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異世界料理道  作者: EDA
第四十六章 群像演舞~五ノ巻~
792/1684

第六話 磊落の剣士

2019.9/15 更新分 1/1

 およそ1年と4ヶ月前――昨年の白の月の話である。

 ジェノスの城下町のとある酒場において、その夜もデヴィアスは護民兵団の仲間たちと大酒をかっくらっていた。


「それにしても、納得のいかぬ話です!」


 仲間のひとりが、酒杯を振りかざしながらそのようにわめきたてた。ここ数ヶ月でデヴィアスのもとで働くことになった、新参の若い兵士である。

 キミュスの足肉をかじっていたデヴィアスは、「うむ?」とそちらを振り返った。


「いったい何を騒いでおるのだ? また町の娘を口説くのに失敗をしたのか?」


「そのような話ではありません! 俺は中隊長殿のために声をあげているのです!」


「そのように騒ぐことが、どうして俺のためになるのであろうな。何にせよ、酒場を追い出されたくなかったら、もう少し声を落とすべきだと思うぞ」


 そこは城下町でも、場末の酒場であった。どうもデヴィアスの周囲には野卑な人間が多いので、あまり中央寄りの酒場では歓迎されないのだ。

 ただし、場末であっても城下町であるので、無法者の類いはいない。よってその日も、もっとも騒がしいのはこの護民兵団の面々であるようだった。


「中隊長殿は、誰よりも武勲をあげています! この前の遠征でも、盗賊団の首領めを見事にとっ捕まえたではないですか! 俺は中隊長殿の下で働けることを、心から誇らしく思っているのです!」


「そうなのか。その割には、あまり敬われている気がせんな」


「だから俺は、今度こそ中隊長殿が大隊長に昇格するのではないかと期待をかけていたのです! その期待は、ものの見事に裏切られることになってしまいました!」


 デヴィアスの言葉など耳に入っていない様子で、若き兵士はわめき散らした。相当に酒が回っている様子である。

 すると、隣の卓でママリアの蒸留酒を楽しんでいた別の兵士が、笑顔で割り込んできた。


「お前の言うことはわからなくもないが、剣士としての力量だけで昇格できたら世話はない。より重要なのは、血筋や人脈や社交術なのだろうよ」


「血筋や人脈や社交術で、敵を斬れますか? 我が護民兵団に必要なのは、無法者を討伐するための力量でありましょう?」


「敵を斬るのは、俺たち一兵卒の役割だろ。大隊長なんてのは指揮を取るのがお役目なんだから、剣士としての力量なんて二の次にされちまうんだよ」


「しかし! 近衛兵団の団長たるメルフリード閣下などは、闘技会で第一位となるほどの剣士ではありませんか!」


「それはあの御仁が、たまたま剣士としても優れていたってだけの話だろ。そもそもあの御仁は侯爵家の跡取りなんだから、どんな地位でも思いのままさ」


 若い兵士は、まったく納得のいっていない様子で酒杯をあおった。


「メルフリード閣下のような卓越した剣士であれば、どのような地位についても文句はありません! しかし、どうしてあんな青二才や、剣を振り回すこともままならないご老人が、大隊長の座を賜ることになってしまうのです? その座に相応しいのは、このデヴィアス中隊長殿であるはずです!」


「おいおい、大きな声で迂闊なことを言いたてるなよ。どこで誰が聞いているかもわからんのだぞ?」


「俺は何も恥じ入るようなことは口にしていません! たとえ鞭で叩かれようとも、何度だって同じ言葉を口にしてみせましょう!」


 蒸留酒を楽しんでいた兵士は「やれやれ」と苦笑しながら、デヴィアスのほうに椅子を寄せてきた。


「若い人間はグリギの棒みたいに真っ直ぐで、まいっちまいますね。中隊長殿としては、如何です?」


「うむ。このキミュスの足肉は、香草がきいていて美味い」


「誰も料理の感想なんて聞いちゃいませんよ。部下の兵士にこれだけ慕われたら、悪い気はしないでしょう?」


「悪い気はしないが、さっきはあいつに果実酒をひっかけられたからな。ありがたさも半減だ」


 そう言って、デヴィアスは綺麗に肉をこそいだキミュスの骨を、皿の上に放り投げてみせた。


「それに、俺などが大隊長に選ばれるわけがあるまい。大隊長というのは、千名の兵士を率いる立場であるのだぞ。俺がそのような器に見えるか?」


「器だけの話なら、見えなくもありませんよ。あなたは口さえ開かなければ、なかなかの風格をお持ちですからね」


 この兵士は10年来のつきあいであるので、上官たるデヴィアスにも遠慮がなかった。


「ただ、さっきも言った通り、大隊長までのぼりつめるには、血筋や人脈や社交術ってやつが必要なんでしょう。新しい大隊長に任命されたのも、みんな侯爵家やら伯爵家やらの縁故でしょうしね」


