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異世界料理道  作者: EDA
第四十五章 祭の前に
761/1682

六氏族の収穫祭⑤~闘技~

2019.7/12 更新分 1/1 ・7/13 文章を追加・修正しました。

 力比べの最後の競技は、言わずと知れた闘技である。

 足の裏と手の平を除く部位が、地面に着いたら敗北となる。あとは、対戦相手に傷を負わせないという前提のもとに、すべての攻撃が有効とされる、至極シンプルな競技であった。


 この闘技の力比べで、アイ=ファは2回連続優勝している。

 それに、ルウの血族の力比べにおいても、その比類なき力を示していた。アイ=ファがこの競技で敗北したのは、2回きり――左肘の脱臼が治ってすぐの頃にダン=ルティムに敗北したのと、あとはジザ=ルウに負傷をさせてしまったゆえの反則負けのみであるのだった。


(だけど……今日はどうなんだろう)


 6氏族の狩人たちがくじ引きをしている間、俺はずっと落ち着かない心地であった。

 どうも今回の力比べにおいて、アイ=ファは消耗の度合いが大きいように感じられたためであった。


 もともと苦手にしている荷運びの競技はさておくとして、的当てでも木登りでも棒引きでも、アイ=ファは何度となく接戦にもつれこみ、その末に勝利を失うことになった。もしかしたら、それは6氏族の狩人たちが豊かな生活を送れるようになったことで、これまで以上の強靭さを身につけることになったゆえなのではないか、と――俺はそのように思い始めてしまっていた。


(美味なる料理や豊かな生活のおかげで、みんなの力が増したっていうんなら、そんなに嬉しい話はない。でも……アイ=ファはもともと貧しい生活にあえいでいたわけではないから、他の氏族の人たちほどの変化がないっていうことなんだろうか)


 もしくは、伸びしろの問題もあるのだろうか、などと俺は考えてしまう。

 アイ=ファはもともと、尋常でない力を持つ狩人であった。女衆でありながら、これほどの力をつけることはできるのかと、誰もが驚嘆するほどであったのだ。


 もしもそれが、潜在能力をすべて引き出した結果であったのなら――そして、貧しさにあえいでいた小さき氏族の人々は、いままさに潜在能力を引き出されているさなかであるのだとしたら――今後、アイ=ファとの差はどんどん縮まっていくのかもしれない。そんな考えが、俺の胸中にはわだかまってしまっていたのだった。


