前準備と再会②~到着~
2019.7/30 更新分 1/1
ユーミやジョウ=ランたちが姿を消して、しばらくのちのことである。
屋台の料理も順番に完売していき、あと半刻もせぬうちに閉店か――といった頃合いに、その一団がやってきた。
「おお、ここだここだ。何も迷うような場所ではなかったな」
何やら大柄な人間の多い一団が、北の方角からどやどやと近づいてくる。
「いらっしゃいませ」と言いかけた俺は、途中でぽかんと口を開けることになった。
「あ、あれ? このような場所で、いったいどうされたのですか?」
「どうされたも何も、ギバ料理を食べに来たのだ。……おお、アイ=ファ殿もご一緒であられたか」
ひときわ大きな図体をした御仁が、俺のかたわらに立っていたアイ=ファに笑いかける。アイ=ファはなんとも複雑そうな面持ちで、その姿を見返していた。
「やはり、あなたがたであったか。わざわざ城下町から出向いてきたのか?」
「うむ。復活祭を前にして、今日が最後の休日であったのでな。せっかくだから、アスタ殿らの屋台に出向いてみようという話になったのだ」
それは、護民兵団の大隊長たるデヴィアスであった。
そのような肩書きよりも、仮面舞踏会で出会った銀獅子といったほうが、通りはいいだろうか。ともあれ、城下町の広場でも交流を深めることになったあの一団が、今度は宿場町にまでやってきてくれたのである。
「しかし、中天はとっくに越えている頃合いであるはずだな。森辺の狩人は中天から日が暮れるまで、ギバ狩りの仕事に励んでいるという話ではなかったか?」
「……現在は、休息の期間であるのだ」
「ほうほう、休息の期間。それはまあ、兵士でも狩人でも十分に休息を取らねば、満足な仕事を果たすことはできなかろうからな」
デヴィアスはひとり納得顔で、うんうんとうなずいている。陽気で大らかで社交的な人物であるのだが、それより何よりマイペースで独特のテンポを有するお人なのである。
「では、さっそく料理をいただこう。こちらは、ミソを使った料理であるようだな」
「はい。ギバ肉と各種の具材をミソで煮込んだ料理となります。あと10人前ぐらいは残されておりますね」
「では、すべていただこう。あとは、何が残されておるのかな」
デヴィアスを筆頭に、10名ばかりの男たちが屋台の料理を物色する。いずれの料理も残りはわずかであったので、ほとんど彼らに買い占められてしまいそうな勢いであった。
そんな中、デヴィアスに匹敵するぐらい大きな身体をした人物が、おずおずと進み出てくる。その自信なさげな表情と、ぐりぐりと渦巻く褐色の巻き毛には見覚えがあった。
「ああ、ガーデルも来てくださったのですね」
俺が声をかけると、ガーデルは「はあ」と巨体をすぼめた。その視線は、やはり俺の顔ではなく胸のあたりをさまよっている。
「お、俺の名前などを覚えてくださっていたのですね。……お仕事の最中に、申し訳ありません」
「いえ、とんでもない。というか、お客様であるのですから、大歓迎です」
「はあ……だけど俺は、隊長殿に引っ張ってこられただけですので……」
相変わらず、その巨体には不似合いなほどに謙虚なガーデルであった。
そんなガーデルの姿を、アイ=ファがいくぶん気がかりそうに見る。
「身体のほうは、大丈夫であるのか? 傷が痛むうちは、無理をせぬほうがよいように思うが」
「はあ……痛みは、ずいぶんおさまりました。左腕が使えないので、少々不自由でありますが……」
語尾が、ごにょごにょと口の中で消えてしまう。
もちろんガーデルは、まだその左腕を三角巾で吊ったままであった。シルエルとの戦いで負った、名誉の負傷である。
「なんだ、また何か腑抜けたことを言って、アイ=ファ殿らを困らせておるのか?」
と、端から端まで屋台を見回っていたデヴィアスが、横合いからガーデルの首に腕を回した。
「お前も大きな功績をあげたのだから、少しは自信を持て。お前はもともと剣筋も悪くないのだし、心さえ強くあれば、立派な兵士になれるはずだぞ」
