親睦の晩餐会④~野菜料理と肉料理~
2019.8/5 更新分 1/1
・明日は2話更新します。読み飛ばしのないようにご注意ください。
「お次は、野菜料理となります」
ダイアの宣言とともにクロッシュが開かれると、また驚嘆の声が響きわたった。
今回は、森辺の民のほぼ全員が、声を発してしまったようである。
その料理は、花を模した料理であった。
あの、先日の茶会で披露された菓子と、同系列の細工である。よって、この場に参じた森辺の民も大半は予備知識を持っていたはずであるが、やはりなかなかこのように不思議な形状をした料理を前にしてしまうと、驚きを禁じ得ないのであろう。
今回は、あまり見覚えのない黄色の大輪の形状をしていた。
俺の乏しい知識で、もっとも似ているように思えるのは、ダリアであろうか。ひとつひとつの花弁は小さく、それが何重にも重なることによって、実に美しい姿を体現させている。
その黄色い大輪の下から細い茎がのびて、何枚かの葉をつけているのは、かつての菓子と同じ体裁だ。
そしてそれがのせられているのは、深い藍色の皿である。このように濃い色合いをした皿は珍しいように思えたが、それがまた花弁の黄色と葉の緑色に調和しまくっているように感じられた。
「ふむ……茶会ではミゾラの花にしか見えない菓子が出されたのだと、トゥール=ディンから聞かされていたが……これは本当に、花としか思えぬ代物だな」
ゲオル=ザザが感じ入った様子でつぶやくと、エウリフィアが「そうでしょう?」と微笑んだ。
「でもこれも、外見と同じぐらい味が素晴らしいの。どうぞ召し上がっていただきたいわ」
そうしてエウリフィアは、手本を示すように食器を取り上げた。
左手に匙、右手にフォークを握っている。その匙で花弁の一部をすくい取ったエウリフィアは、それを1枚の葉の上にのせると、フォークを使ってふたつに折りたたんだ。
「どのように食べても自由ですけれど、わたくしたちはこうして食べるのが一番美味だと考えているわ」
折りたたんだ葉にフォークを刺し、匙で補助をしながら、エウリフィアが口に運んだ。
その姿を見届けてから、俺たちもめいめい食器を取り上げる。いささか手間のかかる食べ方ではあったが、パスタやラーメンで鍛えられたアイ=ファたちであれば、それほど難渋することはないだろう。
黄色い花弁にフォークを押し当ててみると、それは意外なやわらかさで簡単に取り分けることができた。
あの、ミゾラの花を模した菓子よりも、なおやわらかいぐらいであるだろう。どうやらこれは完全な固形物ではなく、とろりとしたクリームのようなもので成形されているようだった。
そして葉のほうはというと、こちらは予想以上にしっかりとした質感である。わずかに弾力も感じられて、少々荒っぽく扱っても、形が崩れたりはしなそうだ。
それをふたつに折りたたんだ俺は、大いなる期待感とともに口に運んだ。
まずは花弁を包んだ葉が、舌に触れる。
ほのかな苦みを感じたが、それ以外に味らしい味はない。
それを奥歯で噛み破ると、とたんに鮮烈な味が広がった。
清涼なる香気と、強い甘み――香気は、複数の香草からもたらされるものであり、甘みは、砂糖と果汁であろう。
しかしやはり、菓子とは違う。その裏側には、強い塩気と香ばしさも感じられた。
意外なことに、ちょっと和風の趣である。ということは、タウ油やミソも使われているのだろう。
だけどやっぱり、俺が知る和食の概念からはかけ離れている。香草の存在感によって、それはひどく異国的な――というか、どこか幻想的な味であるように感じられた。
そして、何やら食感も心地好い。
花弁のほうはほとんどクリーム状であったので、これは葉のほうからもたらされる食感であるのだろう。
数ミリていどの厚さしかないのに、弾力にとんでいて、水気も含んでいる。ほのかな苦みは、後からつけられた味であるようだが、その食感にははっきりと覚えがあった。
「もしかしたら……この葉は、ティノで作られているのですか?」
俺の気持ちを、レイナ=ルウが代弁してくれた。
ダイアはやわらかく微笑みながら、「左様でございます」とうなずいた。
「ティノを葉の形に切り分けて、軽く熱を通しつつ、味と色を施したものとなります」
「でも……この葉には、ティノよりも細かく筋が走っているように見えます。もともとこういう筋のあるティノなのでしょうか?」
「いいえ。それは調理刀による細工でございますねえ」
