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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
753/1681

城下町巡り⑥~お茶会~

2019.6/22 更新分 1/1

 それから一刻ほどが経ち、中天――この長くて楽しい1日の、折り返し地点である。

 すべての菓子を完成させた俺たちは、貴婦人がたのお待ちする庭園へと舞い戻ることになった。


 リフレイアたちは半刻ぐらいで厨を出ていたので、最初のときと同じように、7名の貴婦人がたが優雅にお茶を楽しんでいる。そして、そのかたわらにはすでに料理人ダイアの姿もあった。


「お、お待たせいたしました。こちらが、わたしたちの準備した菓子となります」


「ありがとう、トゥール=ディン。みんな、期待で胸がはちきれそうよ」


 そんな風に応じてから、エウリフィアは少し考え込むような表情を浮かべた。


「でも、今日はアスタも味見用の菓子を準備してくれたのよね? 4種類もの菓子を卓に並べるのは難しいでしょうから、ここはひと品ずつお披露目していただこうかしら」


「では、俺から――」と俺が言いかけると、リミ=ルウが「はーい!」と挙手をした。


「アスタのおせんべいは面白い食べ心地だから、リミとトゥール=ディンの間がいいと思うの! だから、リミのを一番にしたらどうかなあ?」


「それじゃあ、ダイアの菓子が最後ということかしら?」


「うん! できればだけど、そっちの人のお菓子は最後のお楽しみにしたいの!」


 エウリフィアはゆったりと微笑みながら、「そうね」とうなずいた。


「それじゃあ、リミ=ルウの提案に従うことにしましょう。よろしくね」


 最後の「よろしくね」は小姓に向けられた言葉である。小姓は銀色のワゴンから、リミ=ルウに指し示された大皿を取り上げた。

 まずはその大皿を卓の中央に配置して、取り分け用の食器を配っていく。それらが7名の貴婦人に行き渡ってから、小姓は大皿のクロッシュを開放した。


「あら、これは……リミ=ルウのこしらえた菓子にしては、ずいぶん簡素な外見をしているようね」


 エウリフィアが、むしろ楽しげに聞こえる声でつぶやいた。

 そこに準備されていたのは、俵型をしたフワノの生地であったのだ。まんべんなく白い砂糖がまぶされているとはいえ、まあ確かに簡素な外見であるだろう。


「でも、リミ=ルウがただ焼いただけのフワノを準備するわけがないものね。どのような細工がされているのか、とても楽しみだわ」


 小姓がトングのような器具を使って、貴婦人がたに菓子を取り分けていく。キミュスの卵をきゅっと平たく潰したぐらいのサイズであるので、量としてはささやかなものである。


「それでは、いただきましょう」


 貴婦人がたは、そろってナイフとフォークを取り上げた。

 なかなか優雅な手つきで菓子を切り分けたディアルは、そこから覗いた黒い物体に、「わ」と声をあげる。


「なんか、奇妙なものが出てきたよ。これは……あ、以前にも出してくれた、ブレの実ってやつだね?」


「あったりー!」と、リミ=ルウがディアルに笑顔を返す。前々回あたりの茶会で、トゥール=ディンはおはぎやぼたもちといった菓子を供していたのだ。

 そして、本日のリミ=ルウが準備したのは、ブレの実のあんこをふんだんに使った、いわゆる『あんドーナツ』であった。


「そっかそっか。あれ以来、ブレの実を使った菓子ってなかなか口にする機会がなかったんだよね。これってやっぱり、森辺の民ならではの作り方ってことなのかな?」


「うん、そうみたい! 宿場町では、トゥール=ディンが作り方を教えてあげたみたいだけど、城下町ではまだなんじゃないのかなー」


 ディアルとリミ=ルウが無邪気に笑い合っていると、その場にはいっそう華やいだ空気がたちこめた。そういう意味では、エウリフィアがディアルに口調を改めさせたのは、なかなかの好手であったのかもしれない。


