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異世界料理道  作者: EDA
第四十六章 群像演舞~五ノ巻~
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    舞台の裏で(二)

2019.8/20 更新分 1/1

 それからしばらくの後、フォウの集落では狩人の力比べが開始されることになった。

 レイナ=ルウのかたわらでは、ルド=ルウがずっとはしゃいだ声をあげている。ルウの血族の収穫祭においては闘技の力比べしか行われていなかったが、この6氏族の収穫祭においては的当てや荷運びといったものまで全員で力を比べていたのだ。レイナ=ルウにしてみても、それはなかなかに新鮮で心の躍る行いであった。


「アイ=ファもジョウ=ランもスドラの連中もすげえなあ。ルウの血族にだって、ここまで弓を上手く扱えるやつはそうそういねーんじゃねーか?」


「そうだな。実際に力を比べなければ、確かなことは言えないが……少なくとも、俺はあそこまで見事に的を射抜くことはできなそうだ」


「ふふん。俺やジーダだったら、あいつらにも負けねーけどな!」


 ルド=ルウはもちろん、ジザ=ルウも静かに昂揚している様子である。

 そしてレイナ=ルウたちの周囲では、他の客人たちも大きな歓声をあげていた。


 その大半は、レイナ=ルウたちと同じように、余所の氏族から招かれた森辺の民たちだ。町からの客人たちはアスタたちに案内をされて、少し離れた場所に陣取っていた。


「すごいですね! いったい誰が、的当ての勇者になるのでしょう?」


 と、近くにいた小柄な女衆が、レイナ=ルウに呼びかけてくる。

 アスタの屋台を手伝っている、まだ幼い女衆である。レイナ=ルウはそれらの女衆の名前を覚えきれていなかったが、この娘の名前だけは辛うじて記憶に留めていた。


「ええと……あなたはたしか、レイ=マトゥアですよね?」


「はい! 先日の城下町では、お世話になりました!」


 そう、城下町の見物に出向いた際も、この娘は同行していたのだ。

 なおかつこの娘は、マルフィラ=ナハムとともに毎日屋台で働くことになるのだと聞いている。それぐらい、アスタに腕を見込まれたかまど番であるのだった。


「あ、ほらほら! あの、右から2番目の男衆! あれは、トゥール=ディンの父親であるそうですよ!」


 と、レイナ=ルウに屈託なく笑いかけてくる。

 とても無邪気で、朗らかな女衆なのである。それに彼女は、ルウ家で開かれた親睦の祝宴や、建築屋の一団の送別の祝宴にも参加していたはずだ。名前を知らなかった時代から、レイナ=ルウともたびたび祝宴をともにしていたのである。


(……その頃から、アスタはこの娘に目をかけていたってことなのかな)


 トゥール=ディンの父親とやらが勝利を収めたのを見届けてから、レイナ=ルウはレイ=マトゥアに向きなおった。


「あの、あなたは何歳なのでしょうか、レイ=マトゥア?」


「え? わたしは13歳ですけれど、それがどうかしましたか、レイナ=ルウ?」


「いえ……ただ、こういう場で家長の供をするのは、たいてい15歳以上の人間ではないですか?」


 するとレイ=マトゥアは、ちょっと気恥ずかしそうに微笑んだ。


「本来であれば、そうなのでしょうね。でも、わたしはどうしても祝宴に参加したかったので、家長に無理を聞き入れていただいたのです」


「では、アスタに呼ばれたわけではないのですね」


「アスタに? はい。アスタがそのようなことで、余所の氏族に口出しすることはありません。いつもいつも、わたしが我が儘を言っているだけであるのです」


 そう言って、今度はにこりと屈託なく笑う。

 実に魅力的な笑顔である。


「でも、あなたが毎日屋台で働くことになったのは、アスタの判断でしょう? あなたはそれだけ、アスタに腕を見込まれているということですね」


「いえいえ! わたしなんて、まだまだ未熟者です! ユン=スドラやトゥール=ディンにかなわないのはもちろん、まだ日の浅いマルフィラ=ナハムにもすっかり追い越されてしまいました」


