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異世界料理道  作者: EDA
第四十五章 祭の前に
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下準備と再会③~再会~

2019.7/31 更新分 1/1

 宿場町での商売を終えた俺は、森辺に戻って恒例の勉強会を実施した後、すみやかにルウの集落へと向かうことになった。

《銀の壺》を迎える歓迎の祝宴に関しては、あらかじめファの家にも声をかけてもらっていたのだ。ルウ家に向かう荷車の中で、ジルベやブレイブたちに囲まれたティアは、楽しそうににこにこと笑っていた。


「どうしたんだい、ティア? なんだか、ずいぶんご機嫌じゃないか」


 ティアも同行はしているが、祝宴に参加できるわけではない。建築屋の一団を招いたときと同じように、家の中で待機してもらわなければならないのだ。

 俺のほうを振り返ったティアは、いっそう明るく瞳を輝かせながら、言った。


「アスタが楽しそうにしていると、その気持ちがティアにまで伝わってくるのだ。この夜に森辺を訪れる客人というのは、アスタにとって大切な存在であるようだな」


「うん。俺にとっては古い知り合いだし、色々とご縁があった人たちだからね。……ほら、大地震のときにティアが救い出してくれた、透明の酒杯や大皿があるだろう? あれも、その人たちからいただいたものなんだ」


「なるほど。アスタはさまざまな地に友があるのだな」


 最近のティアは、生命力がみなぎっている。まだ右肩が不調であるようだが、それ以外はほぼ完全に力を取り戻しているのだろう。そうすると、笑顔の明るさや魅力までもが増幅されたように思えてならなかった。


「ティアにとっても、ご縁がないわけじゃないんだけどね。ほら、ティアの背中の傷を手当てしてくれたシュミラル=リリンも、今日の客人たちの同胞であるわけだしさ」


「そうか。しかし、外界の人間と友になることは許されないので、ティアにとっては意味のないことだ」


 こういうときのティアは、淡泊である。あるいは、町の人間と迂闊に絆を深めるべきではない、という心理が働くのだろうか。森辺の民とはぞんぶんに絆を深めているように見えるティアであるが、それでもやはり友や同胞となることは決して許されないのだった。


(ティアとのお別れの日も、近いんだろうな。その日は俺もティアも大泣きして、アイ=ファを困らせちゃいそうだ)


 俺がそんな感慨にとらわれている間に、荷車はルウの集落に到着した。

 手綱を操っていたアイ=ファが、荷台の俺に呼びかけてくる。


「商団の者たちもルウ家の狩人たちも、すでに集まっているようだな。ドンダ=ルウには挨拶をするべきであろう」


「わかった。それじゃあ、ティアは待っててね」


 集落の入り口に荷車を停車させて、俺とアイ=ファは本家のほうに歩を進めた。

 本家の前には人だかりができており、狩人の姿もちらほらと見受けられる。まだ日没までにはけっこうな時間が残されているが、十分な収獲をあげて仕事を切り上げたのだろう。


「よー、アスタにアイ=ファじゃん。そっちもずいぶん早かったなー」


 俺たちの接近にいち早く気づいたルド=ルウが、笑顔を向けてくる。その隣にたたずんでいたリミ=ルウは、「わーい」と声をあげながら、アイ=ファに跳びついた。


「今日は祝宴だねー! アイ=ファと一緒で嬉しいなー!」


 アイ=ファは「うむ」と目を細めながら、リミ=ルウの赤茶けた髪を撫でた。

 そうしてさらに接近すると、人垣が割れて俺たちを迎え入れる。玄関口の前にドンダ=ルウとジザ=ルウとミーア・レイ母さんが並んでおり、《銀の壺》の9名がそれと相対している格好であった。


