか、言葉の通りの表情を浮かべていた。
そうして朝から満ち足りた気持ちになりつつ、宿場町を目指す。
俺たちは《キミュスの尻尾亭》で、リコたちは衛兵の詰め所だ。
「わたしたちも今日からは露店区域で芸を見せますが、アスタたちのお邪魔にならないような場所を選びますので、どうぞご安心ください」
「うん。お気遣い、ありがとう」
べつだんリコたちの芸が俺たちの邪魔になることはなかろうが、ギバ料理の屋台の横で『森辺のかまど番アスタ』の劇をお披露目するのは、あまりにあざとかろう。俺たちは北の端で商売をしているので、リコたちはもっと中央寄りに腰を据えるつもりだと言っていた。
リコたちと別れて《キミュスの尻尾亭》に向かうと、そこでは前掛けをつけたレイトが働いていた。
挨拶は昨日の帰りがけに済ませていたので、俺は「やあ」と笑いかけてみせる。
「やっぱり宿を手伝ってたんだね。カミュアは、まだ客室かな?」
「はい。昨日も遅くまで騒いでいたので、中天ぐらいまでは眠りこけていると思います」
レイトの案内で屋台を借り受け、レビやラーズとも合流し、街道を北に進む。
その行き道で、レビが「なあなあ」と声をかけてきた。
「昨日は広場で、例の傀儡の劇ってやつをお披露目したんだろ? 町の連中の反応は、どうだったんだよ?」
「うん。おおむね好評だったと思うよ。何せリコたちの劇は、出来がいいからね」
「そっか。俺も早く、拝見したいもんだな。アスタやアイ=ファの傀儡の劇なんて、どうにもなかなか想像できないんだよ」
陽気に笑うレビの向こうでは、ラーズも穏やかに微笑んでいる。
俺としても、懇意にしている人々にあの劇を見てもらえるのは、気恥ずかしい反面、待ち遠しくてならなかった。
そんな会話をしている間に、所定のスペースに到着する。
『暁の日』まではあと2日なので、復活祭が目当ての人々はおおよそ到着しているのだろう。縄を張られた青空食堂の付近には、もう何十名もの人々が開店を待ちかまえてくれていた。
「お待たせしました。すぐに準備をしますので、少々お待ちくださいね」
そうして俺たちが屋台の準備をしていると、人垣からふたつの人影が近づいてきた。誰かと思えば、バランのおやっさんの伴侶と末娘である。
「お疲れ様ですねえ、森辺のみなさんがた。今日も寄らせていただきましたよ」
「ああ、どうも。朝一番に、ありがとうございます。おやっさんたちは、お仕事ですか?」
「ええ、ええ。あっちこそ、朝一番でトゥランとかいう場所に引っ張っていかれましたよ。ついでに、この子の兄たちもねえ」
「ああ、息子さんたちも、建築のお仕事をされているのですよね」
おやっさんたちがジェノスに出向いている間は、息子たちが故郷のネルウィアで看板を守っているのだそうだ。ゆくゆくは、あの陽気な長男がおやっさんの跡を継ぐことになるのだろう。
「あっちも中天ぐらいに顔を出すって言っていたので、そのときにまたお相手をしてやってくださいな。それじゃあ、今日もギバ料理を楽しみにしておりますよ」
それだけ言って、伴侶は人垣に戻っていった。最後まで無言であった末娘は、なにやら曖昧な表情で一礼して、母親の後を追いかける。
その後ろ姿を見送りながら、アイ=ファは「ふむ」と声をあげた。
「昨日から感じていたのだが……バランの伴侶は、ずいぶん我々に心を開いてくれているようだな」
「うん。きっとおやっさんが、事前にあれこれ諭してくれたんじゃないかな」
この構図は、ドーラ家を思い出させてやまなかった。ドーラの親父さんの伴侶や長兄の伴侶なども、けっこう早い段階から森辺の民に親しげな顔を見せてくれていたのである。
(それに、もしかすると……リコたちの傀儡の劇が、いい影響を与えてくれたんじゃないだろうか)
昨日は傀儡の劇を見終えた後、ほどなくして解散することになったのであるが、一部の人々はあれでいくぶん態度が変わったように感じられたのだ。
