六氏族の収穫祭③~荷運び・木登り~
2019.7/10 更新分 1/1
力比べの第2の競技は、荷運びであった。
2、3名の幼子が乗った引き板を引っ張りながら、50メートルほどの距離を走って、そのタイムを競うという、そういった競技である。
これは競技者の体格の如何に拘わらず、荷物となる幼子たちの重量は一律で定められている。丸太と木の板でこしらえたシーソーのような道具を使って、幼子の組み合わせが決定されるのだ。俺の目分量では、おおよそ7、80キロぐらいの重量であるはずだった。
そうして荷物の重量が一定であるならば、やはり足の速さよりも全身の筋力がものを言うのだろう。この競技では、体格のいい狩人がそろっているリッドとディンの氏族が猛威をふるうことになる。
なおかつ、弓の名手には小柄な狩人が多かったので、的当てとは対照的な結果となるのが常であった。
「いやー、だけど、アイ=ファやスドラの人たちも大したもんだよ! 普通はあんな風に、子供を2人や3人も引っ張れるもんじゃないって!」
ユーミなどは、そのように言っていた。
もちろん俺も、同意見である。俺がこの競技に挑んだら、数メートルももたずに力尽きることが目に見えていた。
しかし森辺の狩人たちは、誰もが凄まじいスピードで広場を駆けている。手ぶらの俺が追いかけても追いつけないほどのスピードであるのだ。
そう考えると、見るからに強靭そうな体格をした狩人よりも、小柄であったり細身であったりする狩人が、それほどの膂力を有しているということのほうが、ユーミたちには驚異的に感じられるのかもしれなかった。
「これは本当に、すごいことだと思います。森辺の狩人というのはこれだけの力を持っているからこそ、ギバ狩りという大変な仕事を果たすことがかなうのでしょうね」
テリア=マスも、感じ入った様子でそのように述べたてていた。
いっぽうロイなどは、呆れ果てた様子で息をついている。
「これは悪い意味で言うんじゃねえけどさ、とうてい同じ人間だとは思えねえぐらいだよ。あいつなんて、俺やお前より細っこい身体をしてるんじゃねえか?」
ロイが指し示しているのは、いままさに目の前を走り抜けていった狩人であった。
他の狩人たちには大きく引き離されてしまっているものの、それでもやっぱりかなりのスピードである。
「ああ、あれは今回から力比べに参加することになった、ディンの見習いの狩人ですね。年齢は、13歳のはずです」
「13歳かよ! だったらまあ、年齢のわりには大柄なほうなんだろうけど……なんだか、自信をなくしちまうなあ」
すると、的当ての競技が終わったことで元気を取り戻したシリィ=ロウが、うろんげにロイをねめつけた。
「自信とは、何です? 料理人にそれほどの腕力は必要ないでしょう。鉄鍋や水瓶を運べるていどの力さえあれば、十分です」
「そりゃまあ、そうなんだけどさ。男と生まれついたからには、やっぱり色々と考えさせられちまうんだよ」
「わかりませんね。無用の感傷としか思えません」
「へえ、そうかい。だったらお前が、たおやかな貴婦人の中にでも放り込まれたら――」
と、そこでロイはまた溜め息をついた。
「……いや、シリィ=ロウだったら、貴婦人の中でも見劣りしなそうだな。なんたって、古き血筋のお嬢さんなんだからよ」
「な、何ですか! あらぬ誹謗は許しませんよ!」
「誹謗どころか、褒めちぎってるだろ。貴婦人に負けない見てくれと料理の腕を兼ね備えてるなんて、まったく恵まれてるよなあ」
シリィ=ロウは顔を真っ赤にしながら、酸欠の金魚みたいに口をパクパクとさせていた。
それを横目に、ユーミが俺へと囁きかけてくる。
「ね、なんだかあのふたり、前に見たときよりもいい感じじゃない?」
「いい感じ? って……それは、いわゆる男女の仲という意味でかな?」
「うん。ぎゃあぎゃあ文句を言い合うのは前からだけど、ちょっと雰囲気が変わったような気がしてさ」
生憎と、俺にそこまでの機微を見て取る眼力は備わっていない。
しかしまあ、彼らは毎日のように朝から晩まで顔を突き合わせているのであろうし、それに――シリィ=ロウは以前よりも、ロイの料理人としての資質を認めているように感じられた。
