愛しき日々(二)
2019.8/26 更新分 1/1
「まず、責任者である外務官殿が不在であることをお詫びさせてもらおうかな。この時期は来客が多いので、外務官殿はひときわ多忙であられるのだよ」
人をそらさぬ笑みをたたえつつ、ポルアースがそのように口火を切った。
しかし貴族に文句を言うことはできないし、そもそも文句を言うような話とも思えない。ラダジッドも、落ち着いた眼差しで「はい」と応じていた。
「まず、昨日のうちに受け取った商品に関しては、なんの不備もなかったと聞いているよ。こちらの要望通り、これまで以上の食材を届けてくれたようだね」
「はい。ご満足、いただけたなら、何よりです」
「うんうん。とりわけありがたかったのは、シャスカだね! シャスカの人気は日を追うごとに高まっているから、いくらでも買いつけたいぐらいなのだよ」
「そうですか。シャスカ、宿場町、売られていない、聞いたので、いささか意外です」
「ああ、宿場町では、まだ注文がないようだね。だけどその分、君たちも懇意にしている森辺の方々が大量に買いつけてくれるのだよ」
そう言って、ポルアースはいっそう楽しげに微笑んだ。
「こと食事に関しては、宿場町やダレイムよりも、森辺の民のほうが銅貨を惜しまないのかもしれないね。フワノよりも安値のポイタンが根付いた宿場町やダレイムでは、なかなかシャスカの注文が入らないのだけれども、森辺では惜しみなく買いつけてくれるのだよ」
「はい。シュミラル=リリン、話、聞きました。シャスカ、粒のまま、食する、とても不思議です。興味、強くひかれます」
「おや? 昨晩は森辺の祝宴に招かれたという話だったけれど、シャスカ料理は出されなかったのかな?」
「はい。来訪、突然であったので、準備、間に合わなかった、聞いています」
リリンの家においては、祝宴で出せるほどシャスカの備蓄がなかったのだ。ルウの家ならばいざ知らず、家人の少ないリリンでは致し方のないことであった。
「なるほどね。しかしアスタ殿の考案した粒のままのシャスカというのは、かれーという料理にまたとなく合うのだよ! 香草の料理を好む君たちであれば、心から満足できるだろうねえ」
「はい。話、聞くだけで、心、躍ります」
ポルアースは、声をあげて笑った。
おそらくは、言葉と裏腹に表情をまったく動かさないラダジッドの様相が愉快であったのだろう。西の王国において、それを愉快と思うか不愉快と思うかは、人によって完全に意見が分かれるところであったのだった。
「それでは、本題に入らせていただこうかな。何件か、そちらにおうかがいしたいことがあるのだけれど……まず、次の買いつけに関してだね。君たちはジェノスを経った後、西の果てにある王都アルグラッドまで巡ったのちに、半年かけて戻ってくるのが通例であるそうだけれども、今回もその旅程に変更などはないのかな?」
「はい。その予定です」
「では、王都においても可能な限りの食材を買いつけていただきたいところだね。ジェノスにおいても王都の食材は、これまで以上に重宝されるようになったのだよ。それでいて、王都にまで足を運ぶ商団が少ないので、君たちが運べるぐらいの分量であれば残らず買いつけることを約束させていただくよ」
それもまた、アスタや城下町の料理人が苦心して、馴染みのない食材をジェノスに流通させた結果であると聞く。これまではサイクレウスが独占していた食材がジェノス中で売りに出されて、供給が追い付かないという話であったのだ。
「あと、君たちはバルドに立ち寄る予定などはないのかな?」
「はい。バルド、交易、盛んですが、王都からの帰り、立ち寄る、不便です。いまのところ、予定、ありません」
「そうかそうか。まあ、そちらは近場を巡る商団にお願いしているから、問題はなし、と。それでよろしかったですよね、トルスト殿?」