「うむ。父親の代から騎士階級である俺などに付け入る隙間はなかろうな」


 護民兵団はここ数日で、大々的な変革を迎えることになった。団長たるシルエルと、その副官と、第一大隊長が罪人として捕縛されてしまったのである。

 現在は第二大隊長が団長代理として団を切り盛りしているが、いずれその人物が正式に新たな団長に任命されれば、第二大隊長の座も空くことになる。これだけの大規模な人事の異動が為されることなど、護民兵団の長い歴史の中でも未曽有の出来事であるはずだった。


 そして本日、新たな大隊長に任命される人間の名が、内々で発表された。それがさきほど「青二才」と「ご老人」と揶揄された人々であったのだ。

「青二才」はジェノス侯爵家、「ご老人」はサトゥラス伯爵家に縁ある人間だと聞いている。なおかつ、「青二才」はデヴィアスと同じく中隊長であった身であり、「ご老人」は第二大隊長の副官であった身であるとのことであった。なおかつ団長の副官に関しては、近衛兵団から然るべき立場の人間が回されてくるという、もっぱらの噂であった。


「まあ、俺もこのたびの人事には不満がないわけではない。大声でわめき散らすほどではないがな」


「おや。やっぱり中隊長殿も、心の奥ではひそかに昇格を望んでいたのですか?」


「俺のことではない。護民兵団の団長に相応しいのは、我が第四大隊の隊長殿ではないだろうか?」


 男は、「ああ」と苦笑した。


「確かに我が第四大隊の隊長殿は、団長に相応しいお人だと思いますけれどね。でも、中隊長殿と同じように、血筋や人脈や社交術というやつが足りていなかったのでしょうよ」


「うむ。隊長殿も、騎士階級の出であったからな。それが剣の腕ひとつで大隊長の座までのぼりつめたのだ。それは敬服に価する行いであろう」


 ジェノスにおける騎士階級というのは、決して高い身分ではない。貴族と平民の間に位置する、きわめて曖昧な存在なのである。一族の男児が兵団の一員として働いている間は、家族の住む場所や給付金も保証されるが、それも微々たるものであるのだ。よって、より重要なのは兵団内における役職であるのだった。


「大隊長にまでのぼりつめれば、宮廷のちょっとした祝宴なんかにも呼ばれるようになるのでしょうしね。そうしたら、こんな場末の酒場で飲む必要もなくなるってわけです」


「うむ? 宮廷の祝宴というのも悪くはないが、ああまで貴族がうじゃうじゃとひしめくのは、なかなか堅苦しいものだぞ」


「おや? まるで見てきたような物言いですね。……ああ、そうか。闘技会の祝賀の宴には参席したことがあるのでしたね」


「うむ。あのような場では、酒や料理を楽しむのもひと苦労だ。ならばこうやって、気安い仲間たちと酒杯を酌み交わすほうが気楽であろうよ」


「へへ。あなただったら、そうかもしれませんね」


 そう言って、男は楽しそうに目を細めた。


「まあ……実を言うと、俺も心の片隅ではちっとばかり期待してたんですよ。あなたが大隊長に任命されたら面白いのになってね」


「大隊長の座を、面白いかどうかで決めることはできまい。それに俺は、盗賊や無法者を追いかけ回すのが性に合っているのだ。陣の後方から命令を下すだけの役割というのは、退屈でならん」