「アスタは、どうしたのかしら? ずいぶん悩ましげな顔をしているようだけれど」


 と、リフレイアがけげんそうに俺の顔を覗き込んでくる。

 俺は「なんでもないよ」と、気力を振り絞って笑ってみせた。


「ただ、アイ=ファが勇者になれるように祈っているだけさ。他の人たちだって、みんな自分の家族がいい結果を残せるように祈っているんじゃないのかな」


「そう。わたしは身内の人間が闘技会に出たりすることもなかったから、そういう心情がよくわからないのよね」


 そう言って、リフレイアは小さく肩をすくめた。


「まあ、わたしがこの中でもっとも縁が深いのはファの家なのだから、わたしも一緒にアイ=ファの健闘を祈らせてもらおうかしら」


「うん、ありがとう。リフレイアにそんな風に言ってもらえたら心強いよ」


 すると、俺たちの背後から聞き覚えのある声が響いた。


「でも、ここにはけっこうな力を持つ狩人も多いからなー。アイ=ファだって、そう簡単には勝てねーだろうぜ?」


「あれ、ルド=ルウ、どうしたんだい?」


「いや、ずっと同じ場所にいるのも飽きちまったから、アスタの顔を覗きに来たんだよ。さぞかし気を揉んでるだろうと思ってさー」


 頭の後ろで手を組みながら、ルド=ルウはにっと笑った。


「たぶんアイ=ファは、この中で一番くたびれてるだろうからなー。これで勇者になれたら、むしろそっちのほうがすげーと思うよ」


「そ、それはやっぱり、接戦の勝負が多かったからかな?」


「ああ。しかもアイ=ファは、男衆より細っこいだろ? 荷運びでも木登りでも棒引きでも、他の連中よりは余計に力を使うはずだからなー」


 ルド=ルウの解説により、俺はいっそうの不安を抱え込むことになってしまった。

 そんな中、ついに抽選のくじ引きが完了する。


「それでは、闘技の力比べを開始する! 最初に力比べを行うのは、ライエルファム=スドラとアイ=ファだ!」


 俺は、我が耳を疑うことになった。

 よりにもよって、2回連続で決勝戦を行うことになった両名が、1回戦目の第1試合でぶつかることになってしまったのだ。6氏族の家人たちも、誰もが驚きの声をあげていた。


「へー、いきなりスドラの家長かよ。あいつは俺でも勝てるかどうか、わかんねーんだよなー」


 俺はもう、とにかく祈るしかないようだった。

 人々の輪の中で向かい合った両名は、とても静かな眼差しで相手を見やっている。


「では、始め!」


 ランの家長の号令とともに、ライエルファム=スドラがアイ=ファのもとに跳びかかった。

 ティアをして、赤き民の狩人を思わせると言わしめた、誰よりも敏捷な身のこなしである。アイ=ファはなんとかその突進を回避すると、今度は自分からライエルファム=スドラにつかみかかった。


 しかしその頃には、ライエルファム=スドラも別の場所に跳びすさっている。

 あとはもう、目にも止まらぬ攻防の繰り返しであった。


「りょ、両名ともに、凄まじい身のこなしです。まさか、これほどのものとは……」


 と、ムスルが驚愕のうめき声をあげている。

 しかし俺はアイ=ファたちの戦いに目を奪われて、そちらを振り返ることもできなかった。


 広場は、歓声に包まれている。

 まるで、これが勇者を決する戦いであるかのような熱狂だ。

 そんな歓声の渦巻く中、アイ=ファとライエルファム=スドラは余すところなくその力をぶつけ合っていた。


 どれだけの時間が過ぎようとも、決着の時はなかなか訪れない。

 さきほどの棒引きのように、アイ=ファの動きが急にがくりと落ちるのではないかと、俺は気が気ではなかった。


「頑張れ、アイ=ファ! アイ=ファなら、勝てるぞ!」


 周囲に渦巻く歓声に負けぬように、俺も声を張り上げることになった。

 ユーミもテリア=マスも、何か大きな声をあげている。見る人間の心を震わせてやまない、それは激烈なる勝負であったのだ。


 アイ=ファに突進をかわされたライエルファム=スドラが、ふっと地面に沈み込む。

 その右足が、地面と平行に旋回して、アイ=ファの右足を刈ろうとした。

 アイ=ファは右足を持ち上げて、それを回避する。

 するとライエルファム=スドラは左足1本で跳躍し、片足立ちのアイ=ファの腰に組みつこうとした。


 アイ=ファは身をよじりながら、ライエルファム=スドラの背中に手をのばす。

 その指先が腰の帯に触れる寸前、ライエルファム=スドラは空中でぎゅるりときりもみ回転した。

 アイ=ファの指先は弾かれて、ライエルファム=スドラは地面に右の手の平をつく。そのまま片腕で側転をしたライエルファム=スドラは、アイ=ファの手の届かない場所に着地した。