「ファの者たちも到着したか。それでは、リリンの家に向かうがいい」


「はい。お時間、ありがとうございました」


 ラダジッドが一礼して、本家の横にとめられていた荷車のほうに向かっていく。2頭引きの大きな荷車であり、9名全員がそれに乗ってきたようだ。


「ファの家の参席を許してもらい、ありがたく思っている。今日は、ドンダ=ルウとジザ=ルウのどちらが出向くのだ?」


 アイ=ファの問いかけに応じたのは、ジザ=ルウだった。


「今日も、俺が向かうことになった。というか、本家の若い人間は、あらかた向かうことになるのだがな」


「そうなのか。普段のように、それぞれの血族から3名ずつ、というわけではないのだな」


「うむ。今日はルウとルティムとレイだけに留め、《銀の壺》がジェノスを出立する際に、すべての血族を集めて送別の会を開くことになった」


 シュミラル=リリンが半年ばかりも森辺を離れるので、血族の全員でそれを見送る、ということなのだろう。

 俺がもじもじしていると、ドンダ=ルウがじろりとねめつけてきた。


「なんだ。何か文句でもあるのなら、言ってみるがいい」


「いえ、あの……それは血族の大事な集まりなのでしょうが、俺たちもシュミラル=リリンを見送ることは許されますでしょうか?」


 ドンダ=ルウは、「ふん」と鼻を鳴らした。


「そういった話は、家長と家長で話し合うべきであろうな」


「ならば、私からも同じことを問わせてもらおう。そちらの会にも、我々は参席を許してもらえるだろうか?」


 ドンダ=ルウは硬そうな顎髭をまさぐりながら、きびすを返した。


「血族の家長を集めて、論じ合っておく。返事は、待っておけ」


 そうしてドンダ=ルウが家の中に姿を消すと、リミ=ルウが「あはは」と笑い声をもらした。


「今日の集まりにも呼んでもらえたんだから、絶対に大丈夫だよー! ドンダ父さんも、そう言えばいいのにねー!」


「うむ。しかし、親筋の家長にして族長たるドンダ=ルウであれば、あのように述べるのが正しき行いであるのだろう。我々も、それを見習うべきであろうな」


 アイ=ファに横目で視線を向けられて、俺は「申し訳ない」と詫びてみせた。


「ついつい気持ちがはやっちゃったよ。こういうことは、きちんとしないと駄目だよな」


「ふん。狭量な家長であれば、自分をないがしろにされたと思うやもしれんな」


 そんな風に言いながら、目もとだけで笑うアイ=ファであった。

 度量の広い家長殿に、ひたすら感謝するばかりである。


 ということで、俺たちもリリンの家に向かうことになった。

 ルウ家からは、5名の人間が向かうのだそうだ。その顔ぶれは、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウというものである。3姉妹は、《銀の壺》とのつきあいの長さを考慮して、という話であったが、ヴィナ・ルウ=リリンと時間をともにする貴重な機会であるという一面も、大いに考慮されているように思われた。


 なおかつ、レイナ=ルウとララ=ルウは、すでにリリン家で祝宴の準備を手伝っているとのことである。リミ=ルウは明日の商売の下ごしらえの当番であったので、いままで居残っていたらしい。

 リミ=ルウだけがこちらの荷車に同乗を願い出て、ルウルウの手綱はルド=ルウが握る。そうして俺たちは《銀の壺》の面々とともに、いざリリンの集落を目指すことになった。


「これでシュミラル=リリンは、あとひと月ぐらいでジェノスを出ていっちゃうんだねー。ヴィナ姉、泣いちゃったりしないかなー?」


 ジルベのたてがみにうずまりながら、リミ=ルウがそのように問うてくる。

 俺は「どうだろうね」と笑顔を返してみせた。


「出発の当日は、さすがに涙が止まらないかもね。まあ、それは俺も同じことだけどさ」


 御者台から、「おい」というアイ=ファの声が聞こえてくる。しっかり俺たちの会話が聞こえていたらしい。


「大丈夫。きちんと笑顔でシュミラル=リリンたちを見送るつもりだよ。ただ、涙は抑えられないだろうけどさ」


「……涙を流すなと言っているのだ、私は」


「善処はするけど、確約はできないなあ。きっと虚言の罪を犯すことになっちゃうだろうしな」


 御者台にて、アイ=ファは溜め息をついているようだった。

 しかしそれは、ひと月ほどの未来の話だ。今日は涙を流すことなく、ラダジッドたちを歓待することができるだろう。


 やがてリリンの家に到着すると、広場はなかなかの慌ただしさであった。

 リリンは家人が少ないので、ルティムやレイからも女衆が馳せ参じて、簡易かまどの設置に励んでいる。


 そのうちのひとりが俺たちの到着に気づくと、ぺこりと一礼してから本家の裏のかまど小屋へと駆け去っていった。

 そうして俺たちが本家のほうに近づいていくと、見覚えのある人物がさきほどの女衆とともに姿を現した。


「リリンの家にようこそ。わたしはリリン本家の家長ギラン=リリンの伴侶で、ウル・レイ=リリンと申します。……以前にも何度か挨拶はさせていただいたかと思いますが、あなたがたをお迎えするのはひさかたぶりのことですので、いちおう名乗らせていただきました」


