③ファの家の密談会
2014.9/21 更新分 1/2
「なあ、本当にどう思うよ、あのおっさんのこと?」
ぐつぐつとポイタンを煮詰めながら、俺はアイ=ファに呼びかける。
「何だか話せば話すほど、俺にはつかみどころがなくなっていくんだけど。これ以上はもう関わらないほうが賢明なのかなあ?」
「……わからん」と応じるアイ=ファの声も、少し元気がない。
「元より私には石の都の住人と縁を結ぶ心づもりもないが、あの男はべつだん道理に反した発言はしていない。ただ、態度がこれ以上もなく不真面目なだけだ」
「そうなんだよな。あのおっさんを信用することができれば、どれほど楽かと思えるよ。……意見は合わないけど無茶苦茶に真面目そうなジザ=ルウなんかとは対極の人間性かもな。ふたりとも、いっつも笑ってるような顔をしてるくせに」
「しかも、あの男は――ギバの肉を、口にした」
と、アイ=ファは暗い目つきでつぶやく。
「石の都の住人が、あのような真似をするとは思わなかった。私にはそれが一番の驚きだった」
「そうなのかな。俺は森辺の生まれじゃないし、宿場町にも1回きりしか行ったことはないけど、でも、その件に関してもやっぱりあのおっさんの言葉で納得できちまったな」
「……どういうことだ?」
「え? だから、ギバやギバを狩る民を災厄の象徴と見なしているのはジェノスの生まれの人間だけって話さ。そりゃあ実際に田畑を襲われていたジェノスの人間だったら、色んな誤解や思い込みが生まれちまう余地もあっただろうけど。よその土地からやってきた人間にしてみりゃ、ふーんそうなんだ?ぐらいの意識でしかないだろ。しかも、実際にギバが災厄の象徴と見なされていたのは80年も前の話なんだからさ」
「…………」
「で、あそこで商いをしている人間の大半はジェノスの現地人なんだろうから、森辺の民は自分たちを怖れる人間としかほとんど接触していなかった。あのおっさんみたいに森辺の民の迫力やちょいと閉鎖的な気性をものともしない他国の人間がもっとたくさんいたら、ここまで誤解が広まることもなかったのかもしれないな」
「……アスタ、お前の話は難しい」
と、ついにアイ=ファが弱音を吐いた。
あの、アイ=ファがである。
「やっぱりお前は、ジェノスでなくとも石の都の生まれなのだな。お前の言葉は、あのカミュア=ヨシュという男と同じぐらい、理解し難い」
「ああ。確かに、俺の生まれ育った場所は、森辺よりも宿場町に近いお国柄だったよ。でも、理解し難いからって理解し合う努力を怠るのは――」
「誰が努力を怠っているというのだ」
その弱々しい声の響きに、俺はハッとして振り返る。
かまどの近くの壁にもたれて座りこんでいたアイ=ファは、俺の想像よりも遥かに沈痛な面持ちで目を伏せてしまっていた。
「理解し難い話ではあるが、理解しようとは努めている。その理解が遅いからといって、お前は私を責めるのか……?」
「い、いや、違う! ごめん! 俺が悪かった! 頼むから泣かないでくれ!」
「誰が泣くか! お前は私を何だと思っているのだ!」
まるで俺みたいな台詞を吐きながら、アイ=ファは少し赤い顔をした。
うん。泣きそうな顔をしているより、そっちのほうが万倍もいい。
「それじゃあとにかく、今のうちに段取りを決めておこう。あのおっさんに何をどこまで打ち明けるべきか。知られてまずいことはないか。知ってもらうべきことはないか。そのあたりのことをきっちり決めておいたほうがいいと思う」
「わかった」と応じながら、何故かアイ=ファはおもむろに立ち上がり、ポイタンを煮詰める俺の背後へと回りこんできた。
何だ何だと思っているうちに、両方の肩に手をそえられて「お前はどう思う、アスタ?」という囁き声を耳の内側に注ぎこまれる。
俺のほうが少しばかり背が高いので、きっと背伸びでもしているのだろう。両肩以外は触れられていないが、背中全体にうっすらとアイ=ファの体温が感じとれる。
「ちょ、ちょっと待て! 何であのおっさんを追い出したのに、そんな内緒話モードなんだよ?」
「あの男が本当にこの家を離れたかもわからんではないか? 壁の外で聞き耳をたてていたら何とするつもりだ?」
だからといって、これからの数時間をこんな密接状態で過ごすつもりか!
