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異世界料理道  作者: EDA
第四十五章 祭の前に
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六氏族の収穫祭⑦~秘めたる思い~

2019.7/14 更新分 1/1

「そういえば、狩人の力比べは如何でしたか?」


 ランの家長たちにひとときの休息を与えるべく、俺は率先して話題を振ってみせた。

 すかさず食いついてくれたのは、やはりポルアースである。その丸っこいお顔には、これまでともまた異なる昂揚の色が浮かんでいた。


「あれはもう、最初から最後まで驚かされっぱなしであったよ! なんというか、身体のつくりからして異なっているのだろうかねえ。厳しい訓練に耐えたジェノスの騎士や兵士たちでも、あれほどまでの動きを見せることはできないはずさ!」


 すると、エウリフィアも「ええ、本当に」と声をあげた。


「闘技会のとき以上に、わたくしも驚かされてしまったわ。あのときも、シン=ルウはもちろんゲオル=ザザだって、信じ難いほどの剣技を見せてくれたものだけれど……」


「ふん。俺はそちらのメルフリードにもレイリスにも、あえなく敗れてしまった身だがな」


 それほど気を悪くした様子もなくゲオル=ザザが口をはさむと、エウリフィアは人をそらさぬ笑顔でそちらに向きなおった。


「ええ。だからわたくしは、伴侶やレイリスがどれだけ途方もないことを成し遂げたのかを痛感することになったのでしょう。森辺の狩人に打ち勝つ人間がいるなんて信じられない、という心境になってしまったわけね」


「それはべつだん、不思議なことでもない。シン=ルウとゲオル=ザザは、着慣れぬ甲冑を纏うという不利を強いられていたのだからな」


 当事者であるメルフリードが、冷徹なまでの沈着さでそのように応じていた。


「そうでなければ、わたしがゲオル=ザザを打ち負かすことなど、できようはずもない。……シン=ルウと相対したジェムド殿よりも短い時間で剣を落としていたことだろう」


 そのジェムドは、相変わらずフェルメスの影のようにひっそりとして、何も答えようとしなかった。

 その端正なる面を横目で見やりながら、ゲオル=ザザは「ふん」と鼻息をふく。


「まあ何にせよ、森辺と町では力比べの作法も異なるということだ。俺とて森辺の力比べであれば、メルフリードにもそちらのジェムドなる者にも負ける気はしないが、町の作法ではそういうわけにもいかぬのだと思い知らされている」


「あら、だけどゲオル=ザザは、その後にレイリスを打ち負かしたのでしょう? また闘技会に出場したら、前回以上の活躍を見せられるのじゃないかしら?」


 これがエウリフィアでなければ、挑発しているようにも取られかねない言葉である。しかし、酒で顔を赤くしながら、ゲオル=ザザは悠然と笑っていた。


「レイリスとの勝負はついたので、俺はもう気が済んでいる。またあの闘技会とやらに森辺の狩人を招こうという心づもりなら、別の狩人に機会を与えてやるがいい」


「ふうん? わたくしの伴侶には興味をもってくれていないのかしら?」


「メルフリードを打ち負かすには、そのための修練が必要となろう。しかし俺は、狩人であるのだ。剣士としての修練などに時間を割いているひまはない」


「そうなのですね」と、穏やかな声があがった。

 フェルメスがゆったりと微笑みながら、ゲオル=ザザを見やっている。


「ですが、森辺の狩人が剣士としての修練を積めば、またとない力が得られることでしょう。それこそ、この大陸で最強の剣士になりおおせることも可能なのではないでしょうか?」


「……だから俺たちは、剣士ではなく狩人であると言っているのだが?」


 ゲオル=ザザは、愛想のない目つきでフェルメスをねめつけた。

 それを受け流すように、フェルメスはふわりと可憐に微笑む。


「僕はあの、シュミラル=リリンという御方のことを考えていたのです。彼は森辺の狩人として生きながら、商人としての生活も続けるのでしょう? そうしてふたつの仕事に身を置くことが許されるのであれば、森辺の狩人も狩人のまま、剣士として生きることができるのではないでしょうか?」


