風の神の子ら(中)
2019.10/5 更新分 1/1
《銀の壺》における新しい生活は、決してラダジッドの期待を裏切らなかった。
もう20年近くも異国を巡っているというアヴェラルは、実にさまざまな景色をラダジッドに見せてくれたのだ。
まずアヴェラルは、西の王国の王都アルグラッドにまで出入りできる通行証を携えていた。
東の民の行商人でも、そのような人間はごくわずかであっただろう。何せ西の王都というのは、ジギの草原から片道で3ヶ月もかかる地であるのだ。旅を愛する草原の民であっても、そこまで労力をかけようという人間は少ないはずだった。
「しかし、そうだからこそ、商いの道、開けていました。未踏の地、実り、多いものです」
アヴェラルは、そのように語っていた。
しかもアヴェラルが王都で売りさばいているのは、こともあろうにセルヴァの敵対国であるマヒュドラの恵みであった。敵対国であるゆえに、王都ではマヒュドラの恵みを手にする機会が少ないのである。それを仲介できるのは、やはり両国と友好国であるシムの人間だけである、ということなのだろう。
「ですが、それならば、北方の道、使うべきではないでしょうか? 南方の道、マヒュドラ、遠回りです」
ある日ラダジッドは、そんな風に問うてみた。《銀の壺》の一員となったため、日常の会話は西の言葉である。
アヴェラルは、いつも通りの落ち着きはらった調子で答えてくれた。
「理由、ふたつあります。そのひとつ、北方の道、危険なためです。そちら、ゲルド領、辺境の道、通過することになります」
「はい。ゲルド、山賊、多いこと、知っています。もうひとつ、理由、何ですか?」
「もうひとつ、マヒュドラとの取り引き、充実させるためです。マヒュドラとゲルドの民、取り引き、多いため、乾酪、乳酒、燻製肉、銀、宝石、ありふれているのです」
確かにマヒュドラの民というのは、シムの中でもゲルドの民と強く絆を結んでいる。ゲルドにおいてもギャマの牧畜は為されているし、銀や宝石もそれなりに採掘されているはずだった。
よってアヴェラルは、南方の道からまずはセルヴァに出て、手持ちの商品を西の恵みと交換し、それを携えてマヒュドラにおもむく、という道筋を辿っていたのだった。
「南方の道、抜けて、最初の町、ジェノス、とても豊かです。そして、ジェノスからマヒュドラまで、多くの町、存在します。その道行きでも、セルヴァの恵み、手中にできます。セルヴァの恵み、マヒュドラにおいて、喜ばれます。よって、取り引き、充実します」
そこまでは、ラダジッドにも理解できた。そういう道を辿る行商人も、決して少なくはないようであるのだ。
ただし、それらの行商人はマヒュドラの恵みを携えてシムに戻るのが普通である。シムの王都ラオリムにまでマヒュドラの恵みを持ち帰れば、それだけで大きな富に換えることは容易いはずであった。
しかし《銀の壺》は、そこからさらに西の王都までを目指す。東の王都よりも西の王都のほうが、マヒュドラの恵みはより希少であると見込んでの英断であった。
実際に、《銀の壺》はそれで大きな富を得ている。西の王都で仕入れた商品はシムに帰る道すがらでおおかた売りさばけるし、何点かは東の王都にまで持ち帰ることになる。西の王都までおもむく行商人は少ないので、それは東の王都でもたいそう珍重されているのだった。
しかしまた、こうまで大がかりな商いをして、それを富に繋げるには、よほどの才覚が必要となるだろう。旅程が長ければ長いほど、経費はかさむものであるのだから、なおさらである。これで大きな富を生み出せていることが、すなわちアヴェラルの非凡さを示していた。
(しかしまあ……それ以上にアヴェラルは、旅を楽しんでいるのだろうな)
ラダジッドは、そのように確信していた。
草原の民に、旅を愛する人間は多い。その中でも、アヴェラルはひときわ旅を楽しんでいるように感じられた。