その返答に息を呑みながら、俺は皿の上に残された葉を確認した。
なかなか大ぶりの葉ではあるものの、そこには細かい葉脈がびっしりと走っている。これらのすべてが調理刀による細工だというのは、なかなか信じられるものではなかった。
「この料理を、花に見立てるために……言わば、見栄えをよくするためだけに、そこまでの手間をかけているのですか?」
レイナ=ルウがさらに言葉を重ねると、ダイアはいっそう楽しそうに「ええ」とうなずいた。
「ただ、これは結果的にそうなったというだけのお話ですが、そうして細かく刀を入れたことによって、いっそう味を強くしみこませることがかないました」
「味ですか。葉のほうに、それほど強い味は感じなかったようですが……」
「はい。花ほど強い味ではございません。でも、葉だけを口にしてもお楽しみいただけるよう、細工を凝らしております」
その言葉を聞いて、俺は葉の一部を切り分けることにした。
そしてそれを、口に運んでみると――思わぬ味わいが、口に広がる。さきほど感じた香草の清涼感の大部分は、この葉の内に潜んだ水気のほうに含まれていたのである。
花のほうだけを食してみると、強い甘みと塩気と香ばしさが感じられる。
美味であることに違いはないが、タレやソースをそのまま口にしているような感覚だ。やはりこれは、同時に食するのがもっとも正しい食べ方であるのだろう。
「……驚くべき味だな、これは」
と、驚きを押し殺した面持ちで、アイ=ファはそのように言っていた。
レイナ=ルウやトゥール=ディンは、真剣そのものの表情である。オディフィアなどは、トゥール=ディンがその味に満足しているのだろうかと、ちょっと心配げに見やっている様子であった。
「……アスタの故郷に、こういった料理は存在しなかったのでしょうか?」
ふいにフェルメスが、そのように呼びかけてきた。
俺は驚嘆の念を懸命に呑み下しつつ、「そうですね」と答えてみせる。
「菓子や料理を花などに見立てる手法は、たぶん存在したと思います。でも、俺にはほとんど馴染みのない手法であったので、詳しくはわかりかねます」
「なるほど。これもアスタには、再現の難しい料理なのでしょうか?」
「はい。それは間違いありません。これは料理を作る才能の他に、工芸品などを作る才能まで必要になるのではないでしょうか」
「ああ」と、ダイアがひかえめに笑い声をあげた。
「そういったお言葉は、これまでにもいただいたことがございます。わたくしの兄などは工芸の道に走りましたし、才能の如何はともかくとして、わたくしにもそういったものを好む資質がもともと備わっていたのやもしれませんねえ」
「ええ、本当に。ダイアは絵や彫刻などの道でも、名人になりえたのじゃないかしら。……わたくしとしては、あなたが料理の道に進んでくれたことを、心から喜ばしく思っていますけれどね」
エウリフィアが愉快げに言葉をはさむと、ダイアもてらいなく笑顔を返していた。
「ダイアやヴァルカスというのは、本当に不可思議な料理を作りますね。それに比べたら、アスタのほうがまだしも一般的な作法と言えるのではないでしょうか?」
と、フェルメスがさらに言葉を重ねた。
「このジェノスにおいて、アスタは異端の料理人と見なされているようですが、僕にはむしろジェノスの料理人たちが異端であるゆえに、アスタの存在が特別視されているように思います」
「はあ、そうなのでしょうか。自分では、ちょっと判別が難しいようです」
「以前にジェノスを訪れたドレッグ殿たちも、アスタの料理のほうが食べやすいと述べておられたのでしょう? 同じ王都で育った僕も、やはり同じ気持ちです。思うに、アスタの作法というのは……王都の料理人が目指す、その先の作法ということなのではないでしょうか」
俺はフェルメスのほうを向いていたが、アイ=ファが身じろぎするのを感じた。
俺ごしにアイ=ファの姿が見えているであろうフェルメスは、くすりと笑う。
「だからといって、アスタは王都に移り住むべきである、などと言いたてているわけではありませんよ、アイ=ファ」
「……ならば私も、不服の声をあげるのをつつしむとしよう」
心配して振り返ると、アイ=ファは実に苦々しげな顔をしていた。
まさかフェルメスもアイ=ファをからかうために王都の話などを持ち出したわけではなかろうが、結果的にアイ=ファの神経を逆なでしてしまったようだ。
「それでは、肉料理と魚介の料理をお出しいたします」
