親睦の晩餐会⑥~帰り道~
2019.8/6 更新分 2/2
・本日は2話更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
・2019.8/17追記 キャラクターの人気投票および、番外編の主人公を選出するアンケートは受付を終了いたしました。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
「……さきほどは、無用の言葉で晩餐の場を乱してしまい、申し訳ありませんでした」
ガズラン=ルティムがそのように言いだしたのは、フェルメスおよび侯爵家の人々に別れを告げて、トトス車に乗車したのちのことであった。
石敷きの街路をなめらかに進むトトス車の中で、「詫びる必要はない」と応じたのは、アイ=ファである。
「ガズラン=ルティムの言葉は、きっと真実を射抜いていたのであろうと思う。私には半分も理解できていないのかもしれないが、そのように感じるのだ」
「俺には、ひとつも理解できなかったな。やっぱりお前は、考えすぎなのだ」
ゲオル=ザザは、不敵に笑いながらそう言った。
「要するに、あいつは傀儡の劇の人形を愛でるような心地で、アスタに執着しているということなのか? ずいぶん子供じみた真似ではあるが、それならそれで問題はなかろうが」
「問題は、きっとないのでしょう。ただ、どうしてそのような心持ちで日々を生きることができるのか、私にはそれが理解しきれないのです」
「わからんものはわからんでかまうまい。あやつが敵となれば討ち倒すだけだし、そうでなければ果実酒を酌み交わすだけだ」
そのように言ってから、ゲオル=ザザはかたわらのトゥール=ディンを振り返った。
「そら、お前たちはさきほどの料理について語り尽くしたいのであろう? かまわずに、好きなだけ語らうがいい」
「あ、いえ、わたしはまだ、気持ちや考えがまとまっていないので……うまく語ることもできそうにありません」
すると、レイナ=ルウも「わたしもです」と息をついた。
「わたしは初めてヴァルカスの料理を口にしたときと同じぐらいの衝撃を受けてしまいました。いったいどうやったら、あれほど緻密に料理を作りあげることがかなうのか……一刻も早く、ミケルと語らいたい気分です」
「あ、ミケルはダイアをご存知なのですか?」
「ええ。でも、ダイアは14年も前にジェノス城に召し抱えられたという話だったでしょう? ミケルが知るのは、それより前の話のみであるようです」
なんだかんだと言いながら、レイナ=ルウとトゥール=ディンは料理談義を開始していた。やはりふたりにとっても、ダイアの存在は大きな衝撃であったことだろう。
俺ももちろん同じ気持ちであるのだが、いまはアイ=ファとガズラン=ルティムが気がかりである。俺は腕組みをして考え込んでいるアイ=ファに「大丈夫か?」と尋ねてみた。
「何をもって大丈夫とするかはわからんが、やはりフェルメスというのは難儀な人間であるようだな」
「うん、まあな。それでも多少は、絆を深められたように思うんだけど……これも俺の錯覚に過ぎないのでしょうか?」
後半の言葉は、ガズラン=ルティムに向けたものだ。
ガズラン=ルティムは珍しくもくたびれきった様子で座席にもたれながら、「いえ」と微笑した。
「私の言葉などには惑わされず、アスタは自分の正しいと思える道をお進みください」
「でも、ガズラン=ルティムは俺なんかよりもよっぽど正確に道筋が見えているのでしょうからね。それを無視する気にはなれません」
「いえ。私にとっての正しい道が、アスタにとっても正しいとは限りません。特にフェルメスに関しては、私のように余計なことを思い悩むほうが、よくない結果を生んでしまうかもしれません」
そう言って、ガズラン=ルティムはにこりと微笑んだ。
「アスタぐらい魅力的な人間であれば、フェルメスと人間らしい絆を結ぶこともできるかもしれないのですからね。私の言葉など、気にかける必要はありません」
「ふん。それはそれで、アイ=ファがやきもきすることになりそうだがな」
ゲオル=ザザが軽口を叩くと、アイ=ファが「おい」と身を乗り出した。
「冗談だ。しかし、お前がそうやってすぐに心を乱してしまうから、冗談で済まない気になってしまうのだがな。普段は取りすましているくせに、アスタがからむとお前はすぐに頭に血をのぼらせてしまうではないか」
顔を赤くするアイ=ファに、ゲオル=ザザは気安く笑いかける。
「まあ、男同士では婚儀をあげることもできんのだから、どれだけ絆が深まっても案ずる必要はあるまい。あの厄介な外交官めと正しき絆を結べるように、せいぜい励むことだな」
「……いいかげんにその口を閉ざさぬと、次代の族長であってもただではおかんぞ」
そのように凄んでから、アイ=ファは荒っぽく座りなおした。
そして、まだいくぶん赤いお顔をしたまま、横目で俺をねめつけてくる。
「……お前まで余計なことを口走るのではないぞ、アスタよ」
「うん、もちろんわかってるさ」
森辺の装束にあらためて、きっちり髪を結いあげたアイ=ファは、もういつも通りのアイ=ファであった。
その愛おしい姿を見やりながら、俺はぼんやりと考える。
(もしも本当に、フェルメスが舞台の見物客みたいなスタンスで生きているとしたら……この世の誰にも情を移していないってことなんだろうか)
劇の人形と見物客では、友になることも夫婦になることもかなわない。そんな絶対的な孤独の中で、楽しく生きていくことなど、誰にもできるはずがないように思えてならなかった。
