紫の月の十九日②~歓談~
2019.10/8 更新分 1/1
バランのおやっさんが青空食堂のほうに立ち去ると、それと入れ替えでレイ=マトゥアが屋台のほうに飛んできた。
「アスタ! ついに建築屋の方々がいらっしゃったのですね! 屋台のほうはわたしが代わりますので、どうぞ食堂のほうに行ってあげてください!」
「うん、ありがとう。でも、食堂のほうも賑わってるだろうし、そうそう立ち話はしていられないんじゃないのかな?」
「そうですね。だけど、バランの家族たちがギバ料理に満足できたかどうかは見届けることができるのではないですか?」
この短時間で、レイ=マトゥアはすべての状況を把握できているようだった。さすがは屋台のメンバーで屈指のコミュニケーション能力を有するレイ=マトゥアである。
「わかった。お気遣いありがとうね、レイ=マトゥア。それじゃあ、後はよろしくお願いします、フェイ=ベイム」
「ええ、お任せください」
そうして俺が屋台を離れようとすると、アイ=ファはじっとりとした目で俺を見やってきた。屋台の料理が売り切れてから青空食堂に向かう場合はアイ=ファも同行するのが常であったが、そうでなければ護衛役の配置を動かす理由が生じないのである。
すると、レイ=マトゥアがアイ=ファのほうに向きなおって、にっこりと微笑みかけた。
「アイ=ファもあの方々とは浅からぬ縁があるのでしょう? フォウの男衆にそう告げておいたので、アイ=ファがあちらに出向けば、お役目を交代してくれる手はずになっています」
アイ=ファはいくぶんぎょっとしたように身を引いてから、「そうか」と頬を赤らめた。
「それは心から、ありがたく思うが……お前はずいぶんと気が回るのだな、マトゥアの女衆よ」
「いえいえ、とんでもありません」と笑顔で応じながら、レイ=マトゥアはフェイ=ベイムのかたわらに陣取った。
青空食堂へと向かいながら、アイ=ファはこっそり俺に耳打ちをしてくる。
「なんというか……あの女衆は目ざとすぎて、内心を読み取られているかのような心地になってしまうな」
「内心って? アイ=ファができるだけ俺のそばにいてくれようとしていることか?」
赤い顔をしたアイ=ファに、後頭部を引っぱたかれることになった。
しかし、建築屋の面々と再会できた喜びの前には、何ほどのものでもない。というか、俺も浮かれているものだから、ついつい軽口を叩いてしまったのかもしれなかった。
そうして青空食堂に向かう道中で、俺たちはレイナ=ルウと合流することになった。そちらでも、気をきかせたルティムの女衆がレイナ=ルウに交代を申し出ていたのである。
「おお、アスタ! 仕事の最中に、わざわざ抜け出してきてくれたのか?」
俺たちの姿に気づいたアルダスが、陽気に声をあげてくる。30名オーバーの団体様であったが、なんとか全員が座席にありつけた様子である。ラダジッドたち《銀の壺》の面々は、端のほうでひっそりとギバ料理を食していた。
「はい。こちらでは皿洗いの仕事を受け持つことになりますが、気をきかせた同胞が交代してくれたのです」
「そうかそうか! まあ、俺たちのことは気にせずに仕事を続けてくれ! ただし、仕事の後にはたっぷり語らってほしいところだけどな!」
アルダスは、さきほどよりもずいぶん昂揚しているようだった。他の人々も、たいそうな賑わいようである。
「ひさびさのギバ料理を口にしたら、ジェノスにやってきたっていう実感がわいてきたよ! たった半年しか経ってないのに、ますます美味くなったような気がしちまうなあ」
「そんな風に言っていただけたら、光栄です。どうぞごゆっくりお楽しみください」
アルダスの笑顔に心を満たされながら、俺たちは手分けをして他の卓を回ることにした。皿洗いのほうは人手が足りているようなので、俺たちの役割は空いた皿の回収である。
そうして歩を進めていくと、おやっさんの仏頂面が目に入った。
食事のさなかにずいぶん難しげなお顔だな、と思ってそちらに近づいていくと、何やら元気な娘さんの声が耳に飛び込んできた。
「ねー、いいかげんに認めちゃったらー? まさか、この料理に不満があるわけじゃないんでしょー? これでも文句があるってんなら、どこが不満なのかを聞かせてもらいたいもんだよ!」
それは、おやっさんと同じ卓を囲んでいる少女の声であった。
