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異世界料理道  作者: EDA
第四章 迷い惑える三日間
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~初日~①守護人の来訪(上)

2014.9/20 更新分 1/2

 俺にとって、もっとも長い1日と成り果てた、ガズラン=ルティムとアマ=ミンの婚礼の宴の、翌日。


 俺たちがファの家に帰りついたのは、中天を少し過ぎたぐらいだった。

 朝から夜半まで働くに働いて、おまけに調理中のつまみ食い以外ではほとんど食事をとっていなかった俺は、文字通り精魂尽き果ててしまい、何と高々と太陽があがるまでぐーすか眠りこけてしまったのである。


 この異世界にやってくる前から早寝早起きを信条としていた俺にとっては、非常に心苦しい大チョンボだ。


 慌てて目を覚まして家を飛び出すと、大広場の簡易型かまどややぐらや照明台などはもうすっかり綺麗に片付けられて、昨晩の宴などはすべて一夜の夢だったのではないか――と思えてしまうぐらい、いつも通りの平穏な情景がそこには広がるばかりであった。


「……ようやく起きたのか、アスタ」と、広場にぽつんとたたずんでいたアイ=ファが、歩み寄ってくる。


 聞くと、今日は朝から総出で宴の後始末をしていたらしい。

 ルウの集落の人間ばかりでなく、ルティムを除く6氏族の全員で、男も女もわけへだくなく、文字通りの総がかりで。


 それは是非とも参加して、みんなと苦楽をわかちあいたかった。


「非力なお前の出る幕などなかった。女衆とともに鍋でも洗いたかったのか?」


 と、朝から意地悪な家長様である。


 そんなわけで、俺たちはルウの本家に向かい、預けていた刀とルティム家からの代価を受け取り、ジバ婆さんと家長ドンダ=ルウに挨拶をして、ルウの集落を後にした。


 見送ってくれたのは、ルド=ルウとリミ=ルウとサティ・レイ=ルウと、その腕に抱かれたコタ=ルウだけだった。

 他の女衆は薪やピコの葉の採取のため森に入っており、男衆は自分たちの部屋から出てこなかった。


「そんじゃーな。また美味いギバの食い方を思いついたら教えにこいよ?」


「またねっ! 今度はファの家にも遊びに行くから!」


「お元気で。次にお会いできる日を楽しみにしています」


「あぶー」


 俺にとっては、宴をふくめて6日間にも及んだ、ルウの仮宿との別離であった。


 これで彼らとはしばらく会うこともないかもしれない。本家の人間ばかりでなく、シン=ルウやシーラ=ルウなど分家の人々とも交流を得た俺の胸には、小さからぬ寂寥感が芽生えてしまっていた。


「だけどまあ、アイ=ファがいれば寂しくないや!」


 道すがら、思いのたけを大声で発したらおもいきり足を蹴られた。


 そうして1時間ばかりもかけて、6日ぶりの我が家に帰りついてみると――そこにはすでに、金褐色の頭をした長マントの男が待ち受けていたのだった。



            ◇



「やあ。元気そうで何よりだね、アイ=ファにアスタ」


 カマキリのようにひょろりとした痩身。

 金褐色の蓬髪に、無精髭。

 細長い顔に、細長い鼻。目尻が下がって、いつも笑っているように見える顔。

 子どものように無邪気で、老人のように落ち着いた、不思議な紫色の瞳。


 カミュア=ヨシュだ。

『守護人』を名乗るカミュア=ヨシュとの、俺にとっては3度目の対面である。


「本当に来たんですね。まあ、あなたとはきちんと話してみたいと思っていたから、ありがたいですけど」


「ありがたいと言ってもらえるのは、とてもありがたい。美しき女狩人も、ご機嫌うるわしゅう」


「…………」


「うちの家長のご機嫌を粉々にしないでください。……家の中で話すなら、刀を預かることになりますが」


「へえ。それは森辺の民の風習かい? いいねいいね。今日だけで俺の好奇心がどれだけ満たされるのか、想像しただけで笑いが止まらないよ」


 すっとぼけたことを言いながら、カミュア=ヨシュは何のためらいもなく腰の長刀を革鞘ごと差しだしてきた。


 森辺で使われている蛮刀よりもうんと長いが、そのぶん細くて薄いので、重量に大差はない。


 これは――何を切るための刀なのだろう。


「……どうぞ」


 アイ=ファ、俺、客人の順で戸板をくぐる。


 アイ=ファは、毛皮のマントはいつも通りに脱いで壁に掛けたが、腰の刀は自分のかたわらに置いた。

 そして、片膝あぐらで上座に陣取る。


 俺はその隣りに腰を下ろして、客人の刀を同じように手もとに置く。


 カミュア=ヨシュは、マントを脱ごうともしないまま、そのままふわりと座りこむ。


 さて――何から話せばいいのだろうか。


「まず最初に言っておきたいことがある。俺は別に、族長筋のスン家と積極的に敵対したいわけではないのだよ、アイ=ファ」


 と、こちらが考えこむでまでもなく、相手のほうからいきなり核心をつくような言葉が発せられた。


「なので、森辺の民に弓を引く人間として敵視するのは勘弁願いたい。俺はむしろ森辺の民と仲良くなりたいからこそ、こうして君たちを訪ねてきたのだ。信じていただけるだろうか?」