 あくまで無邪気に笑いながら、レイ=マトゥアはそのように言葉を重ねた。


「でも、わたしはこういう性格なので、屋台の仕事を取り仕切ったり、青空食堂でお客の相手をすることを得意にしています。調理の腕だけではなく、アスタはそういった部分を評価してくれたのだと思います」


「ああ、宿場町の商売では、そういう力も大事ですからね」


「はい! だからわたしは、レイナ=ルウのことを尊敬しています! レイナ=ルウは調理も屋台の取り仕切りも、誰よりも巧みですものね!」


「そ、尊敬?」と、レイナ=ルウはどぎまぎしてしまった。余所の氏族の女衆に、真正面からそのように言われたのは初めてであったのだ。


「はい。そんな風に考えている女衆は、たくさんおりますよ。そもそもレイナ=ルウとシーラ=ルウは、アスタに手ほどきされた人間の中で、もっとも優れたかまど番であるのですからね! みんなが、レイナ=ルウたちに憧れているのです!」


「あ、憧れですか……そんなことは、ないように思うのですが……」


「それはみんなが、わたしみたいにずけずけとものを言わないからでしょうね。なんといっても、ルウ家は族長筋であるのですから、みんなどうしても遠慮をしてしまうのです」


 そう言って、レイ=マトゥアはそっとレイナ=ルウの手に触れてきた。


「今日もレイナ=ルウと祝宴をともにできることを、みんな楽しみにしているのです。力比べが終わったら、あれこれお話をさせていただけませんか?」


「え、ええ、それはまあ、他の氏族の者たちと絆を深めるのも、大事なことなのでしょうから……」


「やったー! みんなにも、伝えておきますね!」


 そうしてレイ=マトゥアは、人垣の向こうに消え去ってしまった。

 すると、かたわらのルド=ルウがレイナ=ルウの顔を覗き込んでくる。


「どーしたんだよ、レイナ姉? キミュスがくちばしを弾かれたような顔してさ」


「え? キ、キミュスが何?」


「宿場町やダレイムなんかでは、そう言うらしーぜ? ターラとかが教えてくれたんだ」


 ルド=ルウは、にっと白い歯をこぼした。


「余所の女衆がレイナ姉に憧れてるってのが、そんなに意外だったのか? べつだん、不思議な話じゃねーだろ」


「なんだ、的当てに夢中だったくせに、盗み聞きしてたの?」


「あんなでっかい声で喋ってりゃ、嫌でも聞こえるさ。狩人は、耳もいいからなー。……お、今度はスドラのふたりとジョウ=ランか。こいつは見逃せねーな」


 歓声の向こうでは、また新たな狩人たちが弓をかまえていた。

 そちらに目をやりながら、ルド=ルウはさらに言葉を重ねる。


「とにかくさ、レイナ姉とシーラ=ルウなんてのは、余所の女衆にとって大きな目標なんだよ。トゥール=ディンとかもすげーらしいけど、あっちは菓子のほうが目立ってるからな。やっぱ、自分たちだけで新しいギバ料理を色々とこしらえてるレイナ姉たちのほうが、すげーって思えるんじゃねーかな」


「そうかなあ。でも、そういう女衆たちは、みんな普段からアスタの手際を見てるんだから、わたしたちなんかに憧れる理由はないんじゃない?」


「アスタはだって、別格だろ。余所の土地で修練を積んできた人間なんだもんよ。そのアスタから手ほどきを受けた人間の中で、一番際立ってるのがレイナ姉とシーラ=ルウってことなんだろ」


 ルド=ルウは的当ての様子を食い入るように見つめながら、やんちゃな笑みを浮かべる。


「ついでに言っとくと、男衆の間でも、レイナ姉は評判らしいぜ? ま、相手がルウ本家の人間だから、なかなか婚儀を申し入れる覚悟は固められねーみたいだけどな」


「何それ? 余所の氏族の男衆なんて、ほとんど顔をあわせてないはずだけど」


「それでも何回かは、顔をあわせたんだろ。レイナ姉はちっちぇーけど胸や尻がでっけーから、男衆の目を引くんだよ」


「もう!」と、レイナ=ルウは弟の背中を引っぱたいた。

 そこに背後から、ふわりとやわらかい声が投げかけられる。


「他の血族に累の及ばない婚儀というものが認められても、やはり族長筋の人間に婚儀を申し入れるのは難しいことなのでしょうか? ……あ、失礼、つい会話が耳に入ってしまったもので」