「なるほど、ブレの実を使った菓子であったのね。わたしもトゥール=ディンのおかげで、すっかりブレの実の菓子を好むようになってしまったわ」


 エウリフィアが得心した様子で、そのように述べていた。トゥール=ディンから城下町に届けられる菓子は、エウリフィアもオディフィアとともに毎回口にしているはずであるのだ。

 よってリミ=ルウは、トゥール=ディンがまだオディフィアたちに食べさせていない菓子の中から、この『あんドーナツ』をチョイスすることになったわけであった。


「以前にいただいたブレの実の菓子は、たいそう美味でありましたからねえ。今度はどのような菓子であるのか、とても楽しみです」


 そんな風に言いながら、リッティアが取り分けた『あんドーナツ』を口に運んだ。

 すると、柔和な顔にいっそう和やかな微笑が浮かべられる。


「まあ、美味ですこと。これは、油で揚げた菓子ですのね」


「うん! 揚げたてだから、美味しいでしょ?」


「ええ、美味ですわ。砂糖をそのまままぶすというのも、ちょっと珍しい手法なのでしょうけれど……その甘さがまた、たまりませんわね」


 リッティアの隣では、メリムも「はい」と同意の声をあげている。年齢よりも幼く見えるその顔にも、とろけるような笑みが浮かべられていた。


「そういえば、料理長のヤンが森辺の方々に、ブレの実の菓子の作り方を教わったのだと聞きましたわ。わたしどもの屋敷でもこのような菓子を口にできるようになったら幸せですわね、リッティア?」


「ええ、本当に」


 他の貴婦人がたも、至極満足そうにリミ=ルウの『あんドーナツ』を食していた。

 約2名、いっさい表情の動かない方々もおられるのであるが、少なくともそのいっぽうは、灰色の瞳をきらきらと輝かせている。よってリミ=ルウは、もっとも内心を読みにくい最後のひとりへと、無邪気な笑みを差し向けることになった。


「アリシュナも、美味しい?」


「はい。きわめて美味、思います。ギギの茶、よく合うようです」


 ギギの茶は、コーヒーに近い風味を持っている。理想を言えば日本茶であろうが、まあ合わないことはないのだろう。茶の苦みは、菓子の甘さを引き立ててくれるものであるのだ。


「それじゃあ次は、アスタの菓子ね。たしか、わたしやオディフィアはもう口にしたことのある菓子であるという話だったかしら?」


「はい。ただし、この味付けはまだお披露目されていないかと思われます」


 俺が本日持参したのは煎餅であり、なおかつそれは、俺が独自に開発した味付けであるのだ。もちろん現在では、それもトゥール=ディンに伝授されていたが、まだ城下町には届けられていないはずだった。

 小姓が大皿を交換して、そちらのクロッシュを開け放つと、あちこちから「まあ」という声がこぼれる。


「これは、何というか……実に不可思議な見かけですねえ」


「はい。このような菓子を拝見するのは、初めてのことです」


 リッティアとメリムはそのように述べたてており、ディアルとリフレイアも不思議そうに目を見張っている。ゲオル=ザザに「木片のような」と評された煎餅は、城下町でも同じような驚きをもたらしたようだ。


「こちらは、シャスカを使った菓子となります。菓子としてはとても硬い部類だと思いますので、そのおつもりでお召し上がりください」


「……これが、シャスカで作られた菓子であるのですか」


 と、一歩下がった位置から、ダイアもそのように声をあげてきた。


「これは本当に、味の想像がつきません。のちほど味見をさせていただくのが、楽しみでなりませんね」


 やわらかく微笑むダイアに笑顔を返してから、俺は貴婦人がたのほうに視線を戻した。

 小姓が小皿に取り分けた際、からんと軽妙な音色が響くと、ディアルが「へえ」といっそう目を見開く。


「いま、からんって言ったよ? そんな硬い菓子は、ジャガルでも見たことがないよ!」


「たぶん食べ心地もかなり独特だからね。口に合わなかったら、心からお詫びの言葉を申し上げさせていただくよ」


「それはまあ、食べた後のお楽しみだね。えーと、どうやって食べればいいんだろう?」


 すると、ディアルの言葉に応じるように、小姓が水で満たされた銀色の小皿を各人に配り始めた。汚れた指を清めるための、フィンガーボールというやつである。


「手づかみでいいんだ? ふーん、へーえ、面白いなあ」


 さっそく煎餅をつまみあげたディアルが、幼子のような無邪気さで矯めつ眇めつしている。煎餅の形状は長方形で、サイズは5センチ掛ける3センチぐらい。色は赤褐色をしており、それが各人に3つずつである。