「ふん。それはあやつが、もともと商人という立場であったからであろうが? 森辺の狩人が余所の仕事にうつつを抜かしていれば、森からギバがあふれかえってしまうわ」


「現段階では、そうなのでしょうね。ですが、森辺の民は商売で得た豊かさと猟犬の恩恵で、これまで以上の力を持つことがかなったのだと聞きます。この生活が10年も20年も続けば、いずれ狩人の仕事にのみ注力する必要もなくなるのではないでしょうか?」


 そう言って、フェルメスは何かを追いかけるように視線をさまよわせた。


「そうなったとき、森辺の民はどのような道を進むのか……僕はとても、興味深く思っています」


「ふん。10年も20年も先の話など、頭を悩ませる甲斐もない。俺たちは、目の前の仕事を果たすだけだ」


 興味なさげに言い捨てて、ゲオル=ザザは果実酒をあおった。

 フェルメスは、はにかむようににこりと笑う。


「申し訳ありません。森辺の民というのは、僕の想像力をかきたててやまない存在であるのです。いまのは外交官としてではなく、僕個人の空想や感慨であったので、どうぞお聞き捨てください」


「そのように詫びられるまでもなく、誰もが聞き捨てていたと思うぞ」


 明け透けに語り合うふたりの姿に、ダリ=サウティなどは苦笑を浮かべていた。

 そして俺の隣では、ランの家長が額の汗をぬぐっている。外交官と族長の長兄が諍いなどを始めてしまったら如何にするかと気を張っていたのだろう。これまでの気苦労も偲ばれるところであった。


「……それにしても、6氏族の狩人たちの力には、俺も驚かされることになった」


 ダリ=サウティが、気を取り直したように発言した。


「正直に言って、俺は小さき氏族のことを見くびっていたのかもしれん。ディンやリッドなどはまだしもザザ家の眷族であったが、ファのみならずフォウの血族がこれほどまでの力を備えていようとは、思ってもみなかったのだ」


「うむ。これだけの狩人がひしめく力比べで、3名もの血族が勇者の座を勝ち得たことを、俺も誇りに思っている」


 背筋をのばしながら、ランの家長がそのように応じた。

 ダリ=サウティは、「うむ」とそちらに向きなおる。


「俺はそれほど、狩人の力量を見定めることを得意にはしていない。しかし、力比べに取り組む姿を目にすれば、さすがに感ずるものはある。仮に、サウティの血族がこの6氏族と力比べを行ったとしても……勇者の座を勝ち取ることは、難しかろうな」


「しかし、ダリ=サウティは比類なき力を持つ狩人であろう」


「どうであろうな。俺が得意にするのは荷運びと棒引きであるが、よほど組み合わせに恵まれなければ、勝ち進むことは難しいようだ」


 と、そこでダリ=サウティの笑いを含んだ目が、俺のほうに向けられた。


「そして、闘技の力比べでは、アイ=ファにかなう気がしない。狩人としての力量はもちろん、あの気迫と執念には舌を巻くことになったぞ」


「はい。俺もなんだか、胸が詰まってしまいました」


「アイ=ファの内には、誰よりも強い誇りが宿されているのだろう。それはもしかしたら、女衆でありながら狩人を志したアイ=ファならではの誇りであるのかもしれん。たとえ女衆であっても、自分は狩人として生きるのだ、と……俺はアイ=ファがそんな風に叫んでいるように思えてしまったのだ」


 そう言って、ダリ=サウティはふっと息をついた。


「男女の区別など関係なく、アイ=ファは狩人に相応しき人間だ。俺は心から、そのように納得することができた。アイ=ファには、狩人としての生を全うしてもらいたく思う。アイ=ファのような女衆がそうそう生まれ落ちることはなかろうから、それで森辺の秩序が乱されることにはなるまい」