そんなふたりの様子に心を乱した様子もなく、ダイアがのんびりとした声で告げる。
それなりの大きさをした2枚の皿が、小姓たちによって届けられた。フェルメスだけは、1枚の皿だ。
そのクロッシュが開かれると、何故だかエウリフィアが「まあ」と声をあげた。
「これは、初めて見る料理だわ。そうよね、あなた?」
メルフリードは無表情のまま、「うむ」とうなずいた。
オディフィアもまた無表情であるが、その灰色の瞳は不思議そうに皿の上を見やっている。どうやらジェノス侯爵家の人々にとっても、これらは未知なる料理であるようだった。
「これらはつい最近完成しました料理で、いつお出ししようかと考えていたのです。ちょうどよい機会かと思ったのですが、如何でしょう?」
ダイアの罪のない笑顔に、エウリフィアも口もとをほころばせる。
「それはもちろん、あなたが新しい料理を完成させたというのなら、わたくしたちだって大喜びよ。でも今日は、自分たちも驚かされる側になるなんて考えてもいなかったわ」
「礼を失していたならば、幾重にもお詫びを申しあげます」
「もう。あなたって、思わぬところで稚気を見せるわよね」
そんな風に言いながら、エウリフィアはとても楽しそうであった。きっと、ダイアのマイペースで泰然とした気性を好ましく思っているのであろう。
ともあれ、目前に出された2種の料理である。
エウリフィアに先を越されてしまったが、俺としても内心では大いに驚かされていた。
特に、魚介の料理である。レイナ=ルウやトゥール=ディンも、これには目を真ん丸にしていた。
「あの……これは、マロールですよね? このように大きなマロールも存在するのでしょうか?」
そのように言いたてたのは、トゥール=ディンであった。
が、それに応じたのは、ダイアではなくフェルメスである。
「西竜海には、何種類かのマロールが存在します。ジェノスに運び込まれるマロールは、その中でも小ぶりなほうでしょうね。これぐらい立派な姿をしたマロールも、王都では珍しくありません」
俺たちの知るマロールは、アマエビのような大きさと形状をしている。
しかし、このマロールは、それこそイセエビのごとき巨大さを有していた。
しかも、その形状がほとんど原型を保っている。イセエビをそのまま茹であげたかのような、実に堂々たる姿であったのだ。
殻は真っ赤に茹であげられて、艶々と照り輝いている。体長は20センチほどであろうか。細くのびた触覚に、髭のような顎脚と5対の歩脚、ヒレのような形をした尻尾も、俺の知るイセエビと大差はない。ただ、丸みを帯びてころんとしたフォルムは、いくぶんロブスターに近いようだ。
「わたくしも、大きなマロールというのは書物で目にしたことがあるわ。でも、実際に目の前にすると、やっぱり迫力が違うわねえ」
エウリフィアが、ころころと笑い声をあげる。
そこにフェルメスが、「ですが」と声をかぶせた。
「このように大きなマロールは、乾物として売りに出すこともありません。このように大きいと水気を抜くのもひと苦労ですし、そもそも大きなマロールというのはそれほど数が取れるわけでもないので、乾物に仕立てるまでもなく、西竜海の近在ですべて売り切ることがかなうのでしょう」
「え? だけどマロールというのは、海に生きる生き物であるのでしょう? ……ああ、これはバルドの内海というところから運ばれてきたものなのかしら?」
「バルドの内海に、これほど大きなマロールは存在しないはずです。また、たとえ存在しようとも、乾物にしなくてはジェノスに届くまでに腐ってしまうことでしょう。海水に入れて、生きたまま運ぶという手段もなくはありませんが……たしかバルドとは、そういう風変わりな通商も行っていないはずですね?」
フェルメスに視線を向けられて、メルフリードが「うむ」とうなずいた。
「通商に関しては外務官の裁量だが、バルドとの通商が結ばれてからは、まだ日が浅い。そのような試みが為されたのなら、ポルアースを通じてわたしの耳にも入ることだろう」
「では、この大きなマロールはどこから届けられたものであるというの?」
困惑ではなく、期待に満ちた面持ちで、エウリフィアがそのように問うた。
ダイアは、相変わらずの柔和な笑顔である。
「こちらは、王都から届けられたマロールでございます。その他の土地からマロールが届けられたという話は、わたくしも聞いた覚えがございません」
