親睦の晩餐会②~前菜~
2019.8/3 更新分 1/1 ・8/6 誤字を修正
「ようこそいらっしゃいました、森辺の皆様方」
俺たちがその部屋に足を踏み入れるなり、フェルメスのそんな声に出迎えられることになった。
ジェノス城の、2階の一室である。それほど大仰に飾りたてられているわけではないものの、床に敷き詰められた絨毯の毛足は深く、壁に掛けられたタペストリーや、紫色の花が飾られた花瓶、それに額縁の風景画などは、実に上品で優雅な雰囲気を織り成す効果を果たしていた。
部屋の大きさもほどほどで、せいぜい8帖ぐらいだろう。真ん中に巨大な長方形の卓が置かれているぐらいで、他に目立つ調度はないので、けっこう広々と感じられる。天井にはすでにシャンデリアの火が灯されており、昼間のような明るさであった。
「どうぞお座りください。晩餐会の始まりには、まだ少々猶予がありますので」
縦に置かれた卓の奥まった辺にひとりで座していたフェルメスが、白魚のごとき手で左右の座席を指し示す。
小姓の案内でゲオル=ザザとトゥール=ディンが右の側に歩を進め、俺たちがそれに続こうとすると、年配の侍女にやんわりと行く手をさえぎられた。
「皆様は、こちらでよろしいでしょうか?」
どうやら座る場所は、最初から決められていたらしい。左の側は、俺、アイ=ファ、ガズラン=ルティム、レイナ=ルウの順で座らされ、右の側のトゥール=ディンとゲオル=ザザは、上座の3席を空けた上で着席させられていた。
「貴族同士の晩餐会であれば、身分のある御方を上座にご案内するところでしょうが、今日はあくまで親睦の晩餐会でありますので、僕が席順を決めさせていただきました」
「ふん。そちらの空いた席には、ジェノス侯爵家の人間が陣取るということだな?」
「はい。オディフィア姫とトゥール=ディンは隣の席をお望みだろうと思いましたので」
トゥール=ディンは、なんとも言えない面持ちでフェルメスに頭を下げていた。オディフィアの隣に座れる嬉しさと、族長代理を差し置いて上座に座る申し訳なさのせめぎあいであるのだろう。
しかしそれを言ったら、俺などは一番の上座なのである。きっと正面にはメルフリードが座するのであろうし、分不相応であること、この上なかった。
(まあ、フェルメスの一番の目的は、俺なんだろうからな。それを隠す気も、さらさらないってことか)
言うまでもなく、俺はもっともフェルメスに近い場所に腰を落ち着けているのである。フェルメスと言葉を交わす際は、逆の側のアイ=ファの表情が気になりそうなところであった。
「それにしても、みなさん見違えましたね。……そのままジェノス城の祝宴に参席しても、周囲の人間にいぶかられることはないでしょう」
「馬鹿を抜かすな。俺たちが、貴族に見えるとでもいうのか?」
ゲオル=ザザが普段通りの豪胆さで言い返すと、フェルメスは「ええ」と微笑んだ。
「それはきっと見目だけでなく、清廉にして強靭なる心の在りようも関わっているのでしょう。たとえば名のある商人であれば、こうして貴族と会食する機会もあるでしょうが、みなさんほど落ち着き払ってはいられないかと思われます」
「ふん。そこには、トゥール=ディンも含まれるのか?」
「はい。トゥール=ディンはこの中でもっとも繊細な気性をされているのでしょうが、それでも貴族やジェノス城に対する気後れというものは、あまり感じられません。それはきっと、これまでにジェノスの貴族と正しき絆を深めてきたという証であるのでしょう」
「だそうだ」と、ゲオル=ザザはトゥール=ディンに笑いかけた。
トゥール=ディンは困ったように眉を下げながら、微笑んでいる。
「ジェノス侯爵家の方々ももう間もなく到着するはずですので、どうぞおくつろぎください」
その言葉が合図であったのか、壁際で控えていた小姓たちが茶を注いで回り始める。白い陶磁の杯に注がれたのは、コーヒーのごとき味と香りを持つギギの茶であった。
「ギギの茶は、王都よりもジェノスのほうが多く出回っているようですね。きっとシムが近いゆえであるのでしょう」
微笑みながら、フェルメスも自分の杯を口にする。
とてもリラックスした、いつも通りの優美なたたずまいである。
ちなみにジェムドはフェルメスのななめ後ろにひっそりと立ち尽くしていたが、その腰に長剣は下げられていなかった。扉の外では2名の兵士が待機していたものの、室内にはそういった人間も配置されていないようだ。