「は、はい。わたくしもそのように聞いております」
太ってもいないのにたるんだ頬を震わせながら、トルストがそのように答えていた。
いかにも気弱そうな人物であるが、彼はなかなか目端がきくし、貴族としては誠実な人柄である。たったひとたびまみえただけの相手であるが、シュミラル=リリンはそのように判じていた。
いっぽうリフレイアは、取りすました面持ちで大人たちの話を聞いている。彼女はここ数ヶ月で社交が許されたため、こういった場にも参席するようになったのだ。現在、《銀の壺》との取り引きにおいては、ジェノスの外務官とトゥラン伯爵家の共同で執り行われているのだった。
(女性である上に若年である彼女は、あくまでお飾りなのだろうが……それにしては、真剣な眼差しだな)
おそらく彼女は伯爵家の当主として、責任を果たしたいと考えているのだろう。後見人のトルストにすべてをまかせきりにするのではなく、彼女も矢面に立つ覚悟を決めているのだ。アスタたちから話を聞く限り、彼女はそうして父親の贖罪を為そうとしているのだろうと思われた。
「あ、そうだ。そういえば、君たちはマヒュドラにも出入りしているのだったかな?」
しばらく細々とした打ち合わせを続けたのちに、ポルアースがふっとそのように言いだした。
ラダジッドは動じた様子もなく、「はい」と応ずる。
「マヒュドラ、商売、しています。買いつけた食材、王都など、売っています」
「うんうん。王都でも、マヒュドラの食材は重宝されているようだね。しかし自分たちでは交易をすることもかなわないから、おたがいの友好国である東の商人だけが頼りであるわけだ」
そう言って、ポルアースはふくよかな身体をぐっと乗り出した。
「それで、うかがいたいのだけれど……マヒュドラの食材というのは、西の民の口にも合うものなのだろうかな?」
「はい。王都の人々、感想、聞いたこと、ありませんが、食材、売れ残ること、ありません」
「そうか。しかし、王都の人々は我々よりも裕福であるだろうからなあ。ただ物珍しさだけで重宝している可能性もなくはないわけか」
ラダジッドは、不思議そうに首を傾げた。
「マヒュドラの食材、王都、売り渡すので、ジェノス、持ち帰ること、かないません。ご心配、無用です」
「ああ、いやいや。実は、別の筋からマヒュドラの食材を買いつける予定があるのだよ。……シュミラル=リリン殿なら、ご存知のはずだね」
「はい。ゲルド、通商ですね」
「そう! 彼らはゲルドばかりでなく、マヒュドラの食材も持ち込むつもりだと仰っていたのだ。ただ、それが我々の口に合うのか、いささか心配でね」
相手は、勇猛で知られるゲルドの民である。もしもこちらの意に沿わない食材が届けられても、それを断ることは難しいのだろう。
しかしシュミラル=リリンとしては、べつだん危惧する理由もなかった。
「私、知る限り、マヒュドラの食事、美味です。アスタや、ジェノスの料理人、使いこなす、容易、思われます」
「うん、そうか。まあ、アスタ殿であれば、たいていの食材は使いこなせるのだろうけれども……ちなみに、ゲルドの食材というのはどうなのだろう? やはり、香草が中心になるのかな」
「はい。山岳部、香草、さまざまです。草原、収穫できない、香草、多いです。また、野菜、同様です」
「野菜も届けられるのかな。荷車を使うとひと月ぐらいはかかるのだろうから、あまり容易ではないように思うけれども」
「はい。干し固めて、運ぶ、容易です。ゲルドの民、それらの野菜、マヒュドラ、売り渡している、聞きます」
「そうか。まあ、ゲルドの貴人らはもちろん、トゥランで働く北の民たちも、アスタ殿らの準備した料理を美味だと言っていたようだし、そこまで大きく好みが変わったりはしないのかな」
