舞台の裏で(四)
2019.8/22 更新分 1/1
夜になり、収穫祭の祝宴が開始された。
レイナ=ルウの周囲に集まっているのは、客人として招かれた小さき氏族の女衆たちである。ガズ、ミーム、アウロ、ダゴラ、ヴィンといった顔ぶれで、いずれも普段からアスタの仕事を手伝っている顔ぶれではあったものの、レイナ=ルウにはあまり交流のない相手ばかりであった。
まあ、そういう相手であったからこそ、レイナ=ルウはこうして取り囲まれることになったのである。日中、レイ=マトゥアが言っていた通り、彼女たちはこれを機会にレイナ=ルウと絆を深めたいと願っているようだった。
「レイナ=ルウと祝宴をともにすることができて、光栄です」
「でも、レイナ=ルウの料理を口にできないのは、残念です」
「宴衣装が、とてもお似合いですね。女衆のわたしでも、うっとりしてしまいます」
彼女たちは族長筋に対する敬意を十分に払いつつ、それでもなんとか親愛の念を示そうと懸命になっている様子であった。
レイナ=ルウとしてはありがたい反面、いささか落ち着かない心地である。こうまで馴染みの少ない人間にばかり囲まれて、こちらの血族がひとりもいないという状況は、レイナ=ルウにしてみてもあまり例のないことであったのだった。
(もう、ジザ兄は貴族につきっきりだし、ルドはさっさとどこかに行っちゃうし……わたし、どうしたらいいんだろう)
それに、その場にはレイ=マトゥアの姿もなかった。
彼女は力比べの後、レイナ=ルウとともにかまど仕事の見物をしていたのであるが、祝宴が始まるなり消えてしまったのだ。
「わたしが一緒にいると、わたしばかりがレイナ=ルウと喋ってしまいますね。みんなに申し訳ないので、少し席を外そうかと思います」
そんな風に言い残して、彼女はどこへともなく立ち去ってしまったのだ。
物怖じしないレイ=マトゥアは、レイナ=ルウにとっても気安く思える相手であった。が、現在この場に集っているのは、つつしみ深くて、純朴で、族長筋に若干以上の畏怖を抱く面々であった。そんな彼女たちがおずおずと、それでいて確かな熱意を込めながら、レイナ=ルウに語りかけてくるのだ。レイナ=ルウとしては、どのような心持ちでそれに向き合えばいいのか、いささか判断に困ってしまうのだった。
(相手が分家や眷族の女衆だったら、わたしもルウ本家の人間として毅然と取り仕切れるんだけど……そもそもわたしが取り仕切るような場でもないし……ううん、困ったなあ)
レイナ=ルウは、これまで自分が姉妹やシーラ=ルウたちに助けられていたことを、大いに思い知らされることになった。
これがヴィナ・ルウ=リリンであれば、相手の熱意をふわりと受け流しつつ、それでもしっかり絆を育むことがかなうだろう。
ララ=ルウやリミ=ルウであれば持ち前の無邪気さですぐに打ち解けてしまうだろうし、シーラ=ルウであれば――かまど番として働くうちに、びっくりするぐらい沈着で大人びた気性を身につけた彼女であれば、何も困りはしないだろうと思われた。
現在この場に集った面々とは、おおよそ何度かは祝宴をともにしているのだ。ルウ家で開かれた親睦の祝宴や、このフォウ家で行われた建築屋の送別会においても、何名かは出席していたはずなのである。
しかしそのときは、レイナ=ルウのそばに姉妹やシーラ=ルウの姿があった。だからこんな風に、レイナ=ルウがひとりで彼女たちの相手をする事態にも至らなかったのだった。
(レイ=マトゥアとかマルフィラ=ナハムとか、あとはラッツの女衆なんかだったら、わたしもけっこう喋りやすいんだけどなあ)
レイ=マトゥアやマルフィラ=ナハムは何かと顔をあわせる機会が多いし、ラッツの女衆はなかなか物怖じしない気性であるので、普段からときおり話しかけられている。あとは意外にフェイ=ベイムなども、相手が誰でも怯まない気性であるので、レイナ=ルウも気兼ねなく語らうことができた。
しかし、そういった面々に限って、この場には参じていないのである。
「あ、あの、レイナ=ルウはアスタが森辺にやってきた頃から、ずっと手ほどきを受けていたのですか?」
と、アウロの女衆がおずおずと声をかけてくる。
レイナ=ルウは過去の記憶を掘り起こしつつ、「いえ」と答えてみせた。