「繰り言となりますが、本日は僕が個人的に親睦を深めたいと願って催した晩餐の会となります。それでも外交官という身分を完全に捨て去ることはかないませんが、あくまで非公式の会でありますので、どうぞお好きなようにお振る舞いください」
「それゆえに、補佐官のオーグも同席されていないのでしょうか?」
ガズラン=ルティムの言葉に、フェルメスは「はい」とうなずいた。
「オーグ殿も最初は渋い顔をされていましたが、僕個人が森辺および侯爵家の方々と親睦を深めるのは、外交官としての今後にもよき影響が出るはずだということで、納得していただけました」
「そうですか。あなたと絆を深めることがかなえば、私たちも心から喜ばしく思います」
道中での思案げな表情を垣間見せることなく、ガズラン=ルティムも微笑んだ。
ゆったりとうなずいてから、フェルメスがついに俺へと視線を固定させる。
「挨拶が遅れましたが、先日はお疲れ様でした、アスタ。……それに、アイ=ファとトゥール=ディンもですね。これも外交官としてではなく、僕個人として、あのように素晴らしい祝宴に招いていただいたことに御礼の言葉を伝えさせていただきたく思います」
「はい。森辺でも、フェルメスと祝宴をともにできたことを喜ぶ声が、たくさんあがっています」
「ふふ。アスタに執着する王都の貴族というのは、いったいどのような人間であるのかと、僕に注目する人間も少なくはなかったのでしょうしね」
フェルメスは口もとに手をやって、少女のように可憐に微笑んだ。
「何度でも言いますが、僕はアスタの生活に干渉する気はありません。ただ、アスタが周囲の人々にどのような影響を与えるか、それを見届けたいと願っているのです。決して邪な気持ちを抱いたりはしていないと、信じていただけたら幸いです」
「しかし……」と、アイ=ファが低い声で発言した。
振り返ると、アイ=ファはその美しい装束に不似合いなほどの強い目つきで、フェルメスを見つめていた。
「私は先日、星読みをたしなむ東の民から、《星無き民》に執着するのは無意味な行いであると聞いた。あなたとて、あのアリシュナなる東の民から、それぐらいの言葉は聞かされているのではないのか?」
「星読みをたしなむ東の民? ……ああ、シュミラル=リリンの属する《銀の壺》なる商団が、ジェノスに到着したという話でしたね。その中に、星読みをたしなむ人間が含まれていたのでしょうか?」
アイ=ファは答えず、フェルメスの優美な笑顔を見つめ続けた。
フェルメスは気を悪くした様子もなく、「そうですね」といっそう楽しそうな顔をする。
「ですが、その行いに意味を見出せるかどうかは、けっきょく本人次第なのではないでしょうか? 少なくとも僕にとって、《星無き民》の存在を観察し、分析することは、大いに有意であるのです」
「……何故であろうか?」
「何故と言われると、返答に困りますが……とある人間にとっては無意味な行いが、とある人間にとっては有意に感じられる、というのは、何も珍しい話ではないように思います」
そこでフェルメスはほっそりとした下顎に手をやって、考え込むようなポーズを取った。
「たとえば、そうですね……傀儡の劇など、いい例ではないでしょうか? 傀儡の劇を目にすることで、大きな喜びを見出す人間もいれば、時間の無駄だと切り捨てる人間もいる。それは、どちらも間違った意見ではないように思います。横笛や盤上遊戯、果てには祝宴や祭なども、突き詰めれば同じことなのでしょう」
「ふむ? 傀儡の劇や横笛はともかく、祝宴や祭に意味を見出せぬ人間などはおるまい」
ゲオル=ザザが口をはさむと、フェルメスは得たりとばかりに「いえ」と微笑んだ。
「僕はかつて、王都の『賢者の塔』において、学士として暮らしていましたが、あの場所に祭や祝宴を楽しいと感じる人間はほとんどいないように思いました。かくいう僕も、そんな時間があったら一冊でも多くの書を読んで、この世の真理に近づきたいと願っていた人間でありますので」
「ほほう、それはなかなか、素っ頓狂な話だな!」
「はい。ですから僕も、やはり変わり種の部類であるのでしょう。《星無き民》などというものを研究しても、何の利もないことはわきまえているのですが、それでも大きな喜びを感じてやまないのです」