小柄だが、実にころころとした丸っこい体格をしている。目も口も鼻も大きくて、なかなか愛嬌のある面立ちだ。ただ、その顔には何やら皮肉っぽい笑みがたたえられていた。
その視線の先にあるのは、いかにも南の民らしい風貌をした若者である。口の周りに褐色の髭をたくわえているが、壮年の男性ほどのボリュームはない。その顔には、子供がむくれているような表情がたたえられていた。
「……おやっさん、ギバ料理は如何でしたか?」
何とはなしに不穏な雰囲気であったので、俺はあえて明るく声をかけてみた。
こちらに向きなおったおやっさんは、「ああ」とますます眉をひそめる。
「ギバ料理は、申し分ない出来だ。騒がしくしてしまって、悪かったな」
「いえいえ。これぐらいの賑やかさは、いつものことです。何か問題でもあったのですか?」
「問題など、ありはしない。こいつらが勝手に騒いでいるだけだ」
すると、おやっさんのかたわらに座していた年配の女性が「あらまあ」とにこやかに目を細めた。
「もしかしたら、あなたがファの家のアスタという御方で? あたしらは、このバランの家族でございますよ」
「ああ、そうだったのですね。お目にかかれて嬉しく思います。バランのおやっさんには、大変お世話になっています」
それは、実に気さくで大らかそうな雰囲気の女性であった。ジャガルの年配の女性を目にするのは初めてのことであったが、男性陣と同じように、小柄で、骨格ががっしりとしており、くせのある褐色の髪をしている。さきほどの娘さんもそうであったが、目や鼻や口が大きいのも、男女共通の特徴であるようだった。
(でも、ディアルやラービスなんかは、ちょっと毛色が違うんだよな。西の民もそうだけど、同じ王国だからってひとくくりにはできないわけか)
しかしまた、その場に集まったのはおおよそがネルウィアという土地の生まれであるのだろう。みんな容貌は似通っていたし、せいぜい瞳が緑色をしているか茶色をしているかぐらいの差しか見て取ることはできなかった。
「そっちの騒いでるのはあたしらの末娘で、そっちでむくれてるのは長男なんですよお。もういい年だってのに、子供の面が抜けなくってねえ」
「兄さんはともかく、あたしはまだ16だよ? ま、兄さんほど子供じみてはいないと思うけどね!」
そんな風に言いたててから、末娘たる少女は俺のほうをじろじろと見やってきた。警戒心と好奇心の入り混じった眼差しである。
その間に、おやっさんの伴侶が他の家族を紹介してくれた。長男の嫁と、次男である。長男の嫁は他の人々に比べるとやや細身であり、次男は不愛想な面持ちがおやっさんによく似ているように感じられた。
「この上の子は、ギバ料理なんて大したことはないって息巻いてたもんでねえ。それでこんな立派な料理を食べさせられたもんだから、なんも言えなくなっちまったんですよお」
そう言って、おやっさんの伴侶はまた破顔した。
「本当にもう、どれもこれも美味しくって、あたしもびっくりしちまいましたよ。これじゃああたしらの料理なんかに満足できなかったのも当然だねえ」
「……だから、家で出された料理に文句などつけておらんだろうが?」
おやっさんは、がしがしと頭をかきむしった。
どうやら俺が心配するような状況ではなかったらしい。きっとこれも、感情を包み隠さない南の民の、団欒の風景であるのだろう。そのように考えると、俺はとたんに微笑ましい気持ちになってきてしまった。
「ところで、アスタよ。この料理は、いったい何なのだ?」
と、おやっさんが木皿を突き出してくる。
ほとんど空になりかけているその料理は、ルウ家で販売している『ミソ仕立てのモツ鍋』であった。
「ああ、そちらを口にされるのは初めてのはずですよね。それはデルスという御方から買いつけた、ミソという食材を使っている臓物料理です」
「……やはり、これがそうであったのか」
「はい。あの御方は、おやっさんの弟さんなのですよね?」
俺の言葉に、おやっさんはぐいっと身を乗り出してきた。
「あの大うつけは、何か迷惑をかけなかったか? 言葉を飾らずに、正直に言ってみろ」
「迷惑だなんて、とんでもない。こんな素晴らしい食材を手にできて、俺たちも大満足です。……デルスとは、お会いになっていないのですか?」
「あの大うつけと顔をあせたのは、この15年で1度きりだけだ」
木皿を卓に置いて、おやっさんは深々と溜め息をついた。