 それは王都の外交官たるフェルメスであった。町からの客人の中で、彼とその従者だけはこちらの集団にまぎれていたのだ。


「へー、あんたも狩人なみに耳がいいんだな。……うわー、5回連続で的中かよ! すげーな、あいつら!」


 どうやらジョウ=ランとスドラの若衆が5回連続ですべての矢を的中させて、両名ともに次の勝負に進むことが認められたようだった。


「えーと、それで何だっけ? ああ、婚儀についてか。そりゃー族長筋の中でも、レイナ姉は本家の次姉だからなー。長姉のヴィナ姉がリリンに嫁入りしちまったし、下のふたりはまだ婚儀をあげられる年齢でもねーから、余計にちょっかいは出しにくいだろ」


「なるほど。レイナ=ルウの伴侶となる人間や、その子が族長となる可能性も、なくはないということですか」


「いやー、その可能性はほとんどねーけどな。2歳のコタが育つ前に、ジザ兄とダルム兄と俺の全員がくたばらない限り、レイナ姉の出番は回ってこねーんだからさ」


「ふむ。家を出て、分家の家長となったダルム=ルウも、継承権に変わりはないのですね」


「けいしょーけんなんて言葉は知らねーけど、まあそうだよ。もしもコタが育つ前に親父とジザ兄がくたばっちまったら、族長になるのはダルム兄だ」


 と、ルド=ルウはいくぶん面倒くさそうに背後のフェルメスを振り返った。


「ただし、親父もジザ兄もそうそう簡単にくたばるわけがねーけどな。次の族長はジザ兄だし、その次の族長はコタだよ」


「ええ。猟犬のおかげで不慮の死を招く恐れも軽減したというのなら、ルウ家の行く末も安泰なのでしょうね」


 フェルメスは、罪のない顔で微笑んでいる。

 レイナ=ルウは、この笑顔が苦手であった。悪意も敵意も皮肉も嘲弄も込められていない、ごく純朴な笑顔であるように思えるのに、なんだか警戒心をかきたてられてしまうのだ。


「おふたりの語らいをお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。次はいよいよ決勝戦であるようですね」


「ああ。どいつが勝つのか、見当もつかねーや」


 そう言い捨てて、ルド=ルウは勝負の場へと向きなおった。

 フェルメスはレイナ=ルウに一礼してから、すうっと引っ込んでいく。


「……ま、そういうわけだから、レイナ姉も相手の血筋にこだわる必要はねーと思うぜ?」


「なんだ、まだその話は終わってなかったの? わたしはまだしばらく、婚儀をあげるつもりなんてないからね」


「まだしばらくって、いつまでだよ? レイナ姉は、俺よりふたつも年上だろ」


「……20歳になるまではそんなにせっつかれることもないだろうし、ガズラン=ルティムなんて24歳まで婚儀をあげなかったんだから、まだまだ大丈夫だよ」


「へへ。こういう話のときには、毎回ガズラン=ルティムが引っ張り出されそうだな」


 そんな話をしている間に、的当ての勇者はジョウ=ランに定められた。

 レイナ=ルウはあまりつきあいのない相手であるが、いずれユーミと婚儀をあげるかもしれないということで、森辺には名の通っている人物である。ずいぶん優しげな風貌をしているが、狩人としての力量は申し分ないようだった。


 そうして次には、荷運びの力比べが開始される。

 弓の的当てはともかく、こちらはレイナ=ルウが初めて目にする内容であった。わざわざ引き板に幼子を乗せて、それを引っ張って広場を駆け回るのだ。人間を背負って足腰を鍛えるという修練ぐらいであれば目にしたこともあったが、このような形で力比べをするというのは、いささかならず驚きであった。


