第十話 風の神の子ら(上)
2019.10/4 更新分 1/1
ラダジッドがその奇妙な父子と出会ったのは、およそ10年前――ラダジッドが19歳の頃だった。
当時のラダジッドは、単身で西の王国を放浪し、行商人としての腕を磨いていた。それまではトトスの背に乗せられるていどの商品を売り買いして、のんびりと放浪を楽しんでいたのであるが、一念発起して荷車を購入し、もっと大きな商いに取り組む算段を立てたのだ。
しかしラダジッドは、最初の年から大きな苦難に見舞われることになってしまった。
旅の途中、さびれた街道のかたわらで一夜を明かそうと試みたところ、トトスを毒虫に害されてしまったのである。
ラダジッドは、途方に暮れることになった。
ラダジッドが買いつけたのは1頭引きの小さな荷車であったものの、荷台には西の王国で買いつけた商品が詰まっているため、とうてい人間の力で引ける重量ではない。そして、ここはちょうど町と町の中間にある位置で、トトスなくしては助けを呼ぶこともかなわなかったのだった。
(まったく、なんということだ。荷車を買いつけるなり、このような奇禍に見舞われるとは……)
何にせよ、これでは誰かがこの場所を通りかかるのを待つしかない。
そのように考えながら、ラダジッドがぼんやり焚き火の炎を見つめていると――やがて街道の向こうから、荷車の駆ける音色が響いてきた。
ラダジッドは急いで炬火に火を移し、街道のほうに移動する。
闇の中、東の方向にぽつんと小さな火が灯っていた。
見る見る間に、その光と音がこちらに近づいてくる。それが旅人を狙う野盗などでないことを祈りながら、ラダジッドは懐の吹き矢を握りしめた。
ラダジッドのたたずんでいる場所より少し手前で、荷車が止められる。
荷車の数は、3台である。ラダジッドが意を決して先頭の荷車へと近づいていくと、御者台の人物が低い声で呼びかけてきた。
「あなた、何か用事ですか?」
その言葉を聞いて、ラダジッドは胸を撫でおろすことになった。
それはきわめて流暢であったものの、まぎれもなく東の民が発する西の言葉であったのだ。
『私はギの民、ラダジッド=ギ=ナファシアールという者だ。そこで一夜を明かそうとしていたのだが、トトスを毒虫にやられてしまい、難渋していた』
「トトス、魂を返してしまったのですか? ……冥福、祈ります」
御者台の男が、冥福を祈る形に指先を組み合わせて、一礼した。外套の頭巾を深々とかぶっているので人相はわからないが、壮年の東の民のようである。
「町、遠いです。あなた、我々の荷車、乗りますか?」
『いや、私もトトスに荷車を引かせていたので、それを放っておくことはできんのだ。もしもこの先の町にトトスを売っている人間がいるならば、この場で私がトトスを買いたがっていると伝えてほしいのだが』
「そうですか。しかし、トトス売り、警戒するかもしれません。また、町、遠いので、トトス、連れてくる、困難だと思われます」
『うむ。それはそうかもしれないが――』と、そこでラダジッドは首を傾げることになった。
『ところで、あなたはどうして西の言葉を使い続けているのだろうか? 同じ東の民を相手に、西の言葉を使う必要はあるまい』
「申し訳ありません。私、修練のため、西の王国にいる間、なるべく西の言葉、使うように心がけています」
そんな風に言いながら、男は頭巾を背中のほうにはねのけた。
「私、ジの民、アヴェラル=ジ=サドゥムティーノです。商団、《銀の壺》、率いています」
それは、40歳の少し手前ぐらいに見える男であった。
シムにおいてはもっとも一般的である黒髪と黒瞳をしており、とても沈着な眼差しをしている。これといっておかしなところのない風貌であるが、ラダジッドはその澄んだ瞳に見つめられているだけで、胸中の不安や焦燥を溶かされるような気分であった。
(これは決して、悪しき心を持つ人間ではない。……それどころか、なかなかの度量を持つ人物であるようだ)
そんなことを思いながら、ラダジッドは懐で握りしめていた吹き矢から手を離した。
アヴェラルと名乗った男は、同じ眼差しのまま言葉を紡いでいく。
「ラダジッド。あなたの荷車、拝見できますか?」
『うむ? 私の荷車を見て、どうしようというのだ?』
「助力の可能性、考えています。……シュミラル、こちらに来なさい」
