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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
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②最悪なる晩餐を想ふ

「……食べたら、すぐに出発するぞ」


 ふだんよりも4割増は不機嫌そうな面持ちで、アイ=ファ様はそう仰られた。


 まあ、怒らせてしまったのは俺自身なのだからしかたないが。それでも俺の頭を小刀の柄で5、6発は殴ってくれたのだから、そろそろ機嫌をなおしていただきたいものだ、とも思う。


 ちなみに、朝食として提供されたのは、ギバの干し肉である。

 これがまた厄介な代物で。おつまみのサキイカみたいにミリ単位で細く引き裂かれているというのに、噛んでも噛んでもなくならない。まるで肉の味がするゴムみたいだ。

 それにやっぱり、動物くさい。血抜きが十分でないんだろうな、きっと。


 アイ=ファは向かいの壁にもたれて近づくなオーラをギンギンに発散させているため、俺はギバの干し肉を噛みながら、ひとりでかまどの横合いに立ちつくしていた。


 綺麗に洗われた鉄鍋の底を眺めながら、昨日の晩餐を思い起こす。


 昨日の晩餐こそ――最悪であった。

 俺にとっては、拷問のようなひとときであったのだ。


(いくら何でも、アレはひでえよなあ……)


 他人様から提供された食事に「不味い!」などと明言してしまったのは、もしかしたら、生まれて初めてだったかもしれない。

 本来であれば、自己嫌悪のスパイラルに叩きこまれるような失言だ。

 そうならずに済んだのは、当のアイ=ファが素知らぬ顔をしていたからである。


「……食事に美味いも不味いもない」


 1日で3度も聞く羽目になった、暴言だ。

 もしかしたら、森辺の民という一族にとっては、食事など、本当に栄養摂取の手段でしかないのかもしれない。


 それにしても――だ。

 それにしても、あの料理はひどすぎた。


 まず、ギバの肉である。

 ギバの肉は、固かった。

 そして、異様に動物くさかった。

 どんなに質の悪い豚肉でも、牛肉でも、ここまで臭くなることはないだろう。


 そして、十分に煮込んであったから、噛みちぎれないほど固かったわけでもないのだが。表面はぐにゃりとしていて、中には筋が残っており、何だか溶けかけたゴムみたいな質感で……要するに、食感も最悪であったのだ。


 いっぽう、タマネギモドキのほうは、食感は良かった。

 食感だけは、シャキシャキとして心地良かった。

 だけど、それだけだ。

 俺の一番の感想は、「やっぱり鍋物にタマネギは合わないな」である。


 そして、問題のジャガイモモドキ。

 あれは、いったい何だったのだろう?

 固形物としては、何ひとつ残っていなかった。ただクリーム色の粉っぽい液体として、すべての調和を破壊するためだけに、あいつは投入されたようなものだった。

 イメージとして一番強いのは、「小麦粉を溶いた水」である。


 さあ、想像していただきたい。


 小麦粉を溶いたドロドロのスープ。

 シャキシャキの食感をしたタマネギ。

 動物くさい、ニチャニチャの肉。

 味つけは、黒胡椒のみ。


 これで美味しくなると思いますか?

 残念ながら、不可能です。


 そして、俺にとって、もっとも過酷だったポイントは。

「匂いや風味だけは抜群に良い」という、その一点だった。


 匂いは、最高なのである。

 肉や脂の旨味成分が、あの白濁した液体には十分しみだしていたに違いない。

 そこに黒胡椒みたいな香辛料の風味があわさって、それはもう、匂いだけで白米を食べられるようなレベルに達していた。


 にも関わらず、不味い。

 肉やスープを口にすると、動物臭さがその風味をも木っ端微塵にしてしまう。


 それゆえに――拷問のようなひとときだった。


 これでもかとばかりに食欲中枢を刺激されながら、口にはそれと相反する物体が侵入してくる。正直に言って、食材とアイ=ファに対する感謝の念がなかったら、器の半分も食せなかったと思う。