「ふん。俺の血族には、アイ=ファの真似をしている強情者がいるがな」


 ゲオル=ザザが皮肉っぽく笑いながら発言すると、ダリ=サウティも「ああ」と笑った。


「レム=ドムに狩人の資格があるかは、今後の行い次第であろう。生命のあるうちに正しき道を見出せることを願っている」


「ディック=ドムが目を光らせていれば、危ういことにはなるまい。猟犬のおかげで、森に朽ちる危険は少なからずやわらげられたところであるしな」


 ポルアースやエウリフィアたちは、実に楽しげな面持ちで両者のやりとりを聞いていた。

 潤滑油としての仕事を果たすためには、どの方向に話を広げるべきであろう、と俺は視線を巡らせて、その末にジザ=ルウへと照準を定めた。


「ジザ=ルウは、如何でしたか? ルド=ルウなんかは、アイ=ファたちと的当ての勝負がしたい、なんて言っておりましたよ」


『ギバ・カツ』をかじっていたジザ=ルウはそれを呑み下してから、「そうだな」とうなずいた。


「俺も、ダリ=サウティと同じ心地だ。この力比べで勇者になった者たちは、ルウの血族の勇者と比べても遜色のない狩人だと思う」


「ほほう! ルウの血族の狩人と比べてもですか!」


 ポルアースの言葉に、ジザ=ルウは「うむ」と応じる。


「実際に、アイ=ファはルウの血族の力比べでも勇者の座を勝ち得た狩人であるし……それにたしか、ルドやシン=ルウはあのジョウ=ランなる狩人に闘技の力比べで勝ち越すことができなかったと言っていたはずだ」


「ああ、ルド=ルウ殿やシン=ルウ殿は、ルウの血族において勇者の身であるというお話でしたね。なるほどなるほど!」


「スドラの家長やリッドの家長も、驚くべき力を持っているようだし……それに、貴方もな」


 と、ジザ=ルウの糸のように細い目が、ランとディンの家長の間に座した人物に向けられた。

 そこに座していたのは、ずっと無言であったゼイ=ディンである。


「今日の力比べでは勇者の座を逃していたが、貴方は随所でその力を示していた。きっとギバを狩る力においては、スドラの家長にもリッドの家長にも負けていないはずだ」


「ええ。ゼイ=ディンは、わたしたちの誇りです」


 リフレイアたちと談笑していたラッド=リッドの伴侶が、すかさず相槌を打つ。口の重たいディンの家長は、重々しくうなずくばかりだ。

 そして当のゼイ=ディンは、なんと応じればいいかもわからぬ様子で、静かに頭を下げている。その姿を真っ直ぐに見やりながら、ジザ=ルウはさらに言葉を重ねた。


「……貴方はたしか、スン家の生まれであったのだな?」


「うむ。家長会議にて大罪が暴かれたのち、ディンの家に引き取られることとなった」


「かつての族長筋たるスン家には、強き血が受け継がれているのだろう。かつてスン本家の末弟であったミダ=ルウも、ルウの集落においてその力を示している」


 そんな風に述べてから、ジザ=ルウは口もとをほころばせた。


「ただし、誇りなき狩人に力は宿らない。貴方やミダ=ルウは、正しく生きねばならないと強く志したからこそ、その身の力を引き出すことがかなったのだろう。貴方が同胞として正しき魂を取り戻せたことを、心から祝福したいと思う」


 ゼイ=ディンは「いや……」と少し口ごもった。


「……その道を示してくれたのは、すべての森辺の同胞に他ならない。俺たちは、同胞の温情に救われたのだ」


「ふふん。やはりトゥール=ディンに似て、殊勝な気性だな」


 愉快そうに笑いながら、ゲオル=ザザも声をあげてくる。

 この場にいないトゥール=ディンに代わって、俺は誇らしい気持ちでいっぱいであった。


(そういえば、オディフィアはずいぶん静かだな)


