④守護人との晩餐
2014.9/21 更新分 2/2
2015.2/4 一部文章を改稿。ストーリー上の変更はありません。
「やあやあ、遅くなってしまったよ」と、客人が飄々と舞い戻ってきたのは、ちょうど太陽が西の森景に触れる頃合いだった。
「わずか500名の民びとしかいないというのに、この集落は広大だねえ。これで2回目の来訪なのに、いまだに全貌がつかみきれない」
「全貌をつかむ必要があるんですか?」
「うん、いや、まあ、何せ大きな仕事だからさ」
数時間が経過しても、カミュアのうさんくささに変わりはなかった。
「それにしても、いい匂いだ! 途中で干し肉をかじらず腹を空かせた甲斐があったよ! ああ、はいはい、刀をお預けします」
「こちらにどうぞ。ちょうど準備ができたところです」
別に俺たちも生活時間を狂わせるつもりはなかったので、カミュアの来訪が遅ければ先に食べてしまおうと思っていたのだ。
で、実にばっちりなタイミングでこの男は帰還してきたわけだが。まさか本当にずっと外で立ち聞きしていたわけではなかろうな?
会話を聞かれて困るというよりも、かなりの長時間をふたりでひっついていた光景を見られていたとは考えたくない。
「うわあ、すごいねこりゃ? どうして肉がこんなに丸い形をしているのだい?」
「これは肉をこまかく刻んで、それから丸めなおしているんですよ」
「ふむ。どうしてそのような手間を?」
「美味しいからです」
この世界に、ハンバーグに類似した料理は存在しないのだろうか。
まあ、この御仁が知らないだけなのかもしれない。
「とりあえず食べましょう。俺たちもすっかり腹が空いてしまいましたから」
「うん! そうしようそうしよう」
もう面倒なことは考えず、ファの家の定番料理をご賞味していただくことにした。
ギバ肉のハンバーグ。アリアとティノの炒めもの。焼きポイタンの3点である。
早く新しい鉄鍋を購入して、ここにスープを付け加えたいものだ。
「んん? これはフワノかい? 森辺の民はポイタンを主食にしていると聞いていたのだけれども」
「ポイタンですよ。フワノって何ですか?」
「あのターラが食べていた肉饅頭の皮さ。西ではあれを肉や野菜と一緒に食べるのが主流で――え? これがポイタン? どうして? 何で?」
森辺以外でもポイタンをこうして食べる方法は発見されていないのだろうか?
ちょっと好奇心を刺激されてしまい、俺は身を乗り出す。
「あの、ちなみに町ではポイタンをどうやって食べているんですか?」
「町でポイタンを食べる人間なんていないよ。ポイタンは旅の常備食さ。フワノみたいに腐ったりもしないし、食べたいときはお湯で煮ればすぐに食べられる。しかも値段は格安だから、長旅にはもってこいの食材なんだよ。……ただし、美味くも何ともないのが唯一の難点だが」
「そいつは残念な難点ですねえ」とか相槌を打っていたら、アイ=ファにTシャツのすそをくいくい引っ張られた。
ああ、空腹なのですね。すみません。
「では、どうぞ。できれば裏の顔は引っ込めておいてくださいね」
「善処するよ! ……賜ります」
「いただきます」
「…………」
三者三様の挨拶を済まし、おのおの木皿を取る。
昨日は山ほどこのハンバーグをこしらえることになったが、自分で食べるのはひさびさだ。作れば作るほど火加減が上達しているような気がするので、ちょっと嬉しい。
サイズも500グラム近いビッグサイズである。果実酒ソースをからめたパテにかじりつくと、熱い肉汁が噴きだして、口の中を心地よく刺激してくれる。
その後は、噛めば噛むほどに肉と脂の旨味がひろがって――ああ、やっぱりギバ肉はハンバーグにも合うなあと実感できる。
焼けた表面と柔らかい内側の肉のバランスも心地好い。確かにこれを味わってしまったら、ミニサイズのバーグなど物足りなくなってしまうだろう。
タマネギのようなアリアも、キャベツのようなティノも、実に肉とマッチしている。ティノはアリアやポイタンほど長持ちしない野菜であるらしいので、こうしてどんどん消費してしまおう。
さて――
お客人はいかがかな、と目線を上げてみると。
幸いなことに、死神のような顔はしていなかった。
ただ、何だろう。今度は弛緩して泣き顔みたいになってしまっている。
あんまり関わりたい感じではなかったが、いちおう義理として「いかがですか」と問うてみる。
「美味いよ」と、これまた泣きそうな声で応じられた。
「我を見失わないように努力してるんだけど。どうかな。大丈夫かな」
「大丈夫の基準がよくわからないんですけど。とりあえず怖くはないです」
「そうか。良かった」と、ポイタンに歯をたてる。
とたんに、すとんと表情が抜け落ちて、俺は、うわーっと叫びそうになった。
「だから、怖いですって! 何ですか? 笑いを取ろうとしているんですか?」
「そんなつもりはない。俺を驚かすのが悪い」
だからこの場でお前を殺す、とかいう言葉でも続きそうな重々しい声音である。
このおっさん、本当に大丈夫なのだろうか。
アイ=ファはもうカミュアの100面相につきあう気は失せてしまったらしく、せっせとハンバーグを頬張っている。
森辺の民ならぬ人間が、ギバの肉を喰らう。その点に関してもまだまだ心中は穏やかではなかろうに、そんな気配も微塵も見せていない。
――って、もしかしたら、本当にハンバーグに夢中になっているだけなのだろうか?
