城下町巡り⑧~ショッピング~
2019.6/24 更新分 1/2
その通りには、実にさまざまな商店が存在した。
飾り物や織物、衣服の類いに、日用品、木造りの家具や、革細工など、宿場町でも見かけるそういったものが、スケールアップされた様相だ。
いちいち値段を確かめたりはしないが、いずれも上質のものであるのだろう。飾り物や織物のきらびやかさは言うに及ばず、ちょっとした日用品や革細工などでも、明らかに質の高さがうかがえる。とある商店に置かれていた椅子や卓などは、木彫りの細工も見事なもので、俺の故郷でもいっぱしの値段がつきそうな仕上がりであった。
もちろん質実を旨とする森辺の民は、そういったものにあまり心を動かされない。けっこうな数の商店を覗いても、そこで商品を購入しようとする者はなかった。
そんな中で到着した、調理器具の商店である。
そこに足を踏み入れるなり、俺とリミ=ルウは「うわあ」とそろって瞳を輝かせることになった。
「ねえねえ、片手鍋が売ってるよ! 宿場町には売ってないのにね!」
「うん。こっちの鍋も使い勝手がよさそうだねえ。ディアルがいなかったら、きっと買ってただろうなあ」
そこに置かれている商品の大半は、鉄具であった。しかし、蒸し籠やざるや木串などといった、こまごまとしたものも取りそろえられている。これだけの規模の調理器具専門店といったもの自体が、宿場町には存在しなかったのだった。
「調理刀も、いっぱいだね! あ、三つ又の匙も売ってるー!」
「本当だ。家用に何本か欲しいところだけど……ちょうどディアルに注文をする時期だし、ここは我慢かなあ」
俺たちは家でも屋台でも、市販の木匙に自分たちで切り込みを入れて、フォークに仕立てあげているのだ。ファの家では使用頻度も高いので、そろそろ金属製のフォークを購入したいところであった。
「突き匙をお求めですか? こちらはジャガルから買いつけたものですので、錆びにくいし頑丈ですよ」
年配の女性が、にこにこと笑いながら近づいてくる。その目には、やはり好奇心の光が感じられた。
「これって、突き匙っていうんだねー! こっちのこれは、何に使うの?」
「そちらは、へらですね。焼いたフワノに油や煮汁などを塗りつけるのに使います」
いわゆる、バターナイフというやつであろうか。城下町の厨では見かけたこともあるような気がしなくもないが、俺が手にしたことはなかった。
「鉄具は懇意にしている鉄具屋がいるので、買い控えているのですよね。他に何か、おすすめの商品などありますか?」
「こちらでは、凝った料理を作るのに便利な品を取りそろえております。……あなたがたは、ひょっとしたら料理のお仕事を?」
「はい。宿場町で屋台の商売をしていて、ときどきはこうして城下町に招かれることもあります」
「ああ、やっぱり。貴き方々が森辺の料理人をお招きしているという話は聞き及んでおりますよ」
やはり、俺たちが森辺の民であるということは察していたらしい。どうして城下町に狩人がいるのかと考察すると、それが一番最初に浮かぶ答えであるのだろう。
「森辺の方々は、たいそう不思議な料理を作られるそうですねえ。それじゃあ、こちらの道具などは如何でしょう?」
「何これー! 面白い形だね!」
リミ=ルウの横からそれを覗き込んだ俺は、思わず息を呑むことになった。それは、材質こそ木製であるようだったが、まぎれもなくホイッパーの形状をしていたのである。
「これは最近、バルドの商人から買いつけたものなのですけれどね。これでこう、キミュスの卵などをかき混ぜると、普通にかき混ぜるよりもふわふわの仕上がりになるのですよ」
「それは、泡だて器というやつですよね? どうやら木造りのようですけれど、長く使えるものなのでしょうか?」
「ええ。水で洗ってもしっかり乾かせば、そうそう傷むことはないはずです。そちらの蒸し籠なんかと同じもので作られているはずですからね」