「いまのでも決まらねーのかよ! どっちもすげーな!」


 ルド=ルウが、昂揚しきった声をあげている。

 それと同時に、今度はアイ=ファがライエルファム=スドラに突進した。


 小柄なライエルファム=スドラよりもさらに頭を下げた、低空のタックルだ。

 ライエルファム=スドラはわずかに腰を屈めると、地面を蹴って真上に跳躍した。

 するとアイ=ファは、ライエルファム=スドラの真下に到着したところで、身を起こした。

 その腕が、ライエルファム=スドラの足をつかまんと、上方にのばされる。

 その腕を蹴り払ったライエルファム=スドラの足が、アイ=ファの首を左右からはさみ込んだ。


 そうしてライエルファム=スドラが空中で身をよじると、アイ=ファの身体がバランスを崩して、斜めに傾いた。

 このままでは、アイ=ファのほうが先に倒れ込んでしまう。

 すると、アイ=ファが信じ難いことをした。

 身をよじるライエルファム=スドラを追いかける格好で、地を蹴って、半ひねりの前方宙返りを試みたのだ。


 その首を両足ではさまれたまま、アイ=ファの身体がライエルファム=スドラよりも高い位置に舞い上がる。

 その段階で、ライエルファム=スドラは拘束を解除した。

 ふたりの身体は空中で分離して、それぞれ地面に着地する。


 着地した瞬間、アイ=ファはまた地面を蹴っていた。

 ライエルファム=スドラは体勢不十分のまま、横合いに跳びすさろうとする。

 その胸もとをアイ=ファの右手がひっつかんだ。

 そしてアイ=ファの右足が、ライエルファム=スドラの右足を蹴り払う。


 もつれあって、両者は転倒した。

 ライエルファム=スドラは、仰向けで倒れ込んでいる。

 そして、腹ばいの姿勢であったアイ=ファは――両足の先と左の手の平で、自分の身体を支えていた。


「アイ=ファの勝利である! ……いや、両名ともに見事であった!」


 ランの家長の宣言とともに、歓声が爆発する。

 それを聞きながら、アイ=ファは地面に崩れ落ちた。

 ライエルファム=スドラの胸もとを右手でつかんだまま、激しく背中を上下させている。天を仰いだライエルファム=スドラも、しばらくは立ち上がれずに荒い息をついていた。


「やったやった! アイ=ファが勝ったじゃん!」


 と、ルド=ルウが俺にヘッドロックを仕掛けてきた。

 とても苦しかったのだが、それがなければ俺も地面にへたり込んでいたかもしれない。それぐらい、俺は脱力してしまっていたのだ。

 目の端には、ユーミとテリア=マスが抱き合って歓声をあげている姿が映っていた。


「やはりアイ=ファもライエルファム=スドラも、闘技の勇者に相応しい狩人であるな。それが最初に力を比べることになってしまうとは……母なる森も、ずいぶん思いきったことをしてくれるものだ」


 ランの家長が感服しきった様子で言いながら、ふたりのもとに膝を折った。


「立てるか、アイ=ファよ? いちおうお前は女衆であるから、迂闊に触れることがかなわぬのだ」


「うむ……大事ない」


 かすれた声で応じながら、アイ=ファはふらふらと身を起こした。

 ライエルファム=スドラもひとつ大きく息をついてから、ひょこりと起き上がる。


「うむ。この身の力を残らず振り絞ることができたので、俺は満足だ。……また次の勝負に臨まなくてはならぬアイ=ファは、難儀なことだな」


 アイ=ファは、「いや……」としか答えなかった。

 たぶん、それ以上の言葉を発する余力も残されていないのだ。

 ルド=ルウにヘッドロックをされていなければ、すぐにでもアイ=ファのもとに駆けつけたいぐらいであった。


「次の勝負は、まだ先であるからな。十分に身を休めるがいい」


 ランの家長の言葉に従って、アイ=ファたちは退いていく。

 アイ=ファのもとに、革の水筒を携えたサリス・ラン=フォウが駆け寄る姿を確認して、俺はほっと息をつくことになった。


「それでは、次の勝負を開始する! 両名は、前に!」


 大柄の人影と小柄な人影が進み出る。

 それはラッド=リッドと、13歳になったばかりのディンの若衆であった。


「あー、こりゃーさすがに見るまでもねーな」


 ラッド=リッドは、ものの数秒でディンの若衆を退けていた。

 そしてその次は、バードゥ=フォウとマサ・フォウ=ランである。闘技を苦手とするマサ・フォウ=ランは、これまたあっけなく敗北を喫していた。


「この調子でいくと、リッドの家長の次はフォウの家長と当たりそうだな。……もしかしたら、今回アイ=ファは勇者になれねー巡りあわせなのかもなー」


「そ、そんなことはないよ。前回だって前々回だって、アイ=ファはそういった力のある狩人を下してきたんだし……」


 俺が弱々しく反論すると、ルド=ルウは「そうかー?」と黄褐色の頭をかき回した。


「でも本当に、よりにもよってって感じだよなー。リッドの家長はもちろん、フォウの家長だって、けっこうな力を持ってるはずだぜー?」


「それでもわたしたちにできるのは、懇意にしている相手を応援することだけでしょう?」


 と、リフレイアが口をはさんできた。


「わたしとアスタは、アイ=ファの応援をしているの。できれば、水を差さないでいただきたいものね」


「あー、悪かったな。俺だって、アイ=ファに勝ち進んでほしいと思ってるけどよ」


 そんな人々の思惑も余所に、勝負は進められていた。

 チム=スドラはリッドの男衆に勝利し、ジョウ=ランはディンの男衆に勝利し、ゼイ=ディンはフォウの男衆に勝利する。ランの家長もディンの家長も、1回戦で敗退することはなかった。


 そして、アイ=ファとラッド=リッドの勝負である。

 最初の収穫祭で、アイ=ファはラッド=リッドに勝利している。しかし今回は、そのときにもまさる大接戦であった。

 アイ=ファが疲れているためであるのか、ラッド=リッドが力を増しているためなのか、それはわからない。何にせよ、6氏族で1番の怪力である上に、かなりの俊敏さも兼ね備えているラッド=リッドは、指折りの強敵であるはずだった。


