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異世界料理道  作者: EDA
第四十五章 祭の前に
765/1680

六氏族の収穫祭⑨~心をひとつに~

2019.7/16 更新分 1/1

・今回の更新はここまでとなります。更新再開まで少々お待ちください。

・7月末に当作の書籍版18巻と、「N-star」で連載していた「最強剣士は隠遁したい」が刊行される運びとなりました。また、小説投稿サイト「ノベルアップ+」にて新作を公開いたします。ご興味を持たれた方は、活動報告をご参照くださいませ。

 俺、レイナ=ルウ、フェルメス、ジェムドの4名で、熱気の渦巻く広場を突き進んでいく。

 やがて次なるかまどに到着すると、そこには見慣れた面々がずらりと顔をそろえていた。


「よー、アスタにレイナ姉じゃん。ふたりそろって、貴族の案内か?」


 敷物に座したルド=ルウが、陽気に笑いかけてくる。そこに集まっていたのは、チム=スドラを含む若めの男衆たちであった。

 そのほとんどは、力比べに参加していた6氏族の若衆だ。しかし、いくつか見慣れない顔もあり、その筆頭はギバの毛皮をかぶったジーンの男衆であった。


「ファの家のアスタか。これまでは、あまり顔をあわせる機会もなかったな」


 北の一族らしく、頑健なる肉体と魁偉なる面相を有したジーンの男衆が、光の強い目を俺に向けてくる。

 すると、その隣に座したチム=スドラが、もうひとりの見慣れぬ若衆を俺に紹介してくれた。


「こっちの男衆は、スン家の人間だ。アスタに挨拶をしたがっていたので、ちょうどよかったな」


 中肉中背だが、狩人らしい精悍な面立ちをした若衆が、頭を下げてくる。俺も笑顔で、礼を返してみせた。


「スン家の御方でしたか。祝宴は楽しんでいただけていますか?」


「はい。狩人たちの力比べにも、美味なる宴料理にも、心から驚かされてしまいました」


 罪悪感が作用してか、スン家には腰の低い人間が多い。しかし、その引き締まった面から、不必要な卑屈さを感じることはいっさいなかった。


「こいつらは、スンの狩り場でしょっちゅう顔をあわせてるんだってよ。俺もたまには、他の氏族の連中と森に入ってみたいもんだぜ」


『クリスピー・ローストギバ』をかじりながら、ルド=ルウがそのように言いたてた。

 こいつらというのは、どうやらチム=スドラとジーンとスンの男衆を示しているらしい。北の一族およびスドラの狩人が、数日置きにスンの狩り場を訪れているというのは、周知の事実であった。


 なおかつ、ルド=ルウはチム=スドラとも面識をもっているし、北の集落に逗留した経験もあるのでジーンの男衆とも顔見知りであるのだろう。そういった縁を紡いだメンバーが、こうして一同に会しているわけであった。


「……たしか、あなたがチム=スドラという御方でしたね」


 と、フェルメスがふわりと言葉を差し込んできた。


「そのお若さで勇者に相応しい力をお持ちになっているというのは、きっと稀有なる話であるのでしょう。日中に拝見した力比べの際にも、僕はたびたび息を呑むことになりました」