 そんなものを、三杯も食わされた。

 最後のほうは、嘔吐感との闘いだった。


 そうして胃袋が完全に満たされても、脳髄のほうは「で、いつになったら食事を始めるの?」と寝るまで囁き続けていた気がする。


 だからきっと、昨日はあんな夢を見てしまったのだろう。


「……何を惚けている。そろそろ行くぞ」


 とげとげしい声に面を上げると、アイ=ファはもう毛皮のマントを羽織り、大小の刀剣を腰にぶらさげて、すっかり出発の身支度を完了させてしまっていた。


「あ、ちょっと待ってくれ! 俺の三徳包丁は?」


「……さんとく……?」


「刀だよ。昨日、預けただろ?」


 アイ=ファは無言のまま、室の奥にある扉のほうを顎でしゃくった。

 たしか右側の扉だったよな、と俺はそちらに向かう。


 けっきょく昨日は俺もアイ=ファもこの広間で眠ってしまったため、奥の三部屋に関しては未見のままである。


 そろそろと慎重に引き戸を開けると――とたんに、匂いが爆発した。


(うわ……すごいな、こりゃ)


 予想はしていたが、そこは食糧庫であったのだ。

 麻の袋がどかりと置かれて、そこからタマネギとジャガイモの類似品が顔を覗かせている。


 壁にかかっているのは、さまざまな植物だ。真っ黒にしなびたワカメみたいのや、妙に青々とした細長い葉などが、ところせましと吊り下げられている。


 そして。

 室の奥には、2メートル四方ぐらいの大きさで四角く板で仕切られている空間があり、そこには、黒い粉末がぎっしりと詰め込まれていた。

 敷居の高さは、俺の膝ぐらいである。


 匂いの根源は、それだった。

 あの、ギバの肉にまぶされていた、黒胡椒みたいな香辛料である。


 良いとか悪いとか言う前に、これは刺激が強すぎる。窓のない部屋の大気にはその粒子が濃密に溶けこんで、油断をすると、目や鼻や咽喉の粘膜を壊されてしまいそうだった。


(なるほど。こうやってギバの肉を保存しているのか)


 それでも生来の好奇心には勝てず、俺はちょっと涙目になりながら観察を続行する。


 この香辛料の山の中に、ギバの肉が封印されているのだろう。

 肉の塩漬けならぬ、胡椒漬けだ。


 しかしまあ、冷却機器がなければ、こういった処置も必然である。気温も湿度もそこそこであるこの地域では、生肉などあっというまに腐敗してしまうだろうから。


(ん……もしかして、この干し草が原料なのかな?)


 壁にかかっている、しなびた葉。黒く変色したワカメみたいな外見だが、触ってみると、繊維がほろほろと崩れ落ちた。


(ふむふむ。この葉を乾燥させると黒胡椒みたいな香辛料に変化するわけか。大航海時代のヨーロッパ人が見たら、歓喜のあまり引きつけを起こしそうだな)


 そうして俺が独り合点していると、背後からいきなり「何をしているのだ、お前は?」と呼びかけられた。


 食料庫の入り口に、朝日で逆光になったアイ=ファのシルエットが立ちはだかっている。


 壁にもたれて、腕を組み、ちょいとななめに首を曲げながら、その目はこれ以上ないぐらい不審そうに光っていた。


「刀は、ここだ。とっとと出てこい。香気が薄らいでしまうだろうが」


「ああ、悪い。色々と興味をひかれるものがあったんでな」


 アイ=ファにうながされて部屋を出ると、めっぽう朝日がまぶしかった。わずか数十秒で俺自身も胡椒漬けにされてしまった気分だ。


「うわ、鼻が痛え! 強烈なんだな、あの香辛料は」


「……馬鹿かお前は? 食べもしない食糧を眺めて何が楽しいのだ?」


「楽しいよ。昨日も言ったろ? 俺は、料理人の息子だったんだよ」


「……料理人など、石の都にしか存在しない。そんなものを目指したいなら、とっととこの世の道理を学んで、出ていけ」


 不機嫌そうに言いながら、俺の胸もとに三徳包丁を突きつけてくる。


「いやあ、右も左もわからない世界で料理人を目指すとか不可能だろ。……ところで、どうしてあんな刺激的な部屋に、俺の包丁を保管しておいたんだ?」


 別に香辛料が原因で刃先が錆びたりはしないと思うのだが。匂いが移ってしまうのは、ちょっと怖い。


「……窓がないのは、あの部屋だけだからな。もちろん窓の格子を破って他家に忍び込むディガ=スンのような恥知らずはそうそう存在しないだろうが、一番安全なのは、あの食糧庫だ」