「こいつもすげーな。アイ=ファがダン=ルティムとやりあったときのことを思い出しちまうよ」


 そのときも、たしか試合時間は15分以上に及んだのだ。

 今回も、それに近いぐらいの長丁場であったことだろう。

 しかし――アイ=ファは、からくも勝利することができた。

 最後にはラッド=リッドの突進を受け流して、見事に大内刈りめいた技を決めることに成功せしめたのである。

 人々は大歓声をあげ、ラッド=リッドは「むふう!」と荒い鼻息をあげることになった。


「このたびも力及ばなかったか! 頭から突っ込まぬように心がけていたのに、最後で我慢が切れてしまったわ!」


 そうして立ち上がったラッド=リッドは、汗まみれの顔でアイ=ファに笑いかけていた。


「しかし、アイ=ファに負けることは、決して恥ではないからな! 次の収穫祭も楽しみにしているぞ、アイ=ファよ!」


 アイ=ファはぜいぜいと息をつきながら、ただうなずいていた。

 次の試合ではバードゥ=フォウが順当に勝ち進み、その次はジョウ=ランとディンの家長の試合であった。


「お、こいつも気になる組み合わせだな」


 ルド=ルウは、興味津々の面持ちで身を乗り出していた。

 ユーミはもちろん、祈るような面持ちである。


 しかし、この勝負にそれほどの時間はかからなかった。

 ディンの家長の猛攻は凄まじかったが、ジョウ=ランはそれをふわりふわりと受け流して、最後には小手返しのような技で相手を地面に転がしていた。


「んー、あのディンの家長もけっこうな力を持つ狩人だと思うんだけどな。やっぱジョウ=ランにはかなわねーか」


「ほんと? それじゃあジョウ=ランも、それなりの力を持ってるってこと?」


 喜色をあらわにしてユーミが詰め寄ると、ルド=ルウは「当たり前だろ」と舌を出した。


「俺だって、ラウ=レイなんかと一緒に力比べをしたとき、ジョウ=ランには負け越しちまったんだからな。なんかあいつって、動きが読みにくいんだよ」


「ふーん。たしかルド=ルウも、ルウ家でそれなりの狩人なんだよね?」


「俺はこれでも、勇者のひとりだよ。ま、親父やジザ兄にはまだ勝てたことがねーけどな」


「そっかあ。そんなルド=ルウに勝ち越せるなら、それだけでもすごいことだよね!」


 ユーミが満面に笑みを浮かべると、ルド=ルウは「ちぇっ」と舌を鳴らした。


「そういう顔は、ジョウ=ランのやつに見せりゃあいいだろ? あいつに負け越した俺に見せる顔じゃねーや」


「あ、ご、ごめん。気を悪くしちゃった?」


「べっつにー。色恋で浮かれる人間なんて、珍しくもねーからなー」


 ユーミは顔を赤くして「もう!」と手を振り上げたが、さすがに自制してルド=ルウを引っぱたこうとはしなかった。

 その間にも、力比べは進められている。ランの家長もチム=スドラも勝ち進み、最後の試合ではゼイ=ディンがフォウの男衆を下していた。


「あれ? ゼイ=ディンの試合が最後ってことは……また次にはアイ=ファとやりあうってこと?」


「ああ。その前に、まずはフォウの家長だけどなー」


 第3回戦の第1試合、アイ=ファとバードゥ=フォウの勝負である。

 これまでの収穫祭でも、さきほどの棒引きでも、バードゥ=フォウの強さは示されている。とりわけ俺は、バードゥ=フォウがこれまで以上に力強く感じられていた。


 やはり棒引きや闘技の力比べでは、その気性も大きく反映されるのだろう。ラッド=リッドなどは戦い方も豪快であるし、ジョウ=ランはどことなくつかみどころがないように感じられる。ディンの家長はやや不器用ながらも押しの強さがあり、ゼイ=ディンなどは堅実でありながら、ここぞというときに見せる爆発力が秀でていた。


 そして、バードゥ=フォウの戦い方というのは、慎重にして、的確である。

 無駄な動きを見せることなく、相手の出方をじっくりとうかがいつつ、間隙を突いて鋭い攻撃を仕掛けてくる。そういえば、盤上遊戯の合戦遊びにおいても、バードゥ=フォウはかなりの強者であるのだった。