そしてその血は、息子のシュミラルにもしっかり引き継がれている。みだりに表情を崩すようなことはないものの、若いシュミラルはいつもその瞳に喜びの光をたたえているように感じられた。
雪に覆われたマヒュドラの山岳部や、深い森の中に開かれた辺境の道、西の王都の立派なたたずまい、雄大なる西竜海とそこに浮かぶ大小の船――1年半に1度しか目にすることのできないそれらの光景が、シュミラルに大きな喜びをもたらしているのだろう。
もちろんそれは、ラダジッドも他の団員も同じことであった。
特に1番の新参であるラダジッドなどは、初めて目にする光景も非常に多かったのだ。西の王都は言うに及ばず、3年間の独力では足を運ぶ機会のなかったさまざまな地に、ラダジッドは導かれることになった。
「ラダジッド、あれ、ご覧ください」
シュミラルがそんな風に呼びかけてきたのは、西の王都の公爵領たるダームの港町におもむいた際のことであった。
ダームは西竜海を通じて交易を発展させた、非常に豊かな港町である。シュミラルが指し示す方向を見て、ラダジッドはたいそう驚くことになった。
『あれは、マヒュドラの民……? いや、西の領土を北の民が闊歩できるわけもないか』
「ラダジッド、東の言葉、出ています。……あれ、渡来の民です」
それは、炎のように真っ赤な髪と赤銅色に焼けた肌を持つ、いかにも武骨な大男の一団であった。昼から果実酒の土瓶を傾けつつ、往来で大きな笑い声をあげている。
「渡来の民、知りません。異国人ですか?」
「はい。別称、竜神の民です。海の外、住まう者たちです」
ならばそれは、大陸アムスホルンの民ならぬ一族であるということであった。
「驚きました。ダーム、大陸の外とも、交易しているのですか」
「はい。数、少ないですが、昔から、交易しているようです。竜神の民、マヒュドラの恵み、運んでくるので、我々、商売敵です」
そんな風に語りながら、シュミラルはとても明るく瞳をきらめかせていた。
「彼ら、西竜海、北氷海、渡り歩いています。きっと、我々より、多くのもの、見ているのでしょう。……私、海辺、生まれていたなら、船乗り、なっていた、思います」
「ええ。きっと、そうなのでしょう」
こういうとき、ラダジッドは微笑みをこらえるのに苦労した。このシュミラルという少年は、どうにもラダジッドの情動をくすぐってやまない存在だったのである。
(これで商売の話になると、父親にも負けない切れ味を見せることがあるのだからな。まったく、行く末の楽しみなやつだ)
そうして《銀の壺》における日々は、さまざまな刺激を内包しつつ、穏やかに過ぎていった。
それから最初の変転が訪れたのは、ラダジッドが《銀の壺》の面々に出会ってから3年後――2度の旅程を完了させたのちのことだった。
なんとラダジッドに、婚儀の申し入れが為されたのである。
お相手は、ラダジッドの家と合同で牧畜の仕事を果たしている、遠縁の娘であった。年齢は、ラダジッドよりも3歳年少の19歳――当時のシュミラルと同じ年齢であった。
『私は商団の一員として、半年ごとに1年の旅に出なければならない身だ。そんな私と、添い遂げようというのか?』
返答は『はい』であった。
『確かに1年もお会いできないというのは、とても辛い話です。だけど、私は……この1年を耐えることができました。ならばこの先も、乗り越えられることでしょう』
そう言って、娘はわずかに頬を赤らめた。
つまり――ラダジッドが前回の旅程に加わる前から、見初めてくれていたということなのだろう。
そんな風に考えると、ラダジッドの胸にも温かいものが満ちていった。
そうしてラダジッドは、その娘と婚儀をあげることになった。
婚儀の祝宴には、もちろん《銀の壺》の全員を招待した。この日ばかりは、ジの藩に住まうアヴェラルたちにもご足労を願う他なかった。
