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異世界料理道  作者: EDA
第四十五章 祭の前に
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六氏族の収穫祭⑧~交流の輪~

2019.7/15 更新分 1/1

「こちらが、本日の菓子となります」


 トゥール=ディンと手伝いの女衆が木箱の中身を卓の上に並べていくと、周囲からは大きな歓声があがった。

 ガトーショコラ、ロールケーキ、どら焼き、大福餅、チャッチ餅――と、バラエティにとんだラインナップである。なおかつ、ロールケーキはチョコ味の生地とクリームを織り交ぜた4種の組み合わせであり、大福餅にも味の違いを示すための印がつけられている。そうして、人々ができるだけたくさんの種類を口にできるように、ひとつずつがとても可愛らしいサイズで作られていた。


「どうぞ、お召し上がりください、オディフィア。……今日は目新しい菓子を準備できずに、申し訳ありません」


「ううん。どれもまいにちたべたいぐらいだいすきだから、すごくうれしい」


 ようやく気持ちの落ち着いたオディフィアは、プレーンの生地にチョコクリームというロールケーキをつまみあげて、それを口に投じ入れた。オディフィアでさえもがひと口で食せるぐらいのサイズであるのだ。

 オディフィアは、うっとりと目を細めながら、トゥール=ディンを見上げた。


「トゥール=ディン、すごくおいしい」


「ありがとうございます。オディフィアに喜んでいただけたら、とても嬉しいです」


 トゥール=ディンも、幸福そうに微笑みを返す。

 その間に、周囲に集まっていた人々も菓子を堪能していたので、あちこちから賞賛の声があがっていた。


「本当に美味ねえ。でも、さすがにこれだけの量となると、トゥール=ディンだけで作りあげることはできないのでしょうね?」


 エウリフィアの言葉に、トゥール=ディンは「はい」と左右の女衆らを指し示した。


「菓子を担当したのは、わたしを含めたこの4名です。みんな、ディンとリッドの血族となります」


 それは、トゥール=ディンの屋台を手伝っている3名の女衆であった。

 そのうちのひとり、もっとも古くからその仕事を果たしていたリッドの女衆が、オディフィアに笑いかける。


「はじめまして、オディフィア。トゥール=ディンには以前から話をうかがっていたので、お会いできる日を楽しみにしていました」


 大福餅を食していたオディフィアは、もにゅもにゅと口を動かしながら、可能な限り優雅に一礼していた。その愛くるしい姿に、リッドの女衆はいっそう楽しそうに目を細める。


「ディンにもリッドにも、そういう人間はたくさんいると思います。ゼイ=ディンだって、もちろんそうだったでしょう?」


 ゼイ=ディンは、穏やかな面持ちで「うむ」とうなずいた。

 大福餅を食べ終えたオディフィアは、ちょっともじもじしながらトゥール=ディンのほうを見る。


「あのね、さっきゼイ=ディンとおしゃべりしたの」


「そうですか。ゼイ父さんもわたしと同じように口が重たいので、大変ではありませんでしたか?」


「ううん」と、オディフィアはぷるぷると首を振った。

 トゥール=ディンは、ちょっと気恥ずかしそうに微笑んでいる。大事な相手と自分の親が顔をあわせるというのは、やはりどこかくすぐったいような気持ちになってしまうものなのだろう。


「わたしもオディフィアに会えることを楽しみにしていました。力比べの間は、ずっとトゥール=ディンと一緒にゼイ=ディンの応援をしていましたよね」


 そのように言葉をはさんだのは、レイ=マトゥアであった。彼女ももちろん、宴衣装である。


「貴族という身分にあるオディフィアにこのようなことを言うのは、礼を失しているのかもしれませんが……手を取り合って喜んでいるおふたりの姿は、まるで家族のように思えてしまいました」


「何も失礼なことではないわ。あなたもディンの御方なのかしら?」


 エウリフィアが問いかけると、レイ=マトゥアは「いえ」と笑顔で首を横に振った。


「わたしは、マトゥアという氏族の人間です。以前からアスタの屋台を手伝っていて、年齢の近いトゥール=ディンにはずっと心を寄せていたのです」


「ああ、そうなのね。今日は色々な御方にご挨拶ができて、わたくしも嬉しく思っているわ」


 エウリフィアの社交性の前には、俺の仲介などまったく必要はなさそうに思えた。

 それに、いきなりオディフィアがトゥール=ディンに抱きつくというハプニングもあってか、誰も彼もがこちらの両名に好意的な目を向けているように感じられる。少なくとも、貴族に対する緊張感などというものは、これっぽっちも感じられなかった。