 トゥール=ディンと引き離されて、オディフィアはやきもきしているのではないかと、俺はいささか心配に思っていたのだが、彼女はずっと母親のかたわらでぼんやりと座していた。まるで、本物のフランス人形さながらである。

 すると、俺の視線に気づいたのか、エウリフィアがオディフィアに微笑みかけた。


「オディフィアはずいぶん静かになってしまったわね。まさか、眠たくなってしまったわけではないでしょう?」


 オディフィアは母親の顔を見上げてから、「うん」とうなずいた。

 だけどやっぱり、その灰色の瞳はふわふわと焦点を定めていないように見える。


「それじゃあ、いったいどうしたのかしら? さっきまでは、あんなに浮き立っていたじゃない」


「いまも、うきたってる。……なんだか、ゆめのなかみたいなの」


 普段以上にたどたどしい口調で、オディフィアはそのように述べたてた。


「トゥール=ディンとこんなにたくさんおしゃべりできたのははじめてだし、トゥール=ディンのりょうりをたべることができたのもはじめてだし……このあとには、またトゥール=ディンとおしゃべりできるし、トゥール=ディンのおかしをたべることもできるから……オディフィアは、すごくしあわせなの」


「そう。まさしく夢見心地というわけね」


 エウリフィアは口もとに手をやって、くすくすと笑った。


「でも、せっかくこうしてゼイ=ディンも来てくれたのだから、オディフィアもお相手をしたらどうかしら? きっとディンの人たちは、オディフィアのためにゼイ=ディンをよこしてくれたのよ?」


 オディフィアは何度かぱちぱちとまばたきを繰り返してから、ゼイ=ディンのほうを見た。

 しかしすぐに母親のほうに向きなおると、のびあがってその耳もとに口を寄せる。

 愛娘の内緒話を聞き終えたエウリフィアは、「まあ」と楽しげに微笑んだ。


「ゼイ=ディンに失礼があったらトゥール=ディンに嫌われてしまう、ですって? それなら、失礼がないように振る舞うべきでしょう?」


 オディフィアは、慌てふためいた様子で、母親の腕を引っ張った。その小さなお顔は無表情のままであったが、頭の上に汗の記号でも浮かびあがっていそうな様相である。


「トゥール=ディンのご家族とご縁を結ぶ機会なんてなかなかないのだから、きちんとなさい。きっとゼイ=ディンだって、あなたと絆を深めたいと思ってくれているはずよ」


 オディフィアは、とてもおずおずとした様子でゼイ=ディンのほうを見た。

 ゼイ=ディンは、どのように応じるべきかを悩んでいるような様子で、それと相対する。


 ゼイ=ディンは、ちょっとリャダ=ルウと似たところのある、渋みのきいた男衆である。年齢は30歳前後で、口髭がよく似合っており、なかなか男前であろうとも思う。ただ、寡黙にして謙虚な人柄でもあるので、そうそう幼子の扱いに長けているとは思えなかった。


「どうかしら、ゼイ=ディン? あなたも家で、オディフィアのことは聞き及んでいたのでしょう?」


 そんなゼイ=ディンに助け船を出すべく、エウリフィアが言葉を重ねる。

 ゼイ=ディンは居住まいを正しつつ、「うむ」とうなずいた。


「そちらのオディフィアに菓子を届けるという仕事を任されたことで、トゥールはいっそうかまど番として励むようになったと思う」


「ええ、本当に面倒な仕事を引き受けていただいて、とても感謝しているわ。ご覧の通り、オディフィアはトゥール=ディンに夢中なの。トゥール=ディンの作る菓子ばかりでなく、トゥール=ディンそのものにもね」


「うむ。それはきっと、トゥールのほうも同様であるのだろう」


「ほんとうに?」と、オディフィアが身を乗り出した。

 ゼイ=ディンは、しかつめらしく「うむ」と応じる。


「城下町から戻った日などは、ずっとオディフィアについて語らっている。まるで恋慕の情のようだと、家人にからかわれるほどだ。きっとトゥールにとって、オディフィアはかけがえのない存在であるのだろう」


