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異世界料理道  作者: EDA
第四十六章 群像演舞~五ノ巻~
787/1681

    城下町の風雲児(中)

2019.9/10 更新分 1/1

 男爵家の舞踏会から、数ヶ月ののち――銀の月を越えて、ポルアースが22歳、メリムが17歳となった年に、ふたりは婚儀をあげることになった。


 その数ヶ月の間に為されたのは、おもに父と兄の説得である。

 どうやらポルアースの家族たちは、不肖の第二子息がトゥラン伯爵家と縁を紡ぐことを望んでいた様子であった。


 当時のトゥラン伯爵家は、領主筋たるジェノス侯爵家にも迫る権勢を手中にしつつあったのだ。ダレイム伯爵家のみならず、多くの貴族たちがトゥラン伯爵家との縁故を望んでいたのだろう。


 しかし、最後には父や兄も折れることになった。

 ポルアースの情熱にほだされた――というわけではなく、ポルアース風情では政略結婚の手駒にすることも難しい、と判じたのだろうか。


 何にせよ、ポルアースはメリムに婚儀を申し入れることを許された。

 メリムの家族たちは諸手を挙げて、それを歓迎してくれた。彼らにとっては伯爵家の本家筋への嫁入りなど、望外の喜びであったのかもしれない。


 だが、そんな周囲の思惑も、本人たちにとっては些末なことであった。

 家柄だとか何だとか、そんなものは度外視したところで、ポルアースとメリムは絆を深め合っていたのである。


 もともとポルアースたちは、おたがいを恋愛の対象としては考えていなかった。

 しかしそれは相手に魅力を感じていなかったわけではなく、己に対する自信のなさに起因していたのだ。自分がこんな相手に恋情を抱くのは、おこがましいことだ――と、おたがいがそんな風に思い込んでしまっていたのだった。


「だってわたくしは、青虫を愛でることに我を失ってしまうような人間であるのですよ? そんな貴婦人らしからぬ小娘に、ポルアースみたいに立派な御方が恋情を抱いてくださるなんて……そのようなこと、想像できるはずがありませんわ」


「僕のどこが立派だというのです? こんな年まで官職につけずに、家でだらだらしているだけの男なんて、世間的には無駄飯食らいと呼ばれるべき立場であるのですよ」


 そんなやりとりに、当時のふたりの心情は集約されていた。

 ともあれ、そんなふたりが婚儀をあげることになったのだ。


 メリムと過ごす新たな生活は、順風満帆であった。

 というか、ポルアースに限っていえば、幸せの絶頂というものであった。


 同じ屋根の下で生活をともにしても、メリムの魅力が損なわれることはなかった。むしろ、その魅力はいや増すいっぽうであった。とても朗らかで、裏表がなく、他者への思いやりに満ちみちたメリムは、申し分のない伴侶であった。ポルアースの母も、そんなメリムのことを実子のように可愛がってくれた。


 ただひとつ、メリムに欠けていたのは「貴族らしさ」であったのだ。

 メリムは呆れるほどの正直者で、ひどくのんびりとした気性であった。また、身を飾ることや貴族の社交に対しては関心が薄く、舞踏や裁縫やトトス乗りにも興味がなかった。そういう部分が、おそらく家族を心配させていたのだろう。本人も言っていた通り、祝宴よりも青虫を重んじる貴婦人など、このジェノスにはそうそう存在しなかったのだった。


 しかしポルアースは、伴侶に貴族らしさなどは、これっぽっちも求めていなかった。ポルアース自身が貴族の格式というものに煩悶させられていた立場であったので、家庭にまでそのようなものを持ち込まれるのは、まっぴらであったのだ。


「あなたたちは、きっと似たもの同士であったのでしょう。まあ、そこに至るまでの道のりは、まったく異なるものであったのでしょうけれどね」


 ポルアースの母親であるリッティアは、そのように言っていた。もちろん、父や兄たちのいない場所においてである。

 その父や兄たちは、きわめて格式を重んずる人間であった。ゆえに、メリムの存在を手放しで歓迎することはできなかったようだが――それでも、メリムやポルアースが説教を受けるほどの反感は買わずに済んだ。また、こんなにも無邪気でおっとりとした娘を叱りつけるというのは、誰にとっても気が進まないことだろう。最終的に、メリムの教育はリッティアひとりにおまかせして、父や兄たちは我関せずのかまえであった。