「でも、大隊長になったら宮廷の姫君たちとご縁を持てるかもしれませんよ?」


「む……それはいささか、心を動かされるな」


 デヴィアスの言葉に男が笑い声をあげたとき、さきほどの若き兵士が最敬礼の姿勢を取った。


「隊長殿! このような場で、どうされたのでしょうか?」


「ここは酒場だ。酒を飲む以外に用事があるか?」


 陽気に笑いながら、大柄な男がこちらに近づいてくる。その人物こそが、デヴィアスたちの上官たる第四大隊長であった。

 デヴィアスたちも立ち上がろうとすると、大隊長は笑顔でそれを制止させた。


「職務のさなかでもないのに、敬礼は不要だ。お前たちは、今宵もぞんぶんに飲んだくれているようだな」


「はい。隊長殿も、飲んだくれに参られたのですか?」


 デヴィアスのかたわらにいた男が、気安い調子で声をあげる。

 大隊長は「まあな」と笑いつつ、デヴィアスに目を向けてきた。


「ただ、デヴィアスにちょっと話がある。果実酒を一杯空ける時間だけつきあってもらおうか」


「はいはい、承知つかまつりました」


 デヴィアスは大隊長と連れ立って、空いている席に移動した。

 大隊長はデヴィアスよりも10歳年長で、42歳となる。さすがに剣をふるう機会も減って、ずいぶんと肥えてきてしまっているが、それが大隊長らしい貫禄を与えている。若き頃には闘技会でも栄誉ある成績を残した、生粋の武人であった。


「例の人事については、すでに聞き及んでいような?」


 席に着くなり、大隊長はそのように問うてきた。

 持参した酒杯の中身をひと口飲んでから、デヴィアスは「はあ」と応じる。


「それは、新たな団長やら大隊長やらに関してですな? むろん、聞き及んでおりますよ」


「うむ……わたしはお前を推挙したのだが、それを聞き入れてもらうことはできなんだ。次の大隊長に相応しいのは、お前だと思ったのだがなあ」


 デヴィアスは、思わずきょとんとしてしまった。


「隊長殿が、俺を推挙したのですか? 何故です?」


「それはお前が、わたしの部下の中でもっとも優秀な人間であるからだな」


 笑いながら、大隊長も酒杯を傾けた。


「しかし最近では、いっそう血筋というやつが重んじられているようだ。少し前まではわたしなどが大隊長に選ばれていたのに、不公平なことだな」


「いやいや、隊長殿は大隊長になるべくしてなったのです。俺などと比べることはできませんよ」


「そのようなことはない。血筋だけで役職を定める危うさが露呈したばかりだというのに、宮廷の連中は何もわかっておらんのだ」


 それは、このたび罪人として捕縛されたのが、のきなみトゥラン伯爵家の血筋であったことを指しているのであろう。当主の弟であったシルエルばかりでなく、副官や第一大隊長もトゥラン伯爵家の傍流の血筋であったのだ。そもそもは、そういった血筋であったからこそ厳しい取り調べを受け、それで罪が明るみになったのだという話であった。


「貴き血筋に生まれついたとて、善良な人間に育つとは限らん。そんな当たり前のことが、どうしてわからんのであろうな」


「それはまあ、自分の血族をひいきしたいというのは、誰でも持つ自然な気持ちであるのでしょう。俺だって、家族には幸福になってほしいですからな」


「しかし、身に余る役職を与えていい理由にはなるまい?」


「はあ。このたび大隊長に選ばれた方々は、身に余っているのでしょうか?」


 大隊長は、「ふふん」と鼻を鳴らした。


「まあ、血筋だけで選ばれたわけではないというのはわかる。しかし、血筋を考えなければ、もっとも大隊長に相応しいのはお前であろうな」


「ずいぶんと俺を持ち上げてくれるのですね。……もしかしたら、酒代を浮かそうというお考えですか?」


「部下に酒代をねだるほど落ちぶれておらんわ。まあ、若いお前には次の機会も生まれよう。また別の大隊長が不始末を起こしたら、そのときは楽しみにしているがいい」


 そうして大隊長は果実酒を飲み干すと、早々に立ち上がった。


「それではな。明日の職務に触らぬよう、ほどほどにしておけよ」


「え? 隊長殿は、もうお帰りなのですか?」


「うむ。用事は果たしたからな」


 大隊長は手を振って、酒場を出ていった。

 つまりは、デヴィアスと言葉を交わすために、この酒場を訪れたということなのだろう。


(ありがたい話だな。俺こそ隊長殿の期待に応えられず、申し訳ない限りだ)


 そんな風に考えながら、デヴィアスは馬鹿騒ぎをしている仲間たちのもとに戻ることにした。


                      ◇


 その数日後である。

 宿舎で眠りこけていたデヴィアスは、時ならぬ騒乱で目を覚ますことになった。


 扉の向こうから、大勢の人間が回廊を駆けている足音が響いている。そこに人間のがなり声まで交錯し、とうてい眠っていられるものではなかった。


(いったい何だというのだ。戦でも始まったのか?)


