紫の月の十九日③~初お披露目~
2019.10/9 更新分 1/1
・今回の更新はここまです。更新再開まで少々お待ちください。
その後も俺たちは、『ヴァイラスの広場』にて歓談を楽しんだ。
半年ていどの別離ではあったが、おやっさんたちに伝えたい話はいくらでもあったし、そのご家族とは初対面である。どれだけの時間を語ろうとも、言葉が尽きることはなかった。
「そういえば、おやっさんたちが森辺に招かれるときは自分にも声をかけてほしいって、ディアルが言っていたのですよね。ご迷惑ではありませんか?」
「ディアルっていうと、あのゼランドの元気な娘さんか。もちろん俺たちはかまわないよなあ、おやっさん?」
「うむ。しかし、あまり大勢で押しかけては、ルウ家のほうが迷惑ではないか?」
「ルウ家のほうは、大歓迎という感じのようですけれど……おーい、ララ=ルウ、そのあたりはどうなってるのかな?」
「んー? そりゃまあ客人は大歓迎だけどさ。でも、たとえばここにいる全員を晩餐に招くってのは、人数的に無理なんじゃないのかな」
「うむ。ルウ家はもともと家族が多いのだから、そんな迷惑はかけられん」
「だったら、ファの家と半分こにするとか?」
ララ=ルウの提案は、俺にとって棚からぼたもちであった。
しかし最愛なる家長の心情は如何なものであろう――と、その凛々しいお顔を拝見してみると、アイ=ファは意外なぐらい穏やかな眼差しをしていた。
「バランたちの手掛けてくれたファの家を、ひとたびは目にしてもらいたいと願っていた。この場にいる半数の人間であれば、客人として招くことも難しくはなかろう。……晩餐の準備をするアスタ次第であるがな」
「そんなの、問題なんてありっこないさ」
俺が笑顔を向けてみせると、アイ=ファはますますやわらかい眼差しとなった。
するとララ=ルウが、「そうだ!」と手を打つ。
「あの、スン家の祭祀堂ってやつも、バランたちが直してくれたんでしょ? ちょうど最近、スン家で天幕ってやつが出来上がったらしいんだよねー」
「ほう。半年かかって、ようやくか。まあ、そちらにも家の仕事があるのだろうしな」
「うん。いちおうバランたちの言葉の通りに作りあげたつもりだけど、これで本当に不備はないのか、確認してほしいって言ってたみたいだねー」
おやっさんたちが再建したのは骨組みのみであり、そこに張る天幕はスン家の女衆がこしらえることになったのだ。ギバの毛皮によって、どのような天幕が完成されたのか、俺としても気になるところであった。
「天幕なんぞは俺たちも門外漢だが、通りいっぺんの判断ぐらいは下せるだろう。是非とも拝見させてもらいたいものだな」
「だったら、晩餐に招く日に見てもらおっか。荷車を使えば、一刻ぐらいで行き来できるだろうしね」
そうして、話はまとまった。
最終決定にはドンダ=ルウの了承が必要であろうが、晩餐に招くこと自体はすでに話がついているので、問題はないだろう。復活祭の間の楽しみが、またひとつ加えられたわけである。
「それじゃあ、ディアルにはこちらから伝言を頼みますね。何か日取りの希望などはありますか?」
「そんなものはありはせんが、仕事のない日の前日が望ましかろうな。どの日に仕事を詰め込むかは、明日にでも決めさせてもらうつもりだ」
「では、その後に調整いたしましょう。数日置きに祝日があるので、日取りはけっこう絞られそうですよね」
22日が『暁の日』、26日が『中天の日』、31日が『滅落の日』で、そういった祝日は日中に『ギバの丸焼き』をふるまい、屋台の商売は夜間となる。あとは『暁の日』の前日にドーラ家まで出向く予定があり、そして――
「そうそう、『中天の日』より後の話ですけれど、ジェノスではトトスの早駆けの大会というものが開催されるようですよ」
「トトスの早駆け? なんだ、それは?」
「文字通り、トトスで駆け比べをするそうです。西の王都ではそういう催しも盛んであるようですが、ジャガルにはない習わしなのでしょうか?」
「少なくとも、ネルウィアの近在では聞かぬ話だな。トトスに跨って、どちらが速く駆けさせられるかを競うわけか」
