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異世界料理道  作者: EDA
第四章 迷い惑える三日間
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②守護人の来訪(下)

2014.9/20 更新分 2/2

2015.7/1 誤字を修正

「はい、どうも。お待たせいたしました」


 こんな時間から、凝った料理を作る気にはなれない。

 だから俺は、ギバのバラ肉を適当な薄さに切って、スライスしたアリアと一緒に炒め、岩塩とピコの葉で味付けをしたのちに果実酒をからめた、至極シンプルな肉野菜炒めをふるまうことにした。


「手馴れているねえ。君の前身は町の料理人か何かだったのかな、アスタ?」


「はあ、まあ、そんなところです」


 答えながら、木匙をそえた木皿を客人のもとに差し出す。

 量は、通常の食事の4分の1ていどだ。

 たとえお口に合わなくとも、これぐらいは完食していただきたい。


「いやあ、嬉しいなあ。西の領土をあちこち駆け巡り、時には東や南にも足を伸ばす俺だけれども、ついぞギバに似た獣を見かけたことはないんだ。あんな勇猛な姿をした獣の肉はどんな味がするのかと、森辺の民を抜きにしても昔から興味は抱いていたんだよ」


 なるほど。俺の世界でもイノシシを除く野生の豚というやつは絶滅してしまったらしいが、この世界にもそれに類する動物は存在しないのだろうか。


 何にせよ、ご賞味あれ。


「賜ります」とカミュアはうなずき、木皿を手に取った。

 そうして、にこにこと笑いながら、木匙ですくったギバ肉とアリアを口の中に放り込む。


 もぐもぐもぐ、と無精髭の生えた下顎が大きく上下して。

 喉仏の目立つ長い首が、ごくりと咀嚼した食べ物を嚥下する。


 すると――カミュアの顔から、表情が消え去った。


 うわ、と俺は木匙を落としそうになる。

 このおっさん――薄笑いを引っ込めると、無茶苦茶おっかない顔ではないか。


 痩せていて、顔の陰影がくっきりしているせいか、何というか死神か殺し屋みたいに不吉な面相へと様変わりしてしまうのだ。


 眉が高くて目もとが落ち窪んでおり、頬の肉が削げたようにこけている。今までは何の気にもならなかったそういう陰影が、とたんに恐ろしいものに感じられてしまう。


 調理中に落ち着きを取り戻したアイ=ファは、そんなカミュアの変貌を、何ひとつ見逃すまいとばかりに、じっと見つめやっていた。


 そうしている間に、カミュアはかつかつと木匙を動かして、木皿の中身を瞬く間にたいらげてしまった。

 おかげさまで、俺は一口食べた後から木匙を動かせずにいる。


 唇が薄く、横に大きいその口から、今まで聞いたこともないような低い声がこぼれ落ちた。


「……何だい、これは?」


「いや、だから、ギバの肉です」


「そうなんだろうね。こんな肉は、初めて食べた」


 紫色の瞳が、俺を見る。

 鋭い、刺すような眼光で。


「無茶苦茶に美味いじゃないか?」


「ああ、そうですか。恐縮です……」


「これが、ギバの肉なのか」


「はい……」


「こんな美味い肉を食べたのは、初めてだ」


「あの! お客人! 顔が怖いです!」


「え? あれ? 嘘? ごめん!」


 と、カミュアはいきなりその大きな手の平で細長い顔を左右から包みこんだ。


「いかんいかん! 驚いたあまりに裏の顔が飛び出してしまった! 表も裏もどっちも俺の本性だから、誤解なきようにね!」


 誤解というか、理解すらしたくない心境だ。

 やめてー、うさんくささを倍増させるのは!


「いや、本当に美味かった! 感動した! 君たちはこんな美味い肉を一族だけで独占していたのかい? それはずるいよっ!」


 表になっても、うさんくさいことに変わりはないなあ。

 横目で見ると、アイ=ファがふっと息をついていた。

 その指先が、足もとに置かれていた刀の柄から離れるのを見て、俺はギクリとする。


 やっぱり――それぐらいの不吉さを発散させていたのだな、この男は。


「こんな美味さを知ることもなく、ジェノスの民たちは森辺の民を《ギバ喰い》などと呼んでいるのか! 何だか大間抜けな話だなあ。もしかしたら、君たちはそんな彼らへの報復の気持ちもあって、この美味い肉を独占してしまっているのかい?」


「いえ。そんなことはありませんです」とか応じながら、俺はようやく二口目を口に運ぶことができた。


 すると、あぐらをかいた膝の先を、アイ=ファに拳で小突かれる。


「おい。匂いを嗅いでいたら、私も少し腹が減ってきた」


「ええ? しょうがないなあ。だから作るときにお前はいらないのかって聞いたのに」


 言いながら、俺は木匙に肉片とアリアをすくい取ってやった。


「はい。あーん」


 脳天を、どつかれた。

 そうして木皿を奪い取られて、二口ばかり中身を強奪され、残りを突き返される。


 ひどいです、家長。


「ふうむ。感心した! だけどやっぱり君の手腕もあっての美味さなのだろう。塩加減は絶妙だし、果実酒の風味もたまらなかった。アスタ、君は名のある料理人のもとで修行でもしていた身なのかな?」


「いえいえ。実家は小さな料理屋でしたよ」


「どこの国の? どうも俺の知るいずれの国とも似たところのない作法であるようだが」


 話が、そこに行き着いたか。

 まあ、相手が誰であれ、俺のスタンスは変わらない。


「よくわからないんですけどね。俺は日本っていう島国の生まれなんですよ。アムスホルンなんていう大陸の名前すら知らなかったのに、ある日気づいたらモルガの山麓の森の中でぶっ倒れていたんです」