俺は、勢い込んでアイ=ファのほうを振り返ることになった。
が、俺が口を開くより早く、「好きにしろ」と告げられてしまう。
「あの、それはおいくらなのでしょう?」
「こちらは、白銅貨1枚となりますね」
白銅貨1枚なら、俺の感覚で2000円といったところだ。安くはないが、高すぎるということもないだろう。
「それじゃあ、ふたついただきたいのですが、他にも在庫はあるのですか?」
「ええ。これはまだ仕入れたばかりの商品ですので、10本や20本は残っているはずですよ」
「そうですか。いずれまた、買わせていただくかもしれません」
とりあえず、俺は2本のホイッパーを獲得することになった。
ほくほく顔の俺に、リミ=ルウが不思議そうな目を向けてくる。
「アスタはどうして、それをふたつも買ったの?」
「森辺で欲しがる人がいたら、すぐに渡せるようにと思ってね。トゥール=ディンなんかは、絶対に欲しがるはずだしさ。……これは、菓子を作るのにすごく便利な道具なんだよ」
「えー! だったら、リミもほしー!」
「それなら、レイナ=ルウに相談だね。調理器具や食材の購入に関しては、レイナ=ルウが任されてるんだろう?」
「うん! あとでレイナ姉と相談するー!」
ということで、俺たちは調理器具の店を後にすることにした。
布に包まれたホイッパーは、アイ=ファがマントの隠しポケットに収めてくれる。その様子を、フェルメスが楽しげに見やっていた。
「アスタはとても満足そうにしておられますね。何だか見ているこちらまで、浮き立った心地になってくるようです」
「はい。目新しい調理器具を目にすると、ついついはしゃいでしまいます」
「なるほど。ですがアスタは、最初からあの道具の使い道を心得ていたようですね」
「……ええ、まあ、故郷に似たような道具がありましたので」
「そうなのでしょうね」と、フェルメスはにっこり目を細める。
これで相手が別の人間であれば、何もおかしな会話ではないのだが。案の定、アイ=ファは感情を押し殺している様子で、口もとを引き結んでいた。
「あっ! ジザ兄たちが、あそこにいるよー!」
と、そこにリミ=ルウの元気な声が響いた。見ると、通りをはさんだ向かいの商店の前に人垣があり、そこから黒褐色の短めの髪がちらちらと覗いている。城下町でも、ジザ=ルウぐらい長身の人間は稀であるのだ。
「ねえねえ、レイナ姉と話したいから、あっちに行ってもいい?」
「はい。では、向かいましょう」
シュミラル=リリンを先頭に、俺たちは道行く人々の間をぬって、向かいの商店まで歩を進めた。
「こちら、食器の店ですね」
ジザ=ルウたちは、すでに商店の中に踏み入っていた。メンバーは、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、マイム、ガズラン=ルティム、シェイラである。
「うわあ、綺麗なお皿がいっぱい! ダイアはきっと、こういう店でお皿を買ってるんだね!」
その店には、陶磁や硝子の食器がこれでもかとばかりに並べられていた。宿場町では木皿ぐらいしか売られていないので、なかなかの壮観である。
熱心にそれらの品を検分していたレイナ=ルウが、びっくりまなこでこちらを振り返った。
「あれ? リミたちも来たんだね」
「うん! あのね、あっちのお店で欲しいものがあったの! 買ってもいい?」
俺がホイッパーについて説明をすると、レイナ=ルウは「そうですか」と思案顔になった。
「自分で使ってみないと、それがどれほど便利な道具であるのかはわからないのですが……アスタは、購入したのですね?」
「うん。これは菓子だけじゃなく、普通の料理でも色々と使えるはずだよ。俺は前々から欲しいと思ってたんだよね」
「では、ルウ家でもひとつ購入しようかと思います。話をうかがうだけでも、興味深い道具でありますしね」