「オディフィアも、トゥール=ディンがだいすきなの」


 オディフィアの灰色の瞳が、強くきらめいていた。

 それを見返したゼイ=ディンは、とても優しげに微笑を浮かべる。


「トゥールがオディフィアに出会えたことを、俺は心から嬉しく思っている。どうか今後も、トゥールと絆を深めてもらいたい」


 オディフィアはこくりとうなずいてから、ゼイ=ディンの笑顔をまじまじと見つめた。


「わらいかたが、トゥール=ディンにそっくり。……オディフィアは、あなたのこともすき」


「うむ。俺もオディフィアのことを好ましく思っている」


 あまり喋ることを得意にしていないふたりが、精一杯の思いを込めて、相手に心情を伝えようとしている。

 エウリフィアやポルアースは和やかな笑顔であったが、俺などはちょっと胸が詰まるぐらいの思いであった。


「それにしても、トゥール=ディンは遅いな。アスタもこうやって姿を現したというのに、あやつはまだ仕事のさなかであるのか?」


 ふたりの姿を満足そうに見やっていたゲオル=ザザが、ふいに俺へと語りかけてきた。


「あ、はい。トゥール=ディンは菓子の準備も受け持っているので、俺よりも忙しいのだと思います。でも、そろそろ手が空く頃合いではないですかね」


「ふん。ずいぶん長らく腰を落ち着けていたし、そろそろこちらから出向いてやってもいいのではないか?」


 ゲオル=ザザの提案に、エウリフィアも「そうね」と微笑んだ。


「わたくしどもも、広場の様子を拝見したいわ。どなたかにご案内をお願いできるかしら?」


「では、俺たちも腰をあげるとするか」


 族長たるダリ=サウティの発言で、その場の全員が腰をあげることになった。

 俺とゼイ=ディンは、エウリフィアとオディフィアをトゥール=ディンのもとまで案内するようにと、ランの家長から申しつけられる。ゲオル=ザザも当然のように同行を願い出て、それ以外のメンバーはひとまず勇者たちのもとに向かうことになった。


「リフレイアとは、あんまり喋れなかったね」


 別れ際に耳打ちすると、リフレイアは「いいわよ」とすました顔で肩をすくめた。


「わたしは日の高いうちにさんざんあなたと喋っていたから、この時間は他のお人に譲ろうと考えていたの。……ただし、会の終わりまで引っ込んでいるつもりはないからね」


「うん。それじゃあ、また後で」


 リフレイアを含めた一行は、儀式の火を回り込んで、勇者たちのもとに向かう。

 その姿を見送りつつ、ゲオル=ザザは「ふむ」と下顎を撫でた。


「あの外交官めは、こちらへの同行を願い出るかと思ったのだがな。アスタへの執着というやつは、いくぶん収まったのか?」


「さあ、どうでしょう。でも、あのお人は外交官としての職務を全うしようというお気持ちが強いようですからね。いまはまだ、ダリ=サウティや家長たちとともにあるべきだと考えたのではないでしょうか」


 そんな風に答えてから、俺はエウリフィアとオディフィアに、これから進むべき方向を指し示してみせた。


「それでは、ご案内いたします。こちらにどうぞ」


 こんなこともあろうかと、俺は各班のかまどの配置をおおよそ把握していた。トゥール=ディンの取りまとめる班のかまどは、西から南にかけての区域のはずである。


 キャパオーバー寸前の広場は、人でごった返している。建築屋の一団を招いた祝宴でも思ったことだが、《アムスホルンの寝返り》が起きる前であったら、もっと参加者を絞る必要に駆られたことだろう。あの大地震で家を補修するために樹木を伐採して、この広場はいくぶん面積を広げることになったのだ。