不思議な色合いをしたヘーゼル・アイが、俺とアイ=ファを等分に見比べてくる。
「僕はアスタと同じ時代に生まれ落ちたことを、心から西方神に感謝しています。アスタに害を為そうという人間が現れたら、僕は心よりの怒りにとらわれるでしょう。僕ほどアスタの安らかな行く末を願っている人間は他にいない、と……なんとか信じていただきたいものです」
「いや、その言葉を信ずることはできん」
と、アイ=ファは素っ気なく言い捨てた。
「何故なら、誰よりもアスタの安らかな行く末を願っているのは、我ら森辺の同胞であるからだ。その一点は、譲ることができん」
「ああ、これは迂闊な言葉を口走ってしまいました。それでは、森辺の同胞の次に、と訂正させていただきます」
フェルメスは、何かを恥じ入る乙女のように、にこりと微笑んだ。
アイ=ファは仏頂面寸前の顔で、長い前髪をかきあげる。
そのとき、扉の外から衛兵の声が響きわたってきた。
「ジェノス侯爵家の方々がおいでになられました」
フェルメスがふわりと立ち上がったので、俺たちもそれに続くことにした。
そうして全員が起立するのを待っていたようなタイミングで、扉が外から開かれる。
入室してきたのは、ジェノス侯爵家の第一子息の一家、メルフリードとエウリフィアとオディフィアだ。
普段よりは格式張っていない白装束を纏ったメルフリードと、こちらはけっこうゴージャスに着飾ったエウリフィアおよびオディフィアが、無言のままに歩を進める。ただ、オディフィアの眼差しは最初からトゥール=ディンにロックオンされていた。
「お待ちしていました。さあ、どうぞおくつろぎください」
メルフリードたちはそれぞれ一礼して、着席した。
それを待ってから、俺たちもあらためて腰を下ろす。
「今日はお忙しい中、僕の勝手な申し出を聞き入れていただき、心より感謝しています。おのおの親睦を深めていただけたら幸いです」
「うむ。フェルメス殿や森辺の人々と時間をともにすることができ、わたしも嬉しく思っている」
鉄仮面のごとき無表情で、まずはメルフリードがそれに応じた。
それからエウリフィアが、いつもの優雅で明朗な微笑みとともに言葉を重ねる。
「わたくしも、これほど立て続けに森辺の方々と顔をあわせることはなかったから、とても嬉しく思っているわ。外交官殿のはからいには、心から感謝しています」
母親に目を向けられて、オディフィアもこくりとうなずく。
「おまねき、かんしゃしています。わたくしも、とうさまやかあさまとおなじきもちです」
「ありがとうございます、オディフィア姫。今日は何も格式張った集まりではありませんので、先日の祝宴の際と同じように、心ゆくまで森辺の方々と絆をお深めください」
フェルメスに微笑を向けられると、オディフィアはまたひとつうなずいてから、トゥール=ディンに向きなおった。
トゥール=ディンは、ちょっと大人びた微笑で、それに応じている。最近のトゥール=ディンはオディフィアを前にすると、ぐんとお姉さんぽくなるのだった。
「それに今日は、いよいよ森辺の方々にダイアの料理を味わっていただけるのですものね。先日にお話しした茶会の日から、こんなに早く機会が訪れるとは、さすがに考えていなかったわ」
「おや、茶会でそのようなお話を?」
「ええ。森辺の方々をジェノス城にお招きするのはなかなか難しいけれど、外交官殿でしたらきっと強権を発動してくれるだろうと期待していましたの」
「まいりましたね。そのような期待をかけられているとは、夢にも思っていませんでした」
エウリフィアとフェルメスが微笑まじりに語らうと、いかにも貴族の社交の場めいた空気が漂った。
そしてエウリフィアは、俺たちのほうにも笑顔を差し向けてくる。
「それにしても、素敵な装いね。特にアイ=ファとレイナ=ルウは、貴婦人さながらの美しさだわ。殿方は森辺の女性を褒めそやすことができないのでしょうから、わたくしがぞんぶんに賞賛させていただきましょう」
「いえ、とんでもありません」と、レイナ=ルウはお行儀よく微笑みを返した。アイ=ファのほうは、もちろん不愛想なる無表情である。
ただ、俺のほうをちらりと見やると、何故だかふいに頬を赤らめて、卓の下で足を蹴ってきた。
「なんだよ、俺は何も言ってないぞ?」
俺がこっそり耳打ちすると、いつも通りの「やかましい」という言葉が返された。