「ま、待ってくれ! どうやらポイタンが煮詰まったようだ。先にこいつを処理しちまおう」
体温が、すうっと遠ざかっていく。
ああ――ヴィナ=ルウよりも心臓に悪い。
俺はでろでろに溶けたポイタンをゴムノキモドキのお船に移しつつ、額の汗をこっそり拭った。
3人分、6個分のポイタンである。
あの男、夕暮れ前には戻るから、晩餐をご一緒させてくれないかとか言い出したのだ。
「家に泊めろとは言わないから! 森辺の民の食生活というものに俄然興味がわいてしまったんだよ! 代価が必要なら、きちんと支払う!」
やたらと高級そうな果実酒を持参してくれた客人に代価を求める気にはなれない。アイ=ファが複雑そうな面持ちながらも了承の返事をしたので、俺は3名分の食事を作る段と相成ったのである。
「さて。密談の前に献立を決めないとな」
焦げて残ったポイタンの滓を木べらでこそぎ取りつつ、俺は後方に引き下がったアイ=ファを振り返る。
「晩餐は何がいい?」「はんばーぐ」
早い!
「あ」という顔をして、アイ=ファは「…………はんばーぐ」と言い直した。
いや、言い直されましても。
「そうか。よく考えたら、この献立を決めるのも密談の一環になるのかもしれないな」
すうっと横合いから近づいてきたアイ=ファが俺の首に手をかけて、頭の位置を同じぐらいの高さに修正してから、「どういうことだ?」と囁きかけてきた。
こいつ、本気なのだろうか。
「いや、ハンバーグを森辺の定番料理だと思われるのは、よくないことだろ? かといって、こまかい説明をするとルウやルティムとの関係性にまで話が広がっちまうし。そのあたりの情報もどれぐらい公開するのか、とかそういうことを決めておいたほうがいいと思う」
しかたないので、俺もアイ=ファに囁きかけるしかないのだが。
近いんだよ。俺を窒息死させる気か?
しかし、どんなに息を止めたって、香りの微粒子が鼻腔にもぐりこんでくるぐらいの超至近距離である。
間食したばかりなのに、アイ=ファの香りに新たな食欲まで喚起されてしまう。
アイ=ファは少し首を傾げてから、また俺の耳に唇を寄せてくる。
「……何故だ?」
「あのさあ! 相槌を打つだけなら囁き声じゃなくてもいいんじゃないのかな!?」
「それもそうだな」と応じつつ、また耳を向けてくる。
やっぱり俺は囁かなくてはならないのですか。
「えーっとな。あのおっさんは、領主ともつながってるような身分だろ? そういう相手に間違った情報を吹き込むのは誤解のもとになるし。かといって、スン家に対してよからぬ気持ちを持っていそうなあの御仁に、ルウやルティムの内情を話しすぎるのもまずそうじゃないか?」
「……しかし、あの男はすでにドンダ=ルウと出会ってしまっているし、私たちが宴に関わっていたことまで知られてしまっているではないか?」
囁き声。
もう何だか右の耳たぶが溶けてしまいそうだ。
「そうだな。だから、重要なのは……ドンダ=ルウが、機会さえあればスン家を叩き潰したがっているように見受けられるってことを、あのおっさんに隠すか打ち明けるかっていう部分かな」
この質問には、しばしの黙考が必要であった。
だいぶん体力を消費してしまった俺は、床に腰をおろして、出番待ちのアリアを指先でつついてみる。
「しかしやっぱり――」
「うひゃい!」
「何だ。驚かすな、馬鹿者」
「お、驚いたのはこっちだ馬鹿! いきなり背後から囁きかけんなよ!」
「……それぐらい気配でわかるだろうが?」
「あいにく俺は狩人ほど優秀な知覚機能を持っていないんだ! 頼むから、接近するなら俺の視界の範囲内から接近してくれ!」
「やかましい男だな……」と不満そうに言いながら、アイ=ファは俺の目の前にぺたりとしゃがみこんだ。
そして、俺の下顎をつかみとり、くいっと横に向けてから、顔を寄せてくる。
「しかしやっぱり、あの男自身がドンダ=ルウと接触する可能性もありうるのだから、下手に隠しても詮無きことであろう。……むろん、積極的に教えてやる義理もないがな」
わかった。逃げ場所なんて、どこにもないのだ。
これはきっと神様だか何だかが俺の理性やら人間性やらに試練を与えてくれているのだな。
神様、すごく迷惑。
「わかった。要点をまとめよう。アイ=ファ、お前があの男に伝えるべきではないと思う事柄は、何だ?」
アイ=ファは、再び黙考した。
俺の鼻先10センチぐらいの位置で。
ちょっと身動きしたら膝がぶつかりそうな距離である。
滅茶苦茶しんどい。
やがてアイ=ファは面をあげ、慌てて横を向いた俺の耳に、最後の言葉を吹きかけてきた。
「……特にない」
「ないのかよ!」
反射的に、その頭をひっぱたきそうになってしまった。
アイ=ファは、すねたように唇をとがらせる。こんな至近距離で。
「密談がどうとか言いだしたのはお前であろうが? お前にはお前の考えがあるのではないのか? あるなら、それを私に聞かせればいい」
で、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
そのお耳に、また俺が囁きかければよいのですね?