「わたしが定期的に手ほどきを受けるようになったのは、アスタが屋台の商売を始めて、しばらく経ってからでしょうね。もちろんそれまでも、機会があるごとに手ほどきは受けていましたが……」
「ルウ家の祝宴を、アスタが取り仕切ったこともあったのでしょう?」
「ええ。ルティムとミンの婚儀の祝宴ですね。あの頃は、まだわたしたちも美味なる料理の存在を知ったばかりであったので、すべてをアスタに取り仕切っていただくことになりました」
アウロの女衆は「そうですか……」と言いながら、感じ入ったように息をついた。
万事が、この調子である。彼女たちはルウ家よりも数ヶ月遅れでアスタと縁を紡ぐことになったので、それ以前の話が物珍しくてたまらないようだった。
「あなたがたは、ファの家の近在に住まっているのでしょう? 普段、アスタとこういった話はなさらないのですか?」
レイナ=ルウのほうから尋ねてみると、ダゴラの女衆が「そうですね」と応じてくれた。
「わたしたちがファの家に集うのは、いつも仕事のためですので。料理以外の話をする機会は、あまりありません」
「ええ。料理の手ほどきをされていると、あっという間に時間が過ぎてしまいますものね」
ミームの女衆も、賛同の声をあげた。他の女衆は、無言でうなずいている。
「だから、アスタと収穫祭をともにできる氏族の人間を、羨ましく思っています。朝から日が暮れるまで仕事をともにしていれば、その間にたくさん言葉を交わせるのでしょうし……きっと血族のように絆を深められるのでしょうね」
「ええ、それに、アスタばかりでなくアイ=ファとも絆を深められますしね」
何名かの女衆が、きゃあっと華やいだ声をあげた。
おかしなことに、アスタよりもアイ=ファに恋情を抱いているかのような振る舞いである。どうやら狩人として卓越した力を持つアイ=ファは、多くの女衆から憧憬の思いを集めているようだった。
「でも、あなたがたも近在の氏族と収穫祭をともにするかもしれないのですよね? そのために、今日の収穫祭を見届けに来たのでしょう?」
「はい。それを決めるのは家長たちですが、きっと実現できると思います」
ガズの女衆が視線を巡らせると、アウロおよびダゴラの女衆が笑顔でうなずいた。
「ラッツの家長は、ずいぶん乗り気であるようです。やはり今日の力比べを目にして、腕がうずいてきたのでしょう」
「ベイムの家長は慎重な気性ですが、ガズやラッツの家長から呼びかけられれば、それを断ることはないかと思います」
アウロはラッツの、ダゴラはベイムの眷族であるのだ。
そして同じく、ラッツの眷族たるミームの女衆は、ラヴィッツの眷族たるヴィンの女衆を振り返った。
「ミームが収穫祭をともにするとしたら、それはラヴィッツの血族となるのでしょう。実現したら、嬉しいですね」
「は、はい、そうですね……」
と、ヴィンの女衆はひかえめに微笑む。
ファの家と悪縁のあったラヴィッツの血族は、屋台の商売に関しても一番の新参であったのだ。
「だけどそれでは、ラヴィッツの血族の収穫祭に、ミームだけが加わる格好となります。それではいささか代わり映えがしないので、ミームの家長はスンの家にも呼びかける心づもりであるようです」
ミームの女衆の言葉に、ヴィンの女衆は「ええ?」と驚きの顔を見せた。
「それは、初めて聞きました。スンの者たちと、収穫祭ですか……」
「はい。いまごろラッツとミームの家長が、ラヴィッツやスンの家長に声をかけている頃かもしれません。この夜に、相談をするつもりだと言っていましたので」
そう言って、ミームの女衆はにこりと微笑んだ。
「スンの者たちも、懸命に正しく生きようとしているのだと聞きます。収穫祭の喜びを分かち合えたら、幸いですね」
「そ、そうですね……はい、わたしもそのように思います」
ヴィンの女衆は困惑しつつも、やわらかく微笑んだ。
やはり普段から仕事をともにしているだけあって、彼女たちの間には確かな絆が育まれている様子である。正直なところ、この5名が全員べつべつの氏族であるというのが信じられぬほどであった。
(これも全部、アスタが現れたのをきっかけにして、ドンダ父さんたちが頑張ってきた結果なんだろうなあ)
そんな風に考えると、胸の中がじんわりと温かくなった。