「ああ、そういうことか。きちんと大事にしてくれてたんだな。……ありがとう」


 アイ=ファの眉間に、しわが寄る。

 たぶんこいつは、あんまり礼を言われるのに慣れていないのだろう。


「……無駄な時間を過ごしてしまった。太陽が中天に上がるまでは、ピコの葉と薪の採取だ。無駄飯喰らいと呼ばれたくなかったら、少しでも役に立て」


「アイアイサー! ……だけどその前にお願いがあるんだけど、聞いてくれるかな、アイ=ファ?」


 当然のことながら、アイ=ファは無茶苦茶に嫌そうな顔をした。

 せっかくの美人が台無しである、本当に。


「これ以上私にどんな世話をかけさせようというつもりだ? お前は存外に図々しい男だったのだな、アスタ」


「いや、お前の苦労をほんの少しでも肩代わりできればなあっていう気持ちもあるんだけど。……今晩から、俺に夕食を作らせてもらえないか?」


 渋い顔をしていたアイ=ファだが、俺の言葉を聞くと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になってしまった。

 その表情は、ちょっと可愛らしい。


「何だそれは? 食事の準備など、別に大した苦労でもない。あんなもの、10歳の子どもでも務まる仕事だ」


「ああ。そういう意味では、肩代わりにならないのか。……それじゃあ駄目かな? 俺の世界での調理法が、こっちの世界の食材に通用するのか、ちょっと試したくなっちまったんだよ」


 アイ=ファは困惑したように眉尻を下げ、俺の姿を上から下まで眺め回してきた。

 まるで二本足で歩く犬とでも遭遇してしまったかのような表情だ。

 好みは分かれるかもしれないが、俺は可愛いと思う。


「わけがわからん。……『料理人』というのは、そういう風に考えるものなのか?」


「俺はあくまで見習いだけどな。でもたぶん、料理人なら共感してもらえる心情だと思う」


「……好きにしろ。食事の準備など、私にとってはどうでもいいことだ」


 そう言い捨てると、今度こそアイ=ファは玄関口に足を向けた。

 そのほっそりとした後ろ姿を追いながら、俺はこっそり安堵の息をつく。


 これはもう、「お前の料理は不味いから俺に作らせろ」と明言したようなものなので、もしかしたらまた小刀のひとつも振り回されてしまうかな、と俺は半ば覚悟していたのである。


 しかしどうやら、アイ=ファは本当に食事のことなど「どうでもいい」と思っているようだった。

 嬉しいような悲しいような、実に複雑な心境だ。


(だけどまあ、チャレンジ精神を刺激されたってのは本当の本心だしな)


 昨晩に感じた、不満と鬱屈。

 それを解消したくなってしまったのだ、俺は。


 ギバの肉とは、もっと美味しくいただける食材であるはずだ。

 あんなに美味そうな匂いがする食材を、あんなに不味い状態で食してしまうというのは、食材に対する冒涜ではなかろうか?


 あのタマネギモドキやジャガイモモドキの攻略法はまだ発見できていないのだが。少なくともギバの肉だけは、そのポテンシャルをまったく発揮できていない、という確信がある。


 俺が有しているシシ肉の調理法の知識など、通りいっぺんのものでしかないが。それを応用することで、どれだけギバ肉の力を引き出すことができるのか。そんな想像をしただけで胸が高鳴り、腹が減る。


(それに……)と、革ベルトみたいな履物を足の先に巻きつけているアイ=ファの姿をこっそり見つめながら、俺は思う。


 こいつにも、俺の料理を食べてもらいたいしな、と。


 見習い料理人の俺にできることなんて、ちょっとした料理を作ることだけだ。

 食事という行為に関心も執着もないようであるアイ=ファにとっては、ひたすらどうでもいいことなのかもしれないが。美味いものを食って不機嫌になるやつはいないだろう。


 この、いつでも不機嫌そうな顔をした娘さんに、ちょっとでも嬉しそうな顔をさせることができたら合格点、ということにしておこうか。


 ギバの肉を調理して、恩人に喜んでもらう。

 ものすごく極端な言い方をしてしまうと、これで俺にも人生の目的というやつができた。

 そう考えたら、俺の胸に鬱積した暗雲も、ちょっとばかりは晴れ間がのぞいたような気がした。


「……そういえば、足の具合は大丈夫なのか?」


 と、履物を巻き終えたアイ=ファが、不意にそんなことを聞いてくる。


「ああ。普通に歩く分には大丈夫そうだ。……心配してくれてありがとうな」


「誰も心配などしておらん。森に入ってから『もう歩けない』などと言いだしたら、その場に置いて帰るからな」


 とりわけ不機嫌そうにそう言い捨ててから、「……だから、異常を感じたら無理をせず、すぐに言え」と、付け加える。


 まったくもって、恩返しのし甲斐がある恩人様である。


「了解だよ」と言い置いて、俺はまばゆい光にあふれた異世界の朝へと足を踏みだした。

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