六氏族の収穫祭①~下準備~
2019.7/8 更新分 1/1
・今回は全9話の予定です。
太陽神の復活祭を目前に控えた、紫の月の13日。
その日は、ファの家の近在の6氏族による合同収穫祭であった。
この収穫祭に参加するのは、ファ、フォウ、ラン、スドラ、ディン、リッドとなる。この顔ぶれで収穫祭を行うのも、これで3度目のことであった。
森辺では異例の行いであった合同収穫祭であるが、3回も数を重ねれば、だいぶん手慣れてくるものであろう。
しかし今回は、いささかならず勝手が違った。さまざまな事情が重なって、多数の客人を招く手はずとなっていたのだ。
まずは、森辺における他の氏族の人々である。
前回の家長会議において、合同収穫祭はその是非が取り沙汰されることになった。その末に、他の氏族でも合同収穫祭を行ってみたらどうかという話に落ち着いたのだ。
それならば、まずは合同収穫祭の実情を再確認するべきだという話になり、ほぼすべての氏族から見届け役の人々が参ずることに決定された。
ほぼすべてというのは、いくつかの氏族がその選にもれてしまったためだ。
選にもれたのは、族長筋の眷族にあたる人々である。いまのところは、それらの人々が合同収穫祭を行うあてもなかったので、今回はご遠慮願うことになってしまったのだった。
聞くところによると、それらの氏族の人々は心から残念がっていたようである。
というか、俺自身も実際にそういった声を聞いていた。ラウ=レイ、ダン=ルティム、シュミラル=リリンといった人々が、それぞれの気性に見合った嘆きの声を俺に届けてくれたのだ。
俺としても、懇意にしているそれらの人々をお招きできないのは、心から残念に思っていた。
しかし実際的に考えると、人数的にどうしても不可能だったのである。
この森辺には、37もの氏族が存在する。そこから収穫祭に臨む6氏族と族長筋の氏族を引いても、11氏族が残るのだ。
なおかつ、族長筋の親筋に関しては、これだけの一大イベントであるのだから、招待しないわけにはいかない。そして、招待するのは家長とお供の男女1名ずつと定められたので、(11+3)×3という計算になり、この時点で42名もの人数になってしまうのだった。
招待される氏族は、14氏族。ルウ、ザザ、サウティ。ガズ、マトゥア。ラッツ、ミーム、アウロ。ラヴィッツ、ナハム、ヴィン。ダイ、レェン。そして、スンという顔ぶれであった。
「ダイやレェンが合同収穫祭というものを行うとしたら、相手はルウかサウティの血族しかあるまい? であれば、俺たちだってこのたびの行いを見届けるべきではないか?」
ラウ=レイなどは、実に憤慨した様子でそのように述べたてていた。
ダイやレェンはルウの眷族とサウティの眷族にはさまれた場所に集落を築いていたので、確かに合同収穫祭を行うとしたら、そのどちらかしかありえないのである。
しかしまた、ダイやレェンが族長筋たるルウやサウティと合同収穫祭を行う可能性は、きわめて低いとされていた。ルウやサウティは眷族の数が多く、広域に渡って集落が点在していたので、これよりも家の遠い氏族と休息の期間を重ねるのは、あまりに現実的でなかったのである。
よって、ダイとレェンがこのたび招待されたのは、別なる理由からであった。
集落の位置的に孤立しがちな彼らに、他の氏族との交流の機会を与えるべきであるという話が持ち上がったのである。
このたびの合同収穫祭では、族長筋の眷族ならぬ氏族が一同に会することになる。その中で、ダイとレェンだけを招待しないのは、あまりに不憫ではないか、と――まずは6氏族の家長による会合でそのように取り沙汰されて、のちに三族長にも可決されたのだった。
ということで、森辺の内部における客人は、以上である。
お次は、城下町からの客人であった。
城下町の客人を招待することに、実はそれほど必然的な理由は存在しない。
そもそも事の発端は、父親のメルフリードがたびたび森辺に招待されていることを、オディフィアが羨んだためであったのだ。
それならば、収穫祭とは別に、親睦の祝宴を開くという選択肢もあった。
が、ちょうど今回は余所の氏族からも大勢の客人を招待することが決定されていたので、ならばこれもよい機会なのではないかという意見が大勢を占めたのだった。