「やったー!」とリミ=ルウは飛び上がりかけたが、割れ物に囲まれていることに気づいたのか、途中で動きを停止させた。ただその顔には、とびっきりの笑みが浮かべられている。
「レイナ姉たちは、お皿を見てたんだね! 何か欲しいの?」
「ううん。こういう皿は割れやすいし、値段も高いから、わたしたちには必要ないと思うんだけど……」
レイナ=ルウは物思わしげな面持ちになりつつ、俺のほうに目をやってきた。
「でも、ダイアという料理人は、味ばかりでなく外見の調和まで重んじていた、とリミから聞きました。それは……重んずるに値する行いであるのでしょうか?」
「うーん、そうだね。確かに立派な皿っていうのは、人の心を豊かにしてくれると思うけど……俺はそんなに、こだわりはないかな」
考え考え、俺はそのように答えてみせた。
「以前に《銀の壺》の人たちから、硝子の大皿というものをいただいてね。それを使うときは心が弾んだりもするけれども、それはやっぱり《銀の壺》の人たちとの大事な思い出の品だから、そういう気持ちになるんだと思うんだ。いまのところ、自分でこういう皿を買おうという心持ちにはなっていないね」
「そう……ですか。ダイアという料理人の言い分は、わたしにも理解できるように思うのです。同じ料理でも、皿が違うだけで見栄えはずいぶん異なってきますし……きっと城下町で木皿を使ったら、見すぼらしいと思われてしまうのでしょうしね」
「うん。でも、森辺の民が好ましく思うのは、やっぱり木皿なんじゃないのかなあ。何せ、森の中に住む民なんだからね」
そう言って、俺は悩めるレイナ=ルウに笑いかけてみせた。
「たとえば、力比べで優勝した狩人に捧げられる料理だとか、婚儀をあげるふたりに捧げられる特別料理だとか、そういう場面で立派な皿を使うっていうのは、悪くないと思うよ。でも、そういう際でも陶磁や硝子の皿よりは、木彫りの立派な皿のほうが、森辺の民には相応しい感じがするね。まあ、俺の個人的な好みなのかもしれないけどさ」
「なるほど。木彫りの立派な皿ですか。それなら……確かにわたしも、いっそう好ましく思えるような気がします」
そう言って、レイナ=ルウはようやく明るい表情を見せた。
「ありがとうございます、アスタ。こういう皿がわたしたちに必要であるのかどうか、ちょっと迷ってしまっていたのです。ダイアという料理人の言うことはわからなくもなかったのですが、このようなものを買っていったら、ドンダ父さんに叱られてしまうような気もしますし……でも、それで料理の味が変わるのなら、捨て置くこともできないかと思って……」
「うん。要は、森辺の民がこういう皿を喜ぶかどうかって話なんだろうね。こういう皿で食事をすることを喜びと感じられなかったら、料理の味がいい方向に変わることもないだろうしさ」
「はい。わたしもそのように思います。城下町には城下町の、森辺には森辺の作法がある、ということなのですね」
すると、店の奥で身を屈めていたシーラ=ルウが、俺たちに呼びかけてきた。
「レイナ=ルウ、アスタ、よろしいでしょうか? ちょっと見ていただきたいものがあるのです」
俺たちは、アイ=ファとリミ=ルウをともなって、そちらに足を向けることにした。
シーラ=ルウは膝を折ったまま、戸棚の一番下に収められていた商品を指し示してくる。
「こちらに、鉄ではない鍋が売られているのです。宿場町では、見かけない品ですよね」
「あっ! それは、土鍋というやつですね!」
俺は思わず大きな声をあげてしまい、慌てて自分の口をふさぐことになった。
レイナ=ルウたちは、きょとんとした面持ちで俺のことを見やっている。
「あの、ぐらたんなどで使う器も、こういう素材でしたよね。この鍋も、石窯で使うものなのでしょうか?」
「いや、これは普通にかまどで使えるんじゃないかな。鉄鍋と土鍋っていうのは、かなり使い勝手が違うんだよ」
「そうなのですか。どのような違いがあるのでしょう?」