「あまり、じろじろと見るな。今日は少し……お前に見られると、気分が落ち着かぬ」
姿見を前にしたときのやり取りを思い出して、俺も少し頬が熱くなってしまった。
そこに、扉の外から再び声が響きわたる。
「料理長ダイア殿がおいでになられました」
扉が開き、白い調理着を纏ったダイアが姿を現す。
そしてその後には、銀色のワゴンを押す小姓たちが追従してきた。
「下りの五の刻の半となりましたので、お食事を始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いいたします」
フェルメスの了承を得て、小姓たちが食器の配膳を開始する。
その間に、エウリフィアがダイアへと呼びかけた。
「今日は格式張った集まりではないそうだから、あなたもご挨拶をさせていただきなさい、ダイア。せっかくこうして、森辺の方々に料理を振る舞う機会が訪れたのですからね」
ダイアは「はい」と、うなずいた。
あの、とてもやわらかくて優しげな笑顔である。アイ=ファたちがどのような想像をしていたとしても、この笑顔に警戒心をかきたてられることはないだろう。
「わたくしはジェノス城で料理長として働かせていただいている、ダイアと申します。初のお目見えとなる皆様方も、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、今日はよろしくお願いいたします。あなたの料理を心から楽しみにしていました」
俺が率先して返事をすると、ダイアは嬉しそうに目を細めてくれた。
それからトゥール=ディンが再会の挨拶をしたのちに、レイナ=ルウも声をあげる。
「初めまして。わたしはルウ本家の次姉レイナ=ルウと申します。宿場町にて、屋台の仕事を取り仕切らせていただいています」
どうやらトゥール=ディン以上に、レイナ=ルウは張り詰めた心地であるようだった。青い瞳を強く光らせて、ダイアの笑顔を一心に見返している。
それでもダイアは、やはりのんびとした笑顔のままである。
「なるほど、宿場町で……先日にひとたびだけ、そちらのギバ料理を買わせていただきました」
「はい。ルウ家の取り仕切る屋台の料理は買われなかったようですので、とても残念に思っていました」
ダイアはその日、俺たちの『ギバ・カレー』とトゥール=ディンの菓子と、あとはマイムの料理しか口にしていなかったのだ。
きゅっと張り詰めた顔をしたレイナ=ルウに、ダイアは「そうですか」と微笑みかける。
「機会があれば、またいずれ……復活祭の間は難しいでしょうが、あなたがたのギバ料理を味わわせていただきたく思います」
「いえ、無理にお願いすることはできませんけれど……でも、あなたにわたしたちの料理を食べていただけたら、心から嬉しく思います」
どうやらレイナ=ルウは、このダイアのことをかなり意識しているようだった。
まあ、ヴァルカスおよびミケルと互角の評判と聞かされては、そう考えるのが当然であるのだろう。俺やトゥール=ディンとて、内心ではダイアの存在を意識しまくっているのだ。
「それでは準備が整いましたようですので、まずは前菜からお届けいたします」
ダイアの声に従って、各人にクロッシュつきの小皿が届けられる。
小姓の手でそれが開かれると、実にカラフルなる前菜が俺たちの前に姿を現した。
「ジャガルから買いつけた、タウ豆の料理となります」
これがタウ豆なのか、と俺はいっそうの興味をかきたてられることになった。
言われてみれば、この形状はまぎれもなくタウ豆である。俺がよく知る大豆に似た、楕円形の可愛らしい姿だ。
ただ、その色合いだけが異なっていた。
それらのタウ豆は、5種の色彩――ピンク、グリーン、イエロー、ブルー、パープルに染めあげられていたのである。
いずれもやわらかい、パステルカラーとでも呼びたくなるような色合いだ。しかし、見慣れたタウ豆がそんな風に色とりどりであるのは、なんとも不思議な心地であった。
ただ、なんというか、とても綺麗な色合いである。
縁のところに細かい紋様が焼きつけられた白い皿の中で、その色合いがとても調和しているように感じられる。料理においては見栄えも重要であるという、ダイアの作法が初手からぞんぶんに発揮されているようだ。
「ふむ、ずいぶん見慣れぬ色合いだな」
しばらく静かにしていたゲオル=ザザが、怯む様子もなく銀色の匙を取り上げる。そうして皿の中のタウ豆をごっそりとすくいあげて、口の中に放り込んだゲオル=ザザは、おかしな形に眉を吊り上げた。