ただ祝宴をともにするばかりでなく、狩人の力比べや、宴料理の支度など、そういった姿を見てもらうことによって、森辺の民への理解を深めてもらうことができるのではないかと、そのように結論づけられたのだった。
そういうわけで、城下町からも客人を招待することになった。
ジェノスの貴族からは、メルフリード、エウリフィア、オディフィア、ポルアース、リフレイアの5名。および、森辺の民と絆を結びなおす必要がありと判じられて、サンジュラとムスルも同行する。
あとは、貴族ならぬ町の民から、ロイとボズルとシリィ=ロウの3名。それに、王都の外交官フェルメスと従者のジェムドで、総人数は12名と相成った。
最後は、宿場町の民である。
こちらは、ユーミとテリア=マスの2名のみであった。
これは言うまでもなく、ユーミとジョウ=ランのデリケートな関係性を鑑みての招待であった。テリア=マスはあくまで付き添いであり、以前にもこちらの両名は同じ理由で、フォウの集落における婚儀の祝宴に招待されていたのだった。
ということで――森辺からは42名、城下町からは12名、宿場町からは2名で、客人の総勢は56名となる。
もともとの6氏族の家人だけで80名以上の人数であるのだから、これはなかなか規格外の事態といえよう。
「ルウ家などは、100名以上の人数で祝宴を行うのが当たり前であるのだろうが……俺などが、このように大きな祝宴を無事に取り仕切れるのだろうか?」
そんな風に述べたてていたのは、持ち回りの当番で今回の取り仕切り役を担うことになった、ランの家長であった。その伴侶たる女衆も、宴料理の準備の取り仕切り役を果たさなければならなかったので、それはもう不安そうな表情を見せていた。
しかしまた、すべての責任がラン家にのしかかるわけではない。これはあくまで、6つの氏族が対等な立場で執り行う合同収穫祭であるのだ。
合同収穫祭というものが、どれだけ有意義で、喜びに満ちた催しであるものか、参加者が一丸となって、それを体現するしかないだろう。俺もかまど番のひとりとして、微力を尽くさせていただく所存であった。
◇
ということで、収穫祭の当日である。
フォウの本家のかまど小屋で、俺が下ごしらえの仕事に励んでいると、入り口の向こうからアイ=ファが呼びかけてきた。
「それでは、アスタよ。私はそろそろ宿場町に向かうからな」
「うん、了解。……あ、その道すがらで、ティアを送っていくんだっけ?」
ちょうど作業の切れ間であったので、俺は手を拭いながらアイ=ファのほうに向かうことにした。
かまど小屋を出てみると、アイ=ファの足もとにティアがちょこんと控えている。そちらに向かって、俺は笑いかけてみせた。
「それじゃあ、ティアも気をつけてね。くれぐれも、無茶をするんじゃないよ?」
「うむ、わきまえている。無理な修練で身体を痛めてしまったら、これまでの行いも無駄になってしまうからな」
ティアは本日、ルウの集落に預けられる段取りになっていたのだった。
理由は、ティアがそれを望んだためである。
「祭の日には、明るいうちから町の人間たちがやってくるのであろう? ティアは修練に取り組みたいので、どこか別の場所で過ごさせてもらいたく思う」
それが、ティアの言い分であった。
町の人間が大勢やってくるとなると、ティアは家の中に引きこもっていなくてはならなくなる。それでは力を取り戻すための修練に取り組むこともできないため、別の場所で過ごしたい、というわけであった。
「ティアの身体も、右肩以外はおおよそ力を取り戻すことができた。最後まで、気を抜かずに修練に取り組みたく思う」
俺の顔を見上げながら、ティアはそのように述べたてた。
出会ったときから何も変わらない、純真無垢なる眼差しと、無邪気で愛くるしい面立ちである。ティアと出会ったのは緑の月の終わり頃であったから、間もなく半年ぐらいが経過するはずだった。
「楽しい祭になることを、ルウの集落で祈っている。アスタもアイ=ファも、心ゆくまで祭を楽しんでもらいたい」
「うん、ありがとう。ティアと一緒にいられないのは、残念だよ」
「ティアは同胞ならぬ身であるのだから、しかたのないことだ。ルウの家で大人しくしているので、何も心配をする必要はない」
