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異世界料理道  作者: EDA
第四十五章 祭の前に
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親睦の晩餐会⑤~食後の菓子~

2019.8/6 更新分 1/2 ・8/8 誤字を修正

「それでは、最後に菓子でございます」


 ギバ料理とマロール料理が片付いたのち、しばしの談笑を経て、食後の菓子が供された。

 前回はミゾラの花に見立てた菓子であったが、今宵はどのような菓子が供されるのか。トゥール=ディンでなくとも、期待はふくらむところであった。


「ダイアは菓子を得意にしているの。ヴァルカスとは料理人の双璧と呼ばれているけれど、菓子だけの勝負であれば、ダイアが後れを取ることはないでしょうね」


 そんなエウリフィアの声が響く中、最後のクロッシュが開けられていく。

 そこでもまた、俺たちは驚きの声をあげることになった。


「これは……驚くほどの美しさですね」


 レイナ=ルウが、感じ入ったようにつぶやく。

 トゥール=ディンも、その大きな目をいっそう大きく見開いて、ダイアの菓子を見つめていた。


 このたびの菓子も、とあるものを見立てていた。

 解説を聞くまでもなく、そのお題は「夜空」である。

 皿の上に、星々の瞬く夜空が現出されていたのだ。


 背景は、グラデーションがかった濃紺である。

 そこに、銀色の星がきらめいている。それも、天の川のごとき星雲の帯だ。


 この輝きは、砂糖細工であるのだろうか。

 銀色の中に、ほのかに赤みがかった星や緑がかった星も配置されている。このような美しさを構築するには、やはり芸術家としての素養も必須であろうと思えてならなかった。


 皿は多少の深さを持った楕円形の形状であり、そこに星空が敷き詰められている。

 これを匙などですくっていいのかどうか、初見の俺たちにはなかなかふんぎりのつかないところであった。


「今日の献立に関してはダイアにおまかせしていましたが、菓子だけは僕から注文をつけさせていただきました。これは僕が、ダイアの作る菓子の中でもっとも感銘を受けたものであるのです」


 うっとりと微笑みながら、フェルメスがそのように発言した。


「これほどに美しい菓子を、僕はいままで見たことがありません。僕は王都で天文の研究などをしていたものだから、余計にそのように思ってしまうのでしょうか。食べてしまうのが、惜しいほどです」


「でも、食べずにいたら、せっかくの菓子も溶け崩れてしまうでしょうからね。そうなる前に、いただくことにしましょう」


 エウリフィアを筆頭に、ジェノス侯爵家の人々が匙を取る。これだけ見事な菓子であっても、やはり彼らには見慣れたものであるのだろう。

 俺はその見事な細工を心ゆくまで目に焼きつけてから、エウリフィアたちにならうことにした。


 いきなりど真ん中をほじくる気持ちにはなれなかったので、端のほうを控えめにすくい取る。

 濃紺の夜空はクリームのようにやわらかく、その下には黄白色のフワノの生地が隠されていた。

 すくいあげると、匙の中に美しい夜空が切り取られる。黄白色に焼きあげられたフワノの生地を土台にした、なんともシュールな様相である。


 それを口に運ぶと、強い甘さと酸味と清涼感が、うねるように口の中を駆け巡った。

 菓子であるから甘いのは当然として、酸味はアロウかアマンサのベリー系、清涼感は香草であるようだ。


 ミントっぽい風味も、ぞんぶんに感じられる。ミントのごときユラルというのは熱すると風味が飛んでしまうため、これまではあまり使う人間を見たことがなかったのであるが、ダイアはぞんぶんに活用しているようだ。


 それにしても、深みのある味わいであった。

 酸味も清涼感も、主役の甘みを邪魔せずに、見事に調和を保っている。ミントを使ったベリー系の洋菓子などといったら、俺にとってはいささか複雑な味わいに分類されるのであるが、それでもやっぱりすんなりと口にすることができた。


 それに、この食感も絶妙である。

 濃紺の夜空はどういう細工か、ゼリーのようにぷるぷるとした仕上がりであり、フワノの生地はしっとりと焼きあげられている。そこに砂糖菓子たる星の食感が心地好いアクセントになっていた。