「……俺にはよくわからないけれど、少なくとも絆は深まってるんだろうなとは思うよ」
「うん、そうだよね。ま、あたしらが詮索することじゃないか」
そんな風に言いながら、ユーミは白い歯をこぼした。
そんな中、荷運びの力比べは、ついに決勝戦が開始される。
決勝進出したのは、バードゥ=フォウとラッド=リッド、それにディンの家長という家長トリオであり、優勝者はラッド=リッドであった。
これでラッド=リッドは、3回連続で荷運びの勇者である。
どこかダン=ルティムに通ずるところのある大男のラッド=リッドは、豪放なる笑い声でもって喜びをあらわにしていた。
「それでは次は、木登りの力比べだな。この力比べを終えたら、一刻の休息とする」
ランの家長の宣言とともに、また一同は集落の奥部へと移動した。
10メートルはあろうかという木にのぼり、先端部にタッチして、地面まで戻ってくる。木登りの力比べとは、そういう競技であった。
これも俺には見慣れたものであったが、町からの客人たちは大いに度肝を抜かれていた。これだけの高さを持つ樹木に登るというのは、それだけでも大変な行いであるのに、森辺の狩人というのは体重を感じさせない猿のごとき身軽さでそれを果たすことがかなうのだ。
さきほどの荷運びでは、小柄な狩人がその膂力で人々を驚かせることになった。今回はその逆で、大柄な狩人がその敏捷さで人々を驚嘆たらしめている様子であった。
そして、いずれの狩人においても、帰り道では5メートルぐらいの高さから地面へと舞い降りることになる。そのたびに、シリィ=ロウなどは手で顔を覆っていた。
「な、なんて無茶な真似をするのでしょう。一歩間違えたら、魂を返しかねないではないですか!」
「俺たちから見ると、そうですよね。でも、森辺の狩人というのは無謀な行いを嫌っていますので、決して危険なことはないのだと思います」
そうして無事に1回戦は終了し、9名の狩人による準決勝戦だ。
とりわけ身軽であるスドラの狩人たちは、4名中の3名が勝ち残っていた。勝ち残れなかったのは年配の狩人であり、彼は1回戦でディンの家長に惜敗していた。
その他は、アイ=ファ、ゼイ=ディン、ラッド=リッド、バードゥ=フォウという顔ぶれである。ランの家長もこの競技は得手であるはずだったが、こちらはゼイ=ディンに敗れていた。
準決勝戦の最初の組は、アイ=ファ、ゼイ=ディン、スドラの男衆であった。
これがいきなりの接戦で、なかなか判定をつけることができず、3度目の取り直しで辛くもアイ=ファが勝利をあげることになった。
2戦目は、ライエルファム=スドラ、バードゥ=フォウ、ラッド=リッドの家長対決である。
長身のバードゥ=フォウも、巨体のラッド=リッドも、なかなか恐るべき敏捷さを持っていたものの、ライエルファム=スドラには一歩及ばなかった。
そして、3戦目。チム=スドラ、ジョウ=ラン、ディンの家長の勝負だ。
最初の取り組みで、チム=スドラとジョウ=ランは同着、ディンの家長が敗退と相成った。
そうして再戦がなされたわけであるが――ここでまた、的当てのときと同じような現象が勃発した。3度の勝負を繰り返しても、同着となって決着をつけられなかったのである。
「ジョウ=ランとチム=スドラは、どちらも卓越した力を持っているようだな。このたびもまた、ふたりでともに最後の勝負に挑んでもらおう」
ふたりの体力回復を待つ間、敗退した人々による力比べが行われた。
その中で、素晴らしい力を見せつけたのは、ゼイ=ディンだ。ゼイ=ディンは、バードゥ=フォウにもラッド=リッドにも勝利して、人々から歓声をあびることになった。
こっそり目をやると、トゥール=ディンはやはりオディフィアと手を取り合っている。
それに、森辺の客人がたが密集した場所では、レイ=マトゥアがはしゃいだ姿を見せていた。彼女はトゥール=ディンとも仲良くしていたし、それに、ゼイ=ディンの素性もわきまえているのだろう。そこから情報が広まって、トゥール=ディンと懇意にしている女衆らはしきりにゼイ=ディンの活躍を祝福している様子であった。
