揺籃のかまど番(中)
2019.10/1 更新分 1/1
ファの家のアスタがラヴィッツの集落で手ほどきをするのは、3日間であるという話であった。
アスタとしてはもっと長い期間を想定していたようであるが、ファの家を嫌うラヴィッツの家長が頑として譲らなかったらしい。親筋たるラヴィッツの決めたことであれば、致し方のない話であった。
しかしまた、アスタというかまど番の持つ力を思い知るには、3日間でも十分であった。アスタに手ほどきを受けた母親が家に戻るたびに、マルフィラ=ナハムたちは大きな驚きに見舞われることになったのである。
「今日は、煮物と炒め物とかいう料理を習うことになったよ」
手ほどきを受けた2日目、母親はそのように宣言した。
やっぱりどこか、興奮と困惑に満ちた表情である。きっと手ほどきを受けている間は感情を押し殺しているのであろうから、家に戻るなりそれがあふれ出てしまうのだろう。
「でも、時間があんまりないからね。ひとりは昨日のぎばすーぷとかいう料理を作ってもらって、もうひとりがあたしを手伝ってくれるかい?」
「はーい! それじゃあ、あたしが母さんを手伝うね!」
いつでも元気な末妹が、真っ先に名乗りをあげることになった。
マルフィラ=ナハムとしても新しい料理というものは気になってならなかったが、昨日の『ギバ・スープ』をひとりで作りあげるというのも、大きな仕事である。賑やかに騒ぐふたりの様子に後ろ髪を引かれつつ、懸命に仕事を果たすことになった。
そうして昨日と同じように、とっぷりと日が暮れた頃に料理は完成した。
家に戻れば、家族が勢ぞろいで待ち受けている。誰もが無言で取りすました顔をしていたが、期待感が熱気となって広間を満たしているように感じられなくもなかった。
「ええと、最初にひとつだけ言っておくけどさ、今日は昨日ほど上手に仕上げることができなかったんだよ。昨日よりも手間のかかる料理だったんで、そいつは勘弁しておくれ」
食前の文言を唱えた後、母親はそのように言っていた。
末妹は、ちょっと不服そうな面持ちである。
「あたしは、いい出来だと思ったんだけどなー。母さんは、ちっとも納得してないみたいだね」
「そりゃあまあ、あたしはファの家のアスタが作ったものを口にしちまってるからねえ」
ともあれ、晩餐の開始であった。
母親と末妹がこしらえたのは、煮物に炒め物という料理である。マルフィラ=ナハムは、胸をどきつかせながら木皿を取り上げることになった。
まずは、煮物という料理だ。
これは、ギバの肩肉とアリアが果実酒で煮込まれていた。
口にしてみると、硬い肩肉が嘘のようにやわらかくほどけた。
その肉に、果実酒の甘みと酸味が溶け込んでいる。実に不可思議な味わいであった。
それに、アリアの風味も強い。
この料理は一緒に煮込まれたアリアの他に、細かく刻んだアリアも使われているのだ。それはほとんど形がなくなるぐらい溶けてしまっており、その風味が煮汁や具材に強くしみこんでいるようだった。
「ふむ……奇妙な味だが、俺は美味だと思うぞ。肉から果実酒の香りがするというのは、少しおかしな心地だがな」
長姉の伴侶がそのように発言すると、末妹は「ね、美味しいよね!」と笑顔になった。
確かに、美味ではあるのだろうと思う。とにかくギバ肉が美味であるので、これまでの料理とはまったく異なる味わいであるのだ。
ただマルフィラ=ナハムも、昨晩ほどの衝撃を受けることはなかった。果実酒の酸味が、少し邪魔であるようにも感じられてしまったのだ。
(これだったら、普通に焼いたギバ肉のほうが美味しいんじゃないかなあ……あ、でも、肩の肉は焼くと硬いから、こういう食べ心地にはならないのか)
内心でひとりごちながら、マルフィラ=ナハムは次の木皿を取った。
炒め物と呼ばれる料理である。脂の多いギバの胸肉が、アリアと一緒に焼かれている。ただ、どちらも小さく切り分けられているためか、端のほうがずいぶん焦げついてしまっていた。
「うむ、こちらも美味いではないか」
長姉の伴侶は、満足そうに言っていた。