 あまり愛想のあるほうではないチム=スドラは、フェルメスの美麗な笑顔を上目遣いにねめつけた。


「勇者の座を逃した俺の名まで、記憶に留めているのか。噂に違わぬ物覚えのよさであるようだな」


「おや。僕の噂などが、森辺に広がっているのですか? それは、光栄なことです」


「そりゃーそーだろ。貴族だとか外交官だとかいう身分でなくったって、あんたみたいな人間はそうそういねーんだからな」


 ルド=ルウが、気安い調子でまぜっかえす。もちろんフェルメスは気を悪くした様子もなく、にこにこと微笑んでいた。

 とりあえず、その場にいた人々をフェルメスに紹介する。若き男衆たちは、のきなみ探るような目をフェルメスとジェムドに向けていた。


「……アスタよ。アイ=ファが動けるようになるまで、俺が行動をともにするか?」


 と、チム=スドラがこっそり囁きかけてきたので、俺は「いや」と首を振ってみせた。


「何も心配はいらないと思うよ。そろそろアイ=ファも動けるようになるはずだからね」


「そうか。何かあったら、手近な男衆に声をかけるといい」


 フェルメスが俺に執着しているという話は公然の事実であったので、一部の人々はこうして俺を気づかってくれるのだった。

 そのうちのひとりであるレイナ=ルウが、お行儀のよい笑顔でフェルメスに語りかける。


「それでは、次のかまどに参りましょうか。たしかそろそろ、魚介の料理のかまどとなるはずです」


「そうですか。腹はそれなりに満ちていますが、いざ料理を前にしたら、手がのびてしまいそうです」


 フェルメスはフェルメスで、誰に対しても愛想がいい。難を言うならば、それがいささか八方美人に感じられてしまうことであろうか。なおかつ、初対面の頃から同じ調子であったため、絆が深まったのかどうなのか判じにくい、という面もあった。


(ただひとり、ジェムドに対してだけは気安い感じだから、けっこう人間味を感じられるんだよな)


 しかし、ジェムドはいつも一歩引いたところに控えており、フェルメスと言葉を交わすことが少ない。フェルメスに負けない美声であるのに、それを聞くチャンスはけっこう限られてしまっているのだった。


(なんというか、いつもこうやってふわふわと時間が過ぎちゃうんだよな。それだけフェルメスも、外交官としての職務を全うしようとしてるってことなのかもしれないけど……なかなか難しいもんだなあ)


 そんなことを考えている間に、次なるかまどに到着した。

 濃厚なるカロン乳と魚介の香りが漂っている。それはユン=スドラの班の担当であった、クラムチャウダー風の汁物料理であった。


「ああ、この汁物料理も美味でしたね。よければ、一杯いただけますか?」


 フェルメスが声をかけると、年配のランの女衆が「承知しました」と笑顔で応じた。一緒に働いていたフォウの若い女衆は、いくぶん警戒した様子でフェルメスの笑顔を盗み見ている。


「アスタは、如何です? もうこちらの料理は口にされましたか?」


「あ、はい。祝宴が始まる前に、味見を頼まれましたので。……でも、一杯いただきます」


 湯気をたてる熱々の汁物料理が、ランの女衆から手渡された。

 あのホタテに似た貝ばかりでなく、アマエビに似たマロールもタコに似たヌニョンパも、ふんだんに使われている。それに、セロリに似た食材がないので、クラムチャウダーと言い切るには不相応であるかもしれない。しかし、お味のほうは保証つきであった。俺が伝授したレシピを、ユン=スドラは見事な手際で再現してくれたのだ。


「ああ、美味ですね。王都から持ち込まれた食材でこのように美味な料理が作られて、僕は誇らしく思っています」


 フェルメスが無邪気に微笑むと、ランの女衆もつられたように微笑んだ。


「王都の貴族というお人にそう言っていただけたら、こちらこそ光栄ですねえ。……このマロールやヌニョンパといった食材は、王都のものであったのですか?」


「ええ。ご存知ではありませんでしたか?」


「あたしはあんまり、食材の出どころは気にしてなかったものでねえ。もっと若いかまど番たちは、そういう話にも熱心なようですけれど」


「そうですか。マロールもヌニョンパも海の生き物ですので、すべて王都から運び込まれたものであるはずです。シムやジャガルの海は遠いので、さすがにこのジェノスでもそちらから買いつけることはかなわないのでしょう」


 フェルメスとランの年配の女衆は、案外すんなりとコミュニケーションできている様子であった。同じ料理をすすりながら、レイナ=ルウはその様子をひそかに検分している。


 そうして料理を食べ終えた俺たちは、そのかたわらに準備されていた敷物のほうにも足を向けてみた。

 さきほどとは対照的に、若い女衆を中心にした顔ぶれであり、そこにちらほらと若い男衆もまじっている。その中で、俺たちに気づいた人物が「ああ」と声をあげた。


「アスタ、ようやくお会いできましたね。お声をかけるのが遅くなりましたが、らーめんの最初の分は、無事に配り終えました」


 それは、俺とともにギバ骨ラーメンを担当していたサリス・ラン=フォウであった。俺は「ありがとうございます」と頭を下げてみせる。


「けっきょく戻れずにすみませんでした。ユン=スドラが様子を見てくれると言っていたのですが、大丈夫でしたか?」


「はい。こちらの仕事も終わったので、ユン=スドラはご自分のかまどに戻られました」


 そんな風に答えながら、サリス・ラン=フォウはフェルメスに目礼をする。フェルメスは、優雅に礼を返した。


「どうぞそのまま、宴料理をお楽しみください。ただ、ご挨拶だけさせていただければ幸いです」


 サリス・ラン=フォウが、その場にいた人々の紹介をしてくれた。ひとり、あまり見覚えのない娘さんがいたのだが、それはダリ=サウティのお供であったヴェラの女衆であった。