「家を飛び出したあの大うつけが、まさか食材の行商人などになろうとはな。それを森辺の民に売り込むつもりだなどと抜かしていたから、俺はたいそう気を揉むことになってしまったのだ」
「いきなりの話で最初は驚きましたけれど、すぐに打ち解けることができました。おそらくデルスも、そろそろジェノスにやってくる頃合いだと思いますよ」
「なに!? あの大うつけがやってくるのか!?」
「はい。ジェノスに商品を納める期日が、ちょうど紫の月の終わりだったのです。それで、せっかくならジェノスで復活祭を楽しもうということで、『暁の日』の前には参じるつもりだと仰っていましたよ」
「……ふん。あの大うつけが自慢たらしく笑うさまが、嫌でも目に浮かんでしまうな」
それはつまり、ミソの料理にご満足いただけた、ということなのだろう。
そこにちょうどレイナ=ルウが通りかかったので、俺は呼び止めることにした。
「そちらは、ルウ家の屋台の料理ですよね。レイナ=ルウ、よかったらご挨拶をどうだい?」
「ああ、バラン。そちらの料理は、ご満足いただけましたか?」
空の木皿を抱えたレイナ=ルウが、お行儀のいい笑みを振りまく。
すると、無言で料理をかきこんでいた長男が、「んぐ」とおかしな声をあげた。
「な、なんだ? あんたも、森辺の民なのか?」
「はい。ルウ本家の次姉で、レイナ=ルウと申します」
レイナ=ルウは案外、初対面の人間に対して距離を取る一面がある。それでもにこにこと笑顔を絶やさないのは、森辺には珍しい営業用スマイルの使い手であるためなのだ。
が、レイナ=ルウが愛くるしい妙齢の娘さんであるという事実に変わりはない。結果、長男はぽかんと口を開けることになった。
「いやあ、たまげたなあ……東の民みたいな肌の色はともかく、すいぶんな別嬪じゃねえか」
「そうですね」と答えたのは、そのかたわらの伴侶であった。
その顔にはとてもにこやかな微笑がたたえられていたが、長男はぎくりとした様子で振り返る。
「あ、いや、違うって。そういう意味で言ったんじゃねえんだよ」
「そういう意味とは、どういう意味でしょう?」
にこにこと微笑むその顔は、部外者たる俺から見ても、ちょっと怖かった。
かくも罪つくりなレイナ=ルウの美貌である。
「そ、それではいったん失礼いたします。またのちほど、ゆっくり語らせてください」
俺はきょとんとしているレイナ=ルウをうながして、その場から辞することにした。
少し離れた場所で護衛役の仕事に励んでいたアイ=ファが、さりげなく近づいてくる。
「あれがバランの家族であるのだな。バランの家族に相応しい、明るくて正直な者たちであるようだ」
「そうだな。俺もなんだか、感慨深いよ」
ともあれ、現在は仕事のさなかである。
あちこちの卓に散っている他のメンバーやご家族とも挨拶を交わしつつ、俺は空になった皿を回収していった。
そして、ラダジッドたちが腰を上げるのが見えたので、そちらにも足を向ける。
「お帰りですか? またお会いできるときを楽しみにしています」
「はい。明日、また、必ず訪れます」
そのように言ってから、ラダジッドはおやっさんたちのほうに視線を飛ばした。
「あの者たち、ジャガル、建築屋ですか?」
「あ、そうですそうです。ラダジッドたちも、何度か屋台の前でお会いしていましたよね。もう1年半ぐらいも前のことですけれど」
「はい。あの頃、ご迷惑、かけました」
ご迷惑とは、《銀の壺》と建築屋でギバ料理の取り合いになりかけて、衛兵を呼ばれてしまった騒ぎのことを指しているのだろう。
そんな騒ぎも、俺にとっては大事な思い出の一場面であった。
「懐かしいですね。あの頃は、みなさんとここまで絆を深めることができるだなんて、想像もしていませんでした」
「はい。神々、導きでしょう」
とても穏やかな眼差しで、ラダジッドはそう言った。
「我々、南の民、友、なれぬ身ですが、おたがい、森辺の民、友として、正しい関係、紡ぎたい、願っています」
「はい。俺にとっては、どちらもかけがえのない存在です」
ラダジッドは一礼し、3名の同胞とともに立ち去っていった。
《銀の壺》と建築屋を同時に迎えることになり、俺としては幸福でたまらない心地である。
しかもこれで、太陽神の復活祭はまだ始まってすらいないのだ。この先にはどれほどの賑やかさが待ち受けているのか、俺の心は弾むいっぽうであった。