「はい。ジェノスで行われている闘技会ぐらい盛り上げたいと、貴族の方々は考えておられるようですね」
「闘技会?」と目を光らせたのは、長男であった。
「ってことは、その勝敗を賭け事の種にするんだろうな? 見物客には、それぐらいしか楽しみはねえもんな?」
「え? ああ、はい。闘技会では、賭け事も盛んなようですね。今回の早駆けでは、どうかわかりませんけれど……」
「そんな儲け話を見過ごす人間がいるもんか。そうか、そんな大会が開かれるのか……」
「あなた?」と、伴侶が微笑みかけた。ちょっぴり怖めの笑顔である。
「な、なんだよ? 大丈夫だって! 俺が賭け事で、家族に迷惑をかけたことがあるかよ?」
「迷惑をかけられた覚えはありませんが、喜びをもたらされた覚えもありませんね」
「心配すんなって。俺は親父の弟とは違うんだからさ」
それはすなわち、デルスのことである。
デルスが家を出たのが15年前であるならば、この長男もそれまでは同じ家で暮らしていたのだろう。俺が視線を差し向けると、おやっさんは渋面をこしらえていた。
「あの大うつけは家の金を持ち出して、賭け事なんざに注ぎ込んでおったのだ。それで、絶縁されたわけだな」
「ああ、なるほど……デルスもそんな風に言っていたような気がします」
そういえば、レビの父親たるラーズも、賭け事で身を持ち崩してしまった過去があるのだ。俺はギャンブルというものにまったく興味を引かれない性分であるのだが、そうでない人間には危険な一面もあるのだろう。
「何にせよ、その日は俺たちも会場のそばで屋台を出すように依頼されているのです。それで仕事の後は、観戦させていただく予定なのですよ」
「ほう。森辺の民には、賭け事など許されなかろうにな」
「はい、あくまで観戦です。いちおう森辺からも、何人か出場する予定ですので」
「へえ!」と、アルダスが大きな声をあげた。
「そいつは俄然、興味がわいてきたな。森辺の民は、トトスを駆けさせるのが得意なのかい?」
「はい。どうやらそうみたいです」
と、俺はルウ家から伝え聞いていた。そもそもこの話を森辺に持ち込んできたのは、ポルアースから言伝てを頼まれたシュミラル=リリンであったのだ。
で、シュミラル=リリンいわく、森辺の民の力量はなかなかのものであるらしい。ルド=ルウやラウ=レイやダン=ルティムが駆け比べをしている姿を見て、シュミラル=リリンはたいそう感心することになったようであるのだ。
(でも、アイ=ファは興味を示さなかったんだよな)
俺はちらりと、アイ=ファの姿を盗み見る。
アイ=ファもギルルに跨って駆けさせることは、たいそう好んでいる。が、ギルルに力比べをさせるつもりはない、と言いきっていたのだった。
「ギルルが力比べに興味を持つ気性であれば、私も手助けをしてやりたがったがな。こやつはお前と同じように、そういったものに興味が薄いようであるのだ」
俺が早駆けの大会について告げたとき、アイ=ファはそのように言っていた。
ルウルウやミム・チャーたちだって、べつだん力比べを好んでいるとは思えないのだが。アイ=ファとしては、ギルルの心情を尊重したいようなのである。それならば、俺としても異存はなかった。
(ギルルが力比べで負けたりしたら、アイ=ファは自分のことよりも悔しがりそうだもんな。当日は、気楽に楽しませてもらおう)
ポルアースからは森辺の民にも参加を熱望されているようだったが、出場選手はまだ決まっていなかった。どうやらルウの血族で予選を行って、2名の精鋭を送り出すつもりであるらしい。いったい誰が選出されるのか、それも楽しみなところであった。
「それじゃあ俺たちも、見物させてもらいたいもんだな。その日は仕事を休ませてもらおうぜ、おやっさん」
「ふん。貴族がそれを了承するならな。だいたい、トトスの駆け比べなど――」
と、おやっさんが言いかけたところで、アイ=ファが「うむ?」と声をあげた。
アルダスが、けげんそうにそちらを振り返る。
「どうしたんだい? 無法者でも近づいてきたか?」
「いや、あれは……見知った者たちだ」
ユーミか誰かでもやってきたのかな、と俺もアイ=ファの視線を追いかけることにした。