そのとき、ダゴラの女衆が「ああ」と声をあげる。
「アスタが来ましたよ。ようやくかまど番の仕事を終えたようですね」
その言葉に、レイナ=ルウは胸を弾ませることになった。
アスタに対する恋情は打ち捨てたが、強い友愛は抱いている。そうして今日はほとんどアスタと会話をする機会がなかったので、いいかげんに焦れていたところであったのだ。
「やあ。レイナ=ルウにも、なかなか挨拶ができなかったね」
「ああ、アスタ――」
と、声のあがった方向を振り返ったところで、レイナ=ルウは言葉を呑み込んだ。
アスタのかたわらに、美麗なる少女のごとき姿をした王都の外交官が控えていたのである。
「……フェルメスもご一緒であったのですね。アスタがご案内をしていたのですか?」
「うん。レイナ=ルウは、ひとりだったのかな?」
「はい。ルドはどこかに行ってしまったので、こちらの方々と語らっていました」
内心の動揺を押し殺しつつ、レイナ=ルウはそのように答えてみせた。
このフェルメスは、アスタに強い執着を抱いているのだ。その事実を知っているゆえに、レイナ=ルウはフェルメスにいっそうの警戒心をかきたてられてしまうのかもしれなかった。
アスタは普段通りのにこやかな表情で、その場の女衆をフェルメスに紹介していく。今度はアスタが、フェルメスの案内役を担うことになってしまったのだろう。
5名の女衆の紹介が終わり、同じ敷物に腰を落ち着けていたフォウやランの人々の紹介が始まったところで、レイナ=ルウはガズの女衆にこっそりと呼びかけた。
「あの、申し訳ないのですけれど、わたしもこの場を離れさせていただきたく思います」
「え? ……もしかしたら、アスタのことをご心配されているのでしょうか?」
「はい。貴族が森辺で悪さをするとは思いませんが、このフェルメスという御方は……少し心配であるのです」
「わかりました」と、ガズの女衆は微笑んだ。
「もうけっこう長いこと、レイナ=ルウのことを引き留めてしまいましたものね。わたしもこの貴族については話を聞いていますので、どうぞアスタをよろしくお願いいたします」
レイナ=ルウはうなずき、フェルメスに同行を願ってみせた。
フェルメスはあの無邪気の笑顔で「もちろん」と微笑む。
申し訳ていどに歓談してから、一行はその場を離れることになった。
アスタとフェルメスの他に同行しているのは、フェルメスの従者であるジェムドのみである。いつでもフェルメスの影のようにひっそりとしている若い男であるが、この者が剣技の力比べでシン=ルウを手こずらせたことは、レイナ=ルウも聞いていた。
「ありがとうね。レイナ=ルウも一緒に来てくれるなら、心強いよ」
と、人で賑わう広場を歩きながら、アスタがこっそり囁きかけてきた。
こちらもまた、実に屈託のない笑顔である。アスタはレイナ=ルウほど、フェルメスのことを警戒していないようであるのだ。
(……なのに、どうしてわたしがやきもきしなきゃいけないんだろう)
そんな風に思わなくもないが、やはりアスタがひとりでフェルメスを案内するというのは、どうしても放っておけなかった。
アスタというのは、ものすごくしっかりした部分と、ものすごくのんびりした部分をあわせもつ人間であったのだ。兄のようであり、弟のようでもある、実に不可思議な存在であるのだった。
(でも……こうしてあらためて見ると、アスタもずいぶん大人っぽくなってるんだな)
フェルメスと語らうアスタの横顔を見つめながら、レイナ=ルウはそのように考えた。
フェルメスが少女めいた風貌をしているためか、アスタがいっそう大人びて見えるのだ。背丈だってアスタのほうが高いし、肩幅や胸の厚みなどは、比べるべくもない。また、フェルメスが西の民にしてはずいぶんと色が白いため、ほんのりと日に焼けたアスタの横顔は、いつになく精悍であるようにすら感じられてしまった。
(そういえば、ロイはアスタに腕を握られただけで、悲鳴をあげることになったんだ、なんて言ってたっけ。そう言われてみると……町の人間よりは、アスタのほうがずっと逞しくて、力強く見えるかもしれない)
レイナ=ルウの胸が、かすかに疼いた。
かつて捨て去った、恋情の余韻であろう。古傷というのは、ふとしたときに疼くものであるのだ。