「ふうん。色合いは、以前にトゥール=ディンが届けてくれた菓子と、それほど変わりはないようね」


 そのように述べてから、エウリフィアは煎餅に歯を立てた。

 とたんに、パキッと硬質の音色が響く。リッティアたちは、それでいっそう目を丸くした。


「まあ、本当に硬そうですこと。しかも、この香りは――ひょっとしたら、キキの実なのじゃないかしら?」


「はい。キキの実を砂糖と一緒に煮込んだ煮汁を使っています」


 キキの実は、梅の実に似た食材である。普段は梅干しのごとき干しキキでペーストをこしらえたりしているが、今回は生のキキを使ってシロップ作りにチャレンジした次第であった。


 砂糖と一緒に煮込んだキキの煮汁には、後からラマムの果汁と白ママリアの酢と、それに塩とタウ油を添加している。八分ぐらい焼いた煎餅に、そのキキのシロップを塗布して、さらに砂糖をさっとまぶしたのちに、また石窯で焼きあげる。最終的に、レシピはそのように定まった。


 参考にしたのは、もちろん梅ザラメの煎餅である。

 残念ながら、この地にザラメ糖は存在しなかったので、あの独特の食感を再現することはかなわなかった。

 しかし、梅と似て異なるキキを使って、梅の風味や味わいを再現することには、何とか成功できたように思う。


 で――このキキ風味の煎餅は、めでたくアイ=ファの好物にランクインすることがかなったのである。

 あまり甘い菓子には関心のなかったアイ=ファが、煎餅にだけは興味を寄せていた。それで俺は、個人的な修練の日に研鑽を積んで、この煎餅を完成させてみせたのだ。それを初めて口にしたとき、アイ=ファはティアの目もはばからず、幸福そうに微笑んでいたものであった。


「ああ、確かにトゥール=ディンの届けてくれた、果実酒の風味の菓子とはまったく異なるようね。キキの実を菓子で使うというのも、初めて聞く作法だし……さすがは渡来の民の料理人といったところね」


 エウリフィアが、屈託のない微笑を向けてくる。

 ディアルたちは、その物珍しい食感にはしゃいでいる様子だ。リフレイアも、それなり以上に驚かされている様子であった。


「食べ心地も味付けも、思った以上に斬新ね。アスタはこの菓子を、ヴァルカスに食べさせたのかしら? 今日の朝方は、ヴァルカスのもとを訪れていたのでしょう?」


「いや、菓子の担当はトゥール=ディンだったので、《銀星堂》ではお出ししていないよ」


「そう。これほど目新しい菓子だったら、ヴァルカスも目の色を変えるのじゃないかしら。この食べ心地や味付けは料理にも転用できそうだから、なおさらにね」


 ならば、ヴァルカスにも食べていただくべきであっただろうか。朝方には『ナナール・ギバカレー』をこしらえる時間しか取れなかったので、こちらにまで手が回らなかったのだ。


「私も、きわめて美味、思います。これまで、食べた菓子、指折り、思います」


 アリシュナも、そのように言ってくれていた。

 いっぽうで、オディフィアはぽりぽりと無感動に煎餅をかじっている。察するに、オディフィアの好みとはあまり合致しなかったようだ。


「それじゃあ、そちらの最後はトゥール=ディンね。今日はどのような菓子を食べさせてくれるのかしら」


「はい。申し訳ありませんが、こちらで最後の仕上げをさせていただきますので、少々お待ちください」


 トゥール=ディンは宿屋の寄り合いのときと同じように、現場でクレープを仕上げる段取りであった。理由もあのときと一緒で、生地がふやけてしまうことを危惧したためだ。


 銀色のワゴンに準備されていた材料を使って、トゥール=ディンが手早くクレープを作りあげていく。絞り袋で生クリームや各種のソースを綺麗に絞り、果実や細かく砕いたラマンパの実をトッピングしていく。その手並みを、貴婦人がたは感心した面持ちで見守っていた。