そこで俺は、しんみりとした気持ちを抱くことになった。
「ティア、言ってもどうしようもないことを言ってもいいかなあ?」
「うむ? 何でも遠慮なく言ってもらいたい」
「それじゃあ、言わせてもらうけど……ティアがすっかり聞き分けがよくなって、ものすごくありがたい反面、俺はちょっぴりだけ寂しく感じてしまっているよ」
「寂しい? 何故だろうか?」
「いや、以前のティアは、俺から離れることをすごく嫌がっていただろう? それがいまでは、自分から余所の場所に行きたいなんて言い出すようになって……あまり適切なたとえじゃないかもしれないけれど、親離れした子を見守るような気持ちなんだよね」
ティアはきょとんと目を丸くしてから、やがて大きな口でにこーっと微笑んだ。
「アスタが親で、ティアが子か。アスタは、愉快なことを言うのだな」
「うん。適切なたとえではなかっただろうね。他にうまい言葉を思いつかなくてさ」
「うむ。ティアはアスタを傷つけてしまった罪の贖いをするために、そばを離れたくないと願う立場であったのだから、親と子の絆とはまったく異なる話であるのだろうと思う」
そんな風に述べてから、ティアはガーネットのような瞳をいっそう明るくきらめかせた。
「だけど本当はティアだって、いまでもアスタのそばにありたいと願っている。明日の朝まで別々の場所で過ごさなくてはならないのは、とても残念だ」
「うん、そっか。ティアもそんな風に思ってくれていたんだね」
「当然だ。でもティアは、傷が癒えるまでファの家で過ごすことを許してもらえた。それだけで、ティアは十分に幸福であるのだ」
あるていどの傷が癒えたのち、フォウの家に移るかとアイ=ファに問われたとき、ティアは涙ながらに俺たちと一緒にいたいと述べてくれていたのだった。
俺の顔を真っ直ぐに見つめながら、ティアは幸福そうに微笑んだ。
「そしていま、アスタが寂しく感じていると聞いて、ティアもとても嬉しく思っている。アイ=ファが怒らなければ、アスタの頭を引き寄せて頬ずりをしたいほどだ」
「…………」
「やっぱりアイ=ファは怒るであろうか?」
「……10歳を越えた男女がみだりに触れ合うのは、森辺の習わしにそぐわぬ行いだ」
「うむ。それではやっぱり、やめておこう」
ティアは同じ表情のまま、後ずさった。
「それでは、また明日の朝に。アスタと再び会えるときを楽しみにしている」
「うん、気をつけて。アイ=ファも、みんなによろしくな」
アイ=ファは「ふん」とそっぽを向くと、そのままギルルと荷車のほうに向かってしまった。
ふたりが荷車に乗り込むのを見届けてから、俺はかまど小屋に引き返す。そこでは大勢のかまど番たちが、それぞれの仕事に取り組んでいた。
「あ、アスタ。アイ=ファは宿場町に向かうのですか?」
「うん。そろそろ待ち合わせの時間だからね」
「ということは、まもなく中天になってしまうのですね。こちらの下ごしらえは、間に合うのでしょうか?」
そんな風に述べていたのは、ランの若い女衆であった。家長やその伴侶と同様に、取り仕切り役としての重圧を感じてしまっているのだろう。俺は「大丈夫だよ」と笑いかけてみせた。
「俺の見る限り、作業の進行は順調だね。力比べが始まる一の刻までには、下ごしらえも完了してるはずさ」
「そうですか。アスタにそのように言っていただけたら、安心です」
ランの女衆は、ほっとしたように息をついていた。
手練れのかまど番はそれぞれ班長の座を担っているので、この場にはトゥール=ディンもユン=スドラもいない。俺がよく見知っているのは、アイ=ファの親友たるサリス・ラン=フォウと、チム=スドラの伴侶であるイーア・フォウ=スドラのみである。
しかし、近在の氏族の女衆は、いつもファの家の仕事を手伝ってくれているし、ここ数日は宴料理の修練も重ねていたので、不安なことはまったくなかった。
「今日の宴料理は、族長や貴族たちも口にするのですものね。そのように考えると、いささか怯んでしまいそうになります」
と、今度はイーア・フォウ=スドラがそのように述べてきた。
が、その言葉の内容とは裏腹に、おっとりとした柔和な笑顔である。俺よりも若年で、いかにも優しげな風貌をしているが、中身のほうはなかなかしっかりした娘さんであるのだ。