「た、隊長殿。ちょっと、傷に響きます」
アイ=ファは見かねた様子で、「おい」と声をあげた。
「怪我人をそのように粗雑に扱うものではない。それに私たちは、何も困ってなどはいなかった」
「そうであろうか? こやつはどうにも、中身のほうがなかなか育たなくてな」
「そうだとしても、私たちが困ることはない。どちらかというと……私は、あなたのほうが苦手だ」
デヴィアスはきょとんと目を丸くしてから、「おお」と自分の頭を抱え込んだ。
「アイ=ファ殿は、俺を苦手にしていたのか? 俺がいったいどのような不始末をしでかしてしまったのか、よければ教えてもらいたい」
「べつだん、不始末というわけではないが……あなたはどこか、扱いにくいのだ」
おそらく、ガーデルを庇おうと考えた末に、アイ=ファも真情を打ち明けることにしたのだろう。両手を下ろしたデヴィアスは、そのままがっくりと肩を落とした。
「そうであったのか。どうもアイ=ファ殿が俺を見る目には、どこか棘があるように思えたのだが……アイ=ファ殿は、俺を疎ましく思っていたのだな」
「いや、疎ましいとまでは言わないが……」
「俺はこれほどアイ=ファ殿を好ましく思っているというのに、とても残念だ」
「……おい」
「しかしまあ、森辺の民は南の民と同じように、直截さを旨としているはずだな。ならば俺も、外づらを取りつくろう意味はあるまい」
と、デヴィアスはあっさり立ち直った。
「それに俺は、アイ=ファ殿の鋭い眼差しを好ましく思っていたのだ。ならば、気に病む必要もないか」
「…………」
「色々と至らない面もあろうが、今後ともよろしく願いたい。では、料理が仕上がったようなので、失礼する」
デヴィアスは意気揚々と、青空食堂のほうに立ち去っていった。
それを見送りながら、今度はアイ=ファががっくりと肩を落としている。
「やっぱり、あやつのような人間は苦手だ……何を考えているのか、さっぱりわからん」
「……隊長殿は、見た通りのお人です。こちらが気をつかっても結果は変わらないので、言葉を飾らずに接するのが最善かと思われます」
と、ひとり屋台の前に居残っていたガーデルが、力ない笑みをたたえながら、そのように述べていた。
アイ=ファは溜め息をこらえながら、そちらに向きなおる。
「あなたは、あやつの部下であるのだろう? それでは、苦労も絶えまいな」
「い、いえ。俺などは、なんの肩書きもない雑兵ですので……こんなことがなければ、隊長殿にお声をかけられる身分でもありません」
視線を低空に飛ばしながら、ガーデルはにへらっと笑った。
弱々しいが、愛嬌のある笑顔である。
「俺もこの屋台には来てみたかったので、隊長殿には感謝しています。……アスタ殿たちは、こうやって商売をしていたのですね」
「はい。俺たちの商売に、興味を抱いてくださっていたのですか?」
「ええ、まあ、興味というか……城下町では、ギバ料理も評判でしたから……」
「ありがとうございます。俺たちのギバ料理にご満足いただけたら、嬉しく思います」
俺は笑顔を返してみせたが、やはりガーデルと目をあわせることはできなかった。
そこに、青空食堂から彼を呼ぶ声が響いてくる。彼以外のメンバーは、すっかりそちらに腰を落ち着けていたのだ。
ガーデルはぺこぺこと頭を下げつつ、小走りでそちらに立ち去っていった。
しかるのちに、チム=スドラとラッツの女衆が、俺に目を向けてくる。
「で、あいつらはいったい何なのだ? 話しぶりからして、城下町の兵士であるようだったが」
「うん。あのデヴィアスっていうお人は、大隊長っていう高い身分にある御方でね。そもそもは、城下町の仮面舞踏会でご縁を持つことになったんだ」
そしてガーデルについても説明すると、チム=スドラの目が驚きに見開かれた。
「あれが、シルエルを仕留めた兵士であったのか。確かにまあ……ずいぶん気弱そうではあったが、それなりの腕は持っていそうに思えたな」
「へえ、相手が怪我をしていても、力量を見て取るのに不自由はないのかい?」