自分に言いきかせるように、ポルアースはそうつぶやいていた。
その気持ちをなだめるべく、シュミラル=リリンは微笑みかけてみせる。
「私、ゲルド、通商、話、聞いてから、心、弾ませていました。アスタたち、ゲルドやマヒュドラ、食材、使って、どのような料理、作りあげるか、とても楽しみです」
「うん、そうだね。アスタ殿たちならば、きっと美味なる料理をこしらえてくれることだろう」
「それに、ヴァルカスもね」と、リフレイアが口をはさんだ。
「香草といえば、彼の出番でしょう。まあ、新しい香草が届けられるなんて聞いたら、わたしたちよりも本人が狂喜しそうなところだけれど」
「ああ、確かに。目新しい食材に関しては、アスタ殿とヴァルカス殿の力が絶大だね! まったく、心強いことだ」
リフレイアはひとつうなずいてから、シュミラル=リリンに向きなおってきた。
「ところで、あなた……わたしがお会いするのはけっこうひさびさだけれど、ずいぶん様子が変わったようね」
「はい。そうでしょうか?」
「ええ、そうよ。笑顔がとっても自然だし、それに……なんだかすごく、力強くなったように感じるわ」
彼女も半年前に顔をあわせたことを覚えてくれていたらしい。その、色合いだけは父親によく似た瞳が、まじまじとシュミラル=リリンを見つめていた。
「やっぱり、ギバ狩りの仕事に励んでいるせいなのかしら。そういう商人としての格好をしていても、なんというか……森辺の民みたいに凛々しく感じられるのよね」
「それは彼も、まぎれもなく森辺の民でありますからね」
ポルアースが、笑顔で割り込んできた。
「言われてみると、少し雰囲気が変わったのかな。ダリ=サウティ殿やガズラン=ルティム殿みたいな、どっしりとした風格が漂っているような……あのお二方も、実に魅力的な笑顔を持っていることだしね」
「あのふたり、たとえられる、恐縮であり、光栄です」
シュミラル=リリンは、心からそのように答えてみせた。
すると、トルストまでもがおずおずと声をあげてくる。
「そ、それであなたは、半年ばかりもジェノスを離れるご予定なのですな? 森辺の方々がそういう特異な振る舞いをお許しになったと聞いて、わたくしはひどく驚かされたものです」
「はい。森辺の族長、および、森辺の同胞、温情、感謝しています」
「ふうむ。そういえば、シュミラル=リリン殿はもともと《銀の壺》の団長であられたのだよね。商人としての才覚ばかりなく、狩人としての才覚まで持ち合わせていたというのは、確かに並々ならぬことなのだろう」
ポルアースの言葉に、ラダジッドは「はい」とうなずいた。
「団長、私、引き継ぎましたが、シュミラル=リリンの力、思い知らされています。シュミラル=リリン、我々、誇りです」
「ラダジッド、少し、恥ずかしいです」
「そうですか。しかし、団員、皆、同じ思いです」
残りの団員たちも、無表情のままにうなずいていた。
シュミラル=リリンが苦笑していると、リフレイアが「その顔よ」とまた声をあげる。
「なんとも好いたらしいお顔よね。わたしのそばにも東の血をひく人間がいて、それなりに表情も豊かなのだけれど、あなたほど魅力的に笑うことは、なかなかできないわ」
「いえ……恐縮です」
「あら、困らせてしまったかしら? 婚儀をあげたばかりの殿方に対して不適切であったなら、お詫びをさせていただくわ」
と、リフレイアは白い歯をこぼした。
そちらこそ、ずいぶん魅力的な笑顔である。こんな魅力的な少女がかつてはアスタをさらったなどとは、なかなか信じ難いところであった。
「では、今日のところは、こんなものかな。また何かあったら、お声をかけさせていただくよ」
ポルアースがそのように言い出したので、シュミラル=リリンたちは席を立つことになった。