ハンバーグを食べているときは、ステーキや鍋を食べているときよりも、いつでも心なし幸せそうに見えるアイ=ファなのである。
俺が自分でしっかり献立を調整しないと、本当に毎日ハンバーグばかりをこしらえてしまいそうで怖くなる。
だけど、しみじみ――幸せだなあと感じてしまう。
ルウやルティムの女衆も、こんな幸せを噛みしめているのだろうか。
思うに、ルウ本家の男衆はルド=ルウ以外、愛想がなさすぎる。それでも家族なら、あのぶっきらぼうな男衆の内面も察することができるのだろうか。
そうだといいな、と俺は思う。
「いやあ、美味かった。美味かったし、不思議な味だった! アスタ、君はいったい何者なんだ?」
完食後、ようやくいつもの飄然とした様子を取り戻したカミュアが、そう述べてきた。
「こんな不思議な食べ物を食べたのは初めてだ! 肉を刻んで、また丸めなおしたって? 一体全体、どうやったらそんな愉快な食べ方を思いつくことができるのかね?」
「わかりません。俺の国では普通に流通していた食べ方なので」
もともとは、モンゴルあたりの遊牧民だか何だかが固い馬肉を食べやすくするために肉を刻んだのが発祥だとか聞いたことがあるような気もするが。うろ覚えな上に、この世界で有効な情報とも思えない。
「うーん。これは美味い。衝撃的だ。こんなに美味いものを食べたのは生まれて初めてかもしれない」
「大げさですよ。あなたは石の都の侯爵さまと晩餐をご一緒してるんじゃなかったんですか?」
「だってあれは貴族の食べ物だもの。珍しいし面白いけれど、正直、俺には善し悪しがわからないんだ。……しかし、アスタの作る料理は美味い」
腕を組み、うんうんとうなずく『北の旋風』カミュア=ヨシュである。
ちょいと芝居がかっている感は否めないが、まあ悪い気はしない。
「しかし、料理の美味さというのは、味だけではないと思うのだよ、アスタ」
「え? ああ、はい」
「臭くて固いと聞いていたギバ肉が、こんなに柔らかくてこんなに美味い。そしてあの泥水みたいなポイタンがフワノみたいな形に化けてしまっている。で、後はアリアとティノしか使っていないのに、この美味さとは――っていうさまざまな情報も、この料理の美味さを向上させている要因になっていると思うんだ」
「はあ」
「たとえばこれがお城で出された料理なら、なるほど珍しい料理もあるのですねえ、さぞかしお値段も張るのでしょうねえと、驚きが半減されてしまうだろう? 金をかければ凝った料理を作れるのが当たり前だ。しかしこの料理は、ギバの肉と、世間的には安価で味の悪いものとされているアリアとポイタンでできている。それが俺には、衝撃的だった!」
「あ、アリアもそういう扱いなんですか?」
「ん? いや、アリアは町でも頻繁に食べられているけどね。とにかく安いし栄養価は高いし。フワノと並んで主食と言ってもいいぐらいだろう。その代わり、たとえば石の塀の内側なんかではほとんど見られない食材だ。こんな安価な野菜を使うのは貧乏たらしいという扱いになっている。だから、宿場町とか農村なんかでの主食だね」
「ふむ。貴族さまは口にしない、庶民の食べ物という位置づけなんですか」
「そうそう。しかし――どうなんだろうなあ。そういった驚きや衝撃を抜きにしても、これは十分に美味いと思える。これだけの腕を持っているからこそ、アスタはあんな大きな宴の料理番をまかされることになったわけなのだね?」
おっと、期せずして話が大事な方向へと転がってきた。