(ああ、これはたしか、以前に生鮮肉の仕事を受け持ってた娘さんか。それじゃあ、もしかして……)


 俺の予想に違わず、その隣に控えていた若き男衆は、フォウの狩人であった。たしか、生鮮肉の仕事を受け持ったヴェラの女衆と、護衛役を受け持ったフォウの男衆が、おたがいに心を寄せることになった、という話であったのだ。


(ヴェラの人間がフォウの集落を訪れる機会なんて、そうそうないからな。これでまた絆が深められれば、幸いだ)


 しばらく言葉を交わしてから、俺たちはその場を離れることにした。

 次のかまどを目指しながら、フェルメスが俺に笑いかけてくる。


「こうして見る限り、森辺の民は血の縁の有無を問わずに絆を深めているように感じられますね。以前はもっと、氏族間の交流も薄いものであったのでしょう?」


「はい。血の縁を重んずるあまり、血族ならぬ相手とは疎遠になるという面があったかと思います」


「それが、スン家の没落を機に、見直されることとなったのですね。ガズラン=ルティムから、そのようにうかがっています」


 フェルメスは、恋する乙女のようにうっとりと目を細めていた。


「また、同じ時期にトトスを扱うようになったことが、絆を深める一助となったのでしょう。これだけ広大な森辺の集落であれば、トトスなくして氏族間の交流を深めることは難しかったはずです」


「ええ、まさにその通りですね。カミュア=ヨシュたちが、トトスを森に置き去りにしてくれたおかげです。そうでなければ、森辺の民がトトスを扱うことにもなかなかならなかったでしょうからね」


「そしてそのカミュア=ヨシュたちは、スン家の大罪を暴くために、商団に扮してトトスを森辺に持ち込んだのですよね。ならばそれは偶然の産物ではなく、蓋然性の積み重ねによって、必然の結果となったのでしょう」


 ひそかに耳をそばだてていたレイナ=ルウは、目をぱちくりとさせていた。俺にしてみても、ちょっと頭を整理したいような論調である。


「そういった運命の妙を、僕は美しいと感じます。この世界に、偶然などというものはありえない。すべては蓋然性の積み重ねであり、人の子はそれこそを運命と呼んでいる。……そのように思いませんか、アスタ?」


「はあ。ちょっと俺には、難しい話であるようです」


「そうですか。まあ、そのような話を頭で考える意味はないのでしょう。何をどのように考えても、人は運命の通りに生きるしかないのですからね」


 フェルメスはくすくすと笑い声をもらした。

 そして、並んで歩いている俺の向こう側へと視線を飛ばす。


「だから僕は、アスタの運命に干渉する気持ちはありません。どうぞご安心ください、アイ=ファ」


 俺は大いに驚きながら、そちらを振り返ることになった。

 いつの間にやら、アイ=ファが俺のすぐ隣を歩いている。その鋭き眼光は、俺の頬をかすめてフェルメスを見据えていた。


「び、びっくりしたなあ。声ぐらいかけてくれよ、アイ=ファ」


「何やら熱心に語らっていたようなので、邪魔をするのがはばかられたのだ」


 凛々しく引き締まった面持ちで、アイ=ファはそのように言いたてた。


「ようやく勇者の席から立つことを許されてな。私も行動をともにさせていただこう」


「はい、お疲れ様でした。何もアイ=ファに叱られるような真似はしておりませんので、そちらに関してもご安心ください」


「……私は王都の外交官を叱責できるような立場ではない」


 そんな風に応じてから、アイ=ファはきろりと俺を見やってきた。

 大丈夫だよ、と俺はにっこり笑ってみせる。フェルメスとは、ごく穏便な言葉しか交わしていないはずだった。


「しかし、そろそろ横笛でも吹き鳴らされる頃合いであろうな。お前の食事は済んだのか、アスタよ?」


「うん。まあ、胃袋の埋まり具合は2割ていどかな」


「それでは、まったく満たされていないではないか」


 アイ=ファの秀麗な形の眉が、きつくひそめられる。俺はアイ=ファに叱責される立場であるのだ。


(ただ俺は、アイ=ファと一緒にかまどを巡りたかったんだよ)