そうしていくつかのかまどを巡ったのち、ようやくアイ=ファが姿を現した。
アイ=ファは力比べの勇者であったため、しばらくは動くことができなかったのだ。勇者の草冠をかぶったアイ=ファは、力比べのさなかのように厳しい面持ちをしていた。
(やっぱり、アスタのことが心配でたまらなかったんだな)
歩きながら、アスタとアイ=ファが何かを語らっている。
アスタはのんびりとした笑顔であり、アイ=ファは凛然とした面持ちだ。
しかしおたがいを見つめるふたりの瞳には、やっぱり慈愛の光があふれている。
その姿を目にしても、レイナ=ルウの胸が痛むことはなかった。
(……ふたりが出会うことになったのは、きっと森の導きだったんだろう)
レイナ=ルウは心から、そのように思うことができた。
遥かなる昔日には、それがどうして自分ではなかったのか――アスタが森辺で最初に出会ったのが、どうしてアイ=ファではなく自分ではなかったのか――と、レイナ=ルウは悶え苦しむことになったのだ。
だけどもう、そのような苦しさに見舞われることはない。
レイナ=ルウは、アスタの友になることを選んだのだ。
そうしてずっと、アスタに料理の手ほどきをされたいと、そのように願うことになったのだ。
レイナ=ルウはアスタに対する恋情を、そのまま料理への熱情に転化することがかなったのだった。
「……わたしが行動をともにしてからは、フェルメスもとりたてておかしな話は持ちかけていなかったように思います」
レイナ=ルウがそのように囁きかけると、アイ=ファはいくぶん驚いたように目を見開いてから、「感謝する」と言ってくれた。
アイ=ファと言葉を交わすと、レイナ=ルウはいつも胸の中が少しくすぐったくなるような心地に見舞われる。かつてアスタに恋情を抱いていたことが気恥ずかしく感じられるのか、それとも、自分よりも強い気持ちでアスタを想っているアイ=ファの情動が伝わってきているのか――何にせよ、レイナ=ルウがアイ=ファを憎むとしたら、それは彼女がアスタを不幸にしたときだけだった。
しばらくすると、テリア=マスやリフレイアたちと合流し、ともにユーミの歌を聞くことになった。
ユーミの歌は、とても美しい。多くの人間が、ユーミの歌に胸を震わせる。レイナ=ルウも、そのひとりであった。
そうしてユーミの歌が終わり、みんなで舞を踊る時間が訪れたところで、レイナ=ルウはこの一団から離れることにした。
「それではわたしは、ここで失礼します。また時間があったら、お話をさせてください」
アスタたちに挨拶をして、レイナ=ルウはその場を離れた。
舞を楽しもうという人々は、儀式の火の周囲に集まっている。未婚の女衆ばかりでなく、誰もが好きに騒いでいいという、宿場町やダレイムから伝わった新しい習わしである。レイナ=ルウも舞を踊るのは好んでいたが、今日は輪の外から眺めていたい気分であった。
ルド=ルウやジョウ=ランの吹き鳴らす横笛に合わせて、たくさんの人々が舞を踊り始める。
ひときわ目を引いたのは、やはりトゥール=ディンとオディフィアであった。彼女たちは仮面舞踏会でもそれは幸福そうに踊っていたものだと、妹のララ=ルウから聞き及んでいたが――確かに幼き少女たちは、姉妹か何かのように睦まじく、幸せそうに見えた。
ユーミは、テリア=マスと踊っている。客人として招かれた森辺の民たちも、ぽつぽつ参加し始めたようだ。さすがに年をくった家長の姿はあまり見られなかったが、若い男女は積極的にこの習わしを取り入れようとしている様子だった。
そこに、丸っこい体格をした町の人間がまろび出る。ダレイム伯爵家のポルアースである。森辺の誰かが、彼を引っ張り出したのだろう。そこにはゲオル=ザザの姿もあったので、彼が周囲の人間をけしかけたのかもしれなかった。
(みんな、楽しそうだな)
腹はけっこう満ちていたし、おおよそのかまどは無人になっていたので、レイナ=ルウはどこかに腰を落ち着けようかと視線を巡らせた。
その目の端に、人影が映り込む。あまり大柄でない男女の影が、かがり火の明かりが届かない暗がりに潜んでいたのだ。レイナ=ルウは小首を傾げながら、そちらに近づいてみることにした。
「ああ、やっぱりあなたがたでしたか。このような暗がりでどうしたのです?」