広場の入り口に、大きな荷車の姿が見える。俺の視力では、その手綱を握っている人間の人相までは判別できなかったが――しかし、その正体を察することは難しくなかった。
「あの荷車! あれはリコたちじゃないか!」
「うむ。予定通り、復活祭の前にやってきたようだな」
その荷車には、実にけばけばしい絵が描かれていたのである。白い鳥の骨が大きく翼を広げた、それは《ほねがらすの一座》のペイントであった。
「あれは、旅芸人かい? ジェノスぐらい大きな町なら、旅芸人もわんさか集まりそうなところだよな」
そんな風に言ってから、アルダスは俺のほうに顔を寄せてきた。
「だけど、アスタはずいぶん興奮してるみたいじゃないか。そんなに大事なお人らなのかい?」
「は、はい。ちょっと縁あって、彼らは長らく森辺に逗留していたのです。俺やアイ=ファにとっても、大事な人たちです」
「へえ。だったら俺たちも、挨拶ぐらいはさせてもらいたいもんだな」
俺は慌ただしく、その場の方々の様子を見回すことになった。
しかし幸いなことに、嫌な顔をしている人間はひとりもいない。旅芸人というのは王国において下賤の身分と定められていると聞いていたので、そこのあたりがちょっと心配であったのだ。
「ああ、あれってリコたちじゃん。おーい、こっちだよー!」
と、少し離れた場所でメイトンらと語らっていたララ=ルウが、ぶんぶんと手を振った。
それでこちらに気づいたらしく、荷車が近づいてくる。手綱を握っているのはベルトンで、リコとヴァン=デイロはそのかたわらを歩いていた。
「わあ、森辺のみなさん! このようなところで、何をされているのですか?」
と、途中でリコだけが離脱して、俺たちのほうに駆け寄ってきた。
レイ=マトゥアが立ち上がって両腕を広げると、迷うことなくその胸に飛び込む。レイ=マトゥアは心から嬉しそうな笑顔で、リコの身体を抱きしめた。
「おひさしぶりです、リコ! ようやくお会いできましたね!」
「はい! のちほど森辺にお邪魔しようかと考えていたのですが、その前にお会いできるとは思ってもいませんでした!」
たしかリコは11歳であったので、レイ=マトゥアとは2歳しか変わらない。身長差も、せいぜい5、6センチであろう。そんな無邪気な少女たちが人目もはばからずに再会の喜びにひたるさまは、微笑ましくてならなかった。
「おい、勝手に走りだすなよなー。無法者だってうろついてんのに、用心が足りねーんだよ」
後から追いついたベルトンが、不満の声をあげる。その仏頂面も、懐かしかった。
俺たちは石段から腰を上げて、その3名を出迎えた。アイ=ファは最初から、真っ直ぐにヴァン=デイロを見つめている。
「ヴァン=デイロ。壮健なようで、何よりだ」
「うむ。そちらもな」
型通りの挨拶で、どちらも無表情であったが、ふっとやわらかい空気が流れたような気がした。ちょっと似たところがなくもない、アイ=ファとヴァン=デイロなのである。
「アスタにアイ=ファもいらっしゃったのですね! お元気そうで何よりです!」
レイ=マトゥアとの抱擁を終えたリコが、こちらにも笑いかけてくる。おひさまの光を浴びた、ヒマワリのごとき笑顔である。ベルトンは知らぬ顔でそっぽを向いているが、それを補って余りある笑顔であった。
「そちらも元気そうで何よりだったよ。カミュアとレイトは一緒じゃなかったのかな?」
「はい。あのおふたりは、宿を取るために《キミュスの尻尾亭》へと向かわれました。ギバ料理の屋台が開いている時間に間に合うことができなくて、とても残念がっておられましたよ」
そんな風に答えてから、リコは不思議そうに小首を傾げた。
「でも、アスタたちがこのような刻限まで宿場町に居残っておられるのは珍しいですよね。何かあったのでしょうか?」
「うん。今日は古馴染みであるこちらの方々がジェノスにいらっしゃったから、ちょっと話をさせてもらっていたんだよ」
とたんにリコはかしこまった面持ちになり、褐色の巻き毛が可愛らしい頭をぴょこりと下げた。