 アイ=ファは、無言である。

 その無言をどうとってか、カミュアはにっこりと大きな口で微笑する。


「あのときの俺は話を急ぎすぎていた。以前から関心を持っていた森辺の民とついに交流を結ぶ機会を得て、しかもそれがアイ=ファのように美しい女性であったものだから、ついつい先走ってしまったのだろう。どうか許していただきたい」


 それでもアイ=ファは無表情だった。

 アイ=ファにとっても2度目の対面であり、しかも今回は事前から気持ちを整えておくこともできたので、少しぐらいの軽口なら受け流せるゆとりもあるのかもしれない。


 まったく心強い限りである。

 しかし、この男と言葉を交わして、その内心を探るのは、俺の役割だ。


「では、お尋ねしますけど。あなたの目的は何なのですか、カミュア=ヨシュ?」


「カミュアでいいよ。……目的とは?」


「仕事のついでとはいえ、わざわざ俺たちなんかに会いに来た目的ですよ。まさか、ただ世間話をするためだけではないんでしょう?」


「いや、世間話をするために来たつもりだったのだけれども」


 カミュアは、きょとんと目を丸くする。

 本気か、このおっさん。


「俺は以前から森辺の民に仲間意識を抱いていた。しかしそれは俺の一方的な感情であり、君たちにとっては正体不明の異国人だ。そんな相手に森辺の規律がどうの族長筋の堕落がこうの言われたところで、聞く耳を持てないのが当然だろう。だから、俺はまず君たちと交流を深めたいと思って、足を伸ばしてきたのだよ」


 そうしてカミュアはまた長マントの内側から果実酒の土瓶を取り出した。


「こいつはほんの手土産だ。夜にでも飲んでくれ。……ああ毒見毒見」と、また美味そうに一口あおる。


「うーん。だけどやっぱり、俺の質問の答えにはなっていない気がしますね。森辺の民と交流を深めたいっていう、その理由や目的がまったくわかりません」


「ええ? 仲良くなりたいという気持ちに理由や目的なんて必要なのかなあ? ……あえて言うなら、崇める神を乗り換える羽目になった境遇に対する共感と、宿場町で見かける森辺の民の孤高な立ち振舞いへの尊敬の念、あとはアスタとアイ=ファに対する個人的な興味と好意。俺の行動の原理はその3つだけだと思う」


 どうにも舌のよく回るおっさんである。

 そして、理路はきわめて整然としているのに、表情や口調が薄っぺらい。


「だけど、こうして家にまで迎え入れるってことは、君たちも俺に興味を持ってくれているのだろう? 町の連中は無差別に畏れの感情を抱いてしまっているからねえ。俺のようにのこのこと森辺にまでやってくるような人間は、やっぱり黙殺し難かったということなのかな?」


「こちらの気持ちまで代弁していただき、ありがとうございます。……そういえば、けっきょくこの集落を仕事で通過させてほしいっていう件については、スン家にほうに話を通すことにしたわけですか」


「ああ、うん。さすがにスン家を飛び越して他の民に話を持っていってしまったら、彼らの面目を潰すことになり、いらぬ騒乱を巻き起こす火種になってしまうのかなと反省してね」


「よく話がすんなり通りましたね。本家の人間とあんな関わり方をしてしまったというのに」


「うん。俺はしっかり自分の名を名乗ったのだけれども、何の問題も生じなかったよ。さすがは腐っても族長筋、懐の深いことだ」


 と、にんまり笑うカミュアである。

 こういう表情が――言っては悪いが、信用しきれないのだ。


「ちなみにその仕事が敢行されるのは、まだまだ先だよ。かなり大きな商団で準備にものすごく手間がかかるらしいし、それに、縁起をかつぐ人たちでもあるらしい。旅の吉日とされているのは月の15日目だから、今日から数えてもまだ20日以上も日があることになるね」


「はあ……」


「で、東の王国まで出向いてまた帰ってくるにはふた月ばかりもかかってしまう。だからこの20日ばかりの間に可能な限り縁を結んでおきたかったんだよ。俺みたいにうさんくさい男を拒まずに受け容れてくれてありがとう、アイ=ファにアスタ」