「へー、こいつは愉快な力比べだな! ジザ兄も初めて見るのか?」


「うむ。以前に招かれたときは、力比べの途中で参じたのだ。俺は2種類の力比べしか見届けていなかった」


 普段通りのゆったりとした面持ちながらも、ジザ=ルウも大いに興味をかきたてられている様子であった。


「しかし、荷運びという名には聞き覚えがある。その勇者は、たしかリッドの家長であったはずだ」


「あー、あいつはいかにも力がありそうだもんな。俺やシン=ルウじゃあ、この力比べで勝つことはできそうにねーや」


「うむ。ルウの血族でこの力比べを行ったら……勇者となるのは、ダン=ルティムであろうな」


「間違いねーや! 腕力だったら親父も負けてねーけど、ダン=ルティムは冗談みてーに足がはえーからなあ」


 ふたりの言う通り、この力比べでは筋力と足の速さの両方が肝要であるようだった。

 身体の小さなアイ=ファやスドラの狩人たちなどは、早々に敗退してしまっている。そうして勇者となったのは、前回も前々回も勝ち抜いたというリッドの家長であった。


 そうして次には、木登りの力比べが開始される。

 その間も、アスタはずっと他の客人たちの相手をしていた。貴族の相手はトゥール=ディンやユン=スドラにまかせて、ユーミやロイたちの相手をしている様子だ。町からの客人たちにはあれこれ説明が必要なのであろうが、レイナ=ルウとしてはいささか寂しくないこともなかった。


(まあ、わたしたちにはつきっきりの案内なんて必要ないもんな。町の人間にとっては、アスタと絆を深める貴重な機会なんだろうし……)


 ただし、レイナ=ルウも最近ではそこまでアスタと絆を深められている感覚はなかった。

 レイナ=ルウも2日に1度は宿場町に下りているが、アスタも自分もそれぞれ屋台の取り仕切り役であるので、言葉を交わす機会はほとんどない。それに、アスタがルウ家で行っていた勉強会も、日を重ねるにつれてどんどん間遠になり、いまでは3日にいっぺんとされてしまったのだ。


(わたしがもっとアスタに手ほどきされたいって願うのは、やっぱり我が儘なのかなあ)


 現在のルウ家には、ミケルとマイムがいる。アスタがルウ家を訪れない日は、ミケルを中心にして勉強会を行っているのだ。

 それに、いまとなってはレイナ=ルウも手ほどきをする側なのである。分家や眷族の人間に教えを乞われることは多いし、シーラ=ルウとふたりで新たな料理を考案したりもしているのだから、自由な時間などはほとんどない。あと、アスタの個人的な修練が行われる日は、シーラ=ルウと交代で6日にいっぺんずつ参加しているのだから、アスタに手ほどきされる頻度はトゥール=ディンやユン=スドラとも大差はないように思われた。


(でも、昔のアスタは毎日のように、ルウ家で手ほどきしてくれてたからなあ)


 それで現在の状況を物足りなく思ってしまうのは、やはりレイナ=ルウの我が儘であるのだろうか。

 そんな風に考えて、レイナ=ルウが小さく息をついたとき、スドラの家長が木登りの勇者となったことが告げられた。


(いけない。今日のわたしは、収穫祭の見届け役だった)


 ちょっと慌てながらジザ=ルウのほうを盗み見ると、そちらはダリ=サウティやフェルメスと語らっているさなかであった。


「それでは、これよりしばらくは休息の時間にさせてもらう。客人がたは、こちらに来てもらいたい」


 ランの家長の先導で、広場の中央に舞い戻る。

 いつの間にか、そこにはいくつもの敷物が敷かれていた。


「この日時計というもので時間を計り、一刻ていどを休息の時間にあてる。かまど番たちが茶と軽い食事の準備をしてくれているので、客人がたにもくつろいでいただきたい」


 レイナ=ルウたちが腰を下ろすと、6氏族の女衆が木箱や壺を運んできた。その先頭に立っていたのは、トゥール=ディンである。


「お、お待たせしました。ごく簡単な食事ですが、お口にあえば幸いです」


 トゥール=ディンの宣言とともに、木箱の中身が配られていく。それは、ポイタンの生地で腸詰肉とティノの千切りをはさんだ、『ホットドッグ』であった。

 レイナ=ルウと同じ敷物に座しているのは、ジザ=ルウとルド=ルウ、ダリ=サウティとゲオル=ザザ、ジェノス侯爵家の3名、それにフェルメスとジェムドである。自然、森辺でも町でも位の高い人間が集っているようだ。