「わたしたちは旅芸人の、リコとベルトンと申します。こちらは善意で同行してくださっている、ヴァン=デイロです。おくつろぎの場を騒がせてしまい、まことに申し訳ありませんでした」
「そんなにかしこまることはないよ。ここには旅芸人に石を投げるような、心ない人間はいないからさ」
そんな風に答えてから、アルダスはヴァン=デイロに向きなおった。
「ところであんたは、ヴァン=デイロっていったかい? 吟遊詩人の歌に出てくる《守護人》と同じ名前だな」
「え? ジャガルでも、ヴァン=デイロは有名なのですか?」
「ああ。西の英傑、獅子殺しのヴァン=デイロだろ? あの歌は勇ましくって、ジャガルでも人気だよ。旅芸人や吟遊詩人に、西も南もないだろうしさ」
そういえば、《ほねがらすの一座》も《ギャムレイの一座》も、ジャガルを巡業していたという話であったのだ。友好国で言葉にも不自由はないのだから、そこに境をつける必要はないのだろう。
「それで? もしかしたら、このお人は本物のヴァン=デイロなのかい? 生きていたら、確かにこれぐらいの年なのかもしれないよな」
部外者の俺が答えるべきではないだろうと思い、リコにその座を譲ることにした。
俺の視線を受けて、リコは「はい」とお辞儀をする。
「こちらの御方は、そのヴァン=デイロで間違いないかと思われます。獅子殺しの異名を持つヴァン=デイロという御方が、この世にふたり存在するとは思えませんので」
「へえ! そいつは、たまげたね! まさか、吟遊詩人の歌に出てくるお人とお目見えできるとは思ってなかったよ!」
おやっさんやメイトンのご家族たちも、ざわめいていた。おおむね好意的な様子であったので、俺はほっと胸を撫でおろす。
「うむ! お前さんたちの到着を心待ちにしていたぞ! 誰もが壮健であるようだな!」
と、挨拶の順番を待っていたらしいラッド=リッドも、大きな声をあげた。
そちらを振り返ったリコは、にこりと微笑む。
「リッドの家長さんですね。その節は、大変お世話になりました」
「なに、俺たちも愉快なものを見せてもらったのだから、むしろ礼を言いたいぐらいだ! 今日も傀儡の劇とやらを見せてもらえるのか?」
「はい。この広場で一幕終えてから、森辺にご挨拶に向かうつもりでした」
「へえ、あんたがたは傀儡使いなのか。まだ若いのに、大したもんだ」
メイトンも、好奇心に瞳をきらめかせている。
ということは、俺も覚悟を固めなければならないようだった。
「ってことは、ひょっとしてあの劇をお披露目するつもりであったのかな?」
「そうですね。これをジェノスの宿場町での初のお披露目にしようと考えていたのですが……でもみなさんは、まだお目にしていない劇をお望みでしょうか?」
「いや! お前さんたちは今日まで修練を重ねてきたのであろう? 俺としては、その成果を見せてもらいたいものだな!」
ラッド=リッドは、無邪気にそう言っていた。
いっぽうアイ=ファは、こっそり溜め息をついている。俺としても、心情はアイ=ファのほうに近かった。
「森辺の民も、傀儡の劇を楽しんだりするもんなんだな。そんなものには興味がなさそうだから、ちょいと意外だよ」
「ええ、まあ、リコたちの劇はとても見事なものでありますので……というか、みなさんにお話ししなければならないことがあるのですよね」
何も知らせないまま劇を始められたら、アルダスたちを仰天させてしまうだろう。俺が救いを求めて視線を向けると、察しのいいリコは「はい」と微笑んだ。
「わたしたちは森辺のみなさんにご協力いただいて、『森辺のかまど番アスタ』という劇をこしらえたのです。アスタのご友人であられるみなさんにご感想をいただけたら、とても光栄に思います」
「うん?」と、アルダスは太い首を傾げた。
メイトンはきょとんと目を丸くしており、おやっさんは眉をひそめている。ご家族のみなさんも、おおよそは同じような反応であった。
「アスタが、どうしたって? 劇をこしらえたって、まさか……」
「はい。アスタを主人公にした、森辺とジェノスの物語となります」
けっきょくアルダスたちを、仰天させることになってしまった。