 そんな感じに、幸福な日々は過ぎていった。

 が、人の生というのは、平坦ならざるものである。メリムとの婚儀によって幸福の絶頂を迎えたポルアースは、そののちにじんわりとした失墜感を抱え込むことになった。


 もちろん、メリムが何か不始末を犯したわけではない。

 あくまで、ポルアースの心持ちの問題である。

 幸福な日々が1年、2年と過ぎるうちに、ポルアースはまた「このままでいいのだろうか?」という漠然とした不安感にとらわれてしまったのだった。


「ポルアースは、いったい何を気に病んでおられるのでしょう? よければ、わたくしにお話しください」


 ある日の昼下がり、庭園でお茶を楽しんでいる際に、メリムがそのように呼びかけてきた。

 婚儀をあげてから2年が過ぎて、ポルアースが24歳、メリムが19歳となった年のことである。


 母親のリッティアは知人に宴衣装の準備を頼まれたとかで、朝から忙しそうにしていたために、そこにはポルアースとメリムの姿しかない。その気安さから、ポルアースも素直に告白することにした。


「僕は、至らない我が身を顧みているのだよ。君という伴侶を得て、僕はこの上ない幸福を手に入れることができたのだけれども……けっきょくは、父上や兄上に庇護されるだけの無駄飯食らいだ。それが、忍びなくってね」


「無駄飯食らいですか。でも、あなただってご当主様や兄君のお仕事を手伝っておられるでしょう?」


「あんなのは、誰でも代わりのつとまる雑用だよ。あんまり僕を遊ばせていると体裁が悪いから、適当な仕事を割り振ってくれているだけなのさ」


 メリムは立てた指先を可憐な唇に押しあてつつ、「うーん」と可愛らしい声をあげた。


「そうなのでしょうか。殿方のお仕事というのは、わたくしにはよくわからないのですが……それで、あなたはどうされたいのです?」


「僕はもっと、やりがいのある仕事を任されたいと願っているよ。僕なんて、なんの才覚も持ちあわせてはいないけれど、せめてこのなけなしの力を振り絞ってみたいのさ」


 そんな風に答えてから、ポルアースは内心でこっそり付け加えた。


(それで僕は、君が誇らしいと思えるような人間になりたいんだよ)


 そんな言葉を伝えても、メリムを困らせるだけだろう。メリムはそのようなものを伴侶に求める人間ではなかったのだ。

 しかしポルアースは、これまで以上に忸怩たる思いを抱くようになってしまった。メリムとの生活が幸せであればあるほどに、(このままでいいのだろうか……)という思いがつのってきてしまうのだ。


 ポルアースは、ダレイム伯爵家の第二子息として、平穏に暮らしている。このまま官職につかずとも、家を放逐されることはそうそうないだろう。もしも兄の子が育つ前に、父と兄が身罷られてしまったら、ポルアースが伯爵家の当主の座を担うことになるのだ。


 が、あの頑健なる父と兄が早逝することなど想像できないし、兄にはすでに2歳となる男児がいる。まかり間違って兄が魂を返すことになろうとも、父はその子が育つまで、後見人として伯爵家を守り通すことだろう。そうでなければ、ポルアースにももっと後継者としての教育を施していたはずだった。


(要するに、僕はかなり早い段階から、父上に見限られていたということなんだろうな)