それは、ロイとシリィ=ロウであった。
「よお」と苦笑するロイの背中に、シリィ=ロウが隠れている格好である。レイナ=ルウの接近に気づいたシリィ=ロウは、警戒心を剥き出しにした面持ちで目礼をしてきた。
「いや、シリィ=ロウは人前で踊るのが苦手らしくってよ。あのユーミって娘さんに見つからないように、こうしてこそこそと息を殺してるわけだな」
「ユーミに? ……ああ、以前にルウ家で行われた祝宴では、ユーミとともに踊っていましたね」
「そ、そのような記憶は頭から抹消してください!」
ロイの背中にひっついたまま、シリィ=ロウはわめきたてた。
「だいたいが、あのユーミという御方は強引に過ぎるのです。わたしは絶対に、舞踏なんて嫌だと言ったのに……」
「でも、旧家のお嬢さんだったら、幼い頃から舞踏なんかも習わされるもんなんじゃねえのか?」
ロイがけげんそうに問うと、シリィ=ロウはいっそう険悪な面持ちになった。
「だからこそ、です。わたしは自分に舞踏の才能が存在しないということを、幼いうちから思い知らされることになったのです」
「なるほど。でも、べつだん才能を取り沙汰されるような場面でもねえように思うけどなあ」
「ええ。森辺などでは、そもそも舞の手ほどきを受けることもありません。女衆は見様見真似で覚えるだけですし、男衆などは舞を踊る習わしそのものが存在しなかったのですからね」
そんな風に答えてから、レイナ=ルウはシリィ=ロウに笑いかけてみせた。
「でも、気が進まないのなら、無理に踊る必要はありません。わたしも今日は見物に回らせてもらおうと考えていたのです」
シリィ=ロウはいくぶんうつむきながら、上目づかいでレイナ=ルウを見つめてきた。
「あの……さきほどは、お詫びの言葉も満足に述べられなくて、申し訳ありませんでした。数々のご迷惑をおかけしてしまったことを、あらためて謝罪させていただきたく思います」
それはシリィ=ロウが眠っていた間、レイナ=ルウがロイと一緒に付き添っていたときのことを言っているのだろう。目を覚ました際、彼女はすっかりしょげかえっており、あまり言葉を交わすことができなかったのである。
「いえ、迷惑などはかけられていませんので、お詫びの言葉などは無用です。すっかり元気になられたようで何よりですね」
「ああ。祝宴が始まってからは、俺よりたくさんの料理をたいらげていたぐらいだからな」
「そ、そんなことがあるわけはないでしょう! いちいち軽口を叩かないと気が済まないのですか?」
ロイの背中に取りすがったまま、シリィ=ロウがまたわめき始める。
その姿は、なんだか妙に微笑ましく感じられてしまった。
「でも、今日の料理はみんな見事なものでしたね。わたしはすっかり感服させられてしまいました」
レイナ=ルウが水を向けると、ロイが「そうだな」と応じてきた。
「森辺の民が恐ろしいのは、こんなに大きな祝宴でも一定の水準を保てることだよ。何十人っていう人間が、きちんとした腕を持ってるっていう証拠だな」
「……だけどやっぱり、その枠の中では上下があるように思います。アスタやトゥール=ディンが直接手掛けた料理は、やはり仕上がりが異なっているのでしょう」
シリィ=ロウもたちまち料理人の顔つきになって発言する。
ロイは思案深げに「そうかもな」と答えた。
「でも、アスタたちが関わってない料理でも、けっこうな出来栄えのやつがあっただろ? おそらく、もうひとりやふたりはけっこうな腕を持つ人間が隠れてるんだろうな」
「そうですね。あの魚介の料理などは、かなりの完成度であったと思います」
「魚介の料理を手掛けたのは、ユン=スドラというかまど番ですね。先日も《銀星堂》に同行した女衆のひとりです」
「ユン=スドラ、ユン=スドラ……マルフィラ=ナハムの他に、ふたりぐらい若い娘さんが混じってたよな。あのうちのどっちかってことか」
「ユン=スドラは、灰色がかった髪をした女衆です。トゥール=ディンの次ぐらいに、古くから屋台の商売を手伝っている女衆ですね」
「そうか。やっぱり森辺には、見どころのある料理人がうじゃうじゃ潜んでるってことだな」
ロイがそのように言いたてたとき、大柄な人影が近づいてきた。
歩きながら、木皿の料理を口に運んでいる。それは、ボズルであった。