「あるていどはな。しかし、ずいぶん鬱屈した男であるようだ」
「鬱屈か。俺はそこまで思わなかったけど……でも、ちょっと陰のあるお人だよね」
しかし、森辺の民はのきなみ彼に感謝するべき立場であったのだ。たとえ手負いであったとはいえ、シルエルに再び身を隠されていたら、森辺の民は恐るべき禍根を残すことになっていたのである。
「あのお人も当初は、生死の境をさまようほどの深手を負っていたそうだからね。文字通り生命をかけて、シルエルを討ち倒してくれたってわけさ」
「うむ。シルエルが討たれてから、間もなく3ヶ月は経つはずだからな。それでも傷が癒えていないということは、よほどの深手であったのだろう」
もうそんなにも月日が経っているのかと、俺は感慨を噛みしめることになった。
しかし確かに、あれはデルスと出会ってすぐの頃であったし、フェルメスがジェノスにやってくるよりも前の出来事であったのだ。同じように深手を負ったティアなどはひと足先に元気になっていたが、あれは赤き民の強靭な生命力が為せる技であるのだろう。
「何にせよ、あの方々のおかげで料理を売り切ることがかないましたね。わたしも食堂のほうを手伝ってまいります」
屋台の火を落としてくれたラッツの女衆が、そんな言葉を残して青空食堂のほうに向かっていった。
他の屋台もそのほとんどは料理を売り切って、後片付けを始めている。下りの二の刻にはまだ猶予があるはずであったが、多めに準備した料理も無事に完売できそうなところであった。
「あとはルウ家の汁物料理と、こっちのパスタだけか。パスタの残りは、どれぐらいかな?」
「は、は、はい。の、残りは7人前となります」
『ミートソース・パスタ』の責任者であったマルフィラ=ナハムが、おどおどと目を泳がせながら、そのように返事をしてくれた。
「7人前か。まあ、定刻までには何とかなりそうだね。明日からも、同じ量を準備することにしよう」
「は、は、はい。ま、まだ復活祭には間があるのに、これほどまでにお客は増えるのですね。ふ、ふ、復活祭の当日が、とても楽しみです」
視線を泳がせながら、マルフィラ=ナハムはぎこちなく笑う。
その笑顔を見返しながら、俺は「うーむ」と考え込むことになった。
(マルフィラ=ナハムはこういう性格だけど、意外に芯はしっかりしてるからな。態度がおどおどしてるだけで、言いたいことははっきり言うタイプでもあるし……それに比べたら、やっぱりガーデルのほうが内気ってことになるんだろう)
しかし、内気な人間、大いにけっこうである。内気で魅力的な人間など、この世にあふれかえっているのだ。働き始めの頃のトゥール=ディンなどは、ガーデルよりもさらに内気な存在であるはずだった。
(それに、デヴィアスもな。アイ=ファは相性が悪いみたいだけど、俺は嫌いなタイプじゃないし。今後も仲良くさせてもらえたら幸いだ)
というか、彼らは復活祭の前の最後の休日に、わざわざこのような場所にまでやってきてくれたのである。本当ならば、ありがたくてたまらない話であるのに、さらりと流してしまったのは、やはりデヴィアスの独特なテンポに毒気を抜かれた結果であるのだろう。
「それじゃあ俺も、食堂のほうを手伝ってこようかな。アイ=ファは、どうする?」
「うむ……屋台は残り2台であるのだから、私とチム=スドラのどちらかはそちらに向かうべきであろうが……」
「アイ=ファの気が進まないのなら、俺は喜んでその役目を負わせていただくぞ」
「いや、気が進まないわけではない。というか、護衛役の仕事にそのような私情をはさむわけにもいくまい」
アイ=ファは表情を引き締めて、青空食堂のほうに視線を飛ばした。
俺もつられてそちらに目をやると、デヴィアスたちは実に楽しそうに談笑している。城下町の広場の再現である。
「デヴィアスだったら、俺がお相手をするから大丈夫さ。それじゃあ、さっそく――」
と、足を踏み出そうとするなり、アイ=ファに襟首をひっつかまれてしまった。
「待て。あれを見よ、アスタ」