何だろう。すでに昨日の大仕事と同じぐらい疲れてきた気がする。
「だからな。お前はお前自身がスン家を森辺の恥だと思っているけれど、それを都の人間に処断されるのは我慢がならないっていう立ち位置なんだろ? たとえば――あのおっさんが、ドッド=スンあたりに罪をかぶせて処刑とかにまで追い込んじまったら、あのおっさんは森辺の民の仇、みたいな存在になっちまうのか?」
アイ=ファは、けげんそうに眉をひそめた。
で、囁き声でなく、普通に応じてくる。
「スン家の人間が都の法や掟によって裁かれるのならば、それは掟を破った側の罪だ。そんな話なら、仇もへったくれもない。……しかし、都の人間が森辺の規律を守る、などという名目を持ち出すのは我らにとっての侮辱であるし、しかもその手段として森辺の人間を手駒にしようとしているならば、それは悪辣な謀略だと感じられる」
ふむ。ちょっと解釈が難しいところだが。都の法を犯したのなら都の人間が裁けばいいし、森辺の掟を破ったのなら森辺の人間が裁けばいい、ということなのだろうか。
「うーん……だけど実際、スン家は掟を破りまくってるじゃないか? それでも現状では、森辺にそれを裁ける人間が存在しないんだろう?」
「何を言っている。私は一度としてスン家の暴虐を見逃したことはないぞ」
「それは知ってる。すごいと思うよ。……だけど、森辺のみんながアイ=ファみたいに振る舞えるわけじゃないだろ? 昨日だって、家長が動くまではみんな物凄い顔つきでスン家の横暴に耐えていたじゃないか?」
「家長の許しもなくスン家に敵意を向けられるはずもない。私は私自身が家長であるから、自由に振る舞えるのだ」
「それじゃあ、嫌な質問だけど……ルウの眷族でない小さな家の人たちは、スン家の暴虐にひたすら耐え続けているのかなあ?」
アイ=ファはちょっと唇を噛み、俺の顔を上目づかいでにらみすえてから、言った。
「いかに族長筋といえども、表だって暴虐なふるまいに出れば、すべての民がルウの家を頼ってしまいかねない。そんな事態にはならないよう、あの痴れ者どももなけなしの自制心をはたらかせているはずだ」
「表だって悪さができないから、裏でこそこそ悪事をはたらいてるってわけか」
「…………」
「アイ=ファ。お前は強い。だから、ディガ=スンやドッド=スンの悪事に粛清を与えることができた。だけど、お前のような強さを持たない人たちが、陰で涙を飲んでいるとしたら――やっぱり、俺には許せないと思う」
「……私には、目の前の暴虐を止める力しかない」
と、アイ=ファが俺の胸ぐらをつかんできた。
そんな乱暴な仕草ではなく、どちらかといえば、ちょっと取りすがるような感じで。
「私に負えるのは自分の身だけだ。だから……」
だから、ひとりで生きてきたのだろうか。
だから、俺の身柄が負担になってしまったのだろうか。
おれはうなずき、胸もとのアイ=ファの手に手を重ねる。
「お前を責めてるように聞こえたんなら、ごめん。誰だって、そんな非道なことを許せるはずがないよな。だからルウやルティムの人たちだって、あれだけ怒り狂っていたんだろう。……ところでさ、スン家の力ってのはそんなに強大なのか? ルウと同等ってことは100人近い眷族がいるんだろうけど、その眷族が全員スン家なんかの言いなりになってるのかなあ?」
「知らん。私にはどの家がスン家の眷族なのかもわからないのだからな」
「ああそう。……でもまさか、眷族の全員が堕落しきってるわけではないんだろう?」
「それも私には知るすべがない。……しかし、スン家の眷族100余名すべてがギバ狩りのつとめを果たしていなかったら、とっくに森はギバであふれかえっているはずだ」
「そうだよな。500人中の100人が堕落してたら、いくら何だって――」と言いかけてから、俺は不吉な言葉を思い出してしまった。