「おお、このような場所におられたのですな、レイナ=ルウ殿。すっかり探してしまいましたぞ」
「え? ロイたちではなく、わたしを探していたのですか?」
「ええ。といっても、探しているのはジザ=ルウ殿ですな。わたしはたまたまその場に同席していたので、席を離れる際にお探しする役目を受け持っただけのことです」
ジザ=ルウとは祝宴が始まって以来、顔をあわせていない。その間に、何か用件が生じたのだろうか。
レイナ=ルウは礼を言ってその場を離れようとしたが、その前にロイが声をあげた。
「ボズルの用事って、レイナ=ルウの兄貴にだったんですか? いったい何の用事だったんです?」
「いやいや、わたしが出向いたのは侯爵家の方々のもとですな。その場にジザ=ルウ殿もたまたま同席されていたということです」
「侯爵家の方々? それこそ、どういう用事なのか気になるところですね」
なんとなく気になったので、レイナ=ルウもボズルの答えを待つことにした。
ボズルは大らかに笑いながら、なんでもないように答える。
「いや、例の傀儡使いの一団というのが城下町に招かれる予定はあるのか、それをうかがってみたのです。もしもその一団が通行証を持っていないのなら、我らのほうから宿場町に出向くしかないのでしょうからな」
レイナ=ルウは、少なからず驚かされることになった。
「あの、傀儡使いというのは、もしかしたらリコたちのことでしょうか?」
「ええ、アスタ殿の物語をこしらえたという方々ですな。我々も、是非その傀儡の劇を拝見したいのですよ」
「なるほどね。それで、どういう返事だったんです?」
ロイの問いかけに、ボズルはまた大らかに笑う。
「うむ。やっぱりその一団は通行証を持っていないようでしたが、城下町の民もその物語を目にするべきではないかとジザ=ルウ殿が口添えしてくれましてな。侯爵家の方々も通行証を発行するべきかどうか検討するというお答えでしたぞ」
そう言って、ボズルはレイナ=ルウに向きなおってきた。
「その一団がジェノスに戻ってくる日が待ち遠しいところですな。レイナ=ルウ殿も、その劇に登場したりはしないのでしょうかな?」
「ええ、わたしはそのように大きな役割を負わずに済みました。あなたがたの知る森辺の民でいうと……わたしの父ドンダやアイ=ファぐらいではないでしょうか」
「なるほどなるほど。何にせよ、楽しみなところです。自分の知る人間が傀儡の劇に取り上げられることなど、そうそうありはしませんからな」
レイナ=ルウも、心の奥底に深い喜びを感じることになった。
ロイたちに、もっと自分たちのことを知ってほしいという思いが、この1日でずいぶん高まることになったのだ。アスタやアイ=ファやドンダ=ルウが、どれほどの苦難の果てに、町の人々と絆を結ぶことになったのか――それを、知ってほしいと願った。
「では、わたしは兄のもとに向かいます。……その後にまだ時間があれば、わたしと言葉を交わしていただけますか?」
「もちろんです。しかし、レイナ=ルウ殿もお忙しいのではないでしょうかな?」
「いえ。わたしはもっと、あなたがたのお話を聞かせていただきたく思います」
そうしてレイナ=ルウは、兄のもとに向かうことになった。
広場の中央では、また舞踏が続けられている。ギバの骨などが持ち出されて、いっそう賑やかな様相だ。それを横目に広場を進むと、やがて敷物に座するジザ=ルウたちの姿が見えた。
「わたしをお呼びでしょうか、ジザ=ルウ?」
その場にはメルフリードやエウリフィアの姿もあったので、レイナ=ルウは族長代理に対する礼節を持ち出すことにした。
なおかつその場には、アスタやアイ=ファやフェルメスの姿もあった。顔ぶれからして、何か重要な話が為されていた様子である。
「ああ、ようやく来たか。実はな、また森辺から何名かの人間が城下町に招かれることになったのだ」
ジザ=ルウの説明によると、フェルメスが個人的に親睦の晩餐会を開きたい、という話であるようだった。
「フェルメスは、アスタとアイ=ファとガズラン=ルティムを招くことを願っている。そうして、こちらのエウリフィアが――」
「ええ。森辺の方々をジェノス城に招くのなら、是非ともトゥール=ディンやルウ家の方々にダイアの料理を味わっていただきたいの」