「うむ。見た目通りの、面妖な味だ。……ああ、俺は城下町の料理の善し悪しなどはわからないので、適当に聞き捨ててもらいたい」
「はい。多少なりとも楽しんでいただけたら光栄に存じます」
そんなやりとりを聞きながら、俺たちも匙を取り上げることにした。
しかし、いかに見栄えを重視していようとも、意味なく色分けするようなことはしないように思う。これはもしかして、色ごとに味が異なるのではないだろうか。
そのように考えて、俺はパステルピンクのタウ豆だけをすくいあげてみた。
それを口にしてみると、なんとも優しい甘さが口に広がる。これは、モモに似たミンミの甘さであるようだ。
(でも、ミンミの果汁はピンクじゃなくって透明なはずだよな)
そんな風に考えながら、今度はパステルブルーのタウ豆を口に運んでみる。
そのタウ豆からは、すうっと鼻に抜けていく清涼なる香気が感じられた。複数の香草を使っているのだろうが、主体となっているのはユラルというミントに似た香草であるようだ。
予想通り、それらは色ごとに味が分けられていた。
パステルグリーンは抹茶のごとき、苦みと渋み。
パステルイエローは、マスタードと唐辛子をあわせたような辛み。
そしてパステルパープルは、ベリー系の酸味が主体である。
ひと粒ひと粒は、べつだん驚かされるような味ではない。
ただ、それをまとめて食することで、俺は大きな驚きを得ることになった。
これも多少は想像していたことであるが、それらは色の組み合わせによって、実にさまざまな味の調和を楽しめる料理であったのである。
2種なら2種で、3種なら3種で、まったく異なる味わいが現出する。
5種のすべてを口にすると、ヴァルカスにも負けない複雑さであるのだ。
なおかつ、5種の味の組み合わせというのは、けっこう数がかさむのだ。この皿に準備されただけのタウ豆では、それらのすべてを試すこともできそうになかったのだった。
「この料理は僕も何度か味わわさせていただきましたが、実に遊び心に満ちているようですね」
フェルメスがそのように評すると、ダイアは「はい」と微笑んだ。
「こちらはわたくしが市井の料理店で働いているときに、思いついた料理でございます。すべての組み合わせを試すために、お客様がたが繰り返し店に通ってくださるのではないかと……そのような期待も、心の片隅に隠されておりました」
「それは面白い試みですね。効果のほどは、如何であったのでしょう?」
「さあ、どうだったのでしょうか……厨にこもっていたわたくしには、わかりかねます」
なんとも、のんびりとした笑顔である。
真剣そのものの顔で前菜を食していたレイナ=ルウは、いっそう鋭さを増した眼差しでダイアを振り返った。
「あなたもかつては、城下町で働く料理人であったのですね。このジェノス城に招かれたのは、いつぐらいの頃であったのでしょう?」
「さあ……いつだったでしょうか……?」
ダイアの細められた目が、ゆったりとエウリフィアのほうに向けられる。
エウリフィアは、視線をパスするようにメルフリードへと向きなおった。
「わたくしが侯爵家に迎えられたときには、すでにダイアが料理長であったはずよね。あのわたくしたちの婚儀の素晴らしい宴料理は、いまでも忘れられないもの。あなただったら、ダイアがいつジェノスに迎えられたかもご存知でしょう?」
「ダイアをジェノス城専属の料理人として迎えたのは、わたしが従騎士となった年であるから、14年ほどの昔であろうな」
「ああ、もうそれほどの歳月が経つのですねえ。わたくしも、すっかり年を重ねてしまいました」
ダイアがしみじみとつぶやくと、エウリフィアが「まあ」と微笑んだ。
「だけどあなたは、まだ40を少し超えたぐらいでしょう? 20代の半ばでジェノス城に迎えられるなんて、なかなかありえない話なのじゃないかしら?」
「いえ、もちろんお城でも下積みの仕事からでしたので、料理長として取り立てていただけたのは、それより数年ののちのこととなります」
「なるほど」と、フェルメスも声をあげる。
「しかし、その時代にジェノス城に招かれていなかったら、きっとトゥランの前当主に招かれていたのでしょうね。14年前といえば、そろそろかの御仁も権勢を固めつつあった時代でしょう」