そんな中で行われた、決勝戦である。
アイ=ファ、ライエルファム=スドラ、チム=スドラ、ジョウ=ランという顔ぶれだ。
俺の覚束ない記憶によると、これは最初の合同収穫祭のときと同じ顔ぶれであるように思われた。あのときは、たしかアイ=ファとジョウ=ランが準決勝で決着をつけられず、ふたりともに決勝戦へと駒を進めたのだ。
この木登りの力比べにおいては、ライエルファム=スドラが2回連続で勇者となっている。
このたびは、いかなる結果となるものか。俺はひそかに胸を高鳴らせつつ、勝負を見守ることになった。
「それでは、始め!」
ランの家長の号令で、4名が樹木に飛び移る。
その姿はすぐに枝葉に隠されてしまうのだが、梢の動きを追うことで、その驚異的なスピードを察することができた。
ほとんど平地を走るのと同じようなスピードで、梢の揺れは上方へと移動していく。この時点では、誰が優勢であるのかもよくわからない。
そして、4名の姿がほぼ同時に、梢から飛び出してきた。
これまで通り、誰もが5メートルほどの高みから、地面へと身を躍らせたのだ。
激しい砂煙とともに、4名が着地する。
俺などの目には、全員が同着であるとしか思えない。
鋭く目を凝らしていたであろうランの家長は、「うむ」とうなずくや、周囲の狩人たちを見回した。
「勝者は、ライエルファム=スドラ! ……異存のある者はいるか?」
誰もが、首を横に振っていた。
それを見届けてから、人々は歓声を爆発させる。
アイ=ファの敗北を残念に思いつつ、俺もライエルファム=スドラを祝福するために手を打ち鳴らすことにした。
「このたびも、ごくわずかな差であったな。アイ=ファとジョウ=ランとチム=スドラなどは、全員が同着だったのではないだろうか」
ランの家長の言葉に、ライエルファム=スドラがちょっと難しげな顔で応じた。
「であれば、その身に残されていた力によって、勝負が分けられたのだろうな。俺以外の3名は、ここに至るまで何度か勝負のやりなおしをしていたため、俺よりも力を削られていたはずだ」
「うむ? だからこそ、最後の勝負を行う前に、いくばくかの休息を与えたのだぞ」
「それでも俺たちは、これまでに3種の力比べを行っている。特にアイ=ファとジョウ=ランとチムは的当てでも勝負をやりなおしていたので、そこでも気力を使っていたはずだ」
すると、アイ=ファが前髪をかきあげながら、ライエルファム=スドラの前に進み出た。
「しかし私は、べつだん疲れを覚えたりはしていなかった。何も不公平なところはなかったように思うぞ」
「不公平とまでは言わん。しかし、俺とアイ=ファたちの立場が逆であったら、おそらく俺は敗北していただろう。……何せ俺は、年寄りだからな」
と、ライエルファム=スドラがくしゃっと顔に皺を寄せた。
珍しくも、冗談を口にしたのだろう。アイ=ファは一瞬きょとんとしてから、目もとだけで微笑んだ。
「何にせよ、ライエルファム=スドラは勇者の名に相応しい狩人だ。この場にいる全員が、そのことをわきまえている」
「その言葉は、ありがたくいただいておく。しかし、わずかな加減で勝敗が変わるというのは、事実であろう。やはり木登りの力比べにおいて、勝負のやりなおしは2度までとするべきではないだろうかな」
バードゥ=フォウが、思案顔で進み出てきた。
「そういえば、最初の収穫祭では、そのように取り計らっていたな。2度で決着がつかない場合は、両者とも次の勝負に進ませるべきか」
「うむ。俺はそのように思う」
「相分かった。それは次の収穫祭の前に、また6氏族の家長で話し合うこととしよう」
そのように述べてから、バードゥ=フォウはランの家長にうなずきかけた。
ランの家長は、得たりと声を張り上げる。
「では、木登りの勇者は、スドラの家長ライエルファム=スドラとする!」
人々は、拍手と歓声であらためてライエルファム=スドラを祝福した。
これにて前半の部は終了となり、一刻ていどの小休止である。
広場の中央へと舞い戻り、男衆は敷物の上に腰を下ろす。それに、客人たちのためにも敷物が準備されていた。