(でも、前回の闘技では、けっこう簡単にアイ=ファが勝ってたんだよな)


 前回の収穫祭においても、アイ=ファは棒引きと闘技の両方でバードゥ=フォウに勝利していた。ただ、棒引きは接戦でありながら、闘技は圧勝であったという印象が強かったのだ。


 だが、このたびの力比べは、いささか様子が異なっていた。

 やっぱりバードゥ=フォウの力強さが増しているように感じられるのだ。


 そこまで大きく体形が変わったわけではないのに、ひとつひとつの所作の力感が異なっている。そんな相手にどっしりとかまえられるのは、アイ=ファにしてみてもやりづらいのではないだろうか。

 それにやっぱり、アイ=ファは疲弊しているように見えてしまう。その青い瞳に宿った闘志の炎は、むしろ激しくなっているぐらいであるのだが、それすらも必死に自分を駆り立てているように思えてしまうのだ。


 しかし――それでもアイ=ファは、勝利をもぎ取っていた。

 バードゥ=フォウがなかなか大きく動かないと見るや、まるでスドラの狩人さながらに敏捷な動きを見せて、相手を攪乱しようという戦法に打って出たのだ。


 疲弊した身で、しかも相手は沈着なるバードゥ=フォウであるのに、それで本当に大丈夫なのだろうかと、俺は息を呑む思いであった。

 それでもアイ=ファは一瞬の間隙を突いて、バードゥ=フォウの長身を地面に転がしていた。

 それはまるで、小さな山猫が巨大なヘラジカの咽喉笛に喰らいついて、執念で組み伏せたかのような様相であった。


 一戦一戦が、薄氷の勝利である。

 闘技においてはずば抜けた力を持つアイ=ファが、初めて見せる苦戦の連続であった。


「これでまた、かなり力を使っちまったな。ちっとばかり休んだぐらいじゃあ、ロクに回復できねーはずだ」


 ルド=ルウも、いつしか真剣な眼差しになって、そのように述べていた。

 次の試合ではジョウ=ランがリッドの男衆を打ち負かし、ランの家長もチム=スドラもゼイ=ディンも勝ち残る。これにて第3回戦は終了し、5名の狩人が勝ち進むことになった。


「では、勝ち残った5名には小休止を与える。己の力を示したい者は、この間に力を比べるがいい」


 そして、今後の対戦の組み合わせが発表された。

 最初の試合は、アイ=ファとゼイ=ディン。

 次の試合は、準決勝戦として、ジョウ=ランとランの家長。

 次に、最初の試合の勝者とチム=スドラで、もうひと組の準決勝戦が行われるとのことである。

 その内容を耳に収めてから、俺はリフレイアたちを振り返った。


「あの、申し訳ないけれど、ちょっとアイ=ファに声をかけてきてもいいかな?」


「何も申し訳ないことはないわよ。早く行っておあげなさい」


 俺はうなずき、人垣の中に突入した。

 その道すがらでアイ=ファの行方を問い質し、示された方向に足を向ける。アイ=ファは人垣から外れた場所で、サリス・ラン=フォウに付き添われつつ、樹木にもたれてぐったりと座り込んでいた。


「ああ、アスタも来てくださったのですね」


 ほっとしたように、サリス・ラン=フォウが微笑みかけてくる。

 いっぽう、アイ=ファは不愛想な目つきで俺をねめつけてきた。


「どうしたのだ? お前は客人たちの案内役であろう?」


「うん。いまは案内が必要な時間でもないから、アイ=ファの様子を見に来たんだよ」


 アイ=ファの様子に、普段と変わるところはなかった。

 ただ、バードゥ=フォウとの対戦からそれなりに時間が経っているはずであるのに、その引き締まった腹部が大きく上下している。金褐色の髪はしっとりと濡れそぼり、しなやかな肩には汗の粒が光っていた。


「ふん。おおかた、私がそろそろ土をつけられるのではないかと案じているのであろう。そのような懸念は、不要だ」


「うん。だけど、アイ=ファがここまで疲れた姿を見せることは、そうそうないだろう? だから、ひと声かけておきたくってさ」


「何も案ずる必要はない。確かにこのたびの力比べでは、これまで以上に力を振り絞ることとなったが……これほど喜ばしい話はあるまい」


 そう言って、アイ=ファはふっと目もとをやわらげた。


「これはきっと、どの狩人も日を重ねるごとに力をつけているという証であるのだ。お前のもたらした美味なる食事と、宿場町での商売がもたらした豊かさが、いよいよ実を結んだという証であるのだろう」