もちろんそれは、いい意味での変化である。末娘や長男の伴侶などはずいぶん口数が増えていたし、無口な次男などはやたらと俺とアイ=ファの姿を見比べていたように思う。それらの顔には、いずれも感服しきったような表情がたたえられていたのだった。
(おやっさんたちの家族と交流できるチャンスなんて、そうそうないんだ。この調子で、もっともっと絆を深めさせていただきたいところだよな)
やがて準備が完了すると、人々が屋台に押し寄せてきた。
メイトンやその他のメンバーのご家族たちも、全員が来店してくれたようだ。それらの人々と挨拶を交わしつつ、俺は注文の品を受け渡していった。
「おい、アスタ! あっちで例の、傀儡の劇ってやつを拝見してきたよ!」
そんな風に呼びかけられたのは、朝一番のピークを終えたのちのことである。
呼びかけてきたのは、ドーラの親父さんだ。その隣では、ターラも興奮した様子で頬を火照らせていた。
「あれは、すごい出来だったなあ! それに、ずいぶんとんでもない内容だったと思うんだけど……あれは全部、本当のことなのかい?」
「はい。多少の脚色はされていますが、基本的には事実に基づいています」
俺は、昨日と同じ言葉を繰り返すことになった。きっとこれからも、何度となく同じ言葉を繰り返すことになるのだろう。
親父さんは「そうなのか……」と深く息をついていた。
「いや、おおよそのことは聞いていたけどさ。でも、なんていうか……本当に大変だったんだなあ、アスタたちは」
「はい。それでも何とか乗り越えることができたのは、みなさんのおかげです」
「アスタたちの苦労に比べたら、俺たちなんてどうってことないさ。だけど、アスタが宿場町で襲われるくだりとか、城下町の姫さんにさらわれるくだりなんかでは……こう、色々なことを思い出しちまったよ」
そう言って、親父さんは俺の隣にたたずんでいたアイ=ファにふっと笑いかけた。
「あの頃は、本当に大変だったよなあ。あんたも気が休まらなかったろう、アイ=ファ」
「うむ。ドーラたちが力を尽くしてくれたことを、私は決して忘れはしない」
俺がテイ=スンに襲われる姿は親父さんも目撃していたし、リフレイアにさらわれたときなどは城門まで詰めかけて、俺が解放されるのを待ち受けてくれていたのだ。
それに、サイクレウスとの対決の場に臨む際は、この通りで親父さんがドンダ=ルウに声をかけたりもしてくれていた。たとえ傀儡の劇に登場することはなくとも、そういった数多くの人々に支えられて、俺たちはこの道を進むことができているのだった。
「あの劇は、何度でも見たくなっちまうね。顔見知りの連中にも、話を回してやらないと。……ああ、それに、家族連中にも見せてやらないとなあ」
「ありがとうございます。祝日には、リコたちも夜に劇をお披露目する予定であるようですよ」
「そうか。でも、叔父貴やお袋は祝日でも宿場町に近づこうとしないんだよなあ。旅芸人のお人らも、わざわざダレイムまで足をのばそうとはしないだろうし……」
「どうでしょうね。今度、リコたちに聞いてみますよ」
「うん、そうしてくれ! あれはきっと、ジェノスに住んでる人間の全員が見るべきなんだよ!」
そんな言葉を残して、ドーラの親父さんたちは青空食堂に立ち去っていった。
俺の隣では、アイ=ファが小さく息をついている。
「私が想像していた以上に、あの劇は見る人間の心を動かしているようだな。リコたちに劇を作ることを許したのは、正しい行いであったということだ」
「うん。俺たちも、羞恥心ぐらいはぐっとこらえないとな」
「……私はべつだん、自分の目の前でなければそのようなことは気にしていない」
アイ=ファは頬を染めながら、俺の足を軽く蹴ってきた。
それからしばらくして、中天の間際である。
次にやってきたのは、バランのおやっさんを筆頭とする建築屋の面々であった。
「よお、アスタ。屋台が混み合う前に、お邪魔させてもらうよ」
アルダスが、陽気に笑いかけてくる。彼らはわざわざ昼の休憩時間に、荷車を飛ばしてトゥランから駆けつけてくれたのである。