 たおやかに一礼するウル・レイ=リリンに、ラダジッドが礼を返す。


「私、《銀の壺》、団長、引き継いだ、ラダジッド=ギ=ナファシアールです。招待、心より、感謝しています」


「はい。家長ギランも家人シュミラルも、あなたがたの到着を心待ちにしておりました」


 ウル・レイ=リリンは、精霊のようにふわりと微笑んだ。

 金褐色のショートヘアと華奢な体格が印象的な、実に美しい女性なのである。


「もう間もなく、シュミラルたちも森から戻るでしょう。わたしたちは晩餐の準備がありますのでお相手できませんが、どうぞおくつろぎください。……家のほうに、ご案内いたしましょうか?」


「いえ。こちらで、待たせていただきます」


「承知いたしました。それでは、またのちほど……」


 すると、アイ=ファが「待たれよ」と声をあげた。


「ティアと犬たちを預けたいのだが、その案内だけ願えるだろうか?」


「はい。それでは、本家のほうにどうぞ。ティアは、幼子たちと同じ場所でかまわないのですよね?」


「うむ。そちらに問題がなければ、それでかまわない」


 俺たちは、ウル・レイ=リリンの案内で、本家の母屋に向かうことになった。

 その道行きで、ラダジッドがアイ=ファに呼びかける。


「アイ=ファ、ティアとは、ファの家人でしょうか?」


「いや。ティアは赤き民という一族の人間で……そうか、いちおうそちらにも話を通しておくべきなのであろうな」


 アイ=ファはいくぶん表情を引き締めて、その後の言葉を続けた。


「赤き民というのは、モルガの山に住まう一族だ。その一族は、外界の人間と絆を持つことを許されないのだが、諸事情あって、傷が癒えるまではファの家で預かることとなった。お前たちも王国の民であるのだろうから、ティアとは絆を深めることなく、野の獣として扱ってもらいたい」


「それは、つまり……聖域の民、でしょうか?」


 ラダジッドの目が、本日で一番大きく見開かれた。

 他の人々も、驚きを禁じ得ない様子でざわめいている。


「うむ。そのような名で呼ばれることもあるようだな。お前たちも、聖域の民というものについて、わきまえていたのであろうか?」


「はい。聖域の民、大神アムスホルンの民です。シム、さまざまな伝承、残されています」


「そうか。そういえば、ゲルドの貴人たちもそのように語っていたな」


「ゲルドの貴人? シム、山の民でしょうか?」


「うむ。その者たちは、シュミラル=リリンの婚儀にも立ちあうことになったのだ」


 ラダジッドは深々と息をつき、高い場所にある首を横に振った。


「この1年、さまざまなこと、あったようですね。私、頭、追いつきません」


「うむ。それはこれから、シュミラル=リリンやアスタらと、たっぷり語らうがいい」


 アイ=ファがしかつめらしくそのように答えたとき、本家の母屋に到着した。

 ウル・レイ=リリンが玄関の戸板を引き開けると、アイ=ファはひゅっと口笛を鳴らす。

 ブレイブたちに続いてティアが姿を現すと、また《銀の壺》の面々は驚きの声をこぼすことになった。


「……驚きました。まぎれもなく、聖域の民、あるようです」


 こらえかねたように進み出たのは、あの星読みをたしなむ初老の人物であった。

 その黒い瞳は、地面に着地したティアの姿を、食い入るように見つめている。


 髪も肌も瞳さえもが赤褐色をした、ティアの不思議な姿である。

 頬と手の甲と足の甲には、黒い紋様が刻みつけられている。そして、その小さな身体には、森辺の狩人にも負けない生命力が宿されており、それだけでもティアがひとかたならぬ存在であることを示していた。