「まあまだ長期的な友情が結ばれたわけではないですけどね」


「そんな簡単に結ばれる絆に価値などない。幾多の困難を乗り越えて結ばれた絆にこそ、長きに耐えうる強靭さは与えられるのさ」


 言葉面だけ聞いていれば、とっても素敵なお言葉なのかもしれないけれど。やっぱり、どこか薄っぺらい。


 さあてどうしたものかなあとかちょっと沈思していたら、「ぐぎゅる」と腹が鳴ってしまった。


 じっとカミュアを凝視していたアイ=ファの目が、冷ややかに俺を見る。


「空腹なのかい? そういえば森辺での食事時もわからぬままやってきてしまった。食事の刻限であるならば、どうぞ俺にはかまわずに食事を始めていただきたい」


「いや、日中はそんなに食べないんですけど。ちょっと昨晩は食事を食べ損なってしまいまして……」


「そいつは良くないね! アスタはそんなに細いのだから、しっかり食べたほうがいいよ」


 あんたみたいにひょろ長い男に言われたくないよとは思ったが。この御仁が細く見えるのは、あまりに上背が高すぎるせいなのかもしれない。


 長マントのせいでよくはわからないのだが。そこからはみだした手首から先は骨格もしっかりしており、俺の目に間違いがなければ――ジザ=ルウやダルム=ルウにも負けないぐらい、指が長く手の平も分厚い感じがした。


「今はまだ中天を過ぎたぐらいですよね。うーん……正直、夕暮れまで干し肉だけで過ごすのは気分的にしんどいなあ。アイ=ファ、ちょっぴりだけ肉とアリアをいただいてもいいだろうか?」


「好きにしろ」と言われたので、俺は食糧庫に向かうことにした。

 が、やたらと瞳を輝かせたカミュアに「あの、ちょっと」と呼び止められてしまう。


「肉というのは、もしかしてギバの肉なのかな? もしもそうなら、ほんの少しだけでも俺に食べさせていただくことはできないだろうか?」


 その瞬間、それまで冷徹につとめていたアイ=ファの無表情に亀裂が走った。


「石の都の住人が――ギバの肉を、喰らうというのか?」


「うん? 何かおかしいかな? ギバや森辺の民に畏怖心を刷り込まれているのは、おもにジェノス土着の民だけだよ?」


 と、カミュアは愉快そうににんまりと笑う。


「ジェノスどころか、もともとは西の王国の生まれですらない俺には、ギバなどただの害獣だし、森辺の民はそれを狩る勇敢な狩人に過ぎない。宿場町をうろつく南や東からの旅人たちも、君たちに畏れの目を向けたりはしないだろう? 何も驚くほどのことじゃないさ」


 そう言われても、俺にはどれが東の民でどれが南の民なのかもわからない。


 ただ――アイ=ファを恐れ、蔑視するのは、黄褐色の肌をした人々が多かったような印象はあった。


「それでも今までに森辺の民以外でギバの肉を食した人間などはいないだろう。南や東はどうだかわからないが、少なくとも西の領土においてはモルガの森辺以外にギバという獣は生息していないようだからね。西の都の民として初めてギバの肉を食するという栄誉を賜ることができるなら、それだけで今日やってきた甲斐もあるというものだよ!」


 何だか本当に子どもみたいに瞳を輝かせてしまっている。


 アイ=ファは――まだ困惑の表情を隠せずにいた。

 80年に渡って『ギバ喰い』として差別されてきた森辺の民にとっては、やはり衝撃的な展開ではあるのだろう。


「どうする、アイ=ファ? 家長はお前だ。俺はお前の言いつけに従うよ」


 中腰になって問うてみると、いきなり胸ぐらをわしづかみにされてしまった。

 危うく転びそうになりながら、ほとんど噛みつかれるのではないかという勢いで耳もとに口を寄せられる。


「私には――私には判断できない。アスタ、お前はどう思う?」


 これだけ大接近しているのに、聞こえるか聞こえないかぐらいの、ひそやかな声だった。


 目の前にいる男には絶対聞かれたくない、と思ったのだろう。


 俺は驚いて身を離し――そして、アイ=ファの顔を見てさらに驚いた。


 表情だけは冷たくこわばらせたまま、その青い瞳がリミ=ルウより幼げな感じで不安そうに俺を見つめていたのだ。


 そんなに――衝撃的だったのか。


 俺は自分の身体を盾にしてその顔を客人から隠しつつ、同じように耳もとに口を寄せてやる。


「森辺の禁忌に触れないのなら、別にかまわないと思う。手土産の果実酒のお礼に肉とアリアをふるまってやればどうだ?」


 再び、ぐいっと胸ぐらを引き寄せられる。


「……アスタの判断にまかせる」


 当たってる。耳たぶに唇が当たっています、家長殿。


 俺は客人を振り返り、鷹揚にうなずき返してやった。


「家長のお許しをいただけたので、肉をふるまいたいと思います。果実酒のお礼もありますので、一口と言わずお好きな量をふるまいますよ」


「それでは、アスタと同じ量で!」


 何というか、図体のでかい老犬が嬉しそうに尻尾を振っているようなご様子であった。


 だけどこれは、いい機会かもしれない。

 胸襟を開くのに、同じものを食べるというのは、やはり有効な手段であろう。


 これで少しでもこのうさんくさい男の内面がうかがえればいいのだが、とか考えながら、俺は食糧庫に向かった。


 その間、アイ=ファは静かにまぶたを閉ざし、ぺらぺらと喋りかける男にも何ひとつ答えようとはしなかった。

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