そうして一礼しかけたところで、ポルアースが「ああ」と声をあげる。
「そういえば、シュミラル=リリン殿、君はやっぱりトトスの扱いに長けているのだろうね」
「はい。草原の民、生まれる前から、トトス、乗っている、言われています」
「ふむふむ。西の王国で商売をする際にはトトスに荷車を引かせてばかりだろうけれども、かつての故郷たる草原では、やはりトトスの背にまたがることも多かったのかな?」
質問の意図はわからなかったが、シュミラル=リリンは「はい」と応じてみせた。
「草原、移動する際、おおよそ、トトス、またがります。草原の民、皆、そうである、思います」
「そうかそうか。そうであれば、いずれその腕前を披露していただきたいところだね」
疑問を呈するためにシュミラル=リリンが首を傾げてみせると、ポルアースはにっこり微笑んだ。
「実は今度、トトスの早駆けの大会を開こうという計画があるのだよ。太陽神の復活祭を盛り上げるための、余興だね」
「トトスの早駆け……聞いたこと、あります。王都アルグラッド、盛んであった、記憶しています」
「そうそう。現在ジェノスに逗留しておられる、あの王都の外交官殿の提案でね。普段、闘技会で使っているジェノスの練兵場にて開催される予定なんだ」
「あら」と声をあげたのは、リフレイアであった。
「そのような話が持ち上がっていたの? わたしは、ちっとも聞かされていなかったわ」
「まだ内々の話であったのですよ。でも、そろそろ決議が取られる頃合いでしょう。何せ、復活祭が目前に迫っているのですからね。開催は、おそらく『中天の日』の前後になるのじゃないのかな」
そんな風に言いながら、ポルアースは《銀の壺》の面々を見回してきた。
「ただ、王都においてそういった大会が開かれても、東の方々はほとんど参加されないそうだね。それはやっぱり、西の人間に遠慮をしているのかな?」
「はい。我々、トトスの扱い、自負、有しています。それゆえに、遠慮、生じます」
端的に言って、東の民が西の民にトトスの扱いで負けることは、そうそうないだろう。早駆けの勝負などを行ったら、上位者はすべて東の民で埋められてしまいそうなところであった。
「なるほどなるほど。でも、シュミラル=リリン殿はもう立派な西の民だ。何も遠慮をする必要はないはずだよね」
「はい。……私、出場、望まれているのですか?」
「それはもう、闘技の大会であれだけ活躍した森辺の民が出場するとなれば、いっそう盛り上がりそうなところだしねえ。シュミラル=リリン殿のみならず、多くの人々に参加してもらいたいと願っているよ」
「そうですか」と、シュミラル=リリンは一考した。
「出場、決定する、族長たちですが……森辺、トトス、駆けさせる、巧みな人間、多いです。また、普段から、早駆け、競争しています」
「なんと! 森辺で早駆けの競争をしていたのかい?」
「はい。狩人、ごく一部ですが」
シュミラル=リリンの記憶では、ルド=ルウやラウ=レイやダン=ルティムなどが、そういったものに興じていた。そもそも森辺の狩人には、トトスに乗ることを好む人間が多いのである。
「それは楽しみなところだねえ。族長の方々に、是非とも相談させていただこう!」
「しかしそうなると、またもや森辺の方々が優勝をされそうですな。……も、もちろんそれで、何も問題はないのですが」
トルストがおずおずと発言すると、リフレイアが「どうかしら」と頬に指先をあてて考え込んだ。
「ジェノスの騎士たちだってトトスを駆けさせる訓練はしているし、それに、ずいぶん上等なトトスを買いつけているはずでしょう? 少なくとも、剣技よりはいい勝負に持ち込めるのじゃないかしら」
「ああ、なるほど。わたくしはあまり存じませんが、血筋のいいトトスというのはずいぶん値が張るそうですな」