 寝台から起き上がったデヴィアスはあくびを噛み殺しつつ、壁に掛けられていた長剣をひっつかんだ。

 そうして細めに扉を開けてみると、赤や銀色の光がちくちくと目を刺してくる。灯篭を掲げたジェノスの兵士たちが、回廊を駆け回っているのだ。


(ふむ。中隊長の俺を差し置いて、出陣の命令でも下ったのだろうか)


 デヴィアスは、扉の隙間から顔だけを出すことにした。


「おい、これはいったい、何の騒ぎであるのだ?」


 目の前を通り過ぎようとしていた兵士のひとりが、ぎょっとした様子で立ちすくむ。まごうことなき護民兵団の甲冑姿であり、胸章が示すのは第一大隊の所属だ。ジェノス侯爵家に縁ある「青二才」に統括される部隊である。

 兵士は長剣の柄に手をかけながら、厳しく声をあげた。


「な、何者か! 所属を明らかにせよ!」


「はいはい。俺は第四大隊所属、第三中隊長のデヴィアスでありますよ」


「中隊長か。……姿をお見せいただきたい」


 デヴィアスは頭をかきながら、扉を押し開けた。

 デヴィアスの手に握られた長剣を見て、その兵士はすかさず後退する。そして、それに気づいた何人かの兵士たちが足を止め、デヴィアスを包囲した。


「ぶ、武装を解除せよ! さもなくば、捕縛する!」


「おいおい。どうしてお仲間にそんな目で見られなければならないのだ? お前たちが内乱でも起こしたというのならば、俺もこの剣であらがう他ないのだが」


「罪に問われているのは、貴殿の上官である! 我々は、第四大隊長の捕縛を命じられているのだ!」


 デヴィアスは「ふむ?」と小首を傾げることになった。


「俺の敬愛する隊長殿が、どうして捕縛されなければならぬのだ? 罪状を明かしていただこうか」


「罪状は、トゥラン伯爵家の前当主サイクレウスおよび護民兵団の前団長シルエルと共謀し、数々の略奪行為および強殺行為に加担した疑いである!」


 それはつまり、シルエルの副官や第一大隊長と同様の罪状であった。


「ますますわけがわからんな。あれはトゥラン伯爵家にまつわる騒動であったのであろう? 我らが隊長殿は、しがない騎士階級の出自であるはずだぞ」


「と、とにかく武装を解除せよ! さもなくば、貴殿も大隊長と共謀していると見なすぞ!」


 そのとき、「どうした」という低い声が響きわたった。

 何か、腹の底にまで響くような、重々しい声である。

 そちらを振り返った兵士たちは、青い顔で敬礼をした。


「メ、メルフリード閣下! お役目、ご苦労様であります!」


「うむ」と応じつつ、その人物が歩み寄ってくる。

 甲冑姿ではなく、武官の白装束である。そしてその腰には、細めの長剣が2本下げられていた。


「これはこれは、メルフリード殿。あなたまでいらっしゃるということは、どうやら冗談ごとではないようだな」


 デヴィアスも、形ばかり敬礼してみせた。

 護民兵団の中隊長風情では近衛兵団の団長たるメルフリードとも交流を結ぶ機会はないが、彼とは闘技会で何度となく刃を交えている。先年などはメルフリードが第一位でデヴィアスが第二位であったため、ジェノス城における祝賀の宴をともにすることになったのだ。