「……どうもお待たせいたしました。これで完成です」


 最後の分を丁寧に折りたたむと、トゥール=ディンはそれを大皿に配置した。小姓は得たりと、それを卓に移動させる。


 トゥール=ディンはこの日も、小さなクレープを3種準備していた。

 生クリームとチョコソースに、細かく砕いたラマンパの実をトッピングしたもの。

 生クリームとアロウソースに、甘く煮込んだアロウの実をトッピングしたもの。

 そして、生クリームとブレの実のつぶあんに、黒蜜ときなこをトッピングしたものだ。


 生クリームにチョコソースというのは、クレープの王道であろう。

 ベリー系のアロウもまた、クレープには相応しい食材である。

 そして、あんこに黒蜜にきなこという和風の食材をもちいたクレープは、生クリームを添えることによって、また城下町の人々に新たな味わいをお届けできるはずであった。


「これはもう、見るからに見事な出来栄えね」


「ええ。この、生地から覗く白や赤の色合いが綺麗ですこと」


「3種も異なる味わいが楽しめるなんて、すごく心が躍ってしまいますわ」


 貴婦人要素の強い3名、エウリフィアとリッティアとメリムが、特に表情を輝かせている。これはまったく意図していなかった効果であるが、リミ=ルウと俺で変わり種の菓子が続いた後、城下町の貴婦人にも親しみのある焼き菓子が登場したことによって、気持ちを昂揚させることがかなったのかもしれなかった。


 それにやっぱり、俺とリミ=ルウが準備した菓子は、外見が簡素でありすぎたのかもしれない。生地から各種の具材を覗かせたトゥール=ディンのクレープは、それなりに彩りも鮮やかであるように感じられた。


「それでは、いただきましょう」


 小姓が茶のおかわりを注ぐのを待ってから、エウリフィアがチョコ&クリームのクレープを取り上げた。

 各人も、それぞれお好みのクレープを取り上げる。トゥール=ディンは、ひそかに息を詰めて、その様子をうかがっていた。


「おいしい」と、まずはオディフィアの声が響く。

 その可憐な口もとには、生クリームとアロウのソースが付着していた。

 トゥール=ディンはたちまち表情をゆるめて、「ありがとうございます」と返事をする。


「ああ、とても美味だわ。こんなに甘いのに、繊細な風味も感じられて……この生地も、素晴らしい仕上がりではなくて?」


「はい。こんなに薄いのに、心地好い弾力があって、乳脂の風味もたまりません」


「それにこの、くりーむでしたか? とろけるような舌触りで、ほのかに甘くて、アロウの酸っぱさを包み込んでくれるような……食べ終えてしまうのが惜しいほどですわ」


 やはりジェノスの貴婦人がたが、とりわけ昂揚しているようだ。

 もちろんディアルやアリシュナも、満足そうにクレープを食している。そして、エウリフィアたちの輪に加わっていなかったリフレイアも、2種目の半分ほどを食べたところで、トゥール=ディンに向きなおった。


「これは、城下町のどんな集まりで出されても、賞賛の嵐でしょうね。ヴァルカスはもちろん、ティマロにだってこれほどの菓子を作りあげることは難しいと思うわ」


「あ、やっぱり菓子作りに関しては、ティマロのほうが上っていう評価なのかな?」


 俺の問いかけに、リフレイアは「そうね」とうなずく。


「少なくとも、わたしが中天に菓子を準備させるときは、なるべくヴァルカスではなくティマロに申しつけていたわ。食後の菓子ならヴァルカスも負けていないけれど、菓子だけの勝負なら、ティマロのほうが上でしょうね」