「ふん。エウリフィアたちをトゥール=ディンのもとまで案内するという仕事は果たせたのだから、お前も好きに過ごせばいいのではないか?」


 と、かたわらからゲオル=ザザが呼びかけてくる。

 すると、ゼイ=ディンも「そうだな」と俺に向きなおってきた。


「後の案内は俺が引き受けるので、アスタは自由に過ごしてもらいたい。お前はまだ、ろくに食事も口にしていないのではないか?」


「ええ。食事は後でゆっくり楽しませていただこうと考えておりましたので」


 具体的には、アイ=ファの身が自由になったら、一緒にかまどを巡ろうと考えていたのだ。菓子が出されたということは、勇者たちもそろそろ席を立つことが許される頃合いであるはずだった。


「ともあれ、エウリフィアとオディフィアに関しては、俺が責任を持とう。アスタは、自由に振る舞うがいい」


「ありがとうございます。それじゃあ俺は、このへんで――」


 俺がそのように言いかけたとき、「失礼する」という低い声が背後から聞こえてきた。

 振り返ると、馴染み深い面々がずらりと立ち並んでいる。それはベイムとナハムの混成軍であり、声をあげたのはベイムの家長であった。


「菓子が出されたと聞いたのでやってきたのだが、それはこちらで間違いなかったか?」


「あ、はい。そちらの卓に菓子が準備されておりますよ」


「そうか」とうなずいて、ベイムの家長が人垣を分け入っていく。フェイ=ベイムはどこか感情を押し殺しているような表情で、マルフィラ=ナハムはぺこぺこと頭を下げながら、その後を追いかけていく。ベイムのお供の男衆も見知った顔であったし、あまり見覚えがないのは、ナハムの家長――つまりはマルフィラ=ナハムの父親ぐらいのものであった。

 そして、最後のひとりが通りすぎざまに、俺をじろりと見下ろしてくる。モアイのごとき顔貌と頑丈そうな長身を持つ、ナハムの長兄モラ=ナハムである。


「……久しいな、ファの家のアスタ」


「はい。モラ=ナハムもお変わりはないようで」


「うむ」と重々しくうなずいてから、モラ=ナハムも通りすぎていった。

 その長身を横目で見送りつつ、「なんだ、あいつは?」とゲオル=ザザがうろんげにつぶやいた。


「こんな祝宴のさなかに、やたらと気を張っているようではないか。何か、お前に含むものでもあるのか?」


「いえ、とりたてて心配するようなことではないと思います」


 モラ=ナハムは、俺の前でフェイ=ベイムへの気持ちを打ち明けてしまったことを気恥ずかしく思っているようだ、とマルフィラ=ナハムから聞いている。そうすると、あの不愛想な態度も、何やら微笑ましく思えてくるところであった。


「まあ、ラヴィッツの血族とファの家は、浅からぬ因縁があるようだからな。諍いなどを起こさぬように、せいぜい絆を深めておくことだ。……さて、俺ももう少し菓子をいただいておくか」


 ゲオル=ザザも、人垣の中に分け入っていく。エウリフィアとオディフィアはトゥール=ディンたちと楽しげに語らっているので、いよいよ俺もお役御免であるようだった。

 が、きびすを返そうとしたところで、今度は横合いから「おい」と声をかけられる。目をやると、木皿に各種の菓子をのせたベイムの家長が、人垣から脱出したところであった。


「ちょっと待て。アスタに聞いておきたいことがある」


「はい、何でしょうか?」


 ベイムの家長はむっつりとした面持ちで、広場の端のほうに足を向けた。

 首を傾げながらついていくと、周りに人間がいなくなった辺りで、ベイムの家長が俺を振り返ってくる。


「このような話を、血族ならぬお前に問い質すのは筋違いであるかもしれんが……しかし、もとを質せばファの家も無関係ではないのだろうから、そのつもりで聞いてもらいたい」