 俺はそのように釈明したかったが、フェルメスの前でアイ=ファに赤面させるのは忍びなかったので、黙っておいた。


「それじゃあ、これからぞんぶんにいただくよ。次のかまどは、なんの料理かな」


 かまどに群がる人垣は、もう目の前に迫っている。いざそこに並んでみると、それはかまどではなく丸太の台であり、耐熱用の大皿からグラタンが取り分けられているさなかであった。


「ああ、アスタ。ちょうど新しい分が焼きあがったところです」


 ユン=スドラが、朗らかに笑いかけてくる。これもまた、彼女の班の宴料理であったのだ。


「ユン=スドラ、さっきはありがとうね。サリス・ラン=フォウからも、話は聞いているよ」


「はい。けっきょくランの女衆がそちらの仕事を受け持ってくれたので、わたしはとりたてて為すべきこともありませんでした」


 それでもきっとユン=スドラは、ギバ骨ラーメンのかまどと自分の班のかまどをくまなく見て回ってくれていたのだろう。かまど仕事の取り仕切りに関しては、トゥール=ディンと並んでずば抜けた力を持つユン=スドラであるのだ。

 ユン=スドラは、俺のかたわらにたたずむフェルメスにも明るい笑顔を差し向けた。


「魚介のぐらたんも仕上がっています。フェルメスも、如何ですか?」


「ありがとうございます。それでは、皿に半分だけいただけますか?」


「はい、承知いたしました」


 マロールを主体にしたグラタンが、木皿に取り分けられる。

 ジェムドも同じものを受け取り、俺とアイ=ファとレイナ=ルウは、ギバの腸詰肉を使ったグラタンをいただくことにした。


「……わたしが行動をともにしてからは、フェルメスもとりたてておかしな話は持ちかけていなかったように思います」


 と、レイナ=ルウがアイ=ファに囁きかけている声が、うっすらと聞こえてくる。アイ=ファは短く、「感謝する」とだけ答えていた。


(敵ができると団結力が高まる、なんて話があるけれど、フェルメスのおかげでアイ=ファとレイナ=ルウの絆が深まるとしたら、皮肉な話だな)


 俺はいくぶん複雑な気持ちで、美味なるグラタンを食することになった。

 フェルメスと談笑していたユン=スドラが、そんな俺のもとにも微笑を向けてくる。


「アスタ、そちらの敷物にはトゥール=ディンたちもいるはずですよ」


「ああ、そうなんだね。それじゃあ、挨拶をさせてもらおうかな」


 どうやらトゥール=ディンたちも、同じ順番でかまど巡りをしていたようだ。俺はついさきほど別れたばかりであったが、アイ=ファやフェルメスはほとんど顔をあわせていないはずだった。


 そんな風に考えながら、少し離れた場所に広げられた敷物のほうに近づいていくと、何やら騒然とした気配が伝わってくる。賑わっているのはどこも一緒であるのだが、いささか普通でない気配だ。


「なんだ、俺たちを追いかけてきたのか?」


 と、敷物の端に座していたゲオル=ザザが、声をあげてくる。その酒気をおびた顔には陽気な笑みがたたえられていたので、俺はほっと息をつくことができた。


「俺たちも、かまどを巡っていたのですよ。……何かあったのですか?」


「いや、べつだん騒ぐような話ではない」


 ゲオル=ザザが、敷物の中央へと視線を戻す。そこに座していたのは、ゼイ=ディンとスンの家長であった。

 スンの家長がゼイ=ディンの手を取りながら、深くうつむいている。その背中にそっと手をあてているのは、スンの若い女衆だ。そして、女衆の目にはうっすらと涙が光っており、スンの家長も敷物に涙をこぼしている様子であった。


「……お前は本当に立派な狩人だ、ゼイ=ディンよ。もはや俺たちは血族ならぬ身だが、心から誇りに思う……」


 スンの家長は、震える声でそのように言葉をもらしていた。

 ゼイ=ディンは、何かをこらえているような面持ちで、その言葉を聞いている。


(そうか。ゼイ=ディンは、もともと生粋のスン家の人間だったんだよな)