「ああ、言われてみれば、その通りね。これぞ西方神のはからいというものだわ」
そんな風に述べてから、エウリフィアが俺たちを見回してきた。
「そういえば、今日はマイムという娘を招くことができなかったのよね。それを少し心残りだと思っていたの」
「はい。ですが、マイムはあまり城下町の料理人に執着していないように感じられます。ヴァルカスに対しても、おそらくはわたしやシーラ=ルウのほうが、強い関心を持っているように思えるぐらいであるのです」
「そうなのね。まあ、マイムという娘も森辺での新しい生活に馴染もうとしているさなかでしょうし、いずれ機会は生まれるでしょう」
そんな言葉が交わされているかたわらで、トゥール=ディンとオディフィアもひそかに絆を紡いでいた。
「トゥール=ディン、おいしい?」
「はい。とても美味ですし、驚くべき細工だと思います。オディフィアは、毎日このように美味なる食事を口にしているのですね」
「うん。だけど……」
と、オディフィアが椅子の上でのびあがって、トゥール=ディンの耳に口を寄せた。
どのような言葉をトゥール=ディンに伝えたのか、想像するのは難しくない。トゥール=ディンははにかむように微笑みながら、小さな声で「ありがとうございます」と返していた。
「アスタは、如何ですか?」
と、ふいに斜め横からフェルメスに呼びかけられる。
前菜の最後のひと口を入念に味わってから、俺は「はい」と応じてみせた。
「すごく繊細で、緻密に味の組み立てられた料理だと思います。このような細工はなかなか思いつきませんし、思いついても俺なんかには実現できそうにありません」
「そうですか。僕も王都の生まれですが、このような料理を口にした覚えはありません。きっとジェノスの料理人というのは、この辺境の地で独自の食文化を築くことになったのでしょう」
辺境という言葉には差別的な意味が含まれそうなところであったが、メルフリードたちは気にする風でもなく食事を進めている。まあ、王都を王国の中心と考えるならば、それからもっとも遠く離れたジェノスというのは、辺境中の辺境であるのだろう。
(だけどそのぶん、シムやジャガルに近いっていう利点があるからな。なおかつ、200年ぐらいの歴史の中で急速に発展したっていう背景があるみたいだから、それが食文化にも影響を与えたんだろう)
俺がそんな風に考えていると、フェルメスがちょっと迷うように視線をさまよわせた。
「アスタの故郷に、こういった料理は存在しなかったのですか? ……という質問は、あなたを不快にさせてしまうでしょうか、アイ=ファ?」
とっくに前菜を食べ終えていたアイ=ファは、とてもうろんげにフェルメスを見返した。
「私が不快に思うかどうかなど、あなたが気にする必要はあるまい」
「そういうわけにはまいりません。あなただって、大事な客人のひとりであるのですからね」
アイ=ファは唇がとがるのをこらえるように、口もとを引き締めた。
「あなたは我々と絆を深めるために、忌憚なく言葉を交わすべきであろう。それで何か不快に思うことがあれば、そのつど指摘させていただきたい」
「承知いたしました。では、あらためてアスタに問わせていただきます。如何でしょう?」
俺はアイ=ファの機嫌を心配しつつ、「そうですね」と答えてみせた。
「俺の知る限りでは、存在しなかったように思います。ただ、俺も故郷に存在するすべての料理を把握しているわけではありませんので、実際のところはわかりません」
「なるほど。アスタの故郷には、それほどさまざまな料理が存在したのですか?」
「俺の故郷というか……ええ、まあ、そうですね。あちらにも、俺の知らない異国というものが山ほど存在しましたので、そういった場所には数々の未知なる料理が存在したかと思います」
「あら、だけどアスタは小さな島国の生まれなのでしょう? そんなに海の外の異国の存在が知れ渡っていたのかしら?」
エウリフィアまで食いついてきてしまったので、俺もいっそう頭をひねらなければならなくなった。
「はい。俺は故郷の島国を離れたことがない身ですが、風聞としては色々と聞いていました。俺の故郷では、かなり交易も盛んでしたので」
「そうなのね。だからアスタは、東や南の民ともつつがなく絆を結ぶことができるのかしら?」
「ああ、そういう面はあると思います。俺自身が、この地においては異国の民という立場でしたから、いっそう出自を気にする理由がなかったのだと思います」