アヴェラルに呼ばれて、荷台からひとりの若者が姿を現した。
御者台の脇に設置された炬火が、その姿をぼんやりと照らしだす。こちらもまぎれもなく東の民であったが、その髪は美しい白銀にきらめいていた。
「話、聞いていましたね? 我々、助けられるか、確認してください」
「はい。承知しました」
シュミラルと呼ばれた若者は、ふわりと地面に降り立った。
そして、ラダジッドの姿を真っ直ぐに見つめてくる。
「私、アヴェラルの息子、シュミラル=ジ=サドゥムティーノです。父の仕事、手伝っています」
『うむ……やはり東の言葉は使わないのだな』
「はい。《銀の壺》、取り決めですので」
それは、とても涼やかな眼差しを持つ若者であった。
いや、まだ少年と呼んだほうが相応しい年頃であるのだろうか。19歳のラダジッドよりも、ずいぶん若いように感じられた。
「荷車、拝見、できますか? 案内、お願いいたします」
『うむ……荷車は、こちらだ』
ラダジッドにはまだ事情がわかっていなかったが、アヴェラルという男の言葉を疑う気にはなれなかったので、素直に案内をすることにした。
シュミラルは手ぶらであったので、炬火を掲げたラダジッドが足もとを照らしながら、街道の脇の荒野に踏み入っていく。荷車のかたわらでは焚き火が燃えていたので、場所を見誤ることもなかった。
『これが、私の荷車だ』
「なるほど。1頭引きですね。トトス、弔ったのですか?」
『いや。この奥の雑木林まで駆けていったところで、息絶えてしまった。毒虫に噛まれた痛みで大暴れをして、手綱を結んでいた枝をへし折ってしまったのだ』
「この木、手綱、結んでいたのですね」
シュミラルが、荷台のそばに生えのびた樹木を見上げた。
「こちら、ケイタンの木です。毒虫、多く、潜んでいます」
『そうなのか。私も毒虫除けの香草は焚いていたのだが……』
「その煙、浴びたため、枝の上、毒虫、落ちてきたのでしょう。野営の際、ケイタンの木のそば、避けるように、私、父から習いました」
東の民の習わしとして、シュミラルはきちんと感情を隠していたが、その瞳にはラダジッドをいたわるような光がたたえられていた。
「トトス、我々、家族です。魂、返したこと、無念でしょう。力、落とさないよう、願います」
『うむ。親切な言葉、いたみいる。私の知識が足りていなかったばかりに、家族たるトトスに大きな災厄を招き寄せてしまった』
「世界、広く、謎、多いです。すべての災厄、退けること、かないません」
そのように言ってから、シュミラルはわずかに目を細めた。
その黒い瞳に、とても優しげな光が灯される。
「ですが、それゆえに、我々、旅、魅了されるのでしょう。苦しみ、上回る、喜び、発見できるためです」
『うむ……きっとそうなのであろうな』
ラダジッドは微笑みをこらえながら、荷車のほうに視線を戻した。
『それで、あなたがたはどのようにして私を助けてくれようというつもりであるのだろう? 荷車を見て、何がわかるのだ?』
「はい。荷車、荷物、どれほどですか?」
『荷台の荷物は、7分目ほどだ。ロウルの町で壺や皿を買いつけたところであったので、それがいささかかさばってしまっている』
「7分目ですか。ならば、可能、思います。父のもと、戻りましょう」
シュミラルの言葉に従って街道のほうに戻ってみると、そこには5名ばかりの男たちが立ち並んでいた。
アヴェラルも、その中に加わっている。シュミラルが荷車の状況を報告すると、アヴェラルは「なるほど」とうなずいた。
「1頭引きの荷車、荷物、7分目ならば、こちらの荷車、連結して運ぶこと、可能です。あなた、同意しますか?」
『もちろん、この先の町まで荷車を運んでくれるというのなら、それほどありがたい話はないが……しかし、本当によろしいのか?』
「はい。草原の民、助け合う、当然です。我々、巡りあった、東方神、導きなのでしょう」
息子とよく似た静かな眼差しで、アヴェラルはそう言った。
「では、荷車、1台、そちらに回します。そして、トトス、どこでしょう?」
「トトス、あちらの奥、雑木林です」
ラダジッドより早く、シュミラルがそのように答えた。
アヴェラルは小さくうなずき、4名の仲間たちに目配せをする。
「では、弔い、手伝います。穴を掘り、火で焼き、魂、天に返しましょう」
『なに? トトスの弔いにまで助力をしてくれようというのか?』