(だったらガズラン=ルティムの言う通り、俺は俺なりに手を尽くして、フェルメスと絆を深められるように努力するしかないのかな。あなたもこちらで、一緒に人生を楽しみましょうって感じで……いや、そんな風に考えるのはおこがましいか。そんな雑念は抜きにして、俺自身がフェルメスと仲良くしたいかどうかだ)
俺はフェルメスに、どのような気持ちを抱いているか。
その人柄に魅力を感じているか、という意味ならば――答えは、イエスである。いささかならずエキセントリックで、内心の読みにくいフェルメスであるが、ときおり見せる人間らしい一面や、幼子のように無邪気な表情などは、大きな魅力に感じられた。
これまでの言動に関しても、俺や森辺の民に対する執着がいささか重く感じたりもしてしまうものの、それが善意や好意から生じたものであるのなら、こちらも同じ気持ちで受け止めることができる。あの銀獅子大隊長デヴィアスのことだって、俺は同じような心地で好ましく思っていた。
(俺はもっと、少人数で……それこそ、アイ=ファとジェムドを加えた4名だけで、フェルメスと語らいたい気分だな。そのほうが、フェルメスの本音や性格なんかも理解しやすいんじゃなかろうか)
俺がそんな風に考えていると、アイ=ファが赤みを増した顔をぐいっと近づけてきた。
「おい。人の顔を見つめたまま、物思いにふけるな」
「ああ、ごめん。だけどアイ=ファも、余計な口を叩くなって言っただろ?」
「だからといって、無言で人の顔を見つめるな」
アイ=ファの声は低くひそめられていたので、他のみんなには聞こえていないのだろう。どれだけ平坦な道であっても、トトス車というのはけっこう派手な音をたてるものであるのだ。
そのように判じて、俺もアイ=ファに囁きかけてみせた。
「フェルメスはあれだけ見目が麗しいんだから、それにひかれる女性も多そうだよな」
「なに? お前はいきなり、何を言っているのだ?」
「いや。心から大切な人間ができれば、傍観者でいることなんてできないだろうになって考えたのさ」
いったん身を引いたアイ=ファは、なんだかものすごく複雑な感じに顔をしかめてから、あらためて顔を寄せてきた。
「お前は、まさか……自分がその、あやつにとっての大切な存在になろうとしているわけでは……」
「そうじゃないよ。最初に女性って言っただろ? もちろん大切な友人でもいいんだけど、婚儀をあげたいぐらいの相手と巡りあえたら、フェルメスも人生観が変わるんじゃないかなって思ったんだよ」
それはつまり、俺にとってのアイ=ファと同じぐらい大切な相手という意味だ。
もちろんこのように余人の目と耳のある場所で、俺がそのように付け加えることはなかった。
「俺は俺で、《星無き民》じゃなくファの家のアスタとして、フェルメスと絆を深められるように頑張るよ。俺にとってもフェルメスにとっても、それが一番正しいことなんだろうからさ」
すると、アイ=ファの青い瞳に鋭い光が閃いた。
「アスタ、お前は……これまで、不安な心地を抱いていたのか?」
「え? なんの話だよ?」
「……《銀の壺》を森辺に迎えた日、お前は言っていた。ファの家のアスタとして生きていくのが正しいと言ってもらえて、心が安らいだ、とな。……それはつまり、これまで心が安らいでいなかった、という意味なのではないのか?」
俺は大きな驚きとともに、アイ=ファの顔を見返すことになった。
アイ=ファはとても張り詰めた面持ちをしている。
しかし、その鋭い眼光の奥底には、とても不安そうな陰りも存在しているように感じられた。
「ああ……あのときもアイ=ファは、何か言いたげな顔だったもんな。アイ=ファに心配をさせちゃったんなら、謝るよ」
「詫びなどいらん。ただ、答えを聞きたい」
答えを聞きたいのに、アイ=ファは数日もその疑念を押し殺していたのだ。
アイ=ファに対する申し訳なさと愛おしさが、急激な勢いで俺の胸を満たしていった。
「何も不安じゃなかったって言ったら、嘘になるだろうな。俺はどうやって、何のために、この世界に引っ張ってこられたんだろう……《星無き民》っていうのは、いったい何なんだろう……そんな疑問が、俺の心の奥底にわだかまってるんだよ。たぶんそれが、《星無き民》に執着するフェルメスの登場で、少しばかり強まったんだと思う」
「……あやつのせいで、アスタは心を乱すことになってしまったのだな」
「いや、それはフェルメスのせいじゃないよ。俺が《星無き民》であることに、フェルメスには何の責任もないんだからさ」
そう言って、俺は心からの笑みを浮かべてみせた。
「それに俺は、幸福に生きることができているし、それが正しいことだと信じている。それをあの《銀の壺》の人にも正しいことだって言ってもらえたから、嬉しかっただけなんだよ。いままでアイ=ファに不安な気持ちを隠していたわけじゃないから、それだけは信じてくれ」
「……私はいつでも、お前を信じている」
アイ=ファの瞳に、ようやく安堵の光がくるめいた。
余人の目がなかったら、俺はアイ=ファの身体を抱きしめてしまっていたことだろう。
俺がこんな風に幸福であれるのも、それが正しいことだと信じることができるのも、すべてはアイ=ファのおかげであるのだ。
「これでようやく、復活祭に集中できるな」
アイ=ファへの情愛で胸を詰まらせながら、俺はそんな風に言ってみせた。
「今年もアイ=ファと朝から晩まで一緒にいられて、俺は嬉しいよ。明日からもよろしくな、アイ=ファ」
アイ=ファは「うむ」としか言わなかった。
しかしその青い瞳には、喜びと情愛の光があふれかえっている。
まるで城下町の鏡みたいに、その瞳は俺の心情をそのまま映しているように思えてならなかった。