 では、父親に見限られた第二子息は、どのように身を立てればよいのか。

 その道筋が、ポルアースにはさっぱり見えてこないのだった。


「あまり思い詰めないでくださいね、あなた。わたくしは、あなたが健やかでいてくだされば、それだけで十分に幸福であるのです」


 卓に置かれたポルアースの手に、メリムの手がそっと重ねられてくる。

 ポルアースが、それに「うん」とうなずいたとき――侍女のシェイラが、楚々とした足取りで近づいてきた。


「おくつろぎのさなか、失礼いたします。お屋敷の外でポルアース様あての書簡をお預かりしたのですが、如何いたしましょう?」


 シェイラも16歳となり、いまでは立派な侍女に育っていた。

 卓の上でメリムに触れていた手を慌てて引っ込めつつ、ポルアースはそちらを振り返る。


「僕あての書簡? 心当たりがないけれど、いったいどこのどなたからかな?」


「はい。《守護人》のカミュア=ヨシュ様と名乗っておられました。わたくしが買い物から戻ってきましたら、その御方が通用口でお待ちになられていて、これをわたくしに託されてきたのです」


 それは、蝋できっちりと封印のされた書簡であった。

 うろんげに思いつつ、その中身に目を通したポルアースは、いっそうの驚きにとらわれることになった。


「これは、メルフリード殿からの書簡じゃないか! どうしてメルフリード殿が、僕なんかに……」


「メルフリード殿というのは、ジェノス侯爵家の第一子爵にして近衛兵団の団長であられるという、あのメルフリード殿のことでしょうか?」


 さしものメリムも、きょとんとした面持ちになっている。

 そちらにせわしなくうなずき返しながら、ポルアースはただちに書面を読みくだした。


「これはいったい、どういうことだろう……ああ、シェイラはご苦労だったね。ちょっと下がっていてもらえるかな? それと、この書簡のことは他の者たちには内密にね」


 この3年ほどですっかり侍女らしい落ち着きを身につけたシェイラは、不満そうな顔を見せることなく一礼して、しずしずと下がっていった。

 その姿が見えなくなってから、ポルアースは勢い込んでメリムに向きなおる。


「メルフリード殿が、僕に力を借りたいと……この書簡には、そのように記されているのだよ。これはいったい、どういうことなのだろうね?」


「メルフリード殿が、あなたに……? あなたはメルフリード殿と懇意にされていたのでしょうか?」


「まさか! ジェノス侯爵家の第一子息なんて、よほど大きな式典ぐらいでしか顔をあわせる機会はないし、僕なんかはちょっとした挨拶を交わすのがせいぜいさ」


「そうですね。わたくしたちが縁を紡いできた祝宴などでも、メルフリード殿のお姿を見かけることはありませんでした」


 そう言って、メリムはにこりと微笑んだ。


「でも、メルフリード殿といえば、公明正大さで知られる御方です。そのような御方からのお願いであれば、何も危ぶむ必要はないのではないでしょうか?」


「うん。だけど……どうして父上や兄上じゃなく、僕なんかに声をかけてきたんだろう……」


 しかもその書面には、父にも兄にも家臣たちにもご内密に――などと記されていたのだ。

 伯爵家の当主や跡継ぎに内密で、第二子息に相談があるなどとは、ちょっと尋常な話ではない。書面に伯爵家の刻印が捺されていなければ、誰かにからかわれているのではないかと疑いたくなるところであった。


(でも、僕なんかに利用価値があるとは思えないからなあ。悪戯や陰謀でなければ、いったいなんだというのだろう)


 もしかしたら――陰謀なのだろうか?

 そのように考えると、ポルアースの心臓が大きく跳ねあがった。


「と、とにかく僕は、その《守護人》とやらに話を聞いてくるよ。このままでは、何がなんだかさっぱりわけがわからないからね」


「お出かけになられるのですか? それではどうかお気をつけくださいね、あなた」


「うん。何かおかしな話だったら、尻尾に火のついたギーズみたいに逃げ帰ってくるよ。……メリム、いちおうこの話は、母上にも内密にしておいてもらえるかな?」


「はい、かしこまりました」


 何を悪びれる様子もなく、メリムは朗らかな笑顔であった。

 義母の存在を軽んじているわけではなく、ポルアースが母親のためにならぬことをするはずがない、と信じてくれているのだろう。そんなメリムの笑顔に心を和まされながら、ポルアースは庭園を後にすることになった。


 屋敷に戻り、シェイラに命じてトトスと車の準備をさせる。

 その書面には、カミュア=ヨシュなる人物と落ち合うための手段も記されていたのだ。ポルアースは従者の中でもっとも信用の置ける人間に御者役を申しつけ、供も連れずにダレイム伯爵邸を後にした。