「あなたには、星空というものがこのような存在であると感じられるのでしょうね」


 ようやく菓子を口にしたらしいフェルメスが、ちょっと茫洋とした声でつぶやいた。

 あなたというのは、ダイアのことであろう。ダイアはやわらかく微笑みながら、フェルメスを見やっていた。


「僕にとっての星空というのは、硬質で、冷たくて、甘さとほろ苦さを連想させる存在です。でも、あなたはこのように、甘酸っぱくて清涼な風味に仕上げました。これはあなたが、星空をそういうものであると認識している、ということなのでしょう」


「左様でございますねえ……綺麗な星空というのはどのような味であるのか、それを夢想しながら作りあげた菓子でございます」


「ええ。もちろん星空を口にすることはできませんので、正解というものは存在しません。星空にどのような印象を受けるかは、人それぞれなのですからね」


 そう言って、フェルメスはにこりと微笑んだ。

 べつだん、この味付けに文句をつけているわけではないのだろう。


(そもそも、星空の味なんて想像したこともなかったな。ダイアはもちろん、フェルメスもなかなかのロマンチストってことか)


 そんな風に考えながら、俺はトゥール=ディンとオディフィアのほうに視線を転じてみた。

 トゥール=ディンは真剣そのものの面持ちで星空を食しており、オディフィアはその横顔を一心に見つめている。

 やがてそれに気づいたトゥール=ディンは、オディフィアに優しく微笑みかけた。


「大丈夫です。もう心ないことを言って、オディフィアを不安にさせたりはしません」


 オディフィアは「うん」とうなずいてから、自分の菓子に匙を差し入れた。

 それを横目で見やっていたゲオル=ザザが、ふいにダイアに「おい」と呼びかけた。


「この菓子も、美味であるように思う。俺はあまり、城下町の料理を好ましく思うことはないのだが、お前の作る料理はおおよそ美味だと思えるようだ」


「ありがとうございます。そのように言っていただけるのは、光栄なお話でございます」


「……お前のように優れたかまど番を持って、侯爵家の者たちは幸福だな」


 と、ゲオル=ザザは珍しく歯切れの悪い感じになっていた。

 ダイアはやわらかく微笑んだまま、小首を傾げる。


「もしかしたらあなた様も、オディフィア姫のお気持ちをはかりかねてらっしゃるのでしょうか?」


 トゥール=ディンが、びっくりしたようにダイアを振り返る。

 オディフィアも、匙をくわえたまま、ちょっと不安げにダイアを見た。

 しかしダイアは、いっそう柔和な面持ちになっていた。


「オディフィア姫はわたくしのこしらえる菓子よりも、そちらのトゥール=ディン様のこしらえる菓子のほうが、お口に合うようでございますね。力が至らず、申し訳ない限りでございます」


「い、いえ、わたしなどは、たまたまオディフィアと好みが合っていただけなのでしょうから……」


「そう、それはきっと、たまたまであったのでしょう」


 優しく細められたダイアの瞳が、トゥール=ディンとオディフィアを等分に見つめる。


「わたくしも幼き頃に、貴き方々との会食で、たまたま自分の好みと完全に合致する料理と巡りあうことに相成りました。きっと、それと同じことなのでしょう」


「それと同じ……」


「はい。わたくしはその一夜で、美味なる食事というものに心を奪われることになりました。でも、その後に何度か同じような会食に招かれたときは、そこまで心を動かされることもなかったのです。あれはひょっとして、初めての豪華な料理に気が迷っただけなのかと、わたくしもたいそう落胆してしまったのですが……しばらくの後、また最初の料理人の料理を口にする機会を賜ったのですね」


 その頃のことを懐かしむように、ダイアはさらに目を細めた。


「その料理を口にしたとき、わたくしは確信いたしました。わたくしは、この御方の料理に魅了されたのだと……他の誰でもない、その御方の料理だけが、わたくしの心を打ち震わせたのですね。同じぐらい高名な料理人でも、同じ料理を作ることはかないません。似たような作法で作られた料理でも、わたくしにとってはまったくの別物に感じられてしまうのです。そうしてわたくしは、自分にとって唯一の存在である、その料理人に弟子入りすることになったのでございます」