メイトンなどは、酸欠の金魚のように口をぱくぱくとさせている。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。アスタが、傀儡の劇の主人公だって? 言っちゃ悪いけど、それでどんな劇が作れるってんだ?」
「アスタは変転に満ちみちた生を送っています。その生を辿るだけで、どのような御伽噺にも負けない物語を紡ぐことがかなうでしょう。問題となるのは、わたしたちの技量のみだと思われます」
「……なあ、俺たちをからかってるんじゃないよな、アスタ?」
メイトンに問われたので、俺も「はい」と応じるしかなかった。
「恥ずかしながら、そういうことなのです。ジェノスや森辺の実情を世に知らしめるのは必要なことと思い、リコの申し出を受けることになりました」
「なるほどな」と声をあげたのは、おやっさんである。
「確かにネルウィアでも、お前さんがたの話は面白おかしく語られていた。しかし、その半分がたは尾ひれのついた出鱈目だ。あれではいらん誤解を生み出すことになるだろう」
「はい。そういった誤解を晴らすために、ジェノスの方々もリコたちを支援してくださったのですよね」
「だったらお前さんがたは、ジャガルも巡るべきだろうな」
おやっさんが、リコの笑顔をじろりとねめつけた。
リコは臆した様子もなく、笑顔のまま「はい」とうなずく。
「復活祭を終えるまではジェノスに留まり、その後はジャガルを巡らせていただくつもりでした。その前にジャガルの方々のご感想をいただけたら、とてもありがたく思います」
「うむ。ぞんぶんに見届けてやろう。その劇にも出鱈目な話が混じっていたら、何にもならんのだからな」
すると、ベルトンが後ろからリコの頭を小突いた。
「おい、来たぜ」
ベルトンは、立てた親指で後方を指し示している。そちらから近づいてくるのは、2名の衛兵たちであった。
「なんだ、またお前たちか」
「ああ、マルス。ちょっとおひさしぶりですね」
それは宿場町を警護する護民兵団の小隊長、マルスであった。相棒は、見知らぬ壮年の男性である。
「こちらは仕事なのだから、邪魔をするのではないぞ。……おい、この広場で荷車を留めるのは、ジェノスの法で禁じられている。何か商いをするつもりであれば、どこかの宿屋で手続きをして露店区域に向かうがいい」
「おつとめ、ご苦労様です。わたしたちは旅芸人なのですが、こちらで芸を見せることは許されますでしょうか?」
「旅芸人か」と、マルスは眉をひそめた。
「ならば手続きは、衛兵の詰め所となる。といっても、名前を告げて赤銅貨2枚を支払うだけのことだがな」
「承知いたしました。申し訳ないのですが、詰め所の場所をお教え願えますでしょうか?」
「……いや、待て。もしやお前は、森辺の民の傀儡の劇をこしらえたという旅芸人か?」
リコたちは情報収集のために宿場町を巡っていたし、しまいには城下町にまで招かれていたので、その存在はひそやかに知れ渡っているのだ。
リコが「そうです」と応じると、マルスは「そうか」と息をついた。
「ならば、この場で手続きを済ませてやろう。名前を告げて、場所代を支払うのだ」
「ありがとうございます。芸を行うのは自分リコと、こちらのベルトンの2名となります」
リコが銅貨を取り出そうとしたので、俺は「ちょっと」と耳打ちした。
「露店区域なら、場所代はその半分だよ。一見さんは10日分をまとめて払わないといけないけど、しばらく逗留するなら、そっちのほうがお得なんじゃないのかな?」
「明日からは、そのようにさせていただこうと思います。いまはアスタたちにご足労をおかけしたくないので、この場で芸を披露しようと思います」
そうしてリコは、実にあどけない顔で微笑んだ。
「それに、広場にはこれだけの人数がいらっしゃいますので、赤銅貨2枚を惜しむものではありません」
リコたちは、もう2年も前からふたりきりで旅芸人として生きているのだ。まだまだ未熟と称してはいるが、その根底には確固たる自負があるのだろう。
俺はリコの気持ちを尊重して、身を引くことにした。あらためて、リコはマルスに赤銅貨を受け渡す。