「貴殿は、デヴィアスか。……そういえば、貴殿は第四大隊の所属であったな」


「ええ。俺の敬愛する隊長殿に大罪の嫌疑がかけられているというのは、真実であるのでしょうかな?」


「うむ。サイクレウスがさきほど、そのように告白したのだ。真偽は審問にて明らかにされよう」


「そうですか」と、デヴィアスは肩を落とすことになった。

 そして、手近な兵士に長剣を差し出す。


「どうかそれが虚偽の告白であることを祈ります。隊長殿は、寝所でお休みのはずですよ」


「うむ。そろそろ引き立てられてくる頃合いのはずだが――」


 すると、回廊の向こうから大勢の兵士たちが突進してきた。


「メルフリード閣下! 寝所は、空でありました! どうやら窮地を察して逃亡をはかったものと思われます!」


「なに? この夜にサイクレウスが告白することなど、誰にも予見はできないはずだが……」


「ですが、寝所には長剣も外套も、銅貨の類いも残されてはおりませんでした! 寝具も大きく乱れており、慌てて逃亡をはかったと思われる痕跡が残されております!」


「ならば、まだ宿舎に隠れている可能性もあるな」


 灰色の瞳を冷たく光らせながら、メルフリードは右腕を振り払った。


「宿舎内を捜索せよ! 第四大隊所属の団員は武装を解除した上で、全団員の所在を明らかにさせるのだ!」


「……今日の夜回りは第三大隊が当番で、第四大隊がそれを補佐しているため、団員の半数は石塀の外でありますよ」


 デヴィアスは、そのように申告してみせた。


「よければ、当番表をお持ちしましょうか? 隊長殿の執務室に保管されているはずです」


 メルフリードはしばらくデヴィアスの顔を見つめてから、「協力、感謝する」と言った。

 デヴィアスは長剣の代わりに灯篭を受け取って、執務室を目指す。その間も、回廊では大勢の兵士たちが行き来していた。


 この宿舎は、城下町に存在する。中隊長以上の役職にあるか、あるいはもともと城下町の民であった兵士たちのための施設である。護民兵団の大多数はサトゥラス領やトゥラン領の人間であるので、そういった者たちは石塀の外の宿舎か、あるいは実家で過ごしているはずであった。


(つまり、この宿舎から逃げおおせたところで、城門を突破することは難しいはずだが……それで逃げ隠れする甲斐があるのだろうか?)


 何にせよ、デヴィアスは自分にできる役目を果たすしかなかった。

 それに――デヴィアスは、自分の目で真偽を確かめたいとも願っていた。


 回廊の突き当たりを左に曲がると、とたんに喧噪が遠くなる。大隊長の寝所は階上であり、階段は右側であったので、こちらの捜索は後回しにされたのだろう。デヴィアスにとっては、もっけの幸いであった。


 暗い回廊をひたひたと歩き、奥から4番目の扉に手をかける。

 ここが第四大隊長の執務室であった。

 デヴィアスは、なるべく音をたてないように扉を開けて、灯篭の火を室内にかざした。

 人気はなく、しんと静まりかえっている。窓には格子が嵌まっているので脱出することはできないし、どうせ宿舎は事前に包囲されているのであろう。指揮を取っているのがメルフリードであれば、そこに抜かりがあるはずもなかった。


(さて……)


 デヴィアスは当番表の収められている棚を素通りして、部屋の奥を目指した。

 向かって右奥の、部屋の角である。そこの足もとを確認すると、床に敷きつめられた絨毯が、不自然にたわんでいた。


 デヴィアスは息をつき、絨毯をめくりあげる。

 その下に隠されているのは、石畳であったが――石と石の間に一部、指先が入るぐらいの隙間が空いていた。

 その隙間に指をかけて力を込めると、石畳の1枚が持ち上がってくる。それは、隠し扉であった。


 ぽっかりと空いた四角い穴の向こうに待ち受けていたのは、灰色がかった石の階段である。

 その暗がりに灯篭を差し向けつつ、「お邪魔します」と声をかけると、「ひっ」というか細い声が返ってきた。


 デヴィアスは、無造作に階段を降りていく。

 そこは貯蔵庫のような狭苦しい空間であり、燭台の小さな火がぽつんと灯されていた。

 そのささやかなる火に照らし出されているのは、長剣をかまえた大隊長である。


「やっぱりこちらにいらしたのですね、隊長殿」


「デ、デヴィアス……どうしてお前が、この隠し部屋を……」


「いや、隊長殿がお留守のときに、たまたま発見してしまったのですよ。もちろんそのときは、中を覗き見るような真似はしませんでしたけれども」


 そのように語りつつ、デヴィアスは溜め息をついてみせた。


「でも、俺は図々しく覗き見るべきであったのですね。職務中に楽しむための果実酒でも隠しているのかな、などと考えていたのですが……まさか、このようなものが隠されているなどとは想像もしておりませんでした」


 そこには、いかにも値打ちのありそうな宝石の飾り物や、銅の彫像、書物の束、それに木箱に詰められた銀貨の山などが鎮座ましましていた。


「トゥラン伯爵家の大罪人たちは、数多くの商団を襲って略奪行為を働いていたそうですね。察するに、隊長殿はそれらの戦果を一時的にお預かりする役目を果たされていたわけですか」