「では、オディフィアにとっては、トゥール=ディンこそが唯一の存在になるということか」


 ゲオル=ザザの言葉に、ダイアは「ええ」と静かにうなずく。


「きっとオディフィア姫は、よほど繊細な舌を持っておられるか……あるいは、わたくしぐらい偏屈な気性であられるのでしょう」


「まあ。あなたが偏屈であったら、この世の人間はみんな偏屈になってしまうわ」


 エウリフィアが笑いを含んだ声で言うと、ダイアはうやうやしげに一礼した。


「主君の血筋たるオディフィア姫に無礼なお言葉をかけてしまったこと、ご容赦いただければ幸いでございます」


「これであなたを責めるわけがないでしょう? ……ありがとうね、ダイア」


 そう言って、エウリフィアはかたわらのオディフィアに笑いかけた。


「けっきょくは、そういうことなのでしょうね。100人中の99人がダイアの菓子を選んだとしても、あなたにとってはトゥール=ディンの菓子がもっとも美味しく感じられるということなのよ」


「うん」とうなずいてから、オディフィアは上目づかいで母親を見上げた。


「でも……100にんもいたら、オディフィアのほかにもトゥール=ディンをえらぶひとはいるとおもう」


「もちろんよ。ダイアとトゥール=ディンは、同じぐらい菓子作りを得意にしているのですからね」


 ダイアのおかげで、その場には和やかな空気が戻ってきたようだった。ゲオル=ザザも、ほっと安堵の息をついている様子である。

 そこに、フェルメスが忍び笑いをもらした。


「料理というのは、恋慕の情に似たところもあるのでしょうかね。ダイアやエウリフィアの仰りようは、まるで恋情について語っているかのようでした」


「あら、あなたの口からそのような言葉が飛び出すとは、意外だわ。どれだけの貴婦人が熱い眼差しを送っても、あなたは目もくれないものね」


 貴婦人らしい優雅さでもって、エウリフィアはフェルメスに応酬した。

 フェルメスは、まだ幼子のようにくすくすと笑っている。


「外交官たる僕は、節度をもって振る舞うべきでありましょう。いずれ王都に戻る身なのですからね」


「ご立派だわ。……あなたが殿方でなかったら、アスタに恋情を抱いているのではないかと誤解してしまったかもしれないけれど」


「王都には小姓を慈しむ貴族も少なくないようですが、僕がアスタに抱いているのは恋情と異なる思いです」


 実に無邪気に微笑みながら、フェルメスは俺に向きなおってきた。


「それとも、アスタに何か誤解させてしまったでしょうか?」


「あ、いえ、決してそのようなことは……はい、大丈夫です」


「そうですか。アイ=ファにもご心配をかけていなければ幸いです」


 余計なことを言ってくれるなよと内心で溜め息をつきながら、俺はちらりとアイ=ファを見やった。

 案の定、アイ=ファはお顔を赤くしながら、ぎりぎりと歯を食いしばっている。


「何度でも繰り返しますが、僕はアスタの生活に干渉する気はありません。もちろんアスタがジェノスの領民として不適切な行為に及んだときは、外交官として掣肘しなくてはならない立場でありますが……アスタであれば、そのような不始末をしでかすこともないでしょう」


「ふうん。アスタを信頼してらっしゃるのね」


「はい。アスタが《星無き民》であるならば、道を間違うこともないでしょう」


 優雅に微笑みながら、フェルメスは茶の杯を口に運ぶ。

 すると、「では……」という低い声が、アイ=ファの向こう側から響きわたった。


「それはアスタ本人ではなく、《星無き民》を信頼している、ということになるのではないでしょうか?」


 アイ=ファの向こう側に座しているのは、ガズラン=ルティムである。

 その声を聞くのは、ずいぶんひさびさであるように感じられた。


「ああ、確かにそうですね。外交官としては、いささか不適切な発言であったかもしれません。でも、これは非公式の親睦の会ですので、ご容赦いただけたら幸いです」


 フェルメスが微笑まじりに答えると、ガズラン=ルティムは静かに一礼した。


「こちらこそ、差し出口をきいたことを詫びさせていただきたく思います」


「何も差し出口などではありません。ガズラン=ルティムには、大いに語らっていただきたく思います」


 と、フェルメスの瞳がいくぶんけげんそうな光を浮かべた。


「今日のガズラン=ルティムは、やっぱり少しお元気がないように見受けられます。もしかして……ガズラン=ルティムは、僕に愛想を尽かしてしまったのでしょうか?」


「……いえ。私はあなたと正しき絆を結びたいと、心から願っています」


「そうですか。では、どうしてそのように思い詰めた顔をされているのでしょう?」


 フェルメスの声に、ちょっと甘えるような響きが加えられる。

 それを迎え撃つガズラン=ルティムは、ずいぶん精悍な面持ちになっていた。


「あなたと絆を深めるために、私はどのように振る舞うべきか、ずっと思案していたのです。何か礼を失していましたら、お詫びを申し上げます」


「そのように肩肘を張らず、気安く語らっていただけたら、嬉しく思います。僕などは、そんな大層な人間ではないのですよ。森辺の方々とは比べるべくもない、ごくつまらない人間です」