『ラダジッド、おめでとう。心から、ふたりの婚儀を祝福する』
祝宴の場において、シュミラルはそのように言ってくれた。
その瞳には、いつも以上に明るい光がきらめいている。
『祝福の言葉、感謝する。……シュミラルに東の言葉を使われると、なんだか落ち着かぬな』
『うむ。東の領土でラダジッドと顔をあわせる機会は、ほとんどないからな』
そんな風に言いながら、シュミラルはギャマの骨でこしらえた横笛を差し出してきた。
『拙い作りだが、祝福の品を捧げたく思う。受け取ってもらえるだろうか?』
『うむ。しかし祝福の品ならば、さきほどもどっさりいただいたはずだが……』
『それは酒と飾り物であろう? それ以外にも何か、自分の手にかけたものを贈りたかったのだ』
シュミラルは、いまにも微笑をこぼしそうな面持ちであった。
シュミラルも19歳となり、立派な青年に成長した。手足にはしなやかな筋肉がつき、背丈もずいぶん高くなっている。線の細い面立ちはそのままであるが、もう少女めいたところなどは残されていない。
それでもシュミラルの純真な眼差しに変わるところはなかった。
ラダジッドもまた、微笑をこらえるために力を尽くさなければならなかった。
『ありがたくいただこう。シュミラルが婚儀をあげるときには、私も何か考えなければな』
ラダジッドの言葉に、シュミラルは少しだけ目を細めた。
いつもの嬉しそうなときに見せる仕草ではない。むしろ、どこか悲しげに見える仕草である。
『いまのとこと、私は婚儀をあげようという心持ちにはなれない。私などのもとに嫁いでも、ともに過ごせる時間はごく短いのだからな』
『それは、私も同じことだ。というよりも、《銀の壺》の全員がそうではないか』
『うむ。ラダジッドは得難い伴侶と巡りあえたということだ。ふたりの末永い幸福を、東方神に祈っている』
そのような言葉を残して、シュミラルは退いていった。
祝宴の場には大勢の人間が集まり、ギャマの丸焼きや宴料理を楽しんでいる。シュミラルの姿も、すぐにそれにまぎれてしまった。
(シュミラルは、まだ家族を失う悲しみにとらわれているのだろうか。そして今度はアヴェラルのように、自分の知らないところで家族が魂を返してしまうのではないかと……そんな恐れを抱いているのだろうか)
シュミラルが家族を失ってから、すでに6年以上の月日が流れていたが、心の傷を癒やすのにはどれぐらいの時間が必要であるのか。身近な家族を失ったことのないラダジッドには、わからなかった。
(まあ、何も焦ることはない。いずれはシュミラルにも、相応しい相手が現れることだろう。シュミラルには、あれほどの器量が備わっているのだからな)
そうして一抹の懸念をはらみつつ、その日は幸福なままに過ぎ去ることになった。
◇
それから、1年半の後のことである。
半年間の蜜月を過ごし、1年間の行商を終えたラダジッドは、再び大きな喜びを得ることになった。
ジの藩の同胞たちと別れてギの藩の我が家に帰り着くと、それを迎えてくれた伴侶の手に小さな我が子が抱かれていたのだった。
『あなたが家を出てすぐに、懐妊を知ることになりました。あなたが心置きなく仕事に励めるようにと、東方神が取りはからってくれたのかもしれませんね』
そんな風に語りながら、伴侶は幸福そうに瞳をきらめかせていた。
小さき我が子はまぶたを閉ざして、すやすやと寝入っている。信じ難いほどに小さくて、信じ難いほどに愛くるしい赤子であった。
『なんということだ……お前がもっとも大変なときに、なんの力にもなれなかったことを、どうか詫びさせてくれ』
ラダジッドは赤子を潰してしまわないように細心の注意を払いながら、ふたりまとめてその身体を抱きすくめてみせた。
ラダジッドの胸の中で、伴侶は幸福そうに目を閉じる。