アイ=ファが指し示しているのは、青空食堂とは逆の側、南の方角である。
大勢の人々が行き交う石の街道の向こうから、何台もの荷車が近づいてくるのが見えた。トトスの手綱を握りしめ、真っ直ぐこちらに歩を進めている。マントのフードをかぶっているので人相はわからないが、あれは東の民の一団であろう。
「あれは、もしかして――」
知らずうち、俺の胸は高鳴っていた。
東の民の商団など、何も珍しいものではない。特にこの時期、ジェノスを来訪する人間は増えているのだから、なおさらである。
ただ最近の俺は、あるていどの規模を持つ東の商団を見るたびに、心臓を騒がせるようになってしまっていたのだった。
先頭を歩いていた人物が、俺の屋台の前で立ち止まる。
ひときわ背の高い、190センチ以上はありそうな東の民だ。
その人物がトトスの手綱を握ったまま、俺のほうに向きなおり、マントのフードを背中にはねのけた。
「アスタ、アイ=ファ、おひさしぶりです」
無表情な、面長の顔。
黒髪に黒瞳で、ごく一般的な東の民らしい風貌をしている。東の民も南の民も、俺にとってはいささか見分けるのが難しい相手であったのだ。
しかしこのたびは、俺もその人物を見間違えることはなかった。
ここ数日、俺は彼らがいつジェノスに到着するかと、待ちわびていたのである。
「おひさしぶりです、ラダジッド……お会いできる日を、楽しみにしていました」
「はい。私、同じ気持ちです」
東の民は、感情をあらわにすることを恥と考えている。
しかしその切れ長の目には、とても優しげな光がたたえられていた。
彼はこの商団の新たな団長、ラダジッドである。
シュミラル=リリンの同胞たる《銀の壺》が、ようやくジェノスにやってきたのだ。
俺はさまざまな思いに胸を詰まらせながら、それでも懸命に笑ってみせた。
「お変わりないようで、何よりです。やっぱり復活祭の前にいらしたのですね」
「はい。9名、変わりなく、元気です。シュミラル、元気ですか?」
「お元気です。そして、お伝えしなければならないことが、たくさんあります」
ラダジッドは微笑みをこらえるように、少しだけ目を細めた。
「アスタの顔、喜び、あふれています。話、楽しみです。……ただ、5台の荷車、往来、迷惑です。宿屋、預ける、お待ちいただけますか?」
「はい、もちろんです。……あ、食事はもうお済みでしょうか? 屋台の料理は、もう残りわずかなのですが」
「ギバ料理、楽しみにしていました。残り、わずかであれば、すべて買わせていただきます」
ラダジッドが荷台の内側に声をかけると、ひとりの若者が音もなく地面に降り立った。
「我々、荷車、預けてきます。その間、ギバ料理、確保、お願いします」
「私、承知です」
「では、またのちほど」
ラダジッドはフードをかぶりなおすと、街道を南に引き返していく。きっと《玄翁亭》に荷車を預けるのだろう。
最初の若者と、2台目の荷車から降りてきた初老の人物だけが、屋台に居残った。それらの人々にも、俺はにっこりと笑いかけてみせる。
「みなさんも、お元気そうで何よりです。残っている料理は2種類ですけれど、ご満足いただけたら嬉しいです」
「はい。ご満足、確実です。アスタ、熟練、料理人です」
たどたどしく語りながら、若いほうの団員がフードをはねのけた。
「言葉、不満足、恐縮です。西の言葉、修練、さなかです」
「いえ、何も問題はありません。こちらだって、東の言葉はわきまえていませんし――」
そこまで言いかけて、俺はふっと思い至った。西の王国で商売をする《銀の壺》の中で、そこまで言葉が不自由な人間はそうそういないはずであるのだ。
「ああ、あなたは最初に俺たちの屋台で料理を買ってくださった方ですね。なかなか気づけなくて、申し訳ありませんでした」
若者は「いえ」と首を横に振った。
この若者は、俺が宿場町で初めて屋台を出したときに、ヴィナ・ルウ=リリンの案内で試食品を口にして、そののちに《銀の壺》の同胞を引き連れてきてくれた、あの人物であったのだ。