「でも、三族長は顔をそろえるのでしょうか? こういうとき、ルウやザザなどはいつも本家の長兄を出していますよね」
サリス・ラン=フォウの言葉に、俺は「そうですね」と答えてみせた。
「今日もたぶん、ルウとザザは長兄をよこしてくると思いますよ。ジザ=ルウもゲオル=ザザも、族長の代理に相応しい立派な狩人ですしね」
「やはり、そうですか。ルウやザザでも、若い人間が見識を広げるべき、という考えであるのでしょうね」
その考えは、族長筋ならぬ氏族にも浸透している。フォウの血族においては若衆が率先して宿場町に下りていたし、護衛役の仕事などでも、なるべく若い狩人が選ばれたりしていたのだ。
「でも、明日からの休息の期間では、年齢を問わずに宿場町へ下りるべきである、という話になっているのですよ」
サリス・ラン=フォウの言葉に、俺は「へえ」と感心することになった。
「それは、素晴らしいことですね。やはり、ユーミの一件の影響でしょうか?」
「はい。ユーミがランの家に嫁入りするかどうかは、まだわかりませんが、それでもやっぱりフォウの血族は、他の誰よりも宿場町について知るべきなのでしょうからね」
すると、作業台の向かいで働いていたリッドの若い女衆が、ぴょこんと顔をあげた。
「でも、うちの家長も宿場町に下りたくてうずうずしているようですよ。ユーミという娘の一件がなくとも、宿場町に興味を抱いている人間はたくさんいるのではないでしょうか?」
「ああ、それはそうなのでしょうね。宿場町で草笛や盤上遊戯といったものを習っていた男衆らも、それは楽しそうにしていましたし」
「そうですよね! わたし自身も、とても楽しみにしています!」
本日の収穫祭を終えたのちには、そういった楽しい日々も待ちかまえているのだ。もともと熱気の渦巻いていたかまど小屋に、いっそうの熱気が満ちていくかのようだった。
そうして半刻ばかりの時間が過ぎると、表のほうが騒がしくなってきた。いずれかの客人が到着したのだろう。
いくばくかのタイムラグの後、開け放しの入り口に人影が立つ。予想通り、それは俺の最愛なる家長であった。
「戻ったぞ。客人がかまど仕事の見物を願い出ているのだが、フォウの人間に許しをもらえるであろうか?」
「ええ、もちろん」と、サリス・ラン=フォウが応じると、アイ=ファも目もとだけで微笑を返した。ルウ家の人々を除外すると、アイ=ファにとってはこのサリス・ラン=フォウが無二の友であるのだ。
「許しが出たぞ。各々、挨拶をするがいい」
「お邪魔しまーす! 今日は祝宴に呼んでくれて、どうもありがとうね!」
真っ先に姿を現したのは、ユーミであった。その後に続いて入室したテリア=マスは、おずおずと頭を下げている。森辺の女衆が宴衣装を纏うのは夜からであったので、ふたりもいまは平常の装いであった。
「い、以前に婚儀の祝宴に招いていただいた、テリア=マスと申します。本日もよろしくお願いいたします」
「フォウの家にようこそ、テリア=マスにユーミ。今日という日におふたりを迎えることができて、心から嬉しく思っています」
サリス・ラン=フォウが、ゆったりとした笑顔でふたりを出迎える。本日の取り仕切り役はラン家であるが、ここはフォウ家のかまど小屋であるし、サリス・ラン=フォウはフォウ本家の人間であったので、ここは彼女が挨拶をするのが森辺の習わしであった。
「あんたは、えーと、サリス・ラン=フォウだったよね? みんなの邪魔はしないから、どうぞよろしくね!」
とびっきりの笑顔で述べてから、ユーミは入り口の外へと視線を転じた。
「ほら、あんたたちも挨拶をするんでしょ? そんなところで小さくなってないで、さっさと入ってきなよ」
「わ、わかっています。あなたに指図されるいわれはありません」
新たな人影が、かまど小屋に踏み入ってくる。城下町の料理人、シリィ=ロウ、ロイ、ボズルの3名である。彼らも宿場町で待ち合わせをして、ユーミたちともども連れてこられたのだ。
「わ、わたしは城下町の料理人ヴァルカスの弟子で、シリィ=ロウと申します。本日はアスタのお招きに応じて、こちらに参ずることとなりました」
「同じく、ボズルと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「あー、同じくロイってもんだ。今日はよろしくお願いするよ」