「でも、フェルメスはそうではないと言っておられるようよ?」
「いえ。きっと外交官様は、お答えを知った上で楽しまれているのではないでしょうか?」
ダイアの呼びかけに、フェルメスは「ええ」と優雅に応じた。
「このマロールがアスタのように忽然とジェノス領に出現したのでないというのなら、答えはひとつでしょうね。これはきっと、作り物のマロールであるのでしょう」
「作り物? だってこれは、書物で見た通りの――」
と、言いかけて、エウリフィアは「ああ」と微笑んだ。
「そう、そういうこと……これは、大きなマロールに見立てた料理である、ということね?」
「左様でございます。赤い殻は、フワノの生地でこしらえたものとなります」
俺たちは、それでまた度肝を抜かれることになってしまった。
まあ、そこまで大きく驚いているのは、かまど番だけだ。あとはオディフィアが無表情ながらも、まじまじと作り物のマロールを見つめていた。
「本当に、稚気が過ぎるわね。このジェノスではマロールの姿をきちんと見知っている人間のほうが少ないぐらいであるのに、あなたはわざわざそのようなものを精巧に作りあげたというの?」
「はい。わたくしも、書物で大きなマロールというものを拝見して……なんと美しい姿であろうと感銘を受けたのでございます」
そう言って、ダイアはいっそうやわらかく微笑んだ。
「フワノの生地の下には、マロールの身が詰められております。お気に召しましたら幸いでございます」
「その前に、ギバ料理についても聞かせてもらえるかしら? これも、初めて見る料理だわ」
そう、俺たちもマロールの大きさには驚かされていたが、それと同じぐらい、隣のギバ料理に目を奪われていた。
薄く切り分けられたギバ肉は、これまた花のような形に重ねられていたのである。
これは純然たる偶然であろうが、形状としては牡丹に似ている。しっとりと熱の通されたギバ肉が、拳の大きさぐらいの丸い花の形に重ねられていたのだった。
ただ特筆するべきは、その色合いである。
蒸し焼きにした肉はピンク色に仕上がったりするものであるが、これはもっと鮮烈に、それこそ生肉であるかのように、はっきりと赤かったのだ。
その色合いゆえに、いっそう本物の花めいて見える。
そしてその花弁の下には、やはり緑色の葉が重ねられているのだ。これもくっきりと鮮やかな緑色をしていたが、どうやらティンファか何かで作られた葉であるようだった。
「……これは、生焼けなわけではなかろうな?」
ゲオル=ザザが疑わしげに尋ねると、ダイアは「ええ」とにこやかに応じた。
「ギバ肉は入念に火を通す必要があると聞いておりますので、ご心配は無用でございます。窯でじっくりと、蒸し焼きにしております」
「ふん。しかしこれは、花というよりも、血や肉そのものの色合いであるように思えてならんな」
「はい。肉の着色に関しては古きより研究を続けているのですが、この色合いがもっとも調和すると考えています。というよりも……肉に不自然な着色をほどこすと、調和が崩れてしまうように思うのです」
あくまでも穏やかに、ダイアはそう言いつのった。
「フワノや野菜や果実であれば、どれだけ鮮やかな色合いに染めあげようとも、そうそう調和を崩すことにはなりません。ただ、肉に関しては……もともと肉の持っている色合いから外れてしまうと、調和が崩れてしまうようなのです。たとえ味そのものに変わりがなかろうとも、口や舌が嫌がって、『不味い』と判じてしまうようなのですね」
「ふん。肉が青や紫の色合いをしていれば、まるで腐っているかのようだしな」
「ええ、そういった心の働きもあるのでしょう。ただ、腐敗とは関係ない色合い……それこそ、花のごとき真紅に染めあげても、口や舌は嫌がってしまうようです。肉にそういった着色を施すのは、きっと美しからぬ行いである、ということなのでしょう」
そう言って、ダイアは卓の上に手を差しのべた。
「この色合いであれば、口や舌が嫌がることはないかと存じます。森辺の方々のお気にも召しましたら幸いでございます」
それで俺たちは、ようやくそれらの料理を食することになった。
けっきょくのところ、肝要なのは味であるのだ。牡丹のごときギバ料理も、イセエビの丸茹でのごときマロール料理も、その外見の細工に関しては芸術的なまでの仕上がりであったが、食べてみないことには評価も下せなかった。
しかしまた、これはジェノスで屈指の料理人たるダイアの作であるのだ。