レイナ=ルウの心臓が、大きく跳ね上がった。
妹のリミ=ルウから茶会の話を聞いて以来、レイナ=ルウはずっとダイアの存在が気にかかっていたのだ。その料理を口にできる機会がこのように早く巡ってくるとは、想像していなかった。
「ガズラン=ルティムが招かれるならば、その供に相応しいのはルウ家の女衆であろう。ただし、このたびはなるべく少ない人数に収めたいという話であるので、同行できるのは1名のみとなる」
「1名のみ……では、わたしかシーラ=ルウのどちらかが同行を許されるのでしょうか?」
「いや」と、ジザ=ルウは首を横に振った。
「族長代理はゲオル=ザザに任せるとしても、ルウからは本家の人間を選ぶべきだろう。ガズラン=ルティムとて、あくまで眷族の家長であるのだからな」
「そうですか……では、わたしかララかリミの誰かということですね」
ジザ=ルウはいくぶん厳しい面持ちで、また「いや」と言う。
「15歳に満たないララやリミをルウ本家の代表として送り出すのは、適切でないように思う。俺はお前が同行するべきだと、族長ドンダに進言するつもりだ」
レイナ=ルウははしゃいだ声をあげないように、全力で自制することになった。
しかし、すべてを自制することはかなわなかったらしく、エウリフィアがころころと笑い声をあげる。
「レイナ=ルウの青い瞳が、いっそうの輝きを宿したようだわ。あなたもダイアの存在を気にかけてくれているようね」
「は、はい、もちろんです。ダイアというのは、もともとヴァルカスと同じぐらい高名な料理人であるとうかがっていますし……先日の茶会のお話をうかがって、いっそう心をひかれることになりました」
「ダイアはわたくしたちにとっても自慢の料理人だから、そのように言ってもらえて嬉しいわ。……それじゃあ、参席する顔ぶれに関しては、これでよろしいのかしら?」
フェルメスが優美に微笑みながら、「ええ」とうなずいた。
「アスタにアイ=ファ、ガズラン=ルティムにレイナ=ルウ、ゲオル=ザザにトゥール=ディンですね。それではのちほど、ゲオル=ザザとトゥール=ディンにもお話をうかがってみましょう」
そこでまた、ジザ=ルウが「いや」と声をあげる。
「森辺において道を決するのは、あくまで三族長だ。むろん、今日のうちにゲオル=ザザたちにも話を通しておくべきであろうが、正式な返事は後日まで待っていただきたい」
「ふむ? 族長の名代たるあなたとゲオル=ザザの了承が得られれば、それで十分なのではないでしょうか? この場には、ダリ=サウティもおられるのですからね」
「それでも、これほど重要な話を決するには、族長本人の了承が必要となる。それが、森辺の習わしであるのだ」
ジザ=ルウは、何か重々しい空気を発しているように感じられた。
領主の血筋であるメルフリードや、それを上回る立場にあるフェルメスに対して、森辺の習わしを通そうとしているのだ。それはレイナ=ルウが想像している以上に、覚悟や責任のともなう行いであるのかもしれなかった。
だけどやっぱり、そこに以前のような冷ややかさを感じることはない。
何か空気が重たくなるほどの気迫であるのだが、レイナ=ルウがそこに感じるのは、同胞としての、家族としての、心強さのみであった。
「……そうですか。では、日取りを仮決めをさせていただいた上で、三族長に了承をいただきたく思います。そのようにお伝え願えますか?」
フェルメスの言葉に、ジザ=ルウは「うむ」とうなずいた。
「明日の間に話をまとめて、明後日にはお答えすることができるだろう。こちらの要望を聞き入れていただき、感謝している」
「とんでもない。こちらこそ、急な話で申し訳ない限りです」
フェルメスもメルフリードも気分を害した様子はなかったので、レイナ=ルウもほっと息をつくことができた。
「では、ダリ=サウティにはいまのうちに、俺から話を通しておこう。ゲオル=ザザとトゥール=ディンには……アイ=ファとアスタから話を伝えてもらえるだろうか?」
「うむ、承知した」と、アイ=ファは厳しい面持ちで答えた。
そちらにうなずいてから、ジザ=ルウは立ち上がる。
「それでは、失礼する。レイナも、ついてくるがいい」
「はい。それではみなさん、失礼いたします」