「一番の違いは、熱の伝わり方だね。鉄鍋は熱を伝えやすくて、土鍋は伝えにくい。だからそのぶん、土鍋だとじっくり熱を通すことができるんだ」
「はあ……鉄鍋を弱い火にかけるのとは、また異なるのでしょうか?」
「うん。土鍋の場合は、食材を内側から温めてくれる感じなんだよね。だから、煮込み料理なんかでは、鉄鍋よりも味がしみこみやすいんだ。シャスカなんかも、炊きあがりがずいぶん違ってくるはずだよ。それに、保温の能力も鉄鍋とは段違いだからさ」
俺が熱弁していると、レイナ=ルウがくすりと笑った。
「アスタがそのようにはしゃぐ姿は、ひさびさに見たような気がします。それほどまでに、この鍋を得難いものだと考えているのですね」
「ああ、うん、お恥ずかしい。でも、どうしようかなあ。さすがにこれを持ち歩いたりはできないよなあ」
すると、いつの間にやら近づいてきていたシェイラが、頭上から声をかけてきた。
「では、後日にわたくしが引き取りに参りましょうか? 手付の銅貨を払っておけば、取り置きは可能であるはずです」
「え、だけど、ご迷惑ではありませんか?」
「何もご遠慮をなさる必要はありません。森辺の方々のお力になるようにと、普段からポルアース様に申しつけられておりますので」
俺は迷ったが、シェイラの厚意に甘えさせていただくことにした。同時に、レイナ=ルウも購入を決心したようである。さしあたって、鉄鍋よりは安値であったので、買って損はないと考えたのだろう。
「あらためて、わたしはアスタを尊敬しました」
土鍋の注文を終えたのち、レイナ=ルウがそのように呼びかけてきた。
「アスタはご自身のことばかりでなく、森辺の民に何が必要であり、何が必要でないか、しっかり自分の考えをお持ちなのですよね。ダイアなる者の話を聞いて、あえなく心を惑わされてしまったわたしは、やっぱりまだまだ未熟者であるようです」
「そんなことないよ。レイナ=ルウはこの1年ちょっとで、いきなり森辺の外の文化に触れまくることになったんだから、混乱するのが当然さ」
「でも、それを言ったらアスタなどは、森辺の外からやってきた身ではないですか?」
「うん。だからまあ、森辺の民として認められるように、あれこれ考えることになったわけだよ」
レイナ=ルウはまぶしいものでも見るように目を細めつつ、微笑んだ。
「だからわたしは、アスタを尊敬しているのです。そして、アスタを同胞として迎えられたことを、心から嬉しく、そして誇らしく思います」
レイナ=ルウにあらためてそのようなことを言われると、俺のほうこそ誇らしい気持ちになってしまった。
そうして店を出た後は、リミ=ルウがさきほどの店でホイッパーを購入するのを待ってから、再び街路を進み始める。レイナ=ルウたちは調理器具の店に留まり、俺たちはまた元の顔ぶれだ。
フェルメスは、つかず離れずで俺のそばに身を置いている。さきほどのレイナ=ルウたちとのやりとりも、きっとひそかに聞かれていたのだろう。
むろん、聞かれてまずいことなどは何もない。ただ、常に聞き耳をたてられているような感覚であったので、いくぶん居心地が悪いように感じられた。
(これじゃあ、いつまでたっても絆を深められないよな)
俺はアイ=ファに目配せをしてから、歩調をゆるめてフェルメスの横に並んだ。フェルメスと正しき絆を深めるべく、自分から話題を振ってみることに決めたのだ。
「フェルメスは、王都のお生まれなのですよね。やはり王都というのは、これとも比べ物にならないほどの賑わいなのでしょうか?」
フェルメスは、フードの陰で嬉しそうに目を細めた。
「規模としては、そうですね。ただし、こうした町の一画だけを見れば、それほどの差はないように思います。それに、ジェノスのほうが雑多である、という面もあるのではないでしょうか」
「雑多というと……王都のほうが、もっと整然としている、ということでしょうか?」