俺たちは、その腕前をぞんぶんに思い知らされることになった。
「これは……美味ですね」
まずはギバ料理から口にしたレイナ=ルウが、低くひそめられた声でそう評した。
「花のような見かけが、どれだけ影響しているのかはわかりません。ただ、こういった細工がなかったとしても……純粋に、美味であると思います」
その評価に、俺も異論はなかった。
蒸し焼きにされたというギバ肉は、ほどよくやわらかい。『ロースト・ギバ』と同じような食感であろう。蒸し焼きによって旨みが凝縮されて、ギバ肉のポテンシャルが余すところなく引き出されているように思える。
そしてその味付けも、また見事であった。
見たところ、ソースの類いは掛けられていないので、蒸し焼きにする前に調味液などに漬けられていたのだろう。その、甘みと辛みと香ばしさの配分が、申し分ない。俺たちの作る照り焼きソースに、ちょっと香草を加えたぐらいのニュアンスで、実に食べやすい味わいであるのだ。
かなり強めの味付けであるが、ギバ肉の力強い味わいに、それがまたとなく調和している。森辺の民でも城下町の民でも宿場町の民でも、この味に文句をつけることはないだろう。意外なほどに、直球勝負の美味しさであるように感じられる。
ただ、城下町の料理人らしい細工は、肉の花の下に敷かれた葉のほうに施されていた。
それは鮮やかなグリーンに染めあげられたティンファであったのだが、単体ではちょっと辟易するぐらい酸味が強かったのだ。
しかしそれを肉の花弁とともに食すると、新たな調和が現出される。
甘みと辛みと酸味と香ばしさ――この香ばしさを苦みととらえるならば、ヴァルカスにも負けない複雑な味わいだ。
だけどやっぱり、食べにくいことはまったくない。
どれだけ複雑な味わいであっても、すんなりと咽喉を通っていく。それが、城下町の他の料理人たちとの大きな差異であった。
「うむ、まあ、これを森辺の宴料理で出されても、文句をつける人間はいなかろうな」
ゲオル=ザザをして、そのように言わしめていた。
外連味の権化のごとき外見であり、しかも十分に複雑な味わいでありながら、とても食べやすくて、美味である。これが、ダイアの開発した最新のギバ料理であったのだった。
「こちらのマロール料理も、素晴らしい味わいだわ。これまでで一番の仕上がりかもしれないわね」
エウリフィアが、とても満足そうな声でそう言っていた。
俺はギバ料理を半分ほど食してから、マロール料理に取りかかる。
あらためて、作り物とは思えぬ見た目だ。食品サンプルの蝋細工でも、こうまで見事に再現するのは難しいことだろう。
小さな調理刀をその背中にあてがうと、赤い殻はあっけなく割れ砕けた。
砕けた殻は、その下に隠されていた身の上に落ちていく。身と殻の間には数センチばかりの隙間があり、そこにこもっていた熱気が豊かな香りとともに解き放たれることになった。
実に芳しい、マロールの香りである。
マロールの身は細かくほぐされた上で煮込まれており、シチューのようにとろとろとしていたので、俺は匙を取り上げることにした。
細かく砕けた赤い殻ごと、それを口に運んでみると――香りから連想される通りの、マロールの豊かな味わいが口に広がる。
それにこれは、乾酪やカロン乳もたっぷり使われているようだ。出汁は、魚や貝類であろうか。ちょっとしたイタリア料理のような仕上がりであったが、それなりに辛みもきいているし、後味には香草の存在が強く感じられる。やっぱりこれも、ジェノス流の料理であった。
だけどやっぱり、食べにくいことはないだろう。
ヴァルカスの料理のように激しい衝撃を受けることはないが、深い感動が後からじわじわとせりあがってくる。なんて完成度の高い料理だろう、と俺は目から鱗の落ちる思いであった。
「……この皿も、初めて見た気がするわ。この新しい料理のために買いそろえたものであるのかしら?」
エウリフィアの問いかけに、ダイアは「はい」と笑顔で応じた。
「このたびは料理と調和する皿を見つけることがかないませんでしたので、新たに注文をさせていただきました」
「そうだと思ったわ。まあ、あなたの料理には必要なことですものね」
今回は料理の外観に気を取られて、皿のほうまで意識していなかった。
マロール料理の皿は白、ギバ料理は限りなく黒に近い灰色で、どちらも表面が波打っているかのような仕上がりである。意識を取られなかったのは、それがあまりにも自然で、ぴったりと調和しているためなのかもしれなかった。