『そんなあなたと添い遂げたいと願ったのは、私であるのです。どうか詫びるのではなく、この子の生誕を祝福してあげてください』
『もちろんだ。何度でも祝福してみせよう』
伴侶と我が子の温もりを全身に感じながら、ラダジッドはふっと考えた。
(アヴェラルは旅の間に家族を失い、私は旅の間に我が子を授かった。東方神シムよ、運命神ミザよ、どうかアヴェラルとシュミラルにも希望と幸福を……彼らはそれに価する存在であるはずだ)
しかし神々は、薄幸なる父子にさらなる試練を与えることになった。
ラダジッドがそれを知ったのは、家に帰りついてひと月後のことである。
その報をもたらしたのは、ジの藩に住まう《銀の壺》の団員であった。
『夜分に申し訳ない! ラダジッド、どうか出てきてもらいたい!』
ラダジッドの家は、草原の民の多くがそうであるように、革でこしらえた天幕であった。ギャマの牧畜を行うにはひとつところに留まることができないので、誰もが天幕に住まっているのである。
その天幕の入り口から響く声で目を覚ましたラダジッドは、伴侶と我が子が起きていないことを確かめてから、そっと寝床を後にした。
他の家族も、まだ目を覚ましていないようだ。寝所を出たラダジッドは広間を踏み越えて、天幕の入り口を開け放った。
『どうしたのだ? よほどの急用であるのだろうな?』
『うむ……団長が、魂を返されたのだ』
ラダジッドは、世界が音をたてて軋んだように感じた。
『何を……言っている? アヴェラルが、いったいどうしたと……』
『団長が、魂を返された。心臓の病魔だ』
ラダジッドは無意識のうちに、同胞たる男の肩をわしづかみにした。
『心臓の病魔だと? そんなわけがあるか! アヴェラルはついひと月前まで、あのように元気な姿を見せていたではないか!』
『しかし、真実であるのだ。私はギの藩の同胞にも伝えるべく、トトスを走らせてきた』
そう言って、男は厳しく口もとを引き締めた。
きっと懸命に、感情を押し殺しているのだろう。
しかしラダジッドには、そのように振る舞うゆとりも存在しなかった。
『私には、信じられん。いまからアヴェラルらの家に向かう』
『他の団員たちも、すでに向かっている。……家族に声をかけておくべきではないか?』
ラダジッドは家に引き返し、寝所で眠っていた母親にひと声告げてから、外套と炬火を手にトトスの天幕へと向かった。
団員の案内で、夜の草原にトトスを駆り出す。
幸いなことに、現在のラダジッドの家は、ジの藩に近い場所に天幕を張っていた。
しかしそれでも、草原は広い。隣の藩まで出向くには、ほとんど1日がかりである。ラダジッドは途中で眠る気にもなれず、団員の男が携えていたギャマの腸詰肉をかじり、ひたすらトトスを駆けさせることになった。
そうしてアヴェラルらの家に到着したのは、翌日の夕暮れ刻である。
太陽は、すでに西の果てに沈みかけている。紫がかった薄暮の中、天幕の内に呼びかけると、また別の団員が姿を現した。
『ラダジッドも着いたか。これで全員そろった。……シュミラルたちは、すでに弔いの準備を始めている』
ここまで案内をしてくれた団員も、ラダジッドの家までは1日がかりであったのだろうから、アヴェラルが魂を返してからすでに2日が経過してしまっているのだ。
悪夢の中をさまよっているような心地で、ラダジッドは弔いの場に向かうことになった。
ジの藩の弔いの場は、草原に点在する砂地であった。
薄闇の中に、3つの人影がたたずんでいる。
強い風が、それらの者たちの髪や外套をなぶっていた。
『シュミラル!』と、ラダジッドはそちらに駆け寄っていった。
白銀の髪をした青年が、ゆっくりとラダジッドを振り返る。
『ラダジッドも来てくれたのだな。どうかともに、父アヴェラルを弔ってほしい』
『アヴェラルは、本当に……』
うめきながら、ラダジッドはシュミラルたちの足もとに掘られた穴へと視線を落とした。