「これは、今日限りの場所代だからな。明日には、また手続きを行うのだぞ」
「はい。承知いたしました。……それでは、準備に取りかからせていただきます」
リコたちは荷車を広場の端に寄せると、荷台にもぐって準備をし始めた。
その間に、メイトンが俺の腕を引いてくる。
「なあ、本当にアスタを主人公にした劇なのか? あんまりしょうもない内容だと、アスタの名が汚されることになっちまうぞ?」
「その点は心配無用かと思われます。ただ、自分のいる場でお披露目されるのは、いささか気恥ずかしいですね」
アイ=ファが溜め息をついている理由も、それである。この中で、傀儡の劇に登場するのは俺とアイ=ファのみであるのだった。
そうしてリコたちが舞台である大きな台座を持ち出すと、広場のあちこちでくつろいでいた人々が物見高そうに集まってきた。荷車に施された派手なペイントで、旅芸人であることは察せられるのだろう。マルスは相棒の衛兵とともに少し距離を取り、リコたちの動向をうかがっていた。
「あたしもひさびさだから、楽しみだなー。みんな本物そっくりの動きで、面白いんだよねー」
ララ=ルウも、すっかりご満悦の様子である。俺としても、自分が登場していなければ、同じような心地であったことだろう。
やがて準備が整うと、リコとベルトンが台座の前に立ち並んだ。
広場の人々は、すでに人垣を作っている。俺たちを含めて、50人以上は集まっているようだった。
「わたくしどもは旅芸人、リコとベルトンと申します。拙き芸ではございますが、皆々様にお楽しみいただけたら何よりの幸いでございます」
何人かの人たちが、囃すような声をあげたり拍手をしたりした。
見たところ、宿場町の領民がほとんどであるようだ。商売や復活祭のために逗留している人々は、やはり商店や露店の居並ぶ主街道のほうに集まるものであるのだろう。
そして、宿場町の領民であるならば、リコたちの存在はひそかに知れ渡っている。人々の顔には期待と好奇心があふれかえっており、森辺の民たる俺たちのほうにちらちらと視線を送ってくる人間も少なくはなかった。
リコとベルトンは深々とお辞儀をしてから、台座の裏に回り込む。
そうして、その声が響きわたった。
「森辺のかまど番アスタ。第一幕、スン家の章。……始めさせていただきます」
人々の歓声や拍手が、一気に高まった。
それがあるていど静まってから、リコは朗々と語り始める。
「とある年の、黄の月のことです。暗い暗い森の中で、その若者は目を覚ましました」
およそ半月ぶりに聞く、リコのナレーションである。
大声を張り上げているようには思えないのに、耳の奥まですうっと入ってくるような、とても澄みわたった声音だ。
俺は羞恥心を頭の片隅に追いやって、その心地好い声音にひたることにした。
舞台に俺の傀儡が現れて、人々にどよめきをあげさせる。
宿場町の民であれば、その多くが俺の姿を見知っていることだろう。ただし、この白装束を見知っている人間は、アイ=ファしかいない。
ギバやアイ=ファの傀儡が現れると、またどよめきが巻き起こる。
横目でアイ=ファをうかがうと、我が最愛なる家長は鋼の精神力を発揮して、凛々しい無表情を保持していた。
アルダスやメイトンは、感心しきった様子で目を丸くしている。
ラッド=リッドやユン=スドラたちは、満面の笑みだ。
そして――バランのおやっさんは、思いも寄らぬほどに厳しい眼差しをしていた。
そうして話が進むにつれ、人々はどんどん物語に引き込まれているようだった。
確かに以前に見たときよりも、いっそうリコたちの腕は上がっているように感じられる。傀儡たちの動きが実にスムーズで、リコの台詞回しとのタイミングもばっちりであるように感じられるのだ。
俺が宿場町で商売を始めて、ギバ料理があっという間に売り切れてしまったというくだりでは、あちこちから笑い声があがった。
「南と東の民が集まって、ギバ料理を取り合う騒ぎになってしまったって……もしかしたら、俺たちのことかよ?」
メイトンが、いくぶん興奮した様子で声をもらす。
それはまぎれもなく、建築屋と《銀の壺》のエピソードであった。