「俺も、そんな風に感じたよ。でも……」


「でもではない。お前は、何を案じておるのだ?」


 アイ=ファはわずかに目を細めると、口もとにまで微笑を広げた。


「この森辺において、もっとも美味なる食事を毎日口にしているのは、この私であるのだ。私とて、これまで以上の力をつけることができている。だから、案ずる必要はないと言っているのだ」


 アイ=ファの手が俺の胸ぐらを優しくひっつかみ、引き寄せてきた。

 アイ=ファの微笑が、俺の視界いっぱいに広がる。


「力比べに勝利できずとも、狩人の恥になることはない。これだけ力のある狩人が集った力比べであるならば、なおさらにな。……だけど私はファの家の誇りに懸けて、最後まで勝ち進んでみせよう。お前はそれを、いつも通り待っていればいいのだ」


「……そっか。いつも通り、心配しながら信頼していればいいんだな」


「そうだ」とひとつうなずいてから、アイ=ファは名残惜しそうに俺の胸もとから手を離した。


「では、お前も自分の仕事を果たすがいい。そして、客人とともに力比べの結果を見届けるのだ」


「うん、わかったよ。サリス・ラン=フォウ、アイ=ファをお願いします」


「はい。おまかせください」


 俺は最後にアイ=ファへと笑いかけてから、きびすを返すことにした。

 やっぱり俺が感じていたことなんて、アイ=ファはすべて了承していたのだ。

 その上で、アイ=ファは力を振り絞っている。俺にできるのは、その姿を最後まで見届けることだけだった。


 そうしてしばらくののち、力比べは再開された。

 アイ=ファの最初の相手は、ゼイ=ディンである。

 これまでのゼイ=ディンも、ポジションとしてはバードゥ=フォウに似ていた。棒引きではアイ=ファと互角の勝負をしながら、闘技ではまったく力及ばなかったのだ。


 そのゼイ=ディンが、今回はアイ=ファに食い下がっていた。

 緩急の効いたゼイ=ディンの攻撃に、アイ=ファが苦しめられている。また、ディンとリッドの人々の声援が凄まじく、それがゼイ=ディンをいっそう後押ししているようにも感じられた。


 ディンとリッドの血族の中で、ここまで勝ち進めたのはゼイ=ディンひとりであったのだ。

 血族の期待を一身に背負ったゼイ=ディンは、かつてないほどの力でアイ=ファを苦しめることになった。


 そうして、あっという間に5分ぐらいの時間が過ぎた頃――ゼイ=ディンの腕が、アイ=ファの左肩と右手首を捕らえた。

 そのままアイ=ファの右側に踏み込み、外側から足を刈ろうとする。

 すんでのところでそれを回避したアイ=ファは、逆にゼイ=ディンの足を大きく薙ぎ払った。


 気づけばアイ=ファも、ゼイ=ディンの肩と手首をつかんでいる。

 片足重心となったゼイ=ディンの身体をねじ伏せて、アイ=ファはその背中を地面に叩きつけた。


「それまで! アイ=ファの勝利である!」


 本日何度目かの大歓声が響きわたる。

 ゼイ=ディンは満ち足りた面持ちで、アイ=ファに何か囁きかけていた。


 そうして次に行われたジョウ=ランとランの家長の勝負も、それに負けない大接戦であった。

 きっと両者ともに、おたがいの手の内は知り尽くしているのだろう。つかみどころのないジョウ=ランの動きにも惑わされることなく、ランの家長がいくぶん優勢に試合を進めているように見えた。


 しかし最後には、ランの家長の突進を受け止めたジョウ=ランが、かなり強引な力技で、相手を地面に転がしていた。

 柔道めいた攻防で決着がついたアイ=ファたちに対して、こちらはまるで相撲のごとき決まり手であった。


「では、しばしの休息の末、アイ=ファとチム=スドラの力比べを開始する」


 ランの家長の代わりに審判役をつとめていたバードゥ=フォウが、そのように宣言した。

 力の余っている男衆たちが、我先にと広場の中央に進み出る。こういう時間の力比べは誰か適当に審判をつけて、同時に複数の勝負をするのが常であった。


 早い段階で敗退してしまったラッド=リッドなどは、「俺を負かす人間が出てくるまでは下がらんぞ!」と言い放ち、何名もの狩人を返り討ちにしていた。ゼイ=ディンやバードゥ=フォウはアイ=ファとの戦いで疲弊したのか、静観のかまえである。