レイナ=ルウは、ジザ=ルウとともにその場を離れることになった。
広場を歩きながら、ダリ=サウティの姿を探し求める。舞踏を楽しんでいる人々の中にその姿はなかったので、彼もどこかの敷物に腰を落ち着けているはずだった。
「……俺は少し、先走りすぎてしまっただろうか」
と、ジザ=ルウが低い声でつぶやいた。
レイナ=ルウは「え?」とその長身を見上げる。
「いや、ガズラン=ルティムに同行する人間に関してだ。俺としては、何も間違ったことを言ったつもりもないのだが……そもそもは、族長ドンダが決めることであるのだから、俺があの場で差し出口をきく必要はなかったのかもしれんと思ってな」
「そう……なのかな。わたしにはよくわからなかったけど、間違ったことを言ってないなら、かまわないんじゃない?」
そう言って、レイナ=ルウは心のままに微笑んでみせた。
「まあ、わたしは嬉しくてたまらなかったから、余計に気にならなかったのかもしれないけど。あとはドンダ父さんにまかせておけば、きっと大丈夫だよ」
ジザ=ルウの糸のように細い目が、ちらりとレイナ=ルウを見下ろしてきた。
「……レイナは、嬉しそうにしているな」
「それは、もちろんだよ。ダイアのことは、ずっと気にかかってたしね」
「うむ……ララはどうだかわからんが、シーラ=ルウやリミとて、同じ気持ちであるのだろうな」
考え深げに言いながら、ジザ=ルウは角張った下顎に手をやった。
「特に、シーラ=ルウには悪いことをしてしまった。シーラ=ルウとて、レイナと同じぐらい強い気持ちで、かまど仕事に取り組んでいるのだろうからな」
「うん。だけど、分家より本家の人間を出すべきだって考えたんでしょ?」
「そのように考えたのは、誓って虚言ではない。ただ……お前は俺の妹だし、かまど仕事に取り組む姿も間近で見てきたからな。どうしたって、その心情を重んじたくなってしまうのだ」
レイナ=ルウは、心から驚かされることになった。
そんなことには気づいた様子もなく、ジザ=ルウは下顎を撫でている。
「まあ……だからといって、公正さを失ったとは微塵も考えていない。ならば、気に病む必要もないか」
「……ジザ兄は、ついついわたしをひいきしちゃったんじゃないかって思い悩んでたの?」
「べつだん、思い悩んでいたわけではない。ただ、わざわざあの場で口にする必要はなかったかもしれんと――」
ジザ=ルウは、途中で言葉を呑み込んだ。
レイナ=ルウが、その腕を抱きすくめたためであるのだろう。
ジザ=ルウは、ずいぶんけげんそうな面持ちでレイナ=ルウを見下ろしてきた。
「どうしたのだ、レイナ? お前がそのように振る舞うのは、ずいぶん珍しいな」
「だって、嬉しかったんだもん」
びっくりするぐらい逞しい兄の腕を抱きすくめながら、レイナ=ルウはそのように答えてみせた。
レイナ=ルウがつつしみをもって接している間に、ジザ=ルウはこんなに逞しくなっていたのだ。
「ありがとう、ジザ兄。ジザ兄は、きちんとわたしのことを見ててくれたんだね」
「何を言っている。俺たちは兄妹なのだぞ」
ジザ=ルウは、ふっと口もとをほころばせた。
「しかし、ルドはまだまだ子供の面が抜けないからな。今日のことは、勘弁してやれ」
「え? 今日のことって?」
「あいつはお前のことをほったらかしにして、気ままに動き回っているのであろうが? 血族の少ないこの祝宴で、お前がどれほど心細い思いをしているかも知らずにな」
優しい顔で微笑みながら、ジザ=ルウはそのように言葉を重ねた。
「お前はララやリミよりも我慢強いから、ルドのやつもなかなか察することができないのだろう。ましてやあいつは、お前よりも年若いしな」
「うん」とうなずきながら、レイナ=ルウはいっそう強い力でジザ=ルウの腕を抱きすくめてみせた。
賑やかな広場をゆっくりと歩きながら、ジザ=ルウは静かな声で言う。
「ジェノスの城に参ずることが決定されたら、ルウ本家の人間として役目を果たすのだぞ。お前なら、きっと貴族たちとも正しき絆を結べるはずだ」
「うん。ジザ兄みたいに立派に振る舞えるように、頑張る」
頼もしく、そして愛おしい兄の姿を見上げながら、レイナ=ルウはそのように答えてみせた。
ジザ=ルウは、幼子をあやすような表情で、いつまでも優しく微笑んでくれていた。