(書簡を渡す相手にシェイラを選んだってことは、彼女が僕付きの侍女であることも調査済みだったのだろう。それでもって、屋敷を訪れずに僕を外に呼び出すということは……とことん父上や兄上の目を警戒しているということだ)


 そんな風に考えると、背筋がぞくぞくとした。

 なんというか、家族の目を盗んで悪戯にはげむ幼子に戻ったような気分である。伯爵家の第二子息としては軽率となじられてもしかたのないところであったが、ポルアースは胸中に生じた衝動を抑制できなかったのだった。


(僕にそんな、劇的な話が持ちかけられるとは思えない。でも、もしも本当にメルフリード殿が僕なんかを頼ってくれたのなら……何か、周囲のみんなをあっと言わせるようなことができるかもしれないじゃないか)


 そうしてすぐに、トトスの車は目的の地に到着した。

 なんの変哲もない、平民のための宿屋である。指示通りに外套と頭巾で人相を隠したポルアースは、従者にそこで待つように言いつけて、宿屋の内に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。お泊りでございますか?」


 でっぷりと肥えた宿屋の主人が、にこやかに微笑みかけてくる。宿屋などに足を踏み入れたのは初めてのことであったが、さすが城下町だけあって、何も怪しげなところはないようだ。これが宿場町の宿屋であったなら、ポルアースとてうかうかと足を向ける気にはなれなかったことだろう。


「いや、この宿を利用しているカミュア=ヨシュという御方に取り次いでもらいたいのだけれども……」


「ああ、カミュア=ヨシュ様でございますね。2階の1番奥の部屋でございます」


 ポルアースは礼を言い、煉瓦造りの頑丈そうな階段で2階を目指した。

 やはりこのような昼下がりはみんな外に出ているものであるのか、宿屋の中はしんと静まりかえっている。ポルアースは胸を高鳴らせながら、指定された扉を手の甲で叩いた。


「はい」と顔を出したのは、聡明そうな面立ちをした少年である。

 まだ10歳を超えたぐらいの年頃であろう。淡い色合いをした髪を綺麗に切りそろえており、あどけない顔に大人びた表情をたたえている。


「ああ、ええと……ここは、カミュア=ヨシュ殿のお部屋かな?」


「はい。どうぞお入りください」


 何をあやしむ様子もなく、少年はポルアースを部屋に導いた。

 ひと目で全容を見渡せる小さな部屋に、ふたりの男がたたずんでいる。その片方の人物の姿に、ポルアースは度肝を抜かれることになった。


「き、君は……まさか、北の民なのではないだろうね?」


「ええ。俺は北の民を母に持つ身ですが、西方神の子であります」


 その人物は、金褐色の髪と紫色の瞳をしている上に、やたらと長身であったのだ。

 しかし、噂に聞く北の民のように頑健そうな体格はしておらず、ひょろひょろと痩せ細っている。その細面に悠揚せまらぬ微笑をたたえつつ、その人物は西方神に対する宣誓の儀をほどこした。


「この俺、カミュア=ヨシュは、西方神の子であることを誓います。……このような場所に足を運んでいただき、申し訳ありませんでしたね、ポルアース殿」


 それでは、この男がメルフリードの代理人たるカミュア=ヨシュであったのだ。

 その隣に控えていたのも、いかにも荒事を生業にしていそうな厳つい男である。

 最初の少年が扉を閉めて舞い戻ると、その3名は一斉に膝をついて貴族に対する礼を施してきた。


「こちらは俺と同じく《守護人》のザッシュマで、こちらは弟子のレイトと申します。このたびは拝謁を賜ることがかない、光栄であります、ポルアース殿」


「い、いやあ……とにかく、面を上げてくれたまえ。君は、メルフリード殿の代理人であられるのだよね?」


「はい」とカミュア=ヨシュは面を上げた。

 貴族に対する礼儀はわきまえているようであるが、恐れ入る気持ちは持ち合わせていないらしい。その金褐色の無精髭が目立つ顔には、つかみどころのない笑みがたたえられたままであった。