「……アムスホルンを、知らない?」


 カミュアの目が、またきょとんと見開かれる。

 まあ、しかたがないだろう。俺だって、日本を知らない異国人が日本にいたら、びっくりしてしまう。


「それはどういう意味なのかな? 君はその外見からして、東と西の混血児あたりかと踏んでいたのだけれども」


「あ、東と西なら混血も珍しくはないのですか?」


「珍しくはあるけど、友好国だからね。どちらの国の民として生きるかを最初にきちんと定められれば、別に迫害されたりはしない――って、そんなことすら知らないと言うつもりなのか」


「すみません。知りませんでした」


 最近は多忙に過ぎて、アイ=ファのアムスホルン世界史講座もめっきり休講中なのである。たわいもない世間話をしている間に、俺が睡魔へと引きずりこまれてしまっていたもので。


 というか――アイ=ファ自身も森辺という特殊な閉鎖空間に身を置いているので、そこから得られるのは主に森辺の知識のみなのである。

 森辺の外についての話は、アイ=ファが両親やジバ婆さんから伝え聞いた話を横流しにしてくれているだけなのだ。


「ふうん。だから君はそうして異国人でありながら、森辺を受け容れ、そして受け容れられることもできたのか。西の民にとって森辺の民は畏れの象徴であり、南の民にとっては神を捨てた裏切りの一族、北の民は不倶戴天の間柄――ということで、東の王国の出自なのだろうと当たりをつけていたのだがね」


「俺の故郷は極東の島国とか呼ばれていましたよ。もしかして、東の民っていうのは俺みたいな外見の人間が多いんですか?」


「いや? 確かに黒髪と黒い目が多いけれど、その代わりに肌も黒い人間が多い。宿場町でも何人かいただろう? あれが東の王国シムの民びとさ」


 なるほど。やっぱり俺の常識をあてはめるのは無為であるようだ。


「まあ、自分でもさっぱりわけがわからないんです。頭を打っておかしな妄想を信じこんでいる大馬鹿だとでも思っていただいてもけっこうです」


「わかった。そうしよう」


 わお。


「いや、大馬鹿だとは思わないけどね? うーん、それにしても驚きだなあ。まさかギバ肉がこんなにも美味いとは……ギバの肉など臭くて固くて食べられたものではない、という風説がジェノスには蔓延しているのだけれどもねえ」


「それはきっと、正しい手順で調理されていない肉を食べた誰かが広めた風聞なんでしょう。ギバの肉は、美味いですよ」


「うん! 思い知った! 俺もね、旅人でもないのにアリアやポイタンを主食にしているなんて、きっと食への関心が薄い清貧の一族なんだろうと思い込んでいた部分はあるんだよ。思い込みってのは怖いねえ。清貧どころか、これなら美食の一族を名乗ったって、おこがましいと言われることもないだろう。うーん、衝撃だなあ」


「あ、ちょいとお待ちを。俺は異国の生まれなんですから、俺の作ったものを森辺の常識にあてはめるのはやめたほうがいいです。食への関心が薄い清貧の一族って印象は、そのまま当たっていると思いますよ?」


「そうなのかい? だけど、このギバ肉の美味さだけでも、清貧の名には値しない気がしてしまうねえ。これだけ美味い肉があるから、あとは安価なアリアとポイタンだけ食べていればいいやという面もあったのかなあ。うーむ、興味深い!」


 ふーむ。

 これは、どうしたものだろうか。


 まだこのうさんくさい御仁にすべてを明かす気持ちにはなれないのだが。かといって、ジェノスの侯爵様とやらにまで通じているこの人物に間違った情報を伝えてしまうのも危険な気がする。


「カミュア=ヨシュ、申し訳ないんですが、ちょっとお時間をいただいてもいいですか?」


「うん? 何かな?」


「俺は異国の生まれなもので、まだ森辺の禁忌やしきたりを十全にはわきまえていないのです。ざっくばらんに言わせていただくと、あなたに森辺の内情をどこまで話していいのかも、俺には判断がつかないのですね。そこのあたりを家長とこっそり密談したいのです」


「ああ、いいとも! さっきから俺のおしゃべりにつきあってくれているのはアスタばかりだからねえ。これで君にまで口を閉ざされてしまったら、すべて俺の独り言になってしまう! ……それじゃあ、良かったら、数刻ばかり俺は席を外そうか。実はまだ仕事の下調べも済んではいないので、もっと南のほうにも足をのばしてみたいのだよ」


「南……ルウの集落がある方向ですね」


「今日はあそこには近づかないよ。あんまり歓迎はされていないみたいだし。森辺の民との接触はもうちょっと慎重におこなったほうがいいのだなと学習できた」


 それならば、ダルム=ルウに刀を向けられたことも無駄ではなかったわけか。


 というか、刀を向けられる前に悟ってほしいという気もする。


「でも、たしか南下するには、どうしてもルウの集落の前は通らないといけない地形ですよね?」


「大丈夫。身を隠すのは、得意なんだ。昨日だって、上手いこと隠れおおせていただろう?」


「……はい?」


「昨日の宴は、森景からこっそり見物させていただいたよ。スン家の若衆が現れたときには肝が冷えたけど、荒っぽい事態にならずに済んだのは何よりだったねえ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはまったく悪びれた様子もなく、大きな口でにっこり微笑んだのだった。

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