ラダジッドは、小さからぬ驚きにとらわれることになった。
地面に穴を掘って遺骸を置き、それを火で焼くというのは、正式な弔いの作法である。ここが草原であるならばまだしも、異国の地でそうまで手厚くトトスを弔おうとする人間は、あまりいないはずであった。
「我々、トトス、魂、返したとき、そうしています。あなた、同意しませんか?」
『いや……もちろんきちんと弔ってやれれば、それに越したことはないが……』
「では、手伝います」
他の男たちが、無言のままに進み出てきた。
よく見れば、その手にはすでに穴を掘る道具が携えられている。ラダジッドがシュミラルに説明をしている間に、こちらでは弔いの準備まで進められていたようだった。
(それは異国の地で同胞が困っていれば、私とて助力を惜しむものではないが……それにしても、親切な者たちであるのだな)
そんな風に考えながら、ラダジッドはアヴェラルらを雑木林まで導くことになった。
闇の中、大きな身体をしたトトスがすべての力を失って横たわっている。この辺りには腐肉喰らいのムントもいなかったので、その遺骸が荒らされたりはしていなかった。
これは、ラダジッドが3年ほど前、行商の仕事を始めるために買いつけたトトスである。
3年の苦楽をともにした同胞が魂を返してしまったのだという現実が、あらためてラダジッドの胸を締めつけた。
(私は自分の窮状にばかり心をとらわれてしまっていたのだろうか。……つくづく不甲斐ない主人で、すまなかったな)
ラダジッドは男たちの手を借りて穴を掘り、そこにトトスの身体を横たえた。
雑木林で枯れ枝や草をかき集めて、それを毛布のように掛けたのち、ラナの葉で火を灯す。弔いの葉は、アヴェラルが分けてくれた。
枯れ枝や草に火が回り、トトスの身体が炎に隠される。
そこに弔いの葉を投じると、小さな破裂音とともに、炎がいっそう激しく燃えさかった。
黒い煙が、黒い天にたちのぼっていく。
風が、トトスの魂を東方神のもとまで運んでくれるのだ。
ラダジッドは弔いの文言を唱えながら、同胞たるトトスの冥福を祈った。
やがて炎が消えたならば、その上に土をかぶせていく。
東の王国に墓標を立てる習わしはなかったので、ラダジッドはその上にそっと小枝を刺しておいた。
「では、出発しましょう」
弔いの儀を済ませている間に、荷車を連結する作業も済んでいた。
《銀の壺》で使われていたのは、いずれも2頭引きの大きな荷車だ。そのうちの1台に連結されたラダジッドの荷車は、軽々と街道に戻されることになった。
「では、ラダジッド、こちらの荷車、お乗りください。荷物、心配かもしれませんが、あちら、重量、限界ですので」
『うむ。いまさらあなたがたの親切を疑ったりはしない。この親切には、必ず報いてみせよう』
そうしてラダジッドは、アヴェラルの荷車に乗り込むことになった。
同乗するのは、シュミラルのみである。荷台には木箱が山積みにされており、ふたりの人間が腰を落ち着けるのにぎりぎりの空間しか残されていなかった。
「出発します」というアヴェラルの宣言とともに、革鞭が振るわれる。
2頭のトトスは軽快に街道を走り始めて、荷台は小さからぬ振動に包まれた。
『あなたがたは野営をせず、このまま次の町に向かうつもりであるのだろうか?』
ラダジッドの問いかけに、シュミラルは「はい」とうなずいた。
「この辺り、ケイタンの木、多いので、野営、避けるべき、決まりました。次の町、しばし逗留するので、トトスたち、そこで休ませます」
『そうか。私もそうするべきであったのだろうな。あなたがたのおかげで、またひとつ得難い知識を得ることができた。心から感謝している』
「いえ。すべて、団長、決定です。我々、従うのみです」
そのように語るシュミラルの瞳には、父親に対する誇りがあふれかえっているようだった。
それを微笑ましく思いながら、ラダジッドはふっと尋ねてみる。
『そういえば、シュミラルはまだ若いのに、ずいぶん西の言葉が巧みであるのだな。もう長らく父親の仕事を手伝っているのか?』
「商団、加わった、3年前です。他の家族、病魔、死に絶えてしまったので、父の仕事、手伝うこと、なりました。ですが、いずれ手伝うこと、決めていたので、西の言葉、幼き頃より、習っていたのです」
そんな風に言ってから、シュミラルは身を乗り出してきた。