「以前に比べたら、見違えるほどに西の言葉が上達しているじゃないですか。さぞかし苦労をされたのでしょうね」
「はい。西の言葉、商売、必要です。……んー……アスタ、再会、私、喜びです」
「はい。俺もみなさんと再会できて、心から嬉しく思っています」
すると、初老の団員もフードを外して、うやうやしげに一礼してきた。
「この者、言葉、未熟、申し訳なく思います。修練のため、なるべく、相手、お願いしています」
「ええ。初めてギバ料理を買ってくださったときも、この方があえて注文をされていましたものね」
懐かしき思い出にひたりながら、俺はそのように答えてみせた。
「あなたのことも覚えておりますよ。あなたは、その……色々と星を読んでくださった方ですよね」
隣のアイ=ファを気にしながら、俺がそのように問いかけると、その人物は「はい」とうなずいた。
「異国人、見分け、つきにくいものですが、アスタ、見覚えていただき、光栄、思います」
それは《銀の壺》の中で、星読みをたしなむ人物であった。
凶星――ザッツ=スンの滅びを予言し、俺の星はこの世界にないと最初に宣言した、あの人物である。
そして、ミケルとの出会いが森辺の民にさらなる力を与えるだろう、と言っていたのも、この人物であった。
「あなたにも、話したいことがたくさんあります。今日はお疲れでしょうけれど、いずれゆっくりお話をさせていただけたら、嬉しく思います」
「疲労、さほどではありません。そして、この後、森辺の集落、向かう予定です」
「あ、シュミラル=リリンに会いに行くのですね?」
「シュミラル=リリン」と、その人物は目を細めた。
「シュミラル、氏、授かったのですね。祝福の言葉、届けたく思います」
「はい。シュミラル=リリンもみなさんの到着を心待ちにしていますよ」
そうしてふたりの団員は、それぞれパスタと汁物料理の屋台へと移動した。
俺とアイ=ファは、青空食堂に移動である。本日は折よく、リリンの女衆が出勤日であったのだ。
はやる気持ちを抑えながら、青空食堂のほうに向かってみると、彼女は他の女衆とともに皿洗いの仕事を受け持っていた。閉店間際のこの時間は仕事を急ぐ理由もないので、みんなのんびりムードである。手の空いた何名かは、デヴィアスたちを相手に談笑していた。
「そうですか。あれが、《銀の壺》なる一団であったのですね」
リリンの女衆は微笑を浮かべつつ、ちょっとしみじみとした口調になっていた。
「とうとうシュミラル=リリンも、ジェノスを離れる日が来てしまったのですね。ヴィナ・ルウ=リリンの気持ちを思うと、胸が痛みます」
それはもちろん、俺としても同じ気持ちであった。
ラダジッドたちと再会できたことは嬉しいが、これはシュミラル=リリンの旅立ちが目前に迫ったということでもあるのだ。
《銀の壺》がジェノスに逗留するのは、せいぜいひと月ほどである。
そうしてジェノスを出立したならば、次に戻ってくるのは半年後だ。
どれほど覚悟を固めていても、その寂しさをまぎらわせることなどは、なかなかできるものではなかった。
(でも、一番つらいのはヴィナ・ルウ=リリンなんだもんな。俺も笑顔で見送れるように頑張ろう)
それからしばらくの後、《玄翁亭》に荷車を預けたラダジッドたちが戻ってきた。
食堂に居残っていたのは、もはやデヴィアスらの一団だけであったので、9名の団員がゆったりと着席することができた。確保できた料理は、ミートソースのパスタが7名分と、クリームシチューが8名分である。
「9名分としては、ちょっと物足りないところですよね。申し訳ない限りです」
「いえ。明日から、ぞんぶん、食せるので、問題ありません」
そう言って、クリームシチューをすすったラダジッドは、わずかに目を見開くことで驚嘆をあらわにしていた。
「美味です。以前より、遥かに美味、思います」
「そうですか。そちらはルウ家の料理ですが、喜んでいただけたら嬉しいです」
「はい。きわめて、満足です」
青空食堂では人手もありあまっていたので、俺は《銀の壺》の面々が食事を楽しむさまを、ゆっくり見届けることができた。