「お前は……お前もわたしを、捕らえに来たのか?」


「それよりもまず、自分の目で真偽を確かめたかったのです。サイクレウスの告白などずべて嘘っぱちであれと、ずっと西方神に祈っておりましたよ」


 しかし、その祈りが通じることはなかった。

 それは、大隊長の様子からして明らかであった。


 外套をかぶった大隊長は、ギーズの鼠のように震えていた。

 普段の大らかさや、武人らしい風格など、すべてどこかに消えてしまっている。デヴィアスよりも大柄ででっぷりとした身体も、ひと回りはしぼんだように感じられた。


「どうして隊長殿が、このような罪に手を染めることになったのです? トゥラン伯爵家と縁故などはなかったはずでしょう?」


「わ……わたしは団長殿に、お声をかけられたのだ。そもそもわたしを大隊長に推挙してくれたのは、シルエル団長殿であったのだからな」


 老人のようにしわがれた声で、大隊長はそう言った。


「あの御方は、恐ろしい御方だ……あのような御方に、わたしなどが逆らえるわけはない。わたしはやむなく、罪に手を染めることになってしまったのだ……」


「ならばどうして、シルエルめが捕縛された際に、ご自分の罪を告白されなかったのです? そうしたら、少しばかりは罪も減じられたでしょうに」


「そ、それは……」


「シルエルたちがいなくなれば、この富を独り占めにできる、とでも考えてしまったのでしょうか?」


 大隊長の顔に、歪んだ笑みが浮かべられた。

 鼠のように怯えた顔よりも、なお醜悪な形相である。


「頼む、デヴィアス……わたしを見逃してくれ。そうすれば、この財宝の半分をお前に与えよう」


「それでどうやって、この場を逃げるおつもりなのです? 外の兵士たちをやりすごすことができても、城門を出ることはかないませんよ?」


「そのようなものは、銀貨でどうとでもできる。しょせん人の世など、そのていどのものであるのだ」


 デヴィアスは、おもいきり溜め息をついてみせた。


「隊長殿に、謝罪を要求いたします」


「謝罪……? お前は、何を言っておるのだ?」


「謝罪と言ったら謝罪ですよ。俺は長きに渡って、あなたのような人間を敬愛してきてしまいました。俺の真心を踏みにじったことを、心から詫びていただきたく思います」


「どこまでもとぼけた男だな……お前など、大隊長に推挙するのではなかったわ」


「なるほど。俺に恩を売りつけて、いずれは何かの悪事に加担させるつもりであったのですね。シルエルが、かつてあなたにそうしたように、ですか」


 デヴィアスは頭をかきながら、その手の灯篭を床に下ろした。


「つくづく見下げ果てた人間でありますね。自分の人を見る目のなさに絶望してしまいそうです」


「ほざくな、うつけ者め……財宝よりも長剣の一撃を欲しておるのなら、望み通りにしてくれよう」


「兵士たちが引き上げるまで、このような場所で俺の屍骸と過ごすおつもりですか? それはなかなかの胆力でありますね」


「死ね!」と、大隊長が長剣を繰り出してきた。

「死なねえよ」と、デヴィアスはその斬撃を回避する。

 そうして大隊長の顔面を横から殴打すると、そのでっぷりとした身体は壁まで吹っ飛び、動かなくなった。


「ああもう、最低最悪な夜だ。俺がいったい、何をしたというのだ?」


「……さしあたっては、報告の義務を怠ったようだな」


 デヴィアスは、薄暗がりの中で飛び上がることになった。


「メ、メルフリード殿? 俺を尾けていたのですか?」


「貴殿がずいぶん思い詰めた顔をしていたのでな」


 石段から、メルフリードと数名の兵士たちが現れた。


「罪人を捕縛し、室内の物品を押収せよ。これが大罪の証となろう」


 兵士たちは無言のままに、命令を遂行した。後ろ手を縄でくくられながら、大隊長は死にかけたギーズのようなうめき声をあげている。


「さて、貴殿はわたしについてきてもらおう」


 メルフリードに灰色の目を向けられて、デヴィアスは「ええ」とうなずいてみせた。


「確かに事前に報告をするべきであったのでしょうね。煮るなり焼くなり、好きにしてください」


「その一件に関しては、のちほど吟味させてもらう。しかしその前に、重要な任務が残されているのだ」


「重要な任務? なんのお話ですかな?」


「北方の町ベヘットに、《黒死の風》なる盗賊団が潜伏していると、サイクレウスが告白した。その者どもこそが、サイクレウスらの命令で商団を襲っていた実行犯であるとのことだ」