「はい。どういったお話でしょうか?」


「俺の娘フェイと、ナハムの長兄についてだ」


 声をひそめながら、ベイムの家長がぐっと顔を近づけてくる。

 ちょっと平家蟹を思わせる、四角くて平べったい顔である。


「あいつらは、何なのだ? まさか、家長の俺の知らぬところで、婚儀の約定などを交わしているのではあるまいな?」


「ええ? そのようなことは、決してありえないと思いますが……」


「本当か? ならばあいつらは、どうしてあのようにもじもじと、おたがいの姿を盗み見ているのだ?」


 あの愛想のなさでは引けを取らない両名が、そのように微笑ましい姿を見せる図は、なかなか想像することができなかった。


「あいつらは、祝宴ばかりでなくファの家でもたびたび顔をあわせていたのだろう? その間に、何かあったのではないのか?」


「たびたびといっても、俺が知る限りでは2回ぐらいだと思います。何かあったかどうかについては……やはり、血族ならぬ俺が口をはさむべきではない、と思うのですが、如何でしょう?」


「つまり、何かあったということだな!」


 茹でられた蟹のように顔を赤くしながら、ベイムの家長が詰め寄ってくる。


「アスタ、お前はもはや、まぎれもなく森辺の民であるはずだ。ならば、森辺の習わしにそぐわぬ行いは、決して見過ごしてはならぬはずだぞ?」


「は、はい。それは重々承知しております」


「ならば、どうして語ろうとしないのだ? 俺は、ベイムの家長であるのだぞ?」


「はい。ですから、フェイ=ベイムもモラ=ナハムも、森辺の習わしにそぐわぬ行いなどには及んでいない、と考えています。家長の了承もなしに婚儀の約定を取りつけるなんて、そんなことはありえません」


「本当か? 母なる森に誓えるか?」


「誓います。少なくとも、俺はそのように信じています」


 俺の顔を間近からにらみつけていたベイムの家長は、やがて力尽きたようにがっくりと肩を落とした。


「そうか……ならば、いいのだ。声を荒らげてしまって、すまなかった」


「いえ。俺のことは、どうでもかまいません。……ベイムの家長にそのような不安を抱かせてしまうような雰囲気であったのですか?」


「……フェイは俺に似て、心情を隠すのが下手だからな。あのナハムの長兄にひとかたならぬ思いを抱いていることは、ひと目で知れた。というか、あいつがあんな目で男衆を見るのは、初めてのことであったのだ」


 いくぶん悄然とした声でつぶやきながら、ベイムの家長はミニサイズのどら焼きを口に放り込んだ。


「そうしてよくよく見てみれば、ナハムの長兄も同じような目でフェイのことを見ていた。ついでに言うと、ナハムの三姉はそんなあいつらのことをひどく気づかっている様子であったしな」


「そうですか。……俺は口をはさむような立場ではありませんが、心中お察しします」


「……俺の心中を、察せるというのか?」


「え? ああ、はい。もしもあのおふたりが本当に婚儀をあげたいと願ってきたら、色々と大変でしょう?」


 ベイムの家長は、深く重たい溜め息をついた。


「俺はべつだん、血の縁にこだわっているわけではない。ドムとルティムで婚儀をあげるというのなら、ベイムとナハムで婚儀をあげたって悪いことはなかろう。もちろん、他の血族に影響の及ばない婚儀というものが認められたとしても、ナハムがどのような家であるかは、入念に確かめる必要があるだろうが……いまの森辺に、心悪しき氏族などはないと、俺は信じているからな」


「はあ。それでも、何か気がかりなことがあるのですよね?」


「あるに決まっている。ナハムの家は……ベイムの家から、遠いではないか」


 そう言って、ベイムの家長はいっそう悄然とした面持ちになった。


「しかもあちらは本家の長兄であるのだから、婿に寄越せと言い張ることもできん。フェイがナハムに嫁入りをしたら、そうそう顔をあわせることもかなわなくなるだろう。……せめて、ガズやラッツあたりであれば、気軽に足を向けることもかなうのだがな」