かつてフォウとスドラの婚儀の祝宴に招かれたユーミたちと異なり、彼らがフォウの集落を訪れるのは初めてのことである。人々は、それぞれの感慨をひそめた眼差しで新たな客人たちの様子をうかがっていた。
「フォウの家にようこそ。あなたがたのお話は、アスタたちからうかがっています。ヴァルカスという御方は、たいそう不思議で美味なる料理を作られるのだというお話でしたね」
サリス・ラン=フォウは如才なく、優雅にさえ見える態度で挨拶を果たした。
「その弟子という立場にあられるあなたがたをご満足させられるかどうか、はなはだ心もとない部分もありますが……わたしたちの心尽くしで楽しんでいただけたら光栄に思います」
「いやいや、森辺の方々の手腕はもう何度となく思い知らされておりますからな。どのようなギバ料理を食べさせていただけるか、心待ちにしておりますぞ」
料理人の側は、ボズルが大らかに応じている。巨漢といってもいいような体格をしているボズルであるが、彼が荒事に無縁なお人であることは雰囲気で察せられるのだろう。こちらのかまど番たちは、何を警戒する様子もなく笑顔を返していた。
「さて! それじゃああたしは、他の人たちにも挨拶をしてこよっかな。あんたたちは、どうするの?」
ユーミの言葉に、ボズルが「ふむ?」と振り返った。
「他の方々にも挨拶が必要であれば、わたしどももご一緒するべきではないでしょうかな?」
「あー、いやいや。フォウの家長さんとはさっき挨拶できたんだから、あんたたちはもういいんじゃない? あたしたちは、その……他にもたくさん、挨拶をしなくちゃいけないお人らがいるからさ」
いくぶん頬を赤くしながら、ユーミがそのように述べたてた。
そしてその末に、何故かじろりと俺をにらみつけてくる。
「あ、あたしはただ、ランやスドラの家長さんたちにも挨拶をしなきゃって思っただけだからね! あのお人たちにも、さんざんお世話になっちゃったんだからさ!」
「ああ、なるほど。でも、俺は何も言ってないよね?」
「うっさいよ!」と舌を出してから、ユーミはテリア=マスともども退室していった。ボズルはもしゃもしゃの髭をまさぐりながら、「ふむ」と太い首を傾げる。
「では、我々はこちらでみなさんの仕事を拝見していてもよろしいのでしょうかな?」
「あ、はい。もう一刻もしないうちに力比べが始まるかと思いますが、よろしければどうぞ」
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
そうして俺たちは3名の料理人に見守られながら、仕事を再開することになった。
というか、彼らが挨拶を交わしている間も、かまど番のほとんどは手を動かしていたのだ。ロイとシリィ=ロウは真剣な眼差しで、かまど小屋に視線を巡らせていた。
「この鍋は、すげえ匂いだな。またギバの骨で出汁を取ってるのか」
「はい。これは宴料理に欠かせない献立ですからね」
「これはあの、ぱすたという料理ですね。いささか色合いが異なって見えるのは、何か新たな細工でもほどこされているのでしょうか?」
「ええ。それは、生地にキミュスの卵の殻を加えています。俺の故郷では、中華麺と呼ばれる食材になりますね。それを使った料理は、ラーメンだとか焼きそばだとか呼ばれます」
「らーめん? やきそば? ぱすたではないのですか?」
「ちょっと説明が難しいのですが、それらは異なる国で生まれた料理なのですよ」
ロイやシリィ=ロウにとっては、この調理の見物こそがメインイベントであるのだろう。森辺のかまど番がどのような手際でどのような料理をこしらえているか、それを見届けるのが、彼らの本懐であるのだ。
しかしこちらとしては、城下町の人々と絆を紡ぐというのが本懐なのである。こういった場でも、思うさま言葉を交わしていただきたいところであった。
「おお、こちらのギバ肉は、すこぶる芳しい香りですな。タウ油と、ミャームーと、ケルの根と……他にもさまざまな食材が使われているようです」
別の鉄鍋を覗き込んでいたボズルが、陽気な声をあげる。
そのすぐそばにはイーア・フォウ=スドラがいたので、俺はそちらに目配せをしてみせた。