「いえ。城下町の様相においては、大きな差もありません。異なるのは、町を歩く人間のほうにあるのでしょう。王都には、これほど多くの異国人は行き交っていないのですよ」
「異国人というのは、南や東の方々のことですね?」
「はい。特にシムなどは王都から遠く離れていますので、東の商人の数はごく限られています。そして、南の民に関しては……王都とジャガルの間にゼラド大公国が立ちはだかっているために、やはり行き来は少ないのです」
「それじゃあ、王都とジャガルにはあまり交流もないのですか?」
「いえ。ジャガルとは、海路で交易を結んでいます。五大公爵領のダームは西竜海に面しているため、そちらからジャガルの商品を買いつけているのですね。ダームから王都の中心部までは車で1日の距離ですので、それで不自由はないのです」
そう言って、フェルメスは襟巻きの下で微笑んだようだった。
「ですから、南の民が王都の城下町にまで足を踏み入れる機会は少ないのです。王都の城下町を訪れるのは、同じセルヴァの商人たちがほとんどとなりますね」
「なるほど。ご丁寧な説明をありがとうございます」
すると、フェルメスのヘーゼル・アイが妖しくきらめいた。
「……アスタは、王都に興味をお持ちなのですか?」
その不思議な瞳に呑み込まれてしまわないうちに、俺は「いいえ」と答えてみせる。
「もちろん、人並みの興味や好奇心というものは持ち合わせています。でも、俺はあくまで森辺の民ですので、石の都に心をひかれることはありません」
「そうですか。アスタの手腕であれば、王都でも料理人として名を馳せることは可能でしょうね」
「過分なお言葉をありがとうございます。でも俺は、魂を返すその日まで、森辺の民としてつつましく生きていきたいと願っています」
正しき絆を結ぶために、ここははっきりと明言しておくべきであろう。
それが功を奏したのか、フェルメスは早々に妖しい眼差しをひっこめてくれた。
「あと数十年もすれば、森辺の民が王都に出向く機会なども生じるかもしれませんね。僕の魂がこの世にあるうちに、そのような行く末が訪れてほしいものです」
「森辺の民が、王都にですか。俺にはちょっと想像がつかないのですが……でも、先のことはわかりませんもんね」
「ええ。森辺の民とジェノス侯爵家がこのまま絆を深めていけば、きっとそうなるような気がします」
話が穏便なところに着地したので、俺はほっと息をつくことができた。
すると、先頭を歩いていたシュミラル=リリンがこちらを振り返ってくる。
「広場、見えてきました。ルド=ルウたち、待っています」
「そうですか。それじゃあここで、みんなと合流ですね」
しばらくすると、俺にも同胞たちの姿が見えてきた。ルド=ルウとレイリス、それに小さき氏族の女衆という面々だ。
「おー、やっと来たな! ジザ兄たちは、まだぐずぐずしてんのか?」
「たぶん、もうすぐ来るはずだよ。広場も、かなりの賑わいだね」
「あー。まだ胃袋に余裕はあるから、今度は何か食ってみるかなー」
晩餐までにはまだまだ時間が残されているので、多少の買い食いは許されることだろう。俺としても、城下町の屋台の料理というものには大いなる関心をかきたてられていた。
「おー、来た来た! ジザ兄、こっちだぜー!」
「それでは、参りましょう。朝方にも広場を見物されたとのことですが、おそらくはこちらのほうが賑わっているかと思われます」
レイリスの言葉通り、そこには人があふれかえっていた。
広場そのものの規模も、朝方よりまさっているようだ。中央にあるのは噴水で、外周は屋台で埋め尽くされている。
「わー、子供もいっぱいだね!」
アイ=ファの腕にひっついたリミ=ルウが、はしゃいだ声をあげている。確かに噴水の周囲では、幼子たちが楽しげに駆け回っていた。
「それに、あのお水! 前にもちらっと見かけたことあるけど、どうしてあんな風に、次から次へと水がわいてくるんだろうね?」