 ガズラン=ルティムは同じ表情のまま、ゆっくりと首を横に振った。


「あなたがごくありふれた人間であったとしたら、私にはこの世界のことが何もわかっていないということなのでしょう。……つい先ごろまで森辺の外の世界を知らなかった私であれば、それが当然の話なのでしょうが」


「とんでもありません。僕はあなたほど明晰な頭脳を持つ御方を、他に知りません。あなたは森辺の狩人でありながら、都の学師にも等しい理解力と分析力を持つ、稀有なる御方であるのです」


 そう言って、フェルメスはわずかに身を乗り出した。


「しかもあなたは森の中で生きる狩人ゆえに、その身でこの世界を知覚するすべも持っておられます。あなたには僕以上にこの世界の真理が見えているのではないかと考えているぐらいなのですよ、ガズラン=ルティム」


「とんでもありません。私は――」


「そのガズラン=ルティムをして、僕は異形の存在に見えてしまうということなのでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの言葉をやんわりさえぎって、フェルメスがそのように言葉を重ねた。

 そう――初めて対面したときにも、フェルメスはこういった話法をもちいていたのだ。


「ガズラン=ルティムの目に、僕はどのような存在として映っているのでしょう? 教えていただけたら、幸いです」


 ガズラン=ルティムはいったんまぶたを閉ざしてから、フェルメスのやわらかい笑顔を見つめた。

 その瞳には、鷹のごとき鋭い光が灯されている。

 そして――いつしかフェルメスの瞳には、あの、魂を吸い込むような妖しい光がたたえられていた。


「そのような言葉を口にするのは、つつしみたいと思います。私は森辺の民として、王都の外交官たるあなたに礼を失することは許されません」


「それはますます気になってしまいますね。これは非公式の晩餐会であるのですから、何も重く考えることはないのですよ。あなたがどれだけ礼を失した言葉を口にしても、不問にいたしましょう」


 そんな風に言ってから、フェルメスはくすりと笑った。


「それに、ガズラン=ルティムがそれほど失礼な言葉を口にするとは思えません。僕と正しき絆を結びたいと願っておられるなら、どうぞ真情をお聞かせください」


「……私が何を口にしようとも、森辺の民に責を負わせることはないとお約束していただけますか?」


「ええ、もちろんです。森辺の民だけでなく、あなた自身にも責を負わせることはありません。西方神にかけて、お約束いたします」


「では――」と、ガズラン=ルティムは居住まいを正した。


「道理を知らない人間の、浅はかな思い込みだと思って、お聞きください。私には……あなたがとても遠い存在であるように感じられてしまうのです」


「遠い存在?」


「はい。あなたはそうして、まぎれもなくこの場に存在しています。だけどなんだか、ひとりだけ遠くに座しているような……それこそ、我々の営みを傀儡の劇でも見るように鑑賞しているのではないかと、そのように思えてしまうのです」


 ガズラン=ルティムは、普段通りの穏やかな声でそのように言い継いだ。

 ただその瞳は、やはり鋭く瞬いている。


「あなたは神話や神々について語るとき、とても楽しげにしています。そして、アスタや森辺の民について語るときも、それは同様であるように感じられてしまうのです。あなたにとって、人間というのは……傀儡の劇で使われる人形や、書物の中の登場人物と、同列の存在なのではないでしょうか」