「そっか。ヴァルカスのお弟子のシリィ=ロウなら、ティマロにも負けていないと思うけれど」


「ああ、あの娘は茶会で見事な菓子を出していたわね。でも、弟子の作ったものをわたしたちに出すことは、きっと父様に禁じられていたのじゃないかしら」


 それは、もったいないことをしたものである。

 そして俺は、リフレイアが心の揺らぎを見せずに「父様」という言葉を発していることに、ひそかに安堵していた。


「……オディフィアは、どのくれーぷがお好みでしたか?」


 と、トゥール=ディンがひかえめに問いかけると、オディフィアは即答で「ぜんぶ」と応じていた。誰よりも早く、彼女は3種のクレープを完食していたのだ。


「以前にお出ししたでこれーしょんけーきもそうでしたが、くりーむを使った菓子は時間が経つと形が崩れてしまうため、普段はお届けすることができないのです。オディフィアに満足いただけたのなら、とても嬉しく思います」


「うん。すごくおいしかった。すごくすごくおいしかった」


 オディフィアは卓に敷かれた敷物をぎゅっと握りしめつつ、ドレスの下で両足をぱたぱたと動かしていた。何故か表情の動かない彼女の、精一杯の感情表現である。彼女に尻尾が生えていたならば、それも足と連動してせわしなく動かされていたことだろう。


 そんなオディフィアの姿を、トゥール=ディンは数メートルの距離を置いて、じっと見つめている。顔をあわせるたびに、彼女たちの絆は深まっていくようだ。6日後の収穫祭が、いまから楽しみなところであった。


「……それじゃあ、ダイアの菓子で締めくくっていただこうかしら?」


 しばらくののち、エウリフィアがそのように宣言した。

 しばらく静かにしていたダイアは、「はい」と口もとをほころばせる。小姓は空になった大皿と小皿を下げると、今度は各人に小さなクロッシュのかぶせられた小皿を回し始めた。どうやらダイアは、最初から菓子を取り分けておいたようだ。


「よろしければ、お茶を交換させていただけますでしょうか? こちらの菓子は、熱いアロウの茶に合わせて、味を組み立てておりますので」


「ええ、わかったわ。では、そのようにね」


 小姓もその話はダイアから聞いていたのだろう。ワゴンの下部から銀色のティーポットを取り出して、各人に新たな茶を届けていく。

 アロウの茶というのは、城下町でしか見かけない。ベリー系の風味を持つアロウの実が、香り高い茶に仕立てあげられているのだ。赤みを帯びた茶がカップに注がれると、その芳香が居並ぶ人々の鼻をくすぐった。


 そうして、いよいよダイアの菓子のお披露目である。

 まずは小姓が、エウリフィアの分のクロッシュを持ち上げると――ディアルとメリムが、同時に「え?」と声をあげた。


「エ、エウリフィア、これはどういう……?」


「ええ。これは、ダイアの自慢の菓子のひとつね」


 エウリフィアは悪戯っぽく、くすくすと笑っている。その間に、各人のクロッシュも次々と開けられていった。

 驚いているのは、俺たちも同様である。城下町の菓子などには一切の興味を持たないアイ=ファですら、うろんげに眉をひそめている。


「どうぞ、お召し上がりくださいませ」


 人々の驚きなどどこ吹く風で、ダイアはゆったりと微笑んでいた。

 美しい紋様の入った陶磁の皿に、ちょこんとのせられたそれは――どこからどう見ても、菓子ではなく「花」であった。


 しかも俺は、この花のことを見知っていた。これは森辺にも咲き誇る、豪奢で美しいミゾラの花である。リミ=ルウやララ=ルウなどは、それを乾燥させて花飾りに仕上げたものを、いつも祝宴で身につけていた。


 ただし、俺が知るミゾラの花は、人間の手の平ぐらいの大きさをしていたので、それよりはひと回りほど小ぶりであるようだ。

 バラとハイビスカスを掛け合わせたような立派な花弁をしており、その色合いは、鮮やかな深紅である。その下からは深い緑色をした葉が覗いており、茎は皿の縁に届く前に断ち切られていた。