 熱狂する人々とぶつかってしまわないように、俺たちは慎重に歩を進めていく。

 そのさなかに、「あの」と声をかけられた。誰あろう、オディフィアからである。


「らーめんっていうりょうり、すごくおいしかった。あれは、あなたがつくったんでしょう?」


 オディフィアと直接言葉を交わすのは、俺にしてみてもあまり覚えのない話であった。

 しずしずと歩を進める幼き姫君に向かって、俺は「はい」と笑いかけてみせる。


「俺ひとりではなく、みんなで作りあげた料理ですが、責任者は俺です。ご満足いただけましたか?」


「うん。にくだんごっていうりょうりも、シャスカのりょうりもおいしかった。あなたのりょうりも、オディフィアはすき」


 誰にうながされたわけでもなく、オディフィアが自らそのような思いを伝えてきてくれたのだ。俺はなんだか、トゥール=ディンの幸福感を少しばかり実感できたような心地であった。


「ありがとうございます。オディフィアにそのように言ってもらえたら、とても嬉しいです。トゥール=ディンの料理も、口にされたのですよね?」


「うん。トゥール=ディンのりょうりも、すごくすごくおいしかった。タラパのしるものりょうりが、いちばんおいしかった」


「ああ、『タラパ仕立てのモツ鍋』ですね。あれはトゥール=ディンがオディフィアのために、頑張って作りあげたのですよ」


 オディフィアの目が、ほんの少しだけ見開かれた。奥ゆかしい気性をしたトゥール=ディンは、きっとこの話も本人に伝えていなかったのだろう。


「以前までのあの料理は、もっと辛い味付けだったんです。でも、オディフィアは辛い味付けを少し苦手にしているでしょう? だから、オディフィアにも喜んでもらえるように、あれこれ工夫を凝らしたんですよ」


「……そうなの?」


「はい。でもこれは、収穫祭の宴料理ですからね。まず一番に、同胞に喜んでもらうことを考えなければなりません。だから、オディフィアと森辺の同胞のどちらにも喜んでもらえるようにと、それはもう頑張ったみたいですよ」


 しずしずと歩きながら、オディフィアは俺の顔をじっと見上げている。

 すると、一緒に歩いていたエウリフィアが代わりに発言した。


「本当にトゥール=ディンというのは、情の深い人間であるのね。わたくしこそ、トゥール=ディンとオディフィアが出会えたことを、森と西方神に感謝したい気分だわ」


「はい。俺も同じ気持ちです」


 俺は心から賛同しつつ、エウリフィアにも笑顔を返した。

 すると、首をのばしたゲオル=ザザが「おお」と声をあげる。


「ようやく見えてきたぞ。トゥール=ディンはまだ小さいので、見つけるのに苦労してしまうな」


 ゲオル=ザザほど身長に恵まれていない俺たちがトゥール=ディンを発見できたのは、それから数秒の後だった。

 ちょうど菓子を出すところであったのだろうか。かまどの横に並べられた卓の上に木箱を置いた体勢のまま、周囲の人々と言葉を交わしている。


 実にさまざまな人々が、トゥール=ディンを取り囲んでいるようだった。

 老若男女も、氏族の区別もない。客人として招かれたガズやダゴラの女衆、フォウやランの男衆、スフィラ=ザザやレイ=マトゥアなど、俺に判別がつくだけでも、それだけバラエティにとんでいた。


 それに対するトゥール=ディンは、いくぶん困ったように眉を下げている。早く菓子を並べなければと思う反面、せっかく声をかけてくれる人々をじゃけんにすることもできずにいるのだろう。