イーア・フォウ=スドラはしばらく不思議そうに俺を見返していたが、やがてにこりと微笑むと、ボズルのほうに向きなおった。
「そちらでは、ちゃーしゅーという料理を作っています。ミャームーとケルの根の他に、パナムの蜜と赤いママリアの酢、それにニャッタの蒸留酒というものを加えていますね」
「ほうほう、ニャッタの蒸留酒! 何やら深みのある芳香が鼻をくすぐっていたのですが、もしかしたらニャッタの蒸留酒がそういう作用を生んでいるのかもしれませんな」
「そうですね。わたしたちも煮込みの料理ではニャッタの蒸留酒を使うことが増えました。うまく説明はできないのですが、それを使うか使わないかで、ずいぶん仕上がりが異なるように感じられるのです」
「そういうひと工夫こそが、料理の味を大きく分けますからな。森辺の方々には、そういった差を感じ取れる確かな舌が備わっておられるのでしょう」
ボズルの大らかさとイーア・フォウ=スドラの柔和さが、いい感じに噛み合った様子であった。
その間に、ロイはサリス・ラン=フォウと何やら語らっている。サリス・ラン=フォウはギバ骨の出汁の担当であったので、その詳細を問答しているのだろうか。
(そうそう、こうでなくっちゃな)
俺は大いなる満足感を胸に、肉切り刀を取り上げた。
そうしてギバ肉のミンチ作業に着手したところで、シリィ=ロウが忍び寄ってくる。
「ギバ肉を刻んでいるのですね。それは、どの部位でしょうか?」
「これは、モモ肉ですね。でも、最終的には色々な部位を混ぜることになります」
「何故ですか? ギバはカロンと同じように、部位ごとに大きな特色があるはずです」
「こうして細かく刻んでしまうと、その特色もおおかた失われてしまうのですよね。ですから、それぞれの部位を骨から外すときに取れる切れ端なんかは、すべて一緒くたにしてしまうのです」
「なるほど……ですがやっぱり、それでは作るごとに味が変わってしまうのではないですか?」
「脂の量さえ調節すれば、大きな違いは出ないように思います。混ぜ合わせてみて赤みが強いようだったら、後から脂を加えたりしていますよ」
シリィ=ロウは納得した様子で、「なるほど」と繰り返した。
が、俺のそばから離れようとはしない。
「……今日は、あのかれーという料理は作らないのですか? 香りがまったくしないようですが」
「ああ、カレーの担当は別の班なのです。ここから少し離れた家なので、風向き次第では香りも届かないのでしょうね」
シリィ=ロウは3度目の「なるほど」を口にした。
しかしやっぱり、俺のそばから離れようとしない。
その間、ロイとボズルは別の女衆と料理談義に花を咲かせている様子であった。
「えーと……この場には俺の他に見知った相手はいないかもしれませんが、みんなシリィ=ロウたちの来訪を心から歓迎しておりますよ」
「はい。それがどうかなさいましたか?」
「いえ、よければ色々な相手と絆を育んでいただけたら嬉しいなと思いまして……もちろん、シリィ=ロウが奥ゆかしい性格をされていることはわきまえているのですが」
「そ、それではまるで、わたしが見知った相手としか言葉を交わせない小心者のようではないですか!」
びっくりまなこで、ロイがこちらを振り返ってきた。
「何を大声を出してるんだよ。外にいる連中が何事かと思うだろ?」
「で、ですがアスタが、あまりに失礼な物言いを……」
「いいから、大人しくしておけって。お前もちょっと、こっちに来てみたらどうだ? 切り分ける前のギバの舌なんて、他じゃあなかなかお目にかかれねえぞ」
シリィ=ロウは赤いお顔で俺をにらみつけてから、足早にロイのもとへと近づいていった。なんというか、わりあい小柄な娘さんであるので、親猫を見つけた子猫のような風情である。
(シリィ=ロウが交流を広げるには、やっぱり誰かのエスコートが必要みたいだな)
もちろん、ロイやユーミの手がうまっているときは、俺がその役を担うのもやぶさかではない。しかし、この場にはたくさんの森辺の民が集っているのだから、俺以外の相手ともぞんぶんに語らっていただきたいところである。
そんな具合に、俺たちは狩人の力比べが開始される下りの一の刻まで、至極平穏なひとときを過ごすことになったわけであった。