 それに、ライエルファム=スドラもさきほどの小休止から、ずっとその強さを見せつけていた。やはり、トーナメントの上位にくいこむような手練れでなければ、ラッド=リッドやライエルファム=スドラを打ち負かすことは難しいようである。


 そうして10分ばかりの時間があっという間に過ぎ去ると、アイ=ファとチム=スドラの名が呼ばれた。

 期待に満ちた歓声の中、ふたりの勝負が始められる。


 ライエルファム=スドラに似たところのあるチム=スドラは、やはりその敏捷さでアイ=ファを翻弄しようとした。

 しかしアイ=ファも受け身に回ろうとはせずに、バードゥ=フォウ戦で見せたような俊敏なる動きで、チム=スドラに対抗した。


 以前の力比べで実現した、ライエルファム=スドラとチム=スドラの一戦を思い出させるような、スピードとスピードの勝負である。

 この後に決勝戦が控えていることなど、きっとどちらも考えていないのだろう。余力を残すことなど決して許されない、それは身を削るような戦いであった。


 イーア・フォウ=スドラやユン=スドラは、チム=スドラのために声援を張り上げている。

 もちろん俺は、アイ=ファのために声援を張り上げていた。

 そうして5分、10分と、時間は見る見る過ぎていき――さすがに両者の動きが鈍り始めたとき、唐突に勝負は決せられた。


 いったんバックステップしたアイ=ファが、ふいにこれまで以上の俊敏さで地を蹴って、ひと息に距離を詰めたのだ。

 俺の目でははっきりと視認できなかったが、どうやらアイ=ファは身を屈めて、チム=スドラの左膝に手をかけつつ、逆の手で右肩を押したようだった。


 チム=スドラは背中から倒れ込み、アイ=ファはその上を宙返りする格好で、やはり背中から倒れ込む。

 同じ格好で胸を上下させる両者の上に、歓声の雨が降り注いだ。


「アイ=ファの勝利である! ……しかしチム=スドラも、ライエルファム=スドラに負けぬ動きであったぞ」


 ランの家長が手を貸して、チム=スドラを立ち上がらせる。

 アイ=ファは自力で立ち上がり、天空を見上げながら、ぜいぜいと息をついていた。


 ついに、決勝進出だ。

 また小休止となって、場つなぎの力比べが行われている間も、俺の心臓はずっと高鳴ったままだった。


 周囲では、ひっきりなしに歓声があがっている。

 ライエルファム=スドラとラッド=リッド、バードゥ=フォウとゼイ=ディンという、力ある狩人たちの勝負が始められていたのだ。


 その4名の狩人は、やはり別格であるように思えてならなかった。

 そしてアイ=ファは、そのすべてを打ち負かした上で、決勝戦にまで進出したのである。

 そんなことのできる人間が、そうそういるとは思えない。

 これだけでも、アイ=ファは驚嘆に値する強さを示しているのだ。

 しかし――勝負は、まだ終わっていない。

 俺はさまざまな想念に胸の中を引っかき回されながら、その瞬間を待ち受けることになった。


 しばらくののち、ひときわ大きな歓声があがる。

 小休止の間、ずっと戦い続けていたふた組の勝負が、ほとんど同時に終わりを迎えたのだ。

 大接戦の末に勝利をもぎ取ったのは、ライエルファム=スドラとゼイ=ディンであった。


「それでは、闘技の力比べの、最後の勝負を開始する!」


 歓声の中、ランの家長が厳かに宣言をする。

 ユーミは胸もとで手を組みながら、興奮を隠しきれない様子で俺を見やってきた。


「アスタ! 恨みっこなしで、応援しようね!」


「うん、もちろん」


 その決勝戦も、決して簡単に終わることはなかった。

 最初の収穫祭でごくあっけなくアイ=ファに敗れ去ったジョウ=ランも、バードゥ=フォウやゼイ=ディンに劣らぬ粘りを見せたのだ。


 もともとジョウ=ランは身長もそれなりであったし、パワーもスピードも人並み以上であるように感じられる。しかし、それ以上に小器用で、相手の力を受け流すのに長けているように感じられた。

 ただし、パワーやスピードで圧倒されると、意外にもろいところがある。ミダ=ルウやライエルファム=スドラや、ファの家で修練を積んだラウ=レイなどには、なかなか勝つこともかなわなかったのだ。