「なるほど……ベイムの家長は、そのような先のことまで見据えた上で、心配をされていたのですか」


 俺は同情するよりも、なんだか微笑ましいような気持ちになってしまった。

 するとベイムの家長は、鋭敏にそれを察した様子で、俺をねめつけてくる。


「なんだ。大事な娘の心配をして、何か悪いことでもあるか?」


「いえ、滅相もない。でも、おふたりが婚儀をあげたいと願うかどうかは、まだわからないですし……それに、許しを与えるかどうかは、それぞれの家長の裁量ですよね?」


「だからといって、そんな理由で婚儀の申し出を断ることはできまい。大事な娘の、幸福がかかっているのだぞ?」


「であれば、まずはフェイ=ベイムのお気持ちが定まるのを見守ってあげるべきではないでしょうか?」


 俺も俺なりに誠意を込めて、そのように答えてみせた。


「フェイ=ベイムだって同じぐらい強い気持ちで、家族とは離れたくないと考えているはずです。それでもなお、モラ=ナハムとの婚儀を願ってくることがあれば、それはそれだけ強い気持ちを抱いたのだという証になります。また、モラ=ナハムだって、決して中途半端な気持ちで嫁取りを願うことはないでしょう。俺は、そのように信じています」


「……俺だって、それぐらいのことはわかっている」


 ベイムの家長はまた肩を落として、ガトーショコラを口に運んだ。


「まったく、難儀なことだ。……これも全部、お前が森辺の習わしをいいように引っかき回してくれたおかげだぞ、アスタよ」


「はい、恐縮です。……でも、血族ならぬ相手との婚儀に関しては、俺も無関係なのではないでしょうか?」


「そんなわけがあるか。お前が引っかき回していなければ、ルティムとドムの間に絆が芽生えるはずもなかったのだからな。ルウの血族と北の一族がどれだけおたがいを忌避していたか、お前は知らんのか?」


 言いながら、ベイムの家長は次々と菓子をたいらげていく。


「……しかし、お前が森辺に現れていなかったら、こんな美味いものを食えるようにはならなかったし、貴族を祝宴に招くようなことにもならなかったのだろう」


 すべての菓子をたいらげたベイムの家長は、「よし」と顔を上げた。


「言いたいことを言ったら、気が済んだ。……手間を取らせたな、アスタよ」


「いえ。何かあったら、いつでもお声をかけてください。俺は、みんなが幸せになることを心から願っています」


「ふん」と平たい鼻のあたりをこすってから、ベイムの家長は身をひるがえした。

 そのずんぐりとした姿が人混みの向こうに消えるのを見届けてから、俺は息をつく。


(モラ=ナハムだって、そんなすぐに嫁取りを願うことはないだろう。じっくり時間をかけて、みんなが納得できるような行く末を迎えられるように、力を尽くしてくれるはずだ)


 そのとき、思わぬ方角から「アスタ」と呼びかけられた。

 俺は思わず、「うひゃあ」と飛び上がってしまう。


「フェ、フェルメス? いったいいつから、そこにおられたのですか?」


「たったいま、アスタの姿をお見かけしたので、近づいてきたところです。驚かせてしまったようで、申し訳ありません」


 暗がりの向こうから、ジェムドを引き連れたフェルメスがひたひたと近づいてくる。その美麗なる面には、いつも通りの優雅な笑みがたたえられていた。


「お、おふたりだけですか? 貴族の方々には案内の人間がつけられるかと思うのですが……」


「僕たちはアスタやゼイ=ディンと合流するので、案内は無用と申し出ました。そうしてこちらに来てみたら、アスタがひとりでたたずんでいるお姿を発見したのです」


 虫も殺さぬ笑顔で、フェルメスはそのように言いたてた。


「どなたか、森辺の男衆と語らっていたようですね。この場から立ち去ろうとする姿を、ちらりとお見かけしただけなのですが……あれは、ベイムの家長だったのでしょうか?」


「ええ、その通りです。ちょっとふたりで語らっておりました」


「そうですか。……よければ、僕たちもあちらに戻りませんか? このような暗がりでアスタと語らっていたら、またアイ=ファに険しい目を向けられてしまいそうです」


 フェルメスのほうからそのように言ってもらえるのは、幸いであった。

 熱気の渦巻く祝宴の場へと足を向けながら、俺はフェルメスに尋ねてみる。


「そういえば、アイ=ファを含む勇者の方々はどうされたのでしょう? そろそろ彼らも腰をあげる頃合いではなかったですか?」


「そうなのですか? 僕たちがあの席で語らっていると、女衆の方々がたくさんの料理を運んできてくれたので、まだしばらくは同じ場に留まる様子でした。……それで、僕とジェムドだけが失礼することになったわけですね」