「ええ。サトゥラス伯爵家なんかは、トトス道楽が過ぎるなんて言われているぐらいよ。あのリーハイムだって、石塀の外に出ることもないのに、ずいぶん立派なトトスを所有していたはずね。いつだったかの祝宴で、それは自慢にしていたもの」
そうしてリフレイアは、シュミラル=リリンに微笑みかけてきた。
「わたしも、サンジュラを焚きつけてみようかしら。サンジュラは東の血を引いているし、幼い頃からトトス乗りの修練を積まされていたという話であるのよ。あなたと勝負をしたらどちらが勝つのか、ちょっと胸が弾むところね」
「はい。私、出場するか、わかりませんが……この話、族長、伝えるべきでしょうか?」
「うん。正式な話はいずれこちらから伝えるので、いまのうちにそれとなく伝えておいてもらえるかな? なにせ初めての試みであるから、こちらも万全を期して盛り上げたいのだよ」
そう言って、ポルアースはまた朗らかに破顔した。
「それに、練兵場を使うとなると、またそちらで屋台を出すことになるからね。それに関しては、是非とも森辺の方々に助力を願いたいところだよ。どうかよろしく伝えてくれたまえ」
「はい。承知しました」
そうしてようやく《銀の壺》の面々は、会議堂を辞することになった。
預けておいた刀を受け取り、自分たちの荷車に乗り込むと、さっそくラダジッドが声をあげる。
「シュミラル=リリン、早駆けの大会、出場しますか?」
「不明です。私、族長、言葉、従います。……私、出場する、不快ですか?」
「いえ。シュミラル=リリン、西の民です。不快、思う理由、ありません」
そのように言いながら、ラダジッドはその瞳にやわらかい光をたたえた。
「出場、するならば、私たち、応援します。シュミラル=リリン、同胞なのですから、当然です」
感情を隠す必要のないシュミラル=リリンは、「ありがとうございます」と心からの笑顔を返してみせた。
◇
二刻ばかりをかけて挨拶回りを済ませたのち、《銀の壺》の面々は城下町を後にした。
時刻は、間もなく上りの六の刻である。中天まで一刻もあれば、ゆとりをもって森辺の集落に戻れるはずであった。
「シュミラル=リリン、苦労、かけました。ギバ狩り、仕事、支障ないですか?」
「はい。問題、ありません。用事、生じた際、ルウの血族、言伝て、お願いします。復活祭、終わるまで、屋台、毎日、出すはずです」
そんな言葉を交わしている間に、宿場町の入り口に到着した。
速度のゆるめられた荷台の中で、シュミラル=リリンは立ち上がる。
「私、アスタたち、挨拶します」
「はい。我々、半数、食事です」
シュミラル=リリンとともに、ラダジッドを含む5名が荷台を降りた。
森辺の民は、宿場町の出入り端に屋台を出している。ちょうどいまは、商売を開始する直前の刻限であるはずだ。ここからでも、すでに屋台の前が賑わっているのが確認できた。
「私、邪魔、ならないよう、裏、回ります」
「はい。私、同行します」
ラダジッドの言葉に、シュミラル=リリンは首を傾げてみせる。
「裏、料理、買えません。ラダジッド、食事でしょう?」
「いえ。食事、4名です。私、1度、《玄翁亭》、戻ります」
「では、何故、荷車、降りたのですか?」
ラダジッドも、不思議そうに首を傾げた。
「シュミラル=リリン、最後まで、行動、ともにしたい、思いました。問題、ありますか?」
「……問題、ありません」
シュミラル=リリンは、ついつい苦笑してしまう。
すると、ラダジッドはわずかに目を細めた。
「リフレイア、言葉、正しいです。照れ隠し、笑顔、魅力的です」
「ですから、恥ずかしいです。そのような言葉、伴侶、向けるべきです」
「伴侶、表情、動かさないので、言う機会、ありません」
自分はからかわれているのだろうかとシュミラル=リリンは疑問に思ったが、ラダジッドの眼差しはずいぶんと真面目くさっていた。