「……そういえば、ルド=ルウが『ギバの数が多すぎる』とか言ってたんだよな。普段は群れをなさないギバが3頭ぐらいで突っ込んできて、それであのシン=ルウの親父さんは足をやられちまったんだ。それで、ファの家のほうの森は最近どうなんだ、って聞かれたんだけど……」
俺の胸ぐらをつかんだまま、アイ=ファは少し厳しい表情をした。
「その答えならば、お前と出会った翌日にはもうしているはずだ、アスタ」
「え?」
「森辺の民が1日におよそ50頭ものギバを狩り続けて、ギバが絶滅したりはしないのか、とお前は問うてきた。その際に、ギバは減るどころか年々増え続けている、と私は答えたはずだ」
「…………」
「ギバの数は、確実に増えている。今は確かに収穫の周期だが、それでも少し異常なぐらいの数だ。……正直に言ってしまえば、今回の収穫期においてはギバ寄せの実など必要ないぐらいに、数多くのギバが森にはあふれてしまっている」
「え? それじゃあアイ=ファは『贄狩り』をしていないのか?」
「ここ数日は、していない。それでも2日に1頭は仕留めている」
「そうなのか? あれえ、おかしいなあ。それじゃあこの甘い匂いはギバ寄せの実の香りじゃなかったのか?」
たちまちアイ=ファは顔を真っ赤にして、胸ぐらをつかむ指先に力を込めてきた。
「ギバ寄せの実の匂いは髪につくとなかなか消えないのだ! そして、私の匂いがどうとかいうふざけた言葉は吐くなと以前から言っておいたはずだな、アスタ?」
「いや、あくまで褒め言葉として……」
「やかましい! ……とにかく、ギバの数は年々増え続けている」
「そうか。でもルド=ルウはそこまでハッキリ断言してたわけじゃないんだよな。せいぜいそんな気がするってぐらいの感じだったぞ」
「……ルウの集落は、私の家よりも南にある。スンの集落は、私の家よりも北にある」
まだちょっと頬には赤みを残しつつ、アイ=ファは激情の火を瞳にちらつかせる。
「だから何だというわけではないが、仮にスン家が狩人としての仕事を放棄し続ければ、その影響は北の側から順に出るのであろうな」
「……で、アイ=ファの感覚としては、年々ギバの数は増え続けてるってのか」
これはもしかしたら――俺が考えていた以上に、事態は切迫しているのではないだろうか。
俺のちっぽけな正義感や道徳心など脇に置いておいても、もしかしたらスン家の堕落を見過ごしているだけで、森辺の民の存在意義は崩落しかねない――のか?
「……アイ=ファ。こいつはもしかしたら、俺たちの手に負えるような話じゃないのかもしれないな。あのカミュアっておっさんは、俺たちなんかじゃなくルウとかルティムとかと親睦を深めるべきなんじゃなかろうか?」
「それは、無為であろう」
「え? どうして?」
「ドンダ=ルウの気性を考えてみろ。もしもスン家の堕落が一線を越えたなら、あの男は迷わず刀を取るつもりだ。石の都の力などいらぬ、自分たちの手で森辺に秩序を取り戻してみせる、とな。――その気持ちは、私にもわからないではない」
そうしてアイ=ファは、アイ=ファらしからぬ様子でふっと息をついた。
「その気持ちがわかるからこそ、私は自分がその争いの火種にはなりたくなかったのだ。ルウの眷族とスンの眷族が総出で争うことになれば、数多くの狩人が失われて、森辺の秩序は完全に崩落し果ててしまうだろうからな」
「だけどそれでも、石の都の力を頼りたくはないってのか……」
俺も溜息をつくしかなかった。
そんな切迫した状況で、俺とアイ=ファは、ジェノスの最高権力者とまで通じているような石の都の住人と知己を得てしまったのである。
わずか2名しか家人の存在しないファの家に、神だか悪魔だかはいったいどんな役割を負わせようとしているのだろう。
とりあえずか弱きかまど番としては、主人と客人のために肉を挽くぐらいのことしかやれることは見当たらなかった。