 では、アイ=ファなどはさぞかしやきもきしていることだろう。

 俺としてはしっかり気を引き締めつつ、フェルメスと交流を深めさせていただきたいところであった。


「それでは、どうしましょう? ゼイ=ディンたちと合流しますか?」


「それは、アスタにおまかせいたします。ただ、菓子の置かれた屋台には、ゼイ=ディンもエウリフィアもいらっしゃらないようでしたね」


 ならば、仕事を終えたトゥール=ディンとともに、かまど巡りでもしているのだろう。


「それじゃあ、こちらはこちらで俺がご案内いたします。行く先々で、森辺の同胞をご紹介いたしましょう」


「はい。お願いいたします」


 そうして俺は、フェルメスおよびジェムドと3名で広場を巡ることになった。

 しかし、広場には森辺の同胞があふれかえっている。俺の胸に無用の不安や緊張が生じることはなかった。


「それにしても……森辺の民の生命力というのは、本当に比類なきものであるのですね」


 人混みをかき分けて進みながら、フェルメスがそのようにつぶやいた。


「外交官となってから、僕はさまざまな領地の賑わいをこの目で見届けることになりました。でも、これほどの熱気と活力にあふれた祝宴というのは、ついぞ目にした覚えがありません」


「ああ……そのお気持ちは、俺にもわかると思います」


 長きの時間を森辺で過ごしている俺であっても、この祝宴の熱気には、いまだに胸を打たれてしまうのだった。

 家族や友と語らいながら、果実酒の土瓶を傾けて、ギバの料理を食している。ただそれだけの話であるのに、その場にはえもいわれぬ生命力が渦巻いているように感じられるのだ。


「……アスタの故郷では、如何でしたか?」


 フェルメスが、そろりと問うてくる。

 歩きながら、俺はその優美なる笑顔を見返した。


「如何とは? 俺の故郷の祭と比べてどうであるか、という意味でしょうか?」


「ええ、その通りです」


「それはもちろん、これほどの熱気を感じたことはありません。俺も町の生まれですからね。これはきっと、自然の中で暮らす森辺の民ならではの熱気であるのでしょう」


「そうですか。でも、アスタの故郷というのは、ジェノスの城下町にも負けない豊かさを有していたのでしょう? そうでなければ、アスタもあれほどの調理技術を身につけることはかなわなかったはずです」


 フェルメスはあくまで世間話のような口調であり、その眼差しにも妖しい光が灯ることはなかった。

 それを確認してから、俺は「そうですね」と応じてみせる。


「確かに、それぐらい豊かな町であったと思います。でもやっぱり、祝宴の熱気では森辺にかないません」


「ええ。豊かさで活力の度合いが定められるのでしたら、王都やジェノスの城下町では、森辺を上回る活力が生まれるはずですからね。アスタの言う通り、これは母なる森の内で暮らす森辺の民ならではの活力であるのでしょう」


「はい、俺もそのように思います。……フェルメスは、俺の故郷に関心をお持ちなのですか?」


 俺は、そのように切り込んでみた。

 しかしフェルメスは、「いえ」と首を振る。


「アスタの故郷そのものに関心があるわけではありません。ただ、ジェノスの城下町にも負けない豊かさを持つ町で育ったアスタが、どうしてそのように森辺の暮らしに順応することができたのかと、それをお尋ねしてみたかったのです」