「はい。それに、あれだけ水がわいているのに、どうして縁からあふれないのでしょう?」
レイ=マトゥアも、好奇心の塊となって噴水を見つめている。俺にしてみても、噴水の仕組みに関しては知識を持ち合わせていなかった。ただ、噴水の起源というのはずいぶん古いのだという話を聞いた覚えがあるような気がしなくもない。
「さ、それじゃあ屋台を見物しよーぜ!」
ルド=ルウの一言で、広場の見物が開始された。
今回は、料理の屋台も数多く出されているようだ。あちこちから、焼いた肉や香草やタウ油の香りが漂ってくる。てくてくと歩きながら屋台を覗き込んでいたルド=ルウは、やがて「お」と足を止めた。
「こいつはけっこういい匂いだな。ジザ兄、ちょっとぐらいなら銅貨をつかってもいいんだよな?」
「あまり、度を越さぬようにな」
「わかってるって! なあ、こいつは銅貨何枚だい?」
何かの肉の串焼きを焼いていた初老の男性が、びっくりまなこでルド=ルウの笑顔を見返した。
「こちらは1本、赤銅貨4枚ですよ。お買い上げですか?」
「赤銅貨4枚か。アスタたちの屋台よりは、ちっと高いな。……そいつは、何の肉なんだ?」
「これはですね、うちが特別に仕入れている野鳥の肉です。ちょいとクセはありますが、お好きな人はお好きですよ」
「へー、野鳥か。そういえば、バルシャたちも野鳥を町の連中に売りつけてたっけ」
ルド=ルウは思案顔で下顎を掻いてから、「よし」とうなずいた。
「みんなで分けりゃあ、そんな大した値段じゃねーよな。1本、売ってくれ」
「あ、それじゃあ俺もお願いします」
俺もその香りにはひかれるものがあったので、便乗させていただくことにした。
屋台の主人は愛想よく微笑んでから、鉄網の串焼きをあらためてタレの壺に突っ込み、それを再び焼きあげる。とたんに、濃厚なるタウ油と香草の香りがさらなる勢いで鼻腔を刺激してきた。
「お待ちどうさまです。熱いので、お気をつけて」
俺とルド=ルウは銅貨を支払って、串焼きを受け取った。
それなりのサイズを持つ肉塊が、1本の串にみっつずつ刺されている。俺は、リミ=ルウを左腕にぶら下げたアイ=ファを振り返った。
「ひとりで食べるとおなかがすぐにふくれちゃいそうだから、ふたりも手伝ってくれないか?」
リミ=ルウは「わーい」と歓声をあげる。10歳未満のリミ=ルウは、余所の家の人間と同じ食事に口をつけることも許されているのだ。
「それじゃあこっちは、レイナ姉とジザ兄だな。……あれ? レイナ姉はどこに行ったんだ?」
「レイナ=ルウでしたら、シュミラル=リリンらとともにあちらの屋台です」
シーラ=ルウの言葉で視線を巡らせると、遠からぬ場所にレイナ=ルウとリリン夫妻の姿が見えた。そちらに歩を進めながら、俺とルド=ルウはさっそく串焼きにかじりつく。
「へーえ、なかなか悪くない味だな」
「うん。これは美味しいね」
それは、キミュスよりもいくぶん肉質が硬かったが、肉汁もたっぷりで食べごたえのあるお味であった。
それに何より、タウ油と香草の味付けが素晴らしい。タウ油は砂糖と何かしらの果汁が加えられているらしく、かなり甘みが強調されており、そこに香草で適度な辛みと清涼な風味が加えられていた。
城下町の料理人が作るものほど複雑ではないのだが、それなりに細工は凝らされている。それが俺には、むしろほどよいバランスに感じられるのだ。少なくとも、宿場町であればけっこうな評判を呼びそうな出来栄えであるように感じられた。
アイ=ファの感想は「悪くない」であり、リミ=ルウの感想は「おいしーね!」である。ルド=ルウから受け取った串焼きを口にしたジザ=ルウは、「ふむ」と考え深げな声をあげた。
「確かに、キミュスの肉よりは美味に感じられる。いつだったかに口にした、ギャマという獣の肉を思い出させるな」
「ああ、サトゥラス伯爵家の、和解の晩餐会ですね。やはり森辺の民の口には、野生の獣の肉が合うのでしょうか」