「そう……なんだか不思議な話ねえ」
エウリフィアが思わせぶりに息をついたので、ゲオル=ザザがけげんそうに振り返った。
「何がそんなに不思議であるのだ? べつだん、ややこしい話ではないように思ったが」
「でもそれは、アスタが遠い異国の民であったという前提で成り立つ話でしょう? そんなアスタが、どうしていきなりモルガの森に現れたのか……あまりに不思議な話じゃないかしら?」
「なんだ、エウリフィアはアスタの言葉を虚言だと思っていたのか?」
「いいえ、そういうわけではないのだけれど……でも、アスタ自身が、頭か何かを打って記憶違いを起こしているかもしれないと言っていたでしょう? だって、アスタが大陸アムスホルンの名を知らないほどの遠き異国で生まれ育ったのなら、このように西の言葉を扱えるはずもないのですからね」
「しかし」と声をあげたのは、メルフリードであった。
「アスタはつい数ヶ月前、《アムスホルンの息吹》を発症したと聞く。アムスホルンで生まれ育った人間であるならば、それは幼き頃に発症し、2度とは罹らぬはずであろう。それを考えれば、やはり異国で生まれ育ったというのが真実であるはずだ」
「それじゃあどうして、アスタは西の言葉をあやつれるのかしら? それに、どうして海からも遠いこの地で、いきなり目覚めることになったの?」
「それは、不明だ。あえて筋道を立てるなら、アスタは遠き異国で生まれ育ちつつ、いつしか大陸アムスホルンを訪れることになった。そして、その後で何かの奇禍に見舞われ、近年の記憶を失いつつ、モルガの森に放り出されることになった――ということになろう」
そんな風に言いながら、メルフリードは月光のごとき眼差しを俺のほうに向けてきた。
「虚言を罪とする森辺の民に同胞と認められた以上、アスタが虚言を吐くことはあるまい。しかし、ひとたび死した人間が、別の地で新たな生を得たという話は、なんとも信じ難い。アスタは大きな奇禍に見舞われたゆえに、その恐怖を死の恐怖に取り違え、誤った記憶を真実と思い込むことになった――ということなのではないだろうか?」
「そうですね。自分の記憶が真実であるかどうかは、自分でも確かめるすべはありません。メルフリードが語った言葉が真実であるという可能性も、十分にありえると思います」
俺としては、そんな風に答えるしかなかった。
すると、フェルメスがくすくすと笑い声をあげた。
「僕としては、アスタの言葉を全面的に信用しています。何故だか《星無き民》というのは、そういう不可思議な出自であるようなのですよ」
「まあ、どちらにしたって不思議な話ですものね。ただわたくしは、アスタがジェノスの領内に現れてくれたことを、心から喜ばしく思っているわ」
そう言って、エウリフィアは屈託なく笑ってくれた。
「ありがとうございます」と頭を下げてから、俺はアイ=ファに向きなおる。案の定、アイ=ファはとても不機嫌そうなお顔になってしまっていた。
そして、人々が他の話題に転じる隙をついて、俺の耳に口を寄せてくる。
「……私が何を考えているかは、もちろんわきまえているのであろうな?」
「うん。過去の話はどうでもよくって、大事なのは現在と行く末だってところかな」
「わかっていればよい」と囁きながら、アイ=ファはまた卓の下で俺の足を優しく蹴ってきた。
レイナ=ルウもトゥール=ディンも、ほっとした様子で前菜の残りを片付けている。俺の出自などどうでもいいから、話がややこしい方向に向かわないでほしい、と念じてくれていたのだろう。森辺の民のそういう大らかさに、俺は何度となく救われていたのだった。
「それでは、次の料理に移らせていただきたく思います」
と、ダイアがふいにそのように宣言した。
俺たちはまだ、6種の料理の前菜しか口にしていなかったのだ。お楽しみは、これからが本番であったのだった。
(……そういえば、ガズラン=ルティムはずいぶん静かだな)
そう思って、アイ=ファの向こう側を覗き込んでみると、ガズラン=ルティムは背筋を真っ直ぐにのばしつつ、フェルメスのほうを見つめていた。
どこか、鷹のごとき鋭さをその奥底に忍ばせているような眼差しである。
本日、もっとも張り詰めているのは、俺でもアイ=ファでもレイナ=ルウでもなく、ガズラン=ルティムであるのかもしれなかった。