「なるほど……」と、フェルメスは卓の上で白い指先を組み合わせた。


「僕はこうして、あなたがたと直接対話しています。そうであるにも拘わらず、ひとりだけ高みから見下ろしているように感じられる、ということですか?」


「高みではありません。ただ、遠いのです。……本当にこちらの言葉が届いているのかと、それが疑わしくなるほどに」


 そう言って、ガズラン=ルティムはまた小さく首を横に振った。


「あなたと言葉を交わしていると、まるで自分が傀儡の劇の人形であるかのような心地になります。傀儡の劇の人形に、見物客へと声をかけるすべはないのです」


「なるほど。傀儡使いを神、見物客を傍観者と見立てれば、意外に的を射ているのかもしれませんね」


 フェルメスはその妖しい眼差しをまぶたに隠すと、頭上のシャンデリアを仰ぐように面を上げた。


「やはりあなたは、稀有なる観察眼と分析力をお持ちであるようです、ガズラン=ルティム。あなたの言葉は、僕の心に深く染み入りました」


「……なんと失礼なことを言い出すのだと、お怒りにならないのでしょうか?」


「怒る理由がありません。あなたはただ、ご自分の印象を語られただけなのですから」


 フェルメスは、形のいい唇をほころばせる。

 妖しい瞳が隠されているために、無邪気にすら見える表情である。


「真実は、いったいどうなのでしょうね。ただ僕は、最初からこういう人間であったのです。何かきっかけがあってこの世を疎んだわけではありませんし、僕は僕なりに誠実な気持ちで他者と接しているつもりです」


「わかっています。あなたはきっと、心からこの世のすべてを慈しんでいるのでしょう。ただ……その立ち位置が異なっているだけであるのです」


「傀儡の劇の見物客、ですか。その言葉は、とても気に入りました」


 フェルメスはくすくすと笑ってから、まぶたを開いてガズラン=ルティムに向きなおった。

 その瞳からは、妖しい光が消え去っている。


「何にせよ、僕は傀儡使いを押しのけて、その座に自分が居座ろうなどとは考えていません。それは、信じていただけますか?」


「はい。あなたがそのような人間であったなら、森辺の民がこうまで心を許すことはないでしょう」


 ガズラン=ルティムは卓の上に置いていた右の拳をぎゅっと握り込み、その瞳に痛切なる光をたたえた。


「私は心から、あなたと正しき絆を結びたいと願っています。おこがましい言い方かもしれませんが……そのときこそ、あなたは人間としての幸福を手にすることができるように思うのです」


「ふふ。それならばいっそ、あなたがこちら側にいらっしゃればよいのではないですか?」


 ガズラン=ルティムは悲しげにも見える顔で微笑みながら、「いえ」と応じた。


「それは、できません。あのカミュア=ヨシュにすら、それはできないのだと思います」


「カミュア=ヨシュですか。あの御方も根っからの傍観者でありながら、舞台で暴れることを心から楽しんでおられるご様子ですね」


 そうしてフェルメスは、満足そうにふわりと微笑んだ。


「ありがとうございます、ガズラン=ルティム。あなたと語らうのは、やっぱり僕にとって大きな喜びです。正しき絆を結ぶために、これからもどうぞ僕と語らってください」


「……はい。そうさせていただければ、幸いです」


「他の方々も、長々とつきあわせてしまって申し訳ありませんでした。さぞかし退屈だったでしょう?」


 ふたりのやりとりに心を奪われていた俺は、それでようやく我に返り、周囲の状況を確認してみた。

 ゲオル=ザザとトゥール=ディンとレイナ=ルウ、それにオディフィアとダイアは、ちょっときょとんとした面持ちである。

 メルフリードは完全なる無表情で内心が読めず、エウリフィアは思案げに小首を傾げている。

 そして、アイ=ファは――なんとかいまの問答を理解しようとしているのか、とても難しげな面持ちで目を伏せていた。


「ガズラン=ルティムがどのようなことを語らうつもりかと、いくぶんひやひやしてしまったけれど……わたくしには、ちょっと理解が及ばなかったわ。それこそ、学師同士の問答を聞いているような心地だったわね」


 やがてエウリフィアが、場を取りなすようにそう言った。


「だけどまあ、真情をぶつけ合うというのは、悪いことではないのでしょう。ねえ、あなた?」


 メルフリードは、「うむ」としか答えなかった。

 やはり、どのような気持ちでいるのかは不明である。もしかしたらアイ=ファと同様に、頭の中でふたりの会話を反芻しているのかもしれなかった。


(傀儡の劇の、見物客か……わかるような気はしなくもないけれど……やっぱり実感はわかないな)


 俺としては、それぐらいの感想しか持ちようはなかった。

 ただわかるのは、俺にとってもガズラン=ルティムは自分が知る限りでもっとも明哲なる人物である、ということだ。


 そのガズラン=ルティムが意を決して語ったからには、きっと真実に肉迫しているのだろう。

 それでは、俺たちに何ができるのか――いまのところ、その一点は判然としなかった。

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