 ゼイ=ディンは、早くに魂を返した伴侶がディン本家の血筋であったために、ディン家に引き取られることになったのである。もしもトゥール=ディンが産まれていなければ、ゼイ=ディンもずっとゼイ=スンとして生きることになっていたのだろう。


 そのゼイ=ディンが、ディンの家で狩人としての力を取り戻せたことに、スンの家長は感涙しているのだ。

 見れば、そんなふたりの姿を見守っているトゥール=ディンも、はらはらと涙をこぼしてしまっていた。


「……トゥール=ディン、だいじょうぶ?」


 隣にちょこんと座っていたオディフィアが、心配そうにトゥール=ディンの手を取る。

 トゥール=ディンは涙に濡れた顔で、「大丈夫です」と微笑んだ。


「……どうやらわたくしも、少し思い違いをしていたようだわ」


 エウリフィアが、低くひそめた声でそのようにつぶやいた。


「大罪を犯したのはスン本家の人々であるという話だったから、分家の人々にそれほどの影響は及んでいないのだろうと思っていたのだけれど……それは思い違いであったようね」


「ふん。罪の重さには隔たりがあろうが、影響の大きさに変わりはあるまい」


 ゲオル=ザザが、力強い声でそのように答えた。


「本家であろうが分家であろうが、十数年にも渡ってギバ狩りの仕事を取りやめていたことに変わりはないのだ。そんな人間が狩人としての力を身につけようというのは、並大抵のことではなかろう」


「ええ、そうなのでしょうね……」


「ついでに言うならば、そこのゼイ=ディンはスン家と血の縁を絶たれて、ディンの家に引き取られた。ゼイ=ディン自身にディンの血は流れていないのだから、それはすべての血族と血の縁を絶たれたようなものだ。ドムの集落で暮らすディガやドッドなどと、大差のない罰であったことだろう」


 そんな風に述べてから、ゲオル=ザザはにやりと笑った。


「ただし、ディガやドッドにはおたがいの存在があったし、ゼイ=ディンにはトゥール=ディンの存在がある。心の支えには事欠くこともなかったのであろうよ」


「うむ。それに俺たちだって、ゼイ=ディンとトゥール=ディンを支えていたつもりだ」


 少し離れた場所から、若い男衆の声があがる。見ると、それはゼイ=ディンたちとともに暮らすディン本家の長兄であった。


「そしてゼイ=ディンは、いまやディン家の誇りであろう。なにせこの3回の収穫祭で、ひとたびでも勇者の名を授かったディンの狩人は、ゼイ=ディンひとりであるのだからな」


 寡黙にして不愛想な家長と異なり、この長兄はわりあい気さくな性格をしている。相手がゲオル=ザザでも怯むことなく、笑顔でそのように語っていた。


「それに、スン家の人間も狩人としての力を取り戻しつつあると、スドラの男衆から聞いているぞ。お前たちはきちんと罪を贖って、正しき道を進めているのだから、何も気に病む必要はあるまい」


「ふふん。べつだんスンの家長も、気に病んで涙を流しているわけではあるまい。ゼイ=ディンと喜びを分かち合っているのだろうよ」


「言われてみれば、その通りか。まあ、いつまでも涙を流しておらず、笑顔で喜びを分かち合うがいい」


 どうやらこの場は、ゲオル=ザザたちに任せておくべきであるように思われた。ゲオル=ザザもディン家の男衆もかつてはスン家の眷族であったのだから、まったく他人事ではないのだ。


 俺はアイ=ファやフェルメスたちを目でうながして、その場を離れることにした。

 歩きながら、フェルメスが感じ入ったように言葉をもらす。


「僕は、森辺において主要の氏族の家はすべて巡ったつもりですが、やはりそれだけでは用事が足りていなかったようです。こうしてさまざまな氏族が集まる場でしか聞くことのできない言葉というのは、きっと多いのでしょう」


「ええ。それはそうなのだろうと思います」


「非常に有意義な一夜です。メルフリードやポルアースやエウリフィアも、同じように考えていると思います」


 そのとき、ひときわ賑やかな一団がこちらに近づいてきた。

 俺が声をあげる前に、その一団のひとりが「あ、アスタたちだ!」と呼びかけてくる。それは、ユーミとテリア=マスとジョウ=ランに、リフレイアとサンジュラとムスルを加えた、なんとも個性的な一団であった。