「それはきっと、森辺の人たちの懐が深かったためだと思います。俺のように得体の知れない人間のことを、こうして受け入れてくれたのですからね」


「ですが、そうして受け入れられるまでには、相応の時間と苦労が必要であったのでしょう? その間に、たとえば宿場町に移り住みたいなどとは考えなかったのでしょうか?」


「はい。宿場町は危険な場所だと聞かされていたので、そのような思いを抱くことにはなりませんでした」


「では、宿場町がもっと安全な場所であったなら、移り住みたいと願っていたのでしょうか?」


 今度は、俺が「いえ」と首を振る番であった。


「俺が初めて宿場町に下りたのは、森辺を訪れてからそれなりの時間が過ぎてからとなります。その頃にはもう、森辺を離れようという気持ちはありませんでした」


「それなりの時間とは? アスタが初めて宿場町に下りた日付は、どの資料にも記載されていませんでした」


 とてもやわらかい口調でありながら、フェルメスはぐいぐいと切り込んでくる。俺はなるべく正確な答えを返そうと、しばし思案することになった。


「ええと……俺もはっきりとは覚えていませんが、半月以上ひと月未満ぐらいの期間を森辺で過ごしてからだと思います」


「半月以上ひと月未満」と、フェルメスは楽しそうに繰り返した。


「それは、人間が自分の運命を決するのに、十分な長さを持つ時間であったのでしょうか?」


「はい。俺にとっては、そうでした。というか、俺にとってはすべてが見慣れぬ異郷だったので、森辺の外で暮らすという発想自体が生じなかったのだと思います」


「なるほど。それぐらい、森辺の集落というのは居心地がよかったのでしょうか? それとも……それは、アイ=ファ個人に対する思い入れであったのでしょうか?」


 俺は不意打ちをくらった気分で、はからずも頬を熱くすることになった。


「……ええ、まあ、その頃の俺にとっては、ファの家の居心地のよさが、森辺における居心地のよさに直結していたのだろうと思います。でも、ルウ家の人たちにも思い入れを抱いておりましたよ」


「そうですか。森辺の民の有する魅力が、アスタの心を満たしたということなのですね」


 フェルメスは可憐な少女のように、にこりと微笑んだ。


「それならば、僕にも理解できるように思います。森辺には、魅力のある人々がこれだけ存在するのですからね」


「はい。ご理解いただけて、嬉しく思います」


 俺がほっと息をついたところで、ようやく最初のかまどに到着した。

 ディンとリッドの女衆が、ギバ肉のミソ煮込み料理を配っている。そして、そのかたわらに敷かれた敷物には、宴衣装を纏ったレイナ=ルウの姿があった。


「やあ。レイナ=ルウにも、なかなか挨拶ができなかったね」


「ああ、アスタ――」と微笑みかけたレイナ=ルウの顔が、途中でいくぶん硬くなる。俺のかたわらに控えているお人の姿に気づいたのだろう。


「……フェルメスもご一緒であったのですね。アスタがご案内をしていたのですか?」


「うん。レイナ=ルウは、ひとりだったのかな?」


「はい。ルドはどこかに行ってしまったので、こちらの方々と語らっていました」


 その敷物に腰を落ち着けているのは、さまざまな氏族の女衆であった。仕事を終えたフォウやラン、客人として招かれたガズやアウロやミームなど、さまざまである。ただ、宴衣装を纏った若い人間が多く、その大半は俺の屋台や下ごしらえの仕事を手伝ってくれている面々であった。


 俺はそれらの人々を、片っ端からフェルメスに紹介していく。

 それが済むのを待ってから、レイナ=ルウがあらためて俺に問うてきた。


「……アイ=ファは、ご一緒ではなかったのですか?」


「アイ=ファはまだ、勇者の席みたいだね。ジザ=ルウやメルフリードたちと語らってるんじゃないかな」


「そうですか」と、レイナ=ルウが立ち上がった。


「ちょうどわたしも、腰を上げようとしていたところであったのです。よろしければ、ご一緒させていただけますでしょうか?」


 それは俺ではなく、フェルメスに向けられた言葉であった。

 フェルメスは「もちろん」と無邪気に微笑む。


「それでは、次のかまどに向かいましょうか。よく考えたら、フェルメスは魚介の料理しか口にできないのですものね」


「はい。ですが、もうぞんぶんに料理は口にしていますので、お気遣いは無用です」


 それでは、と俺たちは次なるかまどに向かう。つつましやかな表情をたたえつつ、レイナ=ルウはこっそりと探るような視線をフェルメスに向けていた。


 レイナ=ルウも、いまだフェルメスに心を開けずにいるのだろう。

 願わくは、俺もレイナ=ルウもこの夜で、いくばくかはフェルメスとの距離感を縮めさせていただきたいところであった。

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