「まあ、これはギバの腸詰肉ね。簡単な料理だとしても、十分なご馳走だわ」


 と、料理を受け取ったエウリフィアが優美な微笑を浮かべる。

 そちらに「恐縮です」と一礼してから、トゥール=ディンはオディフィアに向きなおった。


「あの、これはいちおう、わたしの班が担当した料理となります。オディフィアにも気に入っていただけたら、嬉しいです」


 その端正な顔はぴくりとも動かさないまま、オディフィアはきらきらと灰色の瞳を輝かせた。何故だかこの幼き姫君は、どんなときでも表情が動かないのである。

 トゥール=ディンの手から『ホットドッグ』を受け取ったオディフィアは、小さな口でポイタンの生地と腸詰肉をかじり取った。


「……トゥール=ディン、すごくおいしい」


「本当ですか? ありがとうございます」


 トゥール=ディンは、心から嬉しそうに微笑んでいる。

 このふたりは、見るたびに絆が深まっているようである。実のところ、レイナ=ルウはこの両者が顔をそろえている場面に立ちあう機会が少なかったので、ずいぶんな勢いで絆が深まっているように感じられてならなかった。


(でも、リミやトゥール=ディンが初めて茶会に招かれたのは、たしかいまぐらいの時期だったはずだから、もう1年ぐらいのつきあいになるってことなんだよな)


 貴族という肩書きを抜きにしたって、町の人間とここまで深い絆を結んでいる森辺の民は、稀だろう。レイナ=ルウに思いつくのは、いずれ婚儀をあげることになるかもしれないユーミとジョウ=ランに、あとは絆を深める機会に恵まれたルド=ルウとドーラ家の人々ぐらいのものであった。


(あとはせいぜい、色んな人たちと絆を深めてるアスタぐらいか。でも、アスタはちょっと特別だからなあ)


 そのアスタはどうしているのだろう、と周囲を見回してみたが、彼は少し離れた場所で、アイ=ファと語らっていた。

 きっと、力比べについて語っているのだろう。アイ=ファはこれまでに行われた3種の力比べにおいて、いずれも最後の勝負まで勝ち進んでいたが、惜しくも勇者の座は逃していたのだ。


(このふたりは……相変わらずだな)


 ただ何気なく言葉を交わしているだけであるのに、そこには特別な空気が感じられた。

 アイ=ファを見つめるアスタの瞳も、アスタを見つめるアイ=ファの瞳も、限りなく慈愛のこもった光をたたえているように感じられる。それは、ダルム=ルウとシーラ=ルウや、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンに負けないぐらい、相手を強く愛おしんでいる眼差しであるように思えてならなかった。


 以前はそんなふたりの姿を見ているだけで、胸がひきつるように痛んだのだ。

 あれはきっと、自分がアスタに恋情を抱いていたためなのだろう――と、レイナ=ルウは考えている。レイナ=ルウはそれまで男衆に恋情というものを抱いたことがなかったため、どうして自分がここまで心を乱されることになるのかも理解できなかったのであるが、いまではもう自分の気持ちを客観的に考えることができるようになっていた。


 もともとレイナ=ルウは、アスタのもたらした美味なる料理というものに、深い感銘を受けていた。そうしてアスタを敬愛しているうちに、それが恋情にまで発展してしまったのだろうと思う。

 しかしアスタは、レイナ=ルウを受け入れようとはしなかった。

 レイナ=ルウが、アスタにルウ家の人間になってほしいと願った、あの日――ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの婚儀の夜に、アスタはとても申し訳なさそうな面持ちで「駄目なんだ」と言っていた。


 あの頃から、アスタの心はすでにアイ=ファのものであったのだ。

 そしてまた、アイ=ファの心もアスタのものであるように思えた。

 自分がその事実を受け入れられるようになったのは、いつの頃だったのか――それほど長くは引きずらなかったように思う。少なくとも、アスタたちを初めてルウの収穫祭に招いた頃には、もう踏ん切りがついていたはずだった。