そしてテイ=スンが登場すると、今度はこれまでと異なるざわめきが満ちた。
テイ=スンの無残な末路に関しては、宿場町でも語り草であったし、実際に目にした人間も少なくはないのだ。
だが、テイ=スンの最期が語られるのは、次の幕である。
その代わりに、人々は家長会議の騒動によって心を震わせることになった。
こればかりは、よほど森辺の民と交流のある人間でない限り、知り得ることはないのだ。
いや――ディガやドッドが俺たちを害そうとした話や、ヤミル=レイが俺に婿入りを願った話などは、ユーミやドーラのおやっさんでさえ知り得ない事実であった。
人々が固唾を飲んで見守る中、ダン=ルティムの活躍によって俺とアイ=ファは救われる。
スン家の罪が暴かれて、森辺に新たな三族長が生まれて、森辺の民は正しく生きていこうと誓う――そこで、最初の幕は終了であった。
「……以上を持ちまして、森辺のかまど番アスタ、第一幕は読み終わりでございます」
そんな言葉とともに、リコが台座の裏から姿を現すと、とたんに怒号のような声が巻き起こった。
それは激しいブーイングであるように感じられたので、俺はたいそう肝を冷やしてしまったのだが――どうやらそれは、次の幕をせがむ声であるようだった。
「申し訳ありません。傀儡の衣装を着替えさせなければなりませんため、少々お待ちくださいませ」
リコは怯んだ様子もなく、笑顔でそのように応じていた。
もしかしたら、こういった反応も体験済みであったのだろうか。そうでなければ、さしものリコとて平静ではいられないような気がした。
ともあれ、傀儡のお召し替えタイムである。
その間、人々は思い思いに感想をぶつけ合っており、俺の周囲でもそれは例外ではなかった。
「いやあ、たまげた! すっかり見入っちまったよ! なあ、アスタ、こいつは全部、本当にあった出来事なのかい?」
「ああ、はい。ところどころ脚色はありますが、かなり事実に則した内容だと思います」
「……それではお前は、森辺の内でも害されそうになったということか」
と、バランのおやっさんが怖い顔を寄せてくる。
「で、途中で語られた南の民というのが俺たちのことなら、それは俺たちと出会った後の話だということだな?」
「は、はい。みなさんにはご心配をおかけしたくなかったので、これまで打ち明けずにいたのですが……気分を害されてしまいましたか?」
「ふん! 余所者の俺たちに、そのような話を打ち明ける筋合いはあるまいな!」
バランのおやっさんはたいそう不機嫌そうに、そっぽを向いてしまう。
俺がおろおろしていると、横からアルダスが笑いかけてきた。
「おやっさんは怒ってるんじゃなくて、アスタがそんな目にあったってことが許せないんだろうよ。俺だって、アスタがこうして無事でいる姿を見ているのに、腸が煮えくりかえりそうだったからな」
そう言って、アルダスは無人の舞台へと視線を巡らせた。
「それにしても、立派な劇だな。アスタもアイ=ファもドンダ=ルウも、まるで本人そのものじゃないか」
「はい。リコもベルトンも、本当に立派な傀儡使いだと思います」
そうしてじきに、リコから第二幕の開演が告げられた。
人々は、熱のこもった歓声をあげている。いまや広場にいた人間のすべてがこちらに集まっており、たまたま通りかかった人々なども加わって、人数も倍ぐらいにふくれあがっているように感じられた。
「森辺のかまど番アスタ。二幕目、トゥラン伯爵家の章。始めさせていただきます」
宿場町の人々にとっては、ここからが本番という気持ちであるのだろう。
商団を装ったカミュア=ヨシュの一団が襲撃され、ザッツ=スンだけが捕らえられる。その口から放たれた恨みの言葉も、多くの人々が耳にしているのだ。
その次には、テイ=スンが屋台で働く俺を襲い、森辺の狩人の刃に倒れる。
その光景も、多くの人々が目にしていた。
しかし――テイ=スンの最期の言葉を耳にしたのは、俺とアイ=ファだけだ。
『……ようやく最後の仕事を果たせました……』
リコの声によってその言葉が語られたとき、広場はかつての森辺と同じように、静まりかえっていた。