「もっとも、メルフリードから正式な依頼を受けて動いているのは、こちらのザッシュマとなります。ただ、表立った面倒ごとは俺が引き受ける手はずとなっておりますので、紹介状には俺の名を記させていただきました」


「表立った面倒ごと、ね。つまりメルフリード殿は、この僕にも面倒ごとを持ちかけようというおつもりであるのかな? 彼とはほとんど面識もないのに、ずいぶん奇妙な話だねえ」


「はい。ですがこれは、ポルアース殿しかお頼りできない話であるのです。色々と疑問はありましょうが、まずは話を聞いていただけたら幸いであります」


「うむ、まあ、こちらも事情をおうかがいしなければ、何も答えようがないからね。君たちは、僕にどういった話を持ちかけようというつもりであるのかな?」


 ポルアースは精一杯もったいぶった調子で応じてみせたが、そんな虚勢は次の一言で木っ端微塵に打ち砕かれることになった。


「トゥラン伯爵家の当主、サイクレウスの打倒についてです。我々は、サイクレウスが過去に犯した大罪を暴きたてようと画策しているのです」


 そうしてカミュア=ヨシュは虫も殺さぬ微笑をたたえながら、実に恐るべき話を語り始めたのだった。


                     ◇


(あのサイクレウスを打倒するだなんて……そんな馬鹿げた話があるのだろうか)


 その日、ポルアースは眠れぬ夜を過ごすことになった。

 頭の中には、日中に聞いた言葉がぐるぐると渦を巻いている。あまりにも平坦に過ぎる生を歩んでいたポルアースが、突如として暴風雨のど真ん中に放り出されたような心地であった。


「どうして……どうして僕が、そんな大層な話に巻き込まれなきゃいけないのさ? ジェノス侯爵家とトゥラン伯爵家の全面対決なんて、そんな……僕にはあまりに、荷が重すぎるよ!」


 おおかたの話を聞き終えた後、ポルアースはそのようにわめき散らしたものであった。


「ですがこれは、ポルアース殿にしかお頼みできない話であるのです。相手が伯爵家である以上、子爵家や男爵家ではとうてい太刀打ちできないでしょう?」


「だ、だったら僕の父上や、サトゥラス伯爵家のルイドロス殿とか……」


「いえ。それらの方々は、すでに心情的にサイクレウスに屈してしまっております。よくて傍観者、悪ければサイクレウスの側に与してしまうぐらいでありましょう」


 それは確かに、その通りであるのかもしれなかった。

 サトゥラス伯爵家がどうだかはわからないが、ポルアースの父や兄たちはトゥラン伯爵家と縁を結ぶことを考えているのだ。ジェノスにおいて際立った力を持ちつつあるトゥラン伯爵家に、対抗するのではなく迎合しようと目論んでいる。それを思うと、ジェノス侯爵家が危機感を抱くのも然りであるのかもしれなかった。


「何も、ポルアース殿に矢面に立っていただきたいと願っているわけではありません。しかし、近日中にサイクレウスは弾劾されることとなります。そのときに、お力添えをお願いしたいのですよ」


 つまりは、ジェノス侯爵家とトゥラン伯爵家の確執が表沙汰となったとき、ダレイム伯爵家がサイクレウスの側についてしまわないよう、父や兄たちに根回しをお願いしたい、ということなのだろう。

 ポルアースは、溜め息まじりに答えるしかなかった。


「悪いけれど、僕にそのような力はないよ。父上や兄上が、僕なんかの言葉に耳を貸すはすがないさ」


「いえ。そのための交渉材料は、こちらで準備しております」


 そうしてカミュア=ヨシュは、さらに驚くべき言葉を口にした。

 トゥラン伯爵家に大打撃を与えるための、秘策である。

 それは――安値で美味ならぬポイタンを、フワノと同等の価値に仕立てあげる加工の手段についてであった。


(旅人のための粗末な携帯食料でしかなかったポイタンが、町の人間にも食べられるようになれば……それはダレイムに、驚くほどの富をもたらすことだろう)