◇
そうして一刻ほどの時間が過ぎ、ようやく終業の刻限である。
すべての料理を無事に売り尽くした俺たちは、帰宅の準備に取りかかった。
「それで、アスタたちはあの南の民らと絆を深めようというのだな?」
ラッド=リッドの問いかけに、俺は「はい」とうなずいてみせる。
「あちらからお誘いをいただいたので、少し宿場町に居残ることにしました。それで、できればアイ=ファともうひとり、狩人のどなたかに同行をお願いしたいのですが」
「ならば、俺が居残ろう!」
「え? 空腹のほうは、大丈夫なのですか?」
「アスタの準備してくれたかれーのおかげで、ひとまずは落ち着いたからな! それに、美味そうな匂いを嗅がされなければ、どうということもない!」
ということで、護衛役はアイ=ファおよびラッド=リッドということに相成った。
居残るのは荷車1台分の6名と決めていたので、残りは4名である。それに選出されたのは、俺、ララ=ルウ、ユン=スドラ、レイ=マトゥアという顔ぶれであった。
よほどの新参でない限り、屋台のメンバーは全員が送別の祝宴に参加している。その中でも、とりわけ社交性の豊かな顔ぶれが名乗りをあげてくれたのだった。
「それじゃあ、下ごしらえの仕事はよろしくね。フォウの人たちが取り仕切ってくれているから、何も心配はいらないと思うけどさ」
「はい、おまかせください」
トゥール=ディンは、はにかむように微笑んでいた。菓子の下ごしらえは当日の午前中のみで十分であるということで、この時間はこれまで通り、こちらの下ごしらえを手伝ってくれているのだ。
「アスタの留守を任されるというのは、とても誇らしいことです。どうぞごゆっくりしてきてください」
「うん、ありがとう。マルフィラ=ナハムも、トゥール=ディンの補佐をよろしくね」
「は、は、はい。ご、ご迷惑をかけてしまわないように、力を尽くします」
ユン=スドラとレイ=マトゥアが抜けても、これほどに心強いメンバーが控えているのだ。つくづく充実したものだなあと、俺は感慨を噛みしめることになった。
そうして屋台を返すために《キミュスの尻尾亭》まで出向いてみると、おやっさんたちの姿があった。適当な場所が思いつかなかったので、ここを待ち合わせ場所とさせてもらったのだ。
「よお、そっちもずいぶん早かったな。まだ二の刻になったぐらいなんじゃないのか?」
そのように呼びかけてくるアルダスに、俺は「はい」と笑い返してみせる。
「おかげさまで、定刻を待たずに料理を売り切ることができました。料理はかなり多めに準備してきているのですけれどね」
「そりゃあ、あれだけ美味い料理ならな! ただ、アスタたちの他にもぽつぽつギバ料理を売ってる屋台があるみたいだな」
「はい。他の宿屋の方々も、ついにギバ料理の屋台を出し始めたようですね。《南の大樹亭》のご主人も、『暁の日』から屋台を出すようですよ」
「ギバの肉ってのが、そこまで広まることになったんだなあ。アスタたちと初めて出会った頃には想像もできなかった騒ぎだ」
そんな言葉を交わしている間に、トゥール=ディンたちは屋台を返却し終えていた。
俺たちの荷車は、レイ=マトゥアが《キミュスの尻尾亭》に預けてくれたようだ。これで準備は万端である。
「それじゃあ、みんなにもよろしくね」
「はい。それでは、失礼いたします」
建築屋の面々にも一礼して、トゥール=ディンたちは森辺に帰っていった。
残されたのは俺たち6名と、建築屋の側が10名ほどである。
「さすがに全員を呼びつけたら収拾がつかなくなっちまうから、今日のところは俺とおやっさんの家族のお相手をお願いするよ」
そんな風に言ったのは、メイトンである。確かにおやっさんの家族は、全員が顔をそろえているようだ。残りの人々がメイトンの家族である、ということなのだろう。
「あれ? アルダスのご家族はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、俺は気軽なひとりもんでね。親は魂を返しちまったし、兄弟はネルウィアを出ていっちまったから、今回も家族は連れてないんだ」
壮年のアルダスに家族のひとりもいないというのは、意外な話であった。
しかし本人は陽気な笑顔のまま、「さて」と顎髭をまさぐっている。