深く掘られた穴の底に、アヴェラルの身体が横たえられている。
その身体には綺麗に干し草が掛けられていたが、首から上だけはあらわにされていた。
とても安らかな表情である。
まるで眠っているかのようだった。
『アヴェラル……アヴェラルが、何故……』
『3日前に、父はいきなり苦しみ始めたのだ。心臓の病魔であることはすぐに知れたので、薬草を与えて、薬師も呼びつけた。とても腕のいい薬師であったから……これは避けられぬ死であったのだろう』
シュミラルの声は、とても静かであった。
その瞳にも、感情はたたえられていない。
『薬で眠っている時間が長かったので、それほど苦しむことはなかったと思う。……父の魂が東方神に召される姿を、皆にも見届けてほしい』
シュミラルは膝をつき、ラナの葉で枯れ枝に火を灯した。
それをアヴェラルのもとに投じると、瞬く間に干し草が燃えあがった。
それから弔いの葉が投じられて、アヴェラルの安らかなる面も、やがて炎に隠される。
全員が弔いの印を結び、手向けの文言を捧げた。
アヴェラルの魂を見送るのは、6名。すべてが《銀の壺》の団員である。
シュミラルたちは先年の流行り病で、すべての血族を失ってしまったのだ。
そして本来、弔いの儀に招かれるのは血族のみである。シュミラルはその場に《銀の壺》の団員たちを招き、団員たちもそれを受け入れたのだった。
『……父は長らく薬で眠っていたが、いまわの際に言葉を遺してくれた』
やがてシュミラルが、低い声でそのように言った。
『これは私だけではなく、《銀の壺》の全員に向けた言葉となる。それを聞いてもらいたい』
『アヴェラルは、いったい何と言い残したのだ?』
ラダジッドは惑乱した気持ちを抑えられぬまま、そのように問い質した。
強い風に白銀の髪をなびかせながら、シュミラルがラダジッドを振り返る。
『自由に生きよ、我々の魂は自由である。……父はその言葉を最後に、息を引き取った』
そうしてシュミラルは、残りの4名にも視線を巡らせた。
『その言葉に従い、私は自由に生きることにする。皆にも、そうしてもらいたい』
『自由に生きる……? シュミラルは、いったい何を為そうというのです?』
団員の中でもっとも年かさの者が、そのように問うた。アヴェラルよりも年長で、星読みをたしなむ男である。
シュミラルは、力を込めた声でそれに答えた。
『私は《銀の壺》の名で、行商を続ける。父の切り開いてくれた道を進むのが、私の魂の向かう先だ』
『なるほど……それでは私も、それに加わらせていただきたく思います』
シュミラルは、顔にかかる長い髪の隙間から男を見つめ返した。
『あなたはこの中で、もっとも長きの時間を父と過ごした人間だ。しかし、そうだからといって、息子の私に義理立てをする必要はない』
『もちろんです。私もシュミラルと同じように、自分の意思でその道を進むのです』
すると、他の者たちも次々に声をあげた。
『私もそれに加わらせてもらいたく思う』
『私も、お願いしたい』
『私は前回の仕事で退き、次の仕事からは息子を加えさせてもらいたいとアヴェラルに願っていた。しかし、息子が一人前になるまでは、私もともに加わらせてもらいたく思う』
『そうか』と、シュミラルは目を伏せた。
『皆がそのように言ってくれることを、心からありがたく思う。……ラダジッドは、どうであろうか?』
『そのような話は、口にするまでもあるまい。私が《銀の壺》をやめるとでも思っているのか?』
ラダジッドは衝動的に、シュミラルの肩をつかんだ。
『私はこれまで以上に力を尽くしてみせよう。アヴェラルの築いた《銀の壺》の名を貶めぬように振る舞うことが、私の望みだ』
『ありがとう』と、シュミラルが面を上げた。
すべての感情を隠していたその瞳に、透明の涙が浮かんでいる。
その涙も、草原の強い風がさらっていった。