「ティアに何か用事であろうか?」


 すましたお顔でティアが尋ねると、初老の団員は「いえ……」と首を横に振った。


「ただ、驚いています。生きている間、聖域の民、見ること、あるとは、考えていませんでした」


「そうか。ティアは外界の人間と友になることを許されぬ身だが、決して悪さはしないと誓うので、心配はしないでほしい」


 それだけ言って、ティアはちょこちょこと玄関のほうに歩いていった。

 それを迎えるウル・レイ=リリンは、いつも通りに微笑んでいる。


「ああ、あなたは裸足でしたね。足の裏を清めていただきますので、少々お待ちください」


「うむ。面倒をかけることを、申し訳なく思う」


 ふたりの姿が戸板の向こうに消えると、《銀の壺》の面々はあらためて息をついた。初老の団員などは、指先を組み合わせて、何か呪文のようなものを唱えている。


「……貴方がたは、聖域の民というものに、何か思い入れでも抱いているのであろうか?」


 ジザ=ルウの問いかけに、ラダジッドが「はい」とうなずいた。


「聖域の民、神聖なもの、考えています。崇める神、異なりますが、彼ら、神に近しい存在、伝えられています」


「神に近しい存在……しかし、人間というのは、すべてが神の子なのであろう? 王国の民は四大神の子であり、聖域の民は大神アムスホルンの子であるという、そこに何か、違いでもあるのであろうか?」


「西の言葉、説明、難しいですが……四大神、大神の子です。聖域の民、大神の子です。よって、聖域の民、神に近しい存在、なります」


 ジザ=ルウは「うむ……」と悩ましげに眉を寄せた。


「いささか俺には、難しい話であるようだ。ガズラン=ルティムの到着を待つべきであろうかな」


「そうですね。でも、俺にも一点だけ理解できたように思います」


 俺はひかえめに、そのように発言してみせた。


「神話において、四大神は大神アムスホルンの子であるとされているのですよね。それでもって、聖域の民もアムスホルンを父なる存在としているわけですから……四大神の子である王国の民よりは、大神アムスホルンに近い存在である、ということになるのではないでしょうか?」


「うむ? そうか。言葉をそのまま受け取ってしまったら、四大神も聖域の民も、ともに大神アムスホルンの子であり、同等の存在になってしまうわけだな。しかしまさか、聖域の民のすべてが神に等しい存在であると見なしているわけではないのだろう?」


 ラダジッドは、再び「はい」とうなずいた。


「聖域の民、あくまで、人間です。ただし、神に近い場所、在るとされています。大神アムスホルン、大陸アムスホルンそのもの、考えると、理解、しやすいでしょうか?」


「大神アムスホルンは、大陸アムスホルンそのもの……そうか。野に生きる聖域の民は、大陸という世界そのものの子であり、王国の民というのは……国の子……ということになる……のか……?」


 ジザ=ルウがいっそう難しげな顔になってしまうと、ルド=ルウが「ははん」と笑い声をあげた。


「やっぱ、ガズラン=ルティムに聞いたほうが早いんじゃねーの? ジザ兄も、親父の子にしては頭を使うのが得意なんだろうけどさ、ガズラン=ルティムには誰もかなわねーって」


「……だからといって、ガズラン=ルティムばかりを頼るのが正しいという話にはならん」


 そんな風に答えてから、ジザ=ルウはゆっくりと首を振った。


「とはいえ、聖域の民ばかりにかまているわけにはいかんな。シュミラル=リリンが戻るまで、貴方がたの仕事や生活について聞いておきたいのだが、かまわんだろうか?」


「もちろんです。我々も、森辺について、聞かせていただきたい、思います」


 そうして俺たちは、思い思いに交流を深めることになった。

 ラダジッドはジザ=ルウと言葉を交わしているので、俺は初老の団員に照準を定める。彼はこの中でも、ひときわティアの存在に心をひかれていたようであったのだ。


「ゲルドの貴人のおひとりは、聖域の民と出くわしたことがあったそうです。東の王国にも、いくつか聖域というものが存在するのでしょうか?」


「はい。聖域の場所、秘されていますが、この大陸、7箇所、存在するはずです。東の王国、2箇所、存在する、伝えられています」


「聖域は7箇所も存在するのですか。そのうちのひとつが、このモルガの山であったわけですね」


「はい。ですが、聖域の民、目にする機会、ありません。王国の民、聖域の民、数百年前、袂、分かつてしまったのです」


 顔にも声にも感情は出ていないが、その黒い瞳には小さからぬゆらめきが感じられる。おそらくこの人物は、ティアとの出会いに大きな感銘を受けているのだ。


「シムに伝わる星読みや毒草の知識というものも、さかのぼれば大神アムスホルンの時代から受け継がれたものなのだと聞きました。シムの方々は、他の王国の方々よりも、聖域の民に親しみみたいものを抱いておられるのでしょうか?」