「あら、フェルメス。無事にアスタと合流できたのね」


 リフレイアが、すました顔でスカートをつまむ。フェルメスは「ええ」と笑顔を返した。


「そちらは、宿場町の方々とご一緒でしたか。力比べの間から、ご縁を紡がれているようでしたね」


「ええ。わたしにとっては、宿場町で最初に得た友人ですもの」


 友人呼ばわりされてユーミは辟易している様子であったが、それでも決して嫌な顔はしていなかった。むしろ、フェルメスのことを警戒した目つきで見やっている。


「さきほどランの家長から、歌と横笛を始めるように申しつけられたのです。よかったら、ユーミの歌をお聞きください」


 にこにこと笑いながらジョウ=ランが発言すると、ユーミが「もう!」とその腕を肘でつついた。


「そんな宣伝はいらないってば! 貴族の人らは、もっと立派な歌を普段からさんざん聞いてるんだろうからさ!」


「そうなのでしょうか? ユーミより立派な歌を歌える人間など、あまり想像がつかないのですが」


 そんな風に答えてから、ジョウ=ランはちょっと気恥ずかしそうな面持ちで前髪をかきあげた。


「あと、ユーミはまだ町の人間であるので森辺の習わしを守る理由もありませんが、素肌が触れると心臓が騒いでしまいます」


 ユーミが肘で小突いたことを取り沙汰しているのだろう。ユーミは顔を赤くすると、今度はジョウ=ランの足を蹴っ飛ばした。


「これで文句はないでしょ? さっさと行くよ!」


「はい。それでは、リフレイアたちも、またのちほど」


「ええ。わたしは歌も横笛も楽しみにしているわよ」


 ユーミとジョウ=ランは、広場の中央へと歩を進めていく。

 すると、テリア=マスがいそいそとこちらに近づいてきた。


「あ、あの、ユーミの歌が終わるまで、ご一緒させていただけますか?」


「ええ、もちろん」


 さすがにテリア=マスひとりでリフレイアたちの相手をするのは、手に余るだろう。テリア=マスはほっとした様子で、レイナ=ルウに身を寄せていた。

 ちなみにユーミは完全武装の宴衣装であるが、テリア=マスは普段の装束の上に飾り物をつけているのみであった。テリア=マスはあまり飾り物を所有していないはずであるので、きっとユーミから借り受けたものであるのだろう。


「それじゃあ俺たちも、歌と横笛を楽しみませんか?」


 フェルメスは「ええ」と笑顔で快諾してくれた。

 ということで、リフレイアたちとも連れ立って、鑑賞に相応しい場所を探す。俺もユーミの歌は楽しみにしていたので、じっくり聞いておきたかったのだ。


 儀式の火の前に、若い男衆が集まり始めている。横笛を習得した若衆であろう。その中に、ルド=ルウもちゃっかりまぎれこんでいた。


 俺たちは、それを斜めから鑑賞できる敷物が空いていたので、そこに陣取らせていただく。周囲の人々は、ユーミたちを急かすように歓呼をあげ始めていた。


「森辺には、歌の文化が存在しなかったそうですね。そこにあのユーミが、歌の喜びをもたらしたわけですか」


「ええ。森辺には、子守唄ぐらいしか存在しなかったようです。……フェルメスは、歌や横笛を好まれていますか?」


「横笛に興味はありませんが、歌は好ましく思っています」


 そう言って、フェルメスはにこりと微笑んだ。


「歌というものには、その時代を生きた人々の想念が込められていますからね。土地によってわずかずつ歌詞が異なっているのも興味深いですし、深く慣れ親しんだ伝承が美しい旋律に乗せられることも心地好く感じます」