「ですが、そちらも若い、思います。ラダジッド、おいくつですか?」
『私は、19歳になったところだが』
「19歳で、単身、旅商人、しているのですか?」
『うむ。私も旅商人の真似事をし始めたのは3年前からで、荷車を買いつけたのはこの年になってからだ』
「16歳から、単身、行商、始めたのですか。私、現在、16歳ですが、その力、ありません。尊敬、値します」
『ふむ。シュミラルは16歳であったのか』
自分も3年前まではこのように純朴な眼差しをしていたのだろうかと、ラダジッドは内心でひそかに考えた。
シュミラルも、16歳にしては沈着であるように思えるのだが、ちょっとした仕草に幼さが見え隠れしているのだ。それに、手足もけっこうほっそりしているし、その面立ちも繊細で、いくぶん少女めいているように感じられた。
『ラダジッド。よければ、あなた、巡った町、話、聞かせてもらえませんか? 私、興味、持っています』
『うむ。それで少しでもあなたがたの親切に報いられるのであれば、いくらでも聞かせてみせよう』
そうしてラダジッドとシュミラルは、東の空が白み始めるまで、さまざまな話を語り合うことになった。
それが彼らの、出会いの夜の顛末であったのだった。
◇
それから紆余曲折を経て、ラダジッドは《銀の壺》の団員に加わることになった。
そのきっかけが訪れたのは、出会った日の翌日のことである。町に到着して、無事にトトスを買いつけることができたラダジッドは、彼らの親切へのお礼として、ロウルで仕入れた皿の何枚かを捧げたいと願い出たのであるが――その品を目にするなり、アヴェラルの目つきが変わったのだ。
「これは、あなた、品物、選んだのですか?」
『うむ。ロウルには山ほど皿や壺が売りに出されているので、なかなかに骨の折れる仕事であった』
「ロウル、以前、訪れました。あの中から、これらの品物、選び抜く、目利き、必要です。あなた、素晴らしい目、お持ちです」
そうしてアヴェラルは、しばらく行動をともにしてみないかとラダジッドを誘ってきた。
それがどのような意図であるのかは不明であったが、ラダジッドもこの親切な親子には興味を引かれていたので、快く承諾したのである。
それから3ヶ月ほど、西の王国を巡り歩いたのち、アヴェラルが入団を勧誘してきたのだった。
「私、商団、大きくしたい、願っています。あなたのように、力のある商人、求めています。よければ、同じ道、歩みませんか?」
それはいきなりの申し出であったので、ラダジッドもしばしは迷うことになった。
だが、その頃にはラダジッドもすっかりアヴェラルの人柄に魅了されていたので、入団を決心することがかなったのだった。
アヴェラルは、商人としてもひとりの人間としても尊敬できる人柄であった。
きわめて柔和で優しい性格であるが、商売に関して妥協はしない。妥協はしないが、商売のために他者を騙したり蹴落としたりするような真似は、絶対にしない。それはラダジッドにとって、商人の鑑ともいうべき存在であった。
それに、息子のシュミラルである。
こちらもアヴェラルに負けないぐらい、魅力的な人柄であった。
アヴェラルの誠実さや情の深さが、このシュミラルには正しく受け継がれているように感じられる。それに、商人としての眼力や心がまえなども、父親から学び取っているのだろう。16歳とは思えぬほどに機転がきくし、品物を見る目も確かである。数年後には、父親に負けない才覚を開花させそうなところであった。
それに、シュミラルのほうもラダジッドを慕ってくれた。3歳という年齢差が、ちょうど兄のように感じられたのだろうか。弟分と呼ぶにはあまりに秀でた部分の多いシュミラルであったが、ときおり垣間見せる子供っぽい一面などは、ラダジッドにとっても好ましく感じられた。
(13歳という若さで、父親以外の家族を失ってしまったのだからな。人恋しいと思うところもあるのだろう)
3年前の、ジの藩を襲った流行り病の脅威については、ラダジッドも聞き及んでいた。その流行り病によって、ジの藩は数百名もの領民を失うことになったのだ。シュミラルたちの家族も、それで魂を返すことになったのだという話であった。
もともと彼らは、6人家族であったらしい。祖母と、母と、弟と、妹――4名もの家族が魂を返していくさまを、シュミラルは見届けることになった。しかもそれは、アヴェラルが故郷を離れて行商に勤しんでいるさなかの出来事であったのだった。