ともあれ、4名の同胞とは北の端の食堂の手前で別れて、ラダジッドとともに裏の雑木林へと回る。
するとそこには、どこかで見た覚えのある若い狩人が待ち受けていた。
「あれ? あなたはシュミラル=リリンですよね? このようなところで何をされているのですか?」
屋台で働くかまど番たちを警護するための、狩人である。復活祭の時期には、休息の期間にある狩人たちがその役を果たすという話であったのだ。
「城下町、出向いていました。森辺、戻る前、アスタたち、挨拶しよう、思いました」
「ああ、なるほど。では、そちらは《銀の壺》のお仲間であるわけですね。俺は、ランの家のジョウ=ランと申します」
彼は、宿屋の娘ユーミと婚儀をあげる可能性がある、とされていた人物であった。ならばシュミラル=リリンとも、ルウ家で行われた親睦の祝宴において顔をあわせていたはずであった。
「私、《銀の壺》、団長、ラダジッド=ギ=ナファシアールです。シュミラル=リリン、ともに、挨拶、願います」
「ええ、どうぞどうぞ。おふたりがこちらから近づくことを伝えるので、ちょっとお待ちを」
そうしてジョウ=ランは、懐から出した草笛を短く吹き鳴らした。
食堂の向こう側にいた別の狩人がこちらに向きなおり、手を上げる。それを見届けたのちに、ジョウ=ランは腕を差しのべた。
「さ、お通りください。そろそろ屋台の商売が始まる頃合いですので」
この雑木林の側から屋台に近づこうとする人間がいたならば、ジョウ=ランたちに取り押さえられることになるのだろう。これならば、宿場町に無法者が増えても安心であった。
そうして食堂のあたりに控えていた狩人にも挨拶して、さらに歩を進めると、まずはルウ家の屋台に行き当たる。
せっせと準備に励んでいたのは、レイナ=ルウやリミ=ルウを筆頭とするルウの血族たちであった。
「あー、シュミラル=リリンだ! どうしてシュミラル=リリンが宿場町にいるの?」
ジョウ=ランのときと同じ説明をすると、リミ=ルウは「そっかー」と残念そうに笑った。
「それじゃあ、ヴィナ姉は一緒じゃないんだね。ちょっぴりだけ期待しちゃったー」
ヴィナ・ルウ=リリンとは昨晩も祝宴をともにしているが、本家の家族であればそのように思うのが当然なのであろう。
シュミラル=リリンが「申し訳ありません」と謝罪すると、リミ=ルウは「あやまることないよー!」と明るく笑ってくれた。
「こっちこそ、シュミラル=リリンにあやまらせちゃってごめんなさい! またいっぱいおしゃべりしょうねーってヴィナ姉に伝えてくれる?」
「はい。必ず、伝えます」
レイナ=ルウにも昨晩の礼を言い、他の女衆にも挨拶をしてから、さらに突き進む。
すると、荷車から木箱を運んでいたアスタに行き当たった。
「あ、シュミラル=リリンにラダジッド! 城下町から戻ってきたのですね」
アスタには、昨晩のうちに話を通しておいたのだ。
大きな木箱を抱えたまま、アスタはリミ=ルウにも負けない無邪気な笑みを浮かべてくれた。
「わざわざ挨拶に立ち寄ってくれたのですか? これから森に入るところでしょうに、どうもありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、昨晩、ありがとうございました」
「俺は、何もしておりませんよ。客人として、喜びのおすそわけをさせていただいた身です」
アスタの黒い瞳が、強く明るくきらめいている。
シュミラル=リリンの来訪を、心から喜んでくれているのだ。そんなアスタに見つめられているだけで、シュミラル=リリンのほうまで幸福な心地を得ることができた。
「実は、アスタ、用事、あったのです」
「え、そうなのですか? ちょっとこの荷物を置いてきますので、少々お待ちくださいね」