すると、少し離れた卓からデヴィアスの声が飛んでくる。
「なんだ、アスタ殿やアイ=ファ殿は、俺たちをかまってくれないのだろうか?」
アイ=ファは溜め息をこらえているような面持ちで、そちらを振り返った。
「この者たちはアスタと深い縁があり、顔をあわせるのも1年近くぶりであったのだ。何か問題でもあろうか?」
「問題はないが、俺たちも今年はこれが最後の休日であるのだ。できうれば、こちらもかまっていただきたい」
アイ=ファはがりがりと頭を掻いてから、俺の耳に口を寄せてきた。
「とりあえず、私があやつを黙らせてくる。お前はラダジッドらの相手をしているといい」
「アイ=ファはデヴィアスが苦手なんだろう? ひとりで大丈夫か?」
「……このまま放っておけば、いつまでも騒いで邪魔をしそうだからな」
仏頂面で言い捨ててから、アイ=ファはずかずかとデヴィアスたちの卓に近づいていった。
器用にくるくるとパスタを巻いていたラダジッドが、いささか心配そうに俺を見上げてくる。
「私たち、迷惑ですか?」
「とんでもありません。ただ、俺がラダジッドたちのそばにいたいというだけの話です」
ラダジッドの頬が、ぴくりと引きつった。
「……アスタの笑顔、危険です。誘発、恐れ、感じます」
「あ、それでは俺も、笑顔をつつしむべきでしょうか?」
「いえ。西の民、感情、隠す理由、ありません。……そして、アスタの笑顔、好ましい、思います」
たとえ感情を抑えていようとも、ラダジッドの言葉は俺の心の深くにまで染み入っていった。
そこに、皿洗いの仕事を終えたリリンの女衆が近づいてくる。
「食事の最中に、失礼いたします。わたしはシュミラル=リリンと同じ、リリンの家の家人です」
食事をしていた9名の視線が、リリンの女衆に集まった。
リリンの女衆はやわらかく微笑みながら、その場の人々を見回していく。
「シュミラル=リリンについて、ご説明いたします。シュミラル=リリンは藍の月になって間もなく、リリンの氏を授かり……そして、それから10日ほどが過ぎたところで、ルウ本家の長姉ヴィナ=ルウを嫁に迎えました」
ラダジッドたちはなんとか無表情を保持しつつ、それでも驚きの声をあげていた。
「婚儀、すでに、終えていたのですか? シュミラル、ルウ家、婿入り、願っていたので……婚儀、いまだ果たしていない、考えていました」
それはつまり、俺やこの女衆が「シュミラル・リリン=ルウ」と呼んでいなかったために、まだ婚儀をあげてはいないと判断した、ということであるのだろう。
リリンの女衆は同じ微笑みをたたえたまま、「いえ」と首を横に振った。
「ルウ本家の家長ドンダ=ルウのはからいで、長姉たるヴィナ=ルウを嫁に娶ることがかないました。シュミラルはシュミラル=リリンとなり、ヴィナ=ルウはヴィナ・ルウ=リリンとなったのです」
「そうですか。……西方神、モルガの森、感謝、捧げたい、思います」
団員の全員が食事の手を止めて、指先を奇妙な形に組み合わせた。
そして、東の言葉で何かをつぶやく。きっと、西方神とモルガの森に感謝の言葉を捧げているのだろう。
「どうかシュミラル=リリン本人にも、声をかけてあげてください。あなたがたがジェノスにやってきた際には客人としてお迎えするように、本家の家長ギラン=リリンから申しつけられています」
「はい。日没前、森辺の集落、向かうつもりでした。迷惑、ありませんか?」
「迷惑どころか、ギラン=リリンはドンダ=ルウにも了承を得て、歓迎の会を開くつもりでいるのです。今日でも明日でも、あなたがたの都合のいい日に準備をいたしますが、如何でしょう?」
ラダジッドは感じ入った様子で、深々と一礼した。
「では、今日に。……リリンの方々、温情、感謝いたします」
「とんでもありません。シュミラル=リリンの同胞であるあなたがたは、わたしたちにとっても同胞のようなものであるのです。どうか、絆を深めさせていただきたく思います」
そう言って、リリンの女衆はにこやかに笑ったのだった。