「どうかしら? 是非ともアスタに感想を聞かせていただきたいところだわ」
「はい。いずれの料理も、素晴らしい仕上がりでした。俺はジェノスで流行している複雑な味付けというのをいささか苦手にしているのですが、ダイアの料理はその作法に則っているにも拘わらず、ものすごく食べやすくて、ものすごく美味だと思います」
「では、ヴァルカスと比べて、どうかしら? あなたはヴァルカスの腕も認めているのよね?」
「はい、もちろんです。ヴァルカスの料理は……やはり、香草を多用しているためなのでしょうか。後頭部をがつんと殴られるような鮮烈さがあって、それでいてどこも破綻していないのが、天才的な手際だと思うのですが……ダイアの料理は、同じぐらいの複雑さを持っていても、すんなりと受け入れることができるように思います」
「そう。アスタにとっては、どちらが好みであるのかしら?」
ちょっと悪戯っぽい微笑が、エウリフィアのたおやかな顔に浮かぶ。
しかし俺は、迷わずに答えることができた。
「言葉を濁すわけではなく、俺はどちらも素晴らしいと思います。おふたりの作法は、多くの共通点を持っていながら、正反対でもあるように思えますので、俺にはとても順番をつけることはできません。ただ――」
と、俺はダイアにも笑いかけてみせた。
「ちょっと抽象的な話になってしまいますが、ヴァルカスは自分の内側に深く潜っていくような感じで、美味なる料理を追求しているように思います。それに対して、ダイアというのは……すごく開放的で、すべての人々に手を差しのべているように感じられました。俺にとっては、どちらも尊敬すべき姿勢であります」
「ああ、それは理解できるような気がするわ。ヴァルカスの料理というのは、なんというか……自分の見知らぬものを叩きつけられるような心地で、それがまたとない喜びであると同時に、少々疲れてしまうのよね。何か、闘技の勝負でもしているような心地になってしまうの」
そう言って、エウリフィアもダイアに向きなおった。
「でも、ダイアの料理は安心して食べられるのよね。このマロール料理のように驚かされることも多いのだけれど、いい意味で気を張らずに済むのだわ」
ダイアはにこにこと笑いながら、「ありがとうございます」とだけ言った。
「やっぱり、人柄というものが出るのかしらね。ヴァルカスというのは礼儀正しいけれど、あまり他人の心情をかえりみないところがあるでしょう? いつだったか、王都の監査官に料理を投げつけられたときも、眉ひとつ動かしていなかったものね」
「ああ、ヴァルカスは自分の料理に絶対的な自負を持っておられるのでしょうね。他者がどう思おうとも、自分にとってはこれが正しいんだという、確固たる自信があるのだと思います」
「ええ。そういうところは、芸術家気質なのでしょうね。やっぱりわたくしには、毎日ダイアの料理を口にしながら、ときたまヴァルカスのもとで刺激と驚きをいただくというのが、一番幸福であるように思えるわ」
そんな風に言いながら、エウリフィアはまた俺を見やってきた。
いや、その視線は俺とアイ=ファのふたりに向けられているようである。
「でも、それならきっと、アスタはヴァルカスでなくダイアに近い料理人なのじゃないかしら? あなただって、すべての人間に手を差しのべているように感じられるわ」
「ええ、まあ、心情的にはそうだと思います。ヴァルカスに対しては、自分にないものを持っているということで、感服させられているのでしょう」
「うふふ。それならアイ=ファも、わたくしと同じように、毎日幸福な心地であるのでしょうね」
アイ=ファはいくぶん頬を染めつつ「うむ」と応じ、それからまた卓の下で俺の足を蹴ってきた。
まあ、エウリフィアの足を蹴ることはできないので、しかたのないところであろう。
「ああ、またわたくしばかり喋ってしまったわ。さっきはからかってしまったけれど、どうぞあなたもご遠慮なさらないでね、フェルメス」
「もちろんです。僕も楽しく拝聴させていただきました」
フェルメスも、変わらぬ感じで微笑んでいた。
ガズラン=ルティムの寡黙さがいささか気になってしまうものの、とても和やかで充足したひとときである。それもまた、ダイアが供する料理の素晴らしさゆえであるのだろう。
そうしてその日の晩餐会は、いよいよ大詰めを迎えることになったのだった。