マルフィラ=ナハムも、同感である。アスタが訪れる前に、自分たちで串焼きにした背中の肉よりは、はるかに美味であろうと思う。この料理にも塩とピコの葉が使われていたので、それが肉とアリアの味をいっそう引き立てているように感じられた。
しかしやっぱり、焦げついた部分の苦みは邪魔であった。
焦げると食感が悪くなってしまうので、それも惜しいところである。この料理を適切に仕上げるには、もっと火加減に気をつけるべきであるのだろう。
(でも、ギバの胸肉ってこんなに美味しかったんだな。うちではいつも塊で焼くか煮込むかだったけど、薄く切り分けて焼きあげると、こんなに味や食感が違ってくるんだ)
マルフィラ=ナハムがそのように考えたとき、長兄のモラ=ナハムが「うむ……?」と地鳴りのような声をあげた。
「この汁物料理は……昨日とずいぶん味が違うように思うが……」
「あ、ご、ごめんなさい。ど、どこかおかしかった? きょ、今日はわたしがひとりでそれを作ることになったの」
「いや……おかしなことはない……」
すると、長姉も静かに「そうですね」と声をあげた。
「むしろ、昨日よりも格段に美味であるように感じられます。塩やピコの葉の加減なのでしょうか……とても美味です」
「えー、ほんとに?」と、末妹が『ギバ・スープ』の木皿を取り上げた。
そうして木匙でひと口すすると、「ほんとだー!」と目を丸くする。
「なんか、昨日と全然違うみたい! マルフィラ姉は、どうやってこれを作ったの?」
「わ、わ、わたしは母さんに教えてもらった通りに作っただけだよ。そ、それ以外に、作り方なんてわからないし……」
「そっかー。それじゃあ明日は、マルフィラ姉が新しい料理を作ってよ! そうしたら、母さんも納得するかもしれないからさ!」
そうして、2日目の晩餐は終わりを迎えた。
明けて、3日目である。
その日も母親は、2種類の新たな料理を手ほどきされて帰ってきた。
「今日は、すてーきに肉団子とかいう料理だよ。肉団子ってやつは、かなりややこしい料理なんだけど……マルフィラ、手伝ってくれるかい?」
「う、うん。わ、わかった」
母親の言う通り、肉団子というのはきわめて奇妙な料理であった。
ギバ肉を細かく切り刻み、それを丸い形にして焼いたり煮込んだりする料理であったのだ。
肉の中には、塩とピコの葉と細かく刻んだアリア、それにポイタンの粉を水で溶いたものを、少しだけ練り合わせる。慣れればポイタンは不要であるとのことであったが、粘つく肉を丸く仕上げるのは、なかなかに難儀であった。
いっぽう『ギバ・ステーキ』というのは、分厚く切り分けた肉を焼くだけの料理であった。
ただし、最初に強火で表面を焼いてから、弱火のかまどに移し、果実酒を注いで蓋をして蒸し焼きにする、という、よくわからない作り方である。
(そりゃあこんなに分厚い肉を普通に鉄鍋で焼こうとしたら、焦げるに決まってるけど……だったら串焼きにすればいいだけの話なんじゃないのかなあ)
マルフィラ=ナハムはそのようにも思ったが、まずは母親の言う通りに作ってみることにした。
作業そのものに、難しいところはない。鉄鍋に残った果実酒には塩とピコの葉を加えて、それを木皿に出した肉に掛ければ完成という話であった。
「ねーねー、ぎばすーぷってやつも出来上がったんだけど、最後の塩とピコの葉は、マルフィラ姉が入れてくれない?」
ひとりで『ギバ・スープ』の作製に取り組んでいた末妹にそのように願われたので、マルフィラ=ナハムは応じることにした。
最初に煮汁の味を見て、これぐらいかなという検討で塩とピコの葉を加えてみる。
さらに味見をすると塩が足りないように感じられたので、さらに追加した。
すると、母親が眉をひそめながら、マルフィラ=ナハムに顔を近づけてくる。
「アスタもそうやって、味を確かめながら塩やピコの葉を入れなおしてたんだよね。いまのあんたは、なんだかアスタそっくりに見えちまったよ」
「そ、そ、そうなの? だ、だけど、これ以外にやり方はないんじゃない?」