「親しみ……ではなく、敬服のほうが、正しい、思います。ただし、聖域の民、それを喜ぶこと、ないでしょう」


「え? どうしてですか?」


「聖域の民、大神の眠りとともに、魔術の技、封じたのです。我々、シムの民の祖、それを惜しんで、星読み、毒草、薬草の技、残したと思われます。王国の民、なりながら、魔術の技、伝えようとする、未練です。潔くない、思います。魔術の技、尊い、思うならば、聖域、入り、大神とともに、眠るべき、思います」


 やはりこれは、俺にも難しい話であるようだった。

 一緒に話を聞いているアイ=ファなどは、ちょっとぶすっとしたお顔になってしまっている。それに気づいた初老の団員は、アイ=ファをなだめるように目を細めつつ、言葉を重ねた。


「あなた、星読み、疎んじているようですね」


「うむ? 顔に出てしまったであろうか?」


「はい。その心情、正しい、思います。星読み、魔術、名残なのですから、四大神、もたらした、新たな文明、相容れません。王国の民、魔術、忌避する、当然であるのです」


「私もそこまで、星読みというものを忌避していたわけではないのだが……最近、それを理由にアスタに執着する輩が現れてしまったのでな」


 そう言って、アイ=ファは居住まいを正した。


「あなたはシュミラル=リリンの同胞であり、心正しき人間であるように思う。そうと見込んで、聞かせてもらいたいのだが……アスタは、《星無き民》という存在であるのか?」


「はい。私、そのように、考えています」


「では、王国の人間が《星無き民》という存在に執着するのは、正しき行いと呼べるのであろうか?」


 初老の団員はしばし黙考してから、「いえ」と答えた。


「正しいとも、正しくないとも、言える、思います。その行い、無意味です」


「無意味とは? 《星無き民》という存在に執着するのは、無意味であるということか?」


「はい。《星無き民》、この世界、星、ありません。すなわち、この世界、運命、存在しないのです」


 黒い瞳が、俺のほうに向けられる。

 そこに光るのは、とても優しげな光であった。


「星図において、あなたの存在、虚無です。しかし、この世界、あなた、存在しています。《星無き民》として、あなた、取り沙汰すること、無意味です。虚無、干渉すること、不可能であるのです。あなた、《星無き民》でなく、ひとりの人間、ファの家のアスタとして、振る舞うとき、運命、紡がれます」


 その言葉は、何か俺の心を大きく揺さぶってやまなかった。

 アイ=ファも鋭く目を光らせながら、「うむ……」とうなずく。


「あなたの言葉は難しく、私には半分も理解できていないのだろうと思うが……しかし、やはりアスタは《星無き民》などではなく、アスタというひとりの人間として扱うべき、ということであるのだな?」


「はい。私、そのように思います」


「うむ。そのように言ってもらえたことを、心からありがたく思う」


 アイ=ファは力強い声で、そう言った。


「やはり私は、星読みというものを忌避しているわけではなく、星読みの結果を重んじすぎる人間を忌避しているのだろう。決してあなたを忌避したりはしないので、そのように考えてもらいたい」