「この日時計というもので時間を計り、一刻ていどを休息の時間にあてる。かまど番たちが茶と軽い食事の準備をしてくれているので、客人がたにもくつろいでいただきたい」
ランの家長の言葉とともに、当番の女衆が水瓶と木箱を運んできた。水瓶に準備されたのはチャッチの茶で、木箱に詰め込まれているのは、腸詰肉とティノの千切りをはさんだ、ホットドックである。
「こちらを食べ終えたら、厨での仕事を少し拝見させていただけるかしら?」
エウリフィアの問いかけに、ランの家長は「うむ」と応じた。
「この時間に特別な取り決めはないので、自由に過ごしてもらいたい。ただし、森辺の習わしには従ってもらわなければならないので、何か間違いが起きないように案内の人間をつけさせていただこう」
「ありがとう」と、エウリフィアは優雅に微笑んだ。
そのかたわらで、オディフィアはホットドックを頬張っている。その灰色の瞳が明るくきらめいているのは、それがトゥール=ディンの手による料理だと聞かされたためなのだろう。トゥール=ディンは、自分の班が軽食を作る役を担いたいと願い出ていたのだった。
人々は、思い思いに軽食と談笑を楽しんでいる。
かまど小屋に戻る前に、俺もアイ=ファに声をかけておくことにした。
「アイ=ファ、お疲れ様。的当ても木登りも惜しかったな」
「うむ。やはり易々と勇者の名を得ることはできん。この6氏族には、力のある狩人が大勢いるからな」
厳粛なる面持ちで、アイ=ファはそのように言っていた。
その後ろから、ルド=ルウがにょっきりと顔を出す。
「本当にな! 的当ての勝負なんて、俺は腕がうずいてしかたなかったよ! いつか俺とも勝負してもらいてーもんだな!」
「ああ、ルド=ルウも弓は得意なんだもんね。これは名勝負が期待できそうだ」
ルド=ルウは、子供のように昂揚しているようだった。やはり同じ狩人として、血が騒いでしまうものなのだろう。クールに決めているアイ=ファとて、その青い瞳には闘志の炎が宿っていた。
「それじゃあ、俺は仕事があるから、また後でね」
「おー、美味い料理を期待してるからな!」
アイ=ファとルド=ルウに手を振って、俺はフォウ本家のかまど小屋を目指した。
かまど小屋には、すでに所定のメンバーがそろっている。そちらでも、誰もが興奮を隠しきれずにいた。
「やっぱりチム=スドラというのは、素晴らしい力を持つ狩人でしたね! 惜しくも勇者の座は逃しましたが、ふたつの力比べであれほどの力を見せられる狩人はそうそういないはずです!」
「それに今回は、ジョウ=ランが頑張っていますね。前回の収穫祭では、少し元気がなかったように思うのですが……ユーミと出会ったことで、また力を取り戻せた様子です」
「あとはやっぱり、どの家長も家長に相応しい力を持っていますよね。それに、トゥール=ディンの父親の……ゼイ=ディンでしたか。ゼイ=ディンも、素晴らしい狩人だと思います」
みんなその手は正確に動かしながら、しきりに熱っぽく語らっていた。
その中では比較的落ち着いて見えるサリス・ラン=フォウも、アイ=ファの活躍に胸を躍らせている様子である。チム=スドラの伴侶であるイーア・フォウ=スドラもまた然りであった。
(やっぱり力比べだって、参加者が多いほうが盛り上がるもんな。ガズやラッツの家長たちも、合同収穫祭をいっそう前向きに考えてくれるんじゃなかろうか)
かまど小屋に満ちた声を心地好く聞きながら、俺も下ごしらえの仕事を進めた。
ほどなくして、そこに客人が訪れる。リフレイア、サンジュラ、ムスルのトリオと、案内役であるフォウの女の子であった。10歳未満の女衆は、かまど仕事以外の雑用を受け持っているのだ。
「いらっしゃいませ。かまど仕事の見学かい?」
「ええ、そうよ。……今日は最初から、気安い言葉を使ってもらえるのね」
「うん。だけど、メルフリードやフェルメスの目のあるところは、格式張った場所だと見なすからね」
俺が笑いかけてみせると、リフレイアは「ふふん」と楽しげに鼻を鳴らした。
「それじゃあなるべく、あのおふたりには近づかないように心がけようかしら。……それにしても、ものすごい香りが充満しているのね」