 しかし、ルド=ルウやシン=ルウは、このジョウ=ランを苦手にしていた。

 平均よりは小柄でありながら、ライエルファム=スドラのようにスピードに特化しているわけではないルド=ルウたちにとって、ジョウ=ランというのはかなり相性が悪い相手であったようなのだ。


 そしてアイ=ファは体格でいうと、ちょうどルド=ルウたちに近い。

 アイ=ファがかつてジョウ=ランに圧勝できたのは、問答無用のスピード勝負で出鼻をくじくことができたからなのかもしれない。

 そんな風に思えてならないぐらい、今日のジョウ=ランは難敵で、相性も最悪であるように感じられてしまった。


 それにやっぱり、ジョウ=ランもこれまで以上に成長しているのだろう。

 美味なる食事と、豊かな生活と――そして、ユーミの存在によって、彼は大きく成長していたのだ。

 それでも俺は、咽喉が痛くなるまでアイ=ファを応援し続けた。


「頑張れ、アイ=ファ! あきらめなければ、絶対に勝てるぞ!」


 数分間に及ぶ死闘の末、ついにアイ=ファの動きが落ち始めた。

 その間隙を見逃さずに、ジョウ=ランがアイ=ファの右肩をつかむ。

 アイ=ファは後ずさろうとしたが、それよりも早く、ジョウ=ランが足を踏み込んだ。ランの家長のときと同じように、力ずくで押し倒そうとしているのだ。


 アイ=ファの身体が、頼りなく傾いていく。

 しかし、すべての運命にあらがうかのように、アイ=ファの右足が地面を踏みしめた。

 それと同時に、肩にかけられたジョウ=ランの腕を、両手で抱え込んでいる。

 ジョウ=ランが反応するより早く、アイ=ファはおもいきり身体を屈めていた。

 身体をひねったアイ=ファの腰に、ジョウ=ランの腰が乗る。一本背負いの体勢だ。


 その瞬間、ジョウ=ランの身体が宙に跳ね上がった。

 アイ=ファの一本背負いに先んじて、自ら地を蹴って跳躍したのだ。

 片腕は握られたままであるが、両者の腰は離れている。そのまま宙返りをして、着地しようという算段であるのだろう。


 その過程で、ジョウ=ランの腕を離したアイ=ファの右手が、ジョウ=ランの帯をひっつかんだ。

 まだ宙返りの途上であるジョウ=ランの左腕と帯をつかんだまま、アイ=ファがさらに身を沈める。


 裂帛の気合とともに、アイ=ファはジョウ=ランの身体を地面に叩きつけた。

 肩から地面に落ちたジョウ=ランは、そのままばたりと大の字にひっくり返る。


「ああ……今日こそ勝てると思ったのになあ」


 ジョウ=ランのつぶやきは、大歓声によってかき消されることになった。

 ランの家長が、我に返った様子で声を張り上げる。


「アイ=ファの勝利である! 闘技の勇者は、ファの家長アイ=ファとする!」


 その声すらもかき消されそうになるほどの、大歓声であった。

 ジョウ=ランは首と右肩を回しながら、ゆっくりと立ち上がる。それに対して、アイ=ファはがっくりと膝をついていた。


「ほら、アスタが手を貸してあげれば? 他のお人は、アイ=ファにさわっちゃいけないんでしょ?」


 と、ユーミが笑顔で俺の背中を押してきた。

 その顔にも、充足しきった笑みが浮かべられている。


 大歓声の中、俺はアイ=ファのもとまで駆け寄ることになった。

 片膝をついて大きくあえいでいたアイ=ファは、俺の存在に気づくと、子供みたいに無邪気な顔で微笑んだ。


「どうだ? 約定は守ってみせたぞ」


「うん」と応じながら、俺もアイ=ファのもとにひざまずく。

 こんなに大勢の目がなかったら、俺は迷わずアイ=ファの身体を抱きすくめていたことだろう。

 俺は嬉しさと誇らしさで息が詰まりそうになりながら、アイ=ファに肩を貸して立ち上がらせた。

 人々は、津波のような歓声で、アイ=ファの勝利を祝福してくれていた。

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[一言] 761話まで読了  小休止中に、かまど番特製スペシャルドリンクでパワー復活!・・・・てのはないのか。 トゥルー・ディンの特製エネルギー・バーでパパ復活!とか、それを見た城下町の騎士がこぞ…
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