「はい、ありがとうございます。……かつて、あなたの星、読んでしまったこと、忌まわしい、思われたなら、謝罪、必要、思っていました」


 そう、アイ=ファのことを『猫の星』と称したのも、この人物であったのだ。

 アイ=ファは小さく首を横に振ると、鋭さを消した眼差しで相手を見返した。


「何も謝罪の必要はない。あなたがたとは、正しき絆を結びたいと願っている」


「はい。その言葉、とても嬉しい、思っています」


 察するに、いつでも沈着で礼儀正しい東の民は、アイ=ファと相性がいいのだろう。

 それを嬉しく思いながら、俺も「あの」と声をかけさせていただいた。


「俺からも、お礼の言葉を言わせてください。あなたの言葉は、俺の心をとても安らがせてくれました」


「はい。この世界、星、存在しない、大きな不安でしょう。ですが、心、とらわれる、必要ありません」


 きっとこの人物が東の民でなかったら、さぞかし優しげに微笑んでいたことだろう。

 それができない彼は、ひたすら優しげな瞳で俺を見つめてくれていた。


「あなた、あなたです。それ、すべてです。ファの家のアスタ、そのまま、生きる、正しい、思います」


「はい、ありがとうございます」


 アイ=ファがちょっと何か言いたげな面持ちで、俺を振り返っていた。

 しかしアイ=ファが口を開くよりも早く、後方から賑やかな気配が近づいてくる。そちらを振り返った《銀の壺》の面々は、無表情に驚きの声をあげていた。


「おお、あなたがたは《銀の壺》だな。広場が騒がしいので、そうだろうと思っていたぞ」


 リリンの狩人たちが、森から戻ってきたのだ。

 朗らかな笑みを浮かべたギラン=リリンを先頭に、5名の狩人と3頭の猟犬たちがこちらに近づいてくる。《銀の壺》の面々が驚いたのは、彼らが4頭ものギバを担いでいたためであった。

 3名の狩人が1頭ずつのギバを担ぎ、ギラン=リリンともうひとりが、ひときわ大きなギバを棒に吊るして、ふたりがかりで担いでいる。


 その、ギラン=リリンとともに棒を担いでいるのが、シュミラル=リリンであった。

 そうと見て取ったルド=ルウが、軽い足取りでシュミラル=リリンに近づいていく。


「俺が代わりに運んでやるよ。あんたは、挨拶するべきだろ?」


「ありがとうございます、ルド=ルウ」


 ルド=ルウに棒を手渡して、シュミラル=リリンが進み出る。

 すると、ギラン=リリンが笑顔でその肩を小突いた。


「俺たちは、ギバの始末をしてから挨拶させてもらおう。お前はここで、客人がたの相手をしているといい」


「ありがとうございます、家長ギラン」


 そのように応じるシュミラル=リリンも、やわらかい笑顔であった。

 そしてその黒い瞳に明るい光をたたえつつ、ラダジッドたちに向きなおる。


「おひさしぶりです、ラダジッド。それに、他の皆も。……私、息災です」


「はい。こちら、同じです」


 ラダジッドを始めとする9名は、全員が指先を組み合わせて、一礼していた。

 いっぽう、東の民でなくなったシュミラル=リリンは、ただ静かに頭を下げている。


 もちろんシュミラル=リリンは、狩人の衣を纏っていた。

 自身の手で仕留めた、ギバの毛皮のマントである。

 そしてその肩には弓と矢筒が、腰には大ぶりの刀が下げられている。東の民に長剣を下げている人間は少なく、《銀の壺》の面々はひとりとして携えていない。


 違いと言えばそれだけであるのに、彼らは明らかに異なる存在であった。

 もしかしたら、無表情な9名に対して、シュミラル=リリンだけが笑顔であるので、余計に差異を感じるのだろうか。

 いや、やはりそれだけではなく、シュミラル=リリンに狩人としての風格が生まれていたのだ。


 狩人の仕事を終えたばかりであるのも、それに作用しているのだろうか。シュミラル=リリンは穏やかに微笑んでたたずんでいるばかりであるのに、どこかに静かな力感とでもいうべき雰囲気が感じられる。


 いつしかシュミラル=リリンは、こんなにも狩人らしい狩人に成長していたのだ。

 また、そうでなければギラン=リリンから氏を与えられることもなかったのだろう。

 ラダジッドはわずかに目を細めながら、しみじみとつぶやいた。


「シュミラル……いや、シュミラル=リリン、逞しくなりました。10ヶ月前、別人のようです」


「はい。ですが、本人です」


 シュミラル=リリンはいっそう幸福そうに微笑みながら、そう言った。


「銅貨、数え方、忘れていません。また、《銀の壺》、同胞として、よろしくお願いいたします」


「はい、もちろんです」


 そのように答えてから、ラダジッドは固くまぶたを閉ざした。

 もしかしたら、懸命に涙をこらえているのだろうか。

 それを見つめるシュミラル=リリンの瞳には、およそ10ヶ月ぶりに同胞と再会できた喜びの光が、あふれんばかりにきらめいていた。

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― 新着の感想 ―
珍しく悩ましげにしているジザ=ルウが新鮮でしたw あとやっぱり銀の壺関連はなかなか心が温まりますね。
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