 このような際にも理詰めであるのがいかにもフェルメスらしかったが、何にせよ歌というものを好ましく思っているのなら幸いであった。

 その間に、どこからともなく登場したランの家長が、大きな声を張り上げる。


「それではこの祝宴でも、ユーミに歌というものを披露してもらおうと思う。初めてそれを耳にする客人も多いかとは思うが、楽しんでもらいたい」


 人々は、歓声でそれに応えていた。

 それが静まるのを待ってから、まずはジョウ=ランが横笛を吹き鳴らす。俺が初めて耳にするメロディであった。

 やがて何名かの男衆がそれに旋律を重ねると、しばらくしてユーミの歌声が響きわたった。


「ふむ。『姫騎士の出陣』ですね」


 フェルメスが、低い声で囁いた。

 アップテンポで、陽気で勇壮な、幕開けに相応しい曲である。初めての戦に臨む姫騎士の歌であり、勇ましい歌詞がユーミの声にもぴったりと合っていた。


「……もしかしたら、これは姫騎士ゼリアの歌なのでしょうか?」


 俺が小声で尋ねてみると、フェルメスは「ええ」とうなずいた。


「セルヴァに伝わる伝承の中で、姫騎士といえばすなわちゼリアを指し示します。……そういえば、アスタは姫騎士ゼリアの物語を傀儡の劇で目にしたそうですね」


「はい。あれは見事な劇でした」


 ユーミの歌声に心地好くひたりながら、俺はそのように答えてみせた。

 フェルメスはまぶたを閉ざしながら、「そうですか」と微笑する。


「あの傀儡使いたちの技量は、なかなかのものでありましたね。あの幼さを考えれば、賞賛に値するかと思います」


「はい。ジェノスに戻ってくる日が待ち遠しいです」


「……アスタは姫騎士ゼリアの他にも、何か傀儡の劇を目にされたのでしょうか?」


 ユーミの歌に聞き入っている人々を邪魔せぬように、フェルメスの声はひそめられている。俺も同じように、「はい」と囁き返した。


「ジェノスを出立する前の晩に、ひとつだけ拝見しました。たしか……『ミザと三つの誓い』という題名だったと思います」


「運命神ミザの物語ですか。あれも、興味深い物語ですね」


 フェルメスの身体が、ゆったりと左右に揺れている。俺と言葉を交わしながら、フェルメスもぞんぶんにユーミの歌を堪能している様子であった。


「傀儡の劇において、僕がもっとも好ましく思っているのは、『聖アレシュの苦難』という物語です。アスタは、ご存知でしょうか?」


「いいえ、初耳です。西の王国では有名な物語なのでしょうか?」


「ええ。御伽噺としては、もっとも有名な物語のひとつでしょう。仮面舞踏会においては、オーグ殿が聖アレシュの扮装をしていましたね」


 フェルメスの補佐官であるオーグの扮装というと――たしか、庶民的な鍛冶屋のような扮装であったように記憶している。


「機会があれば、アスタも是非……あの傀儡使いたちの演目に含まれているといいのですが、どうでしょうね」


「どうでしょう。リコたちが戻ってみたら、聞いてみようかと思います」


「ええ、是非」と囁くなり、フェルメスがいきなり俺の手に自分の手を重ねてきた。


「なんだかとても、安らかな心地です。……アスタとこのように語らうのは、ずいぶんひさびさであるように思います」


「そ、そうでしょうか? 城下町でお会いしてから、まだ6日ほどしか経っていないように思いますが……」


「あのときの僕は、外交官として同行していましたので……もちろん今日もそれは変わらないのですが、やはり祝宴の放埓な空気が、僕をこのような心地にさせるのでしょうか」


 フェルメスのまぶたがゆっくりと開かれて、不思議な色合いをしたヘーゼル・アイが、間近から俺を見つめてくる。


「僕はもっと、外交官という立場から離れたところで、アスタと絆を深めたく思っています。アスタも、そのように望んでくれていましたよね……?」


「は、はい。ひとりの個人としてフェルメスと絆を深められれば幸いと思っていましたけれども」


「でしたら、そのように取り計らっていただけないでしょうか……?」


 そのとき、「おい」という頼もしい声が、逆の側から聞こえてきた。

 振り返るまでもなく、アイ=ファである。その山猫のように光る青い瞳までもが想像できそうな、とげのある声であった。


「何をそのように、身を寄せ合っているのだ。私の家人から、手を離していただきたい」


「おや……その身に触れるのを禁じられているのは、異性だけではありませんでしたか?」


 フェルメスはくすくすと笑いながら、俺の手を解放してくれた。


「でも、アイ=ファにも伝えたいことがあったので、ちょうどよかったかもしれません」


「何だ。聞かせていただこう」


「復活祭がやってくる前に、アスタとアイ=ファを城下町に招待したいのです。僕の、個人的な客人として」


 フェルメスは、普段通りの無邪気な笑顔であった。

 俺は逆側を振り返り、アイ=ファの仏頂面を確認する。


「個人的な客人とは、外交官という立場に関わりなく、我らを招きたいという意味であろうか?」


「はい。ですが、外交官としての立場を完全に離れることはできませんので、ジェノス侯爵家および族長筋の人々も、ともに招かせていただきたく思います。アイ=ファたちにしてみても、そのほうがより安心でしょう?」