「ええ? 商団を襲っていたのは、森辺のスン家とかいう連中だという話ではありませんでしたか?」


「スン家はもう何年も前に、すでにその力を失っていた。それ以降は、その者どもがサイクレウスらの手足となって悪行を働いていたという話であるのだ。その者どもを殲滅するまで、このたびの騒動は終わらぬ」


「……その討伐任務に加わることを、お許しいただけるのですか?」


「大隊長が捕縛された現在、第四大隊を率いる人間が必要であるのだ」


 それだけ言って、メルフリードはきびすを返した。

 デヴィアスは、「承知しました!」とわめきたててみせる。


「お礼を言わせていただきますよ、メルフリード殿! 盗賊どもには気の毒ですが、この鬱憤は剣を振り回すことで発散させていただきましょう!」


                     ◇


「……そうして俺は、その夜の討伐任務を終えたのち、メルフリード殿の推挙を受けて、第四大隊長の座を賜ることになったわけだな」


 デヴィアスがそのように締めくくると、アイ=ファはがっくりと肩を落とした。


「長かった……どうして私たちが、そのような話を長々と聞かされなければならなかったのであろうか」


「さて、何故だったかな。まあ、話の流れというやつであろうよ」


 ここは宿場町の、森辺の民が経営する屋台の横手の食堂であった。

 本日は、復活祭の前の最後の休日であったので、デヴィアスは仲間ともどもこの場所を訪れることになったのだ。そこでアイ=ファと巡りあえたのは、思いも寄らぬ僥倖であった。


「でも、とても興味深いお話でしたよ。何せ俺たちは、サイクレウスが罪を告白する場所に居合わせておりましたからね。メルフリードはその足で、みなさんの眠る宿舎に向かったということなのでしょう」


 にこにこと愛想よく笑いながらそのように言ってくれたのは、アスタであった。彼はさきほどまで旧知の仲であるという東の民たちと談笑していたが、その者たちがようやく席を立ったため、デヴィアスのもとにやってきてくれたのだ。


「当たり前の話ですけれど、俺たちは顔をあわせる前から、自分たちの知らないところで苦労や喜びを分かち合っていたのですね。それを嬉しく思います」


「そう! 俺もそういうことが言いたかったのだ、たぶん」


「虚言を吐くな。あなたがそのようなことを考えながら語っていたとは思えんぞ」


「だから、たぶんと言っているではないか。アイ=ファ殿は、俺に手厳しいな」


 すると、同じ卓で騒いでいた仲間の兵士が笑い声をあげた。


「そりゃあそうでしょうよ。そんな武勇伝で森辺の狩人を口説こうってのが筋違いなんです」


「なに? 俺はこのような話が武勇伝だとは思っていないし、そもそもアイ=ファ殿を口説こうなどという気持ちもないぞ。アイ=ファ殿には、アスタ殿という立派な連れ合いがおられるのだからな!」


「それじゃあどうして、そのアイ=ファってお人をつけ回してるんです?」


「だから、つけ回してなどはおらん。ただ、アイ=ファ殿のようにお美しい女人は、目にしているだけで眼福ではないか。なあ?」


 と、美麗にして勇猛なる女狩人のほうを振り返ってみると、彼女は顔を赤くしながら、わなわなと肩を震わせていた。


「おお、そうか! 森辺の女人の容姿を褒めそやすのは習わしに反するのであったな。まったく難儀な習わしであるが、ここは深く詫びさせていただこう」


 それでもアイ=ファは怒りと羞恥に打ち震えていたが、同じように顔を赤くしていたアスタが「まあまあ」と取りなしてくれた。


「何はともあれ、今後ともよろしくお願いいたします。こうして顔をあわせる機会は、なかなか訪れないのでしょうけれど……同じジェノスの空の下で、みなさんと喜びや苦労を分かち合えれば嬉しく思います」


 そんなアスタの言葉に、デヴィアスは笑ってみせた。


「俺もそのように思っているぞ! たぶんではなく、絶対にな!」

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