「ああ、それはギバ骨の出汁の香りだよ。その美味しさは、ルウ家の祝宴で味わってたっけ?」
「ええ、ぞんぶんにね」と可愛らしく肩をすくめてから、リフレイアは従者たちを振り返った。
「あなたたちは、アスタと顔をあわせるのもひさびさなのでしょう? 挨拶をしなくていいのかしら?」
「はい。リフレイア、挨拶、終わるのを、待っていました」
サンジュラが、ゆったりと微笑みかけてくる。
「アスタ、おひさしぶりです。本日、お招き、ありがとうございます」
「サンジュラたちの招待を決めたのは、族長と貴族のみなさんですよ。もちろん俺も、おふたりを招待できて嬉しく思っていますけれどね」
サンジュラは、このひと月ほどで1回か2回ぐらいは屋台を訪れてくれていた。ムスルのほうは、おそらく仮面舞踏会以来の再会であろう。森辺に初めて足を踏み入れたムスルは、まだいくぶん硬い表情であるように感じられた。
「森辺の祝宴に招待いただき、わたしも心からありがたく思っております。……それに、森辺の狩人の凄まじい力には、感服させられました」
「はい。俺も生まれは、森辺の外ですからね。お気持ちは十分に理解できると思います」
「ええ。シン=ルウという御仁が闘技会で優勝したというのも、至極当然の話であるのでしょうな。わたしなど、森辺でもっとも若い狩人にだって、太刀打ちできそうにありません」
そんな風に述べてから、ムスルはふいに表情を引き締めた。
「ところで……我々は本当に、お詫びの言葉を申し上げなくてよろしいのでしょうか?」
「え? その必要はないと、族長と貴族の方々の間で取り決められたのでしょう? みなさんはすでに、公式の場で謝罪をされているのですからね」
「はい。それらの取り決めに不服があるわけではないのですが……森辺の方々は、誰も彼もが我々を丁寧に遇してくださるので……余計に身の置きどころがないように思えてしまうのです。我々は、アスタ殿や族長の方々ばかりでなく、森辺のすべての人々に謝罪を申し上げるべきなのではないでしょうか?」
すると、鉄鍋の面倒を見ていたサリス・ラン=フォウが、穏やかな面持ちでムスルを振り返った。
「わたしたちがあなたがたを客人として遇しているのは、あなたがたの罪がすでに贖われていることを聞かされているためです。あなたがたは、ジェノスの法による罰を受け、心からの謝罪の言葉をアスタたちに伝えたという話であるのですから、これ以上の謝罪は不要であるかと思われます」
「は……そのように言っていただけるのは、心からありがたく思うのですが……」
「アスタがかどわかされたことによって、森辺の民の多くが心を痛めることになりました。わたしも、そのうちのひとりです。でも、あなたがたがどれだけ自分の罪を悔いていたかは、アスタやアイ=ファたちから聞かされていますので、もはやお恨みする気持ちは残されておりません」
俺の行方が知れなかった間、アイ=ファを支えてくれていたのは、このサリス・ラン=フォウであるのだ。
サリス・ラン=フォウは、慈愛に満ちた表情でムスルに微笑みかけた。
「森辺で大罪を犯したスン家の人々も、いまは正しき心を取り戻して、幸福な生を歩んでいるのだと聞きます。あなたもそうなのではないですか、ムスル?」
「ええ、それは……はい。わたしのような者が、これほど充足した生を歩んでよいものかと……心苦しく思うほどです」
「いいのです。それが、罪を贖うということなのだと思います」
ムスルは唇を噛みしめると、力なくうなだれてしまった。
その、ごついが骨ばった頬に大粒の涙がこぼれるのを見て、リフレイアは「まあ」と目を丸くする。
「ムスル、このようにおめでたい席で、あなたは何を泣いているのよ」
「も、申し訳ありません。そちらの御方の温情が、あまりに心にしみてしまいましたもので……」
「もう。本当に、昔とは別人になってしまったみたいよね。あの頃のあなたはいつだって、空腹の獣みたいに周りの人間をにらみつけていたのに」
そう言って、リフレイアはふっと微笑んだ。
「まあ、あなたをそんな風にさせてしまったのは、わたしや父様なのだろうけれど……とにかくね、筋違いのことを言いたてるのはおやめなさい。あなたはけっきょく、自分が楽になりたいだけなのよ」