「立ち話ってのも何だよな。ここの宿屋で茶をいただくって手もあるけど……森辺の民は、勝手に銅貨をつかえないって話だったよな」
「はい。後でそれぞれの家長に報告すれば、叱られることはないかと思いますが」
「俺たちも、べつだん咽喉が渇いてるわけじゃないからなあ。どこか気軽に腰を落ち着けられる場所はないもんかね?」
「あ、それでしたら、広場などはどうでしょう? 俺たちも町の人たちと交流を結ぶのに、よく使わせてもらっています」
「よし、決まりだな」
そうして俺たちは、『ヴァイラスの広場』を目指すことになった。
案内役として先頭を歩きながら、俺はおやっさんに笑いかけてみせる。
「そういえば、お仕事の話はどうなりました? ナウディスがお伝えすることになっていたと思うのですが」
「ああ。トゥランとかいう領地で大きな仕事があるという話だったな。そんな領地は、名前しか知らんのだが」
「トゥランは城下町の北側にある領地ですね。俺も出向いたことはないのですけれど……ずいぶんと古い家が多いんだろう、アイ=ファ?」
鋭い視線を左右に配りながら、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。
「古い家も、空き家も多かった。人の住まぬ家は傷むのも早いので、あの地震いでは数多くの空き家が倒壊したのではないだろうか」
「そんな空き家を、わざわざ俺たちに建て直させようという話であるのか?」
「ええ。実はトゥランで、新たな領民を募ることになったようですよ。ここしばらく、宿場町でも毎日その告知がされているようです」
トゥランで働く北の民たちをジャガルに移住させ、その代わりに領民を募ってフワノやママリアの畑を任せるという、ジェノスにとってはきわめて大きな事業である。
俺がそれを説明すると、おやっさんは「なるほど」と鼻息を噴いた。
「とうてい半月で終わるような仕事ではないから、まずは全体の見積もりを出して、後は可能な限りの補修と立て直しを任せたい、という話であったのだ。予想以上に大がかりな仕事であるようだな」
「そうですね。おやっさんたちは、1日置きに仕事をされる計画であったのですか? ナウディスから、そのように聞いていたのですが」
「うむ。銅貨も稼がずに遊び惚けていたら、すぐに干上がってしまうからな」
ジェノスに逗留するのは半月でも、旅程で往復ひと月はかかるのだ。ひと月半も収入なしというのは、それは厳しい話であるのだろう。
(でも、そんな苦労をしてまで、わざわざジェノスにまでやってきてくれたんだな)
そんな風に考えると、また胸がいっぱいになってしまった。
油断をすると涙をこぼして、またアイ=ファに小突かれてしまいそうである。俺はなんとか気持ちを明るい方向に振りきって、広場までの道中を過ごすことになった。
広場に到着したのちは、あらためて自己紹介である。
こちらは全員が送別の祝宴に参席したメンバーであったし、なおかつ、アイ=ファ以外はきわめて社交的な顔ぶれだ。メイトンの家族の中にはいくぶん心配そうな顔をしている方々もおられたが、ララ=ルウとユン=スドラとレイ=マトゥアに笑顔を向けられると、ずいぶん気持ちも和んだようだった。
「バランもアルダスもメイトンも、ちょうどルウ家の晩餐に招いたお人らなんだよね! ジバ婆がまた家に来てほしいって言ってるんだけど、了承してもらえる?」
ララ=ルウの言葉に「もちろん」と答えたのはアルダスであった。
ジバ婆さんの名を聞くと、メイトンなどはそれだけで涙ぐんでしまっている。彼はもともと涙もろいようであるし、ルウ家の晩餐でジバ婆さんと深く語らった経験があったので、やはり心を揺さぶられてしまうのだろう。
(黒き森を燃やしたのは、森辺の民を疎んじるジャガルの兵士たちだった……なんて、生半可な覚悟では告白できなかっただろうしな)
自己紹介を終えた俺たちは、広場に設置された石段に腰を下ろして、おのおの交流に励むことにした。
きっちり席を分けたわけではないが、俺のそばにいるのはおやっさんのご家族とアルダス、それにアイ=ファとユン=スドラである。しばらく言葉を交わしていると、バラン家の末娘がじとっとした目でアイ=ファとユン=スドラの姿を見比べた。
「ねえ、あなたは狩人なんだよね?」
アイ=ファは普段通りの凛々しい面持ちで、「うむ」とうなずいた。
末娘は「ふーん」とますます難しげな顔をする。