(家族の死を看取ることのできなかったアヴェラルも、父のいない場ですべての家族を失ってしまったシュミラルも、どれほどの悲しみと絶望に見舞われたものか……私などには、想像することもできんな)
しかし、アヴェラルとシュミラルはそんな心情を余人に見せることなく、懸命に生きていた。その姿に、ラダジッドは感銘を覚えたのかもしれなかった。
このふたりとなら、運命をともにしてもいい。そんな風に思えたからこそ、ラダジッドは入団を決意することがかなったのだった。
そうしてラダジッドを迎えたことにより、《銀の壺》の団員は7名となった。
ラダジッドの荷車は2頭引きのものに買い替えて、荷車の数は4台である。さしあたって、アヴェラルは10名の団員に5台の荷車というものを目標にしているようだった。
「人数、増えすぎると、身動き、取りにくくなります。私、10名、理想、考えています」
しかしまた、頭数をそろえればいいという話でもない。団長はアヴェラルであっても、ひとりひとりが確かな力を持つ商人でなければ、人数を増やす意味もないのだ。そのように考えているアヴェラルから入団を乞われるというのは、ラダジッドにとっても光栄の至りであった。
そうしてラダジッドの、新しい生活が始まった。
故郷の家族たちも、《銀の壺》への入団に関しては、心から祝福してくれた。やはり家族にしてみれば、単身で異国を放浪しようというラダジッドは不安の種であったのだろう。なおかつ、団員の半数はギの民であったので、そちらから《銀の壺》がどれだけ信用に足る一団であるかは伝えてもらうことができた。
『でも、故郷を1年も離れるというのは、ずいぶん長いんじゃないのかねえ』
ラダジッドの母親などは、そのように言っていた。
これもアヴェラルの方針で、異国を巡るのは1年間、故郷で身体を休めるのは半年間、と定められていたのだ。
『それは、しかたのないことだ。何せ《銀の壺》は、マヒュドラの集落からセルヴァの王都まで、あちこちを巡っているのだからな。1年ぐらいの時間がなければ、実のある商売をすることも難しいのだ』
『そういうものなのかねえ……あたしらのために、あんたが無理をする必要はないんだよ?』
『何も無理などはしていない。俺は旅を楽しみ、家族は富を得る。何も文句のない話ではないか』
ジギの草原における男の仕事というのは、おおよそ2種しか存在しなかった。銀や宝石の採掘か、あるいは行商である。
ギャマの牧畜というものは、女や子供や老人の仕事であり、そこにさらなる富をもたらすのが、若年から壮年までの男の役割であるのだった。
銀や宝石の採掘というのは、藩主を筆頭とする貴人たちに取り仕切られている。草原に隣接した山岳地帯で採掘の仕事に励み、銅貨の報酬を与えられるのだ。
牧畜から得られる富とあわせれば、それでもつつましく生きていくことはできる。
しかし、より大きな富を得るには、銅貨の報酬を元手にして行商を行うしかすべはなかった。
もとより、牧畜の成果であるギャマの乳酒や乾酪や毛皮や燻製肉というものも、草原の内では売る相手がいない。草原では誰もが牧畜に励んでいるのだから、それは当然の話である。そういったものを売りさばくために、余所の領地へと足をのばしていたのが、おそらくは草原の民の行商の起源なのであろうと思われた。
『団長のアヴェラルという人物は、きわめて力のある商人であるのだ。彼の率いる《銀の壺》に加われば、きっと大きな富をつかむこともできるだろう』
『あんたは富のためだけに動く人間じゃないだろう? ……いいよ。無茶ができるのは、若いうちだけだ。好きなように生きてごらん』
最後には、母親もそのように言ってくれた。
もともとラダジッドの家は、行商に励む家風ではなかったのだ。父や兄たちも採掘場で働く時間のほうが長いぐらいであったし、近い血族にも西の王国まで足をのばす人間はいなかった。それゆえに、ラダジッドは未知なる世界というものにいっそう心をひかれるようになったのかもしれなかった。
(アヴェラルとともにいれば、私はもっともっと見知らぬ世界を見ることができるようになるはずだ)
そしてそのかたわらには、シュミラルもいる。
そのように考えると、ラダジッドは自然に浮き立った気持ちになってしまうのだった。