屋台の裏手に荷物を置いたアスタは、アイ=ファをともなって戻ってきた。
「アイ=ファ、ご一緒でしたか。僥倖です。実は、お願い、あるのです」
「うむ。どういった願いであろうか?」
厳しく引き締まった面持ちであるが、アイ=ファの瞳にも親愛の光が灯っている。
魅力的な眼差しを持つふたりに向かって、シュミラル=リリンは心から笑いかけてみせた。
「私、ヴィナ・ルウ=リリン、ともに、ファの家、来訪、願っています。晩餐、ともにしていただけませんか?」
「ファの家で、晩餐を? それはべつだん、かまいはしないが……しかし、どういった理由であるのだ?」
「理由、特に、ありません。ただ、ファの家、絆、深めたい、思ったのです。……ジェノス、出立する前に」
アイ=ファは、わずかに眉を寄せた。
嫌がっているのではなく、何かを案じている様子である。
「お前がそのように願ってくれることは、ありがたく思う。ただ、ヴィナ・ルウ=リリンは了承しているのか?」
「はい。ふたりで、話し合い、決めたことです」
「そうか」と、アイ=ファは愁眉を開いた。
「ならば、よい。残された時間をどのように使うかは、ふたりで決めるべきであろうからな」
ファの家に出向くとなると、ふたりきりで過ごす時間が削られることになる――と、案じてくれたのだろうか。
そんなアイ=ファの気づかいも、シュミラル=リリンの胸を温かくしてくれた。
「しかし、それならば昨晩のうちに伝えればよかったのではないか?」
「はい。昨晩、祝宴、終えた後、話し合ったのです」
「ふむ。それではずいぶんと、遅くまで眠らずにいたのだな。我々などは、家に帰りつくなり、ただちに眠ってしまったものだが」
シュミラル=リリンは、「はい」とうなずくしかなかった。
シュミラル=リリンたちがどれだけ遅くまで眠らずにいたものか、アイ=ファが知ったらずいぶん驚かせることになってしまうだろう。
「とりあえず、了承した。それで、いつファの家を訪れようというのだ?」
「はい。そちら、都合、合わせます」
「こちらは、今日か明日であろうな。その翌日は、城下町に向かわなければならなくなるはずだ」
「ああ、外交官、招かれたのですね。では、昨晩、祝宴、開いたばかりですので、明日、如何でしょう?」
「私は、かまわんぞ。アスタはどう――」
と、アスタのほうを振り返ったアイ=ファは、さきほどよりもきつく眉根を寄せた。
「……だからどうして、お前はいきなり涙などを浮かべておるのだ?」
「え? いやあ、嬉し涙なんて浮かべてないよ。……あ、それじゃあ虚言になっちゃうか」
アスタは気恥ずかしそうに微笑みながら、手の甲で目もとをぬぐった。
シュミラル=リリンが家を訪ねたいと願っただけで、アスタは涙を浮かべてくれたのだろうか。
それではシュミラル=リリンまで、涙を誘発されてしまいそうなところであった。
「ありがとうございます、シュミラル=リリン。とっておきの晩餐を準備して、お待ちしていますよ」
「こちらこそ、ありがとうございます。心から、楽しみにしています」
おたがい仕事があったので、その場では早々に別れることにした。
そうして屋台の裏を抜けて、トトスを引き取るために《玄翁亭》へと向かうさなか、ラダジッドが呼びかけてくる。
「私、気持ち、わかりましたか?」
「はい。なんの話でしょう?」
「照れ隠し、笑顔、魅力的であるのです。アスタ、魅力的だったでしょう? シュミラル=リリン、同様です」
シュミラル=リリンは大きく息をついてから、いくぶん高い位置にあるラダジッドの顔をにらみつけてみせた。
『いい加減にしろ、ラダジッド。私をからかって楽しいのか?』
ラダジッドは笑いをこらえるように頬を痙攣させてから、言った。
「はい。楽しいです」