 自分は、アスタを愛していた。

 しかしそれ以上に、自分はアスタの作る美味なる料理に魅了されていたのだ。


 このままアスタに執着して、かないもしない恋情を押し通そうとしたならば、いずれはアスタとの絆が断ち切られてしまうかもしれない。アスタのことを、憎むようになってしまうかもしれない。レイナ=ルウはそのように考えて、自らの恋情を打ち捨てる覚悟を固めることになったのだった。


(わたしは、アスタを失うことに耐えられなかった。この先のすべてを犠牲にして、わずかな希望に取りすがるよりも……友として、ずっとアスタとともにありたいと願ったんだ)


 レイナ=ルウが、その決断を後悔することはなかった。

 だからこうしてアスタとアイ=ファの姿を目にしても、もう胸が痛むことはない。ただ、なんだか昔を懐かしむような心地で、甘い疼きのようなものを感じるばかりである。


「……ちょっと失礼してもよろしいでしょうかな?」


 と、野太い声がレイナ=ルウを追憶から呼び覚ました。

 振り返ると、大柄な人影が立ちはだかっている。それは城下町の料理人のひとり、ボズルであった。


「あら、あなたはヴァルカスのお弟子だったわね。もう軽食をたいらげてしまったのかしら?」


 近くに座っていたエウリフィアが声をあげると、ボズルは「はい」とうやうやしく一礼して、その場に膝を折った。


「ルウ家の皆様にお話ししたいことがあるのですが、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんよ。同じ客人の立場なのだから、わたくしたちに気兼ねをする必要はないわ。ねえ、あなた?」


 ジザ=ルウと語らっていたメルフリードは、無表情に「うむ」とうなずいた。

 ボズルは「寛大なお言葉、ありがとうございます」と、また一礼する。表情は普段通りの穏やかなものであるが、やはり貴族を前にすると、だいぶ態度が異なるようだ。


「お話というのは、他でもありません。この休息の時間というものを終えた後、ルウ家の方々と行動をともにさせてはいただけませんでしょうか?」


「俺たちと? それはもちろん、かまいはしないが……貴方たちは、アスタに案内をされていたはずだな」


「はい。アスタ殿ばかりにご苦労をかけるのは忍びないですし、本日は森辺の方々と絆を深めるための会であると聞いております。以前に祝宴でお世話になったルウ家の方々と絆を深めさせていただきたく思うのですが、如何でありましょう?」


 すると、ゲオル=ザザと談笑していたルド=ルウが「いいんじゃねーの?」と声をあげた。


「俺たちだけじゃなくって、色んな氏族の連中と絆を深めりゃいいさ。城下町の人間と口をきくのは初めてだって連中も、ここには山ほどいるだろうからなー」


「うむ。ルウ家の人間にこだわらず、森辺の民と絆を深めてもらえれば幸いだと思う」


「ありがとうございます。では、休息の時間が終わりましたら、こちらからうかがわせていただきますので」


 ボズルは大らかな笑みを残して、立ち去っていった。

 その大きな後ろ姿を見送りながら、ルド=ルウは「ふーん」と鼻の頭をこする。


「あいつら、料理のことしか頭にないんじゃねーかって思ってたけど、いちおう色々と考えてるみたいだなー」


「うむ。サトゥラス伯爵家の人間と和睦の晩餐会を行ったときは、森辺の民の好みを考えた上で料理を準備していた者たちであるのだ。何も考えていないことはあるまい」


 そう言って、ジザ=ルウはレイナ=ルウに目を向けてきた。


「レイナよ、俺は族長代理としてさまざまな相手と言葉を交わす必要があるため、あの者たちばかりに注意を払うことはできん。力比べが行われている間は、お前が案内役のつもりで面倒を見てもらえるか?」


「うん、わかった」


 そういえば、レイナ=ルウもまだボズルたちとはろくに言葉を交わしていなかったのだ。

 おたがいの料理が介在しない場で、彼らとどのような縁を紡ぐことができるのか。想像すると、なかなか楽しい気分にならなくもなかった。

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