 しかしそれでも、トゥール=ディンは幸福そうだった。

 きっとトゥール=ディンが幸福な気持ちになれるような言葉を、周囲の人々がかけてくれているのだ。


 俺がひそかに感慨を噛みしめていると、エウリフィアの「あら」という声が聞こえてきた。


「オディフィア、いったいどうしたの?」


 振り返ると、オディフィアが母親の腰に取りすがっていた。

 表情の動かない顔の中で、灰色の瞳に透明のしずくが光っている。俺も慌てて足を止めることになった。


「ど、どうしました? どこかお加減でも?」


「ううん……オディフィアは、うれしいの」


 オディフィアは、その小さな手で母親の外套をぎゅっと握りしめている。

 涙を浮かべた灰色の瞳は、一心にトゥール=ディンの姿を見つめていた。


「ああ、そういうこと……だから、心配はいらないと言っておいたでしょう?」


 エウリフィアはやわらかく微笑みながら、愛娘の髪をそっと撫でた。

 それから、俺にも微笑を向けてくる。


「実はね、オディフィアは昨日まで、トゥール=ディンのことを心配していたのよ。トゥール=ディンは、森辺の集落で幸福に暮らせているのか、とね」


「え? それはどういうことでしょう?」


「ほら、例の傀儡の劇よ。わたくしたちも、あの劇を城下町で拝見させてもらったの」


 それは、森辺の民に関心の強いエウリフィアであれば、当然のことだろう。ただ、オディフィアまで同席していたというのは、初耳であった。


「それで、傀儡の劇を見終えた後に、どうしてトゥール=ディンが出てこないのかと、オディフィアに問われたのね。その説明をする中で、トゥール=ディンの素性を伝えることになったのよ」


「トゥール=ディンの素性というと……スンの分家が出自である、ということですか?」


「ええ、そうね。そうしたら、スン家の血族であったトゥール=ディンは、森辺の民にどのような扱いを受けているのか、それが心配になってしまったみたいなの。すでにスン家の罪は贖われているのだから、何も心配はいらないと言っておいたのだけれど……自分の目で確認するまでは安心できなかったのでしょうね」


 俺は、心から驚かされることになった。

 ゼイ=ディンもいくぶん息を詰めた様子で、オディフィアの小さな姿を見下ろしている。


「でも……それは、紫の月の頭の話ですよね? 先日、茶会でお会いしたときには、そんな素振りも感じませんでしたけれど……」


「それはだって、トゥール=ディン本人に尋ねるわけにもいかないでしょう? だからオディフィアも、懸命に不安を抑えていたのよ」


 そう言って、エウリフィアはまたオディフィアの頭を撫でた。


「でも、これですっかり安心ね。さあ、トゥール=ディンの菓子をいただきましょう、オディフィア?」


 オディフィアは「うん」とうなずくと、懐から出した織布で目もとをぬぐった。

 すでにトゥール=ディンのもとに到着していたゲオル=ザザは、うろんげにこちらを見やっている。


「おい、そのような場所で何をやっておるのだ? トゥール=ディンと語らうためにやってきたのだろうが?」


 オディフィアが織布をしまうのを待ってから、俺たちはそちらに近づいていった。

 トゥール=ディンは、さきほどまでよりも幸福そうに微笑んでいる。彼女も宴衣装を纏っており、その胸もとにはオディフィアから贈られた飾り物がきらきらと輝いていた。


「ああ、オディフィア。ちょうど菓子を出すところであったのです。そちらから来てくださったのですね」


 オディフィアは母親のもとを離れて、トゥール=ディンのもとまで駆け寄った。

 そして無言のまま、その胸もとに取りすがる。トゥール=ディンは、びっくりまなこでその背中に手を回した。


「ど、どうされたのですか、オディフィア? 菓子が待ちきれなかったのですか?」


「ううん」と首を振りながら、オディフィアはトゥール=ディンの身体を抱きすくめる。

 トゥール=ディンはしばらく心配そうに眉を下げていたが、やがて慈愛に満ちた微笑とともに、オディフィアの小さな頭をそっと抱きかかえた。


「大丈夫ですよ、オディフィア。父なる西方神ばかりでなく、この場では母なる森もわたしたちを見守ってくれています。何も悪いことが起きたりはしません」


 小さな声で「うん」とうなずきながら、オディフィアはトゥール=ディンを離そうとしなかった。

 周囲の人々も不思議そうにしていたが、彼女たちを見守るその瞳には、とても優しげな光が灯されていた。

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