「荷車を置き放しにしておくと、衛兵どもがうるさいからな。今日もかれーや汁物はこの皿にいれてくれ。こぼさないように気をつけながら、トゥランに戻っていただくことにするよ」
「はい、承知しました。わざわざありがとうございます」
「なに、トゥランの衛兵どもが食ってる食事を分けてもいいって話だったんだが、それはこっちからお断りしたんだよ。せっかくのギバ料理を食えないんじゃあ、何をしにジェノスまで来たかわからなくなっちまうからな!」
そうしてバラン家の子息たちを含めた9名は、総出でギバ料理を運び始めた。
そんな中、おやっさんがぶすっとした顔で俺に帳面の1枚を差し出してくる。
「仕事の日程を書きつけておいた。仕事のない日の前日に招いてもらえれば、ありがたく思う」
おやっさんたちを森辺に招くというイベントについてである。協議の結果、おやっさんの一家とアルダスはファの家に、メイトンの一家はルウの家にお招きすることが決定されていた。
「了解しました。……あれ、今日と明日は立て続けにお仕事なのですね」
「祝日とその翌日にまで働く気にはなれんからな。その分は、別の日に詰め込むしかあるまい」
「なるほど……そうすると、こちらにお招きするのは『中天の日』の前日か、トトスの早駆け大会の前日あたりに絞られそうですね」
日取りとしては、紫の月の25日か、28日である。
「では、これでディアルと調整してみます。おやっさんたちをファの家にお招きできる日を楽しみにしていますね」
「うむ」とぶっきらぼうにうなずいてから、おやっさんは荷車のほうに引き返していった。他の面々もギバ料理を確保して、すでに荷車に乗り込み始めている。
「復活祭のさなかに大変だなあ。……まあ、人のことを言えた義理じゃないけどさ」
「うむ。森辺のかまど番たちやバランたちのみならず、宿屋や食材を売る者たちも、普段以上の仕事に励んでいるのであろうからな。祭を楽しむ人間が多ければ、その分の苦労を背負い込む人間が必要となるのだろう」
しかつめらしい面持ちで、アイ=ファはそのように述べていた。
カレーの鉄鍋を攪拌しながら、俺はアイ=ファに笑いかけてみせる。
「でも、俺は十分に楽しいよ。こうやって忙しくしていると、復活祭の熱気を肌で感じられるからさ」
「……お前が楽しんでいることぐらいは、見ていればわかる」
アイ=ファの眼差しが、優しげにやわらげられる。
そのとき、隣の屋台で『ギバ肉のポイタン巻き』を受け持っていたマルフィラ=ナハムが「ア、ア、アスタ」と呼びかけてきた。
「な、な、何やら立派なお姿をした狩人が近づいてきています。わ、わ、わたしは見覚えがないのですが、いったいどちらの氏族の御方でしょう?」
俺は鉄鍋の熱気をあびながら、屋台の外に首をのばしてみた。
街道は人で賑わっているが、その中でも目に立つ巨漢が南の方角から近づいてきている。一瞬迷ったが、その正体はすぐに知れた。
「ああ、ディック=ドム。本当に宿場町まで来られたのですね」
それは深手を負って狩人の仕事を休んでいる、ドム本家の家長ディック=ドムであった。彼がいずれ宿場町にやってくるかもしれないという話は、事前にレム=ドムから聞いていたのだ。
で、とっさに誰だかわからなかったのは、ディック=ドムがギバの頭骨をかぶっておらず、他の氏族と同じような狩人の衣のみを纏っているゆえであった。
そしてそのかたわらでは、ころころとした体格の娘さんがにこやかに微笑んでいた。もちろん、モルン=ルティムである。
「シュミラル=リリンの婚儀の祝宴以来ですね、アスタにアイ=ファ。今日は宿場町を巡っていたので、ご挨拶にうかがわせていただきました」
ついに、あのディック=ドムまでもが宿場町の検分におもむいてきたのだ。
これもまた、復活祭のもたらした大いなる副産物であろう。頭骨を外しても迫力満点のディック=ドムに向かって、俺は「ようこそいらっしゃいました」と笑いかけてみせた。