「あなた、男みたいに強そうなのに、すごく綺麗な顔をしてるよね。そっちのあなたも、すごく可愛らしいし……ていうか、森辺の女の人たちって美人ぞろいじゃない?」
相手が同性であると、容姿を褒めそやされても文句はつけられない。そうしてアイ=ファが返答に窮すると、ユン=スドラが好奇心に満ちた面持ちで身を乗り出した。
「過分なお言葉、ありがとうございます。でも、ジャガルの方々というのはシムを嫌っておられるのでしょう? わたしたちはこのように浅黒い肌をしていますが、それでも美しいと言っていただけるのでしょうか?」
「東の民なんて、あたしは今日初めて目にしたぐらいだからね。そうでなくっても、美人は美人でしょ?」
「そうなのですか。たとえば東の民などは、西の民よりも細身の女衆を美しいと感じるのだと聞きます。ですから、住む場所によって美醜の基準は変わるのかな、と考えていたのですが……そうではないのでしょうか?」
「難しいことはわかんないけど、あなたたちは美人だよ。だからうちの兄さんも、色目を使おうとしたんだろうしね」
「お、おい、やめろよ。誰も色目なんて使ってねえだろ?」
慌てる長男のかたわらで、その伴侶はにこにこと微笑んでいる。幸い、さっきほど怖いオーラの漂う笑顔ではなかった。
「ネルウィアの人間は、西の民と顔をあわせることが多いんだよ。俺たちみたいにジェノスまで足をのばす人間はもちろん、ネルウィアから一歩も出なくても、西の生まれの行商人ってやつがしょっちゅうやってくるからな」
そのように発言したのは、アルダスであった。
「そのせいか、若い人間には細身の身体に憧れるやつが増えてきたみたいだね。東の民みたいにひょろひょろなやつじゃなくって、あくまで西の民ぐらいの体型にさ」
「そうなのですか。でも、行商人というのはおおよそ男衆であるのでしょう? 西の生まれの女衆を目にする機会はあまりないのではないですか?」
「うん、まあ、行商人ってのは男ばっかりだけど……中には、女も混じってるんだよ」
アルダスは言葉を濁し、その脇腹をおやっさんが小突いた。おやっさんの伴侶は苦笑を浮かべており、長男の伴侶は取りすました笑顔だ。
それらの様子から鑑みるに――もしかしたら、ネルウィアにおいては西の生まれの娼婦といったものがもてはやされているのかな、と俺は推察した。
(だとしたら、こんな純朴な眼差しをしたユン=スドラには、なかなか話しにくいだろうしなあ)
俺はそういった女性たちがジェノスの宿場町にもたくさん存在するのだということを、ユーミから伝え聞いていた。そういえば先日の《銀の壺》を迎えた祝宴でも、そんな話が取り沙汰された覚えがある。
まあ、そんな話は置いておくとして、バラン家の末娘が森辺の女衆の美しさに何らかの感情をかきたてられていることは確かであるようだった。
これはどうしたものだろうと考えていると、ユン=スドラが末娘に微笑みかけた。
「だけどわたしは、あなたのような女衆を好ましく思います。あなたと少し似たところのある女衆を見知っているためなのかもしれません」
「ふーん? 森辺にも、あたしみたいにさえない娘がいるっての?」
「いえ。その女衆はとても魅力的で、好ましい存在です。アスタやアイ=ファも、そのように思いませんか?」
俺はそれが誰を指しているのか、咄嗟にはわからなかった。
その間に、アイ=ファが「ああ」と声をあげる。
「もしかしたら、それはモルン=ルティムのことであろうか?」
「はい。彼女とモルン=ルティムは、少し似たところがあるでしょう?」
「うむ。屈託なく笑ったときなどは、いくぶん印象が重なるようだ」
残念ながら、俺はこの末娘が屈託なく笑う場面を、まだ目にしていなかった。俺と目があうとき、彼女はおおよそ仏頂面か皮肉っぽい笑顔であったのだ。よって、モルン=ルティムに似ているなどとは、微塵も思わなかった。
「あなたの笑顔は、とても魅力的です。わたしはそれを、美しいと感じます」
「やめてよー」と、末娘は顔を赤くした。
そうすると、また印象がずいぶん違ってくる。彼女は森辺の民に負けないぐらい情感が豊かな、ジャガルの民であるのだった。
(俺も早く、この娘さんの無邪気な笑顔を見てみたいもんだな。半月あれば、いくらでも機会は巡ってくるだろう)
そんな感じに、俺たちはゆっくりと絆を育んでいくことになったのだった。