「どうであろうな。キミュスの肉というのは風味が薄くて、いまひとつ食べごたえがないように感じられるのだ」
ジザ=ルウは、ドーラ家でキミュスの料理も口にしている。そう考えると、かつては森辺の民の頑迷さの象徴であるように感じられたジザ=ルウも、実にさまざまな体験を経ているのだった。
「よー、レイナ姉。野鳥の肉の料理ってやつを買ってみたから、食べてみろよ」
「うん、ありがとう。……アスタ、ちょっとよろしいでしょうか?」
と、屋台の内側を熱心に覗き込んでいたレイナ=ルウが、俺を振り返ってくる。その青い瞳には、何やら明るい光が灯されていた。
「あ、ジザ兄にも見てほしいんだけど……こちらの器を、どう思いますか?」
そこは、食器の屋台であったのだ。
なおかつ、並べられている商品はすべて木造りであり、レイナ=ルウが指し示しているのは、実に立派な大皿であった。
直径は30センチぐらいもあり、深さのほうもそれなりである。そして、器の表面にはかなりダイナミックなタッチで彫刻の飾りが施されている。花や蔓草をモチーフにしたデザインだ。
「ああ、さっそく木彫りの立派な皿を発見したんだね」
レイナ=ルウは「はい」とうなずいてから、少し心配そうにジザ=ルウのほうをうかがった。ジザ=ルウは糸のように細い目で、木皿に彫りつけられた花弁をじっと見つめている。
「……俺を呼んだということは、これを買いたいと願っている、ということか?」
「うん。祝宴で特別な料理を盛りつけるのに、相応しい皿だと思ったんだけど……」
ジザ=ルウは「そうか」と言って、身を引いた。
「料理にまつわる買い物に関しては、お前の判断にゆだねられているはずだ。俺の顔色をうかがう必要はなかろう」
「うん、だけど、みんなに喜んでもらえるようなものじゃないと、意味がないから……」
「ならば、なおさら俺ひとりの意見などあてにはできまい」
そんな風に述べてから、ジザ=ルウはふっと口もとをほころばせた。
「……ただ、その皿に彫りつけられた花や蔓草の意匠には、とても力強さを感じるな。俺は、好ましく思っている」
レイナ=ルウは、ぱあっと表情を輝かせた。
すると、かたわらにいたヴィナ・ルウ=リリンが、くすくすと笑い声をあげる。
「ほらぁ、だから大丈夫だって言ったでしょう……? わたしたちだって、婚儀でこの皿を使われていたら、きっと幸福な心地だったでしょうしねぇ……」
「はい。私、同じ気持ちです」
シュミラル=リリンも同意の声をあげると、レイナ=ルウははにかむような感じで微笑んだ。
「かなうことなら、わたしもこの皿でおふたりの婚儀を祝福したかったです。ほんの少しだけ、時期が合わなかったですね」
「いいのです。十分、幸福でしたから」
「ふふ。それは、おふたりの姿を見ていればわかります」
ヴィナ・ルウ=リリンはほんのりと恥ずかしそうに、サイドの髪に指先をからませた。
その心温まるやりとりを見届けてから、俺もアイ=ファを振り返ることにする。
「俺もあの皿には、すごく心をひかれるな。アイ=ファは、どう思う?」
「どうとは? もしや、お前も買いつけたいと願っているのか?」
「うん。もうすぐ収穫祭だしさ。力比べの勇者に届ける料理に相応しいんじゃないかと思うんだ」
アイ=ファは厳粛なる面持ちのまま、目もとだけで微笑んだ。
「お前がそのように考えたのなら、好きにするがいい」
「うん。ありがとう」
そうして俺とレイナ=ルウは、入念に木皿を選ぶことになった。そこには同じようなデザインの木皿が5枚も重ねられていたのだが、やはり手彫りであるので少しずつ出来栄えが異なっていたのだ。
その末に、俺たちは1枚ずつの木皿を選びぬいた。お値段は、白銅貨1枚とのことである。
サイズ自体はさきほどの土鍋と大差はないが、何せ木造りであるので重量はたかが知れている。それぞれの木皿を小脇に抱えながら、俺はレイナ=ルウと微笑みを交わし合うことになった。