「じ、自分が楽にとは? わたしはただ、森辺の方々に陳謝したいと願っているだけなのですが……」
「だからあなたは、自分の罪悪感をもてあましているだけなのよ。森辺の人らが石でも投げてくれれば、その罪悪感をやわらげることもできるのでしょうけれどね。生憎、森辺の民というのはそんなに浅慮でも狭量でもないのよ」
冗談めかした口調で言いながら、リフレイアはまたひとつ肩をすくめた。
「森辺の民が丁寧に遇してくれるから居たたまれないなんて、そんなのはあなたの心ひとつじゃない。森辺の民の温情をありがたく思うなら、あなたも誠心をもって、それに報いなさい」
「はい……」と、ムスルはいっそううなだれてしまう。
叱られて、しゅんとなった犬のようなたたずまいである。
リフレイアはあまり長くもない髪を優雅に払ってから、サンジュラに向きなおった。
「サンジュラ、あなたはどう思っているの? ずっとにやにや笑っているばかりだけれど」
「はい。我々、砕けた壺であった、思います。その補修、済んだので、次は、水、汲む時期なのでしょう」
「……その東の民みたいな言い回しは、余計にわかりづらくなっているだけのように思うけれど、まあそういうことね」
リフレイアは、色の淡い鳶色の瞳で、かまど小屋の人々を見回した。
「わたしたちがあなたがたの信頼に値する人間であるかどうかは、これから長きの時間をかけて示していかなくてはならないのでしょう。至らないところの多いわたしたたちだけれど、長い目で見守っていただけたら、心からありがたく思います」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします、リフレイア。ムスルにサンジュラも」
サリス・ラン=フォウを筆頭に、すべてのかまど番が温かい笑顔を返していた。もちろん、俺もそのうちのひとりである。
「仕事のさなかにお騒がせしてしまって、ごめんなさい。もうしばらく、こちらを見学させてもらってもかまわないかしら?」
「ええ、もちろん。アスタとも、積もる話があるのでしょう?」
「ええ。アスタは気の毒なユン=スドラという娘にわたしたちの面倒を押しつけて、ちっとも近づいてきてくれなかったものでね」
リフレイアが、横目で俺を見やってくる。
俺は「あはは」と笑うしかなかった。
「べつに、リフレイアたちを避けていたわけじゃないからね? ただ、町の人たちの案内もしなくちゃいけなかったからさ」
「町の人たちというのは、宿場町のふたりと城下町の料理人たちでしょう? わたしだって、知らない仲ではないはずだけれど」
「うん。ユーミやテリア=マスとも、挨拶ぐらいはしたことがあるんだよね? そちらとも絆を深めてもらいたいところなんだけど、どうしてもあちらには気後れする部分があるだろうからさ」
「そうなのね。……やっぱりわたしは、不遜な貴族の小娘と思われてしまっているのかしら?」
「いや、決してそんなことはないよ」
親睦の祝宴でリフレイアと顔をあわせたユーミは、思ったより悪いやつじゃなさそうだ、と言っていた。テリア=マスも、大いに気後れしつつ、悪い印象は持っていないはずである。
「だったら、少しは親しくさせてもらえないものかしら。わたしだって、普段はトルストのかたわらで、商団の人間なんかとやりとりしているのよ? 貴族ならぬ相手をむやみに見下したりするような真似はしないわ」
「うん? リフレイアは、町の人たちとの交流に意欲的なのかな?」
「それはそうよ。わたしはトゥラン伯爵家の当主として、見識を広げなければいけないのですからね」
「そっか」と、俺は笑ってみせた。
「それじゃあ力比べの後半では、一緒に観戦しようか。町の人らには、俺から話を通しておくよ」
「ええ、ありがとう」と、リフレイアも微笑んだ。
大人になりかけた少女の、気丈さや繊細さがいりまじった微笑みである。複雑な関係にあった父親との別れを乗り越えて、リフレイアはまた大きく成長したように感じられた。
そうして一刻ばかりの小休止は、瞬く間に過ぎ去っていったのだった。