「つまりこれは、ミゾラの花を菓子に仕立てあげたってこと……? でも、どこからどう見ても、摘んだ花そのままだけど……」


 ディアルが当惑した声をあげると、エウリフィアは楽しくてたまらぬ様子でフォークを持ち上げた。


「それじゃあ、食べ方を知るわたくしたちが手本を見せるわね。とは言っても、どのように食べようと自由なのだけれど」


 エウリフィアのフォークが、ミゾラの花弁に押しあてられる。

 すると、花弁が何の抵抗も見せずにさくりと寸断されてしまったので、メリムがまた「え?」と声をあげた。


 エウリフィアはフォークですくいあげた花弁の切れ端を、迷うことなく口に運んでいく。

 その隣では、オディフィアが緑色の葉を同じようにすくいあげていた。


「うん。この菓子を口にするのはちょっとひさびさだけれど、やっぱり素晴らしい味わいね」


「恐れ多きお言葉でございます」


 ダイアは相変わらず、やわらかに微笑んでいた。

 ディアルやメリル、それにリッティアの3名は、そんなダイアとエウリフィアの姿を見比べてから、おそるおそるフォークを取り上げた。


「うわ、やわらかいや。……エウリフィア、これは作り物の花であるのですか?」


「あら、わたくしには気安い言葉を使ってくれないのね」


「それはだって、普段からエウリフィアには気安い言葉など使っていませんし」


 そんな風につぶやきながら、ディアルはフォークですくいあげた花弁をまじまじと見つめていた。

 それだけの至近距離でも、やはり本物の花としか思えないのだろうか。ディアルは小首を傾げつつ、えいっとばかりにそれを口の中に放り込んだ。


「うわ、甘い……それに、ミゾラの香りがする!」


「はい。ですが、ミゾラの花は食用に適しておりませんので、それもミゾラに似せてこしらえた香りとなります」


「ええ? この香りも作り物なの? 何だか、信じられないや」


 ディアルは力なく首を振り、その間にメリムとリッティアが驚きの声をあげていた。


「本当ですわ。ミゾラの香りです……」


「でも、甘くて、とても美味ですわね……」


「リッティアはたびたびジェノス城を訪れていたけれど、昼から菓子を口にする機会はなかったでしょうからね。食後の菓子としては重いから、これは昼にしか出されることがないの」


 そのように述べてから、エウリフィアはリフレイアを振り返った。


「あなたはこの菓子を口にしたことがあったかしら、リフレイア?」


「ええ、1度だけね。父様のお供でジェノス城に招かれた際、昼の席でいただいたわ」


 すると、アリシュナも声をあげた。


「私、口にする、初めてですが……とても、不思議な心地です。まるで、ミゾラの花、食している心地です」


「そうでしょう? もしもミゾラの花が食せるものであったら、このような味なのではないか……ダイアはそんな風に考えて、この菓子を考案したのだという話だったわね?」


「はい。左様にてございます」


 人々は驚嘆の表情で、ミゾラの花を食し続けた。

 それらの姿を見やってから、エウリフィアが俺たちに微笑みかけてくる。


「それじゃあ、あなたがたもいまのうちに、おたがいの菓子を味見してきたら如何かしら? その後に、またわたくしたちと語らせていただきたいわ」


「了解いたしました。それでは、ひとまず失礼いたします」


 俺たちはシェイラの案内で、建物のほうに導かれた。本日は、屋内に別室が準備されているらしい。

 庭園からほど近い小部屋で、俺たちは腰を落ち着ける。ルド=ルウがまた扉の外に居残ろうとすると、ダイアが「あら」と声をあげた。


「そちら様は、お部屋に入られないのでしょうか? 人数分の菓子を準備しているのですが」


「へー、俺の分までこしらえてくれたのか? それじゃあ、アイ=ファ、交代で食おうぜ!」


「うむ」と応じながら、アイ=ファも俺の隣に腰を下ろした。確かにその場には、すでに人数分の皿が準備されていたのだ。俺たちがダイアのために準備した菓子は、シェイラがぬかりなく配膳してくれた。