 そうしてポイタンがフワノに取って代われば、フワノを栽培するトゥラン伯爵家は大きく富を損なうことになる。

 それはつまり、サイクレウスの築いた権勢に大きな傷をつける行いであるはずだった。


「確かにそれなら、サイクレウスにおもねっている人々の心を動かすことができるかもしれない。……でも、どうして僕なのさ? それならいっそう、僕の父上を頼るべきじゃないか?」


「いえ。失礼を承知で真情を語らせていただきますが、あなたの父君や兄君では、駄目なのです。兄君や父君は、石の橋を叩いてなお渡らないという、慎重にして保守的なご気性でありましょう? ……まあ、俺もメルフリードからそういった人物評を聞き及んだだけであるのですが、それではこのような大役も務まらないのです。いまの我々に必要なのは、城を守るための城壁ではなく、城壁を打ち砕くための破城槌であるのですよ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはにんまりと笑ったものだった。


「さきほどもお話ししました通り、我々は森辺の民と手を携えて、サイクレウスという大きな牙城を崩そうと奮闘しております。ジェノスにおいて蛮族と忌み嫌われてきた森辺の民と、あなたの父上や兄上が絆を結ぶには、長きの時間がかかることでしょう。我々が求めているのは、古きの習わしなど歯牙にかけない変革の気風を有した御方であられるのですよ」


 カミュア=ヨシュの笑顔と言葉を思い出しながら、ポルアースは何度となく寝返りを打った。

 あの奇妙な雰囲気を持つ男は、おそらくポルアースの実情をわきまえた上で、あのような提案をしてきたのだ。ポルアースの心の片隅にこびりついた鬱屈や、現状を打破したいと願うひそかな野心、そういったものをすべて見透かされているような心地であった。


「あなた……まだ眠れないのですか?」


 と、同じ寝台に横たわったメリムが、半分夢の中にいるような口調で問うてくる。


「ああ、ごめん。起こしてしまったね。僕にはかまわず、ゆっくり休んでおくれよ」


「ふふ……あなたがそんな風では、眠るに眠れません……」


 メリムの小さな手が、毛布の中でそっとポルアースの手を求めてきた。


「あなたがどのような道をお選びになられても、わたくしはぴったりとおそばについていますので……どうぞ、お心のままにお進みくださいね……」


 月明かりだけが頼りの闇の中で、メリムはやわらかく微笑んだようだった。

 ポルアースはその温かい手を握り返しながら、気力をふるいたたせて笑い返してみせる。


「うん。僕はもう、進むべき道を決めているよ。君には苦労をかけてしまうかもしれないけれど……どうか、僕を信用してついてきてほしい」


「もとより、そのつもりです……」


 しばらくすると、メリムの安らかな寝息が聞こえてきた。

 それを心地好く聞きながら、ポルアースは闇に閉ざされた天井をにらみつける。


(そう。僕はもう、進むべき道を決めたんだ)


 ポルアースは、メルフリードやカミュア=ヨシュたちに協力することを決心していた。

 ポイタンを使って、ダレイムに大きな富をもたらす。そのために、力を尽くすことを決めたのだ。


 森辺の民と絆を結ばなければその手段が得られないというのなら、その大役を果たしてみせよう。

 それは確かに、ポルアースの父や兄たちには務まらない役目であるのだ。つい先日、宿場町で森辺の大罪人が騒動を起こした際も、父や兄たちはたいそう嫌悪の念を示していたのである。


(森辺の民が清らかなる心を持つ一族だなんていう話は、あまりに信じ難いところだけれども……でも、そんなのは関係ない。彼らがダレイムに大きな富をもたらすというのなら、何が何でも絆を結んでやろうじゃないか)


 長きに渡って行き場を失っていたポルアースの熱情が、ついに向かうべき方向を見出したのだ。

 ポルアースは、かつてメリムに婚儀を申し入れたときぐらい、自分が昂揚しているのを感じていた。

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[一言] >書面に伯爵家の刻印が捺されていなければ、誰かにからかわれているのではないかと疑いたくなるところであった。 これはメルフリードからの手紙なので侯爵家の刻印では?
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