このおっさんの料理論もちょいと興味深かったが。今は世間話に興じている場合でもない。
「あの、さっきは聞きそびれてしまいましたけど、どうして昨日は覗き見なんてしていたんですか? はっきり言って、悪趣味ですよ」
「ごめんごめん。好奇心を抑えきれなくてさ。ほら、あのルウの集落で顔を合わせたとき、あの広場はいかにも大きな宴を控えているようなお膳立てが施されていたじゃないか? で、アスタが2日後まで仕事があるとか言っていたから、その日に宴があるんじゃないかと当たりをつけて、こっそり忍び込んでしまったんだよ」
「別に犯罪行為ではないかもしれませんけど。でも、いったいどこに隠れていたんですか?」
「広場の前に立っていた灌木の茂みの中さ。さすがに広場の中に足を踏み入れるのはまずいかなと思ってね。……そうしたら、俺以上にずけずけと乱入していった無頼漢が現れたわけだけども」
「……ドッド=スンが混ざっていたから、あれがスン家の男衆だったこともわかったわけですね」
「うん。それに会話も聞こえていたよ。だから、アスタがあの宴の料理番だったことも知れたわけさ」
げ。
それならば――ダン=ルティムやドンダ=ルウの怒声もしっかり聞かれているわけだ。
こいつは確かに、今さら隠し通せる情報は少ないかもしれない。
「あのときのアイ=ファは美しかった! 今の格好にも不満はないけれど、やはり宴でもない限りあのような装束を纏うことはないのかねえ?」
私は何か返事をする必要でもあるか?とばかりにアイ=ファはちょいと首を傾げただけだった。
アイ=ファのほうは、だいぶこの男の扱いにもなれてきたようだ。
きっと内心では、美味い美味いとギバ肉をほめたたえるこの男に、不審や困惑の念をかきたてられてもいるのだろうが。外見上は、冷静そのものだ。
いっぽう、俺といえば――まだまだ手探り状態である。
どんなにしっかりつかんでやろうとしても、ウナギのようにぬるりと逃げられてしまう。
この男の内面を探るには、相当な時間がかかりそうだ。
が。
「それでは、俺はそろそろ、おいとまさせていただこうかな」とカミュアが腰をあげ始めたので、俺は座ったままずっこけそうになってしまった。
「か、帰るんですか?」
「うん。だって食事をしたら早々に寝てしまうのが森辺の流儀と言っていたじゃないか? 俺はけっこうな宵っ張りだけど、それにつきあわせてしまうのは申し訳ないよ」
「カミュア=ヨシュ、あなた……本当にいったい、何のためにこんなところまでやってきたんですか?」
「君たちと交流を深めるためさ。最初に言っただろう?」
駄目だ。
やっぱり俺は、このおっさんにはついていけそうにない。
スン家の堕落に掣肘を与えるため、ひいては俺とアイ=ファの保身のために、何かこの男の力や立場を借りたり利用したりすることはできないものかと思い悩んでいたのだが。ここまで何を考えているのかがわからないのでは――制御不能に過ぎてしまう。
この男の存在は、綺麗さっぱり忘れてしまったほうがいいのかもしれない。
「ああ、最後にひとつだけ。アスタに相談というか提案があるんだけど」
「はあ、何ですか?」と俺は気のない返事をした。
どうせロクでもない話なのだろう。あまりにロクでもない話だったら、それをきっかけに縁を切ってやろうか――ぐらいに考えていたのだが。
この男の素っ頓狂ぷりは、俺の想像を遥かに凌駕してしまっていた。
「君、宿場町で店を開いてみないかい?」
と、最後の最後でこの男はそんな暴言をぶちかましてきたのである。