ザッツ=スンが乗り移ったかのように呪いの言葉を撒き散らしていたテイ=スンが、今際のきわでは穏やかな面持ちでそのように語っていたことを、人々は初めて知り得たのである。
それでスン家の罪が軽くなるわけではない。
しかし、スン家の人々も生まれついての悪人ではなく、それぞれの生を生きた末に、罪に手を染めることになったのだということが――これで、伝わったのだろうか。
人々がどのように考えたのか、俺にはわからない。
だけど、テイ=スンの最期の言葉を伝えることはできた。それだけで、俺はリコたちに感謝の言葉を伝えたいぐらいだった。
(やっぱり自分のいる場所で見られるのは気恥ずかしいって気持ちがぬぐえないけど……でもこれは、多くの人たちに伝えるべきなんだ)
そうして傀儡の劇は、クライマックスまで走り抜けていった。
リフレイアが巻き起こした誘拐騒ぎに、トゥラン伯爵家の罪が暴かれた城下町の会合、そして和解の晩餐会である。
晩餐会の後、リフレイアがサイクレウスに食事を食べさせて、森辺の民は森辺に帰る。それで、物語は終結した。
「……これにて、『森辺のかまど番アスタ』の物語は読み終わりでございます」
さきほどとは倍する勢いで、歓声と拍手が爆発した。
もちろん今度は、非難まじりの声ではない。誰もが感服しきった面持ちで手を打ち鳴らしていた。
リコとベルトンは一礼してから、いそいそと草籠を取り上げる。
そうしてふたりが人々の前に歩を進めると、あちこちから赤いきらめきが投じられた。そのほとんどはもっとも小さな割り銭であるようだったが、赤銅貨2枚分などは一瞬で回収できたようだった。
「いや、見事だった! ひとつの劇としても、上等の部類だな!」
財布代わりの布袋をあさりながら、アルダスはそう言った。
「だけどやっぱり、身近な人間が出てるもんだから、たまらない面白さだったよ! アスタたちは俺らの知らないところでも、こんな騒ぎに巻き込まれてたんだなあ」
「はい。でも、そのおかげで今の俺たちがあるのだと思います」
笑顔で応じてから、俺はアイ=ファを振り返った。
「なあ、町で劇を見た人間の流儀として、俺も銅貨を払っていいかな?」
「うむ。ついでに私の分も出しておけ」
アイ=ファは無表情であったが、その頬はちょっぴりだけ赤らんでいた。
この物語は、「アスタは誰よりも大切なアイ=ファとともに、森辺の集落へと帰りました」という言葉で締めくくられるのだ。公衆の面前でそのように語られては、いくばくかの羞恥心を喚起されても致し方のないことであろう。
だけど俺は、羞恥心を上回る満足感を得ることができていた。
テイ=スンばかりではない。ザッツ=スンやサイクレウスにとっても、その家族たちにとっても、これは世の人々に知ってもらうべき話であったのだ。
(ユーミやターラやドーラの親父さんや、ミラノ=マスやテリア=マスや、ラダジッドたち《銀の壺》の人たちや……とにかくみんなに、見てほしいな)
俺がそんな風に考えたとき、「おい」と腕をつかまれた。
振り返ると、おやっさんが仏頂面で俺をにらんでいる。
仏頂面だが、その緑色の瞳には、さまざまな感情が渦巻いているようだった。
「いまの劇の内容は、すべて真実であるのだな?」
「はい。さっきも言った通り、若干の脚色はありますが、基本的には事実に基づいています」
「そうか」と低くつぶやきながら、おやっさんは俺の腕から手を離した。
「お前たちは、本当に……さまざまな苦労を乗り越えた上で、いまの生活をつかみ取ったのだな」
「はい。森辺の民だけではなく、ジェノスの人たちやおやっさんたちのような人たちに支えられて、ここまで来ることができました」
「……それだけの苦労をしてつかんだ生活であるのだ。何が何でも、決して手放すのではないぞ?」
と、おやっさんは目もとだけで微笑んでくれた。
まるで、アイ=ファのような仕草である。
しかし、よく見ると皺の多いその目もとから感じられるのは、アイ=ファとはまた異なる優しさとやわらかさであり――まるで、成長した我が子を見守る父親のごとき眼差しであった。
俺はまぶたの裏が急速に熱くなるのを感じながら、「はい」と笑顔を返してみせた。