「うん。だけどさあ……塩が足りないとかピコの葉が足りないとか、どうしてそんなことがわかるんだい?」
「ど、ど、どうしてって言われると困るけど……味見をしたら、だいたいわかるでしょう?」
「いやあ、あたしにはちっともわからないよ」
ともあれ、料理は完成した。
肉団子やステーキは味見のしようがないので、マルフィラ=ナハムにも出来栄えはわからない。ただ、これらの料理がどのような味であるのか、それが気になってたまらなかった。
「お待たせー! 今日の晩餐ができあがったよー!」
末妹の宣言とともに、料理が広間に運び込まれる。
すると、ふたりの幼子をかたわらに控えさせた長姉がうっすらと微笑みかけてきた。
「この子たちは昨日から、ずいぶん晩餐を待ち遠しく思っているようです。食べる量も増えたように感じられますしね」
「う、うん。きょ、今日の料理も美味しいと思ってもらえたらいいけど……ど、どうだろうね」
肉団子は、半分は焼きあげて、半分は鍋に入れていた。
焼いた分は、『ギバ・ステーキ』と同じ果実酒の煮汁を掛けている。2歳や3歳の幼子でも、この肉団子は口にできるはずだった。
「……かまど番の手ほどきは、今日までという話だったな」
晩餐の前に、家長はそのように言いたてた。
「美味なる料理を作りあげるというのは、これまでと異なる新しい仕事だ。手ほどきされた内容を自分のものとするには時間がかかろうが、今後は分家の者たちにもそれらの技を伝えていき、美味なる食事というものが我々にとっての毒になるものか薬になるものか、それをしっかり見極めてもらいたい」
そうして、晩餐は開始された。
マルフィラ=ナハムは逸る気持ちを抑えながら、焼いた肉団子をつまみあげる。もっとも手間のかかったこの料理が、いったいどのような味わいであるのか。マルフィラ=ナハムはずっと気にかかっていたのだ。
焼く前に、ギバの脂を鉄鍋に塗りつけておいたので、必要以上には焦げていない。ほんのりと、ほどよい感じに焼き色がついている。
上から掛けた果実酒の煮汁が、甘い香りを放っていた。
思い切って、それを口に投じてみると――予想以上の容易さで、ギバの肉がやわらかくほどけた。
同時に、脂と肉汁が口の中に広がっていく。
普通に焼いた肉よりも、はるかに豊かな脂と肉汁である。
それが果実酒の煮汁やアリアや塩やピコの葉と絡み合い、得も言われぬ味わいを作りあげていた。
「うわー、これ、すっごく美味しくない?」
末妹が、そのように騒いでいた。
しかしマルフィラ=ナハムは、それに答えることができなかった。
何か得体の知れないおののきに、胸をふさがれてしまっていたのだ。
これが、美味ということなのだろう。
一昨日よりも激しい情動が、マルフィラ=ナハムの体内を駆け巡っている。
臭みが消えたことによって鮮明になったギバの味が、さまざまな細工を加えられることにより、これほどまでに美味たりえるのだ。
その事実が、マルフィラ=ナハムを打ちのめしているのかもしれなかった。
「あれ? マルフィラ姉、どうしたの!?」
と、末妹が横から腕を引いてくる。
振り返ると、その顔がぼんやりと霞んでいた。
いつしかマルフィラ=ナハムは、滂沱たる涙を流していたのだ。
「気分でも悪いの? 肉が咽喉に詰まっちゃったとか?」
「ち、ち、違うよ……わ、わたし、どうして涙なんて流してるんだろう……?」
「それは、こっちが聞いてるんだよ! マルフィラ姉が泣くとこなんて、あたし、初めて見た!」
マルフィラ=ナハムは肉団子の木皿を置き、適当な布で顔をぬぐってみせた。
「ご、ご、ごめんね。べ、別に、なんでもないんだよ。た、ただ、なんて美味しい料理だろうと思って、ぼーっとしてただけなの」
「ぼーっとしてたら、涙が出てきたの? もう、あんまり驚かさないでよ!」
末妹は、ほっとしたように胸もとを押さえていた。
すると向かいから、長姉が声をかけてくる。
「涙の理由はわかりませんが、呆然とする気持ちはわかります。わたしもこれらの料理には、心から驚かされることになりました」