 アイ=ファは苦い面持ちのまま、「ふん」と鼻を鳴らした。


「そういった話は、のちほどゆっくり聞かせていただきたい。いまは、ユーミの歌のさなかであるからな」


「そうですね。やっぱり僕も、気持ちが浮き立ってしまっているようです。いまはこの素晴らしい歌声を楽しませていただきましょう」


 そう言って、フェルメスは再びまぶたを閉ざしてしまった。

 アイ=ファは俺の顔をひとにらみしてから、ユーミたちのほうに視線を戻す。


(やれやれ。やっぱりこの夜にも、アイ=ファとフェルメスの溝は埋まらなそうだな)


 そしてそれは俺も同様であるのだから、あまり偉そうなことを言えたものではない。アイ=ファほどフェルメスを警戒しているわけではないのだが、これだけ時間をともにしていても、やっぱりフェルメスという存在をどのように解釈するべきか、俺は判じかねているのだった。


(まあ、焦らずゆっくりやっていくしかないよな)


 そんな風に考えながら、俺はぼんやりと視線を巡らせてみた。

 遠く離れた向かいの敷物には、ジザ=ルウやダリ=サウティやメルフリードたちの姿が見える。ポルアースは少し離れたところで、年配の女衆に囲まれているようだ。


 さきほどの敷物では、トゥール=ディンたちがユーミの歌声に聞き入っている。スンの家長も気持ちを落ち着けたのか、真っ直ぐに背筋をのばしていた。


 かまどの前で立ったまま拝聴しているのは、ボズルたちだ。ユーミとはそれなりの仲であるシリィ=ロウは、どのような気持ちでこの歌声を聞いているのだろう。

 そしてそのすぐ近くには、レイ=マトゥアや若い女衆の姿があった。ユーミの歌が始まるまでは、ボズルたちと談笑していたのかもしれない。


 ベイムとナハムの人々は、まだ行動をともにしているようだ。モラ=ナハムの大きな図体は、いい目印になっていた。

 フォウの男衆とヴェラの女衆も、ひっそりと絆を育んでいるのだろうか。その姿は、人影に埋もれて確認できなかった。


 そういえば、今日はまだほとんどデイ=ラヴィッツの姿を見ていないような気がする。彼のことだから、また俺やアイ=ファに近づかぬよう、意識的に距離を取っているのかもしれなかった。


 聴衆の中には、手拍子を打っている人間も少なくない。とりわけ賑やかにしているのは、ガズやラッツの一団であった。彼らはあまりユーミの歌声を耳にする機会もなかったはずであるが、ずいぶんお気に召したらしい。


 ともあれ――これだけあちこちから集まった人々が、心をひとつにしてユーミの歌に聞き入っているのだった。

 この後には、きっと草笛の演奏に合わせて、舞を踊ることになるのだろう。宿場町から導入された、求婚と関わりのないダンスタイムである。


 ほんの少し前までは、血の縁を持たない人間がこれだけ祝宴に集まることさえ考えられなかったのだ。

 しかも今回は、城下町や宿場町からも客人を招いている。そもそも現在、皆の心をひとつにまとめあげているのも、宿場町の民であるユーミであるのだった。


 その中に、フェルメスもこうして腰を落ち着けている。

 内心を読むことは難しいが、ユーミの歌声に聞き入っているのは、きっと演技ではないだろう。


 この場に集まった人々も、さまざまな出来事を経た上で、こうして心を寄せ合うことがかなったのだ。

 フェルメスとも、いつか心から理解し合って、喜びを分かち合える日が来るのだと、俺はそのように信じたかった。


(そういえば……《西風亭》でユーミの歌を聞いたとき、ここにフェルメスもいればよかったのに、みたいなことを考えたときがあったよな)


 その願いは、本日かなえられることになったのだ。

 今後もこうやって、一歩ずつ進んでいけば、きちんと絆を深めることもできるだろう。

 そんな風に考えながら、俺はユーミの心地好い歌声に心をゆだねることにした。

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