「3種もの菓子をいただけるなんて、まことにありがたい話です。どれから手をつけるべきか迷ってしまいますねえ」


 ダイアは、にこにこと微笑んでいる。貴き人々が同席していようといなかろうと、その態度に変わるところはない。これが彼女の自然体であるのだろう。

 そうしてクロッシュが開けられると、ミゾラの花の姿をした菓子があらわになる。リミ=ルウは「へー!」と瞳を輝かせながら、その菓子に限界すれすれまで顔を近づけた。


「すごいねー! ほんとにミゾラの香りがする! それに、これだけ近くから見ても、やっぱりミゾラとしか思えないよ!」


「はい。それに……この皿も、心を奪われてしまいそうなほど美しいように思います」


 トゥール=ディンは、切なげに息をついている。言われてみれば、城下町でもこれほど立派な皿を見ることはなかなかないように思われた。カスタードクリームのようにほんのりと黄色みを帯びた陶磁の皿で、縁のところに細かい紋様が描かれているのであるが、それがまたミゾラの花の美しさを際立てるかのようなデザインであったのだ。


「わたくしは、外見も料理の味に強く関わってくるものと考えております。そちらの皿は、そちらの菓子のために注文させていただいたものなのでございますよ」


「え? この菓子のためだけに、この皿を買いつけたということですか?」


 トゥール=ディンの問いかけに、ダイアは「はい」とうなずいた。


「城下町で売られている皿をすべて取り寄せて、その中から理想に合致する皿を注文させていただきました。その皿を使うことによって、この菓子は完成されたのだと考えています」


「つまり……味だけではなく、外見の調和まで考えている、ということなのですね」


 トゥール=ディンはきゅっと表情を引き締めると、銀色のフォークで深紅の花弁をすくいあげた。

 そうしてそれを口に運ぶと、再び「ああ」と切なげな吐息をつく。


「本当に……ミゾラの花を食しているような心地になります」


 その言葉を聞いてから、俺もフォークを取り上げることにした。

 花弁にフォークを押しあてると、スポンジケーキぐらいのわずかな弾力が感じられる。数ミリていどの厚みしかないことを考えれば、それなりの質感と言えることだろう。


 それを口に運んでみると、俺もよく知るミゾラの香りがふわりと広がった。

 そして、とろけるような甘さが舌を包み込んでいく。食感は、スポンジケーキよりもしっとりとしており、ガトーショコラよりはやわらかい、というぐらいの感覚だ。


 ひどくなめらかな口あたりであるが、この形状を保つために、おそらくはフワノの粉か何かが使われているのだろう。

 だけどやっぱり、俺が知る焼き菓子とはまったく異なる食感である。花弁は口の中の温度だけでゆるゆるとほどけていってしまうし、後には粉っぽさも残らない。冷たくないアイスクリームというべきか、弾力にとんだムースというべきか……とにかく俺には、食感からして未知なる味わいであった。


「すごーい! 花と葉っぱで、味がぜんぜん違うんだね!」


 リミ=ルウのはしゃいだ声で、俺は我に返ることになった。

 それから慌てて、深いグリーンをした葉のほうもすくいあげてみる。そちらは花弁よりも、わずかに弾力が強いように感じられた。


 口に入れてみると、今度はミゾラの香りも感じられず、その代わりに、抹茶のごとき風味が感じられた。

 前面に押し出されているのは、やはりまろやかなる甘みであるが、その裏にひっそりと渋みや苦みが隠されている。食感は、やはり花弁よりも少しだけしっかりしており、ごくやわらかいチョコレートぐらいの感覚であった。


 鮮烈にして、繊細な味わい――これが、ダイアの手腕であるのだ。

 そしてそこに、ミゾラの花の香りや形状を再現するという細工までほどこされている。

 俺は、ヴァルカスの料理を初めて口にしたときと同じぐらいの驚きを味わわされることになった。


(この人は……菓子の他には、どんな料理を作るんだろう)


 そんな思いを込めながら、俺はダイアを振り返る。

 ダイアは穏やかに微笑みながら、それは幸福そうに俺たちの菓子を食してくれていた。

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