「うむ、本当にな! これこそ、美味なる料理というものなのであろう! ……そうなのでしょう、家長?」
長姉の伴侶に問われて、家長は「うむ……」と重々しくうなずいた。
「くどいようだが、俺が家長会議で食した料理には、さまざまな野菜が使われていた。よって、あれらと同じぐらい美味なる料理を作りあげようというのは無理な話なのであろうが……それでも俺は、あの夜と同じぐらい大きな驚きにとらわれている。これこそが、美味なる料理というものであろう」
「そっかー。父さんは、こーんなに美味しい料理を食べてたんだね! だったら、もっと早くファの家のアスタを呼んでほしかったよー」
「だからそれは、ファの家の行いというものが――」
「あー、ごめんなさい。でも、町での商売とかはわからないけど、やっぱり美味なる料理を作るっていうのは正しいことなんだよ! だからサウティとかザザとかでも、すぐにそれを教わろうって気持ちになれたんじゃないかなー」
そう言って、末妹は新たな肉団子を口に放り入れた。
家長はしかつめらしい面持ちのまま、「うむ」とうなずく。
「ただし、美味なる料理を口にするには、さまざまな心掛けというものが必要になるはずだ。この3日間で、アスタはどのように語らっていたのだ?」
「ああ、この肉団子って料理に関しては、注意が必要だって言ってたね。やわらかい肉ばかりを食べていたら、顎や歯の力が弱まって、狩人としての力にも影響が出るはずだから、毎日は口にせず、硬い干し肉を食べる習慣もなくさないように――って話だよ」
母親も真剣な表情をこしらえながら、そのように答えた。
「その他にも、砂糖だとか油だとか、これまであまり口にしていなかったものを食べるようになったら注意が必要だって言ってたけど……あたしらは、そんな見慣れないものを口にする習わしがないからね」
「うむ。その話は以前にも、フォウの家から回されてきていたな」
「ああ、そういえばそうだったねえ。あの頃は、自分たちにそんな話が関わってくるとは思ってなかったからさ」
そう言って、母親は表情をやわらげた。
「とりあえずあたしらは、美味なる料理ってもんを毎日こしらえられるように力を尽くすよ。是非を決めるのは、その後なんだろうからね」
「うむ。いまのところ、問題は生じておらんのだな?」
「ああ。あえて言うなら、これまで以上に薪を使うようになったってことぐらいかねえ。それが女衆の負担になるかどうかを見極めるには、もう何日か続けてみないとわからないね」
「薪拾いぐらい、どうにかなるってば! そんなことで美味なる料理をあきらめるのは、もったいないよ!」
そんな風に言ってから、末妹はマルフィラ=ナハムを振り返ってきた。
「ほらほら、マルフィラ姉ももっと食べなよ! まだ肉団子しか食べてないんじゃない? このすてーきって料理も、すっごく美味しいんだから!」
「う、うん。わ、わかった」
そうして晩餐は再開された。
『ギバ・ステーキ』も、確かに美味である。串焼きにした肉よりも、遥かに瑞々しく感じられるのだ。それは何故かと思い悩んだマルフィラ=ナハムは、やがてひとつの答えに行き着いた。
(そうか。串焼きにすると、溶けた脂は全部下に垂れちゃうんだ。でも、こうやって最初に表面を強い熱で焼くと、汁や脂はこぼれにくくなるだろうし……こぼれた汁や脂は、果実酒の煮汁に溶け込んでる。だから、こんなに美味なのかもしれない)
『肉団子』ほど未知なる味わいではなかったが、それゆえに、『ギバ・ステーキ』の仕上がりはマルフィラ=ナハムに衝撃をもたらした。ただ肉を焼き上げるというだけでも、そういう細かな部分に配慮するだけで、これほどに仕上がりが異なってくるのである。
そのように考えると、また新たな涙がこぼれてしまいそうであった。
美味なる料理が、マルフィラ=ナハムの情動を揺り動かしてやまないのだ。
これほどの幸福感がいきなり目の前に転がり出てきたことを、どのように受け止めればよいのか。心が混乱してしまっているのかもしれない。ただ何にせよ、マルフィラ=ナハムが幸福であることには一片の疑いもなかった。
「ああ、そういえば……さきほどラヴィッツの家人が訪ねてきたことを、まだ母さんには伝えていませんでしたね」
と、幼子の食事をやわらかい眼差しで見守っていた長姉が、ふいにそのようなことを言いだした。
「明日の朝、ナハムとヴィンの家長はラヴィッツ本家に集まるようにと言い渡されました。ファの家のアスタからの提案を論じ合いたいとのことです」
「ファの家のアスタからの提案?」
「はい。宿場町での商売が正しい行いであるかどうか、ラヴィッツの血族も実際にそれを手伝うことで見定めてもらいたいと……ファの家のアスタは、そのように言いたてているそうです」
マルフィラ=ナハムは、思わず木皿を落としてしまいそうになった。
母親は、うろんげに眉をひそめている。
「なるほどね……ファの家の行いに反対しているベイムの家も、そうやって屋台の商売に関わってるって話だったね。ついにラヴィッツの血族にまで、そんな話を持ちかけてきたってわけかい」
「はい。それに、ザザの眷族であるディンの家も、ずいぶん昔からファの家の商売を手伝っているそうではないですか。確かにファの家の是非を見定めるには、必要な行いであるのかもしれません」
「うむ。ファの家が悪しき心を持っていないかどうか、それはつぶさに見届ける必要があろうな。俺も明日の話し合いでは、そのように進言するつもりだ」
家長は、そのように言っていた。
マルフィラ=ナハムは、思わず身を乗り出してしまう。
「そ、そ、それじゃあラヴィッツの血族からも、誰かをファの家に送り出すってこと?」
「うむ。明日の話し合い次第だがな」
マルフィラ=ナハムは、頭がぐらぐらと揺れ出すほど昂揚してしまっていた。
「あ、あ、あの……そ、そ、それだったら、わ、わ、わたしが行ってみたいんだけど!」
家人の全員が、けげんそうにマルフィラ=ナハムを振り返ることになった。
ふたりの幼子たちまでもが、きょとんとマルフィラ=ナハムを見やっている。
そんな中、家長は「いや」と首を横に振った。
「そのように重要な役割を、まだ若いお前のような人間に任せることはできん。たとえファの家のアスタの言葉を聞き入れるとしても、親筋たるラヴィッツの家から然るべき人間が選ばれることであろう」
「そ、そ、そっか……そ、それはそうだよね……」
マルフィラ=ナハムは、全身から力が抜けていく思いであった。
すると、末妹が「どうしたの?」と笑いかけてくる。
「マルフィラ姉がそんな風に名乗りをあげるなんて、珍しいじゃん。そんなに屋台の商売を手伝ってみたかったの?」
「や、や、屋台の商売はよくわからないけど……ア、アスタっていう人の仕事を手伝えば、もっともっと美味なる料理について知ることができるのかなって思って……」
「そのような心持ちでは、なおさら任せることはできんな。これは森辺の行く末を左右する、きわめて重要なる話であるのだ」
厳しい声で言ってから、家長は少しだけ口調をやわらげた。
「お前はお前の仕事を果たすがいい、マルフィラよ。いつか縁あれば、ファの家のアスタとまみえる機会も生まれよう」
「は、は、はい。わ、わかりました……」
マルフィラ=ナハムはしばらく悄然としていたが、じょじょに力を取り戻すことができた。
よく考えれば、自分などがファの家におもむいても、何か得られるとは思えない。この数日でようやく美味なる料理というものに触れることができたマルフィラ=ナハムなど、ファの家のアスタの前では赤子も同然であるのだった。
(とにかくいまは、母さんから習い覚えた仕事を頑張ろう。この肉団子だってすてーきだって、もっともっと美味しく仕上げることができるような気がするし……昨日の煮物や炒め物って料理も、きちんとした完成品を作りあげてみたい。わたしにやれることは、こんなにたくさん残されているんだ)
そのように考えると、目の前が光に包まれるような心地であった。
マルフィラ=ナハムは今日という日を境に、美味なる料理にすっかり魅了されてしまったのだった。